鶴は千年、生活下手

2011年04月28日(木) 結果はいかに

昨日の夕刻に電話があって、押された子のお母さんからだった。
木曜日(今日)学校で先生方と話し合いを持つとのこと。
状況説明と今後の対応についてだろうが、その前にもぐちゃんの
病名(一応ついている)や療育履歴を知っておきたいとのこと。
うちは、就学相談時に医師の診断を受けたのみで、その後は通院
などはしていないこと。
就学前に市の療育相談室でグループ学習を行ったことなどを話し、
入学してからは特にどこかの施設で療育を受けたりはしていない
ことなどを話した。

話していて、何もしていないのはうちだけなのだろうかと、ふと
不安になり、もぐちゃんと同じタイプの3年生男子のお母さんに
電話をしてみた。
うちも同じようなものよと言われ、ほっとした。
ほとんどもぐちゃんと同じタイプの子なので、お母さんとも話が
合った。
そのお母さんは、療育相談室の指導員に「一番辛い立場かもね。」
というようなことを言われたということだった。
見ているだけでは発達障害児だとは見えないし、でもできないこ
とや苦手なことはいろいろあって、周りから気づいてもらえない
ことでかえって誤解を招きやすいのだという。
確かにそうだ。
見かけはただのしつけのなっていない落ち着かない子だからだ。
なるほどと思い、他にもいろいろ経験談を聞かせてもらったりし
て、他の子もいろいろあるんだなと思った。
(ケガをさせたりさせられたり、とか)

就学相談で支援級という決定がでた以上は、それはそれなりの注
意を払って見守っていかなければならない子どもだということで、
自分でできることが多い分、放っておかれやすいタイプの我が子
達の扱いを話した。
話したら気持ちがすーっと軽くなった。
昨日の日記より更に前向きにと。

今日の学校との話し合いの結果を、連絡してくれるだろうか。

 のびのびと過ごせる場所のあることは見守る瞳とともにあるもの(市屋千鶴)



2011年04月27日(水) カエルは前にしか飛ばない

今年の離退任式で、退任なさる先生が話していたこと。
先生の好きなキャラクターはカエルなのだそうだ。
なぜかというと、カエルは前にしか飛ばないからだそうだ。
どんなことがあっても、前に向かって進んで行く気持ちを大切に
したいと、カエル好きになったのだということだった。
そうか、そういえばカエルは前にしか飛べないなあと感心した。

昨夜、急にもぐちゃんが「死ぬとどうなるの?」と訊いてきた。
いろんなものへの執着が強いもぐちゃん。
今自分が使っているノートだったり、好きな本だったりが触れな
くなることや、読めなくなると知ると、半べそになった。
どうしてそう訊いたのかと思ったら、わたしが悲しくておなかの
調子が悪いと言ったから、お母さんが死んでしまうのではないか
と不安になったからだと言う。

やはり、母の命を条件にするのはちょっと強すぎる言葉だったか
とやや反省しつつも、死ぬということはどういうことかを子ども
にわかるように話した。
事実ではないにしても、「怪傑ゾロリ」に出てくるゾロリのママ
を例にするといいいかもしれないと思って、少し話した。
ついには、どうして生まれるの?
という話までいきついたので、それは君がもう少し大きくなった
らちゃんと説明してあげると言って眠りについた。

ここ数日の日記の内容では、自己憐憫に陥っている傾向があるな
と気づいたので、路線変更することにした。
生活下手なのは、今に始まった事ではないので、下手は下手なり
に前に進んで行けばいいのだ。

今朝、夫がゆっくりの出社だったので、夫と一緒に学校まで班の
後からついて行った。
昇降口で、押した相手のお母さんに2人で謝った。
が、夫はつい口癖で「一応、押してしまったので、お詫びしない
と。」というようなことを言ってしまった。
相手のお母さんが「一応ですか。」と小さく呟いたのをわたしは
聞き逃さなかった。
(しまったー!)と思ったが、もう後の祭りである。
とりあえず、もぐちゃんを教室に送り届けて帰ってきたが、帰り
道で夫にメールして、その旨を伝えると、「気にしない」という
なんとも能天気な返事。
能天気というよりも、そうか、気にしても仕方がないだろうとい
うことかと思った。
やってしまったことはやってしまったこと。
そのことやわたし達の対応でいたらないことがあったとしても、
それもまた過ぎてしまったこと。
ああすれば良かったと思っても後戻りはできないのだから、前に
向かって進む。
何と言われようと、教えて行かねばならないことは教えて行くし、
そのために時間がかかっても、あきらめてはいられない。
カエルだ、カエル。

