夫のインフルエンザは耳の痛みに移行して、夜になると耳が痛く なり熱も上がった。 一晩中痛い痛いと息づかいも荒く、同じ部屋で寝ているわたしも なかなか眠れない夜だった。 深夜になって、冷やしたらどうかということになり、冷やしたら 少しは眠れたようだ。 耳鼻科に行かせようと思ったが、熱が38度あったし、心当たり の耳鼻科は3時間待ちは普通という大人気の耳鼻科なのである。 夫は、もう少し様子を見るよというので、わたしともぐちゃんは 夫をおいて透析と学童に出かけた。
わたしの病院では、先週のタミフル投与から1週間経つので、ま たもう1錠飲んでおきましょうと言われ、タミフルを1錠処方さ れた。 ネットで調べたとき、タミフルの予防投与は1日1錠を10日間 くらい投与するとあったが、わたしは1錠飲んだだけだった。 疑問に思っていたが、今日、透析患者は尿として排出されないの で1錠しか処方されないとのことだった。 たとえ本人がインフルエンザであっても、1錠なのだそうだ。 だからわたしにはもぐちゃんのがうつらなかったのかと納得して、 更に1錠と出してもらったのでちょっと安心。
帰宅すると朝よりは幾分良さそうな夫の様子だった。 熱も37度台だった。 耳の痛みも楽になっているらしい。 今夜も痛くなってきたらとりあえず冷やして、明日はわたしが耳 鼻科の順番をとりに行って、診察させようと思う。
明日まで、どんな変化を見せてくれるだろうか。
もぐちゃんは。明日から2年生になる。 わたしはと言えば、学童の保護者会の会長になることに。 会長が一番実務作業が少ないからということで、役員6名を割り ふっての結果だ。 まずは、4月下旬の保護者会総会の準備から。
「いればいい」そんな言葉をもらいつつ挨拶文を考えている(市屋千鶴)
夫の方が長引いているようだ。 はじめにくしゃみと鼻水がでたものだから、普通の風邪だと思っ ていたからだろう。 もぐちゃんの時よりもタミフルの飲み始めが遅かった分だけ、熱 の下がりも遅かったのだろうか。 喉も痛いし鼻もつまってるし、耳まで痛いと言い出した。 気遣う言葉もいらないらしい。 なにより、わたしにうつしてしまうのではないかという思いがあ るようで、近づかないようにしなさいと言われる。 子どもではないので、自分の面倒くらい自分でみられると思って いるからだろうが、妻としては気遣いたいし、何もしないでいる ととても薄情な気がしてくる。 が、離れていた方がいいのだろう。 本人も、多分初めてのインフルエンザで、そのしんどさに困惑し ているのかもしれない。 いつも風邪は鼻風邪で、あんまり熱を出したりしない人だから。
と、ここまでは今朝までの話。
もぐちゃんは春休みなので、わたしが透析の日だけ学童に行く。 今日は三人とも家にいるわけだが、2人は出かけた方がいいだろ うと思い、午前中は出かけていた。 ドーナツを買って帰宅すると、夫の体温は36度8分まで下がっ ていた。 お昼を食べて薬を飲んでまた横になっているが、朝よりは楽にな ったようだ。
もぐちゃんが熱を出した日にわたしは一緒にいた訳だが、翌日の 熱が出ているときに夫は一緒にいた訳で、わたしがうつらなくて 夫がうつったのはどうしてなんだろうと思う。 たった1錠のタミフルでそんなに予防効果が継続する訳ではない ので、きっともぐちゃんとの接し方に違いがあったのだろう。
あとは、わたしがうつらなければいいのだ。
世の中の流れをチェックして暮らす ファッション・グルメ・インフルエンザ(市屋千鶴)
インフルエンザ発症から5日が過ぎて、平熱に下がってから2日 が過ぎて、昨日は2人で出かけた。
ヨーカドーに行ってみたが、ゲームの体験版は電源オフ状態。 節電中であった。 2人でゲームコーナーのリズム天国をやって、お昼ご飯を食べに 行くことにした。 お別れ遠足で、デ○ーズで食べた中華めんがおいしかったからと、 今日はデ○ーズでお昼にすることになったがのだが、大震災後の あれやこれやでメニューがいつもどおりではなく、限られたもの になっていたため。中華めんはなかった。 仕方がないので、ハンバーグを食べて帰ってきた。 きっと、他のファミレスに行っても、同じようにメニューに限界 があるのかもしれない。
