鶴は千年、生活下手

2014年12月27日(土) 気づかないことにしてしまう人

わたしの知合いに、子どもの頃、お母さんにはあまり面倒をみて
もらえなくて、おばあちゃんにみてもらっていたという人がいる。
おばあちゃんは厳しい人だったそうだ。
じゃあ、子どもの頃さびしいこともあったでしょと言うと、彼女
はぜんぜんさびしいと思ったことは無いんですよと答えた。
本当にそうなのか。
母親が仕事ばかりであまり一緒にいられなかったら、頭ではわか
っていてもさびしいとかつまらないなとか思うのではないのか。
彼女は、さびしいと思ってはいけないのだと思って過ごしていた
のではないのか。
自分の本当の気持ちに気づかないふりをして、そのまま育ったの
ではないのか。
わたしには、そう思えて仕方がなかった。

彼女は子育てで、いろいろと問題の多い上の男の子よりも、下の
女の子の方をかわいがってしまいがちだと言っていた。
上の子は、同じ市内だが転校があったりして、学校になじめない
とか、父親の趣味につきあうため、ほんとはやりたいサッカーを
我慢しているとか、体調を崩しやすいとか、まあいろいろ。
男の子はうちの息子と同じ5年生、思春期に入る年頃だ。
自分の母親に甘えたかったことに気づかない母親と、甘えられず
にいるその息子。

記憶というものは、時間が経つにつれて自分の都合のいいように
変化することがある。
記憶と事実は食い違うこともあるのだ。
もちろん、その記憶とともにそのときの気持ちも同じ。
都合のいいように思い込んでいる場合がある。
自分の子ども時代に抱えていた不満、というかさびしさ。
それに気づかないことにしてしまう。
気づいてしまうと、例えば母親に対する今の気持ちが維持できな
くなってしまうことを恐れるのか。

彼女の母親は、孫に対してもあまり気にかけてくれないようだ。
彼女の母親自身が、自分の親に対して何かしらの抵抗感があるの
だろうと思う。
自分が塞いでしまった感情は、子どもにも向けないものなのか。

別の知合いが言った。
子育てに行き詰まっている母親は、自分の母親との関係にも行き
詰まっている場合が多いのよ、と。

命は引き継がれて行くが、子どもの頃に抱え込んで気づかないこ
とにしてしまっている感情も、また引き継がれていってしまうも
のなのだろうか。



2014年12月26日(金) 羨望と苛立ちと理解と

自分が長女だった母親は、上の子に厳しい傾向があると思う。
わたしの姉もそうだった。
自分が子どもの頃に、お姉ちゃんだから我慢しなさいとか、お姉
ちゃんだからちゃんとしなさいとか言われて育ったからなのか、
自分の上の子にも同じことを要求する。
お姉ちゃんだか、お兄ちゃんだから。
でも、自分だって、そう言われてさびしかったことがあるはずだ。
自分が我慢してきたのだからあなたも我慢しなさいと、無意識の
うちにそう考えてしまっているのかもしれない。

考えてみれば、子育てというのは自分がどう育ったかということ
にとても影響されやすいのだろう。
してもらわなかったことをしてあげるのは難しい。
親にされて嫌だったことを我が子にはしないでいようと思うのは
たやすいが、衝動的に同じことをしてしまっていることに気づく
ことも多い。
自分が我慢してきたから我が子にも我慢しろというのは、それは
全く理論的ではないのだが、陥りやすい。

わたしは、小学校5年生の頃は、母に置いて行くよ宣言をされて、
子供心に悩んだ時期だった。
甥っ子が小5の頃、あまりに能天気な甥を見ていて腹が立った。
自分がその頃にはあんなに悩んでいたのに、こんなに何も考えて
ないのかと思うと、羨ましかったのだろう。
その羨望が苛立ちになったのだ。
自分には持つことができなかった子どもらしさ。

わたしが姉に対して、能天気で何も悩みが無いんだよねと言うと、
母親からすれば我が子に悩みなんてない方がいいものよと答えが
かえってきた。
母になった今なら納得する。
息子が、何も考えていないようで、いろんな困難を抱えていたこ
とに気づかされたときなんかね。
感覚過敏は、本人が申告してくれないと分からないことが多い。

自分が出来たことは我が子も出来るだろうという感覚は、息子の
ような子どもを持つと早い時期から持たなくなる。
しかし、それでも高機能自閉症であることを知らなかった頃は、
例えば呼ばれたら返事をするとか、自分がそう言われてしつけら
れてきたことが、なぜ出来ないのかととても頭にきたものだ。
頭にきて、許せなくて、まだ2歳の子どもに向かって激しく叱り
つけたりした。
これも今ならわかる。
返事をしないのは、わたしの声が聞こえていなかったからだと。
まだ2歳の子どもは、話ができるからといって、話が通じている
とは限らないことを。
母の言うことがわかるが、それと理解して実行することが出来る
のは違うということ。

たとえ、おなかの中ではぐくみ、産んで育てている我が子でも、
自分と違う全く別の個人であることを理解するのは少し時間がか
かるし、その子が生まれてからの1、2年で経験することがどれ
ほど変化に富んだすばらしいことの連続なのかを想像するのも、
また少し時間がかかるのである。

ずっと上ばかり見ていたものが、寝返りが出来るようになって、
視野が変化する。
いろんなものが見えるようになる。
寝返りで移動だって出来る。
お座りすれば視点が高くなる。
つかまり立ちできれば、さらに視点が高くなり、視野が広がる。
歩き始めればなおさらだ。
新しい世界が、毎日、子どもを待ち受けている。

