鶴は千年、生活下手

2011年05月31日(火) 延期で良かったかも

金曜日、土曜日、日曜日、そして月曜の午前中と雨だった。
運動会が例年であれば、翌日に順延という形で順送りされ、火曜
日に実施という可能性もあっただろうが、今年は28日が雨なら
1週間延期というものだったので、ちょうど雨の週末をすっ飛ば
す形になった。
次の土曜日はお天気らしい。(ニコニコ)

もう明日から6月である。
なんだかあっという間である。
22日のぷらむ短歌会はお休みしてしまった。
21日の午前は保護者会があって、午後は透析に行ってとかだと、
やはり翌日は疲れが出たようで、出かけることができなかった。
1週間ほどすると、「ぷらむ通信」という形でメンバーの方の善
意の資料が届く。
他の方の作品も見れるし、それぞれの歌への感想をまとめてくれ
ていて、とても楽しみにしている。
次のぷらむ短歌会は、7月3日。

そうそう、従姉の娘の結婚式が7月の頭に延期になった。
急に入院することになって、予定の日に挙式できなくなったので
ある。
延期になって、わたし達も出席できそうになってきた。
時間はまだ知らされていないのだが、せっかくなのでなんとか調
整したいものだ。

延期になってよかったなと思えることも多いものなのである。

 くくられて順番をつけ並べられ「ラッキーカラーは紫にせよ」(市屋千鶴)

占いって、こんな感じ。



2011年05月26日(木) 雨模様か

ぼーっとしている間に1週間が経ってしまった。

今週末は小学校の運動会である。
どうやら雨模様の予報。
今年は、雨の場合は1週間の延期になる。
運動会の日は、16時頃からの透析に変更してもらう。
したがって、雨で中止になっても透析は16時くらいから。
帰りは20時過ぎになってしまうので、延期になると2週続けて
16時頃からになるのがちょっとしんどい。
先週末は、午前中に学童の保護者会があったので、15時くらい
からの透析だった。
この調子だと、3週連続で夕方に透析ということになりそうだ。

雨はやはり気がめいるものだ。
が、草木にとってみればなくてはならないもの。
物事は一面だけを見ていてはわからないという一番わかりやすい
たとえだ。
保護者会の総会は、そろそろ終わりかというところで、問題発覚。
40分にわたって意見が交わされ、保護者会後の役員打合せはで
きなかった。
運動会の無い土曜日に打合せの予定。

今日のような曇り空だと、運動する方にとってはいいのかも。
暑すぎず、寒すぎずだ。
応援している方も、直射日光を受け続けなくても良いという利点
がある。
運動会というさわやかさに関しては若干劣るものの、梅雨に入る
前のこの時期は曇り空だって御の字だ。
とかなんとか言って、なんとか今週末に運動会をやってほしいと
思っているだけのこと。
延期されるのは、気ぜわしさが続くので好きではない。

が、ここでまた見方を変えてみれば、楽しみな期間が長くなると
いうことで、まあよしとするか。

ぐだぐだと書いているのも、どんよりとした空のせいか。

 バツなのかオッケーなのかはっきりとさせないままで君は手を振る(市屋千鶴)



2011年05月18日(水) 五月晴れ

昨日とはうってかわり、五月晴れの水曜日である。
今朝、夫が出勤していく前に昨日の個別面談のことを話した。
そうか、と言葉少なに返事をする夫だった。

昨日の朝は夫が送っていったのだが、学校の手前の信号のところ
でここでいいよともぐちゃんに言われたことに驚いていた。
「そうなのよ、最近は信号まででバイバイしているんだよ。」
と言うと、「ほう、そうか。」とにんまりする夫であった。
ちょっとずつ手前でバイバイするようにしていけばと提案したの
は、夫だったからである。
母の具合が悪い火曜日には集合場所から行ってくれたりもすると
言うと、がんばってるんだなと笑った。

帰りはまだ1人で帰ってこられないよというもぐちゃん。
学童では、支援級の児童はお迎え必須である。
学童で友達と遊べるのは楽しいのだと思うが、他の子が学童に来
なくなる3年生になったとき、もぐちゃんはどうするのだろうか。
それまでに、放課後に一緒に遊べる友達が欲しいところだが。

