鶴は千年、生活下手

2005年01月31日(月) 健診と予防接種の日

昨夜、夫が黒川の自社ビルに戻ったところで電話が入った。
今週の金曜日に昇格試験があるので、その資料を探してから帰る
とのこと。
もぐちゃんが夕食が早すぎたのか、あまり食べてくれないので、
ちょっとへこんでいたところにこの電話だった。
わたしは、ちょっとだけ切なくなって泣けてしまった。
すると、もぐちゃんがハンカチで拭いてくれた。
うれしくなって復活した。

夫が帰宅すると、もぐちゃんは走り回ったりいろんな声で話し始
めたりと、それはもう大騒ぎだった。
この分ではなかなか寝ないんだろうなぁと思っていたが、案の定、
ふらふらしながらも、夫が床につくまで一生懸命起きていた。

今日は、眠そうである。

午後、1歳児健診と麻しんの予防接種に行った。
病院は、8か月健診や他の予防接種と同じ産婦人科にした。
体重を量り終わったあたりから泣き出してしまい、服を着せるま
で泣いていた。
せっかく泣き止んだところだったが、今度は注射。
またもや泣き出してしまったが、肩をしまうとべそべそ泣きに変
わり、お礼を言って待合室に戻る頃にはもうけろっとしていた。
相変わらず長泣きしない子である。
体重は9.6キロ、身長は75.5センチだった。
身長を測っている時は泣いていたので、少し足が曲がっていたか
もしれないが、洋服のあまり具合からしてもこんなものだろう。

午後から病院に行くので昼寝をさせないでいたからか、緊張して
いたからなのか、帰りにドラッグストアに寄って買い物をしてい
るうちに寝てしまったもぐちゃんなのだった。

次は、3月になったら風疹の予防接種だ。
それから、4月はポリオの2回目だ。
そうこうしていると、1歳6か月健診。
そう思いながらカレンダーを見ていたら、今年は三連休が多いの
に気がついた。11月以外は、三連休ばかりだ。
もぐちゃん連れで、どこか行きたいもんだなぁ。

 両側を稲田のひかりに挟まれてまっすぐ続く道の夕暮れ(市屋千鶴)

田舎の道を思い出したので。



2005年01月30日(日) 圏外

昨夜から今朝にかけて、何回か夫の携帯電話に電話してみるが、
全くつながらない。呼び出しもしない。
きっと山の中だから圏外なのだろうと思っていたところ、10時
過ぎになってメールの返事が来た。
やはり圏外だったようだ。

携帯電話を持っているからと、宿泊先の電話番号などをまったく
メモもしていなかったので、何かあったらどうやって連絡すれば
いいんだろうかと、昨夜の寝る前にはちょっと心配した。
やっぱり、ちゃんと宿泊先への連絡方法は確認しておくべきだな。

途中、昼食を食べているところから、電話が入った。
公衆電話からだった。(社員旅行らしい旅行で、楽しいらしい。)

携帯電話の電池が切れてしまったとのことだったが、出かける前
に充電して行ったのにもう?と二人とも思っている。
もう、携帯電話、寿命だろうか。
写真も撮れない古い型なのである。
ボタンの形状が気に入っているので、他にはなかなか気に入った
物が見つからないのである。
新しいのは、いろいろな機能が付いていて、邪魔。
わたしには、電話ができてメールができればいいのだ。
携帯電話に縛られるような暮らしはしたくないなぁと思ってしま
うのだが、それは時代遅れだろうか。

さて、毎晩24時くらいに眠りにつくもぐちゃんであるが、昨夜
は23時くらいからわたしが寝る体勢を作って、誘った。
上手く行きそうなところで、2階の人が台所で何か物を落として
しまった。
もぐちゃんは、お父さんが帰ってきたのかと思って、すっくと起
き上がってしまったのだった。
お父さんじゃないよと、何回か言い聞かせて、そばに抱き寄せた。
ゴロゴロしながらも、24時前には寝てくれた。
添い寝と言っても、頭をわたしの方の寄せてくるだけで、足は布
団から出してしまうので、足はもぐちゃんの布団の方に。
なんだか真横になってしまったりもする。眠る前から変な寝相。

お父さんがいなくて寂しいのは、母も子も一緒である。

 気持ちまで圏外にしておかないで 君を待ってる二人の電波(市屋千鶴)



2005年01月28日(金) 通院日

今日は通院日。
いつも待合室で雑談をしている方とは会えなくなった。
というのも、今回は五週間空けての通院だからである。
それは、前回の診察後に、次回は一緒じゃないかもしれないとい
う話しをしていたのだが、年賀状のお返事に、「今年は診察日が
ずれてしまってお会いできませんね。」と書いてあった。

