鶴は千年、生活下手

2005年02月28日(月) 防ぐ

わが家のテレビやビデオは、コーナーラックに乗っている。
テレビの下の棚には、扉が無い。
テレビの下には、ビデオとプレステ2が置いてある。
もぐちゃんのいたずらからビデオを守るために、防御策を検討し
た結果、100円ショップでネットを2枚とジョイントを購入し
てきた。
2枚のネットをジョイントでつなぎ、片方をテレビの下に入れて
しまうのだ。
ジョイントがテレビの前になって、もう1枚のネットがそこから
ぶら下がる形になる。
テレビ台の下の方(ぶら下がったネットの下端に当たる位置)に
コードクリップを貼り付けて紐を引っ掛ける。
その紐でネットを縛る。
紐ほどき防止のため、紐とネットをダブルクリップで一緒に止め
るようにする。
ビデオの出し入れや、ゲームディスクの入れ替えの際は、コード
クリップに引っかけた紐を外して、ネットを持ち上げる。
ネットなので、リモコンもOK。

もぐちゃんは、何度かネットを外そうと試みたが、ネットが動か
ないのであきらめたようだ。

また、同じコーナーラックに夫とわたしのCDを並べていたのだ
が、それももぐちゃんに荒らされていて、CDを出してはそれに
乗るので、CDケースにひびが入ってしまっていた。
これも100円ショップで購入したCD入れに入れて、手の届か
ない場所に置くことにした。
しかし、それでは遊び道具がなくてつまらないだろうと、3枚で
100円のCDケースを2セット購入し、棚に並べてある。
また、どうでもいいCDも入れたままにしてある。
その他、もぐちゃんには開けられないだろうと思われるケースで、
なおかつ乗っても壊れなさそうなものは、そのままおもちゃとし
て棚にいてもらうことにした。
たとえば、宮崎アニメのビデオ(未開封)とか、DVDなどなど。

日曜日の午後、100円ショップに行って帰って、それから夕食
までの間、リビングを片づけながらもぐちゃんいたずら防御策を
行っていた。
その間ずっと、もぐちゃんはダスキンのハンディモップを片手に
一緒に片付けたり掃除したりと、奮闘したのだった。
しかし、その分一緒に遊んであげていなかったので、寝る時には
わたしにぴったりとくっついてきた。
ちょっとかわいそうだったかな。
なにしろ、もぐちゃんにとって、おかあちゃんは一番の遊び相手
なのだからねぇ。

 君の手を拒むことだけ考えて繋ぐ温もり忘れてしまう(市屋千鶴)



2005年02月25日(金) 通院日

今日は通院日。

1週間ぶりの日記である。
あっという間に1週間といった感じで、パソコンを開かなければ
開かないで暮らすことができてしまうのだった。
しかし、今週末は国税庁のホームページから確定申告書の印刷を
やらなくては。
2年分の医療費控除の申告。

先週末、蓄尿の検体を持って病院まで行った時も、雪だった。
東林間では雨で、時おり水っぽい雪が落ちてくる程度だったが、
バスで北里に向かうとちゃんとした雪になった。
地面の白さも、東林間と北里ではだいぶ違っていた。

今日も朝方まで雪だったようだが、もぐちゃんを連れて出る頃は
青空だった。
道路の雪は歩道に残っている程度で、わたしはベビーカーで援助
会員さんのお宅まで連れて行った。
バスに乗っていると、やはり北里に向かうにつれて残雪は多くな
り、路肩は雪で埋まっていた。
そんな路肩でも、自転車で行く人は結構いるものだと思った。

そういえば、高校3年の同級生のO君は、吹雪の山形市内を自転
車で学校に来たことが有った。
彼は近視で、左の視力が右よりも悪い。
高校時代のO君は髪が長くて、左で分けていた。
吹雪の山形市内を自転車で来た日、彼の前髪は見える方の右目を
塞ぎ、おまけに吹雪で前は見えなかったらしい。
自分でも学校にたどり着いたのは奇跡だと言っていた。
その上、大学の合格祝いにと親がかってくれた上等のコートを着
ていたのが、吹雪でびしょびしょになった。
あまりの悲惨さについつい笑いが込み上げてしまうほどだったが、
彼にとっては笑い事ではなかっただろう。
雪道を自転車で果敢に走っている人を見ると、いつもO君のその
日のことを思い出す。

