今日は通院日。 検査の結果は予想以上に悪かった。 次回の診察日の前に、心臓と血管のエコーをとって、診察日には 心電図をとる。 透析に対応できるかどうかを、確認するためだ。 そして、検査の結果をみてシャントを作る時期の相談をしようと いうことだった。
自分が人工透析することになるというのが、すごく現実味を帯び てきた。 頭ではわかっていても、帰りのバスを待つ間、泣きそうになった。 本当はとても怖いのだ。
もぐちゃんを引き取りに行った時に、そういう話をしたが、その 時は涙ぐむことも無く話をすることができたのだった。 が、その後、保育園に行って一時保育の申込みをしようとして、 ベテランの保育士さんの優しい声を聞いたら、涙が出て話せなく なった。 「本当はすごく怖いんです。」というのがやっとだった。 少し話をして、とりあえず次回の検査の日に一時保育の予約をし てきたのだった。 話をしていたら、自分もだいぶ落ち着いてきて、もっと早くから 保育園を頼れば良かったなぁと思った。
帰宅した夫に、もっと前から一時保育で預かってもらっていたら 良かったかねぇと話したら、援助会員さんのお宅に預かってもら うのは確かに保育園よりは高くつくけれど、その間にもぐちゃん はいろいろと保育園とは別の出会いがあったわけだし、それでい いんじゃないかと言ってくれた。
次回の診察日は、4月の19日。 どういうことになるのかは、それまでの暮らし方次第なのか。
日記の更新を怠って、もう一か月が経った。 気が付いた時、「うわっ!」と思った。 花粉症が始まると、やっぱりなかなか落ち着かないものである。
もぐちゃんに、初めてリュックを買ってあげた。 ポケモンボールのデザインのもので、手ごろな大きさだと思う。 が、これをきっちり背負って走ると、転んだ時に反動で頭が押さ れて、唇を切りやすいことが判明。 肩ひもを緩めにして背負わせることにしている。 走り回る三歳児のハンデに少しでもなればと思ったのだが、それ ほど苦にもせずに背負ったまま走り回るし、平気そうである。
今月四日に、叔父が亡くなった。 ガンで一年以上頑張った末のことだった。 病気が判明した時にはもうすでに手遅れで、自宅で療養しており、 年内保つかどうかと言われていたが、年を越して二か月。 臨終の際には、息子も娘もその場に居合わせることはできなかっ た。 息子一家はその前日に会いに行っていて、当日は仕事にでていた のである。娘一家はアメリカからすぐには帰国できないし。 が、わたしの姉一家や従姉一家、もう一人の叔母夫婦達が 看取ったのだった。 六日のお通夜に参列したが、場所が八王子市だったので、夕方に もかかわらずくしゃみ連発で、すこぶる目がかゆかった。 おまけに、久しぶりに履いた靴で靴擦れして辛かった。 三人で出かけたのだが、もぐちゃんはじっとしていられずに、夫 とわたしと交代でもぐちゃんの相手をしながらのお通夜だった。 四十九日には、わたし一人で行くことにした。 三人で行くと、何かと気になって、叔母達やいとこ達とゆっくり 話が出来ないからである。
そういえば、姪が今度結婚相手を両親に会わせるらしい。 それもたぶんわたしが一番最後に知ったのだろうと思う。 こういうときでないと、身内の情報を得ることができないのが、 なんだか情けない。
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