この9月から、透析に通っている病院の透析患者の会の会計をや ることになった。 前任者が転院することになって、後任を打診されたのが6月のこ とだった。 ちょうど役員会の日が親戚の集まりと重なり、後で日程が決まっ た役員会の方を欠席していたのだが、集まりの会場の行く途中の 駅のホームで電話を受けた。 短い時間で相談されたので、引継ぎをちゃんとしてくれればやり ますと答えた。 短い時間のことだったし、こんな出先まで電話をしてくるくらい だから、きっと後任がまったく決まらなくて困っているのだろう と思ったから引き受けたのだ。
しかし、後になって考えてみると、前任者は会計本来の役割以外 にもいろいろと雑務をこなしている方だったので、わたしにそれ は無理だと思った。 9月に引継ぎをしてもらった際に、会計本来の役割に限定した形 でとお願いしたところ、とりあえず半年やってもらってあとはで きないからと言ってもいいと言われた。 前任者も今年度いっぱいは患者の会の会員だから、わからないこ とはいつでも聞いてくれと言われた。 なんだか微妙な気持ち。 それなら、あと半年、続けてくれれば良かったんじゃないのか? ばたばたと次の人を決めなくても良かったんじゃないの? もっと、時間をかけて後任者を選べばいいじゃないのと。
まあ、あれこれ言ってもしょうがないので、引き継がれた以上は ちゃんとしなくちゃと思う。 だが、家計簿すらつけないわたしが、帳簿なんかつけられるのか。 はなはだ不安が残るが、とりあえずお金の管理だからきちんと。
考えていれば、会長とか副会長とかばっかりやってきて、会計や 書記みたいな細かい役割はやってこなかった。 パートの事務のおばさんは楽しかったが、それとは別物だから。 昨日で55歳になったことだし、まあ、がんばるか。
今週、個別療育があった。 その前に、たまたま療育の担当の先生が、学校に参観にきていて 息子の様子も見ていった。 それらをふまえて、個別療育での話。
交流学習に行くことの辛さを、先生も母も改めて認識した。 それぞれの科目なりに困難さを抱えながら授業に参加していると いうこと。 たとえば、音楽は好きな科目だからと、周りも困難さを想像して いなかったが、音感が優れている息子にとって、練習中の音程の ずれまくっている合奏などは、聞いているのが辛い雑音なのだと いうことがわかった。 社会は地図帳が見られない辛さを、理科では初めて耳にする言葉 全てを質問したくなってしまって困ること、など。
そして、それ以前に、交流のクラスの中での居心地の悪さ。 5年生ともなると、グループが出来てきたり、自分たち仲間内の ルールが最優先するようになってくる。 そして、それに当てはまらないものは敵対視する傾向が出てくる。 思春期のそれは一過程に過ぎないことだが、その中で自閉症児が 生活するのはかなりしんどいものと推測された。
見た目は普通と変わらない自閉症児の場合は特に、周りからの目 が厳しくなる傾向にある。 それは、彼らが抱えている困難さが見た目では想像できないから なのだが、ただの変な子としてからかいの対象になる場合が多い。 ちょっとしたからかいの言葉も、彼らには言葉通りのストレート な誹謗にしか聞こえない。 とてもバカにされていると思うらしい。 その気持ちは怒りとイライラになり、他の場面で突出したりする。
臨床心理士の先生も、母も、君が辛いと思うことは無くしてあげ たいと思っていることを伝え、あれが出来ないから辛いと思うこ とはかっこ悪いことではないのだからと、声をかけながら話をし てもらう。 思い出している最中はやはり辛そうであり、そんなにしんどかっ たのかと、かわいそうになる。 参観していた音楽の授業中に、息子がどんな様子だったかを聞い て、やはりそんなにしんどかったのかとかわいそうになる。
試練が乗り越えるものだと、わたしなどは自分で乗り越えてきた タイプの人間だから、乗り越えられないものかと思ったりもする。 そして、試練を自分の力で乗り越えることは大変優れていること だと、一般的には考えられていると思う。 しかし、息子の場合は、長い時間をかけて考え方を修正しながら 前向きに対応する術を身につけていかなくてはならない。 乗り越える方法が慣れであるなら、それはかなり難しい。 感覚的な困難さを慣れで解消できることは少ないからだ。 対人関係的な部分であれば、こういわれたらこう思えばいいと言 うこともできるが、地図帳を見て頭が痛くなるのは直せない。
