先々週末というと、関東地方で雪が降った週末。 「ゆき」という言葉を発することができるようになって、初めて の雪体験をしたもぐちゃんである。 慎重派のもぐちゃんは、雪の上を歩いたりはしないのだった。 日曜日には夫と散歩に出かけたのだが、雪のある所では抱っこを 要求したらしい。 わたしはというと、雪の降りしきる土曜日に、蓄尿の検体を病院 まで持参し、帰りにクイックマッサージを受けて帰った。 20分の予定が、気持ち良かったので10分延長した。 かなり固いですねと言われた。 気持ち良かった。ぽかぽかした。 ああ、また行きたい。
木曜日は通院日だったのだが、病院から帰ると、開けた窓に夫と 二人で座ってひなたぼっこをしていた。 おかげで金曜日と土曜日の午前中は、一人で窓を開けて外を眺め るようになってしまって、止めさせるのが大変だった。 リビングの窓は床までの窓で、窓の外にはベランダなどの足がか りが無い。 もぐちゃんは慎重派だから飛び出したりはしないが、ぐらついた ら落っこちてしまう。 夫と二人で考えた結果、「とうせんぼくまさん」(商品名)の棒 を窓枠と鍵の部分に突っ張ってみた。 これで窓の鍵が回せなくなってしまうので、あきらめてくれた。
あとは特に変わったことは無いのだが、夫が家にいる時はずっと 夫にくっついているような状態で、さらに若干興奮状態でもあり、 いつもよりもかなり激しくぎゃーぎゃー叫ぶことが多い。 時々、聞いているだけで疲れてしまうこともあり、わたしの様子 の変化に気付いた夫が、もぐちゃんを連れて外に遊びに行ってく れたりする。 ほっとする反面、ちょっと物足りない時間。
週に数回、電車乗りに出かけているのだが、今日は辛かった。 東林間駅のホームに降りたら、日なたがほとんどなくて寒かった。 加えて、中央林間と南林間の間の踏切で人身事故が発生したとか で、いつになったら電車が来るのかわからないという放送。 ベビーカーのもぐちゃんと、日なたを求めてホームを行ったり来 たりしながら、先に来そうな方のホームに行くことにした。 本当は、江ノ島方面に行く予定だったのだが、30分近くも駅に いたために昼食の時間になってしまい、早く暖かい所で食事をし たかったのである。
電車は、上りも下りもほぼ同時にやってきたが、相模大野方面に 乗った。 相模大野で食事を終え、おむつも替えて、さあ帰ろうと駅に向か っていたら、年配の女性に呼び止められた。 名刺を見ると、「子供モデル〜」とかが見えた。 どうやら、もぐちゃんを見初めたらしかった。 パンフレットを見てもらって、良ければ面接に来て欲しいと言わ れたが、断った。 凛々しい顔をしているから、いいと思ったんですよ、と言われた のはうれしかったが、そういうのはきっと夫も賛成しないはずだ と思ったし、わたし自身もあんまり好きではない。
夫には、メールで報告した。 そう、褒められたことをね。
最近、出かけるとすぐに抱っこをねだるなぁと思っていたら、靴 が小さくなっていたのだった。 昨日、電車乗りをかねて鶴間のオークタウンまで出かけ、新しい もぐちゃんの靴を買った。 が、ベビーカーに乗せたまま履かせてみたのと、実際に立って履 かせたのとでは違うのだった。 靴は、0.5センチ大きいのを買ったのだが、自宅に帰ってから メジャーで足を測ってみると、どうやらさらに0.5センチ上の 感じなのであった。 買った靴を履かせてみたら、裸足で丁度いいようにも思えてきた。 良かったよ、高い靴を買わなくて、と思ったりもした。
そこで今日は、近所のヨーカドーでまで再び靴を見に行った。 新しい靴で出かけたのだが、ちゃんと往復とも歩き通した。 近所のヨーカドーでは、そこそこの値段の靴しか置いていなかっ たので買うのは夫に相談してからにしようと思い、キッズランド で遊び、パンを買って帰ることにした。 買ったパンの袋をしっかりと握りしめながら歩いて帰った息子。 アパートの前まで来たので手を離したら、走り出した途端にこけ てしまった。 パンの袋をしっかり握りしめたままだったので、指を少し擦りむ いて泣いた。 パンの袋を持っていなければ擦りむかなかったのにねぇ。 ごめんごめんと、謝りながら手を洗ったら、血も出ていなかった。
パクパクとパンを食べたら、すぐに昼寝に突入してしまった。 歩かせるのはいいことだ。 靴は、やっぱり大事だなぁと実感。 小さくなった靴が歩くと痛いのだと早く気付かなくて、ごめんね。
わたしは、父のことは理解できるし、納得もしてはいる。 父が母と相性が良くなかったことも認めるし、父にとって今の奥 さんが良いパートナーであることも認める。 父の性格もよく分かっているし、その性格ゆえに抱えた負債のこ とや失踪というその解決方法もなんとなく理解できる。
