先週の勤労感謝の日、もぐちゃんと2人で大宮の鉄道博物館に行 ってきた。 これまで、休日は混むだろうからと平日に出かけていた。 平日ということは、通勤ラッシュの時間に当たらないように出か けることになるので、開場時間には間に合っていなかった。 今回、祝日ということで開場時間前に到着するように出発。 開場まで20分ほど並んで待った。 待っている間に、ミニ運転列車の予約方法が変わったことを掲示 で知った。 以前は、午前の分を10時から、午後の分を12時から予約開始 となっていたので、午前の分の予約が取れなかったら、そのまま 12時まで並んでいなければならなかったように記憶している。 それがいやで、ミニ運転列車をあきらめさせていた。
掲示によると、開場時間から1日分の整理券を配るとあった。 その整理券に記載されている時間に受付をして運転することに。 そうか、朝のうちに並べば、あとは整理券に書いている時間まで 他のものを見たり遊んだりできるのだと、喜んだ。 開場してすぐにもぐちゃんを整理券配布場所に並ばせると、思っ たよりもすぐに整理券を手にすることができた。 予約時間は12時から12時半だった。
ミニ運転列車は、もぐちゃんの念願なのだった。 本当は予約時間までに、運転シミュレーションとか、ミニシャト ルとかをこなせばよかったのだが、ミニ運転列車が運転できると いうことに浮かれてしまったもぐちゃんは、そっちはあとでやる と言って、展示コーナーを見て回った。 さすがに開場すぐなので、展示コーナーもガラガラだった。 昼ご飯も、大宮で先に買っていたので空いているうちに飲食可能 な列車内でゆったりととることができた。
ミニ運転列車の運転が終わる頃には、そこら中に人があふれてい て、ミニシャトルも30分待ちになっていた。 もぐちゃんはそれに乗りたいと言い、ミニ運転列車が終わったら すぐに帰るという母の計画がくずれてしまった。 その後も、てっぱく広場にも行きたいとか、ヒストリーコーナー も少しは見たいとか言い出して、予定していた時間を30分以上 オーバーした。 予定が崩れると、それだけで疲労感は増すものだと実感した。
なんだかんだといろいろあって、5時過ぎに帰宅。 夫は、朝早く出かけるのは嫌だといって留守番だった。 帰宅後は、疲れたからと夫に甘え放題の母であった。
今回の教訓。 祝日の朝早く出発。(開場時間より2〜30分前に着くこと) 整理券を受け取ったら、予約時間までに他のシミュレーションや 乗り物を制覇しておくこと。 暗くなる前に帰れるように大宮を出ること。
今回で4回目の鉄道博物館。 だんだんと要領が良くなっているはずだと思いたい。
今週は、小学校で9時から15時までの間でいつでも授業参観が できる週間だった。 支援級についての知識を得てもらうための出前授業というものを、 毎年各学年各クラスに向けて行っており、今週はちょうど2年生 向けだったので、その授業を見させてもらった。 その後、もぐちゃんの交流で体育の授業をやるというので、それ を見学した。 みんなとちゃんとルールを守ってやっているのにも感心したが、 それ以上に、跳び箱の準備や片付けも、班の子ども達と協力して きちんとやっていたことに感心した。
なんだか交流授業の方がちゃんとしているように思えて、やはり 1年生のときに、交流のときはちゃんとしていなくちゃいけない ルールなんだということを覚えたんだろう。 個別学習のときは、やることをちゃっちゃとこなしていく感じで、 それはそれでちゃんとできていることになるんだろうなと思って いた。 支援級でみんな一緒の授業をしているときが一番落ち着かないの かもしれない。
跳び箱は、縦に飛んだり横に飛んだりだが、どちらも開脚飛びだ。 うまく飛べない子用に、短かめの跳び箱も有るのだった。 わたしの子どもの頃はそんなのなかったなあと感心するばかり。 最後に、先生が困ったことが有る人と質問した。 何人目かに、もぐちゃんが質問した。 「うまく飛ベル用になるにはどうしたらいいですか? お母さんにこつを教えてもらったけどまだうまく飛べません。」 って。 こっそり教えたのがばれてしまった(笑)が、いい質問ですねと 言われ、それじゃ今度、うまく飛べる人のビデオを見てみんなで 考えてみようと先生が答えていた。 なるほど、体育もただやってるだけじゃないんだなと、当たり前 のことに感心したりなのだった。
うまくできないなりに、楽しそうに取り組んでいる姿を見て、や はり交流は大切だなと痛感した。
2011年11月11日(金) |
叱られても学校が好き |
今週も叱られたもぐちゃんである。 火曜日、夫は先週の休日出勤の代休をとっていた。 その日はもぐちゃんの歯医者さんの予約が入っていたので、学童 には行かずに、学校に迎えにいくことになっていた。 透析でぐったりしているわたしに替わって、夫が迎えにいってく れたのだが、帰ってきたもぐちゃんはしゅんとしていて、夫は怒 りながら帰ってきた。 迎えにいった夫は、先生から今日の事件を聞かされ、もぐちゃん を叱りながら帰ってきた模様。 6年生の男子が、ファイルにらくがきしようとしたので、もぐち ゃんはその子のほっぺを鉛筆でひっかいたのだという。 先生は、「正義感といじわるのバランスがうまくとれるようにな るといいですね。」と理解あるコメントをくれた。 顔や頭への攻撃はやっちゃだめだよと言い聞かせたばかりなのに、 またやったのかという思いがよぎる。