一人で待つ三時間は辛かった。
最初の一時間は、ぷらむのニ月の歌を考えて過ごした。
すでに、ニ首は大方の枠が出来ていたので、もう少しつめたのと
あともう一首を作ったのだった。
つめたといっても、いつもながらつめは甘い。

検査の結果は、クレアチニンは横ばい。
他の検査結果は、少し良かった。
タンパク質と塩分は、まだまだ多めだ。(減らそうよ>自分)
次は四週間後。

今日は、もぐちゃんを初めて他人に預けた日でもあった。
朝の八時から預かっていただくので、六時半に起きてもぐちゃん
用の弁当を作ったりした。
眠そうなもぐちゃんを起こして準備し、もぐちゃん以上に眠そう
な夫を起こした。
夫は、こんなに眠いのなら半休とって昼まで寝ていたいと言った
が、最近の診察時間がだんだんと遅くなってきているし、帰りが
何時になるかわからないのでは仕事に差し支えるだろうと思って
預けることにしたのだった。
確かに朝は大変だが、帰りの時間は遅めにお願いしておけばいい
ことなので、時間で焦ることはないのが気楽である。
ただ、今回は初めてだったので、もぐちゃんがぐずったりしない
かが心配ではあった。

わたしの心配をよそに、引き取りに行くと楽しそうに遊んでいる
ので安心した。
様子を聞いても、特にぐずることもなく遊んでいたらしい。
眠そうな割には、三十分眠っただけだったらしい。
お昼はしっかり食べてくれたようだ。
楽しそうに遊んでいるので、ついつい長居してしまい、帰り道は
十分もかからないのだが、もぐちゃんは途中で寝てしまった。
それからずっと眠ったままである。
そろそろ起こさして、晩ご飯だな。

明日、明後日は、夫の社員旅行。
温泉でのんびりなのだそうな。(うらやましー。)

 ときどきは母を思ってぐずったりしてほしいやらほしくないやら
                          (市屋千鶴)



2005年01月26日(水) 考え直す

昨日の若い女性営業さんの話を夫にしていた。
「大丈夫なのかなぁ。あの子、二十歳そこそこくらいなんだよ。」
そこまで話して、はたと気が付いた。
その女性の母親が、おそらくはわたしと同じくらいの年齢なので
はないのだろうかと。
だから彼女は、自分の母親くらいの年齢の人が、よちよち歩きの
子供の母親だとは思わなかったのだろう。
それで、孫かと口にしたのだろう。
感じたままに口にしたんだろうなぁ。

そう考え直しても、やはり、他人事ながら、心配してしまう。
若い人達を見る目が、母親の気持ちに近くなってきたのか。

今日は、子育てサロンの日。
あいにくのお天気だったので、参加親子はいつもの半分もいない
ようだった。
人数が少ないのでと、初参加の人ばかりでなく、全員が自己紹介
をしたのだった。

今日は、折り紙で鬼とマスを作った。豆まきが近いからね。
寝起きのもぐちゃんは、しばらくぼーっとした後、クリスマス会
で抱っこしてもらったおじいさんにまた抱っこしてもらった。
おもちゃよりも、いろいろとしまってある箱の方が気になるらし
くて、折り紙のマスをしまおうとしたりしていた。

今、ないないするのが得意なのである。
または、開けたら閉める、である。
洗い物をしてくれる夫が、スプーンなどの入っている引き出しを
開けると、すかざす閉めに行くのである。
それが自分の仕事だと言わんばかり。
トイレのドアも閉めてくれるので、わたしも夫も閉めてもらう。
いろんなところで、開いているよと指摘される毎日。(笑)

 暖かい部屋から真冬の外に出る 大きなあくびで脳を動かせ(市屋千鶴)



2005年01月25日(火) 営業向きじゃないのでは

お昼過ぎ、チャイムが鳴った。
「はい、はーい。」と返事をしてのぞき穴をのぞくと、若い女性。
胸元にIDカード(身分証明書みたい)のようなものをぶら下げ
て、新しくできたレストランの紹介だと言った。
どんなお店かと資料を見せてもらうと、焼肉屋さんだった。
「焼き肉かぁ。」とつぶやくわたし。
後ろから、とことこと歩いてきて、外をうかがうもぐちゃん。
ここでその女性は、「お孫さんですか。」と話しかけてきた。
「いいえ、息子です。」ときっぱりと答えたわたしに、一言だけ
謝って、座敷席もあってファミリー向けですと続けた。
我が家は、相模大野まで焼き肉を食べに行ったりはしないのだ。
すぐ近所の焼き肉屋さんで大満足なのだ。
「今、お昼を食べさせているところなので。」と言って、丁重に
お引き取り頂いた。

