鶴は千年、生活下手

2012年10月24日(水) 足が棒

週末は、海老名で開催されていた「小田急ファミリー鉄道展」に
三人で行ってきた。

第1会場で「ドラえもん電車」や保守作業車を見て、それから焼
きそばやらを食べて、その後は第2会場に。
走っている模型を見たり、駅弁を眺めたり、電車でGOをやったり、
スタンプを押してもらって絵はがきをもらったり。
グッズを買うことはしなかったが、一回りしてすっかり足が棒に
なってしまった。
珍しく夫も疲れたといい、もぐちゃんでさえ少し疲れたと言った。
やはり、線路を歩くのは大変である。というか、砂利が。

疲れはしたが、わたしともぐちゃんにとっては楽しいひとときで
あり、15時前に帰宅できたのも良かった。
夕飯は簡単に早めに済ませ、お風呂のあと、三人でスマホの桃電
をやった。
わたしは北海道に飛ばされたり、貧乏神に取り憑かれたり。
友達同士でやってケンカになるゲームの1位が桃電だそうだと、
夫が検索して見つけたようだった。
確かに、親子でやっているからケンカにはならないが、友達同士
だったら嫌なやつだなと思うんだろうか。
途中で寝る時間になったので、続きは次の週末まで持ち越し。
父と遊ぶのは週末だけだから。

ふくらはぎの筋肉痛は昨日まで続いていたが、今日はもう平気だ。
久しぶりに足が棒のようだと思った。
線路を歩くときは、しっかりした靴が大事だと痛感。
夫が、安全靴にすれば良かったと言った。
夫はなぜか、つま先に鉄板が入っている編み上げブーツ型の安全
靴を持っているのだ。
それも結婚当初から持っているという年季の入った靴である。
一緒に歩いたり立ち話をするときに、よく夫の足を踏んでしまう
ことがあって、夫はつま先を保護するのだと冗談まじりで安全靴
を買ったのだった。

懐かしいことをふと思い出させた線路歩きだった。



2012年10月14日(日) 意識する

もぐちゃん、体育の時間にキックベースもどきを始めようとして
いて、ふと見つけた石ころを拾ってしまう。
拾ったので投げてしまう。
投げたところにちょうど同級生の男の子がいたので、コツンと頭
にあたってしまう。
交流級の教師にガッチリと叱られ、見学になる。
石があたった男の子は保健室で見てもらって、問題ないようだか
らと試合に復帰。

そんないきさつを、放課後に交流級の教師からの電話で知ること
となった。
相手の男の子のお宅に電話して謝った。
決してあてようとして投げている訳ではないことを、クラスのみ
んなも教師も保護者の方もわかってくれている。
それがとてもありがたい。
翌日の帰りに、その男の子がわたしともぐちゃんの所まで、「僕
はもう大丈夫だから心配しないでいいよ。」と言いに来てくれた。
ほんとにみんなが優しくてうれしい。

療育を受けているところで、この一件を説明するもぐちゃん。
話を聞いてくれていて、もぐちゃんを観察していて、何かに気づ
いたカウンセラーは、細かいグッズを箱から出して机の上に置い
た。
何も考えずにそれを手に取るもぐちゃん。
出されたグッズをしまうと、机の上に出ている紙を触りだした。

カウンセラーの意図するところを母もわかったので、笑ってしま
ったのだが、そうなのだ、もぐちゃんは何かあると何も考えずに
それを手に取ってしまうのである。
無意識にやっていることなのである。
石ころがあったから拾った。投げた。
そこまでの一連の動作は無意識に行われているのだろうというこ
とで、まずは、何かを手にしたときに、「あっ、僕、触ってる。」
と意識することから始めましょうと言われた。
次回までの宿題になった。
「あっ、僕、触ってる。」と気がついたら1点と数えて、点数を
記録してくることである。

まずはそこからと言われ、まだまだ先は長いですけどねと二人で
苦笑いするのである。
毎回、新しい発見があるような気がして、面白い。
月に2回のペースだが、12月からは広い場所に移転するとかで、
もう1回グループでの療育が追加になるようだ。

1年生の頃から通っておけば良かったなあと思いもするが、これ
もまたタイミングのあることなのだろう。
なるべくして、そういった人たちにも巡り会うのだ、きっと。



2012年10月04日(木) なるべくして

昨日の日記を更新して、少しは楽になっていた。
夕食後、夫と電話で話した。
そのときは、まだ胃のあたりがシクシクしていた。

夫に言われた。
息子がずるいことを覚えてきたとか、言い訳するようになったと
言われるならば、それはそれだけ頭が回るということで、賢いと
評価されているのだから、悪いことばかりではないと。
母としては、教師のコメントを鵜呑みにせずに、息子の言い分を
きちんと聞いてあげて、それを教師に伝えていくしかないのだと。