 少しだけ振り向いてみる夕暮れに残したものはなんだったのか(市屋千鶴)



2011年04月26日(火) 母親を条件として

今朝は、おなかの調子が悪くて、できるかどうか不安に感じなが
らも、もぐちゃんについていかずに登校班で行かせた。
副班長の女の子が一緒について行ってくれる。

そんなもぐちゃんを見送り、自身は病院へ。
朝のうちに下痢止めを飲んでいたが、途中でもう一度飲んだ。
途中、看護師さんともぐちゃんのことを話した。
普通の2年生ってどんな風なのかと思って、と。
「その子によって違うけど、だいたい落ち着いてくるのは4年生
くらいみたいよ。」
と、女の子しか持たないその看護師さんは、他の男の子を3人持
つ看護師さんに聞いてくれた内容を話してくれた。

その言葉に頷きつつ、実はともぐちゃんの事件のことを話した。
事件を知ったとき、叱っているとき、夫が説明しているのを見て
いたとき、どんな気持ちだったかを話した。
ぱっと見、普通の子と変わらないように見える我が子の、未発達
な部分を目の当たりにすると、やはりつらいと。
うちの子よりももっと大変なお子さんを、もっといろんな思いで
見守り育ててきたお母さんの苦労や気持ちを考えると、その子に
けがをさせていたらと思うと、本当に申し訳なくて、と。
泣けた。
病院で泣いたら、少し気持ちの切り替えができたように思う。
やってしまったことは取り消せないのだから、これからそうなら
ないようにほんとにずっと言い続けて行くしかない。
そして、いつも君が大好きだよと伝え続けて行くしかない。

「君が他の子を押してしまったって聞いて、お母さんは悲しくて
夕ごはんが食べられません。
また他の子にけがさせるような事をしたら、お母さんは悲しくて
ご飯が食べられなくなって死んでしまうよ。
そうなってもいい?」
「いやだ!」(半べそ)
「じゃあ、もう人を押したりたたいたりしないでね。」

金曜日の夜、こういう会話があった。
あまり、いい教え方でない事はわかっている。
が、どんな条件付けでもいいから、他人にけがをさせることのな
い人になってもらいたいと思うのが親心だ。

 母親の存在を条件として教えることもあるかもしれず(市屋千鶴)



2011年04月25日(月) 電車の乗って

昨日の夕方、夫がもぐちゃんに事件の顛末について質問し、理由
を探ろうとしいていた。
約2時間。
わたしは、口頭で聞いて説明しただけだったが、夫はパソコンの
画面で文字を入力しながら、順序立てて考えさせていた。
見ていても、いやそれは本人もわからないんじゃないかなと思う
事もあったが、容赦なく質問し説明をして行く夫だった。
夫は、もぐちゃんと話している途中でアパートの外階段に行き、
もぐちゃんに階段の怖さを再認識させていた。

一通り説明が終わり遊びに戻ったもぐちゃんを見ていて、わたし
は夫を相手に悲しいと泣きついた。
夫は、自分だって7歳の子が全部わかるなんて思ってはいないが、
物事を筋道つけて考えることをちょっとでも知るいい機会だと思
って、考えさせたと言った。
夫もわたしもだいたいのことはわかってきていて、もぐちゃんに
対しては、危ないことであることを叩き込むしかないのだとわか
っている。

学校での事をなかなか思い出せないもぐちゃん。
興味のない事はなかなか覚えていられないもぐちゃん。
気持ちを説明する言葉がなかなか浮かんでこないもぐちゃん。
子どもはもぐちゃん一人だから、普通の7歳児がどんな風なのか
がわからない。
だから、今のもぐちゃんの、物事に対する理解度がどの程度なの
かもわからないが、どんなもぐちゃんも、それを受け入れる親で
いられるかだ。
それは開き直りとは紙一重の、丸ごと受け入れる心。

