鶴は千年、生活下手

2014年01月31日(金) 忘れ物に注意

昨日のこと。

夫が少し遅く出かけていくというので、わたしが先に家を出た。
昨日は午後から雨の予報だったのだが、帰宅時間にはまだ降り出
さないかもしれないという淡い期待で、病院まで自転車で行った。
透析中に、雨になったらしいよと言われ、まあパラパラくらいな
らパーカーのフードをかぶってダッシュで帰ればいいかと思った。
自転車で走り出したら、途端に雨粒が大きくなり顔に当たる雨粒
が痛いくらいになった。
それでも、なんとか前側だけをびしょぬれにして、帰宅した。
アパートの鍵を開けようとしたら、鍵が無かった。
いつもなら、家を出るときに鍵をかけるから、忘れたりはしない
のだが、昨日は夫があとに出かけたので気づかなかったのだ。

愕然としながらも、とりあえず持っていたハンドタオルでカバン
や上着を拭いたが、上着はもう着ていてはだめだなと思うほどに
濡れてしまっていたので、脱いで自転車のハンドルにかけた。
ちなみに自転車は玄関前の雨の当たらない場所に止めてある。
運良く、古い自転車の方にビニール傘をかけたままだった。
時間はまだ14時を少し過ぎたばかりだった。
雨が降ったら傘を持って迎えに行くよと言って息子を送り出した
ので、ビニール傘を2本もって学校に行ってしまおうかと思った。
カバンを拭いたり持っていた帽子をかぶったりして、少しの間は
家の前にいたが、だんだん寒くもなって来た。
授業が終わるまでは15分くらいあったが、学校に向かった。
まだ時間が早いので、正面玄関で少し時間をつぶし、授業が終わ
る7分くらい前に、支援級の教室に向かった。
隣の部屋(プレイルーム)で待とうと思ったが、支援級の他の子
たちに見つかってしまい、先生が顔を出し、驚きの表情。
傘を持って息子を迎えに来たことや、鍵を忘れたので息子に持た
せている鍵が頼りだということを話した。

息子に持たせておいて助かった。(4年生から持たせている)
忘れ物には、要注意である。



2014年01月27日(月) 言語理解

ソフトウェア開発に携わっていたものとして、言語というと会話
などの日常生活のなかでの言葉と、プログラミング言語を思う。
わたし自身は文系人間だと思っているが、ソフト開発してました
とか言うと、理系の人だと思われることが多かった。
それはわたしが現役だった頃の話だから、20年くらい前のこと
ではあるが、ほんとにそういわれることが多かった。
その度に、プログラミングというのは、専用の言語で正しく手順
を記述することだから、文系の方が向いていることもあるんです
よと答えていたような気がする。

確かに基本的には命令の繰り返しな訳だから、段取りと正しい言
語理解ができれば大丈夫なのである。
もちろんそれは、プログラミングという行程のことであり、それ
以前の設計や手法の検討などの際には、作ろうとするシステムの
背景にある業務内容の正しい理解と、論理的に正確で迅速な処理
を可能にするという技術の理解が必要だと思う。

こんな仕事をして来たからか、息子への説明が詳しくなりすぎた
りして、幼児期の質問に対しても正確な説明をしてしまうことが
多かったと思う。
本当にその時期に必要な答えは、もっとファンタジックなもので
あったかもしれないが、それがなかなかできなかった。

わたしは幼児期から学童期に質問したことには、なかなか答えて
もらえなかった。
小学2年生の頃には、母が質問には答えられないからと、4年生
向けの理科の本を買ってくれた。
その本には、知りたいことがたくさん書いてあって、挿絵を含め、
とても分かりやすいものだった。
いまでもその本の内容を覚えていて、挿絵も覚えている。
なぜ、色がその色に見えるのか。
なぜ、雲が落ちてこないのか。
なぜ、月が落ちてこないのか。
なぜ、日本には四季があるのか。
などなど。

その本の中で説明していたことを、そっくりそのまま姉の子ども
達に説明したこともあった。
ずいぶん役に立ったなあと思う。

人間だから言葉以外のもので理解することも多いが、相手の表情
から感情を読み取りにくいもぐちゃんのような場合には、言葉は
とても大切なものなのだ。
ちょっとの言い回しで、こちらの意図とは全く別の理解をしてし
まうこともある。
そういうときは、ほとんどの場合、マイナス方向の理解になる。
だからこそ、きちんと話さなくてはならないし、別の理解に対し
ては修正する必要がある。
誤解される言い回しをしてはならないのである。
だが、誤解させて悪かったねというように謝ったりはしない。
言い方が悪かったねということはある。
もっと分かりやすい言い方にすれば別の理解をする事は無かった
だろうという反省である。

言葉で言い尽くせないのは、もちろん当たり前に認識しているが、
言葉が足らないと別の理解をしてしまう息子に対して、できるだ
け簡潔に、しかもいい足りないことの無いようにということを、
考えずにはいられないのである。
わたしが困ったような様子でも、手伝ってとはっきり言わなけれ
ば、息子は手伝うということに気づかない。
気づかないことに苛立っているくらいなら、はっきりと言えばい
いのである。

