今日は、もぐちゃんのリクエストで綾瀬まで行ってきた。 綾瀬から北綾瀬支線に乗りたいとのこと。 代々木上原で千代田線に乗り換えて綾瀬まで行ってみると、乗り 換えの案内で「北綾瀬行きは0番ホーム」と放送された。 (0番ホームって何?どこ?)と思いつつ、ホームに降り立って 反対側のホームを見てみると、端の方に別のホームがあった。 階段を下りて上ってたどり着いたのは、0番ホームだった。 思わず写真を撮ってしまった。
0番ホームだけにはホームドアがあった。 電車を待っていると、常磐線快速列車が通過して行くのも見られ たし、「スーパーひたち」が通過するのも見られた。 それになんと、北斗星を牽引する電気機関車がたった1両で走っ て行くのも見られた。 何か引いているのかと思ったら、たった1両だったのでびっくり。
それから北千住で降りて、昼ご飯を食べた。 北千住からは東武線に乗って押上まで。 押上から都営浅草線で泉岳寺まで。 泉岳寺から京急線で横浜まで。 横浜からは相鉄線経由で帰ってきた。
その間、スタンプを押すために某コンビニを探したりもした。 長い一日だったと思うが、出発したのが9時で帰宅は4時半頃。 三食とも外食+中食になってしまった一日だった。
次のお出かけは金曜日。 横浜の模型屋さんに行きたいらしい。
昨日から夏休み。 夕方、もぐちゃんを学童に迎えに行くと朝の服装とは違っていた。 泥んこになったので着替えさせたが、また泥がついてしまったと のことだった。 長靴も中は大丈夫だったが、外側は泥だらけだった。 顔にも点々と泥がついていた。 こんな寒い日に、水遊びするなんてと叱りつつ、帰ったらすぐに シャワーで洗いなさいと叱りつつ、お母さんは腕を濡らせないの だから自分でちゃんと洗うのだよと叱りつつ、まあ要するに怒ら れながらもぐちゃんは帰ったということである。
帰宅してすぐにシャワーで洗った。 泥の汚れは普通に洗濯してもなかなか落ちないので、もうすでに 小さめのシャツであれば捨てるつもりで遊ばせないと。 案の定、洗濯しても水色のTシャツは泥の色が残ったままだった。 着替えたあとのシャツはカラフルなボーダー柄なので、白い部分 に泥のあとがぽつぽつと残っている程度ですんだ。 長靴はバケツに水を入れて、外で洗わせないと。
それにしても、泥んこだらけになるとなぜ怒ってしまうのだろう。 昔は田植えも手伝ったし稲刈りも手伝ったし、泥だらけになる姿 は日常のことだったはずなのに、もう都会生活の方がずっと長く なってしまい、すっかり都会の人間になってしまったようだ。 本当は怒らずに、しっかり洗濯してあげればいいのだろうが、な ぜか腹が立つのである。 母の気持ちも一筋縄では行かないものだ。
今日は、遠出しないで隣の駅まで出かけた。 プラレールの横須賀線車両が欲しいと言われ、書き取りを毎日や る約束で買ってあげた。 ほんとは、やったら買ってあげるがいいのだろうが、車両の中に 人形が乗るやつだと言われ、母の興味もあって買ってしまうあた り、自分の「てつ」さ加減にも困ったものだ。 あとは、6個口の節電タップを購入。 テレビ周辺の電源の管理に一役買ってもらう予定。
秋のプラレールアドバンス発売までは、もうおもちゃは買わない ぞと釘をさす母であった。
今日から予定されていた宿泊学習は、2学期に延期と決まった。 しかも、夜の花火までで、お泊まりは無しということに。 期待していただけにちょっと残念そうなもぐちゃんだが、みんな と花火ができたり、ファミレスに食事に行ったりできるだけでも うれしいのだろうと思う。
今日は相模原市の小学校では終業式なのだが、朝の一斉メールで 通常通りの登校で下校は早めの10時半下校と連絡があった。 明日はわたしの透析日なので、もぐちゃんを学童まで送ってから 病院に行く。(お弁当持ち) だから、台風は明日の朝までには過ぎていってくれるとうれしい。