今日は開講記念日で学校は休みだったので、電車に乗った。
ロマンスカーの後ろ展望に乗れた。
地下鉄に乗った。
ただ、それだけの電車乗り。
もぐちゃんの頭の中は、こんどは電車でいっぱいになっている。
それでも、父親から言われた事はまだ覚えているらしい。



2011年04月24日(日) 体験に基づいて

もぐちゃんは、生まれたときから階段のない住処だった。
アパートの1階に住んでいるので、日常的に階段に接してはいな
いし、窓から落ちた事はあっても階段から落ちた事はない。
だからだろうか、階段をそれほど怖い場所だと思っていないよう
に見える。
わたしなどからすれば、階段で転んだら一つ間違えば死んでしま
うかもしれないというのに。

木曜日、学校でもぐちゃんは他の子の腰の辺りを押してしまい、
その子は階段を滑るように落ちて行ったのだという。
よく、女性が階段で転んで正座したまま滑り落ちる事があるが、
あんな感じでその子は滑り落ちてしまったらしい。
詳しい事は先生からまだ聞かされていないのだ。
なにしろ、木曜日の給食の準備のときのその事件を耳にしたのは、
金曜日の夕方だったのだから。
押された子のお母さんは、その点に憤っていた。
なぜ当日に連絡がこないのかと。
そのとき、大人は誰もついていなかったのかとか。
押された子のお母さんとは、金曜の夜、土曜の朝と電話で話をし
たが、けがの様子は打撲があるくらいでたいした事はないようだ
ったが、自分で申告しない子どもさんなので、どういうふうに転
んだのかとかどこをぶったのかとか、はっきりしなくてお母さん
は不安がっていた。
そして、自分たちの子は療育を受けていて、それぞれが通常の子
とは異なる学ぶべき事があるんだよねと言ってくれた。
ありがたかった。

わたしも、押した方の親として、相手の子のけがの具合は心配で
たまらない。
そして、なぜそうなったのかを2時間近くもぐちゃんと話したが、
この子達は自分の衝動さえもはっきり把握できる訳ではないし、
こうすればどうなるかという類推する力が未発達なのである。
人を押してしまうのはとても良くない事だが、もぐちゃんは彼を
階段の下に行かせようとしたのだと言った。
早く降りて、という気持ちだったらしい。
なぜ降りてほしかったのかは全くわからない。
ぱっと見、普通の子と変わらないもぐちゃん。
しかし、予測し類推する事は難しい。
他人の気持ちを推し量る事もほとんどしない。

怒った。
激しく怒り、そして懸命に説明した。
階段は駅のホームと同じだよ。
落ちたらけがをするし、死んでしまう事もあるんだよと。

こんな説明の仕方でしか通じないのが、悲しい。



2011年04月22日(金) 抜けた

歯が抜けた。  というか、抜いてやった。
一昨日、転んでぐらぐらがひどくなったもぐちゃんの歯だったが、
昨夜、ピザを食べていて抜けそうになったので抜いてやった。

昨日は、透析が終わって血圧は116だった。
透析中は暑くなるので血液の温度を35度にしていたが、終われ
ば自分の体温までもどる。
結果として透析中よりも下がってしまった。
火曜と木曜は病院で昼食をとっているが、昼食後に帰り支度をし
て表に出たら、冷や汗が出てきて自転車のそばでしゃがみ込んで
しまった。
朝は寒かったので冬のコートを着ていっており、帰りもそれを羽
織っていたのだが、それが悪かったのか。
食後ということと、暖かくなったことで血圧が下がったのだろう。
しゃがみ込んだままでコートを脱ぎ、ラン型下着と薄いセーター
だけになって冷たい風に当たった。
冷や汗も引き、だんだんと落ち着いたところで、腕まくりをして
自転車で帰った。
なるべく体を冷やしておこうと思ったからである。
体は冷やしたいが、耳は冷たいと痛くなる。
しかし、低血圧よりはまし。

