鶴は千年、生活下手

2011年10月28日(金) 週に一度は

1週間に1回くらいは、学校や学童であれこれと指摘される。
昨日は学童でおやつの時間に落ち着きがなくて、まわりの子に向か
って「ぷわっ」という、つばをかけるまねをしたそうな。
その理由は帰り道に聞いても家に帰ってから聞いても、本人もよく
わからないらしい。
その前のときは、苦手な子がおやつの班にいてそれが嫌だったとい
う情けないような理由だったが、昨日は理由がよくわからなかった。

帰宅して連絡ファイルを見ると、交流に行っていてお友達の背中に
鼻水をつけたと有った。
話を聞いてみると、朝の会の前で先生が来る前とのこと。
くしゃみが出て鼻水が出たのをいつものように手で受け止めたのだ
が、そこから先が動けないもぐちゃんである。
「ティッシュー!」と叫んでも、まわりの子は誰も助けてくれなか
ったので、くやしくなってどうしていいかわからなくて、そばに居
た男の子にの背中で拭いたのだそうだ。

教室の中にティッシュは無いのかときくと、ティッシュはなくて、
トイレットペーパーのロールがあるとのこと。
「う〜ん、お友達はティッシュがないから何もできなかったんじゃ
ないかな? 意地悪してた訳じゃないと思うよ。」と話した。
これからは交流にいくときは、自分の箱ティッシュを持って行こう
ねと話した。
もぐちゃんは、鼻がかめないのでくしゃみをすると鼻水デロンとい
うことになってしまうことが多い。
支援級の教室では、机の横に箱ティッシュをぶら下げている。
交流にいくとき、それを持って行くことにした。
それでも忘れてしまったときは、手を洗いなさいと教えた。

背中に鼻水をつけられた子の家には、昨夜電話して謝った。
おおらかに対応してくれたので、一安心だ。

いろんなことをやらかしてくれるもぐちゃんだが、それらを一つず
つ対処方法を教えながら暮らして行かなくては。
まあ、鼻血でパニックになるのはわからなくもないが、鼻水程度で
パニックというのもちょっと情けないので、対処方法はしっかりと
教えていかないとなと気づいた次第。

一見なんでもないような事件だが、そこには若干のパニックとその
対処方法についての学びが有った。



2011年10月24日(月) 栄養指導

土曜日、透析をしながら栄養指導を受けた。
今年から全員を対象として、誕生月に栄養指導を行うようになった
のだそうだ。
この夏から、水分のコントロールが良くなくて、毎回体重増加が多
いということを指摘されてきたので、その点を重点に指導を受けた。
要するに塩分のとり過ぎと、習慣的に水分をとってしまっているこ
とに対する指導ということだ。

子どもの頃から水が好きで、ご飯を食べた後には必ず水を飲んでい
たわたしとしては、何か食べたら必ず水またはお茶(紅茶でも可)
で口の中をさっぱりさせる習慣になっていて、間食の場合もそれは
該当する訳で、その点を指摘。
毎食きちんとご飯(米)を食べて間食はなるべくしないことに。
朝はトーストという我が家だが、わたしだけご飯にしようかと思う。

すぐには無理でも、がんばれば2週間で習慣になる。

何事も、だいたい2週間で慣れるものだと思っている。
あとはその後に気を緩めすぎなければいい。
やっぱり食事は自分で作らないといかんなあ、と実感中。
外食は少なく、買ってきて食べるのも、自分の分は少なくしないと
塩分のとり過ぎになってしまうのだ。
実際、そうなっていたね。

要するに量の問題なのだろうが、好きな物はたくさん頬張りたいと
いう人間なので、なかなかつらい。(笑)
食欲魔人の復活は阻止しなくては。(爆)



2011年10月21日(金) 経験と知識

思春期に両親のケンカを見て育ち、借金取りからの電話に応対し、
両親の離婚を経験し、父の友人の奥さんのノイローゼによる押し
掛けからこっそり逃げるために母と学校を休んでドライブしたり、
東京と山形を2往復して2回転校したり。
大人になったらなったで、自暴自棄な20代を過ごしていたら母が
突然亡くなり、出会った男がしょうもない男で借金を抱えて勤めて
いた銀行を辞めざるを得なくなったり、転職先の会社で酷使され、
徹夜明けで出張に行くこともざらだったり。

一番辛かったのは借金を抱えて銀行員だったときだ。
まだ独身だったし、いざとなったら保険金で近しい人からの借金は
返せるなと思いながら暮らしていて、鞄の中には誰にいくら返すと
いうメモを忍ばせていた毎日。
お金を返すことしか考えられなかった毎日。
それはしんどい。
もう、借金なんかしたくないのである、
だから、家のローンとか組む気になれないのかもしれない。

いろんなことにぶちあたりながら生きてきたが、ふしぎと心身を病
んだりすることがなかった。
しかしながら、20代の自暴自棄なころや、借金を抱えて暮らして
いたころは、とても正常な精神状態では無かったのだろうと思う。
まっとうな生き方をしていたら、そんなことにはならないよねって
いうような暮らしだった。