日曜日から、やけにくしゃみと鼻水が出ている夫だったが、昨日 はなかなか寝付けずに、苦しそうだった。 今日、わたしともぐちゃんが出かけてから、医者に行ってきた夫 だが、夫もインフルエンザB型だった。 もぐちゃんの面倒をみてもらっていた木曜日にうつったのだろう。 もうわたしはタミフルの予防投与はしなくていいやと思った。 もぐちゃんの発熱時に一緒にいたがうつらなかったし、マスクし て気をつけて接していれば大丈夫かもと思う。 なったらなったで、そのときはそのときだ。
ともかく、早く熱が下がってくれればいいのだけれど・・・・
一昨日の更新の直後である。 もぐちゃんが寒い寒いと連発するので、体温を測ったら37.8。 翌日はかかりつけのお医者さんが休みなので、早速診察してもら った。 念のためとインフルエンザの検査をしたら、なんとB型であった。 えーっ! と驚きながらも、自分に移らないかと心配する薄情な 母である。 すぐにタミフルを処方してもらって飲ませた。 体温は38.7くらいまで上がったが、昨日には下がり、今日は 朝から36.6度で、食事も昨日の夕食からしっかり食べている。 タミフルって、効くんだなあと感心している。 一応、予防薬として、わたしは昨日の透析後に1錠飲んだ。
わたしも夫も予防接種を受けたが、もぐちゃんは受けようとする と具合が悪かったりで、受けないままになっていたので、今にな ってかかっているのである。
昨日は交流級でお楽しみ会があって、それに出られなくてとても 残念がっていた。 今日は修了式。 今日付けで離任される支援級の先生に、さよならが言えないねと 悲しそうなもぐちゃんだった。
もぐちゃんの荷物や通知表をもらいに、朝学校に行ってきた。 交流級の先生も渡すものがあると顔を見せてくれて、お世話にな った先生方に深々とお礼を言って帰ってきた。 交流級の先生を、「こわくてやさしい。おかあさんみたい。」と 評したもぐちゃんである。 きっぱりとしていて心遣いもあって、叱るときはぴしっと叱り、 どこが悪かったのかをみんなにも説明する。 それを見ていて、他のみんなもしてはいけないことを覚えるとい うことらしい。 昇降口に一番近くに交流級があるので、毎日学校に送って行くと 先生もよく見かけるし言葉も交わす。 交流級の懇談会には顔を出せなかったが、日常の中で言葉を交わ す機会に恵まれているのは、支援級に送って行くおかげだと思う。 わたしが生徒でも、きっとこの先生が大好きになっただろうなと 思う先生である。
最後の最後でインフルエンザになったもぐちゃん。 彼の1年生生活は、おたふく風邪に始まりインフルエンザに終わ ったような感じである。
「こわくてもやさしい先生なんだよね。」母のようだと息子は語る(市屋千鶴)
先週からの計画停電を受けて、わたしが通う病院では当分の間、 3時間透析にする方針を発表した。 昨日までは、3時間透析だった。 いつも4時間で引いていた増加分の水分を3時間では引けないと いう人もいて、いくらかの水分を残しながらの透析が続いた人も いる。 たとえ水分は引けたたとしても、血液の透析そのものが半端な気 がして、なんだか汚れが残っているような気持ちになった。 そういう気持ちになったのはわたしだけではないらしく、次回か ら4時間透析に戻しますという発表をみて、斜め前のベッドの方 が言った。 「良かったわ、4時間になって。 3時間だとなんだか汚れてるみたいで。」と。
わたしのように体格のいいものは、血液量も多いのだから、週に 1回くらいは5時間でもいいかもと思っているくらいなので、3 時間というのはいつも以上に毎日の生活に気を使う。 それでも、透析ができるだけありがたいのだと思った。
もし透析中に地震が来たら、腕につながっている2本のチューブ をぎゅっと握りしめ、透析機をがっしりとつかんで揺れがおさま るまで耐えるしかない。 チューブが抜けたらそれで終わりだ。
すっかり慣れてしまって、その大事さを忘れてしまっていたが、 透析しながら生きているということは、よく考えてみたら、毎回 が命がけなのだった。