もともと若い頃から140が普通の状態だったから、100とい
うのは、自分にとってはとても低血圧なのである。
もぐちゃんを迎えに行く前に血圧を測ったところ、100/72
だった。
ちょっと動いたり力んだりして血圧をあげてから迎えに行った。
しかし、帰宅後はさすがに立ち動く元気がなく、夕食はピザにす
ることになったのだった。

そうして、もぐちゃんの歯は抜けた。
抜いてくれと自分から言ったもぐちゃんだったが、抜いた直後は
若干パニクったようだった。
パニクったとき、てきぱきと対処法を指示して対処し、その後で
気持ちを受け止めてやり、そういうときはこうするのだとか、そ
れはこうした理由で起きたのだとかいうことを説明する。
今回も、まずはくちをすすぎ、血を洗い流してから歯茎の様子を
確認し、また本人にも確認させてこうなっているからもう少し食
べるのは後にしようと話し、血が止まったところで再び食べ始め
たのだった。

 指示を出す母の口調の冷たさに慣れないままで歯は抜けて行く(市屋千鶴)



2011年04月20日(水) 呼び出し

今週末に予定していた保護者会は、諸々の事情で延期することに
決まった。
いろいろと相談するために、グループ登録し一斉メールをする。
それぞれの意見を6人全員が共有するために、すべて一斉メール
でやり取りしている。
しかし、そのうちにまどろっこしくなって、直接電話してくる人
もいる。
話した内容はまた一斉メールでみんなに知らせる。
というようなことを、夕食の時間を挟んでやっていた。
メールが届くと、台所までもぐちゃんが携帯電話を持ってきてく
れるというお手伝い付きだった。

今日は元気に学校に行ったもぐちゃんだったが、2時頃学校から
電話があり、遊んでいて転び前歯を打って痛がっているとのこと。
ちょうど抜けかかっていてぐらぐらしている前歯を打ったために、
歯が動いて血が出たので少しパニックになったようだ。
保健室に迎えに行くと、先生から借りたタオルハンカチを口に当
てていたので痛いのかと思ったら、口が閉じられずによだれが出
そうなのでハンカチで押さえているのだと言った。
母のハンカチと取り替えて、学童に行きたいという気持ちはあっ
たようだがおやつだけもらって帰ってきた。

帰ってきたら、もう口も閉じられるようになっていて、ゲームを
やっている。
歯医者さんには行かなくても良さそうだ。
ぐらぐらしている歯の上の歯茎が、ちょっと紫になりかけてはい
るが、歯医者さんには行かないときっぱり宣言した。
これ以上いじられるのは嫌なのだろう。

今年最初の呼び出しだった。

 プルルルと固定電話のなるときは呼び出しなりと覚悟しており(市屋千鶴)



2011年04月18日(月) 歯医者の日

今日は「良い歯の日」だとか。
3ヶ月ごとに歯科の定期検診を受けているもぐちゃん。
3ヶ月前に、「良い歯の日」だからと予約の日を決めた
何週間か前に下の歯が抜けて(これで3本目)、今は上の歯がぐ
らぐらしている。
ぐらぐらしている歯は、歯磨きのときになかなかうまく磨けない。

今日は下の奥歯に小さな穴があいていると言われ、この歯は何回
か治療してもらっている歯で、少し削りますよと言われた。
助手の女性がバキュームを構えていたので、もぐちゃん大丈夫か
なと心配していた。
彼はバキュームの音とすわれる感じが嫌で、他の歯医者に断られ
たことがある子である。
今、診てもらっている先生は最初のうちは削らないで治療をして
くれていて、それがありがたかった。
この歯医者さんに通い始めて1年半。
そろそろ大丈夫かと先生も削ることにしたようだ。

いざ始まると、右手で先生の手を止めようとしたが、先生に優し
く何回か手を下ろすように言われたら、肘掛けまで手を戻した。
バキュームも嫌そうだったが、手を下ろした頃から我慢するよう
になった。
母はびっくりである。
先生もほめ、助手さんもほめ、母も大いにほめて、そうしている
うちに治療が終わった。
すごいすごいと本当にほめた。
歯医者から出たとき、「案外平気だったの?」と訊ねてみた。
「2年生だから、がんばったよ。」と答えた。
ますます偉いとほめた。