学校の支援級の担当教師も、たぶん毎日がいっぱいいっぱいなの だと思うとの感想を持つくらい、学校での息子は辛そうな顔をし ていることが多いのだろう。 担当教師とも相談の上で、交流に行けない場合の国語や算数以外 の科目をどう進めていくか、決めていかなくては。
理科は社会は、教科書とプリントがあれば、母が教える。 小中学校の間くらいは、教科書さえあれば、なんとか教えられる と思う。 だから、安心して支援級にいなさい。
今月の終わりには、55歳になる。 歳を重ねると、細かいこだわりは少し増えるが、大まかなところ であまりこだわることが無くなっているような気がする。 特に、失敗したこととかはほんの小さなことでしかないと思える。
透析のたびに、この間に何かあったらというかすかな不安を抱え ながら横たわっているわけだが、そうなると、命に関わることで ない限り、自分のことでくよくよ思い悩むことはばからしく思え てくるのかもしれない。
10歳の息子にとっては、失敗はどんなに小さなことでも、自分 がダメな奴に思えてきてとても落ち込んでしまうのだそうだ。 昨日は、グループ療育の日だったのだが、失敗するとかっこ悪い と思うかどうかという話しで、他の人が失敗するとかっこ悪いと 思うが、自分が失敗したときは、かっこ悪いと思うと悲しくなる のでかっこ悪いと思わないようにすると発言したそうだ。 そうそう、まずはそうやって少しずつ、失敗はかっこ悪くないと 思う練習をすればいいのだ。 だんだんと、他の人の失敗もかっこ悪いと思わないようになれば いいと思う。
自分が10歳の頃は、なんか悩みが大きすぎて失敗がどうとかを 深く考えずに、人に必要とされる自分を作り上げようとしていた ように思う。 夫に出会うまで、人に必要とされることをとても追いかけていた 部分があり、それが私生活の不安定さにつながっていた。
息子の場合、必要とされるかどうかまで思い至るようなことも無 く、一人っ子である以上、他の兄弟と比べられることも無い、 それなのに、失敗は自己の完全否定でもあるかのように落ち込む。 失敗でないことも、たとえば、両親や先生に注意されることや、 クラスメイトに指摘されることとか、そういうことも失敗と同じ ように感じるようだ。 注意されることや指摘されることは、失費とは違うということを 何度も何度も言い聞かせる。 失敗だってかっこ悪い言葉なりじゃないと言い聞かせる。 歳を重ねると慣れてきて楽になることもあるが、逆にいろいろな ことがわかるようになってかえって辛くなることもあるのだ。
誰だって、自分と向き合わなければならない時が来るが、息子の ような子ども達は、自己認識が自然に発達しないためか、小さい 頃から自分と向き合う訓練をしている。 失敗したときの自分を思い浮かべることは、自己否定の追体験で あるから、かなり辛いことのはずだ。 辛くなったら、別の楽しいことを思い浮かべて回復しつつ進む。 付き添っている親も、その表情から読み取れる辛さを軽減してや りたいと思いながら寄り添っている。
今日もいいお天気だ。
息子は5年生になって家庭科を習うようになった。 1学期は調理としてゆで卵やゆで野菜を作って食べたそうで、家 でもゆで卵を作ってくれて、食べた。 ちゃんと黄身が真ん中にくるように、お湯が湧くまでくるくると 卵を回していたので、きれいに黄身が真ん中になっていた。 久しぶりにゆで卵を丸ごと食べて、なんだかとてもおいしかった。 上手にできたねと、いっぱい褒めた。
1学期は、裁縫の初歩で手縫いをやった。 2学期になって、ミシンでエプロンを作った。 昨日、完成したエプロンを持ち帰って、見せてくれた。 ちゃんと、縫うところに点線がプリントされていた、まっすぐに ミシンがかけられるように工夫されていた。 裾には、点線が無くて、チャコペンで線を引いて縫ったとのこと。 とても上手に出来ていた。 二人で代わる代わる、エプロンを装着してみたりした。 12月の授業参観には、支援級は保護者参加型で調理実習を行う。 そのときに、このエプロンを使おうねと話し合った。 意外とアイロンやミシンは怖くなかったんだなと思った。