左手のチューブ2本を握りしめ誰もが命がけだと気づく(市屋千鶴)
揺れは長かった。 まだ終わらないのかと1人で壁に手を突っ張りながら思っていた。 生まれて初めての揺れを経験して、直後は電話も通じたので、す ぐに迎えに行きますと学童に電話しながら、少し手が震えていた。 もぐちゃんを迎えに行くと、興奮気味にどこでどうしていたかを 話してくれた。 元気だった。 自転車を押しながら2人で帰る途中、また大きな揺れが来た。 このときは茨城県沖が震源の揺れだった。 もぐちゃんは標識につかまり、わたしは自転車を支えていた。 一度家に入ったが、もぐちゃんが外にいようと言うのでしばらく 外にいた。 夫は、電車がすべてとまってしまい、帰って来れなかった。 翌日、もぐちゃんを知り合いの方に預けて透析に行った。 夫はわたしが帰宅した頃、午後2時過ぎにやっと帰宅した。
津波の映像を見たときの衝撃。 言葉にすると陳腐になってしまう思いの数々。
3月は用事が多い・・・・ような気がする。 なんとなくせわしなく感じる。 12月のせわしさとは違って、ちょっとふわふわした感じの。 浮き足立っているとも言えるかもしれない。 卒業式の話を耳にしたり、最後の個別面談があったり、支援級で のお別れ遠足やお別れ会があったり。 別れと出会いの春が近づいていることへの寂寥と期待感だろうか。
ことごとく部屋干しの毎日だが、上履きだけは外に干す。 最近の上履きは汚れがつきにくいので、ゴムっぽい部分や靴底を しっかり洗えばあとは簡単なのである。 そのうちにもぐちゃんは自分で洗ってくれるようになるかもしれ ないことを期待して、まだまだ母の係である。 わたしが小学生の頃は、自分で洗っていたように記憶している。
以前、新聞で高校の床を土足にして、下足箱をなくしたらどうか という投稿があって、上履きを洗う手間も省けるとあった。 しかし、その投稿は母親からのもので、高校生で上履きを母親が 洗ってやっているのだなと思った。 何日か後に反論の投稿があって、下駄箱が地震で倒れたりしない から安全ということもいえるが、靴を履き替えるという日本的な 習慣も大切だろうと。 そして、上履きを洗うのも勉強ではないかと。
そうそう、とわたしは思った。 高校生なら、上履きくらい自分で洗わせたらどうだろうかとは思 っていた。 人様の家のことをとやかく言うのもなんだが、家の手伝いはしま しょうって、小学校のうちから、いや保育園のころから指導され るものだ。 何も、家族全員分を扱うような手伝いでなくても、せめて自分の ものは自分で片付けたり洗ったりできるようにはしたいと思う。 学童で使っているコップは、学童でジュースやココアを飲んだ後 で、自分で洗っている子もいる。 もぐちゃんもだ。 家では、食事の後の食器の片付けくらいしか手伝わないが、学童 で使うコップは自分で洗って持ち帰る。
自分のことは自分でやりたがる時期に、その芽を摘んでしまって はいけないのだと思う。 わたしは、台所を手伝おうとして、祖母に邪魔だと言われてから 手伝わなくなった。 確かに大人がやって方が手っ取り早いから、祖母が邪魔だと思っ たのもうなづけるが、それが続けばもう手伝う気持ちにはなれな いものだ。
もぐちゃんには、だんだんと家の手伝いも毎日やれるものを割当 ようと思っている。 今はまだ、雨戸を閉めるくらい。 次は玄関掃除を、と思っている。
午後の陽のぬくもり残る夕暮れを取り込むように雨戸を閉める(市屋千鶴)
昨日の午前中は、学童の説明会だった。 その後の保護者会の役員選びで、新2年生の役員になった。 保育園から一緒の方で、お互いにこの方と一緒ならと思ってのこ とだった。 年に4、5回の打合わせと3回程度の行事があるとのこと。 詳しい引き継ぎと役員割当は、また後日といわれて帰宅した。 昼ご飯を食べて、南大沢でのぷらむ短歌会に出発。 昨日は3時半頃で帰らせてもらった。 一日中家を空けてしまうのは、すまないような気がして、という より自分自身が少し寂しくて、夕方には家に帰れるようにした。