昼ご飯は、竹輪とエリンギとピーマンの焼うどんを作って食べた。
もぐちゃんが一緒だったら、たぶん作らない材料である。
3つとも好きじゃない部類の材料だから。
晩ご飯には、豚肉の西京漬を焼くが、もぐちゃんのリクエストで
ほうれん草とベーコンと卵のソテーを作る。
何が食べたいかと訊ねると、いつもこのメニューを言うので、た
まには別のメニューも言ってほしいところ。
たまの弁当も必ずこれが入ることになっている。
よっぽど好きなんだなと思う。

何につけてもハマるとずっと続くタイプなので、ワンパターンな
ことが多い。
遊びや食べ物やいろいろ。
アイスはいつもピノ。飲み物は十六茶か爽健美茶。
焼き飯はミックスベジタブルだけの具で。
帽子はお気に入りのをいつもかぶるし、靴もだいたい同じ。
なじんだものは捨てられない。
物と同じように人も大事にしてねと願う。

 捨てられぬ気持ちをかかえ生きていく大人になれば嫌でもわかる(市屋千鶴)



2011年05月17日(火) 雷雨と個別面談

夕方の激しい雷雨は、短時間であとは雨だけになった。
雨の中を個別面談のために学校に行った。
もぐちゃんの長靴とレインコートと傘を持って。
せっかく持っていったが、もぐちゃんと帰る頃には雨は小降りに
なっていた。

個別面談をして、やはり人は会って話してみないとわからないも
のだなと思った。
例のドミノの一件を、先生から詳しく聞いて納得した。
やはり、もぐちゃんは手をつかまれたことでそれまでのいきさつ
は吹き飛んでしまっていたようだ。
その時の嫌な気持ちだけが強く残っていたのだろう。
その前後の話を聞けば、ちゃんと対応してくれたことがわかる。
ああ、やはり人は片方だけの話で判断してはならないのだ。
特に、その片方が子どもである場合は。

面談をしていて、まだ担当になって1週間足らずなのに、ちゃん
ともぐちゃんのいいところを見つけてくれていることに驚いた。
この先生は大丈夫だと思った。
一応、もぐちゃんの特性について気をつけてもらいたいことなど
を話し、よろしくお願いしますとの挨拶で終了した。
30分ちょっとの面談だったが、有意義だったと思う。
何か有ったら、ちゃんと教室まで行って話をとも思った。
たぶん、わたしが先生に対して良い感情を持っていれば、もぐち
ゃんも心を開いていくようになると思う。
今はまだ、1ヶ月ごとに担当が変わったりして、気持ちが落ち着
かないのかもしれない。
それに、叱られることが多かったからね。

もぐちゃんがパニクって泣くのは、自分でイメージしたとおりに
自分ができないことに腹を立てている部分が大きい。
思った通りにできないことへの苛立ちなのである。
イメージがとても膨らみ、イメージ先行型と言われるもぐちゃん
だから、その大きく膨らんだイメージを実現できるだけの能力や
技術が伴わないことへの苛立ちなんだろうなと思う。
いつか、能力や技術が彼の発想に追いつくようになったらいいな
と思う。

 膨らんだ気持ちの先に待っている何かを母にも見せてください(市屋千鶴)



2011年05月16日(月) つらつらと

昨日はぷらむ短歌会の詠草〆切りだった。
なんとかメールすることができたが、いつも題詠100%を目指
していたので、それができなかったのは残念な感じ。

今週末、延期された学童の保護者会総会が行われる。
単純に延期になっただけなのだが、お知らせを再度配って出欠を
取り直したりと、書記さんの仕事は二度手間になった。
さらに、2回目の出欠票提出ということもあってか、ぎりぎりで
過半数という提出状況で、提出を促す掲示をすることで、またま
た書記さんに手間をとらせている。
書記さん、ご苦労様と言いたい。
今年の書記さんは割と完璧主義なところがあって、人一倍手間を
かけてくれており、さらに過去に役員の経験があることもあって、
いろいろと我々の至らないところを教えてくれたりで、ついつい
頼ってしまいがちなので、気をつけなくてはと思う。