病院で診察前検査待ちをして採血伝票を渡される時に名前を呼ば
れるのだが、わたしの後ろがなんといつも待合室で一緒になって
いた方であった。
「あらぁ!」と言い合い、その後「おはようございます。」と言
い合い、検査を終えた待合室でひとときのおしゃべりを楽しんだ。
お孫さんの話がかわいらしくて面白い。
年賀状のもぐちゃんの写真がかわいかったと言われ、親ばかであ
るわたしはすこぶる喜んだのだった。

4月から担当医師の曜日が金曜から木曜に変更になるということ
で、わたしも木曜日に通うことになる。
3月までは金曜日。

今月のぷらむの日に帰りに作った歌がまだあった。

 大きめの鏡で顔をかくしても夜の電車はすべてを映す(市屋千鶴)



2005年02月18日(金) 親ばかと鬼

昨日、突然、もぐちゃんの名前を呼んだら手を挙げた。
子供は突然何かをし始めるものなのだなぁと実感した。
帰宅した夫に、名前を呼んでみろといい、もぐちゃんが手を挙げ
るのを確認させた。
手を挙げた後に、自分で手をパチパチして褒めてくれと催促する
あたりが、またかわいい。(親ばかである。)

一昨日は、フォローアップミルクの空き缶を4つ積んで、自分で
手をパチパチしていた。
すごいねと褒めてちょっと目を離していたら、もぐちゃんの遊び
用になっているミニ食器棚(ガラスは外している)の棚部分に、
フォローアップミルクの空き缶5個をきちんと並べて入れていた。
あまりのきれいさに、わたしが入れたっけ?と勘違いしたほどで、
それがもぐちゃんの仕事だとわかって、親ばか大爆発だった。(笑)
抱きあげて褒め倒した。
返す返すも、ほんとに親ばか。

もぐちゃん遊び用のミニ食器棚には、いろんな容器が入っている。
全て割れないものやあまり重くないもの。
タッパーウェアもあって、もぐちゃんは同じ形のものを重ねて遊
ぶようになった。
京都の友人からもらったボールも、一つ所に並べておいたりする。
とにかく、並べたり、重ねたり、しまったりする。
大きめの積み木ブロックなんか、いいのかなぁ。
しかし、おもちゃが有っても、生活用品や機械類の方が楽しいら
しいのは、どこの子供も一緒なのかな。
今は、ビデオをもぐちゃんの魔の手から防ぐ手立てを考えている。

ビデオが無いと、仮面ライダーもガッシュも夫に見せられないの
である。
「仮面ライダー響鬼(ひびき)」、見ている。
夫は「これはライダーじゃないよー。」と批難しつつも、毎週見
るようだ。
というか、後からじんわり込み上げてくる面白さがあるらしい。
わたしが変身グッズが欲しいと思ったのは、これが初めてだ。
「変身音叉、欲しいなぁ。」というと、夫は「普通の音叉でもい
いんじゃないの?」と言う。
そんなの、鬼の飾りがついてないからもちろん却下である。

「仮面ライダー響鬼」は、魔を退治する鬼なのである。
そういえば不動明王も、鬼のような形相で魔を払っているではな
いか。

 心根の優しいものも暮らす島 桃太郎には知らせたくない(市屋千鶴)



2005年02月17日(木) 校門までの友情の話ー2

北山形駅からの3人連れ。
わが母校の隣には工業高校が有り、グランドを共有していた。
同じ中学から、この工業高校にも一人、青木君が入学していた。
青木君は、中学3年の時に同じクラスで、学級委員であった。

