明けましておめでとうございます。 ぼちぼちのこうしんではありますが、今年もよろしくお願いします。
若い頃、いつか誰かの「特別」になりたいと願っていた。 子を持って、あの頃すでにわたしは母の特別な存在の一人であっ たことがわかった。 小さい子供は、皆かわいい。 が、自分の子は特別である。 そして、子から見た父や母もまたすでに特別の存在なのである。 生まれた瞬間から、人は誰かの特別な存在であり続けるのである。 そんな当たり前のことに気付くのに、何十年もかかったのだ。
子供を産むということは、体の中にその特別な存在を抱えていた ということ。 母親の体から切り離された時からその存在は光を増し、母親自身 も子供にとって特別な存在であることを意識しはじめる。 親になるということは、誰でもが特別の存在であるということを 自覚する一番の近道なのではないかと思う。
決して母親の力だけでは生まれることは出来ないのである。 子もまた必死に生まれようとするからこそ生まれるのである。 親が勝手に生んだわけではなく、子もまた生まれようと必死であ り、生きようと必死なのである。 若い世代にこそ、妊娠・出産の不思議を知って欲しいし、懸命に 産み、そして自らも懸命に生まれてきたことを知って欲しい。
いうことをきかない時、お店の前で泣き叫んで困らせる時、親が どうしても許せないことをしてしまった時、一瞬子どもを突き放 してしまいたくなることもたくさんある。 しかし、どんな一瞬も自分達家族に与えられたものであり、そこ にはちゃんと意味があるのだろうと思う。
困らせる子どもを一歩引いて見てみると、親自身の問題が見えて くることもあったりして。 いろいろ教えてくれるのは、自分達の特別な存在だからだ。 自分達の、母親の気持ちを素直に反映させてしまう特別な存在だ からだ。
全ての人が誰かの特別な存在だということを、今年は思い続けて 行こうと思う。
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