支援級では、1年生が3人入学してきて、1年生を挟むように2
年生2人の席が設けられている。
同じ教室に1年から6年までがいるという環境は、こういう成長
を見せてくれる。
学校ってすばらしい。

 目に見えぬ力となりて歳月は誰の上にも降り注ぐもの(市屋千鶴)



2011年04月17日(日) さくらひらひら

ここ最近の強風で、学校の桜もほとんど散ってしまった。

風の強かった金曜日、登校時に送って行った夫が、桜が散ってい
ると風の動きがよくわかるなあといいながら帰ってきた。
小さいつむじ風が見えるというのである。
たしかに、風の強い日は桜の花びらがくるくると回っているのを
良く見かける。

そして、妙に蒸し暑かった土曜日が過ぎ、今日はさわやかな天気
になった。
もぐちゃんはどこかに出かけたくはないのだろうか、と思い訊ね
たが、母が一緒でないと出かけないと昼前はそう言った。
このまま、一日家の中にいるつもりなのかしらと思っていたが、
昼ご飯を食べてから少しして父と子で出かけて行った。
町田に行こうと言っている声が聞こえたから、また町田に行った
のだろう。

町田と言えば、もぐちゃんは自由帳にオリジナルの路線図を書き
始めた。
路線の名前は「まちだせん」だとか。
支線として「ほんまちせん」というのもあるらしい。
学童で一緒に遊んでいる男の子(1年のときの交流級の同級生)
が自由帳に書いているのを見て、自分もと思ったのだそうだ。
家でもその路線はどんどん長くなり、月曜日にその子と一緒に見
せ合って遊ぶのが楽しみだと満面の笑みで話してくれる。

それにしても、「まちだせん」っていうネーミングセンスはどう
なのだろう。
途中の駅の名前は全国の駅名から好きな駅名を持ってくるので、
関西の駅と北海道の駅と関東の駅とごちゃ混ぜに並んでいる。
なんとも面白い路線になった。
電車の色とか型番とかも考えていて、えんえんと話してくれるの
だが、途中でさすがの母も何がなんだかわからなくなったりする。
こういう話、その男の子とは通じるんだろうなと思うと不思議。

 くるくると桜は舞いて目に見えぬ風の形を知らせておりぬ(市屋千鶴)



2011年04月13日(水) 桜並木

今日は、ちょっとした集いがあって、もぐちゃんと一緒に車に乗
せていただいて、友人宅へ。
その途中、すてきな桜並木があるというので、少し遠回りをして
桜並木の下を走ってくれた。
相模線の沿線で、とてもとてもきれいな桜並木だった。

そういえば、姉の家のある多摩ニュータウンにも桜並木があった。
生まれ故郷には人工湖があり、その周りにも桜並木があった。
母と二人暮らしになった年、夜の桜を見に母と二人で軽自動車に
乗って出かけたことがあった。
車のライトに浮かび上がる桜は、とても幻想的だった。
姉にも見せてやりたいと思ったものだった。

今日見た桜並木は、堂々としていて長く長く続いていた。
桜並木の下を行くのもいいが、遠くからの眺めもまた見事だった。

なぜ桜が好きなのだろうか。
そして、学校の桜が特別きれいに見えるのはなぜだろうか。
桜は、思い出とともにあるからこそなのかもしれない。

 さよならも初めましても聞きがなら桜はいつもそこにあるのみ(市屋千鶴)



2011年04月11日(月) 選挙の日と和尚さん

昨日は選挙の日だった。
午前中、学童保護者会の役員の打合せを行い、いったん帰ってか
ら三人で投票所へ。
未就学児の時は、一緒に投票所に入ることもできたが、小学生に
なると入れなくなる。
字が読めるようになるとだめなのである。
ひょいと書いた文字を読んでしまうと困るからねえ。
もぐちゃんは、保育園児でも字は読めたから、その時点で本当は
入っちゃだめだったんだろうなと思うのだが・・・・

