鶴は千年、生活下手

2004年12月29日(水) 年賀状は午前中に

このところ、毎日午前中に年賀状を作っている。
それもやっと今日で終わり、今年のパソコンの出番は、ひとまず
これで終了の予定。
あとは手書きでコメントを追加する。
明日には、なんとか投函できるかなぁ。
三が日までには届いてくれますように。

これまで毎日記入してきた、たまひよの「子育てダイアリー」も
1歳を過ぎてからというもの、年末の慌ただしさもあって忘れて
しまいがちだった。
まだ離乳食完了期に入ったばかりなのだが、まあ来年の1月号の
おまけには「子育てダイアリー」はなかったし、一年分の記録と
いうことでいいのかなぁと思っている。

今日は朝から雪のようなみぞれのようなお天気。
めっぽう寒い。
といっても、わたしの故郷や新潟や北陸、東北、北海道には及び
もつかないのだとは思うが。
夫は雪が降ると全然だめなのだった。
山口だって雪は降るのに、雪が降ると全然動こうとしなくなるの
だった。
しかし、我孫子に行ってから、割と雪が降る機会が多かったし、
積もることも多かったので、少し慣れたのだろうか。
この年末の忙しい時には、雪が降っても資源ゴミは出さなくては
ならないしということで、いつも通りに起きて朝ご飯を食べて、
段ボールや雑誌や瓶やカンを出しに行ってくれた。

あっというまの一年間。
昨年の今頃は、産後ブルーに入ったところだったんだなぁ。
だんだんとこちらのいうことがわかるようになり、少しずつでは
あるが、言葉でのコミュニケーションが取れるようになってきた。
これから、悪魔の2歳まで突っ走るであろうもぐちゃん。
来年はもっと体力勝負になりそうである。
夫と二人、がんばろうっと。

今年はこれで日記は終わる予定です。
どうぞみなさま、良いお年を。

 一年の終わりと年の初めには笑顔の溢れる家族でいよう(市屋千鶴)



2004年12月24日(金) 通院日

今日は通院日。
待合室でいつも一緒に話をしている方から、もぐちゃんにとクリ
スマス・プレゼントをいただいた。
スヌーピーのかわいらしい紙袋に入った、これまたスヌーピーの
かわいらしいお菓子たち。
もぐちゃんはまだ食べられないので、わたしがこっそりといただ
くことになりそうである。

そんなわたし、やはり食べ過ぎていた。
10月から、鉄剤を飲まないでみたのだが、今月に入ってから、
ふら〜っとすることがたびたび有って、そういうことにあまり慣
れていないわたしは、無意識に食事の量を増やしていたらしい。
無意識にというと大げさだが、ついつい夜食を食べるようにして
しまっていたのである。
夫に話すと、二人で気をつけていこうと言ってくれた。
小腹が空いたねと言っても、肉まんとか買って来ないでね。(しくしく)
検査結果も、全てちょっとずつ悪かった。
貧血も進んでいたので、今日は皮下注射した。
久しぶりの皮下注射は痛かった。
腎臓が悪いと、血液を作りなさいという指令の役割をする物質が
作られにくくなり、それで貧血が進むのだそうだ。
その物質の代わりになる物を皮下注射した。
手っ取り早い貧血の対策。

今日のクリスマス・イブから年末年始と、ほんとに食べ過ぎには
気をつけなくてはと、今回はわりかし真剣に決心している。
でも、来週の月曜日からね。
(やっぱり情けないやつだ。ふぇ〜ん)