「お孫さんですか。」と言われたことは、少しはショックではあ
るが、実際に孫がいても可笑しくない年齢でもあるので、それは
仕方が無いと思った。
しかし、納得できないのは、この女性の営業らしからぬ応対の方
である。

営業しようと思うのなら、口のきき方を考えなくては。
孫かなと思っても、「お子さんですか?」と訊ねた方が無難だと
いうことくらいわからないでどうするのだ。
「お子さんですか?」と訊ねれば、「孫だ。」という返事が返っ
てきても、「お若いのでお子さんかと思いました。」で済む。
それがお世辞とか外交辞令だとか営業トークだとかということが
わかっていても、悪い気はしないものだ。

営業ではなくても、普段の会話に通用することだが、赤ちゃんを
見て男の子か女の子かわからない時、「女の子ですか?」という
聞き方をする方が無難である。
女の子であればそのまま会話を続ければいいし、男の子であって
も「優しい顔立ちだから女の子かと思った。」と言えば、それは
褒め言葉にもなるのである。

こんなことを考えていたら、自分自身が孫と言われたことよりも、
その女性の営業としての仕事の方にいらだちを覚えてしまったの
だった。
あんなんで、飛び込み営業、できるのかなぁ。
きっと、初めてやらされてるんだろうなぁ。
ひとごとながら心配してしまうおばちゃんなのであった。

 他人でも心配なんかしてしまうオバタリアンも人がいいのだ(市屋千鶴)



2005年01月24日(月) 損すること

わたしは声が低い。
夫に対してかかってきた仕事先の人からの電話にわたしが出ると、
「奥さん、機嫌が悪いの?」と訊ねられることが多いらしい。
本人は普通に話しているのに、機嫌が悪いと思われるのは損だ。
夫にももぐちゃんにも、少し高めの声で接しているのだが、そう
してばかりも居られないことだってある。
わたしが少しばかり真剣になっているときに話しかけられると、
声のトーンをあげずに受け答えしてしまうことがあるのだ。
そうすると、夫は機嫌が悪いと思って、自分の方がご機嫌斜めに
なってしまうのだ。
そうじゃないと言っても、その時点では逆効果なのである。
そうして、お互いに不機嫌になったままで会話すると、物の見事
に会話がすれ違う。
昨夜がそうだった。

しばらくして、お互いに反省しながら話をする。
今日は一日わたしの機嫌が悪かったという夫。
事の起こりは、昼少し前に起こした時に一言だけわたしが文句を
言ったこと。
夫は、寝起きのぼんやりした頭で、それを何度も言われたように
勘違いし、「くどくどと文句言われた。」とむくれた。
わたしは、(一度しか言っていないのに、くどくどとなんてっ!)
と思い、少し機嫌が悪くなった。
しかし、その機嫌はすぐに直ったのだ。
直ったというよりも、押し殺してしまったのだった。
だから、一日と言われて腹が立った。
夜の会話の時は、少しだけ真剣に受け答えしただけだったから。

声が低いので機嫌が悪いと言われることは、しんどいのだ。
外に対しては、声のトーンを上げて話すようにしているから、逆
にいつも元気だとか言われたりもする。
一緒に暮らしてもう10年目になるというのに、真剣さと不機嫌
さの区別ができないなんてねぇ。
わたしだって、たまには真剣になるんだよー。
でも、真剣になると、ついつい低い上に口調が鋭くなるのがいけ
ないのだろうな。

 だんだんと遅くなってく日の入りに雨戸を閉める音の合唱(市屋千鶴)



2005年01月21日(金) 13か月

もぐちゃん、今日で1歳と1か月。

相模原市のファミリーサポートクラブ(FSC)に入会した。
今年に入って8日に説明会に出席し、先週末には援助会員さんが
見つかったとの連絡をもらった。
援助会員というのは子供を預かってくれる人のことで、預ける方
は利用会員と呼ぶ。
昨日、その援助会員さんのお宅で事前打合せを行った。
双方とも、会員になって初めての事前打合せなので、FSCのア
ドバイザーさんが立ち会うことになっている。
もぐちゃんを連れてお宅に伺うと、優しそうな顔立ちの女性が出
迎えてくれた。
いろいろとお話を聞いていると、昨年の夏くらいまで、何人かの
子供さんを預かったり、保育園の手伝いをしたりしていたらしい。
昨年、それらをやめてゆっくりしようとしたが、子供のいない時
期がなかったくらいの毎日だったので、それがないとやはり寂し
いのだそうだ。
それで、FSCの援助会員になることにしたのだそうな。