他中学から来た生徒たちと一緒に通うような間柄になるまでは、
時間がかかった。なにしろ女子は13人だ。
そのうち同じ路線で列車通学していたのはわたしともう一人。
その子は隣のクラスで、列車に乗る場所も時間もずれていた。
同じクラスの女子生徒はわたしと同じ名字で、すぐに仲良くなっ
たし、北山形駅からの通り道に彼女の家は有ったのだが、彼女の
お兄さんも同じ高校だったので、彼女はお兄さんと一緒に通って
いた。

そんなわけで、自然と北山形駅から高校までの道のりはわたしと
柴崎君と青木君とで歩くことになっていた。
何を話しながらだったのかは覚えていないのだが、それぞれが別
の友人達と歩くようになっても、一緒に歩くことがあった。

冬になって母が車に乗らなくなると、わたしは下宿生活を始めた。
柴崎君や青木君と列車で一緒になるのは、土曜日の帰りくらいの
ものだった。
しかし、春になって母が車に乗れるようになると、わたしはまた
列車通学に戻ったのだった。
冬だけ下宿するという同期生は多かったので、春になって久しぶ
りに同じ列車に乗り合わせると、わいわいと話がはずんだ。
北山形駅からの三人連れも、時々は復活したりした。
別々になっても、歩くルートは三人とも似たり寄ったりなので、
それぞれが一人だったりすると、やはり三人並んでしまうのだ。

二つの高校で共有しているグランドの入り口で、三人は別々に歩
き始めるのだった。
青木君は工業高校の入り口に向かい、柴崎君は通用口に向かい、
わたしは女子更衣室に向かって歩いた。
学校の中に入れば、それぞれの学校やクラスでそれぞれの生活が
ある。

そんなわたし達は、お互いを呼ぶ時に特徴が有った。
下宿生の柴田君や工業高校の青木君は、中学の時に同じ名字がい
なかったので名字で呼び捨て。
わたしや柴崎君は、同じ名字が数人いたので、名前で呼び捨てな
のである。
女子生徒は、わたしを名前で呼んだ。ちゃんづけの人もいた。
柴田君や柴崎君や青木君も、名字か名前かの基準は同じだが、呼
び捨てする女子生徒はほんとに少なかった。
転校したてのわたしが呼び捨てにしていたのは、特別だったとい
っても過言ではないだろう。
柴田君と青木君は同じクラスだったからそうでもないが、柴崎君
はとなりのとなりのクラスだったのだから。
もっとも、高校でも同じクラスになった男子生徒は呼び捨てにし
ていたことが多かったので、それはわたしが男っぽかったからな
のかもしれない。

高校の生活では、女子を名前で呼び捨てにする人はほとんどいな
かったので、わたしと柴崎君が名前で呼び捨てにし合っているの
は何か特別な間柄に見えたらしい。
柴崎君の部活の先輩が、呼び捨てし合うわたし達を見て、お前達
はどういう関係なんだと、柴崎君に問いつめたことが有ったそう
だから。(笑)
いや、男同士みたいなもんだから、と答えたかどうか。(爆)

たった1年、同じ中学だっただけなのに、男同士のように仲良く
してくれた彼らに感謝したい。
たとえ、それが校門までの友情だったとしてもだ。

 校門を出てから気付くこともある 呼び合う名前の心地よさとか
                          (市屋千鶴)



2005年02月16日(水) 校門までの友情の話ー1

 三人で肩を並べて歩くのも校門までの友情だった(市屋千鶴)

わたしの入学した高校は、1学年240人中、女子生徒は10人
から13人という、ほぼ男子校状態だった。
何の授業も男子と一緒だった。
体育ももちろん一緒で、同じメニューをこなすのだった。
家庭科の授業は無く、年に3回ほど放課後に特別授業が有った。
旧制中学であったこともあり、同窓会はそのころからの同窓会で
ある。
実際にその高校に入学した本人やその親しい間柄の人間でなけれ
ば、わが母校は男子校だと思われていた。
女子生徒の存在を知っている人は、少数派だったのである。

