姉は、サクランボを持ってやってきた。 東林間の駅で待合せしお昼ご飯を一緒に食べてから、買い物して 我が家まで。 姉は、わたしにサクランボを持たせ、自分は重い方のスーパーの 袋を持ってくれた。
姉は透析をしているので、水分調整している。 食べられないものは特にないが、塩分の多いものを食べれば水を 飲みたくなるので、一緒にもやしラーメンを食べても、スープは 全く飲まない。 ばくばくと食べる妹と、少しずつ休みながら食べる姉。 食べ終わった妹は、我が家で発生する面白そうな話を姉にする。 姉は、妹の話を笑いながら聞いては食べる。 わたしたちは、こんな姉妹だ。
買い物をしてから、ゆっくりと我が家までの道のりをあれこれ説 明しながら歩いた。 以前よりずっと分かりやすい場所に有る。 「すぐに覚えられるね。 方向音痴の娘だって分かるって言ってたくらいだからねぇ。」 という姉。 姪は周りからそういう認識をされているのだった。(笑)
部屋の中で、あれこれと妊婦エピソードを語り合い、よく笑った。 買ったばかりのショーツがほころびてしまった話で爆笑する姉。 夫よりももっと笑う。妹を知り尽くした姉の笑いだ。 というよりも、夫はいろんなエピソードに慣れてしまったという ことなのか。(涙笑)
姉が持ってきたのは、父から送られてきたサクランボだった。 袋に小分けになっているものを二袋。 姉が帰った後ですぐにもう一袋を食べてしまったわたしだ。 美味しかった。実に美味しかった。 夫が帰ってきたら、もう一袋を二人で食べるのだ。 つまりわたしは一袋半食べるのだ。(えへん!)
サクランボと丸ごとのスイカは、なぜか買って食べない習慣。 スイカは、小さくカットしてパックされているものは買う。
姉は、夕飯のおかずを作ってあげるよと言って買い物もしたのだ ったが、わたしが割と調子が良かったので大丈夫だと辞退した。 なんだかとても調子が良かった。楽しかったからか。 ずっと作って食べたかったものを作って食べた。 美味しかった。(嬉)
姉は言うのだ。 本当に体が悪くなったら、食べたいものが食べられなくなるのだ から、今のうちに食べておきなよって。 それは一昨日の焼き肉のことだったのだが、美味しいレバーが羨 ましいとしきりに言っていた。 そうだなぁ、食べる楽しみが無くなったら、かなり寂しい。 やっぱり、あんまり腎臓が悪化しないといいなぁ。
姉は、道を覚えたから、今度は迎えに来なくても来れるよと言い ながら帰って行った。
小さくて細身の姉と大きくて豪快な我の声はそっくり(市屋千鶴)
昨日の日記で、幸せを強調しているように思えるのは、イベント に行けなかったことに対する反動なのかと思ってみたり。(笑)
本当に幸せな人は、幸せだとことさら声を大にして言ったりはし ないのかもしれない。 ずっと幸せな人は、しみじみ幸せだと思ったりもしないのかもし れない。
でも、幸せって、些細なことでも喜びを感じることができる環境 に自分がいるということへの感謝なのではないかと思っている。 周りから見て、大変そうだったりしても、当人達がその暮らしを 投げていなくて、日々の生活の中に喜びを見つけることができる のなら、その人達は、幸せなのだと思う。 どんなに恵まれた環境に居ても、そのことに喜びを感じることが できなれけば、幸せではないだろうし。
大変な生活が不幸なのではなく、喜びの無い生活が不幸なのだと 実体験から思うのだった。 母と二人の生活は、わたしにとっては幸せな日々だった。 自分の拠り所となる人や場所や物を持っている人は、それを思う ことで幸せだと感じることができる。 わたしにとっての拠り所は、母であったし、今は夫である。
幸せは、なるものではなくて、感じるものかもしれない。
昨日とは打って変わって不調な一日。 それでも、姉と電話で一時間も話し込んでみたりはしている。 明日は、姉と待ち合わせて、サクランボを受け取る予定。 本当はもっと早くもらいに行けばよかったのだが、やや出遅れた 感じがするなぁ。(笑) 姉の家には、毎年たくさんサクランボが届く。 姉の高校の同級生が送ってくれるのだ。 父からも、毎年送られて来る。元気だよと言う連絡のようなもの。 父からのものには、一応うちの分も含まれているらしいのだが。(笑)
夫は、洗濯物を乾燥させに行ったり等々、いくつかのミッション をこなしてくれた。 他の時間は、昨日購入した格闘ゲームで遊んでばかりだったが、 来週までには飽きてしまうかもしれない。
そんなこんなで、夫に言わせると夏休みのような土日が終わった。
夏休みの宿題のようにミッションをこなして遊ぶ真剣に遊ぶ (市屋千鶴)
格闘ゲームをやってる時の夫は、ほんとに真剣。(笑)
不思議なことに、自分で買い物をすると買えないというか買いた くないメニューでも、買ってきてもらったりして食べるとそれは とても美味しかったりして、買いたくないからと行って食べられ ないのではないのだということ。
蕎麦好きのわたしだが、たとえばコンビニの蕎麦類を見ても買い たくなかったのだよね、ずっと。 だから、ずっと蕎麦は食べていなかった。 近所の弁当屋さんでは、夏の茄子祭りとかで茄子入りのメニュー をいくつか出している。 茄子の天ぷらの入った奴をと夫にお願いしたら、それは天ざるに なったのだった。 おそらく自分で買いに行ったらば買わなかったであろうメニュー。 食べてみたら、とても美味しかった。 茄子は大好物だからもちろん美味しかったのだが、久しぶりに食 べた蕎麦も美味しかった。
大満足して少し休もうと思ったら、二人して寝てしまった。 目が覚めたのは、16時だった。 マラソンリーディングの第二部のスタートにも間に合わない時間 になってしまったし、おまけに、起きたらめちゃくちゃ気持ち悪 くて、ついに断念してしまった。 第二部から行ってみようかと、夫にも送り迎えの相談をしたりし ていたのになぁ。 夫とごろごろ暮らすことにした。(って、もう夕方だよね。)
3時間位して空腹感が増してくると、再び食欲が出てきた。 いつも、会社のかえりに夫が寄っているラーメン屋さんに行きた いと言って家を出た。 ラーメン屋さんに行くまでに焼肉屋さんがある。 この焼肉屋さんは、アパート探しの時に世話になった不動産屋さ んの親戚とかで、おいしいですよと言われたお店だった。 お店の前を通る時に漂って来る、美味しそうな焼き肉の匂い。 どうしようかと迷い、ラーメン屋さんの前まで行って匂いで決め ようということになった。 ラーメン屋さんまで行って、焼肉屋さんに軍配が上がった。(笑)
おすすめ4点もりとレバーとナムルを注文した。 わたしはそれにご飯、夫は大ジョッキ。 夫はさらに、ミックスホルモンを注文。タン・ハツ・レバーだ。 どれも美味しかったのだが、レバーのおいしさには驚いた。 臭みなど全くないし、甘みが広がる。実においしい。 お店の人に、レバーどうでした?と聞かれて、夫婦そろって満面 の笑顔で美味しかったですと答えた。 なんだかとても幸せな気持ちになって、お店を出てからお腹をさ すりながらもぐちゃんに話しかけたりした。
帰りにPS2のゲームを買って帰り、夫が遊ぶのを見ていた。
初めて夫と焼き肉を食べたのは、付き合い始めた頃だった。 今から8年ほど前のことだ。 その頃はわたしの方が高給取りで、夫に焼き肉を奢ったのだった。 二人で焼き肉を食べると、いつもその頃の話になる。 もうすぐ8年になるんだねと、感慨深げな夫。 まさかあの頃、二人が親になるなんて思っていなかったねとも。
わたしは、美味しいものを夫と食べられて幸せだと言った。 夫は、美味しそうに食べるわたし見ながら食事ができて幸せだと 言った。 行きたかったイベントには行けなかったが、その代わりにとても ほんわかと幸せな気持ちになった一日だった。 一日のなかには、わたしがぐずってしまう場面もあったのだが、 それも夫の言葉で落ち着いて穏やかになることができた。
そんな一部始終を、お腹の子どもは感じ取っているのだろうか。
大切に思えることの小ささが喜びを増すことに気が付く(市屋千鶴)
産科の検診は、思ったよりも早く終わった。 9時半〜10時の予約で、到着したのは10時10分前だったが、 検診が終わって受付に寄ったのは、11時10分前だった。 それから助産婦さんとちょっと話をして、病院で開催される母親 学級の予約をしてきた。 1回目と4回目(最終回)はご主人も一緒の方がいいでしょうと いうので、今晩夫にお願いする。 1回目は8月13日の水曜日だが、お盆休み近辺だから休めるん じゃないかなぁ。
要経過観察と言われた子宮頸がんの検査は、やはり少し痛いね。 検査結果は四週間後でいいんですかと訊ねると、それで大丈夫で すよと言われた。 助産婦さんとの話の時にもそのことを聞いてみたが、すぐに対応 しなければならない人もいるが、ずっと経過観察して行く人もい ると教えられた。 なるほど。
この四週間で体重が2キロ近く増えてしまった。 空腹で気持ち悪くなるのが恐くて、食べてしまっていたからだ。 このことも助産婦さんに聞いてみたら、15週目位からバランス の良い食事を摂るようにすれば大丈夫とのこと。 あと二週間で、つわりが納まってくれればいいなぁ。
15週で胎盤が完成し、母体から直接栄養を取るようになるのだ と教えてもらったのだが、とすると、今はどこから栄養をとって 大きくなっているのだろうか。 順調らしい、我が家のもぐちゃん。 医師との会話も、特にないほど今のところは順調らしい。 (検査結果は四週間後でいいかという話しかしなかった。)