話をするほどに、安心して預けられそうだということがわかり、
とてもほっとした。
まずは、来週の通院日からお願いすることにした。
その後は、医療費控除の申告で税務署に行く時とか、あとは4週
間ごとの通院日にお願いすることになるだろう。
平日の午前7時から午後7時までは、1時間700円である。
ただし、わたしのお相手は午後4時くらいまでにして欲しいとの
ことだった。
基本的には通院日が主だから、午後1時くらいには迎えに行くこ
とができるので、問題ない。

子供さんを預かっていたということで、かわいい部屋が有って、
もぐちゃんもすぐになじんでいたようだ。
来週の金曜日、ぐずらずに待っていてくれるといいなぁ。
(まあ、ベテランさんなので、その辺は大丈夫だと思うが。)

20年前に子育て真っ最中だった姉よりも、最近まで子供の面
倒をみていたこのお相手の方のほうが、いろいろ教えてもらえ
そうなのでちょっとうれしいのだった。

「1歳を過ぎると、もう赤ちゃんの顔じゃないわね。」とは、
同席したアドバイザーさんがもぐちゃんを見て言った言葉だ。
確かに、赤ちゃんの顔というよりも、次第に子供の顔になって
来ている。
遅いなと思っていた歯も、上も下も前歯の2本ずつの横から、
生えかかった歯がのぞくようになってきた。
おにぎりだってバナナだって、かぶりつきだもんね。(笑)



2005年01月19日(水) 駄目さ加減

今週から、夫の携わるプロジェクトが変わった。
同じ通勤場所なのだが、海外向けの開発だったのが国内向けの開
発になったのである。
同じ会社からは、夫を含めて4、5人だったか。
で、今週、まだ2日しかそのグループに属していないのに、毎晩
愚痴を聞かされる。
夫は、他のメンバーよりも2週間遅くそのプロジェクトに投入さ
れた。
2週間前から資料を読んだり設定したりしていたはずの、自分よ
り年上のSEさん2人が、どうやらいまいちの存在らしい。
上司から、「このままだとやばそうだから君を投入することにし
た。」と言われたらしい。

「愚痴ばかり聞かされて、いやになっちゃうよね。」と夫が言う
ので、そういうぐちを聞くのも上司の仕事だからと答えた。
むろん、自分を夫の上司の立場だと思っているわけではなくて、
夫よりも11歳年上の元同業者なのだから、何人かのメンバーを
使って仕事をしていたこともあるのだし、その頃の経験からして
も、メンバーの愚痴を聞いて対応するのも管理職の仕事の一つだ
と思っていた。

一方では、知り合ったばかりの頃のまだ駄目駄目な感じの夫を思
い出して、夫もしっかりしてきたんだなぁと感心したりする。
会社内でSEになる際の試験があるのだが、その試験では全国で
2番目の成績だったのだそうだ。
昔から世話になっている上司が、あの○○君がねぇ、と驚くくら
いだから、その駄目駄目ぶりは周知の事実だったのだ。
夫にかけていたものは、普通の日常生活を送るという時計だった。
今ではわたしがその時計なのである。

ひとしきり愚痴をこぼしてから、こう言った。
「でも、おれもちーちゃんに出会って一緒になっていなかったら、
 おんなじようなもんだったかもしれないなぁ。」

それを聞いて、偉そうに胸を張り、「感謝しなさいよ。」と言う
わたしなのだった。

 駄目さにもレベルが有って君のこと嫌いになんかなるわけがない
                           (市屋千鶴)



2005年01月16日(日) 新年会の夜

昨日は、午前中に蓄尿の検体を持って病院まで行った。
小田急相模原駅までのわずか10分の道で、雨からみぞれ、そし
てちらほらと雪という三段階を確認。
みぞれから雪に変わる時の、空から落ちてくるものの重さがふい
に軽くなるあの感じを味わった。
北里の辺りではやはりみぞれ。
はっきりと雪ではない天気。雨だったりみぞれだったり。
しかし、寒さや風の冷たさだけは雪の日並みである。

もぐちゃん連れの道のり。
東林間駅までの10分はとにかく寒かったし、新百合が丘駅での
乗り換えは、エレベーターがなしのベビーカーなので面倒だし、
小田急永山駅からのバスに乗り込むのも一苦労だった。
しかし、電車の中でもバスの中でも、もぐちゃんはおとなしくし
ていてくれるので助かる。
電車では、周りの景色を見たり駅の照明に見とれたりで、バスの
中では眠くなりかけていた。
これはもう寝るなぁと思っていたら、案の定、バスを降りてから
会場に着くまでの間に、寝てしまった。