しかし、頭では理解できても、感情ではやはり許せないのである。 親は敬うべき存在であるということや、親が有って自分の存在が 可能になったこともわかりきったことではある。 それでも、やはり父をすっかり許してしまうことはできないので ある。 許すということは、どういうことなのか。 被害を被ったという時点で、立場が上になるのだろうか。 許すという言葉には、立場が上のものが下のものの過ちを認めて やるというニュアンスがあるような気がする。
わたしが父を許せないのは、許してしまったら、父のために苦労 した母に申し訳ないような気がするからだろうか。 もし母がまだ生きていて、父のことを話し合いことができたなら。 母の本音を聞くことができたなら、父を許すことができたのかも しれない。 しかし、母とそういうことを本音で話し合う前に、母は逝ってし まった。 わたしは、踏んばって子供を守ってくれた母が大好きである。 だからこそ、父が許せないのだと思う。 自分にとっては父は、無くてはならない人ではなかった気がして いたから、父が自分達より今の奥さんを選んだことについては別 にどうということはない。 だが、母に与えた苦労を思うと、それが悔しいと思う。
きちんと母に謝って欲しかった。 それがわたしが父を許せない、ただ一つの理由なのかもしれない。 16年以上経つというのに、わたしは亡くなった母の笑顔にまだ 縛られている。
最後まで笑顔ばかりを子に残し逝きし吾が母 あなたが恋しい(市屋千鶴)
今年、最初にがっかりしたことは、年賀状に関してだった。 ぷらむで一緒の時に年賀状をいただき、喜んでお返しの年賀状を 出したりした昨年初だったが、ぷらむ短歌会が閉会となったため か、年賀状が来なくなった人がいるということ。 やはり、東さん目当てで集まっていた人がほとんどだから、個々 の付き合いが深いわけではなかったということだ。 人間関係とは、そういったもの。 ずっと年賀状をくれるのは銀行員時代の友人や後輩である。 それと、専門学校時代の一番仲が良かった友人二人。 転職後にお世話になった人生の大先輩お二方。 同窓会でお世話になった、小中学校の同級生(地元在住の幹事)。 高校の同期の女性。 あとは、親戚。
話は変わって。 今年から南大沢公民館で続ける短歌の会は、手続きの都合もあり、 これまで通りの名前で公民館を予約する。 しかし、中身はと言うと、素人が集まっての短歌の集いといった 感じになる。 わたしにとっては、2か月に1度であっても、自分だけの時間を 楽しむことのできる数少ない機会なので、顔なじみのみなさんと 短歌についてあれこれ話したりするのは大事な場所である。 まあ、どんな風になるのかは、やってみないとわからないのだが、 集まる機会を設けないとなかなか短歌が作れないのとおっしゃる 方もいて、細ほぞとでも続けていくことに意味があることもある。
一年の最初の決まり 変わり行く我の姿を友に知らせる(市屋千鶴)
息子と一緒に撮った写真を印刷するのは、忘れてないでいて欲し いからだろう。
年が明けて、もう既に十日が過ぎてしまった。
今年もこんな調子ですが、どうぞよろしく。
正月三が日、二日までは家でごろごろ。 三日に東林間神社に初詣に出かけた。 もぐちゃんは、初めて歩いての初詣。 (昨年は雪が残っている中を、ベビーカーで出かけたのだった。) ちょっと固まりながらの初詣だった。
七日には、わたしの身内が集まっての新年会だった。 アメリカから従妹一家がやってきていて、久しぶりに幼児三人が 走り回る宴会になった。 アメリカの子達は、上が女の子で四才。 下が男の子で、二才四か月。もぐちゃんより四か月早い。 二人とももぐちゃんを上回るやんちゃぶりで、もぐちゃんは二人 に振り回されているといった様子だった。 特にお姉ちゃんのほうは、弟よりも素直に言うことを聞くので、 もぐちゃんを連れ回すのであった。
さすがに、幼児三人が走り回り、そのうちの一人がわが子である 場合は、宴会をしていてもほとんど話もできない状態だった。 なんだかやっぱり息子の行動が気になるし、常に目で追っている ような状態だったから、余裕が無かったのである。 昨年の夏の宴会の時は、まあそこそこ話をしている余裕はあった のだから、やはり幼児複数の相乗効果によりハイテンションには 要注意ということだろう。 (いろいろ話したいこともあったのだが。)
子育て中の女性が、世の中から置いていかれるような気がすると はよく聞くことではあるが、わたしの場合、うっかりしていると 身内の話題からも置いていかれるのであった。 電話しにくいということも有って、わたしへの情報は、なかなか 伝わって来ないのである。
まあ、わたしの性格にも問題はあるのかもしれないのだが。(苦笑)
今年の目標は、「人付き合いを大切に。」にしようかなぁ。
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