昨日は、もぐちゃんの1歳を記念して家族写真を撮ってもらった。
もぐちゃんは、まだ椅子の上。

今日、レンタルの歩行器が回収された。
鳴き声や車や機関車の音がなるボタンを押すのが楽しくなっていた
ので、その楽しみが無くなり、少し寂しそうなもぐちゃんである。



2004年12月22日(水) 初めての訪問

今日は、午前中は子育てサロンのクリスマス会に出席。
午後は、ハロー・マザークラスで一緒だった方の家にお邪魔した。
クリスマス会は、100円の会費でお菓子やプレゼントまでもら
い、嬉しかった。
もぐちゃんは民生委員のおじいさんに抱っこされて、サンタさん
の帽子のような紫色の帽子をかぶせてもらっていた。
まったく人見知りをしないもぐちゃんは、係の人から抱っこされ
ても動じない。
そのおかげで、この子は慌てず騒がず動じない子だと毎回言われ
ることになる。

午後の訪問の時も、騒がないのでおとなしい子だと言われたが、
外面がいいだけだよというと、それはいいことだと言われた。
まあ、確かに外に出た時におとなしくしていてくれる子は、手間
がかからなくて本当に助かっている。
午後に訪問したのはFさんち。
子供はしおんちゃん。女の子である。
藤沢市に引っ越した方(Mさん)が来ていて、子供さんはゆきの
ちゃん。女の子である。
そして、Fさんのママ友さんの子供はももちゃん。
これまた女の子で、男の子はもぐちゃんだけだった。
しかし、女の子にあまり感心を示さないもぐちゃんには、いつも
は見ることのできないおもちゃや、よその家のゴミ箱のふたや、
床下収納の把手部分の方が気になるらしく、あちらこちらと歩き
まわっては、コンコンと拳でその感触を確かめていた。
相変わらず、初めての物はとりあえず叩くのである。
まるで石橋を叩いて、のようである。

しかし、おもちゃがたくさん有って、少しびっくりした。
おそらく、初めての子供さんを持つ家では普通のことなのかもし
れなくて、我が家が特別おもちゃの無い家なのだろうと思う。
しかし、2DKのアパートでは、おもちゃに埋もれてしまう。
ただでさえ物が捨てられなくてたまって行くというのにね。(涙)

で、もぐちゃんとしては、楽しかったらしく、帰りはベビーカー
の中で、すぐに眠ってしまった。
その後、帰宅してからも延々と3時間、眠ったのだった。

初めてのママさん仲間のお宅訪問は、しょちゅう人の集まる家で
あるらしく、大変居心地のいいものだった。
また声をかけてくださいな。

 「おもちゃより日用品が好きなのよ」わかっていても増えるばかりで
                           (市屋千鶴)
とは、Mさんの言葉。



2004年12月21日(火) 1歳になるのは22時

もぐちゃんが生まれたのは、22時4分。
今夜、1歳になるのである。

今日は、縦抱っこで病院まで行ってきた。
バスに乗るのは相変わらず楽しいらしい。
帰りのバスで寝てしまうのも、相変わらず。
せっかくもぐちゃん連れで病院に行ったのだからと、産科病棟を
表からのぞき、ここでお前は生まれたのだぞと言ってみた。
たまたま目が合った助産師さんに声をかけられ、何も用事はない
がここで生まれたのだと話していたところだと答えた。
今日で1歳になるのだと言ったら、おめでとうと言ってもらえた。
他人におめでとうと言われたのは、これが初めてだった。
きっと明日は、生協の配達のおじさんにおめでとうと言われるな。
そのまえに、子育てサロンでみんなに言ってもらえるか。

我が家では、明治乳業のミルクでもぐちゃんを育てており、それ
はフォローアップミルクになっても同じである。
毎月2回、メールマガジンが届く。
1回は誕生の日、1回は25日。
今日、1歳の誕生日を祝うメールが届いた。
特別なことが書いてあるわけではないが、毎月、名指しで激励さ
れるので心強い気がしていた。
それも、今日で終わりかと思うと、少し寂しい。

最近気付いたこと。
もぐちゃんは、夫に叱られると怒るのである。
怒って泣くのである。
わたしが叱るのは、そういうものだと思っているようだし、叱ら
れることをわかっていて顔を見ながらいたずらしたりもする。
だから、わたしに叱られるのは仕方が無いと感じているようだ。
しかし、夫のことは、どうやら遊び相手と思っているようで、そ
の遊び相手に叱られると、悔しいらしい。
わたしが叱る時よりも、泣きが長い。(笑)