これまで、保育園では保護者同士の交流を持ってこなかったので、
学校の支援級の保護者や学童の保護者同士の交流はなかなかに新
鮮でもあり、また面倒でもあるというのが本音だ。
面倒というよりも、手間がかかるものなんだなという感じか。

学校では、2年生は先週のうちに野菜の苗を用意して持っていか
なくてはならなかったのだが、学年便りはついつい忘れがちで、
昨日フルーツトマトの苗を買って、今日持っていった。
連絡ファイルで指摘されて、あわてて苗を買いにいったのだが、
もぐちゃんが希望しているきゅうりの苗はどこにもなくて、第2
希望のミニトマトにすることにした。
が、もう既に実がつき始めている苗ばかりだったので、まだ実が
ついていないフルーツトマトにした。
これも実は小さいので、いいかなと。
きゅうりの苗は4月のうちに売れてしまうのだとか。
ちょっと学校の場合は遅いんですよねと、お店の人に教えられる。

豆類は嫌いなもぐちゃん。
グリーンピースは大好き。
インゲン豆も好きになったらしい。
昨晩のおかずの肉じゃがにインゲンを入れたら、これはインゲン
だからと、ちゃんと食べた。
(絹さやは食べないのに。)
そういえば、すなっぷえんどうも食べていたっけ。
大豆そのものや枝豆は食べないが、納豆以外の大豆加工品は好き。
(豆腐、油揚げ、厚揚げ、がんもどき、など。)
豆の好き嫌いは、どういう基準なのかまだよくはわからない。

 強風になかに自転車こぎだせば心持ちまであおられていく(市屋千鶴)



2011年05月13日(金) ヒーロー好きな訳

わたしがヒーロー好きな訳。

小学校高学年の頃、父と母はよくケンカしていた。
(まあ、原因はたいてい今の母のことなのだが。)
それは口論で終わることも有れば、夜中の暴力沙汰になることも
あった。
母から正論をぶつけられて、本来は口の達者な父が手を挙げる。
祖父母も止められなかった。
というより止めなかったのだろう。
姉は高校生になり、山形市内に一年中下宿していた。
小学生のわたしは父を止めることもできずに、ただ布団をかぶっ
てじっとうずくまっていた。
週末に帰ってくる姉は、何も口出ししないわたしに腹を立てた。
わたしが言っておさまるものなら、とっくの昔に言っている。
そう言いたい気持ちをぐっとこらえて、姉の責める言葉を聞いて
いた。
止められるものなら、止めたかった。
いつも家にいるのはわたしの方なのだから。
しかし、12歳の女の子に何ができただろうか。

父の知り合いの夫婦も、夫の方が酒乱でよく暴れた。
しかし、その家は男の子が2人いて、大きくなった息子達は父親
を止めることができた。
そんなよその家が羨ましかった.
わたしが男の子だったら、父を止めることができたかもしれない
と思いながら育った。
自分が男の子なら良かったのにと。

きっと、そのせいなのだ。
弱いものを守るヒーローに憧れた。
アイドルへのあこがれのようなものではなく、自分もヒーローの
ように弱いものを助ける存在になりたかったのだと思う。
その思いが、今現在のヒーロー好きに続いているのだ。

受けた傷さえ力に変えて守るべきものを守る。
なんて魅力的なんだろうかと思う。
だから、アニソンを聴いているとうれしくなってしまうのだ。
この年(51歳)になっても、まだまだ子どもです、はい。

 背を向けたままでだれかを守ってる われにちからを きみにちからを(市屋千鶴)



2011年05月12日(木) テレビと時間と声かけと

4月から、透析室のテレビが地デジ対応となり、そのついでにと
いうかなんというか、テレビカードで視聴するようになった。
テレビっこのわたしとしては、テレビを見るのに費用がかかるの
はいたいところだ。
テレビカードを挿入すると残り時間が表示されるが、購入できる
のは透析室の前室とも言えるロビーなので、順番が早いときには
ベッドからもう一度ロビーに戻れないこともある。
今日は残り42分だったが、もうすぐ順番だったので、テレビは
我慢することにした。
すると、不思議なもので、短歌ができた。
なんとかぷらむ短歌会の締め切りに間に合いそうだ。