投票後、そのままお昼ご飯を食べに行った。
久しぶりにインドカレー屋さんでおいしいカレーを食べた。
夫ともぐちゃんは、その足で散髪に行った。
二人そろって坊主頭になって帰ってきた。
なんとっ、二人とも一分刈りである。
もぐちゃんは子どもだから、きれいなくりくり坊主だねで済むが、
夫40歳の場合、それはいかがなものかとちょっと思った。
どうみても、和尚さんだ。
袈裟を着せたら似合いそうなのである。
インフルエンザ&中耳炎になる前に眼鏡を買い替えていて、夫に
とっては初めての黒いセルの眼鏡にした。
それがまた一段と和尚さんっぽく見えるのが不思議である。

今朝は、帽子をかぶって出かけて行った。
頭が寒いんだそうな。(笑)

もぐちゃんは、学校で朝からくりくりされていた。
一年のときの担当の先生は、うれしそうにくりくりしていた。
介助員さんにもくりくりされていた。
もちろん、他の子達も触りたがっていた。
面白いのは、本人も時々感触を確かめるように頭を触ることだ。
そして、着替えるときに頭で引っかかるのが、自分でも面白いと
思っているらしいこと。

さすがに夫40歳をくりくりする人はいないと思うのだが、それ
は妻の特権だろうか。(笑)

 父と子は同じ横顔見せながらゲームしており桜満開(市屋千鶴)



2011年04月08日(金) 強風

今朝も、強風の中、耳鼻科の順番を取りに行った。
朝起きたとこまでは鼻水も出ていなかったのに、順番を取りに行
ってから鼻がぐずぐずし始めた。
夫の耳鼻科は、また来週の金曜日にということだった。
最初の診察時に切開した右の耳はもうだいたい良いようで、左の
耳を重点的に治療とのこと。
シャンプーはこれまでドライシャンプーをしていたが、すっきり
しないらしく、医師に確認したところ、左の耳を押さえて水が入
らないようにしてならシャンプーオッケーということで、早速に
シャワーを使ってから出勤して行った夫。
少しずつ飲み薬も弱いものになったり減ったりしてきている。
中耳炎は治るまで時間がかかるので、気長に治さねばならない。

強風で、すぐ横のコインパーキングの説明書きの看板が傾いた。
たぶん、強風のせいだと思う。
車がぶつかったような音はしなかったから。
おじさん達がせっせと直していた。
それにしても、昨夜から風が強い。
寝ている間も雨戸がガタガタといい、風のせいなのか地震なのか
と迷ってしまうほどであった。
昨夜の地震では、わたしは目が覚めたがもぐちゃんは爆睡中。
少し長いゆったりめの横揺れを感じながら、ああまた東北で大き
な地震が起きたのだなと思った。
テレビをつけたら震度6強とあり、マグニチュードは7.4。
マグニチュード7クラスの地震が起きると、うちの辺りもこれく
らい揺れるのだなと思った。
大きな余震がまだまだ続いている。
ほんとに落ち着かない毎日だろうなと思う。
思うだけで、わたしにできることは義援金くらいなのだが、透析
患者にとって、災害時の身の振り方は他人事ではない。

持ち歩く鞄には、薬や障害者手帳や防災手帳やなんやかやと、最
低限必要なものが入っている。
学校の送り迎えなどのちょっとした外出にも、やっぱり持ち歩く
必要があるなと、強く思うこの頃。

 強風に押されて歩く母と子の手はつながない七歳の春(市屋千鶴)



2011年04月07日(木) スイッチ

今年の花粉はすごいぞと言われ続けているのに、一昨日の午前中
休みで張り切った夫が大々的に窓を開け放って掃除をしたらしい。
なんだか一昨日の夕方から鼻水が出た。
まあ、ホコリだろうと思って、昨日は洗濯物を外干しにした。
例年、桜が咲いたらわたしの花粉は終わりだったので、学校の桜
も見事に咲いたことだし、もう外干しオッケーかなと思ったのが
浅はかだった。

鼻水、出た。
くしゃみも時折。
やっと家族のインフルエンザが終わり、家の中でマスクをしなく
ても良くなったよと思っていたのに、夫の掃除とわたしの外干し
のせいで、家の中でもマスクをしなくてはならない状態に。(涙)

