鶴は千年、生活下手

2016年12月31日(土) もう大晦日

冬休みに入って三日目の日曜日。
息子は、友人たちと電車乗りに出かけてきた夜に38度台の発熱。
これはきっとインフルエンザだと直感し、家庭内隔離政策を開始。
翌日の月曜日。
鼻風邪の症状だが37度台の熱があった夫に頼んで病院へ行って
もらった。
もちろん、二人とも検査してもらい、結果、夫はただの風邪だが、
息子はインフルエンザA型と判明。
そして、わたしは夫の鼻風邪をもらい、月曜は37度台まで発熱。
火曜日、透析している病院で、息子がインフルエンザだと報告す
ると、タミフルを予防薬として処方された。
水曜日に息子は平熱になったので、木曜日、金曜日と隔離政策の
まま過ごし、やっと隔離政策が終了して今日からは通常に。

夫婦で鼻風邪、息子はインフルエンザと、三人ともだめだめなの
で、年末の作業はほとんど進まず、マスクしてテレビなんか見て
いるうちに大晦日である。
とりあえず、昨日のうちに玄関飾りと小さな鏡餅を飾った。
おせちは、今日の透析から帰って、田作りと煮物だけ作る、
家族三人、今度の正月は質素な感じでと、納得済みだが、年賀状
もまだなので、年が明けてから出すことになりそうだ。

ばたばたとした一週間だったー。
最後にもうひと踏ん張りして、新年を迎える。

みなさま、良いお年を。



2016年12月16日(金) 年の暮れに向かい

またまた、あっという間に中学校の給食が終わり、昼までで息子
が帰宅する時期になってしまった。
来週にはカレー実習という日があって、作ったカレーは先生方に
食べていただいたりもするが、各自が持ち帰って昼ご飯にする。
1学期も給食がない時期にカレー実習があった。
そういえば、小学校の頃も毎年カレーパーティーというイベント
があって、それはやはり給食がない時期の12月だった。
息子は毎年、学校でカレーを作っているというわけだ。

この前の日曜日には、小学校時代からの友人たちと電車乗りに出
かけた息子。
帰宅後の第一声は「ああ、楽しかった。」だった。
それは良かったと思いながら、カメラを見せてもらうと、やはり
そこには電車しか写っておらず、相変わらずだなと思った。
東急と京急に乗ってきたのだということは、写真を見ればわたし
にもわかる。
レアな電車がたくさん見れたと喜ぶ息子は、満足げであった。
そうやって誘ってくれる友人たちがいることは、ありがたいこと
だと思うし、学校の先生や先輩にも恵まれているなと思う。

特別支援学級というのは、全学年が同じ教室で過ごすので、先輩
とも長い時間を共にする。
そのためか、支援級の先輩後輩で構成される友人関係は、特別の
ものであるらしい。
学年は違っても、幼なじみのようなものだ。
親の方も、その先輩たちが卒業しても気になるし、話題にもなる。
「今日は学校に○○君が来たよ。」などという報告を受ければ、
元気だったかとか、相変わらずだったかとか、尋ねてしまう。

来年は、兄のように慕う大好きな先輩達が卒業してしまうが、そ
のかわりに仲の良かった後輩が入学してくる。
そうやって支援級の子どもたちは、普通級の生活では部活以外で
はなかなか構築できないであろう友人関係を養っていくのかもし
れない。
町の中で遭遇しても、声をかけると挨拶をしてくれたり、おじぎ
をしてくれたりする。
それも、よく学校の行事に参加していて、子どもたちと顔なじみ
になっているからかもしれない。

出会い、巡り合わせは選べない、
だからこそ、出会った人やその人との繋がり方が大事だし、それ
ぞれの相手との繋がりに感謝することも大事なんだと思う。



2016年12月06日(火) ぼーっとしている間に

うかうかしている間に、師走になってしまった。
気持ちだけが焦るこのころ。
暮れも押し迫ってしまえば、開き直ることもできるが、まだまだ
開き直るには早すぎて、一応、いろいろあがいてみたりする時期。

息子の期末テストも終わり、息子とともにむくむくな奴らが村の
生活を楽しむゲームを、まったりと楽しみ中である。
すみっこ診断なるものをしてみたら、わたしは「ほこり」ちゃん
だった。
ふわふわしたマイペースな人間ということのようだ。
明日も息子と出かける用があるが、これで3週連続日曜に息子と
の外出である。
思春期の中1男子が、母と出かけてくれるのはうれしいことだ。
中学生になって学校での生活が落ち着いてきたからか、家でも笑
っていることが多くなった。
それは、息子と大人の会話ができてきて、冗談なんかもツーカー
で笑えるようになったことが大きな要因だと思う。

11月のぷらむ短歌会は欠席してしまった。
急に用事が入ったからだが、作品の出来が悪かったのも確かだ。
お題「米」は難しかった。
どうしてもお米のことしか浮ばなかった。
またしても、短歌脳になれないのだった。
わたしに30首連作とか、50首連作とか、作れる日は来るのだ
ろうか。

いつもいつも、日々の出来事に追われて、座り込んだときには、
ついついぼーっとしてしまうらしい。
息子を送り出し、自分自身が透析に通うことで、手一杯になって
しまうような自分に、情けなさを感じつつも、今はそれが自分だ
からと乗り切ることだ。


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市屋千鶴 [MAIL]