明日のイベント、行きたいなぁ。 でも、5時間も会場にいるのは疲れると思う。 休憩時間には、何か食べたり飲んだりして乗り切るかな。
とりあえず、朝晩、重曹を飲んでいるわたし。 しょっぱいよ、重曹。(涙)
夫の会社の我孫子の事務所は、今日が引っ越し。 荷物を全て黒川に移すのだそうだ。 もう、我孫子に行かなくていいんだよね。ご苦労様。
会場に響く声にはいくつもの答えが有って精神感応(市屋千鶴)
明日のイベントは、朗読なのだった。 意味不明? だね。
2003年06月26日(木) |
季節外れの稲刈りの話 |
起きたらめまいがした。 昨夜寝る時に、お腹がグーグーなるくらい空腹で寝たからか。
ビニール袋まで連想して、その後、袋と言えば肥料袋でそり遊び をしたことを思い出した。 肥料袋(窒素・リン酸・カリとか書いてあるやつ)をそのまま使 うのでは、お尻が痛い。 肥料袋に、わらの束を差し込んで、袋の中で広げる。 袋から出た部分は、袋と一緒に縄でしばる。 縄は少し長めにしておいて、手に持ったりする把手にする。 これがよく滑るんだよね。 子どもの頃は雪が多かったから、屋根からずり落ちて来る雪の量 も多く、屋根の下には斜面ができる。 その斜面を、肥料袋で滑ったりするのだった。
ここで、袋に入れるわらはどれくらいの量かを思い出した。 小屋の二階には、脱穀した後のわらが積んであった。 つまり、わらの束は、稲刈りをした時の一束の大きさなのだ。 その一束の量が、肥料袋に入れるのに丁度良かった。 大きさは、大人が手でつかめる大きさだ。 太めの首の太さくらいかな。
昔、手で稲刈りをしていた頃は腰にわらの束をぶら下げていた。 しばるのに手ごろな量のわらを腰元から抜いて、そばに置く。 その上に、刈った稲を置く。 その稲の量が、手でつかめる量になると、ひもにするわらごと持 ち上げてくるくるっと廻してきゅっとしばる。 これで、一束の出来上がりだ。 稲刈りを手伝った時に一番苦労したのが、このしばるという作業 だった。なかなかうまく行かないんだよね。
この一束の大きさは、稲を天日で干す時の量としても、ちょうど いいのだろう。 干した稲を小屋に運び入れる時や車まで運ぶ時は、この束をいく つも縄でひとまとめにして背中に背負う。 縄はしばらずに、引っ掛けているだけだ。 子どもは少しだけだけど、大人のまねをして背負って運ぶ。 ちょっと多めに運ぶと褒められた。 わたしは、子どもの頃から体が大きかったので、少しは多めに運 ぶことができて、褒められるのがうれしかった。
こうして、わたしの言葉の連想は、サクランボから稲刈りまで巡 っていたのだった。 こうしてみると、農家だった子どもの頃の思い出が、とても幸せ なものだと感じていたことに気付く。 家族がみんなで同じ作業を力を合わせて行うことに、やはり意味 が有るのではないだろうか。 今の時代では、なかなか難しいことだけどね。
さてと、明日は産科の日。9時半の予約だ。 土曜日に、「マラソンリーディング」というイベントが有るのだ が、行けるかどうか微妙なところだ。 土日はわりと調子がいい時が多いので、行きたいんだけどなぁ。 こればっかりは、その日の調子次第だろうね。
今日で、アパートの全部の部屋の給湯器の設置が終わった。 これで、消し忘れることも無いよ〜ん。>お二階さん
時を越え思い出すのは幸せな思い出ばかりになってきた頃(市屋千鶴)
給料日だからして、お金を下ろしたり、口座にお金を振分けたり などの作業をしに出かけた。 夫の会社から、引っ越し代などのお金がまだ振り込まれない。 不満である。(ぷんぷん)
さてと、蚕の話。 虫が苦手な人には、想像するのも嫌なものかもしれない。 わたしだって青虫とか芋虫とかは苦手なのだが、なぜか蚕だけは 平気で触ることができる。 なにしろ、同じ屋根の下で暮らした仲だから。(笑)
わたしが小学生の頃は、近所でも蚕を飼っている家が多かった。 母の実家でもそうだった。 生家では、小屋(農作業用の小屋)に蚕のベッドを作っていた。 まだ小さいうちに購入して、繭を作るまで育てるのだ。 小さいうちから桑ばかり食べている。 桑ばかり食べているから、蚕のウンチは深緑色だ。 子どもにも、桑の葉を蚕の寝床に置くことくらいはできるので、 桑をやってこいと指示されることも頻繁に有った。 小屋に入ると、桑を食む音だけが聞こえた。 最初は黒い(濃い茶色くらい)が、白くなってだんだんと大きく なると、頭の模様が顔に見えてかわいかったりする。 「モスラ」よりもずっとかわいいと思っている。
真っ白だった蚕が、やや黄色みを帯びて透き通った感じになった ら、繭を作る準備をしてあげる。 ちょうど繭玉一つ分くらいの升目がたくさん並んだ枠を用意して、 それに蚕を置いてあげると、蚕はその升目に繭玉を作り始める。 この段階になると枠が場所をとるようになるので、小屋だけでは 足りなくなって、家の部屋を一つ占拠したりした。
繭玉ができると、きれいな白い繭玉とそうでないものに分ける。 白い繭玉はそのまま出荷用の袋に入れられ、そうでないものから 自分の家で使うものを除いて袋に入れる。 自分の家用のものは、黄色みが強かったり汚れていたりするもの なのだが、それを祖母は煮出して繭玉から絹綿を作る。 繭玉をほぐして、四角い板に貼付けて行くのだ。 そうして、自分の家で使う絹綿ができる。
その絹綿を使うのを見たのは、母が布団を作っている場面だった。 綿で全体を作った後に、絹綿の層を重ねて行く。 靴下に綿がつかないように、足にはビニール袋を履いて作業して いた母の姿を覚えている。 なんだか不思議な光景だった。 今ならば、鑑識の人達みたいだと思ったかもしれない。
ここまでで、「蚕」から「ビニール袋」までがつながる。 この先は、また明日。
それにしても、サクランボ泥棒は許せない。 収穫などに詳しい人の犯行というのが悲しい。 同業者だと思わざるを得ない状況は、サクランボ農家にとっても 辛いことに違いない。 ○○農家という人達にとって、その作物は子どものようなものだ。 わたしの親戚はスイカ農家だが、やっぱりスイカのことは子ども のようにかわいがるし、自慢するもの。
何にせよ、他人のものを盗んで一儲けしようなんてとんでもない。 そんな人達には、ただの高額商品としか見えないのだろうね。
セミダブルサイズの布団で姉と寝るわが体温は暖房がわり(市屋千鶴)
母が作った布団は、わたしと姉が一緒に寝る布団。 1.5倍の幅があった。
最近、午前中は調子が良かったのだが、今日はいまいち。 内科の待合室で、げぇっということ数回。(笑) その直後に診察して測った血圧は、下が少し高めだった。(汗)
尿酸値が高いというか、体が酸性になっているからと重曹を処方 された。 担当医師曰く、「まあ、膨らし粉、ですけどね。」 膨らんでしまうのか、わたし。。。。 貧血ぎみは変わらなかったが、カルシウム値はやや上がって正常 値の範囲になんとか入ったみたいだった。
せっかく痩せたのに産後は戻さなくちゃとつぶやいたわたしに、 担当医師は、妊娠・出産によって腎臓の状態が悪化するというこ とは覚悟してくださいね、と言った。 どれくらいなのかは、もちろん数字で示せるようなものではない ことはわかっていたので、その先は突き詰めて聞いたりはしなか ったが、悪化するといったってすぐに人工透析に移行しなければ ならないようなことはないだろうと思っている。 それならば、姉よりもましだと思って、覚悟を決める。 まあ、子どもが小さいうちに透析になってしまう可能性はあるの だけれど、それも遅いか早いかの違いくらいだろうし、どのみち 人工透析の体になるのだということは確実なのだから。 できれば、60歳くらいまで保ってくれるといいなぁ。
内科の日が、火曜日から金曜日に変わる。 産科の診察日に会わせましょうと言ってくれたのだった。 今度は女医さんになるらしい。どんな人かちょっと楽しみ。 産科は予約していても時間がかかるので、内科を先になるように 予約しておいた。 今日も、血液検査と尿検査があった。(毎回、採血してるなぁ。) 採血する時は、一番太そうな血管を使うらしい。 見えないけれど太い血管。 胆のう摘出で入院していた時に、インターンでも一発で点滴の針 が入れられる立派な血管と褒められた血管だ。 この血管で採血すると、後が青くならないから不思議だ。 何かと障害の多い内臓だが、この血管の太さだけは自慢。(笑)
えっと、昨日の言葉の連想はあそこで終わっていないのだった。
サクランボ → 家のある木 → 柿・りんご・梨 → 食べる実 → 桑の木 → 蚕 → 繭玉 → 真綿 → 母の布団作り → ビニール袋 → 肥料袋 → そり滑り → わらの束 → 稲刈り
というわけで、稲刈りまで行ってしまっていたのである。 布団づくりまでは、言葉をみただけでもなんとか分かるかもしれ ないが、その後のビニール袋以降の発想は理解するには難しいも のだと思う。 いや、ほんとに説明を聞かないと全く分からないだろうと思う。 そんなわけで、続きの蚕からは、明日からの日記で。
昨日、「短歌研究」七月号が届いた。 いつも読むのに時間がかかる。 後ろの方に「うたう☆クラブ」というコーナーがあって、七月号 は四月に応募した作品が掲載される。 はがきで詠草を応募するのとは違って、「短歌研究」のHPから 応募できるコーナーだ。 四人のコーチが順番で歌を選んでくれる。 メールのやり取りで、応募作品を磨いて行くこともある。 五首以内で応募すると、その中から選ばれた歌が掲載される。 応募すればとりあえずは一首は掲載されることに。