会場には30分以上も前に到着してしまったので、他のメンバー
が到着するのを迎える形になった。
誰も彼もがもぐちゃんの顔をのぞきにきて、寝てるのかと微笑む。
宴会場に入るまでに目を覚ましてしまったので、そのままおむつ
を替えていたら、べそをかいてしまった。
もぐちゃんは、家ではないところで仰向けになるのが怖いらしい。
そのままべそべそしていたが、どうやら空腹でもあったらしく、
おにぎりや焼き魚を食べているうちに元気になり、笑顔も見せら
れるようになった。
その後は楽しくいとこの子供達に遊んでもらった。

帰りは、自宅までタクシー。
風邪をひかせてはいけないからと、義兄がタクシー代をくれた。
ありがたく、使わせてもらった。
帰りのタクシーの中で、ぐっすり眠っていたもぐちゃんだったが、
家に入る時に起きてしまった。
その後は、いつも通りの24時過ぎの就寝。

そして深夜、午前2時半、大泣きするもぐちゃん。
わたしは寝ていて、夫が起きていた。
やっぱり、大勢の中で過ごした新年会で興奮したらしい。
夫と二人、ミルクを少し飲まら一旦泣き止んだが、おむつを替え
ていたらまた泣き始め、今度はいっこうに泣き止まなかった。
目もあけないで泣いているので、ここはもう自分の家で今は父と
母と一緒にいるのだとわからせるために、電気を付けてリビング
の椅子で抱っこした。
ぱちっと目を開いたもぐちゃんは、やっと自分の状況がわかった
らしく、おとなしく抱っこされながら眠りについた。
この間、30分弱。
めずらしく大泣きするもぐちゃんに、飲ませたミルクが熱すぎた
のではないかと不安になったりもしたが、今さらそんなミスを夫
がするわけがないのだった。(ミルクは夫が作って飲ませた。)

寝付くのが遅い分、夜泣きをしないもぐちゃんだが、興奮するこ
とがあった日は、夜泣きするんだなぁと思った。
だんんだんと自己主張が出てきて生意気だが、お腹が空いた時と
眠い時にしかぐずらないもぐちゃんも、まだ1歳児なのである。
まだまだ赤ちゃんだよね。

 何を見て何を聞いているのだろう夜泣きする子の目は閉じたまま
                          (市屋千鶴)



2005年01月14日(金) 明日は雪なのだ

明日は、わたしの身内の新年会である。
家から1時間ちょっとかけて出かける。
それなのに、明日の天気予報は「雪」なのである。
もぐちゃん連れで雪はちょっとしんどい。
わたしには、レインブーツという名のゴム靴があるが、夫はこう
いうときには安全靴を履く。
もぐちゃんは、抱っこやあんよでベビーカーも一緒にお出かけを
と思っていたのだが、どうしようか。
おんぶ紐を購入しておんぶという手もあるが、どうするかなぁ。

まず夫に抱っこやおんぶはさせないことだ。
雪道を歩くのが一人でもおぼつかないのに、抱っこやおんぶなん
てもってのほかである。
わたしがおんぶするか、むりやりベビーカーでレインカバー付き
で行くかだ。
抱っこやおんぶで親と一緒に転ぶより、もぐちゃんだけでも絶対
転ばないものに乗っていた方がいいのではないかと思うのだが。
あとは明日の雪の降り方次第だが、なにしろ行き先は多摩市なの
で、こちらとでは雪の積もり方が違う。
姉から詳細な情報を得て行かなくてはならないだろう。
わたし一人なら、何でも無いのになぁ・・・・

もうすでに、空模様はどんよりとしてきている。
雪が降る前の空模様だ。
楽しみで心配で、複雑な心境の前日。

 生きてきて何度目の雪になるのだろうまだ5回目の息子にささやく
                          (市屋千鶴)



2005年01月12日(水) あんよは上手

今日は買い物に行ってから一旦家に戻り、もぐちゃんに靴を履か
せて手を繋いですぐ近くの薬局まで歩いて行った。
目的はトイレットペーパーを買うことだけだったので、ポケット
に500円玉を入れただけの身軽な姿。

ぷらむの日に、夫がもぐちゃんに靴を履かせて公園まで歩いて行
こうとしたところ、もぐちゃんは一歩も動けなかったので、公園
まで抱っこして行ったらしかった。
そう聞いていたので、玄関から歩いて行けるだろうかと思ってい
たが、わたしの手をしっかりと握りながら歩き始めた。
段差があるところでは、動けなくなって、ちょっとだけ泣き顔に
なってしまうのだが、平らなところではよそ見する余裕も有った。
横断歩道を渡る間だけ抱っこして、家の前と薬局の前では歩くと
いったよちよち状態。
薬剤師のおじさんに褒めてもらって嬉しそうなもぐちゃんだった。