土曜日。 追加カードを買ってきてもらったので、初めてセットの3組のカ ードを2人分に分けて、いろいろ追加したりして新しいデッキを 構築(構築というほどのものでもないが)した。 夕食の支度を夫がしてくれている間に、わたしともぐちゃんは仕 分け&お試しバトルをしていた。 日曜日。 母がいない午後に、もぐちゃんは父と新しいデッキでバトルして いたようだ。 母には簡単に勝ったが、父には勝てなかったようだ。 やはり、ゲームは父が最強か。
今日は朝から雪になっていて、花粉対策とは別の意味で家に引き こもっている。 登校班で待ち合わせしている間にみぞれから雪になり、歩きなが らテンションが上がってしまう母なのだった。 つられてもぐちゃんも、教室に行ってからややテンションが高め で、今日は月曜日だからねと、先生に微笑まれてしまう。 雪でびしょびしょになってしまった児童のコートを、窓際にかけ てくれていた先生方。 こんなところが、少人数である支援級のうれしいところ。
大粒の白きかたまりおちてきて傘を持つ手に主張している(市屋千鶴)
昨日の晩ご飯は、久しぶりにもぐちゃんと2人での外食だった。 小さな丸い鉄のかたまりの上でジュージューとビーフハンバーグ を焼いて食べた。 もうすっかり一人前をぺろりと食べてしまうもぐちゃん。 ほんの少しご飯を食べてあげただけだ。 帰り道、おいしいにおいがまだ残ってるねと言い合いながら帰宅。 これを残り香というのかどうかはさておき、肉の焼けるときの油 のにおいとたれのにおいが混じるとおいしそうなにおいになる。 「久しぶりだったね、結婚記念日以来だね。」と微笑み合う2人。
今朝夫に報告すると、特別な日にしか行かないようにしたんじゃ なかったのかなと言われた。 特別な日。 そうそう、一日遅れのひな祭りです。 っていうのは、だめかな。 しかし、2人でお腹いっぱいになって、宅配ピザ1枚よりも安い んだなと感心した。 先週の宅配ピザが、すごくもったいなく思えてきた。 なんだか、とても小さな後悔である。(苦笑) 宅配ピザも、夫の夜食なったり翌朝まで食べたりして、それはそ れで満足だったのにね。
明日は、午前中が学童の説明会で、午後からはぷらむ短歌会。 一日中いない母である。 今日はもうすでに、ポ○モンカードバトルでもぐちゃんと3回戦 った。 今は夫と2人で、追加カードを買いに行っているもぐちゃん。 おかずになるものを何か買ってくるねと言ってでかけたので、わ たしはご飯を炊いて待っているだけなのだ。 穏やかな夕刻。
午後五時のチャイムがなって夕焼けに一条の雲ふるわせている(市屋千鶴)
今日は学校から借りている本を返す日なのに、持っていくのを忘 れた。 しかし、そのおかげで4時間目の図書の時間に交流には行きたく ないと言っていたもぐちゃんが、本を忘れたので図書はあきらめ るという結論になり、国語の交流に行くことになった。 今日の交流は、朝の会と音楽と国語である。 水曜日は、5時間のうち4時間を交流にした。 交流にしなかったのはパソコンの時間だった。 これは譲れないらしい。 昨日は2教科、今日も2教科である。
図工も普通級でやることが多くなり、毎月のカレンダーができて いないようだ。 1年生は、入学式のときに飾られる大きな絵をグループで作って いる。 支援級の先生いわく、 「ちょっとがのぞいたら、リーダーって呼ばれてたんですよー。」 なんだか知らないが、全体を眺めて足りないものを考えてチュー リップを追加することに決めたりしていたらしい。 昨日の朝、教室の外に貼ってあって、ちょうど普通級の担任の先 生がいて、チューリップはうちの子の発案だと教えてくれた。 ちょっとうれしい母である。
先日、2年生や3年生になってから、みんなと一緒の教室でやり ましょうと言われたらどうするかと訊いたら、支援級がいいと即 答した。 やっぱり交流は交流、支援級に帰ってきてほっとしたいのだなと 思った。 小学校の間はそれでいいのかなと思う。 小さい頃に楽しく学ぶことができたら、誰にとってもそれが一番 いいのだと思う。 もぐちゃんが、学校が好きと言っているのがうれしい。
わかるって面白いことできるって楽しいことと知った喜び(市屋千鶴)
ちょっと頭が短歌脳じゃなくて子育て脳になってるな。(苦笑)