今回は二首掲載されていて、そのどちらも自分で割と気に入って いた歌だったので、うれしかった。 掲載歌は、以下の二首。共に四月作。
わたくしに足りないものは愛だけで足りないものは君から奪う (市屋千鶴)
Tシャツを脱がずに外すブラジャーをオーパーツでも見るように君 (市屋千鶴)
どうも、実年齢よりも歌の中の年齢がかなり若いような気がする。 それは、対象となる相手(君)が夫を主として、10歳以上若い からなのだろうかと思ったりする。 ちなみに、五月は応募できなかった。 今月はどうだろう。
快調みたい、というのは、少々甘かったようだ。(汗)
昼寝の前に、頭の中に浮かんだ言葉達。 きっかけは「サクランボ泥棒」だった。
サクランボ → 家のある木 → 柿・りんご・梨 → 食べる実 → 桑の木 → 蚕 → 繭玉 → 真綿 → 母の布団作り
この言葉達の間には、その言葉にまつわる様々な思い出があって、 どんどんわたしの思い出は農家だった頃の暮らしに戻っていた。
我が家でサクランボを作っていたのは、わたしが小学生の頃。 出荷していたという記憶は無くて、自分の家で食べるためだった のだろうと思っている。 やけに背の高い木になっちゃったなぁという記憶も有って、なぜ だかその木の登って実を採った記憶もあるのだが、はたしてそれ は本当のことだったのか。
しかしそのサクランボは、今出回っている佐藤錦なんかとは全く 比べ物にならないほどすっぱいものだった。 ちゃんと赤くなる前の実を採ってしまって、渋みが残っていたの も覚えている。
生家の庭には、柿の木が有った。 その柿は渋柿で、焼酎で渋抜きをして食べた。 小学二年生くらいの時、柿を食べ過ぎて吐いたことも、わたしの 知り合いの間ではかなりポピュラーな話題である。
母の実家では、庭ではなく、裏の畑の所にりんごの木と梨の木が 有った。 やはり家で食べるためのもので、仏壇に青い小さなりんごを繋げ たものを飾ったりした記憶が有る。あれはいつのことだったか。 母の実家の庭には、しゃぐみ(ぐみの一種らしい)の木もあって、 いとこ達と実を採って食べた。 養蚕をしていたころは裏の畑で桑を栽培していて、みんなで桑の 実も食べて、唇や舌を紫色にしていた。
ここから先は、蚕を飼っていた頃の話になるのだが、それはまた 後日ということで。
まだ青き桜桃の実の渋ささえ懐かしくあり農家の記憶(市屋千鶴) 2001.06,08作
本日改作 まだ青き桜桃のみの渋ささえ幸せだった農家の記憶(市屋千鶴)
今日は一日、げぇっとなる回数もすくなく、わりと快調だった。
朝から夫とでかけた。 一度やってみたかった、朝マック。(笑) 基本的に、マックよりもロッテリアやモス派のわたし達は、あま りマックに行かないのだけど、ハッシュドポテトを食べられる朝 の時間帯は行きたかったのだ。 若い頃は、出勤時の朝食として食べたことも有ったが、今では朝 ご飯は必ず家で食べるようになっていたので、うれしかった。 フィレオフィッシュとハッシュドポテトとオレンジジュース。 それが今日の朝ご飯。
その後、電車で相模大野(隣の大きめの駅)に行った。 久しぶりに伊勢丹に入った。 伊勢丹は新宿のお店でしか買い物したことが無くて、相模大野の 伊勢丹に入ったのは初めてだった。 まっすぐにマタニティー売り場へ行き、ブラジャーとジャンパー スカート(一応よそ行きということで)を購入。 ここは子供服売り場と同じフロアなので、小さい洋服や靴がいっ ぱい並んでいた。
夫と二人、共に持った感想は、 「こんな売り場に来ることになるなんて思ってなかったなぁ。」 だった。 友人や親戚の誕生祝いを買いにくることは有っても、まさか自分 のことで買い物に来ることになるとは、本当に思っていなかった。 人生は予想外のことでいっぱいだ。
買い物の後、食事をして電車にのり、スーパーに寄って帰った。 あとはのんびりと部屋で過ごし、晩ご飯はししゃもメイン。(笑) 夫が焼いてくれた。
めずらしく、気持ち悪くならずに出かけることができた。 途中でちょっと危ないなと思った時は、オレンジジュースで対応 してなんとかげぇっともならずに帰宅できた。
気持ち悪くなるのが恐くて2時間置きくらいに何か食べていたせ いで、太ったかもしれない。(汗) 気持ち悪くならないのなら、ちゃんと三食で暮らせるのだなぁと 妙なことに感心してみたりする。
そろそろ、つわりのピークも過ぎたのだろうか。 それとも、夫と一緒の安心感がポイントなのか。 妊婦向けの雑誌の記事を読んで、夫が理解が有って大切にしてく れているということを実感した。ありがとう。
今週は、火曜日に内科、金曜日に産科だ。
比較する対象の無い毎日で日常化する感謝の気持ち(市屋千鶴)
暑い暑い。 夫と二人、ぐったりと休養日。
わたしの方は、午前中はわりと調子が良くて、夕方になると気持 ち悪くなるというのがここ数日の状況。 どうやら、朝のうちにお腹の中がすっきりするので調子が良くて、 夕方に向けて食べ物がお腹の中に溜まっていくと気持ち悪くなる みたいな気がする。 妊婦は便秘になりがちというけれど、その影響なのかお腹(腸) が張るのだった。ゲップも増えてしまったようだ。 これもまた個人差なのだろうから、どうこう言っても仕方が無い ことだが、ゲップしてるとミルクの後の赤ちゃんのようだと夫が 笑う。(笑)
調子が良かったので出かけようと思ったのだが、夫はやはり土曜 日には平日に疲れが溜まっているから、なかなか起きない。 午後になってしまうとわたしの方が心配になるので、明日にした。
夜、早めにお風呂に入るともう暑くてたまらなくなり、ついに我 が家でもエアコン出動となった。 といっても、ほんの数分冷やしたら、それで後は扇風機でいいや ということになるのだけど。
明日こそ、ブラジャーを買いに行かねば。(爆)
締め付けるものはブラジャーだけじゃない(市屋千鶴)
川柳かよっ!
いや、まったく毎週驚かされるものだ。 昨日のTVチャンピオン「3分スピード料理王」も驚いた。 優勝した方よりも、決勝まで残った他の女性の方に驚く。 カツ丼を3分で作ってしまった。 それも、きちんとしたお肉を使ったカツ丼。 う〜む、恐るべし技。
これを見ていて感じたのは、そのものズバリやっぱり無理なのだ なぁということ。 3分で作るためには、それらしく見えたり味わえたりする他の材 料を使うことになるのだなということなんだね。 その点、そのカツ丼は、材料が普通のカツ丼と同じもので、調理 法に工夫して3分で仕上げたところに恐れ入ったのだった。
それにしても、これをこうすると○○と同じ食感や味になるとい うことを思い付くのがすごい。
わたしは、全然自慢にならないが、家事は苦手だ。 料理は、母から教えてもらった田舎料理は主体だし、掃除も裁縫 も苦手である。 ミシンをかけるのは好きだけど、そこまでたどり着くのが苦手。(笑) それに、ミシンは姉の家に置いたままだ。 料理が苦手というのは、深刻な問題だろうか。 夫は、今のところわたしの料理に何も文句は言わないし、わたし の作る煮物は好きだと行ってくれる。(ちーちゃん煮と呼ぶ。) 見栄えよりも味という料理ばかりだ。
今週、優勝した人は、見栄えよりも味で優勝したのだった。 最高得点を取った料理は「チャーシュー麺」。 チャーシューを作るのではなく、チャーシューに極めて近い味の ものを作ったのだったが、見栄えはどう見てもチャーシューでは なかった。それで最高得点だったのは、試食した審査員を唸らせ る味だったからなんだねぇ。
来週は見ようかどうしようか迷っている。 だって、来週は「バラ通選手権」。 花には申し訳ないが、わたし自身がそれほど花が好きというわけ ではない。というか、花の香りが少し苦手なのだ。 見ていて、楽しいのかどうか。(笑)
今週の放送で、一番納得してしまったのは、決勝に残れなかった 男性料理人(決勝に残ったのは女性三人)の言葉だった。 「料理はゆっくり作りたいですね。」 ほんとにその通りだろうね。
まあ、ゆっくり作る時間を持っていても、技術ややる気が伴わな い場合は、如何ともしがたいのだろうけどね。 毎日、こんなゆるゆるした話題で申し訳ないなぁ。
おふくろの味を覚えているだろうか思春期に母を亡くした君は (市屋千鶴)
そういえば、夫からお母さんの料理と言うのを聞いたことが無い。
不覚にも、テレビを見ていて泣いてしまった。 泣いたと言うか、涙がこぼれてしまったというか。
その番組は、NHK教育テレビで木曜の19時から放送している アニメ「学園戦記・ムリョウ」。 たぶん、見たのはこれで4回目くらいなのだが、今日はほんとに 不覚にも涙がこぼれた。 主人公たちは、中学生だ。 学園戦記と言うくらいだから舞台は学校中心だけれど、その地域 の人達(その地域が特別なのかは知らないのだが)は、先祖から 受け継いだ力を使って地球を守っているのだ。 現在は、主人公たち中学生が戦力の中心となっているのだった。
今日は、精神だけを宇宙に飛ばして敵と戦っていた。 戦う力とそれを補う力、そして、精神を飛ばしているその人達を 守る力。 好きだから守りたい、守りたいから勇気が出る。 そんな話だった。 それで涙をこぼしているなんてねぇ。(^^;
自分の精神年齢は中学生から成長していないのだろうかと、TV 番組を見ていて良く思う。 たとえばヒーローものだとか、アニメだとか。 純粋だなんて言わないが、子供のままであることは否めない。 実は、他にも「天才柳沢教授の生活」の最終回の再放送を見てい て涙ぐんでしまったのだった。 妊婦は涙もろいのか。