昨日のもぐちゃんの連絡ファイルに、「大荒れでした」とあった。
大荒れだったんだともぐちゃんに言うと、20分休みにドミノ遊
びをしていたら先生にやめろと言われて嫌だと騒いだとのこと。
授業の時間だからやめなさいって言われたんじゃないかときいた
が、もぐちゃんはどうしてやめなければならないのかわからない
ままに、手を引っ張られて嫌だったのだと言った。
わからないなら理由を聞けばいいようなものだが、そこまで考え
ないのがもぐちゃん達。
行動を制限されたことへの反発が強すぎて冷静になれないのだ。

今年、もぐちゃんの担当になった女性教師が、今週から2ヶ月間
の療養休暇に入ったため、新しく別の女性教師が担当になった。
その教師との一悶着だったようだ。
(療養休暇になったのが、我が子のせいでなければよいのだが。)
また、1からもぐちゃんの特性を理解してもらわなければならな
いのかと思った。
とりあえず、連絡ファイルには、なぜなのかわからないままだと
いうことを書き、「わからないときは訊きなさいと言いました。」
と書いておいたが。

今日の連絡ファイルには、「昨日のドミノのことにつきましては
いい具合におさまりました。面談のときに詳しくお話しします。」
と書いてあったので、もぐちゃんに訊くと今日は何もそのことは
話していないと言う。
いい具合におさまったというのは、騒いでいたことが落ち着いた
ということなのだろう。
しかし、落ち着いたからそれでいいのではないのにと思う。
声かけの仕方次第で遊びをやめることができるようになってきて
いるのだから、そこはわかってほしいと思う。
彼らに必要な配慮の第一は、声のかけ方なのだから。

しかし、夫はこういうかもしれない。
世の中のみんながみんな、配慮してくれる大人ばかりではない。
唐突に叱られるだけのことも有るだろうから、そういうことにも
なれていかなくちゃいけないんじゃないか、と。
確かに世の中に慣れていくということは大事なことだが、それが
まだ2年生でもかとも思う。
まだもう少しは、配慮する目の中に居てほしいと思うのは母親だ
からか。



2011年05月11日(水) 雨続く

今週は雨が続くようだ。
昨日は雨になるというので、病院まで歩きにした。
朝から暑くて汗が出た。
ドライウェイトを上げてもらっても、夕方の血圧は100そこそ
こといった状態で、もぐちゃんを学童に迎えには行けたが、息切
れした。
晩ご飯はパンや巻き寿司などを買い込んで、食べるとき以外は横
になって過ごした。
満足な晩ご飯を要してあげられないのは、申し訳ない思いだ。
一晩過ぎれば、130まで回復するので、今日はわりと元気。

今度お茶でもしましょうと、何かできることがあったら言ってね
と言ってくれる他者に対して、どの程度の早さでどこまで近づい
ていいのかがわからないことがある。
わからないながらも、いきなり距離を縮めるのは得策ではないと
いう判断くらいはできていて、どうしようかと思い悩んだりする。
どこまで社交辞令なのかがわからないのは、自分が社交辞令を言
わないからかもしれない。
できもしないことを付き合いだけでするからねとは言えないし、
自分の限界を知っているので、できない相談はしない。
だから、他者が自分に対して接近してきたときに言った言葉を、
真に受けてしまうことが有る。
が、メールでの挨拶などは、必要以上にきちんとしていたりする。
よく知っている相手とのメールだからといって、なあなあな感じ
で書けないのもちょっと他人行儀かと思ったりする。

距離感は難しい。
こんなことを書いているのも、先日学校のことで電話して話を聞
いてもらったお母さんと、ゆっくり話がしたいなあと思っている
自分がいて、言い出していいものかどうかをひとしきり考え込ん
でいるからだ。
そういうことまでひっくるめて話ができる相手だといいのだが、
その判断もまだできていない相手だと、やはり考え込む。
当たってくだけていいのは恋愛くらいなもので、親同士の付き合
いを考えるときは慎重になってしまいがちだ。

それにしても、ぷらむ短歌会用の歌が作れない。
お題は「葉」だが、なぜか「葉」という言葉を入れてる作るのは
苦手なようだ。
困った。
小さくいろいろと、困った。(笑)

 君はすぐそこまで僕に近づいて引っ掻き回して去っていくのみ(市屋千鶴)