いつ頃からお父さんは遊び相手なだけではない存在なのだとわか
るのだろうか。
不思議。

 一年を繰り返しつつ育つ子に老いゆく母は何を残そうか(市屋千鶴)



2004年12月20日(月) 一年前

また、すっかり間が開いてしまった。

昨年の今日は、お昼に入院したのだった。
今年の今日は、蓄尿している。(苦笑)
明日、もぐちゃんを抱っこして検体を病院に持って行く予定。

なんだか、北里の産科に入院したのが、もう何年も前のような気
もするし、ついこの間のような気もする。
出産のこと、入院中のこと、退院する時のこと、退院した日から
始まった産後ブルーのことなど、いろいろと思い出すが、思い出
したりしていられるのも、もぐちゃんが寝ている間だけだ。
昨日、あまり昼寝をしていないので、今日は眠いらしい。

夫と二人、一年前はまだお母さんのおなかの中にいたんだぞ、と
もぐちゃんに言ってみても通じるわけも無いが、親として暮らし
始めたこの一年を、夫もわたしもそれぞれに振り返っている。

もぐちゃんはといえば、眠る時に枕代わりにしている布おむつを、
片手に持って歩くのが最近のお気に入りである。
未使用の布おむつは、枕代わりのものとおむつ替えシート代わり
のものと、二種類に分けて使っている。
肌触りがいいので、枕にしたときにタオルよりも気持ちがいいら
しいのだ。それに、横向きに寝ても、顔にあとが付かない。

明日のもぐちゃんの誕生日は、どう祝ってやろうかと相談したが、
まだケーキは早いだろうと、乳児用のカップケーキに果物を付け
てあげることにした。
二歳からは、ちゃんとケーキでお祝いしてあげよう。

それよりなにより、年賀状用に写真を撮っているのだが、なかな
かいい顔で撮らせてくれないのが、目下の悩み。

 実物はもっといいのと付け加え親バカぶりを発揮しようか(市屋千鶴)



2004年12月15日(水) あんよの練習

一昨日の夫の夕食は、牛丼だった。
山形牛の切り落としで作った牛丼は、脂が甘くておいしかった。
といっても、わたしは味見した程度なのだが。
日曜日に夕食をカップ麺で済ませたらしかったので、翌日の夕食
はおいしいものをと思っただけだった。
紅ショウガも用意し、卵は東急ストアのおいしい赤たまご。
生臭さが全くないので、最近はこれにしている。

夫は、もぐちゃんにどんぶりを狙われながら、おいしいと食べた。
でも、最初に作った人に一口あげると、わたしに少しくれた。
自分でいうのもなんだが、減塩醤油を使っている割にはおいしく
出来たと思う。
それだけを味見するのと、ご飯に乗せた状態で食べるのとでは、
感じる味の濃さが違うので、お店で食べる牛丼よりもだいぶ薄味
ではあるが、お肉がおいしかったので満足だったようだ。
こんなもんでとても喜んでくれるなんて、感謝、感謝。

今日は、昼からこどもセンターまで出かけた。
寒かったので、暖かい場所でいっぱい歩かせてやりたいと思って
のことだった。
他に遊んでいる子供が誰もいなくて、わたしともぐちゃんだけで
あちこちを歩き回った。
もぐちゃんは、興味のあるところに向かって一直線。
幼児室から受付までの10メートルあまりを一人で歩いていた。
明日の午前中は親子サロンだから、よちよち仲間がたくさんいる
に違いないが、一日早かったなぁ。
明日も行く元気は、正直言って、ない。
来週は、子育てサロンのクリスマス会があるし。
14時をまわり、そろそろ小学生が来る頃だまと思って帰り支度
をし、ベビーカーにもぐちゃんを乗せていると、小学生達が次々
とやってきた。