今日はひなまつり。 透析後に食べる病院の食事も、ちらし寿司だった。 おひなさまは、もぐちゃんが学校で作ったおひなさまである。 晩ご飯は、ちらし寿司にしたらもぐちゃんが食べられないので、 普通のメニューだ。
いつも学校から持ち帰るファイルには、先生が学校での様子を書 いてくれているのだが、火曜日の分が一日遅れで昨日書き込まれ ていた。 先生が書くよりも先にもぐちゃんがしまってしまったかららしい。 で、そこには「お友達にいやな言葉を言っていることが多くみう けられました。」とあった。 本人に聞いても、何と言ったかはもう覚えていないらしい。 たぶん、「ばか」とか言ったのだろう。
対応は一日遅かったが、昨日の町田の男の子の話をもぐちゃんに した。 もぐちゃんはそれは言ってはいけない言葉だということは認識し ていて、真剣に話を聞いてくれた。 しかし、他人にひどい言葉を言ってはいけないということを、ず っと意識の中においておくまでには、まだ何度も繰り返し言い続 けていかなくてはならないのだと思う。 周りから影響を受けやすい子だから、つられて言ってしまうこと もあるかもしれないし、ほんとにこれは継続の力に頼るしかない。
よちよち歩きの頃から、何度も何度も言い聞かせて、母親と2人 の時は母親からあまり離れないで歩いてくれるようになった。 走れない母は、駆け寄って助けることができないから、手の届く ところにいてねと、何度も何度も。
言葉の力、言葉の大切さを、どれだけ言い続ければわかってもら えるだろうかと思うが、それでも言い続けるしかないのである。 自分で推し量って考えられない限り、言ってはいけない言葉が確 実にあるということを、社会のルールとして身につけさせなくて はならない。 それが先に死んでいく親のつとめなのだと思う。 命を軽んじるような言葉を使ってはならないのだ。 命の重さや長さをとやかく考えなければ、ただ一点、生きている ということだけは平等か。
誰にでも平等にありただ一つしかないものが命なのだと(市屋千鶴)
今日は、午前中お母さん方の集いに参加。 今日の参加者のお子さん(小学校2年生男子)、自閉症。 クラスの4分の1に毎日ひどい言葉を投げかけられているという。 「死ね」「自殺しろ」「きもい」「どこかに消えろ」などなど。 彼は、一緒に遊びたい女の子がいて、その子に遊ぼうと言ったら、 その子の仲良しの女の子からこう言われるようになったのだとか。 それ以来、他の子もまねしていってるらしい。 「きらい」と言うのと同じように、たいした意味も考えずに使っ ているのだろう。 「自殺しろ」は2年生、8歳の子どもが思いつく言葉ではないの ではないか。 誰かが身近で使っているか、どこかでその言葉を耳にしたときに ショックを受けて身に付いてしまったのか。
毎日言われ続ける彼は、それを嫌だとはなかなか言わない。 言い出すときは、いじめがなくなるまでは学校に行きたくないと いうところまで追いつめられたとき。 1年生のときも5月から3月までほとんど学校に行けず、2年生 になって行けるようにはなったが、夏頃から毎日言われ続けてい たようだ。 先生に相談しても、乱暴な子への対応はすぐにするのに、こうい う事柄への対応はなかなか動いてくれないらしい。 全体に対して注意したと言っても、そういう言葉を言っては行け ないので、今度言っている人を見つけたらお家の人に言いますと いうような指導では根本的な指導とは言えない。
その学校(他市)では、近々保護者会があるというので、参加し ていた他のお母さん達から、いいチャンスだから誰が言ってると かは言わずに、こう言われてとても傷ついているし、そういう言 葉を言っている子のことも心配なので、言葉の意味や重大さ、命 の大切さについて、もう一度話し合って欲しいというような提案 の形で発言してみようよと助言。
他にもいろいろと話は尽きない。 今日もしゃべりすぎたかもしれないと、若干反省。
「君は君、たった1人の大切な存在なのだ」と言われたいのだ(市屋千鶴)
きっと、誰もが求める言葉。
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