2011年05月09日(月) ひさしぶりに

久しぶりに、といっても2週間ぶりくらいに、もぐちゃんを教室
まで送った。
教室には、昨年からの先生2人と今年からの若い男性教師がいた。
昨年からの先生のうち、男性教師の方は今年も情緒障害組の担当
で、押された子の担当である。
もう1人の女性教師は、昨年もぐちゃんの担当をしてくれた先生。
2人に丁重に頭を下げてきた。
男性教師にはこれからまだまだ世話になることを、女性教師には
1年生のときにいろいろと心配してくれていたことが、こうして
現実になってしまったことへの申し訳なさを。
先生方は、にこにこと応対してくれる。
ありがたいことだと思うし、学校に行っている間はお願いするし
かないことでもあり、教師と親の良好な関係はとても大事だと思
っている。
昨年の担任と、もぐちゃんの様子を話していて、少し涙ぐみそう
になりあわててごまかした。
帰り道は上向き加減で歩いてきた。

もう一つ、久しぶりに山形に電話した。
父の後妻さんである母の声を聞いた。
地震のときに電話できなかったことを詫びた。
怖かったこと、電気がつかなくて寒かったこと、食べるものがな
かったことなどを話していた。
それでも、我が家のことを心配してくれる。
母の日に間に合わなかったが、現金書留を送ることを知らせる。
何か物が届く日には家にいたいと母が言うからである。
電話を切ってから、母が元気そうだったので安心して涙が出た。
血もつながっていないし、生家の家庭崩壊の原因になった女性な
のだが、35年も経つともう母と呼べる人がいるだけでいいと思
えるようになってきた。
実母も夫の母もいない我が家で、もぐちゃんがじーじ、ばーばと
呼べるのは、別れた父とこの母だけなのだから。
もし、この2人に子どもができていたら、わたし達はどうしてい
ただろうか。

 人生にたくさん有った「もしも」から今を選んで歩いています(市屋千鶴)



2011年05月08日(日) 母の日にアニソン

母の日に、アニソンを聴いている。
Jamprojectの「Victoria Cross」である。
11曲が、オーケストラの演奏で歌い上げられている。

わたしは、アニソンが好きだ。
彼らの歌うアニソンが特に好きなのだと思う。
一番好きなのは、「レスキューファイアー」。
アニメではなく実写もののレスキューヒーローものだが、トミカ
提供のこのシリーズは1作目の「レスキューフォース」も好きだ。
やはり、レスキューものはいい。
目的や使命感がわかりやすく、みんなのためにという気持ちがス
トレートに伝わってくる番組だと思っている。
さらに、レスキューとは自分の命を犠牲にする事ではなく、自分
も助からなければみんなも助けることはできないのだというしっ
かりとしたプロ意識が心地よかったと記憶している。

他にも、「トランスフォーマーアニメイテッド」の歌も良い。
どれも、オーケストラ演奏用にアレンジしてあり、少しテンポを
落として歌っているところがまた良いのだ。
「スーパーロボット大戦」の曲もある。
「Vanguard」も大好き。(もちろんアニメも見ている。)
このアルバムを買おうと思ったきっかけの曲である。
みんながすばらしい歌唱力の持ち主だから、それがハモッタリす
るとそれはとても重厚なハーモニーになり、わくわくする。

アニソンって、元気が出るから、その点だけでもいい。
特撮好きでヒーロー好きの母は、思う存分Jamprojectの歌を聴
いていられる時間をもらえるだけでうれしい。

いま、9曲目。(笑)

 前を向き顔をあげろと歌いかける声の集いて力となりぬ(市屋千鶴)



2011年05月07日(土) 母の日を前に

学校から連絡があった。
学校には週に1回カウンセラーさんが来る。
そのカウンセラーさんにもぐちゃんの様子を見てもらい、先生と
カウンセラーと親との三者で協力して指導していきたいというこ
とだった。
人を押すのは良くないことだと言い聞かせ、本人もわかったとは
言うが、日常的に意識し続けるにはまだまだ継続して伝え続ける
必要があるので、学校側が意識的に見てくれるのはありがたいこ
とだ。
心理学のプロがどんな対応をするのかが興味深いところだ。