だんだんと靴で歩くのが楽しくなってくると、靴を持って玄関で
待つようになるのだろうか。
病院の待合室でご一緒する方のお孫さんは、玄関から靴を持って
お出かけの催促をするそうだ。 もぐちゃんも、そうなるかなぁ。

 しっとりと繋いだ手にも汗をかき一歩一歩が大冒険だね(市屋千鶴)



2005年01月11日(火) 生きる姿勢と呼び声

母が多発性のう胞腎だということと、それが遺伝する病気だとい
うことを知った時は、確かにショックだった。
しかし、そのころわたしはまだ27歳だったし、自分が母の年に
なるまでは30年もあるのだから、それまではまだ普通に暮らし
ていられると思った。

わたしは、顔や体質は父方に似ているが、骨格は母方の骨格だ。
おまけに体格がいいので、おそらく内臓も大きいのだろう。
腎臓の異常など全く感じられなくて、糖尿病で初めて腎臓への影
響を懸念され、超高齢出産をしたわたし。
わたしはやっぱり、体質は父方似なのだ。糖尿病がそのいい例だ。

姉は小柄で華奢だし、中学生の頃に脊柱側湾症でギブスを巻いて
過ごしたので、内臓が小さいようだ。
今では脊柱側湾症の対策は背中の筋肉を等しく鍛えることが有効
であるとわかっているが、姉が中学生の頃はそういう認識が無く
て、ギブスをはめられたのだ。
若い頃腎炎にもなり、二回出産し、二度の脳外科手術をも経験し
ている。
母も、若い頃に腎臓の病気をしたらしい。
同じ病気を持っていても、わたしと姉では進行具合が違う。

ただ、この病気の一人の先輩として、姉の例はとても励みになる。
幾度にも渡る大手術を乗り越えた姉は、まぎれもなくわたしの姉
であり、同じ遺伝子を分けた体なのである。
姉は、今もボーリングを楽しんでいる。
だから、透析になること自体は怖くはない。
怖いのは、もぐちゃんの面倒を見られなくなることであり、夫の
仕事に影響が出ることだ。
少しでも長く保たせたいとは思うが、いつかはやってくることだ。
子供には、前向きに生きる姿を見せてやりたい。
生きることや死ぬことや病気になることから目をそらさない人間
になってほしいが、母親が病気と付き合いながら生きている姿は
少しでもその助けになるだろうか。

休日に、夫が起きてくれないからと、「おとうさん、おきてー。」
とばかり言っているせいか、もぐちゃんがお父さんを呼ぶときは、
「おとうさん、おきておきてー。」と叫んでいるようなのである。
または、「おとうさん、きてきてー。」とか、「おとうささん、
あったあったー。」と呼んでいるようにも聞こえる。
生きる姿勢はともかく、毎日の生活はこれでいいのかと自問する
今日この頃である。(笑)

 父を呼ぶ声は高音 母を呼ぶ声は低温おまけに「あーやん」(市屋千鶴)



2005年01月10日(月) 遊ぶということ

買い物の帰り、夫が遊びに行きたいなと言った。
遊びに行くというのは、夫の場合、パチンコに行くか、本屋に行
くか、パソコンショップに行くか、そんなところだ。
今週末に身内の新年会を控え、パチンコに行かせるほど金銭的に
余裕は無いし、気持ちの余裕も無い。
夫は「メタルギアソリッド3」を売りに中央林間まで自転車で出
かけた。
わたしは、買いそこなっていたグイン・サーガの最新刊を頼んだ。

本当は、今日は衣類の整理をしたいと思っていた。
夫にその旨を申告もしていたのだが、できなかった。 残念。
我が家では、タンスと寝る場所ともぐちゃんのおもちゃの場所と
昼寝の場所が一緒なので、もぐちゃんが起きていても一人ではで
きないし、寝ていてもできない。
週末を待つしかないのか、平日の夜にこつこつとやるのか。
(こつこつは向いてないと思うのだ、わたしには。)

エンピツ経由でメールをいただいていたのに本日気付き、急いで
返事を出させていただいた。
誰に対しても、どうもメールが長くなってしまいがちなのが悩み
でもある。
今日の返事もいやに長いような気がして、申し訳ないと思ったり。
(それは日記でも同じかもしれない。)

わたし達夫婦にとって、遊ぶということはどういうことなのか。
二人とも遊び下手なのか、反対にちょっとしたことでもうれしく
なってしまうあたり、遊び上手なのか。 微妙な。
わたしなど、遊びに出かけるというと、どうしても買い物をした
り映画を見たりと思ってしまう。
それ以外は、もぐちゃんと遊んでいるのと同じようなものだ。
夫の遊びも、パチンコという金食い虫と、立ち読みとかパソコン
を見て歩くとかのお金のかからないものと両極端だ。
勝てなくてもパチンコはしたいんだなぁと、勝てなくなってから
すっかり興味を失ってしまったわたしは、そう思う。
15年前は、500円でずいぶん遊べたのになぁ・・・・