帰り道、気になるお店ををのぞいてみたら、好みのものがあった
ので購入。
今、玄関先にかかっている。
クリスマスあたりまでと、松がとれてから春までの間、玄関にか
かっている予定である。

 玄関の名前が隠れてしまうけどそんなのほっとけスノーマン(市屋千鶴)



2004年12月12日(日) ぷらむの日と忘年会

今日はぷらむの日。
東先生が少し遅れてくる間、女性6人で雑談をしていた。
黄色は難しい色だとか、なかなか着こなせないよねとか。
どうしてぷらむ短歌会に入ったのかとか。
先生が到着し、様々な「黄」の歌を読んで、感想を述べ合った。
今回の短歌鑑賞は、大野道夫さん。
プロレス好きとの話に、プロレス談義が一瞬燃え上がった。
談義というより、参加メンバーの男性一人とわたしがプロレス好
きだったために、感想に熱が入ったものなのだが。

今回のわたしの歌は、題詠で三首。

 はるかなり 黄金の波輝けるわがふるさともきみのこきょうも
                          (市屋千鶴)
 ぽつねんと黄昏れている電柱をたどった先にふるさとがある
                          (市屋千鶴)
 南下するほどに言葉は柔らかく黄色人種の声は優しい(市屋千鶴)

一首目。
「はるかなり」で始まり、一字空けの後の「黄金の波」と続くの
は、やや大げさであり、内容と会っていないようだという指摘。
「はるかなり」を流れの中に組み込んで詠んではという指導。

ニ首目。
わたし独特のふるさと感があると、先生をはじめ、みなさんから
感想をいただいた。
わたしの頭の中では、田んぼの中の一本道に沿って立っている電
柱が浮かんでいた。
それは、生家を出てからどうしても渡れなかった、生家のある村
への橋へと続く道路であったり、生家を出てからずっと世話にな
った親戚の家に続く道であったりする。
きっと、本当に帰りたいのは、両親が離婚するまで住んでいた村
なのかもしれないし、その後の生活で一番楽しかった思い出のあ
る親戚の家なのかもしれない。
生家が存在しなくなった自分にとって、ふるさとはあまりに遠い。

三首目。
理屈で作ると失敗するという典型だと思う。
最初の発想は、中国語でも北京語と広東語では広東語の方が言葉
の持つ響きが柔らかく、さらに南下してベトナム語になると、更
に柔らかさが増すような感じをもっていて、それを歌にしようと
したこと。
しかし、「黄」を使いたかったので、「黄色人種」を出してきた
のだが、そこが理屈っぽくなってしまった原因だと思う。
南下するほどに柔らかくなるアジアの言葉、という歌にしておけ
ば良かったのだろう。

短歌会が終わって、ヨーカドーの上のイタリアンのお店で忘年会。
男性は一人だったが、その彼の守備範囲の広さに驚くばかり。
意外なことを知っていたり、体験していたりするのだった。
その彼に、プロレスをこれほど知っている人がぷらむにいるとは
と、驚かれたのはわたし。(笑)
なにしろ、銀行員時代、いや高校がほとんど男子の学校だった頃
から、おやじ感覚を持って暮らしてきたので、大野道夫さんの歌
にひどく共感したくらいだし。

ほんとうにしばらくぶりで、たくさん話をした。
それも、自分の話で他の人が笑ってくれる快感を、久しぶりに味
わった。   ああ、快感。(お笑い体質?!)
わたしは、ぷらむ短歌会に入って、本当に良かったと感じる瞬間
の一つ。(笑)

今日は、結婚記念日。七周年。
忘年会は夫からのプレゼントだと思っている。

 たくさんの笑顔を胸に受け取って君にわが子に伝えられたら(市屋千鶴)