そして涙をぬぐった今は、いつものようにTVチャンピオンを見 ている。 「3分スピード料理王」。 感想は、また明日。 かな。
三分でできるものなど持たないが眼鏡外せば三分はあがる(市屋千鶴)
女は眼鏡をかけると三分下がるって言うからねぇ。
昨夜、22時過ぎに夫からメールがあった。 「いま我孫子、かなり遅い、明日は黒川」
我孫子に行くといつも帰りは深夜になる夫だから、「かなり」と いう言葉がついたら、いつもの終電の時間よりも遅いのかと思い 23時少し前に電話してみた。夫は出なかった。 そのころはもう既に、駅に向かっていたのだった。 結局はいつもの時間、夜中の1時半過ぎに帰ってきたのだが、夫 にそのことを話すと、自分としては終電になるのでかなり遅いと いう気持ちだったらしい。
そして、我孫子に行かなくなったら、そんなに遅くならずに帰っ て来れるか泊りになるかのどっちかだからと言った。 とはいっても、そんなに遅くない時間と言うのが、24時帰宅と いう基準だということは、夫に聞かなくても分かっているけど。 我孫子からだと、23時に出て1時半過ぎなのだ。 そうでなければ、23時に出たら24時には帰れるからねぇ。
そうそう、新しい洗面台にびっくりしてた。 今朝は、洗面台で寝ぼけ顔を見ながら歯を磨いていたのだった。
今日は注文していた本が届いた。 「グイン・サーガ」の最新刊は、読み終わってしまった。 かなり長いお話(最新刊で90巻目)だが、このところの展開は 目が離せない。 普段だって、目が離せるわけではないが、二か月ごとの楽しみは 増すばかりだ。 主人公は「グイン」という豹頭人身の人物でそれゆえ「グイン・ サーガ」というのだけれど、90巻までの中には、グインの出て 来ない時期がかなり続いたことも有った。 その時期のグインの活躍が、外伝として書かれるほどだから。(笑) が、本編を人物ではなく彼等が暮らす場所の物語として考えれば、 主人公がその土地を遠く離れた場所まで、単独で人質救出に向か うという話は外伝にこそふさわしいのかもしれなかった。 この物語は決してグインだけの話ではなく、彼を取り巻く国々の 様々な人物達の描く人間模様でもあるので、準主人公と言うべき 人物がたくさん描かれるのだ。
でも、さすがにグインを中心に話が進んでいる時は、安心してと 言うかわくわくして読み進んでいることは間違いない。 長年(十数年)読んでいるので、一行読み始めただけで、頭の中 では彼等が勝手に動き始めるような感じで読み進み、すぐに読み 終わる。 そうして次の巻が出るまでの二か月をじっと待つのだった。
長年の知人のように動き出す彼らの声を特定しない(市屋千鶴)
本の中の人物は勝手に動き出すのだが、その声は決して誰の声と 特定できるものではない。 だから、映像化されたりすると違和感が生じるんだよね。
今日は、斜め上のお宅で給湯器の取付が有った。 ほぼ一日仕事である。 斜め上のお宅が終わってから、うちの洗面台の交換をだった。 17時過ぎから約2時間かかって、作業は終わった。 まだ表で後始末をしている音がする。 明るくて大きな鏡の洗面台になった。(嬉) シャンプーまではできないけれど、広いし、まあまあ。
うちには、斜め上のお宅の後に来てもらうことになっていたので、 お昼頃、クリーニング屋さんと銀行に行ったりした。 スーパーにも寄った。 わりかし、今日は調子がいいみたいだった。 食パンを消費するために、ポテトサラダを買ってきて挟んだり。
2時過ぎにすごく眠くなったのだけれど、洗面台の交換が気にな って、1時間も寝られなかった。(って、それでも寝るのか。)
これまでのアパート暮しで、お風呂以外に洗面台が有ったことが ない。 お風呂に洗面台というのは、ユニットバスというやつで、トイレ と洗面台とお風呂と一緒になってるものだからなぁ。
夫と暮らし始めた時は、かなり古いアパートだったから、洗面台 がなかった。 我孫子でもなかった。 今度のアパートで洗面台が有るのが嬉しかったが、給湯システム とともに洗面台も新しくしてもらえるとわかって、さらに嬉しか ったのだった。 だってね、髪を乾かすにもテーブルに化粧箱を出してきて、それ についている鏡を見ながらだったから。 夫の髪の毛は自然乾燥だからいいけどねぇ。(笑)
わたしも夫も、あんまり衣・住にかまわないタイプなので、我が 家はいつも生活感バリバリだ。 昨日来てくれたきわみちゃんの部屋は、物がすっきりと片付いて いるので、うらやましかったりする。 我が家とは正反対な感じだけど、彼女に言わせると、猫ちゃん達 が走り回るから、物を出しておけないのだと言う。 そうかぁ、なるほどといつも思う。
子どもが産まれて、動き回るようになったら、手の届くところに 無闇に物を置かないようにしなくちゃいけないんだよねぇ。 でもまぁ、田舎の叔母さんの家なんか見ていると、子どもが三人 いてそれでもいろんなものが置いてあるから、なんとかなるのだ ろうと思ったり。(笑)
夫は今日、朝は黒川に出て、夕方から我孫子に移動した。 またまた帰りは夜中なのである。 夜中に帰ってきて、新しい洗面台を見たら、びっくりするかなぁ。
寝ぼけ顔を大きな鏡で直視して歯を磨いてる君を眺める(市屋千鶴)
今日はきわみちゃんが来てくれた。 昨日から食べたくて仕方の無かったものを作ってくれた。 さらにもう一品。 おいしかった。とてもおいしかった。 ありがとう。
やっと「ウィーヴワールド」を読み終えた。 きわみちゃんが帰った後、しばらく調子が良かったから。 やっぱり面白かったなぁ。 次に何を読もうか。 ネットで購入した本は、いつ届くだろうか。
極めて狭くなってしまった行動範囲の中で暮らしていると、世の 中から離れてしまったような気になる。 隠居生活のようでも有り、引きこもりのようでもある。 なんとかつながっていると思えるのは、きわみちゃんを通してで あり、ネットの世界のつながりであろう。
人にはそれぞれ得手不得手がある。 わたしは外傷には強いが、気持ち悪いという症状には極めて弱い。 傷の痛みにはかなり耐えられるが、気持ち悪いのはだめだ。
毎日毎日、気持ち悪くてと愚痴をこぼすと、夫はそれが仕事だか らなぁと、わたしを諭す。 そうだなぁ、これが今のわたしの仕事だ。 が、わたしは仕事の一部分しかこなしていないのだろう。 つわりでも行動範囲を狭めない人もいるのだし、つわりでも先に 産まれた子どもの面倒を見ている人だっているし、ちゃんと生活 している人もいる。 しかし、そのことを考えて落ち込んでしまったら、自分をふがい ないと思ってしまったら、余計に具合が悪くなるような気がする。 だから、自分を甘やかして暮らしている。 だれになんと言われようと、あと少し、隠居生活を送ろう。
子どもが産まれたら甘えることもできなくなるだろうから、今の うちにうんと甘えておこうと思う、と夫に話した。 二人でごろごろしたりつっつきあったりできなくなるね、と夫に 言ったら、子どもができたら三人でごろごろしればいいさ、と夫 は言った。 夫はt単純に子どもができたことを喜んでいる。 わたしは、夫ほど単純には喜べない。 まだ、腹が据わっていない。
もう少しあともう少し時をかけ母になっていくのだろうか (市屋千鶴)
2003年06月15日(日) |
何もできなかった一日 |
今日の予定は、下着を買いに行くことだった。 が、体調が良くないので、延期した。(涙) 夫は、洗濯物を乾かしにコインランドリーに行ってくれた。 部屋干しできるところまで、乾かしてもらった。 その間にわたしは掃除機をかけた。 やっと、その程度。あとは、げろげろ。(笑) 昨日の方が調子良かったから、昨日、行っておけば良かったか。
きわみちゃんから、電話が有った。 宮城で一泊するのかと思っていたら、日帰りだったのだ。 叔母さんのお見舞いとのこと。 叔母さんは糖尿病で、合併症も出ているのだそうだ。 糖尿病とわかっても、ちゃんと治療ができないと大変だよね。 治療できる環境にあるということ自体が、恵まれているのだなと 思った。
インターネットで、山形県産の山ぶどうジュースを購入した。 無糖で、少し普通のぶどうを混ぜて甘みを出しているらしい。 他に、ジャムの詰め合わせを買った。 今朝、9時前に届いて、早速山ぶどうジュースを飲んでみた。 すっぱいっ!(嬉) 懐かしいすっぱさだった。 子どもの頃、山ぶどうをとって、やっぱりジュースを作っていた ので、その味を思い出した。 そのころは、砂糖を入れてもらったりして甘くして吐いたのだが。 午後になって、夫にも飲ませてみたが、「すっぱいなぁ〜。」と ひとこと言っただけだった。(笑) 明日、きわみちゃんが来てくれるそうだから、きわみちゃんにも 飲ませてみるつもり。 ジャムの詰め合わせも、山分けする予定。 木いちご、ラ・フランス、いちご、ブルーベリー、さくらんぼ、 山ぶどう、の6種類の詰め合わせ。
インターネットで購入できるのは、便利なものだ。 本だって、 ネットで購入している。 というのも、我孫子に居たときは本屋さんが近くになかったから なのだが、相模原に引っ越してからは、出かけられないからとい う理由で活用中だ。 まあ、偏った趣味の本だから、大きな本屋に行かないと買えない ことが多いと言うのも理由の一つだけどね。
夫の後に読んでいる「ウィーヴワールド」だが、下巻の五分の一 を残して、そこから進まない。寝てる方が多かったから。(汗) 明日こそ、最後まで読んでしまいたいのだが。