これは、息子相手の場合だけでなく、夫を含む世の男性にも同様
である。
手伝ってくれない、これくらい分かってよねと、イライラするな
ら、はっきりとこれを手伝ってくれというのが良かろうと思う。
夫は、「これやってもらうとうれしいな。」という言い回しが嫌
いだという。
「はい、そうですか。」という返事で返されたらそれまでだろう
と言うのである。
確かに、自分の感想を言ってるだけだから、はいそうですかと返
されてもおかしくない。
だから、やってほしいことはやってくれとはっきり言えという。
息子にも同じで、こうするとお母さんは嬉しいで止めると、ただ
お母さんはそう思うのかで終わってしまう。
こうするとお母さんは嬉しいからこうしてね、というところまで
きちんと言葉にする事が大事なのだ。

言葉は難しい。



2014年01月20日(月) 週末あれこれ

土曜日は、わたしの方の親戚の新年会だった。
今年は、姪の妊娠報告と、従姉の娘の二人目の妊娠報告と、同じ
従姉の次女の就職報告と、めでたい報告が発表された。
従姉の娘の一人目の子は男の子で、1歳。
どうも髪の長い女の人が苦手なようだった。
おじいちゃん子らしく、男の人に抱っこしてもらっては満足そう
にしていたのが印象的だった。
うちの子は1歳前後には、義兄の声を聞いただけで泣いていたが、
従姉の孫は全く平気で抱っこしてもらいによっていく。
もぐちゃんが音に敏感だったからかもしれない。
義兄の声は大きいのである。

息子は、昨年辺りからお年玉を期待するようになっていて、今年
はいくらもらえるか予想していた。
お年玉でNゲージの鉄道模型を買いたいと言っていたこともある。
新年会では、お年玉は学年で決められていて、小学校の1〜3年
は千円、4〜6年は二千円、中学生は三千円、高校生は五千円。
3年生から4年生というのは、はっきり認識されていないことも
あってまれに千円のもあったが、予想外に田舎から預かって来た
というお年玉をもらい、予想額とぴったりとなった。
Nゲージ、買うんだろうか。

日曜日はぷらむ短歌会。
お題は「猫」。
今回は題詠三首と自由詠一首。
前回、お題の「紅葉」で全く詠めなくて、電車の歌ばかりを四首
提出したが、電車の歌は女性には分かりにくかったようなので、
今回は一首だけ電車の歌を入れた。
あまり鉄道オタク的な捉え方の歌はさけたのだが、どうだったか。
今回は、男性会員の参加が1人だけだったので、どうもおばさん
パワーに圧倒されていたのではないかと懸念する。
後半は司会をやりつつ、言いたい放題なわたしであったが、時間
だけは守れて良かったかなと思う。

チャレンジしているメンバーの話を聞くと、ああ、がんばってる
なあと感心する。
チャレンジできるのは、それだけで尊敬に値すると思う。
30首とか、50首とか、まとめていけるのも感心する。
自由気ままにただ短歌を作っているだけの自分には、まとめて作
るなどということは到底無理なことのようにも思えるのだ。
なんとか、電車シリーズでまとまるようなものを作りたいという
希望はある。
鉄道オタク的な視点の歌でも、もしかしたらまとめることで理解
のヒントになることもあるかもしれないと。

さて、次回三月のお題は「温」。
自分が提案したお題なのだが、うまいこと詠めるかどうかは不明。



2014年01月15日(水) 雪が降り出しそうな昼

年が明けて、15日になってしまった。
昨年は14日に大雪が降って大変だったのを思い出す。
年末年始は、夫が9日間休みだったので、だらだらと過ごした。
息子もゲーム三昧で、あまり外に出なかった。
週末も寒い日が多く、出かけないままに過ぎてしまうことが多い。

さっきまで書いていた日記の内容が、どんどん生真面目になって
いっていることに気づき、削除した。
基本的にまじめな人間ではあるが、思考がどんどん深く暗くなり
そうだったので、やめた。

昨日、透析室での看護師さんとの会話。
看「今日は寒かったね。」
私「明日は雪だっていってるもんね。」
看「去年は大雪で大変だったよね。」
私「なんかね、大雪になって妙にうれしくなってね、コンビニ
  まで1人で張り切って買い物に行っちゃったんだよね。」
看「そんな、うれしかったんだ。」
私「空と、屋根の雪との境目が無くなるくらい降るのって、
  田舎を思い出して嬉しかったんだよね。」
看「田舎って、どこだっけ?」
私「山形の雪が多めのところなんだ。ズーズー弁でなまってるとこ。」
看「なまってるのって、なんかかわいいし、いいよね。」
私「でもね、県内でも言葉が荒いとか汚いって言われるんだよ。」
看「ふ〜ん、そういうもんなのねえ。」

とかなんとか話しているうちに、技師による穿刺(針刺し)が終
わり、看護師によるチューブの固定が終わり、機械が回りだすの
だった。
こんなおしゃべりをしながら進んでいくのも、わたしの腕の血管
がしっかりしているからだそうで、毎回いい血管だと褒められる。
一つくらい褒められるとこが無いとね。


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市屋千鶴 [MAIL]