母が亡くなった翌年の母の日は、お墓参りに行った。
もう20年以上も前のことだ。
夫は高校生で母を亡くしているから、母の日は2人にとってはあ
まりうれしくないイベントだった。
母親に、生んでくれてありがとうと伝える日と認識しているが、
母の有る無しでカーネーションの色を変えるのは残酷だと思って
いた。
今は、わたしが母の日の対象になるのだが、母親になってみると
なにも特別に感謝などしてもらわなくても良いのだった。
子どもは生まれたくて生まれてくる。
母親はその手助けをするだけなのかもしれないと、もぐちゃんを
産んだときにそう思った。
腎臓病で胎児として育ちきることができないかもしれない母体に
宿り、そんな母体の健康を維持し、計画していたにもかかわらず
その前日に自然分娩で産まれた子である。
よっぽど生まれてきたかったのだろうと、産んでから数ヶ月経て
母は悟ったのだった。
だから、この子は少々のことでは死んだりしないと。

乳児の頃の母親の不安は大きい。
この小さい体の中の大きな命を、自分が全責任を負って育てるの
だと思うと、恐ろしくなったものだ。
ああどうしようと思うことがたくさんあった。
母乳が一番なのに、母乳が出ない。
自分の体でさえ維持できないほどの貧血なのに、その血液をもと
にできる母乳など出る訳がない。
少しでも母乳を飲ませたいと、懸命に搾乳し、夫と2人で四苦八
苦した。
家の掃除が十分でないと、ハイハイ期には神経質になった。

そして、この子が大きくなるまで、自分の体は保つのか。
何歳まで透析しないでいられるのか。
不安と戦いながらの日々だった。

そんな乳児期を経て、なるべく心配しないことにした。
起きてもいないことをあれこれ悩んでもしょうがないのだ。
物事は発生してからきちんと対処すればいい。
慎重であることは良いことだが、子育てには勢いが必要だ。
試行錯誤の毎日なのだ。
子どもが何かしてしまったら、親はひたすら謙虚に頭を下げる。
それしかないのだ。
そして、子どもへの愛情を、どんな形であれきちんと伝え続ける
ことだ。

 母の日に母を思えば笑顔しか思い出せない平成の日々(市屋千鶴)

母は平成元年に亡くなった。



2011年05月01日(日) 風薫る

我が家で黄金週間なのは、夫だけである。
4/29から5/8までずっと休みである。
わたしは、週3回透析に行かねばならないし、もぐちゃんも2日
と6日は学校である。
連休三日目の夫は、もぐちゃんを寝かせる時間からパチンコに行
くのも三日目だ。

5月は、わたしの生まれ故郷では春のお祭りのシーズンである。
田植えが終わって、「さなぶり」という、餅をついて祝う行事も
ある5月。
10月の「刈り上げ餅」(稲刈り終了のお祝いの餅)をついてい
る朝に生まれたわたしは、もちろん餅が食べられれば満足なわけ
で、「さなぶり」と春の祭りは楽しみだった。
お祭りでは、かならず「どんどん焼き」を食べた。
楕円形のお好み焼きを割り箸に巻いて、ソースをつけたものだ。
お好み焼きといっても、具が入っているのではなく、楕円形に広
げた生地の上に海苔と薄い魚肉ソーセージと紅ショウガが乗って
いるだけのものだが、これがソースと合わさるとすこぶるうまい。
親戚の子の分と何本もビニール袋に入れてもらって持ち帰った。
今でもあの味は忘れられず、もう一度食べたいものの一つである。

風薫る5月というが、5月最初の日の天気はなんと気まぐれだっ
たことか。
強風、突然の雨、降ったと思ったら小降りになる。
そして、また大粒の雨。
天気が回復すれば、あのお祭りの日のようなさわやかな天気にな
ってくれるだろう。
もう帰る家をなくして30年以上だが、楽しかった思い出だけは
いつでも生まれ故郷に引き戻してくれる。
それは、幸せな農家だった頃の記憶がほとんどだ。
だから、それは季節とともに畑や田んぼとともに思い出される。

そんな生まれ故郷の風景が一瞬で激変してしまったら、どんな思
いなのだろうかと、津波で流された被災地の映像を見るたびに、
そう思う。

 遠くから思い出だけをたずさえてしたう我が身に故郷はやさし(市屋千鶴)


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