わたしが気持ち悪くて一眠りした後に、目を覚ましたら、台所で 夫が洗い物をしてくれていた。 何もできなくてごめんねというと、できることをしてくれればい いよと言う。 たとえば、朝早く起きて自分を起こすこととか、だとか。 ありがとう。
できることをやってくれればいいのだと言う君の背に感謝している (市屋千鶴)
今週は、夫は我孫子までの日が4日間。 帰りは毎回、深夜の1時半頃だった。 帰ってきて、すぐに寝付けるものでもなく、寝るのはいつも3時 近くになる。 そんなわけで、久しぶりに2日間休めるからと、今日は休養の日 と決めた。 昼まで寝かせて、午後からは、TVで映画を。
「復活の日」を見始めたら、2時から2時間半以上、見っぱなし。 草刈正雄は、男前だ。 わたしも夫も認める男前だ。 夫は、めったに男性を二枚目だとは言わないが、この人は二枚目 だと思ってるんだね。 だって、世界が二度死んでから、ぼろぼろの格好でひたすら南に 向かって雪山を歩いている時、滑って転がり落ちる時に発した声 が「ぐはっ!」という声で、その時に夫が「おお、二枚目らしく ない叫び声だなぁ。」と、妙に納得してつぶやいていたから。 外見に頓着しない夫も、草刈正雄は二枚目だと思ってるんだなぁ と思ったのだった。 いやぁ、彼はほんとに二枚目だと、つくづく思った。
スター・チャンネルに切り替えたら、夫は「バック・トウ・ザ・ フューチャー」に捕まってしまった。 今日は、1、2、3と立て続けに放送されるのだ。 見始めた時は2の途中だったのだが、そこから目が離せなくなっ てしまった。 しょうがないから、付き合って見始めたが、やっぱり面白いこと は面白い。ちょっと落ち着きが無いけど。(笑) 1、2、3と続けてみられると、また面白さが増すようだ。 2、3で前作の内容を引き継ぐところが有って、その辺を楽しむ ことができるからだろう。 いろんな伏線が、3本のシリーズを通して張られていたのだなと、 久しぶりに見て思い出した。 3の最後で、主人公のGFが未来から持ち帰った紙の文字が消え てしまったことをドクに告げると、未来は白紙で自分で作って行 くものだと答える場面、前に見た時は全然覚えていなかった。 なんだ、いいこと言ってたんじゃないと、感心したり。(汗)
「復活の日」を見終わってから、かなり早めのお風呂タイムを過 ごして、また映画を見るという夜。 お疲れぎみの夫の肩をもんでいると、もう眠そうだった。 今日は、早めに寝てしまおうと思った。
お休みの日という一日ただふたり胎児の呼び名を考えている (市屋千鶴)
おなかの子に、なんと呼びかけるかを話している。 だって、理由は言えないが今は「もぐちゃん」と呼んでいる。 ずっと「もぐちゃん」じゃあまずいよねぇ。(笑)
今週も見てしまった「TVチャンピオン」。 今週は、「親子漢字王」。
すごいの一言だ。 漢字に嵌ると面白いというのはよくわかる。 勉強や何かを覚えることって、面白いというのが一番だから。 それにしても、子どもに協力してなのか、お母さんが好きだから なのか、家庭の中での様子も普通じゃない。 家中漢字だらけかと思えば、フラッシュなんとか、という方法で 漢字を覚えさせているお母さんも。 一番いいのは、好きな本人が自分でいろいろ覚えられるような環 境だけを提供できることかなぁと、わたしなら思うかも。 むろん、家中で好きなら、言うこと無いんだけど。
相変わらずのすごさに圧倒されてしまったが、その覚えた漢字で 会話できる相手もちゃんといることを祈るばかりだ。 だって、まわりはそうじゃないでしょ。 四字熟語を駆使されても、言われた方が分からないんではねぇ。 でも、きっとそういう子の周りには、分かる人がいるんだろう。 日本語は難しい。
自分達の方言なら、負けないんだけど。(笑)
ちょっと思い出したこと。 なぜか叔母(母ではなく)が、4歳のわたしを二年生の姉の教室 におぶっていったことがあるそうで、その時に、教室の後ろに張 ってある作文を、声を出して読んでしまったのだそうだ。 授業中なのに。(笑) わたしは、文字を、姉の宿題から覚えた。 だから、姉の書いた作文を読んでしまったらしいのだった。
叔母は、母が具合が悪かったかなんかした時に、わたしのお守を してくれていたそうなのだが、しょっちゅう、これは何?とか、 これはどうして?とか訊いてばかりで、閉口したそうな。 子どもって、疑問に思ったことは何でも訊いてくるものだけど、 それに何も答えられなかったんだそうだ。 その話を聞いて、母は、小学生用の本を買ってくれた。 子どもの疑問に、絵や図でわかりやすく説明してくれる本だった。
その時に、母はこうわたしに言ったのだそうだ。 「かあちゃんは、小学校もちゃんと行けなかったくらいだから、 おまえの訊いてくることは分からなくて答えられない。 だから、わからないことはこの本を読めな(読みなさい)。」
母は、大工の娘で、父は農家の跡継ぎだ。 母は、小学校の時に、弟や妹の子守りで満足に授業を受けられな かった。父も、小学校しか出ていない。 しかし、父はもともと頭がいいのだろう。 いろんなことを、学校に行かずに勉強したらしい。 資格を取るのが好きな人だ。
おそらく、わたしの基本的な学力の部分は、父の記憶力を引き継 いでいるのだろうと思う。 だから、小学校、中学校までの勉強なら、授業だけで良かった。 だけど、真面目に勉強するタイプではなかったので、伸びてない。 今では、すっかり夫からもお子さま扱いである。
母にもらった本で、一番良かったなと思ったこと。 姪っ子や甥っ子に訊かれたことを、絵を書いたり物を使ったりし て説明してあげられたこと。 分からないことは分からないと正直に言えて、一緒に調べようと 言えるようになりたいね。
人生の問題ならば俺に訊け!なんていうやつぁ信用するな(市屋千鶴)
いや、ちょっとね、嫌な思い出がね。(笑)
食べるということは、もちろん、人間の基本的な本能だ。 それは、自分自身を生かせていくためのもののはず。 その「食べる」という行為に対して、障害を持つということは、 自分自身を否定する感情が深層心理の中にあったり、芽生えてし まったりしているということなのだろう。 たとえ、つわりで限られたものしか食べられないとしても、病気 で食事を制限されていたとしても、「食べる」という行為そのも のを否定しているわけではない。
銀行員時代の後輩ちゃんは、疲労している時には食事をとらなく ても眠る方を選んだ。 わたしは、食べることで疲労を回復していた。 まあ、その違いが体格の差にもなるのだろうが。
「食べる」ということを否定する拒食、その反動の過食と罪悪感 による嘔吐。 摂食障害について、詳しく知っているわけではないが、その心理 の深いところに、生きることを否定してしまいたくなる何かや、 本人の意思に反して否定されたと感じる何かがあるのだろう。
生きていてもいいんだという感情をあまり認識する人は多くない と思うが、ここに居てもいいんだと安堵する感情は誰しもが多少 なりとも感じたことのある感覚だろう。 ここに居てもいいんだという感覚、その更に深いところに有る、 生きていてもいいんだという感覚。
それを最初に感じさせてくれるものは、母親の存在だろうと思う。 たとえ、父親に捨てられたと感じた時も、母だけはわたしを捨て たりは絶対にしないと確信していた。 それは、五年生のときに「置いて行くから。」と言われた記憶を 持っていても、自分が捨てられるのだという気持ちにはならなか ったからだろう。 仕方なく置いて行くのだ、仕方なく選ぶことができなかったのだ ということをわかっていたからだろう。
そんな母親の存在に支えられていても、それでも若い頃は自分を 大事にせずに生きてきた。 自分から傷つきに行く娘を、母はどんな気持ちで見ていたのだろ うか。 母がまだ田舎に住んでいた頃は、そこがわたしの帰る場所だった。 姪が産まれて、母が東京の姉の家に来てからは、わたしの居場所 は無くなってしまったような気がしていた。 思えば、それからだから、無茶をしたのは。
ずっと、自分だけの居場所を探していたのだろうと思うけれど、 そんなことは自分で気がついてはいなかった。 どんなに身内が優しくても、自分だけの存在ではない。 自分だけの存在。 夫に出会って、一緒に暮らすようになって、ずっと一緒に居ても いいんだと確信した時、そこがわたしの居場所になった。
毎日、食べるもののことを考えていることで、わたしは生きてい るのだということを実感する。 そして、それは自分自身のためだけではなく、ずっと一緒に居て くれる存在への愛情でもある。
どんなに怒ったり叱ったりしても、自分はここに居てもいいんだ とちゃんと思わせてあげられるようになりたい。 不器用でも、大事なものを大事だと伝えられるようでありたい。 怒られるから親が嫌いなんじゃない。 自分を認めてくれないから嫌いなんだと思う。 あんたは大事だけど、その態度やそのしたことは良くないことだ と、きちんと伝えられるような親になりたいと思った。
食べることから、ずいぶんと飛躍。(^_^) かなり思い込みの激しい内容で、失礼した。
残り一個食べてもいい?ってきいたのは愛情確認なんかじゃないよ (市屋千鶴)
昨夜、夫は結局23時すぎに帰宅。 やっぱり定時で帰っては来れなかった。(涙) 帰ってきて、わたしが出しっぱなしにしていた病院の資料を読み 始めた。
一日黒川の日は割と帰りが早いので、いっしょにお風呂に入るの もいいかなと思って待っていたりする。 結局、帰ってきた時間には、もうすでにげろげろな状態だったの で、お風呂に入るのはパスした。