とりとめもない、成人の日の日記。

 常識の無いのが成人式ならば成人式などいらぬと叫べ(市屋千鶴)



2005年01月09日(日) ぷらむの日

今日はぷらむの日である。
三連休の中日。
夫から、今日はゆっくりしてきていいよと言われていたのだが、
南大沢のヨーカドーで洋服を見て試着して、何回も試着したのだ
けれど、買わずに帰ってきた。
買うよりも、まず衣類の整理の方が先だろうと思ったのだった。
東林間の駅前で、禁断のラーメンを食べて帰った。
スープは残さなくてはと思いつつ、みそラーメンにお酢とラー油
をかけてたべたのだった。
醤油ラーメン以外には、お酢をかけて食べるのが好きなのである。
まあ、これから何回ラーメンなんか食べられるかわからないが。
(きっと、今だって食べちゃ行けないはずだと思うのだが・・・)

ぷらむ短歌会、今月のお題は「鶏」。
新年の抱負が、ゆったりと余裕を持って歌を詠む、だったのだが、
今月の詠草もぎりぎりセーフなものだった。
「鶏」題詠三首。

 鶏に詫びを入れつつ手を伸ばす朝の卵は暖かかった(市屋千鶴)

 決められた数になるまで産み続ける雌鶏の子は吾が腹の中(市屋千鶴)

 昨日まで卵をくれた鶏が今日は丸ごと命をくれる(市屋千鶴)

一首目。
わたしの生家では、鶏を飼っていて、毎朝卵を産んでくれた。
卵を取りに行くのは祖父の担当で、たまにわたしや姉も卵を取り
にいったりするのだが、鶏はけっこう怖い。
祖父は、詫びを入れるように鶏に話しかけながら卵を取っていた。
そのまねをして鶏をなだめながら手に取る卵は、温かかった。
「暖かかった」ではなくて、「温かかった」にすべきだった。
それと、「詫びを入れつつ」が申し訳なさを語っていると受け取
られてたので、なだめるという状況を詠み込んだ方が良いだろう
という指摘をいただいた。

二首目。
巣の中に決まった数だけ卵がたまるまで産むという習性を利用し
て、鶏の卵を取るようになったらしい。
それを知っていたので、そのことを歌にしてみたのだった。
その悲しい習性で毎日産んでくれる卵を、自分は毎日食べていた。
この雌鶏を人間の女性とし、決められた卵子の数だけ排卵すると
いうことを比喩したものととらえた方がいらした。
わたしは全くそんなことは考えていなかったので、短歌とはそう
いうものだと改めて思った。

三首目。
一番身近なところで動物の命をもらっていることを実感できたの
が、鶏だったと思う。
毎日卵をもらって食べていたし、何かの際には一羽丸ごと絞めて
料理した。
一番好きだったのは、卵の卵。卵予備軍。
それから、首の骨にくっついている肉はとてもおいしかった。
そんなことを思い出しながらの一首だった。

実際に鶏を飼っていた人の歌には実感があると言われた。
「鶏」というお題で、まったくそのもののことしか詠めなかった
のは、常に題詠を意識してきたわたしにとっても珍しいことかも
しれない。
それほど、身近に居た鶏やヤギや牛や馬。
ペット以外のいわゆる家畜が、産業としてではなく家の中にいる
ことの不思議さを、この年になって思い返している。



2005年01月06日(木) 冬の姿

毎年、冬はやってくるけれど、その有り様はそれぞれ。
自分が子供の頃の冬は、本当に雪が多かった。

わたしの生家は茅葺きの平屋だったから、屋根から滑り落ちた雪
で窓は塞がってしまうほどだった。
雪囲いのために、窓の外には木枠が取り付けられるのだった。
そして、そこに横板がはめ込まれて行くのだ。
明かり取りの天窓だけが外を見られる窓だった。
屋根から落ちた雪は、その明かり取りの窓をも塞いでしまうのだ。
雪下ろしは、雪掘りとも呼ばれた。
屋根からおろした雪は、そのままでは家が埋まってしまうので、
雪の中から家を掘り出すようになるのだ。
軒下から段々が作られて行く。
雪の段々は、明かりを反射して、天窓に届けてくれるのだ。

玄関から、雪の階段を4、5段上って庭の部分の雪の上を歩き、
そしてまた4、5段降りて道路に出るのだった。
庭の部分の雪は、わら靴で踏み固めた。
わら靴というのは、米俵の片方のフタを外した形で筒状にし、残
したフタを靴底として履くのである。
大きい物なので、歩くには技術が必要である。
それぞれ縄で把手がついており、歩く時にそれを持ち上げながら
歩くのである。
これで雪を踏み固めると、一往復でしっかりと道ができる。

