どうも運動会というと日焼けしてしまって困る。 一昨年までは9月の最終土曜日が運動会だったのだが、まだまだ 暑かったし日にも焼けた。 昨年から5月の最終土曜日に変わったが、相変わらず日に焼ける。 気温そのものは9月のときよりも低いのだが、5月の紫外線の強 さは相当なものである。
今回は天気予報では曇りで、気温も20度を少し上回る程度のは ずだった。 しかし、開始から1時間ほどしたころから、すっきりと晴れてき て日差しも強くなって来た。 時々は雲に遮られることもあるが、それも10分と経たないうち に日差しが戻ってきた。 涼しくて運動するにはちょうどいいなと思っていた気温も、日差 しとともに上がってきて、汗ばむ陽気になった。
そんななかで、子どもたちのがんばりは続き、6年生の組体操で 支援級の6年生の女の子が、みんなに助けられながら精一杯演技 をしているのを見ていて、思わず涙ぐんでしまったりした。 走るのがみんなより遅いので、仲間が手をつないで引っ張るよう にして誘導してくれていた。 そうして、組体操の中の基礎の部分にうまい具合に組み込まれて いくのだった。 夫に見られたくなくて、汗を拭くように涙を拭いた。 きっともぐちゃんが6年生になったら同じように感激してしまう のだろう。 もぐちゃんは少し走るのが遅かったり、少し不器用だったりする だけなので、表現(ダンス)のうちは同じように踊ることができ ているが、組体操となると器械体操的に筋力が必要な部分もある ので、そこが心配な部分ではあるが、できることをがんばってく れればいいんだなと実感した。
徒競走は、相変わらずカーブが苦手なので、あんまり期待はしな いし、本人もちゃんと走れればいいと思っているらしい。(笑) その辺は足が遅かったわたしとそっくりである。 団体競技は綱引きだったので、買ったり負けたリだった。
今年もお弁当のいなり寿司をがっちりと食べて、暑い午後もがん ばって終了。 運動会の日は、終了後にシャワーを浴びてそれから透析に向かう ので、4時半頃から透析を始め、帰宅するのは9時近くになる。 我が家にとっては、いやわたしにとっては一大イベントである。 翌日もなかなか疲れはとれないままに、一日過ぎてしまう。 運動会を見に行くのもあと2年。 50代半ばの母には踏ん張りどころである。
2013年05月10日(金) |
いつのまにかGWも終わって |
ほとんど何のイベントもないままに、GWが過ぎていった。 ほんの近場に買い物や食事にでかけただけの、ゆったりした日々 を過ごしていた。 夫は10連休だったが、わたしは相変わらず透析に通うし、学校 が暦通りなので、間の3日間は学校。 前半は、もぐちゃんの膀胱炎がぶり返したらしく、休日診療所で 診察を受けてまたもや服薬。 飲み終わったのが2日のことだった。 後半は、なんとなく近所にでかけてプラレールを買ったり、他の おもちゃを買って母と子でやってみたり、父と子はながーい散歩 にでかけてみたりだった。
いや、ほんとに、すーっと過ぎてしまったので、夫は物足りなか ったようだったが、何回かパチンコ屋さんにでかけたので、それ なりにストレス解消になったらしい。
普段通りの生活に戻り、毎日大食いだった食事もなんとかコント ロールできるようになり、ほっと一安心。 夫がいるとついつい楽しくてたくさん食べてしまう。 悪い癖だ。
そんなこんなで、怒濤の4月がおわり、5月は運動会に向けての 毎日を送っている子どもたち。 今日は相模原市の小中学校合同で、「大地震発生を想定した引き 渡し訓練」が行われた。 学校から避難して校庭に並ぶ児童たち。 その後ろに、子どもたちよりも早く集まり始めた保護者たち。 名前を名乗って、自分の子どもを引き取って帰宅するのだ。 学校は全ての門が開放され、保護者と児童はそれぞれ自宅に近い 門から出て行く。 わたしは、支援級で2番目に子どもを引き取って帰宅した。
あちらこちらで子どもを連れた保護者たちが、子どもと話しなが ら帰宅していったが、中には、訓練なんだから話しかけないでよ ねと母親に言いながら帰っていく女の子がいたりして、子どもた ちの真剣さがふと伝わったりもした。
子どもたちは、いつも真剣である。
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