夫は子どもの頃、友達に鉛筆で顔をさされて、その後がまだ頬に 残っているので、鉛筆で顔に書いたら絶対消えないんだぞと言う。 お前にも書いてやろうと、泣いていやがるもぐちゃんのぽっぺに、 鉛筆で書く振りをした。(削っていない方でなぞっていた。) 鏡を見て確認したりするまで考えの及ばないもぐちゃんは、実際 に書かれたのだと思って、ほっぺたをティッシュでごしごしした。 乱暴なことばかりしている子は、今の学校に居られなくなってし まうぞと言われ、さらにべそをかくもぐちゃん。 学校が大好きなのである。 ひとしきり叱られ、これからはどうするかを言わせて、終了。 よし、書いたのを消してやろうと、夫がほっぺたをごしごしして 消した振りをすると、やっと鏡を見ることを思いついたようで、 鏡を見て確認し、書かれていないのでほっとしたようだった。
乱暴なことをしないですむように、薬も飲む練習をしてるんだろ と言われ、夫にうまくの見込む方法を教えてもらいながら、薬を のむ練習をしたら、うまく飲み込めた。 ずいぶんとうれしかったらしく、もう一回といって練習していた。 昨日は翌日はうまく飲み込めなかったが、昨日は2回できた。 ちょっとはこつがつかめてきたようだ。
交流に行っているときは、とても楽しいらしい。 図工、音楽、生活に加え、体育も交流に行くようになった。 この前までは鉄棒だったが、今は跳び箱とマットだそうだ。 うまくはできないのだが、できないなりに楽しく取り組めている ようで、いろいろと報告してくれる。 授業以外のことで叱られることの多いもぐちゃんだが、学校が大 好きなのである。 このまま学校大好きなままで、卒業までこぎ着けるように願う。
昨日は祝日だったが、夫は出勤だった。 そのうえ、わたしは透析日ということで、知合いの方に留守番を お願いしたのだった。 「2人でお昼ご飯を食べにいってくれば?」などと期待させてお いて、わたしがうっかり鍵を持ったまま病院に行ってしまったの で、2人は出かけることができなかった。
気づいたときはもう午後1時過ぎで、家に電話するともぐちゃん が出て、チキンラーメンを食べたよと言った。 「おばちゃんは弁当屋さんの弁当で、ぼくはチキンラーメンが食 べたかったからチキンラーメンにした。」とのこと。
急いで帰宅すると、もぐちゃんから「ぼく、1人で作ったんだよ。」 と聞かされて???と思っていると、「1人でチキンラーメンを 作ったんだよ。お湯をわかしてどんぶりに入れて、タマゴも自分 で割っていれたんだよ。でも、ラップは手伝ってもらった。」と、 矢継ぎ早に報告された。 ちゃんと袋の裏の説明を読んで、必要なお湯の量を入れていたと か、タマゴを割った後でちゃんと手を洗っていたとか、補足の説 明を留守番の方にしていただいて、なんだかこそばゆい感じ。 しっかりしてるわよと言われ、ほんとに家では困ることは無いん だけど、学校ではねえと答えるわたし。
確かにうちは電気湯沸器に買い替えていたので、全く火は使わず にチキンラーメンくらいなら作れるのだ。 しかし、親が居るときは自分でやるとはあまり言わないものだか ら、自分で全部やったという報告を聞くと、たまらなくうれしい。 大いにほめ、頭をぐりぐりし、ぎゅーっとしてうれしがった。
お昼に外食できなかった分、夕食を行きたがっていたファミレス で食べた。 寝る前に、チキンラーメンのコマーシャルのまなちゃんのまねを していたもぐちゃん。 前歯がまだ生えてこない笑顔が、えらくかわいい。(親ばかである。)
この幸せはいつまで続くのかと、ふと不安になる瞬間が有る。 それは息子の寝顔を眺めているときであったり、夫と息子が遊ん でいるのを眺めていたりする瞬間。
大病を煩った人が必ずと言っていいほど思うこと。 死を意識して、一日一日を大切に生きていかねばと思ったという こと。
では、一日一日をかけがえの無い一日として生きるということは どういうことなのか。 明日が無いと思って、欲張りに生きることなのか。 否、明日がくることを信じながらも、今日できることは今日のう ちにやっておくということか。
もし今、あと何年ですとか、何ヶ月ですとか宣告されたら、まず やっておかなくてはならないことや、やっておきたいことを書き 出して一つずつかたづけていくだろう。
しかし、そういう期限を設けないまでも、通常の人よりもいつで も死の危険は近いのですよと言われている立場だとしたら、どう だろうか。 死の危険は誰にだってある。 明日事故に有って死んでしまうかもしれない。 しかし、普通の人はそれを意識しないで生きていられる。 透析患者であるということは、いろんなリスクが高いので危険度 は意識しないでいられるレベルではないのかもしれない。 が、意識しているからといって、毎日びくびく暮らしているので はないわけで、おもしろおかしく暮らしているのが大半である。 そんななかで、ふと今の幸せの終わりの瞬間が脳裏をよぎる時が あったりもするわけで、冒頭の文になるわけだ。
我が子がちゃんと成長するまでは、なんとしても生き延びなくて はという思いと、もしものときのために何をしておくべきかとい う焦りにも似た感情と、ないまぜになって眠りにつく夜。 目覚めれば深夜ということが普通になっているが、そこからまた 眠りに入るまでの不安。 なんだか怖くて、1人で昼寝ができなくなってきている現実。
いろんな不安を吹き飛ばして朝が来る。 幸せはいつまで続くかはわからないが、毎朝やってくることだけ は確実である。
しあわせはいつまで続くものなのか橋をわたって振りかえらない(市屋千鶴)
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