2004年12月11日(土) 井戸端の新しい形

木曜日、一駅電車に乗って、相模大野の駅ビルへ出かけた。
子供達が遊んでいる場所。
平日の昼間は、母子達でいっぱいだ。
その遊び場所の一角で、若い(わたしから見ればみんな若いけど)
お母さん達が4、5人かたまって話をしていた。
どうやら、いわゆるママ友さん達らしかった。
もぐちゃんと遊びながら、聞くとはなしに聞こえた会話の内容か
ら察すると、他のお母さん達のうわさ話をしているようだった。
お母さん達の話以外にも、妊娠中の職場の話とかも出ていた模様。
しかし、聞くとはなしにここまで聞こえるというのもなぁ。
一人、声の大きなお母さん(体格も少し大きめ)がいて、その人
の声がよく聞こえたのだ。
こんなところでも井戸端会議なんだなぁ、となんだかおかしいよ
うな悲しいような気がした。

わたしにはママ友という人はまだおらず、ハロー・マザークラス
で一緒だったママさん達と、ときどき遭遇する程度だ。
だから、そういう時にする話は、お互いの子供の話と情報交換が
主になる。
これが、しょちゅう子供の遊び場で一緒になるような間柄になっ
たら、話の内容も井戸端会議的に変わらざるを得ないのだろうか。

そういえば、銀行員時代はそういう話はあまりしなかったなぁ。
誰それがどうしたと、その場にいない人の話はあまりしなかった。
もっとも、わたしの友人達はそれぞれが個性的でもあったので、
お互いの話題にことかかなかったということもあるのだが。
(話の種の筆頭はわたしだったけど。へへへ)
転職したさきは女性が少なかったので、少ない人数で一緒にお昼
を食べていたのだが、その時の話題はいつも他人のことだったな
と思い出した。

わたしの銀行員時代は、いろんな意味で人間関係に恵まれていた
のだと思う。
それをつまらない男に引っかかって借金し、自分から捨ててしま
ったのだから、転職先でのいろんな苦労は自業自得なのだろうと
思っている。

しかし、そのおかげで夫に出会えて、もぐちゃんを授かったのだ
から、なるべくしてそうなったのか。

そうそう、井戸端会議の解釈が多少偏っていることは、自分でも
認識しているので、あしからず。

今日は忙しい。
16時からケーブルTVの点検があるので、それまでにユニディ
に行って来なくては。
今、テレビ東京の「ジャスティライザー」を見ながら日記を書い
ている。
もう少ししたら、夫と、相変わらず遅寝のもぐちゃんを起こす。
掃除して、お昼を食べたらレッツゴーである。

明日はぷらむの日。
短歌会の後の忘年会も参加予定。(夫に感謝。)

 それぞれの形が有っていいことはわかっていても気になる他人(市屋千鶴)



2004年12月08日(水) 12月は暖かいそうな

以前見た3か月予報では、12月と2月は気温が平年並みか高め、
1月は平年並みか低め、だったと思う。
12月もまだ1週間ほどしか経っていないが、暖かい日が多いの
ではと思う。
日曜日は美容院に行ったのだが、行く途中に半袖の人を見かけた。
う〜〜ん、クリスマスのイルミネーションと半袖の人。
どちらが季節外れなのかは言うまでもないが、半袖を着たくなる
のも仕方が無いような気温だったなぁ。

年を越したら、寒くなるのだろうか。
姉からの電話で、インフルエンザの予防接種は受けたのかと訊か
れた。
わたしは、この3年くらい、ほとんど熱を出していない。
食事療法で急速に痩せて、体力が落ちた時に高熱を出したきりだ。
夫もあまり風邪をもらってこないので、うちではせいぜい鼻風邪
で、熱を出したりしていないのだ。

腎臓内科の医師は、毎回、「風邪をひかないようにね。」と言う。
風邪をひくと、腎臓に悪いからだ。
姉は、毎年、インフルエンザの予防接種を受けているらしい。
風邪をひくと体に直接響くのはもちろん、透析に通うのも大変だ。
週に3度、何が有っても行かなくてはならないのだからなぁ。