列車通学(電車ではなく、ディーゼル車である。)をしていても、
わたしの校章を見てそれだと瞬時に判断できる人は少なかった。
高校の名前は出てきても、定時制だとか通信制だとか言われた。
定時制の生徒がその時間に列車に乗っているわけも無いし、まし
てや通信制の生徒が平日の昼間に通ったりはしないのにだ。

同じ高校に入ったのは、柴崎君と柴田君とわたし。
入学試験の時にはわたしだけ別の教室になったので、2人のいる
教室まで行って3人で昼食を食べたりしていた。
それを見た他中学の女子生徒は、とても羨ましいと思ったらしい。
合格してからも、柴田君ちに柴崎君と一緒に行ったことがあった
りして、1年生の間は同じ中学からという仲間意識は強かった。
柴田君はすぐに下宿生活を始めたが、わたしは冬だけ下宿するこ
とにしていたし、柴崎君は3年になるまでずっと列車通学だった。

高校に入った頃、まだまだ列車通学にも慣れていなくて、混んで
いる場所に乗ってしまったことがあった。座れなかった。
最初の頃は、同じ高校に通う者同士ということもあり、柴崎君と
一緒に乗っていた。
並んで立っていたが、だんだんと混んできて足下が見えなくなっ
ていった。
わたしは、まだ刈り上げから少し伸びた程度の髪の長さだった。
その上わたしの襟元は父親のワイシャツだったし、さらにトレン
チタイプのコートを着ていた。
上半身だけを見た他校の生徒は、わたしを男子生徒だと思ったら
しい。
わが校に女子生徒がいるとは全く思っていないようだった。
柴崎君は、くすくす笑っていた。(なんか、くやしい。)
スカートを履いているのが見えたなら、また別のひそひそ話をさ
れていたのかもしれないが。

ちなみに、高校には制服が無く、男子には基準服といって学生服
が有ったが、女子には何の基準も無かったので、元師範学校とい
う近くの女子高の制服を作って着ていた。
しかし、ブラウスまで同じではなく、わたしは父親のワイシャツ
を着ていたのである。

それ以来、その場所には乗らなかった。
列車の中では、次第に柴崎君とも別々に乗るようになり、わたし
は私立の女子高に入学した同期生と一緒に座るようになった。
北山形駅で列車を降りると、その女子高の子たちとは反対方向に
歩くことになるのだった。
そして、そこから女1人に男2人という3人連れになるのだった。



2005年02月14日(月) バレンタインの日に

昨日は20分くらいしか昼寝をしなかったもぐちゃんだったが、
23時を過ぎても寝付かなかった。
わたしの方が、生理の影響も有って先に眠くなってしまい、夫に
もぐちゃんを任せてごろごろしていた。
24時を過ぎた頃。
眠くて仕方が無いはずなのに、もぐちゃんはリビングに行きたが
り、襖をあけると、豆電球一つのリビングに走り込んで行った。
で、いつもは引っかかりもしない座布団に足をとられ、テーブル
におでこをぶつけた大泣きした。
テーブルといっても、家具調こたつというやつで、こたつに天板
がのっているものだ。
その天板に正面からぶつかったようだった。
おでこに四角く痕がついたかと思うと、たんこぶになった。
夫はタオルを濡らしてきて、おでこを冷やした。
わたしは、切れていはいないことと、鳴き方がいつもと同じだと
いうことでとりあえずほっとし、それと同時に、任せた夫に対し
て少しだけ怒りを覚えた。
そして、眠いのに走り出してしまうもぐちゃんにも。
二人とも、このばか者がー! という気持ち。

おそらく、夫も自分に対して腹を立てていたに違いない。
眠そうに怒っているわたしに、さっさと寝ろと言った。
ちょこちょこ起きて、文句を言うなと言った。
その言葉にむっとしたが、ここで言い返しては、夫の気持ちは納
まらないのだろうと思い、寝ようとした。
しかし、足がつった。
おまけに気持ち悪くなった。
起きてトイレに行って、一度だけ吐いた。きっと食べ過ぎ。
胃の中に残っていたのは、少し前に飲んだホットレモンだった。
それと、ほんの少しの食べものの残骸。
ほとんど消化していたのに、なぜ吐いてしまったんだろうか。
一度吐いてしまえばもう吐き気は無く、ゲップばかりが出た。
ゲップがたまっていただけか。(赤ちゃんみたいだ。)