その分、今朝、10時前に入った。(汗) ややぬるめの少なめのお湯に、ゆっくりと浸かった。 ただ浸かってるだけなら、調子はいい。 このぬるさは、一人の時じゃないとなぁ、と思いながら。(笑) わたしの入るお風呂の温度じゃ、夫は満足しないから。
今日は我孫子に行った夫。 帰りは夜中だ。
最近、調子がいい時は夫が読み終わった「ウィーヴワールド」を 読んでいる。上巻を読み終えて、今日から下巻。 やっぱり面白い。 ダーク・ファンタジーというだけあって、少々グロテスクな描写 もあるのだが、そもそもの発想が面白いもの。 絨毯に折り込まれた精魅(シアカインド)達の世界、「綺想郷」。 それを巡る、人間、精魅、魔女入り乱れての争い。 下巻になって、ますます面白くなるんだよね。(楽しみ) 今日は、見たいテレビ番組もないし、読むべし。
夕方になって、きわみちゃんからメールをもらった。 今週末、宮城に行くと言う。 いいなぁ。 最近よく思うこと。 山形に行きたいということ。 安定期は8月の下旬からなのだけど、その頃だったらスイカ作り も一段落して、ゆっくりおばさんたちとお話しできるから。 そんなことを、妄想中。
いやいや、それよりも、母のお墓参りとか安産祈願とか、そっち のほうが先だろうか。 いやいや、それよりまずもって、今週末こそ下着を買いに行かな くてはなるまいぞ。
朝風呂の贅沢をする生活もただ楽しめず吐き気とともに(市屋千鶴)
曇り空に風呂場の灯りもつけずに湯に浸っていると、ひとりだけ 時間に取り残されているような気がするものだなぁと思ったが、 それはその時だけではなく、今の生活そのものがなんだか世間と ずれているようなものだなぁと、思い直したりするのだった。
昨夜、予定通り「ハリー・ポッター」を見ていた。 賢者の石を守り終えた頃から、二階の方からごろごろという不審 な音がしてきた。 お風呂場か台所で何か転がしているのかと、最初は思った。 ところが、その音は定期的な間隔で続いていた。
本当に最後の5分くらいの頃、あまり音がやまないので、自分 も台所に行ってみた。 台所ではない。風呂場の上からだった。 よく聞いてみると、昔聞いたことのある音。 従妹と暮らしていた頃に、従妹がお風呂を炊いたまま寝てしまい、 2時間近く経ってしまったことが有った。 その時、わたしはもう寝ていて、音に目が覚めて従妹に声をかけ てあわてて従妹が火をとめた。 風呂釜は、少し歪んでしまっていた。
一瞬のうちに、そんなことを思い出し、二階の方がきっと寝てし まっているのだと思った。起こさなくちゃ! 外に出てもう一度音の場所を確認すると、やはりお風呂の排気孔 のあるあたりだった。
ばたばたと二階に上ってみると、斜め上の部屋のご主人がたばこ を吸い終わったところだったようで、「音、しますよねぇ。」と 確認したうえで、二人でチャイムを鳴らしたり、ドアをノックし たりしてみた。 少しして、お風呂場の電気がついた。 音がおさまった。 わたしは、斜め上の部屋のご主人と、ほっと顔を見合わせた。 「もう、大丈夫ですよねぇ。」と話していると、玄関が開いて、 二階のご主人が顔を出した。 申し訳なさそうに、笑っていた。 「すみません。」「いえいえ、大丈夫でしたか。」などと会話し、 ご主人たちとは初対面だったことに気付いて、挨拶したりした。(笑)
うちは、入居時に全自動の給湯システムに取り替えてもらったが、 他の3軒は、来週と再来週に取り替え工事の予定なのだ。 電気が止まったら、お風呂もシャワーもなしになるけれど、昨夜 のようなことがあると、全自動で止まるのは安心だと、つくづく 思った。
我孫子の前に東林間に住んでいた頃、うちもかちんと火をつけて たく風呂釜だったのだが、従妹との苦い危ない経験を持つわたし は、タイマーをすぐそばにおいて時間をみていた。 二階のご主人が、朝の早い日があるようで、11時過ぎには眠く なってしまっていたのだろうなと思うが、気をつけなくちゃねぇ。
ハリー・ポッター。 最後の5分ほどを見逃してしまったが、損してる?(笑)
本日午後3時。突然、夫が帰宅。 どうしたのかと聞くと、町田にケーブルとかハブとか買いに行く のだが、持ち金がないのでもらいにきたと言う。 ええっと驚きながらも、先週末におろしたばかりのお金を渡した。 みんなお金がなくて、立て替えといてって言われたらしい。 使いっ走りかよ、とわたし。 黒川では他はみんな作業中だから、自分が一番手が空いてたって。 買い物して、会社に届けたら、定時で帰って来れるといいね。
それにしても、我孫子までの交通費といい、引越し代関係といい、 立て替えているお金の多いこと。 まあ、じわじわと帰ってくるのだろうけどね。
見合わせた途端にわかることもあり非常事態の仲間意識か(市屋千鶴)
昨日、ぷらむの方からメールをいただいていた。 わたしが、心配をかけては申し訳ないなどと、余計なことを考え ていたことがわかった。 だって、「○○さん対策」と称して、すっぱいものや食べものを 用意して行ってくださった方がいたと教えてもらったから。 そして、そういう細やかな心配りのあることが、ぷらむの魅力だ と書いていらした。
そうなんだよね。 わたしは、そういうみなさんの中で歌を詠んだり読ませてもらっ たり感想を言い合ったりすることに惹かれて、入会を決めたのだ もの。
余計な心配をかけたら申し訳ないなんて、考えなくてよかったの だろうと思った。 なにしろ、みなさんおかあさんの先輩ばかりなんだし、いろいろ 教わることもたくさんあるはずなんだものね。 ほんとに、ありがとう。
お礼のメールを出したら、お返事が来た。 わたし用の対策のお話を詳しく聞いた。(笑) わたしの場合、ずっと同じ嗜好じゃないみたいなんだよね。 レモンだったり、トマトだったり、最近は愛媛みかんジュースに 嵌っていたり、とにかく梅干しが食べたくて仕方なかったり。 CMを見ては中華丼が食べたいと思い、いっぱいお酢をかけてみ たりね。とにかく、すっぱければいいみたい。 まあ、不思議だらけである。(笑)
昨日、夫は仕事だった。 金曜日に、急きょ日曜日の出勤が決まって、電話をくれた。 「日曜日は、会社に出なくちゃならなくなったから。 土曜日は休みだから、して欲しいことがあったら 考えておいてね。」って。
して欲しいことって、押し入れの中を整理したいくらいだったの だが、土曜日の夕方に、散歩に連れて行ってもらった。 夫と一緒だと、安心して出かけられるような気がしてね。 すっかり甘ったれである。(甘えられるのも今のうちだから。)
今日は我孫子まで行った夫。 ということは、帰りは1時過ぎだろう。 週の半分以上が、まだ我孫子という状態。 なにやら、ネット環境が整うまでは我孫子に行く必要が有るのだ とか。 早く、我孫子に行かなくて良くなればいいのにね。 我孫子の事務所は、六月いっぱいで閉めるのだそうだ。 そうすると、横浜に通う日が続くのだろう。
毎日、がんばって、気をつけてねと声をかけて見送る。 父親訓練生は、たまごクラブを買って来ようかなぁとつぶやいて 出かけて行った。(笑)
今日は、スター・チャンネルで「ハリー・ポッター」を見る予定。
すっぱさに頭の毛穴が開くほどの味って中華丼じゃないと君 (市屋千鶴)
今日は、ぷらむ短歌会の日。 お昼前に東先生に電話して、本日欠席を告げた。 無理して行って、途中で具合悪くなっても、他の方に心配をかけ てしまって申し訳ないと思ったから。
六月のお題は「窓」。
角部屋の窓の多さに比例して心細さを募らせる夜(市屋千鶴)
君の目を通してみれば七割は見える気がするわたくしの窓(市屋千鶴)
子を持てぬままに生きると覚悟した我は問われる 子を宿すこと (市屋千鶴)
やっぱり、みなさんのご意見を聞きたかったと思うけれど、それ ほどの歌が、今月はできなかったので、まあいいか。
1首目は、我孫子のアパートに住み始めた頃の心境。 初めて角部屋に住んでみたが、窓が多くて落ち着かなかった。 特にあのアパートは、うちが駐車場の入り口部分に当たるために、 車の出入りも人の出入りも多くて、窓のすぐそばをしょっちゅう 人が通るのが落ち着かなかった。
2首目。 目は心の窓というが、自分で自分を見つめるよりも、身近な人の 目を通して自分を見た方が、自分のことがよく分かるような気が するという気持ちを詠んでみたもの。
3首目は、妊娠を知った時の気持ち。 二人で生きて行くのだと、すっかり覚悟してしまったわたしにと って、自分が子供を宿したことは、その覚悟に難問を突き付けら れたような気がして、本当に戸惑いだけが先行していた。 今でも、戸惑いというか他人事のような感覚はまだ残っている。 二人だけの生活は、もうこの先二十数年は無いのだという気持ち。 子どものいる生活に対する不安の数々。 結婚して子どもができるということを当たり前に考えていた頃に は、こんな戸惑いは無かっただろう。 何年かかかって、二人きりで楽しく生きて行くのだと、すっかり 気持ちを切り替えかけた時に、なぜ今さらという気持ちがないわ けではなかった。 なぜ、この年になってと思わずにはいられなかった。
わたしは、手放しで子どもができたことを喜べなかったというこ とも含めて、妊娠から出産・子育てのことなどをこうして日記の 形で書き留め、その日の気持ちを歌にしていきたいと思う。
母子手帳には、母親になる気持ちとか産まれた子どもへの言葉と かを書き込む欄がある。 しかし、そこには書ききれない気持ちを、こうして毎日の日記や 歌の中に残して行くことができればいいなと思っている。