すーっとした。
教師の言葉を否定するのではなく受け止めた上で、子どもに対し
ては信じることだということだろう。

わかってはいても自信がなくなってしまっているとき、夫からの
同じ意見はうれしいものだ。
この人が夫で良かったし、もぐちゃんの父親で良かったと思った。
なるべくしてなった夫婦であり、家族なのだと思うのだ。

後ろ向きな考えはほとんどしない夫は、忙しい中でもわたしの話
を聞きながら前向きな考え方を示してくれる。
実にありがたい存在だ。

今日はもう、おなかの調子も大丈夫。
透析中に医師におなかのことを話すと、一度下痢をすると粘膜が
再生するまで下痢が続きがちだから、気をつけるようにと。
おなかに優しい食事をと言われた。

おなかをだして寝てるのもだめだよね。



2012年10月03日(水) 学校生活

教師との信頼関係はとても大事だ。
特に支援級においては、子どもと教師の関係は大事である。
したがって、当然、親と教師の信頼関係も同様で、普通級のそれ
よりもより一層、信頼関係を求められるように思える。

親が担当教師のことを悪く言っているようでは、子どもが教師を
尊敬するわけがない。
そう思っているから、教師からのコメントは全面的に信頼しては
いるつもりだ。
しかしながら、そこには親心というやっかいなものが働いてきて、
そのときの我が子の行動の原因は何だったのかを確認し、その上
でついつい弁解めいたことを書いて返してしまったりする。

遠足のときのことも、翌日の連絡ファイルにコメントされていて、
そのことについて息子に確認しても、前日のことなどもう覚えて
いないので、確認のしようがなかった。
「時折きーっとなっているのが見受けられました。」とか、
「他の学校の子に向かって怒鳴りつけていました。」とか。
きーっとなったのは、一緒に班行動をしてくれた、よく知ってい
る男の子の家に電話させてもらって、そういえばあの時というの
を確認できたが、他の学校の子を怒鳴りつけていたのはわからな
いということだった。

他の学校の子を怒鳴りつけたって、きっとそれは何はしてはいけ
ないことをしていたので大声で注意したとか、そういうレベルで
はないのだろうかと思ってみたり、思いのほか母のダメージは大
きかったのである。
「できないときのイライラ、他人への接し方、まだまだ課題は
 多いですね。」
と締めくくられたコメントに、思わず当たり前だよねと呟いた。

毎日のコメントに、ついつい気を回しすぎてしまっている自分に
気がついて、さらにもやもやした気持ちが強くなる。
学校に行っている間は、教師だけが便りなのである。
扱いにくい子どもというレッテルを貼られてはいないのか。
いろいろできてしまうからこそ、過大な期待をもたれてはいない
のか。
その行動全てを、悪気が有ってしていると思われてはいないか。

そんな引っかかりや無意識のイライラが、時には体調に影響する
こともあるのだろうか。
今日は朝からおなかの具合が良くない。
ただ単に、冷えただけなのかもしれないが。

学校生活において、母はほんとに無力だ。



2012年10月02日(火) 台風よりもうるさかったのか

台風17号があちらこちらを荒らしながら去って行った日曜の夜。
わたしは夫と二人で、どうせ風の音がうるさくて寝られないから
と映画を見ていた。
「バトルシップ」を見ていて、クライマックスにさしかかった頃、
思わず二人で「おおー、船でドリフトだー!」とやや大きな声を
発してしまった。
すると隣の寝室から(ちなみに部屋の間のふすまは開いたままだ
った)、「うるさい!」というはっきりしない怒鳴り声が。
もぐちゃんは、眠ったままで怒鳴ったようだった。
ハッとした親二人は、テレビの音量を下げ、声もひそひそ声に。
そのまま、もぐちゃんに小声でごめんねと謝っておいた。

もちろん、もぐちゃんはそんなこと覚えていないだろうと思って
いたら、昨日の帰り道、うるさいって言ったのは覚えているよう
な気がすると。
誰に向かって怒鳴ったかまでは覚えていなかったようだが、何か
うるさいのでうるさいって大声で言ったそうだ。

「うるさい」といえば、その昔、わたしが高校生の頃だったか。
従弟たちと夏休みに東京に遊びにきていたとき、一緒に寝ていた
従姉(姉と同い年)の歯ぎしりに向かって「うるさい」と言った
ことがある。
言われた従姉は、「はい」と言ってマウスピースを装着したとか。

眠りながら「うるさい」と怒鳴るのは、母親譲りか。(苦笑)

もぐちゃんにとっては、台風の風の音より雨の音より、親の声の
ほうが安眠妨害だったのだな。
すまなかった、息子よ。


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市屋千鶴 [MAIL]