そんなこんなで、今日も7時半にフォーローアップミルクを飲ん
でまた寝てしまった息子は、相変わらず寝坊している。
そろそろ起こさないと。
頭を打った影響は今のところ出ていないようだが、注意して様子
を見て行かなくてはと思っている。

バレンタインのチョコは、夫にはカクテル入りのボンボンと丸い
チョコの二種類。
もぐちゃんには、トーマスの缶に入ったものをあげる。
もぐちゃんのは、たぶん、缶だけのプレゼントになろうかと。(笑)

昨日の帰りの電車で作った歌。

 眠る人寝たふりする人起こす人それを見ながら歌を詠む人(市屋千鶴)



2005年02月13日(日) ぷらむの日

今日はぷらむの日。
めでたいニュースを二つ知った。
一つは、有名歌人の結婚の話。
しかもお相手は、あるミニオフ会でご一緒したこともあり、他に
もイベントでお会いしたことのある女性。
もう一つは、ぷらむの男性会員の方が昨年結婚して、11月には
男の子の父親になっていたこと。
どちらのニュースにも驚きと喜びが有った。

さて、今月のお題は「門」。
 門柱がコンクリートに変わっても母校に塀は造られぬまま(市屋千鶴)

 三人で肩を並べて歩くのも校門までの友情だった(市屋千鶴)

 思い出は脳に刻んでおいたから門を出たって振り返らない(市屋千鶴)

東先生も、今月のお題は難しかったと思うとおっしゃった。
確かに、「門」というとかなり限定した使い方になってしまう。
わたしのは、三首とも「校門」だった。

一首目。
故郷では、除雪の際に邪魔になるということも有って、塀のある
家はかなり少なかった。
学校もまた塀が無かった。
小学校にも中学校にも無かった。
まわりは田んぼや民家や山である。
小学校の校庭を通らないと行けない家も有ったし。(笑)
そんな小学校に新しい校舎ができたとき、木造だった門柱がコン
クリートに作り替えられたが、やはり塀は無いままだった。
この歌では、前半が理屈っぽいので、塀が無くてコンクリートの
門柱だけが立っている学校の様子だけを詠んだ方が良くなるとの
指導をいただいた。

二首目。
女子生徒らしい歌と読んだ方がほとんどだった。
学校の中ではいつも一緒の三人組だけど、校門を出たら別々にな
る女の友情への冷静な目とか、学校を卒業したらいつまでも肩を
並べて入られなくなるということを言っているのではないかとか。
それなりに評価をしていただいたが、実際のところを説明すると、
それは面白すぎるから連作にしたらいいと言われた。
あるいはエッセイにと。(笑)
というわけで、この歌に関する話は、別の日に。(笑)

三首目。
「脳に刻む」といういい方が、記憶するという強い意志を感じさ
せ、下の句とマッチして、わたしらしい男前な歌になっていると
いう意見をいただいた。
「わたしらしい=男前な」、なのは妙に納得。
わたしは、両親の離婚で中学三年になる時に転校したが、その時
には、もう決してこの土地に帰ってくることは無くなるのだとい
う気持ちも有り、これまでの学校での思い出は忘れないでおこう
と決めたのだった。
もう振り返ることはできないと思っていた。
「脳に刻む」、つまり物ではなく、記憶として残しておこうとす
るのは、女性ならではの捉え方ではないかという意見も出た。
男性ならば、何か物を残したり、物を通じて思い出したりするの
ではないかというのだった。
女性だから、右脳に刻むのだと。
ああ、なるほど、と思った。
刻まれたものが、少しずつ変化して行ってしまうことも、実際は
あるのだが。

帰宅すると、家中がこぎれいになっていた。
ぷらむの日に毎回思う。
もしかしたら夫の方が家事に向いているのかもしれないなと。(笑)