肩ひじを張らず、気負わず、飾らず。 母親失格だといわれるようなことを書いてしまうかもしれないが、 それでも、それはそのときのわたしの気持ちだったと言い切れる ような記録になればいい。 そういう文章が、iBOOKの中につまっていくように。
毎日の話題が子どものことだけにならないつもり 夫もいます (市屋千鶴)
ぷらむのみなさーん、来月は行けると思いまーす。よろしく。
夫と二人、スター・チャンネルの「スパイ・キッズ」を見た。 アントニオ・バンデラスは、どういうわけか大好き。 男の色気を感じるからかなぁ。 夫とまるで違うタイプであることは確かだが。(笑) 他にも、「レミントン・スティール」のピアーズ・ブロスナンも 好きなのだった。 あのドラマでの表情、しぐさがいい。 もちろん、「007」のボンドだっていい。 だけど、一番いいのは、「レミントン・スティール」の吹替えを している神谷明の声が、あの役にピッタリだということだろう。 役者本人の魅力と声の魅力とで、初めて見た時から大好きなのだ。
もともと、俳優さんで誰が好きだとか、特に外国の俳優さんには 言わないタイプだと思っていたが、よく考えてみるといるいる。 ジャッキー・チェン、ユン・ピョウだって大好きなのだった。 キアヌ・リーブスも好きだし、シュワちゃんだって。 他にも、外国のドラマを見るようになって、ファンになった役者 さんもいる。 ただそういう場合、名前がよくわかっていないのだが。(汗)
こうして見ると、わたしの好きな俳優さんと言って名前が上がる のは、アクション映画に出ている人だということがわかる。 つまり、そういう映画やドラマしか見ていないということだね。 よく見る外国映画も、「スター・ゲイト」や「アンドロメダ」や 「ミュータントX」、最近あまり見ていないけど「バビロン5」と いったSF&アクションというものがほとんどだった。 それ以外は、刑事物だったり、探偵ものだったり、弁護士ものだ。 かなり、偏っている。
ケーブルTVにする前は、民放の2時間ドラマをいつも見ていた。 しかし、ケーブルTVで外国のものを見るようになってからは、 民放のドラマ自体、見る本数が減ってしまった。 今見ているのは、火曜日の「顔」と「マルサ」くらいなもの。 他の連ドラは見ていない。 2時間ドラマもたま〜に見るかなぁという程度になってしまった。
スター・チャンネルでは、ハリーポッターもやるのである。 ケーブルTVの契約時にスター・チャンネルを契約すると、工事 代が割引になるというサービスが有って、それに乗ったのだった。 あんまり見ないようなら、スター・チャンネルは解約すればいい。 そう思って見ているのだが、週に2〜3本くらいは、見たい映画 をやっているものなのだった。 あとは、ずっと見ている他の番組との兼ね合いくらいか。
読書に限らず映画やドラマでも、趣味が偏っていることがわかる。 子育てにおいては、偏ってちゃいけないのかもしれないが。(笑) 日曜朝の子供向け番組を一緒に見て、感想を話し合えるような親 でいたいと思う。 まあ、それは産むことができたらの話だけどね。
役名を覚えぬ君に教えれば勝手に呼び名決めていた君(市屋千鶴)
いや、まったく、何度役名を教えても、役名で呼ばずに特徴だけ で「○○の人」と呼ぶ夫には、もう役名は言わなくなったわたし。
掲示板で激励を受けて、こうも毎日つわりのことばかり書いてい ては駄目だと思った。まるで愚痴日記だもんなぁ。(汗) というわけで、今日から路線変更。(の予定)
昨夜、テレビ東京の「TVチャンピオン」を見た。 食玩王選手権。 おまけ付きのお菓子についているおもちゃのことを食玩というの だと、初めて知った。 うちでも、何点かあることはある。 引っ越しで捨てたものも有るから、有ったというべきか。 人形の国のアリスのシリーズが3点。 コーラのキャップもので、スヌーピーやガンダムものやペンギン。 それぞれ3〜4点ずつ。 キャプテンハーロックもの数点。 コレクト倶楽部のピラミッドなど4点。 土偶や埴輪のシリーズもあって、遮光器土偶や踊る埴輪など。 妖怪人間ベムも有った。タイガーマスクのミスターノーも。 そうそう、サンダーバードのも有った。 やっぱり、お気に入りは2号機だ。(もちろん)
ゲームセンターのパチンコでキャプテンハーロックのフィギュア をゲットしたくらいだから、そういうおまけというかキャラもの には弱い。 がしかし、集めるためにお菓子を買いまくるようなことはしない ので、3〜4点ずつしか集まらないのだが。
それにしても、○○王を呼ばれようそる人達のすごさったら。 好きこそものの上手なれれというけれど、よくまあこんなに知っ ているものだなぁと、いつもこの番組では感心する。 箱の上から触っただけで中身を予想して買って来るなんてっ。 触らずに、音だけで判断する人もいて、それもびっくり。 商品自体、つまりお菓子そのものを見たり食べたりして、商品名 を当てることもまたおどろき。 それは、ちゃんとそのお菓子を食べて知っているということで、 おまけ欲しさに買っていてもお菓子もちゃんと食べているんだと 妙に感心したのだった。
引っ越し準備でいろいろと選別して、飾り棚に入れるものも厳選 したつもりだが、まだコレクトものが何点もあるんだよね。 シャア様キャップとか、遮光器土偶とか。(同列か?(笑)) もっとも、これは荷ほどきの時にはまだ出していなかったので、 姪に一つ一つ質問されることもなかったが、もし出していたらば きっとこれは?と聞かれるものばかりだったのだろうと思う。 実際、夫の漫画を取り出して並べている時に、きわみちゃんから これはぁっといわれたものも有って、趣味の広さ(面白さ)には 苦笑を買ったのだった。
夫は、昨日行った古本屋で、棚に飾ってあるフィギュアを眺めて 感心したらしく、ついでに2冊も買ってきた。 先日紹介した「ウィーヴワールド」の作者、クライヴ・バーカー の本と、「松本零士999」という公式キャラクターブック。 この2冊に夫の趣味が出ていて面白いと思った。(笑)
しかし、このネタだと歌が詠めないということに気が付いた。(笑)
大切なものの形を知ることが君を知ること 嫌いじゃないよ (市屋千鶴)
メールの受信ができなかったのは、メールソフトのパスワードが 書き変わっていたから。 最初にエラーが出て入力し直した時に、間違ったパスワードを入 れてしまったのだが、最初にエラーが出た時はなぜ違っていたの かは不明のままだった。
夫にパソコンを見てもらっているうちに、空腹は最高潮に達した らしく、少しの匂いでも激しく空ゲエ。涙ぐむほどの吐き気。 もし、何か食べていたらプチゲロでは済まなかっただろう。 夫はたばこを吸いに表に出てくれるのだが、パジャマや髪や手に ついたたばこの匂いが駄目だったようだ。 わたしの吐き気がおさまるまで、ゲームなんかしながらわたしか ら離れていてくれた夫。 眠いだろうに申し訳ない。 でも、たばこ、できたらやめたら? とも思ったり。 義兄は、最初の子を妊娠したとわかったその日から、すぐに禁煙 して今に至っている。 そのことを夫に話すと、しきりと感心していて、夫の禁煙もあま り遠くないことかもしれない。
今日の午前中は、なるべく下にかがまないようにしながら洗濯を して、干し終わったところでお気に入りのエビニラ饅頭をたっぷ りのお酢と少しのお醤油とラー油で食べた。ご飯もね。 その1時間後にバタンキューと寝てしまった。
目が覚めると、やっぱり気持ち悪い。 なんとかグレープフルーツをトマトを食べたが、いまひとつ食べ 足りない気がしていたので、無理矢理コンビニへ。 いやぁあ、コンビニと弁当屋さんが近くて良かったと思う。 食料と、ここのところ気に入っている愛媛みかんジュースや麦茶 を購入。 無性にカレーが食べたくなってカレーも買うが、これは夕食にし ようと決め、おにぎりをほおばった。 食べればしばらくは調子いいから、今のうちにと日記書き中。 あとどれくらい気持ち悪くならないでいてくれるのかなぁ。
ニフティの短歌フォーラムで管理人をしている会議室の件。 後任の方を決めてもらって、早速今日、交代のお知らせを出した。 今月の16日から後任の方の会議室としてスタートする。 ああ、あの人に引き受けてもらって良かった。 あの人なら、他の会議室でも後任にと候補に挙がる方だと思って いたから、少しだけ先に手を出したみたいで申し訳なく思った。 きっと、とてもいい会議室になる。
それから、高校の同窓会のMLで、新しい住所を連絡した。 昨年、東京同窓会の幹事を務めてから、毎年出席しようと決めて いた。 広島行きだといわれた時は、出席できないなと思っていたところ が引っ越し先が変更になってよし出席できるぞと喜んだら、今度 は妊娠8か月くらいに当たるので出席できないとがっくりする。
いろんなことを顧みて、なんだか、自分自身がものすごい人騒が せな人間に思えてきた。
夫と出会って結婚してから、姉のことはともかく、わたしや夫は 安定した穏やかな生活が続いていたのだが、今年はなんと波乱の 多い年だろうか。 人生、何回目の転換期だろうか。 子供が産まれたら、更に波乱の日々が続くのだろうか。 あきらめて穏やかに暮らしていた身に起きた変動に、戸惑いの方 が確実に大きい。 つわりに苦しむ今でも、自分が子供を産んで育てるのだというこ とが現実味を帯びて来ない。 心のどこかで、産まれて来ないのかもしれないと思っている部分 があるのだろう。