雪下ろしのときに履くのもやはりわら靴と呼ぶのだが、こちらは
わらじにカバーを付けたような形をしている。
それをゴム長靴に縛り付けて履く。
屋根の雪の上を歩いても滑らない優れものである。

軒下に段々になった雪は、固くて、そり滑りにはちょうどいい。
肥料袋にわらを入れて口を縛ったもので滑って遊んだ。
近所ではおそらくわたしの生家にしかなかったのではないかと思
われる竹下駄でも滑った。
竹下駄というのは、雪下駄の歯の部分に竹が張ってあるものだ。
たぶん、見たことの無い人がほとんどだと思う。

こんな話をすると、わたしは10歳くらい年上の方々から、同じ
ような体験をしていると言われることがある。
要するに、わたしの生まれ育ったところは、そういうところなの
である。
生まれ育った家もまた、古い建物だった。
小屋には、古い農機具や生活用品があった。
足漕ぎの脱穀機とか、手回しの米の乾燥機とか、学校の資料室に
寄付するような物達。

雪が降ると、30年も前に無くなったあの古い家を思い出す。

 ああ、ここにいるぞと叫ぶわたしごと家ごと雪は消し去って行く
         (市屋千鶴 2000年10月作
               2003年2月10日の日記にて引用)



2005年01月03日(月) 年明けから長日記

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、29日に日記を書いてから、昨日まで。
年明けから、長々とした日記になって申し訳ない。

29日は、生協のおじさんが年末最後の配達をしてくれた日。
雪の中で、水曜日と金曜日の2回分の配達をするのだということ
だった。大変だなぁと心底思った。
うちは寒いので買い出しには行かず、こじんまりとかたづけ。

30日は主に買い出し。
大掃除とまでは行かない、いつもの掃除にちょっと毛が生えたよ
うな掃除をした。
といっても、こちらは夫が主力。
もぐちゃんを遊ばせつつ、大掃除もというのは無理だった。
もっと大きくなれば手伝ってくれるかな。

31日は、昼前から雪になった。
降り始めた雪を一目見て、これは結構積もるなとわかった。
その辺はもう、生まれ育った場所で身に付いた感覚。
外でタバコを吸う夫は、道を作ったらしい。
わたしは、昼前からずっと台所。
煮豚を作って、栗きんとんを作って、お煮染めを作って、ブリを
焼いて・・・・
どれをとっても味付けは薄めである。
元気が続かず、予定よりも作る品数を減らすことにした。
合間にもぐちゃんの食事や自分達の食事。
毎年、お煮染めの材料の残りでレンコンのきんぴらを作っている
なぁと思いながら、やはり作った。

年明けて、1日。
もぐちゃんが寝ている間に、夫と二人でお酒で乾杯し、おせちを
つついた。
午後から東林間神社に初詣に行ったが、長い行列ができていた。
雪の残る道をベビーカーで出かけたのだが、この行列に並んでも
とまでは元気が無くて、方向転換しヨーカドーに向かった。
くじ引きをしようとして、夫が訳の分からない景品を選んでしま
うのにむっとしたが、福袋を買って機嫌を直した。
結局、初詣に行くには遅い時間になってしまったので、翌日に。
夜になって、ケーブルTVの映画を見ていて、ちょっとした口論
になった。
わたしがちょっと嫌みを言い過ぎたらしい。
嫌みを言うにはそれなりの理由があるが、言い過ぎなのはやはり
良くない。(ちょっとくどかったみたい。)
ものの数分で仲直りした。

2日に、初詣の仕切り直し。
混み具合もまあまあになって、余裕の初詣。

年末年始の夫の休みは6日間。もう明日から仕事である。
クリスマスから、「メタルギアソリッド3」で遊んでいる夫だが、
昨夜、エンディングを迎えた。
ちょっと悲しい結末。
ゲームながら、もっと別の終わらせ方をしてあげたいと思うほど。
なるほど、これが1につながるのか、という驚き。
おまけのピポサルを捕まえるというゲームが面白かった。

なんか、あっという間の年末年始。
もぐちゃんが生まれてから、あっという間、と思うことが多くな
ったような気がする。
こうして、あっという間の今年も過ぎ去ってしまうのだろうか。

 酉年の従兄が捨てたふるさとを従姉妹らでまた取り返す春(市屋千鶴)

母の実家は、借金の方に農協の手に渡ったが、従姉妹らや叔母達
の努力で、再び従姉妹らの手に戻ったのだった。そんな初春。


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