12月と言えば、5年生が作った餅米で餅をつくイベントがある。 透析日だからと欠席の返事を出してしまったのだが、息子にして みれば、支援級の餅つきなら曜日変更して参加するのに、5年生 の餅つきには参加しないというのが不思議だったようだ。 なんだか、他の保護者のみなさんが忙しく働いている中で、自分 がどれだけ動けるのかとか、気にしてしまうときがある。 ただ食べたり見たりするだけでいいのかと思ってしまう。
支援級での調理実習は、子ども達が主役だから保護者は主に見守 る感じでいることが多い。 保護者懇親会の一種として、こういうイベントが行われるとき、 ちょっと踏み込めない感じがするのは、なぜだろう。 まだまだ先のことだが、申し込みの〆切はもう過ぎている。 手伝いはできないので、子ども達が発表するときだけ見に行こう かなと思う。 それならば、透析の後だから。 そう言ったら、息子は納得するだろうか。
前回の日記で思い出した台風は、22号と23号がごっちゃにな っていたようだ。 静岡県に上陸したのは22号で、旅行の直前に通過したほうは、 23号だったようだ。 不確かな記憶。
さかのぼって、2004年の10月の日記を読んでいたら、自分 の短気さについて落ち込んでいるものがあった。 あまりの自分の短気さに、息子に対して申し訳ないと思っていた ようだが、それは10年経ってもそれほど変わりはない。 短気な性分はなかなか変えられないものだし、息子の年齢が変わ れば、短気さが現れるポイントも変わる。
10年前は、おそらく自分のやりたい子育てが出来ていないこと への苛立ちだったのだろうと思う。 だから、余裕のある夫の態度がよけいに癇に障ったのだと思う。 今現在の短気ポイントは、息子の反応そのものである。
普通に返事すればいいところで、ふえ〜んという感じの声を出す。 何か困ったことがあるようにも見えるし、何か我慢しているよう にも見える。 それで、母はどうしたのと訊ねると、息子は「なんでもないよー。」 とまた困ったような声を出す。
ピンチな声というのは、母親にとっては血圧が上がる反応がでる ほど神経にさわる声なのである。 もちろん、本当にピンチなときにすぐに対応できるように、母性 はセットされているのだろうと思う。 だが、何でもなさそうなのに声だけピンチというのは、イラっと するものなのだ。
今朝もそうして、ピンチな声で反応しながら学校に行った。 どうやら、寝起きに、目玉焼きご飯と目玉焼きパンとどっちがい いかと聞かれたような気がして悩んでいたら、勝手に目玉焼きご 飯になっていて、それが納得いっていなかったようだ。 学校の門の前でやっと判明したので、どっちがいいかは聞いてい ないし、目玉焼きご飯って夕べから決めていたよねと告げた。 夕べから決めていたのに、どっちがいいか聞かれたと思ったのも 困りポイントだったようだ。
困りポイントはいろいろあって、でもそれがはっきりするのは、 時間が経ってからということになり、困っている最中に母からは 質問されてうまく答えられないという状況であるらしい。
こうやって、冷静に考えれば、短気さはでないようなものだが、 それがその時点でできないところに、短気さの原因があるのだと 思う。
困ってることを知らせる信号を解析できずさらに困らす(市屋千鶴)
昨日から、台風情報とにらめっこの状態だった。 過去に950ヘクトパスカル前後で上陸した台風がいくつかあり、 それを見ると、平成16年の台風22号があった。 あの台風は静岡県で土砂崩れが何カ所もあったと記憶していた。 それに、その台風のすぐ後に親戚一同のバス旅行があって、息子 も10ヶ月で初参加していた。 息子が、義兄の声を聞いてはワンワン大泣きしていたのを懐かし く思い出す。 そして、その旅行の最中に中越地震が起きた。
そんなことをいろいろと思い出していた。
台風のため、学校は臨時休校だった。 息子と午前中いっぱいテレビを見ていた。 そんな最中に、「避難準備情報」が流れて、何をどうしていいか わからずにあたふたしたが、調べた結果、自分たちは特に対応す る必要がないらしいことが分かり、落ち着いた。 この地区では、初めて発令された「避難準備情報」だと思う。 すぐ近くに小学校があり、小学校が避難場所に指定されているが、 登校が難しいので臨時休校になっているのに、避難するときは、 その学校まで行くんだなと思って、不思議な気持ちになった。
今週は学校の稲刈りがある。 さわやかな天気のもと、稲刈りは行われる予定。
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