失うという悲しみに先回りして考える失う可能性(市屋千鶴)
今日の新聞の広告にも父の日のプレゼント用にといううたい文句。 子供が産まれたら、来年は父の日も母の日もやるんだろうかと夫 と話した。
わたし達にとって、どちらも関係がないことだった。 それは、お互いが父親でもないし母親でもないということ以前に、 お互いに母親も父親ももういないということを感じさせられる日 でもあった。 どちらかというと、両親がいないということのほうが大きかった。 母が死んだ年の翌年の母の日は、お墓参りに行った。 お墓参り用に売られている花にも、カーネーションが入っていた。
きっと、夫もそれは感じていることだろうと思う。 自分がそうなる立場でないということより、感謝する相手が現実 にはいないことのほうが重くて、二人とも母の日も父の日も無視 していたのかもしれない。 (わたしの父親は存在するけれど、感謝する相手ではないから。)
わたしには、出産の時に面倒を見てくれる母もお姑さんもいない。 考えてみれば、わたし意外のいとこ達(姉も含めて)は、みな母 親に面倒を見てもらっている。 そういう点でも、わたし達は異例なのだった。
わたしの身内の集まりに、いつも快く参加してくれる夫だが、夫 にとって、わたしの叔父や叔母、いとこ達が身近な存在であって くれればいいといつも思っている。 わたしは、この人達に見守られてこの都会で生きて来れたけど、 夫には何もなかったのだから。
未だに実家に帰ろうとしない夫。 子供が産まれたら、ばあちゃんに見せに行かなくちゃいかんね。 少しは、対応も変わってくれるのだろうか。 家族運のあまり良くないわたし達だが、わたしはせめて親戚運だ けでもなんとか恵まれていると思うのだ。 少しは夫にも分けてあげられるかなぁ。
ところで、午後になって、メールをチェックしようと思ったら、 メールの受信ができなくなっていた。 なにやら、ニフティのどこかに認証されなくなってしまった。 メールソフトだけの問題なのかもしれない。 だって、ニフティのサイトからのメール受信はできているから。 夫が帰ってきたら、見てもらおうっと。
送信はできて受信ができないってまるでひとりよがりの恋愛 (市屋千鶴)
今日は、午後3時頃に一番調子が良かった。 今だっ! とばかりに、シャワーを浴びて髪を洗った。 お風呂は夫がいる時にだけ一緒に入ることにしていて、それ以外 はシャワーにしている。 それでも、髪を洗うという行為というか姿勢が吐き気につながる ために、調子のいい時に髪を洗っておかないと大変なのだ。
そういえば、姉のおなかが大きかった時に、お風呂で髪を洗うの が一番大変よと言っていたが、それは大きなおなかで前屈みにな るのが大変だと言うことだったのだが、今のわたしは別の意味で 髪を洗うタイミングが難しい。(笑)
しかしながら、その調子の良さを維持して買いものに出かけたの だったが、やはり歩いていてうっとなるのは変わらなかった。
調子のいい時と悪い時と、そこに何か法則は有るのだろうか。 今日は、トイレですっきりした後に調子良くなったのだが・・・
このところ、全く本を読んでいない。 寝ながら本を読む習慣はないし、横になっている時は気持ち悪い 時な訳だし、起きていて調子のいい時間は短いので、いろいろと やることがあるし。
夫は、今わたしのお気に入りの本を読んでいる。 それは、クライヴ・バーカーの「ウィーヴワールド」。 絨毯に折り込まれた綺想郷をめぐるお話なのだが、94年11月 に集英社文庫から、600ページほどずつの上下巻で出たもの。 すっかり存在を忘れていて、というかどこにしまったのか忘れて いたものが、この引っ越しで発掘されたのだった。 夫は今、上巻を読んでいて、面白くなり始めたところらしい。
これは、わたしが先に読んで、夫が何年も後に読むというケース だが、わたしが読んですぐに夫に勧めたものも有った。 それは、レイモンド・E・フィーストの「フェアリー・テール」。 フェアリー・テールと言えば、妖精のお話なのだが、この本では 妖精を様々な性質を持つものとしてとらえていて面白い。 妖精のいたずらと言うにはあまりにも恐い話だったりするのだが、 ちょうど日本の妖怪が、いいものも悪いものも一緒に存在するよ うに、いろんな妖精が居て、妖精は人間の都合なんかおかまいな しだというのがまた面白かった。
レイモンド・E・フィーストは、「リフトウォー・サーガ」とい うわたしのお気に入りのシリーズの作者でもあり、そのシリーズ の後に書かれたのが、この「フェアリー・テール」だった。
夫は、ただのファンタジーはあまり読まない。 どちらかと言うと、はっきりとしたSFやホラーっぽいものが多 いようであるが、今日書いたこの2つは、ダーク・ファンタジー と言われるもので、普通のファンタジーよりもちょっと恐い部分 があるのだった。
調子が良くなったら、夫が今読んでいるウィーヴワールドを、次 はわたしが読もうと思っている。 胎教に良くないかなぁ、ダーク・ファンタジーって。(笑)
甘さよりすっぱいものを選んでと八百屋に迫る グレープフルーツ (市屋千鶴)
本編と関係ない歌で、申し訳ない。(^^; 八百屋さんでグレープフルーツが安くて、少しすっぱそうなもの を選んでもらったのだった。
夕食時にこんな話題を提供するわたしを、どうかお許しください。
いやあ、つわりと言うものになってから、初めて実物を出した。 汚い話で恐縮だが、毎日うえっとなっていても、実物を吐かない のが自慢(?)だったのだが、今日はプチゲロを出してしまった。
注)我が家では、一口だけの吐瀉物をプチゲロと言う。
というわけで、一口だけだが、不本意にも対外に出してしまった。 夫にいそいそと携帯メールで報告するわたし。 「プチゲロ了解。ゲロ袋を完備せよ。」という返事が来た。 さすが我が夫だ。返す言葉に無駄がない。(笑)
で、何をしていてそうなったのかといえば、このお天気のせいだ。 このお天気で、やっぱりおなかが大きくても着られる夏服を確認 しておかなくてなるまいと思ったのだが、衣装箱を開けて下を向 いてごそごそしている時に、そうなったのだった。
それで分かったこと。 うえっというのを1回か2回ずつなら、それは空ゲエで終わるが、 3回目以降にまで続いてしまうと、実物も出てしまうということ。 おまけに、食後の時間経過も関連するのだろう。
などなど、布団で横になりながら、夕食までの間に考えた。 起きていると気持ち悪いので、寝ながら考える。 それでも、なんとか納まったところで、真夏に普段着の妊婦服と して活用できそうなものを何点か確認して、本日の業務終了。
先ほど、エビにら饅頭を、酢4:醤油1の割合で4個ほど食べて おかずとし、夕食にした。 食後の今の内に日記を書いておこうと思ってね。
あと数時間したら、空腹で気持ち悪くなるのだから。
夏服の確認よりもまず先に下着を買えと乳房の主張(市屋千鶴)
ブラジャー、もう、苦しくなってきています。
夫は、ねぼすけだ。夜更かしも好きだ。 休日は、昼まで寝ていることがほとんどだ。 部屋の片づけもできていないのに、今日も昼間で寝ていた。 久しぶりに片道2時間半の通勤をしてみると、慣れるまでの間は やっぱり疲れるのだろうと思う。 それに、何かと買い物に行かされるしね。(汗)
夜、寝なくては、と思って寝るのではなく、眠くなるまで起きて いてやるぞと思うことが多いらしい。 夫よ、寝ろっ。
それにしても、昨日は調子が良かったのに、日によって違うもの だなぁとつくづく思う。 考えてみれば、別の個体が体内にいるのだから、そしてその個体 に対して自分の体から栄養を供給し、その個体の排泄物を自分の 体を通して対外に出すのだから、おいそれと順応するわけがない のだね。 こんなことを横になりながら夫に話したら、また難しいことを言 い出したなぁと笑われた。
いつも、夫に対しては子供のような接し方をしていることが多く、 母方の身内(在京の)の中では一番頭がいいと言われているとい う事実を、全く信じようとしない夫だ。 まあ、確かにとても範囲の狭い中での一番だからして、そんなこ とはどうでもいいのだが、わたしがこ難しい話をすると、不思議 そうな顔をする。 付き合う前は、夫から見ればちゃんとした先輩だったはずなのに なぁ。 いつから、すっとぼけたキャラになってしまったのだろうか。
いやはや、ほんとに片付かない。
ニフティに短歌フォーラムでは、6月の歌会が始まる。 本来は、わたしが幹事のはずだったのだが、周囲の方から配慮し ていただいて、代りの方に幹事をお願いすることになった。 つわりもそうだが、その後も出産後も、短歌フォーラムの会議室 を預かるということが継続できそうになくなってきた。 WINからMACに変わったことで、しばらく会議室の方もおろ そかになっていたうえに、この妊娠によってまたまた状況が変化 してしまったから、真剣に誰かに引き継ぐことを考えなくてはな らないと思っている。 妊娠しても、きちんと会社勤めを続けている方もいらっしゃるし、 様々な仕事をこなしていらっしゃる方もいるだろう。 だが、43歳という事実、持病という事実、それらを考える時、 自分自身に余裕がないことは確かだから。
とりあえず、来週の日曜日はぷらむの日。 歌と新住所を東先生にメールした。 体調次第だが、なるべく行きたいなぁ。
新しい通勤環境の1週間 初めて「肩をもんで」という夫(市屋千鶴)
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