南大沢までの電車の中で作った歌。

 プリクラのノート見せ合う少女らの眉はきれいに整っている(市屋千鶴)



2005年02月10日(木) 今年もこの日が

昨年は、子育てに夢中で忘れていたが、今日は気が付いた。
「ああ、今日は2月10日なんだ。」と。
気が付いたのは、もぐちゃんを連れて買い物に出ようとした時だ。
気付いたからどうということも無いのだが、今年も2月10日が
やってきたんだなぁと思う。

2月10日は、わたしが母から初めて父の失踪を告げられた日で
ある。
姉の下宿先まで、猛吹雪の中を幌がけジープで突っ走った日だ。
動かなくなるワイパーや、凍ってしまって見えなくなるフロント
ガラスを手でこすりながら突っ走った日だ。
この日から、離婚届を提出した2月27日(姉の誕生日)までが、
一番悲しい雪の思い出だ。
あの年の雪は、例年より多かったように記憶している。
もう、31年も前のことだ。
文字にしてみてびっくりするくらい昔のことなんだなぁ、と思う。

さてと。
もぐちゃんと、同じ感情や思い出を共有することのできる初めて
の言葉ができた。
わたしや夫が「ガッタン」というと、もぐちゃんは「ガッカン」
と返してくる。
ヨーカドーのゲームコーナーに、機関車トーマスの乗り物がある。
2、3メートルほどのレールの上を、トーマスが3回くらい往復
する乗り物である。
もぐちゃんは、このトーマスに、わたしと1回、夫と1回乗った。
家に帰ってからも、トーマスごっこと称して、抱っこしたままで
言ったり戻ったり、回転したりして遊んだ。
この乗り物にお金を入れると、トーマスのカードが出てくる。
このカードを久しぶりに見つけたもぐちゃんが、突然「ガッカン」
と言いながら、体をひねったのだ。
回転する時に、わたしや夫が「ガッタン」と言いながら回ること
を表現しているのだった。
ここ3日ほど、もぐちゃんは何かと言うと「ガッカン」と言って
はくるりと回ったりするのである。

子供の考えていることが明確にわかった瞬間は、とても感動する
ものだが、わたし達が遊んだことを言葉にして言ってくれたのは
これが初めてだったので、ほんとに感激した。

毎日、いろんなことを発見しているもぐちゃん。
それを一緒に見ているわたし。
3歳までに一生分の親孝行をするという言葉を、実感している。

 三十年経ても変わらずここにある雪を眺めているような母(市屋千鶴)



2005年02月09日(水) 今日で41歳か

今日で41歳。
というのは、もちろんわたしではなく、従妹である。
30代でマンションを買った従妹である。
相変わらず独身である。恋人はいるのかどうか不明。

旅行や新年会で会って、やっぱり40代には見えないなと思った。
18歳で上京し、19歳から4年間、わたしと一緒に暮らした。
わりとふけ顔で、10代なのにわたしと同じくらいに見られてい
たのだが、そういう人は年をとってもあまりかわらないので、逆
に年よりも若く見えるようになって行く。

今年の新年会の時、離婚した従弟が少し遅れていたので、どうし
たのだろうかという話をしていたら、従妹には電話で連絡が有っ
たらしく、これこれこういうわけで遅れるらしいと代りに答えて
いた。
わたしはひそかに、この二人が上手くいくといいのになと思って
いたりするので、これはっと勘ぐったのだが、果たして。

従妹は、田舎に居た頃から、というか小さい頃から従弟が好きだ
ったのだろうと思う。
それはわたしも同じで、年下ながら、とてもいい兄貴ぶりを発揮
していた従弟は好きだった。
わたしが、年下でお兄さんが好みというのは、その辺にルーツが
あるのではないかと思っていたりする。
ただ、わたし達いとこ同士は、兄弟に近いような育ち方をしてき
たので、恋愛感情だという認識はなかったのかもしれない。