そんな時代が有ったからこそ今が有るのだが、かといってその頃を
思い出すのはまっぴらごめんである。

自分自身を追い込んでしまうことは誰にでもある。
わたしの場合は、それがポンとはじけるように外に向かって解決の
糸口を見つけたような結果になった。
それがもし、自分の内側に向かってさらに追い込んでしまうような
性格だったなら、心身を病んでいたのかもしれない。
ある意味、やけくそな行動が解決の糸口になった。
自分から墓穴を掘るように、周りに対して自分の状況を暴露した形
になったのである。
わたしは、借金でどうしようもないときに、銀行の上司に退職金は
前借りできないのかと相談した。
そんな相談をすれば、たちまち退職勧告されるのはわかりきったよ
うなものだが、わたしはつい相談してしまった。
結果として、退職金で銀行に迷惑がかからないようにして転職する
ことができたのだが、これが自分でポンとはじけたということかな
と思っている。
最後の決断の一歩は自分で歩みだすべきだったのだろう。

あの借金の額が貯金できていたらと思うと、めちゃくちゃもったい
ないと思うが、おかげで夫と知り合って結婚し、もぐちゃんも生ま
れた。
よく言われる、「高い授業料だったねえ。」というやつだ。
普通の女性が知っている以上のことを知っていると思うときが有る。
それは、高い授業料を払った経験による知識であろう。

結局は困難な状況というのは、1人でなんとかしようとするから、
ますます困難な状況に陥ってしまうのだと思う。
転職を機に、わたしは姉の家に居候させてもらい、義兄に少しずつ
お金を返しながら、サラ金の借金も返した。
周りの人々の力が必ず必要なのだ。
それは協力であったり、拒絶だったりするが、どちらにせよ何かを
与えてくれるものなのである。

困難な状況に有ったら、誰かに助けを求めてほしい。
たとえそれが、自分の子を育てるという、一見困難なことに見えな
いことであったとしても、当事者にしかわからない困難さがあるな
ら、誰かに助けを求めよう。



2011年10月14日(金) 校外学習

今週は校外学習があった。
もぐちゃんたちは、電車に乗って相原高校へ。
ヤギにエサをあげたよと話してくれた。
動物をスケッチする時間があったようだが、動物のにおいを我慢
するのに手一杯で絵が描けなかったとも話してくれた。
ハンカチで花を押さえていたので、手が使えなかったのだとか。
やっぱりなあ、と思いながら、でもヤギにはエサやりできたんだ
と感心した。
それでも小さめのヤギを選んでいたようだ。

普通は幼児のときに体験するのかな、小動物との接触。
うちでは、猫とウサギは接触済みなのだが、家畜系はまだだった。

ヤギはお母さんが小学生の頃、家で飼ってたんだよと話す。
ヤギはまつげがかわいいよね、と話す。
わたし自身は、うちで飼っていた家畜の中ではヤギが一番好きだ
ったし、よく田んぼに連れて行って草を食べさせていた。
「お母さん、ヤギのお乳も飲んだこと有るんだよ。」
「どんな味?」
「牛乳よりもあっさりしていて、草の香りがちょっとする感じ。」
もぐちゃんにとっての未知の世界、ヤギのお乳。

母はもっといろんなことを知ってるよ。
もっと大きくなったら、いっぱいいろいろ教えてあげられるよ。
母の加齢と息子の成長とのせめぎ合いである。

 時を経て薄れる記憶を伝えつつわが深淵に落ちる瞬間(市屋千鶴)

話しながら、寝てしまう母である。



2011年10月05日(水)

寒い雨である。

子どもの頃、運動会はいつも秋だった。
秋は稲刈りがあって、稲刈りが終わると餅をついて祝う。
お祭りの村も多い。
市の夏祭りは8月の終わりだった。
花笠をまわして踊る花笠踊り。
わたし達は学校の運動会で花笠をまわして踊ったものだ。
小学校は手踊りだ。
小振りの花笠を使い、笠はまわさない。
中学では実際にかぶるような笠で花笠を作り、笠をまわす笠踊り
だった。
花笠をまわすのが最初は難しかった。
ああ、なつかしいなあ。
だからなのか、この辺でさかんに踊られる「ソーラン」がどうも
しっくりこない。(よさこいソーランって言うのか?)
それはそれで、子ども達はがんばって覚えてかっこ良く踊ってい
て拍手いっぱいなのだけど、魂には響かない。

幼い頃から慣れ親しんでいる花笠音頭でないと燃えないのだ。
それも、笠まわしでないと燃えないのだ。
笠をまわしながらの「やっしょーまかしょっ!」は気合いが入る
のだ。
生まれ育った土地の祭りというのはそういうものだろう。
魂が、歌や踊りと密接につながるような感覚である。
都会にはそういう音頭や踊りがないのが少し寂しいように思える。
阿波踊りが、あちこちでその代わりをしているのは否めないが。

どういうわけか、ソーランよりも阿波踊りに共感する。
なぜだろう。
東林間暮らしが長いからか。


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