そんなことに思い至ることが出来るようになるのは、我が子を追
いかけなくても良くなった頃であるのが、残念なところだ。

自分に無いもの、持てなかったものへの羨望と、苛立ち。
そして、それぞれが別の個人であることへの理解。
そうやって、親も育つのであろう。



2014年12月17日(水) 「ほどほど」の難しさ

頑張りすぎない、まじめすぎない、ほどほどが大事。
だが、そのほどほどというのがくせ者で、ほどほどは人によって
違うから、自分自身の中でしっかりとした自覚が必要だと思う。
自分ではこれくらいでいいかという基準を他人と比較してしまう
と、頑張る人ほど、まじめな人ほど、ハードルが上がってしまう。
まったくほどほどではなくなってしまうことだってあるのだ。

ほどほどには、他人にはどう見えるか分からないが、自分の中で
はこれくらいでちょうどいいのだという割り切りが大事なのかな。

「他人にはどう見えるか分からないが、」ということの裏側には、
自分は自分だからと自分を受け止めて、いい所もだめな所も一緒
に許しているのだという気持ちがある。
まさに、ありのままの自分を認めることだ。

他人から良く評価されるのは、誰だってうれしい。
しかし、他人からの評価だけに頼っていては、しんどいだけなん
じゃないかなと思う。
評価基準は一人一人異なるものだから、みんなから等しく良い評
価を受けるのは難しい。
やはり、自分なりの割り切りは必要なのだ。

息子は触覚(食感)や嗅覚が過敏である為に、給食のメニューで
食べないものが多い。
主食が白米であればいいが、混ぜご飯だとだめな確率が高い。
洋食系でも、マッシュルームがネックになって食べないことも。
だから、主食が白米でない日は、ご飯だけを持たせることにして
いる。(先生と相談した結果だ。)
昨日はピザトーストだった。
しかし、ご飯は持たせなかった。
それは、マッシュルームさえ取り除けば食べられると、そう判断
した結果なのだった。

母の願いもむなしく、ピザトーストを口にしなかったようだ。
牛乳しかとれなくて、午後は辛そうでしたと、連絡ファイルに書
かれて、母の体調が悪くてご飯が炊けなかったのだと息子は説明
したようだった。
いや、ご飯は炊けなくても、レンジでチンするご飯はあるのよ。
それを持たせればいいだけだったのだ。
ても、ピザトーストのマッシュルームくらい、取り除いて食べて
きてよと声を大にして言いたい母である。

他人からの評価は、正しい情報に基づいているとは限らないのだ。



2014年12月16日(火) 息子に続いて、父母とも咳き込んでいる

ほぼ1週間、学校を休んで息子から、うつったのかもしれない。
わたしが先週の金曜日から熱と咳、夫が土曜日から熱を咳。
夫の方が若いし免疫力も高いからか、熱はおさまったようで、咳
だけが残っているようだ。
わたしはというと、初日は38度を超えたが、それ以降は37度
前後の体温で、咳き込んでいる。
インフルエンザの検査もしたが、陰性だった。
腹筋がいたい。
腹筋というよりも、はっきりと横隔膜が痛む。
親が土日を寝込んでいたので、食事の支度も満足に出来ない有様
で、日曜は夫が気合いで何か買ってきてくれた。
夫は昨日からちゃんと仕事にも行っている。(なんか偉いなあ)

昨日は、日中にちょっと熱が上がって起きられなかったので、知
人に買い物のヘルプを要請した。
洗いものもしてくれた。(感謝、感謝)
おかげで昨日はなんとか食事が出来た。

今日は、一段と寒いけど、なんとかなるだろう。



2014年12月07日(日) 息子、咳の1週間

先週は、ほぼ1週間、学校を休んでしまった息子である。
先週の療育に行って、帰りからどうも寒いって言うなあと思って
いたら、帰宅後に息子発熱。
咳も出ていた。
昼間は比較的元気で、熱もでないこともあったが、夜になると咳
が増えて37度台の発熱がある。

月曜、火曜とやすませて様子をみたが、水曜になってもあまり変
わらないようなので医者に行った。
外に出ると、意外と元気で驚いた。
咳の薬と抗生剤を処方された。
水曜、木曜と休んで、もう大丈夫と思ったら、金曜の朝になって、
まさかの「じんましん」。
抗生剤あたりで出たようだ。
医者に行って、薬を変更してもらった。
水曜日とは大違いでずいぶんと具合が悪そうにしていた。
抗生剤は飲むのを中止するようにとのことだった。
帰宅して、薬を飲んでとりあえず3時間目から学校に行ったが、
給食の匂いがダメだと言って早退。
うちでの昼ご飯は割と普通に食べられた。
じんましんはひいていた。

昨日も、じんましんは出たりひいたりだったが、今朝はほとんど
見えなくなっていた。

まだ、時々咳は出るが、発熱することも無く、ご飯も普通に食べ
られるし、お通じも普通になった。
やっと学校に行けるようになったよと、ひと安心。

咳の風邪はともかく、息子の場合、じんましんが体中に出たのは
初めてだったので、かゆくてかわいそうだった。
しかし、アトピーの子どもはもっと辛いんだろうねと、夫と二人
で話し合った。
一時のことで良かったと思いつつ、どんなときもしっかり受け止
められる親としての覚悟が大切だなあと再認識した。


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市屋千鶴 [MAIL]