通院日に一緒になる方は、風邪をひきそうなときは、マスクをし
て寝るのだそうだ。
それはわたしもやるけれど、彼女は、マスクを濡らしてしぼって
かけるのだそうだ。
そうすると、のども鼻もとても楽らしい。
今度、のどが痛くなりそうな時にやってみようと思う。

 ふるさとの米が届いた週明けに天気予報は冬型になる(市屋千鶴)



2004年12月06日(月) 歩いています

12月1日の夕方、和室でもぐちゃんが3歩ほど歩いた。
この日、夫はかなり早めに帰ってきた。
夫がトイレに入っている時に、おとうちゃんのとこに行こうねと
言ったら、1mばかり一人で歩いた。
台所の方が歩きやすいらしい。
夫はトイレの中だったので、その時は残念ながら目撃できなかっ
たのだが、その日は一人で歩けるようになったことを楽しむよう
に、何回か一人で歩いてみせてくれたので、夫も大喜びだった。
そんなわけで、週末はもぐちゃんの靴を買いに行ったりした。

立って歩くようになると、子供らしいと感じるようになる。
赤ちゃんから、ちっちゃい子供への移行期間。
空腹の時にしか泣かない子だったが、最近で悔し泣きすることが
ある。
例えば、もぐちゃん用の引き出しを閉めようとして指が挟まった
時などは、痛いという以上に指を挟まれたことへの悔しさがある
ようだ。
こけた時も、こけてぶつかった物に対して、悔しいようだ。
悔し泣きする息子、母に似たのだろうか。

昨日は、ぷらむ短歌会の12月分締め切りだった。
相変わらず、24時近くになってから、わたわたと歌を作って、
わたわたとメールした。
お題は「黄」だが、題詠で三首、「黄」を三通りに使ってみた。
それにしても、「黄」を使う言葉に、黄昏や黄泉の国などがある
ことが不思議な気がする。
黄昏は、その時間帯の色が黄色っぽいかなとも思うが、黄泉の国
は何故この漢字なのだろうかと不思議に思う。

 両の手でバランス取ってとてとてと歩いています 人間らしいな(市屋千鶴)



2004年12月01日(水) 師走、始まる

昨日は、11月の最後の日だったのに、あんな内容でいいのだろ
うか、日記。(しくしく)
ほんと、事実報告だけの日記になってしまって。
今年もあと1か月。
なんとか、思い出や考えを盛り込んだ日記に戻りたい。

というわけで。

本田瑞穂さんの日記を読んでいて、冬の靴屋さんの風景を思い出
した。
ああ、そうだそうだ、そうだったっけと思った。
雪国の靴屋さんの冬用の品揃えは、眺めているだけでも楽しい。

銀行員から転職し、生まれて初めて出張したのが、山形県の新庄
だった。
尾花沢の親戚の家から、冬だと車で約30分ほど。
短期の出張ではなくて、3週間ほどの予定だった。
尾花沢の親戚の家に行き、世話になる挨拶をしてから最初にした
ことが、雪用の靴を買うことだった。
とりあえずで良かったので、短い丈のゴム長。(なんか矛盾??)
都会でいうところのレインブーツである。
出張は、なんやかやと東京と行ったり来たりして、春まで続いた。
ひと冬いるのだったら、長い丈の雪靴にすればよかったと思った。
その靴は、今は雨用にしまってある。

高校生の頃、数少ない同期の女子がロングブーツを履いていて、
自分もそういうのを履きいと思った。
しかし、わたしの足のサイズでは、普通のブーツはまず無理。
下宿先と高校の行き来ならば防水加工の革のでもいいが、自宅の
尾花沢まで帰る時のことを考えると完全防水でなければならない
ので、サイズのことも含めて普通のブーツはあきらめた。
ところが、ある靴屋さんで、見た目は革のブーツだけどほんとは
ゴム長、おまけにサイズも大きいサイズまであるという、希望ど
おりの商品を見つけ、大喜びでそれを買ってもらった。

今でもあの雪靴は、最高だったなぁと、雪が降るたび思い出す。


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