ちょっとだけ、夫がインフルエンザのなり始めがくしゃみと鼻水
だったことを思い出しいやな気持ちになったが、マスクをして寝
ている間は鼻水もくしゃみもでないので、やはり花粉だと判断。
花粉スイッチが入ると、温度変化でもくしゃみが出るので始末が
悪いのだ。
起きて布団から出るとくしゃみ。
台所に言って腕まくりした途端にくしゃみ。
まあ、ここ数年は楽な方だったので、今年くらいは我慢しよう。

春休みのある日、台所に洗いものがたまっていて、どれ洗いもの
をと思っていたら、もぐちゃんが自分も手伝うという。
こんなに多いときにか、と一瞬思ったがやってもらうことにした。
もぐちゃんは洗う係で、お母さんはすすぐ係ねと言って、一つず
つ、落としそうになる前に受け取る。
握力が弱めのもぐちゃんは、落とすのを心配していたが、「台所
のシンクに落としてもあんまり割れないよ、お茶碗同士じゃなけ
ればね。」というと、少し安心したようだった。

お皿、コップ、お茶碗、自分のお弁当と、いろんな形状のものを
洗っていって、「ぼく、上手になったでしょう?」と自慢げ。
確かに洗うのが上手になっていた。
うちでやらせた訳でもないのになあと思っていたら、支援級での
6年生のお別れ会でカップケーキを作った後で、一生懸命洗いも
のをしたのだそうだ。
そうかそうかと、うれしくなった。
その日は、もぐちゃんのお手伝いスイッチがオンの日だった。

 何にでもスイッチがあるわたしには君を忘れるスイッチはない(市屋千鶴)



2011年04月06日(水) 離任式

昨日は入学式で、とてもいいお天気だった。
昨年のもぐちゃんの入学式は、雨だったので少し羨ましいような
気持ちがした。

今日は離任式があって、10年間この小学校にいて、ここ5年間
は支援級の先生だった方が転任された。
穏やかな女の先生で、入学前に見学させていただいたときに応対
してくださった方だ。
もう1人、今年は教務主任という役職になって支援級から離れて
しまった男の先生もいて、その2人を見ていて支援級に入れよ
うと決めたようなところがあった。

その2人が支援級を離れてしまい、新しく支援級の担当になった
先生がもぐちゃんの担当になった。
昨年度の担当は、知的障害児童の担当となり、情緒障害であるも
ぐちゃんの担当ではなくなったが、個別学習以外は同じ教室で過
ごすので全く知らない先生ばかりになった訳でもなく、本人は意
外に落ち着いている。
交流級の先生も変わり、そちらへの挨拶はまだできていない。
昨年度の交流級の先生は、面白いことにまた1年1組の担任とな
り、同じ昇降口を使うもの同士であったり、昇降口のすぐそばの
教室だったりで、送って行くときにまたまた顔を合わすのだった。

保護者の方達からちらほらと聞こえてくる声は、2人がいなくな
ってしまって大丈夫かしら、というものだった。
ベテランが2人抜けるのは、環境に慣れるのに時間がかかる子ど
も達にとっては、多少心配な面もあるのだ。
特に、今年6年生になる子達の中には、転任された先生がずっと
見てきた子もいて、それはお互いに心配なのだろうなと思う。

転任の挨拶で、「支援級のみんなに優しくしてくれてありがとう。
これからも支援級のみんなをよろしくお願いします。」と半泣き
で6年生達に話すのを聞いて、思わずもらい泣きをしてしまった。

 挨拶が涙でかすれてしまうほど子らと教師の心つながる(市屋千鶴)



2011年04月04日(月) 昇降口

明日から新学期だというのに、いろいろまだ準備中。
2年生になっても、支援級の教室は同じなので登校は変わらない。
昇降口も同じだし。
他の子は、学年が変わると昇降口も変わる。
人数が多いので、教室に近いところに昇降口が何カ所もある。

わたしは農村の小学校出身で1学年1クラスだったし、昇降口は
体育館横の1カ所だけだったから、6カ所も昇降口があることが
はじめは不思議な感じがした。
しかし、そういえば高校のときは下駄箱は3カ所にあった。
まあ、女子は女子更衣室という別室をあてがわれていたので、そ
こで履き替えていたのだが。
最初の中学校は1カ所で、転校先の中学校は2カ所だったか。
うっ、転校先の中学校の間取り、忘れてしまっている。
教室と体育館しか覚えていない。
たった1年しかいなかったとはいえ、愕然。
小学校と高校のことは夢に出てくるほど良く覚えているのに。