昨夜、久しぶりにプラレールを広げていたもぐちゃん。 秋には小さいサイズの列車が発売になり、今まで通りのレールで 複線運転が可能になる。 1つのレールで2つの列車を走らせられるのである。 もちろん1つのレールですれ違いもオッケー! おそるべし、プラレール。 わたしの誕生日に買ってもらおう。(わたしの?) レールは昔からサイズが変わっていないので、親子で集めたもの を使ったりできる優れものである。
動画でプラレールを走らせているものを見つけてしまい、2人で 見入ってしまう母と子であった。
顔を寄せひとつ画面を覗き込む同じ視線を持つ母と子は(市屋千鶴)
相変わらずぐだぐだである。 もう梅雨が明けてしまったのである。 梅雨明け十日という言葉があるとかで、梅雨明けすると晴天が続 くことを言うのだそうだ。 まさに、そのとおり! 連日のこの暑さはまったく。 などと文句ばかり言っていても涼しくなる訳ではないのだが。
来週当たり大型の台風が来そうな感じだが、来週は支援級の子ど も達の宿泊学習が学校であるのだ。 夜には花火も予定しているのに、それに夕食はファミレスに食べ に行くというのに、台風が来たらどうするんだろ? 風雨の中で学校に泊まるのか、自宅に帰ることになるのか。
ぐだぐだ母さんは、短歌脳も全く働かず、困った感じ。
人には、何もかも面倒くさく思える瞬間があるものだ。 その感覚を自覚しながら、面倒くさくても生きていくのが人間だ と無意識に思い直して生きている。(わたしの場合は) 面倒くさいと思っても、生きるためには食べねばならず、子ども がいれば食べさせなければならず、そのためになんとかしなくて はならず、と。
生きているって、確かにいろいろ面倒くさいものだ。 しかし、その面倒臭さを補ってあまりある喜びがあるから生きて いられるのだ。 それは、自分のことであったり、家族のことであったり、友人の ことであったり。 1人で生きられないのは、生きるのが面倒くさくなったと思える ときに、思い浮かべる顔が必要だからだ。 彼のために、彼女のために、生きていなければならないと思う。
ぐだぐだで毎日暮らしているが、ちゃんと生きている。 それは、自分を必要としてくれる存在があるからであり、何より その存在のそばで自分自身が生きたいからである。 昨年の今頃、高熱を出して入院した。 海の日だった。
自分の体は自分だけのものではなく、大切にせねばならないもの だと、夏は特に思う。
もう既に、もう暑さでぐだぐだである。 まだ梅雨明していないというのに。 暑いからなのか、思考力も低下しているようだ。
土曜日は、従姉の娘の結婚披露宴に行ってきた。 行くときは不満げなわたしだったのだが、いざ披露宴会場に入り、 進行していくにしたがって、いい披露宴だなと思い始めていた。 そして、サプライズということで、新婦のつとめている保育園の 園児達がお祝いに入場したときは、驚きとともに普段は推し量る ことのできない従姉の娘の仕事ぶりやみんなに愛されている様子 がわかって、うれしくなったのだった。 保育士仲間が作成してくれたお祝い映像も、楽しいものだった。 小さい頃は反抗的なところを見せることもあった女の子だったが、 こうして大人になってみんなに好かれているのを見ると、ほんと にうれしくなる。 帰宅したときはもう21時近く、三人とも疲れてぐったりだった。
昨夜は久しぶりにお父さんに叱られたもぐちゃん。 最近、なかなか片付けしなかったり、ゲーム時間のごまかしなど が目に余ってきていたので、夫はきっちりと叱ってくれた。 お尻をたたくと言ってもビビらないそぶりを見せるようになって きたので、かたづけないものは捨てる、ゲーム時間を守らないと きは捨てる、と言い出すと泣いて抗議した。 おもちゃを捨てられるのは耐えられないもぐちゃんは、泣きなが らちゃんとするから捨てないでと訴えた。
たまには、ぴりっとすることも必要。 お母さんは怒らないようにしていると思って、ずるずると時間に ルーズになってきていたからな。
それにしても、母は暑さでぐだぐだである。
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