が、従弟が離婚する直前あたり、悩んだりしてやつれていた頃に、
自分が嫁さんだったらもっと幸せにするのにというようなことを
わたしにつぶやいたことがあるのだ。
20代の早い時期に結婚し、離婚してしまった42歳の従弟。
41歳で独身でいる従妹。
上手くいってくれればと思ってはいるが、どちらも住宅ローンを
抱えた身でもあれば、従弟には思春期の子供がいる。
(高校3年の男の子と中学3年の女の子。)
世の中、とくに恋愛ごとは、なかなか上手くいかないものである。

 上滑りばかりしている恋だけど地球を一周するほど滑ればいいさ
                           (市屋千鶴)



2005年02月04日(金) 立春の惨劇

愛知県安城市のヨーカドーでの事件。
なんだかやり場の無い怒りが込み上げてくる。
なぜ、1歳にもならない乳児の頭にナイフを突き刺さなければな
らないのか。
そんな犯人に理由を訊くのは、意味の無いことなのかもしれない。
ほんとに切ない。
切ないというより、怒りで涙がこぼれそうだ。



2005年02月02日(水) 豪雪

昨日から、ニュースを見る度に大雪の様子が映し出される。
今日の11時現在の積雪量の情報の中に、山形県の肘折の積雪量
もあり、309センチとかだったように思う。
「ひじおり」と書いて、地元では「ひじょおり」と呼ぶ。
その字の如く、肘を折るなどの骨折などに効くと言われる湯治場
である。
肘折は、生まれ故郷から割と近い。
亡き母が、孫を連れてひと夏、田舎に行って暮らしていた頃に、
孫と肘折温泉で撮った写真があった。

で、とにかく、3メートルを越えたのだなと思った。
不謹慎ながら、「肘折で3メートルか。」と薄笑いしてしまった。
なぜ笑いが出たのだろうか。
画面に出た積雪量で、他のどこよりも多かったのがちょっとだけ
うれしかったのか。
今思えば、不思議な感情である。
雪国育ちであるということを自慢に思っているのかもしれない。
こんな雪の中で暮らしてたんだよと、自慢したいのかもしれない。

確かに、少し自慢したい気がしている。
あんな大雪、昔みたいだと思ったりする。
わたしが一人で家の中で母の帰りを待っていた14歳の冬を思い
出させる。
ちょっと放っておくと、家の中に入れなくなるのだ。
道路は除雪した雪が壁のようになっていて、学校の帰りなどに道
路から家までたどり着くには、まずその壁をなんとかしなくては
ならなかった。
車が来ても避けるところは無く、雪の壁に貼り付くようにして避
けていたし、車もとてもゆっくり走っていた。
それでも、坂になっていると、停まった車も滑ってきたりした。
(母もそれでコツンと車をぶつけたことが有った。)

どこもかしこも、雪に埋まってしまうのだ。
畑も田んぼも川も区別が無くなり、除雪されないと道すらも区別
ができなくなった。
中学校は、前面は田んぼで、裏(校庭の裏)は山だった。
(ちなみに、マラソンコースも山道だった。)
学校までの田んぼの中を、バス通りから学校までの道が走ってい
るのだが、冬には除雪されないことが多い。
足跡だけの道になる。
先生方も、バスや歩きで学校に来たりしていた。
その道も、吹雪の後は道も田んぼも区別が無く真平になる。
人が歩いたところだけは足もとが固いのだが、一歩はずれると、
ずぶずぶと雪の中に入って行ってしまうのだった。
雪上車が来たことも有ったが、何があった時のことだったかは忘
れてしまった。

今ではもう、雪の中では暮らして行けない体(腎臓には強烈な暑
さも寒さも厳禁。)になってしまったのだが、寒休みがあった頃
の冬の景色は、いつまでたっても頭から消えることは無い。

しかし、中越地方の、地震の後のこの豪雪は、いったい神様も何
を思ってのことなのだろうかと問いただしたくなるよね。
地震が来ていなければ、この豪雪も、今年はまったく凄いもんだ
ねぇ、というだけで済んだかもしれないのに。

 何もかも一つの色に包み込み雪は冷たく重く固まる(市屋千鶴)


 < 過去  INDEX  未来 >


市屋千鶴 [MAIL]