よく夢の中に出てくるのは、高校の中央廊下。
試験の上位30人とか、入試の時期は合格者一覧などが張り出さ
れていたし、保健室や購買があった。
小学校は、正面玄関とそのすぐ横の階段がよく夢に出てくる。
そして、こうこうと小学校の二つが入り交じったような学校で、
なぜか高校の授業をしていたり、果ては何かのプロジェクト開発
をしていたりと、わたしにとって学校という場所がいかに大切な
場所であったかがわかるような夢ばかりである。

それにしても、昇降口という言葉は、学校でしか使わないのだな
と、久しぶりに学校に行き来する身になってみて再認識する。

 昇り降りするのはエレベーターくらい 大人な日々は機械頼みで(市屋千鶴)

昇ったり降りたりするのは、今まではエレベーターやエスカレー
ターのことだった。



2011年04月03日(日) 不穏

落ち着かない。
いつも元気な人が臥せっているって、どうしてこんなに落ち着か
ないのだろうか。

毎晩、夜中になると耳や頭が痛くなる夫。
別段わたしが何かできる訳でもなく、痛がったりトイレに起きた
りする夫の様子をただ見守るしかできないのである。
インフルエンザウィルスはもう抜けたのだろうか。
いつまで家の中でマスクをしていなくてはならないのだろうか。
何より、夫の眠れない夜はいつ終わるのだろうか。

わたしは、元気な夫にほんとに甘えっぱなしなのだなあと、認識
しなおす。
わたしの便りは今はまだ夫だけなのだなと実感。

落ち着かない。
少し寂しい。



2011年04月01日(金) おっと、中耳炎

今朝、夫の保険証を持って耳鼻科(内科や小児科もあり)に行き、
親切にも特別に、順番が来たら電話してもらうことにしていただ
いて帰宅。
なにせ、インフルエンザの患者で熱もあるという話をしたので、
順番が近くなって別室のベッドが空いているときに連絡しますと
いうことだった。
11時近くになって電話があり、いそいそと3人で耳鼻科にでか
けた。
夫は裏口から入って別室に通され、わたしはもぐちゃんと外でぶ
らぶらと遊んで待っていた。
1時間ほど経ったので、受付にどんな様子か聞きに行くと、会計
待ちだということだったので、夫をもぐちゃんと返し、わたしが
会計と薬待ちをして帰ることにした。

帰ってから夫に話を聞くと、中耳炎になってしまっていて、右の
耳はちょっと切って治療したとのこと。
薬もちょうど終わる頃だったということもあり、一新された。
タミフルを残して後は捨てて、新しく処方された薬を飲めという
ことだった。
がんばってしっかり食べて飲んでくださいと言われたらしい。
熱があるからと、たいしたものも食べないで薬を飲んで寝てばか
りいたので、やせてしまったのである。
おなかをこわしているわけではないので、お昼はサンドイッチと
イチゴヨーグルトを食べさせた。

点耳薬も処方されていて、耳浴という使い方をする。
薬をさしてから10分くらいそのままの姿勢でいるようにする。
それを両耳だと20分かあ、と夫は疲れたように言ったが、どう
せ寝ているのだから平気じゃないのと、薄情な妻は思うのだった。

耳鼻科の先生に、「痛み止めも出ているからそんなには痛くなら
ないはずなんだけどねえ。」って言われたと、不満気味の夫だが、
わたしは知っている。
夫が痛みにはめっぽう弱いということを・・・・
我孫子にいた頃、痔の痛みで救急車を呼んだほどの痛がりである。
だからって、夫を情けないと思ってる訳じゃないんだけどね。

まあ、人の痛みはわからないものだけど、間違いなく言えるのは、
夫には絶対出産の痛みは我慢できないだろうということだ。
女は痛みに強いって、本当にそうなんだなあと思う今日この頃。

 さまざまな痛みを知って母となり母性はすぐに痛みを忘れる(市屋千鶴)


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