鶴は千年、生活下手

2003年05月31日(土) 雨風の中

こんな雨風の中、夫は黒川に出かけた。
17時からなんだかテレビ会議とかがあって、それに出席すると
いうか眺めているというか、そういうことらしい。
ちょこっといって来るからと言って出かけて行ったが、この天気
では、ちょこっとでもきついよね。

昨夜夫は夜中の1時半頃帰ってきた。
今日も出なくちゃ行けなくなりそうだったので、無理して終わら
せて来たのだと言うことだった。
わたしはと言えば、22時前から寝てしまっていたのだが、ふと
目が覚めて携帯電話を見ると、メール着信のマークが光っていた。
時間は夜中の1時半。
1時18分に、夫から、今駅に着いたというメールが入っていた。
1時半だから、もう家に着くではないか。
慌てて玄関の電気を付けに起きたところ、電気を付けてすぐに夫
が帰ってきたのだった。グッドタイミング!
それからしばし話をしながら、2時半頃には寝たような気がする。

二人して超音波写真を見ては癌検査の結果のことなどを話した。
そんな深刻に考える段階ではないということを、あらためて確認
しただけなのだが。
癌かもしれないと医師が判断したら、その時はそれなりの対応を
するはずだからねぇ。
可能性のあることは、全て可能性として考えるのが医者の仕事だ。
このことを、わたしは姉の幾度かの死線でよく理解しているはず
だと思っている。

人間、外的要因で思いのほか簡単に死んでしまうものだが、死な
ない人は本当に何度も死線を乗り越えるものなのだ。
しかしそれは、本人がどうこうできるものでもないし、それぞれ
の精いっぱいを尽くしたら、あとは成り行きなのだ。
どんなに手を尽くしても、死ぬ人は死ぬのだ。
が、がんばれば何度も死線を乗り越える人もいるのだ。
わたしも夫も、身内を既に何人か亡くしているから、その辺のこ
とは少しだけ分かっているのかも知れない。

だからこそ、自分のために生きていたいのだ。
夫を大事にして暮らすのだって、夫のためではない。
自分がその方がうれしいからだ。自分のためなのだ。
子供もおそらく同じ存在になるのだろう。

子供のために生きるのではない。
夫や子供といる自分が、きっと楽しかったりうれしかったりする
はずだから、共に生きるのだ。
これは、究極のわがままなのかもしれないが。

 愛すると言葉にすれば美しくほんとの声は「快感だ」という
                           (市屋千鶴)

今日は、あんまり気持ち悪くならなかったなぁ。



2003年05月30日(金) 産科2回目

相変わらず、うえっとなりながら、病院へ行った。
産科の待ち時間はべらぼうに長い。
予約時間は11時だが、10時半過ぎについたわたしは、会計ま
で終わったのが13時だった。
ただ待っているから、長いのだろうね。
気持ち悪くなければ、本も読めるのだが。

初期検査と呼ばれる血液検査は、相模原市に転入後にということ
だったので、今日行った。
初診の時は、癌検査のみだった。
内診後、癌検査の結果が、経過観察が必要だと出ているので、次
の検診でまた検査をしましょうと言われた。

初期検査という血液検査の料金は、とりあえず自己負担である。
相模原市の指定用紙に書いて申請すると、返金してもらえるのだ
そうだ。次回に用紙を提出して、料金が戻って来る。
それにしても、高い。

超音波で撮影した写真は、ちゃんとこの前よりも大きくなってい
て、順調に大きくなっていますよと言われた。
順調なのか。
もし、癌だということになったら、それは早期発見ということに
なるのかな?
その場合、子供や自分自身はどうなるのかと、少しの間考えたが、
医師が4週間後に再検査しましょうと言うくらいだから、余裕は
あるのだろう。
それから判断してもいいということだものね。
たとえ癌だろうがそうでなかろうが、なるようになるもんさ。
どうにかしようとして、なるものではないからねぇ。
すっかり開き直っている。

しかしながら、産科の流れ作業のような内診には驚くばかりだ。
たしかに、内診を何人か続けて行って、それから診察室に呼ぶと
言うやり方が一番効率がいいのだろうが。

昼食を、病院のカフェで食べて、満腹で気持ち悪くなりながら、
帰りのバスに乗った。
いや、食べ過ぎ。
というか、これしきの量で腹一杯なのかと、やや情けなくなった。

帰宅後、ダスキンさんがやってきて、世間話をしながら契約。
浄水器とハンディモップ、それにお試し期間としてフロアモップ。
掃除機をあまり使わないで暮らそうと思ってね。なんとなく。

今日は夫は、飲み会なのだと言う。
二次会なんか行かないで帰って来るよねと念を押して送り出した。
さて、何時に帰ってくるのやら。
明日、明後日と、引っ越しの残りをなんとかしてもらわないとい
かんのだが。

 夕食はいらないと言う君だけど自分の分さえ定かでない日々
                          (市屋千鶴)

夕方、癌検査の結果報告のメールを読んだ夫から電話があった。
夫は母親を子宮癌で亡くしているので、心配だったようだ。
しかし、わたしが余裕が有ることだからと説明して、少しは安心
したようだった。
確かに、すぐにどうこうしなくてはならないような結果だったな
ら、4週間後に検査してなんて言わないものねぇ。
そのうえ、その検査結果はさらにその4週間後に聞くんだもの。
そういうことだよと、夫に言って聞かせた。
夫は、まだ我孫子に居た。
飲み会には行けなくなってしまったらしい。
どちらにしても、帰りは夜中だ。



2003年05月29日(木) ケーブル復活

9時半前にケーブルTVの工事の人が来て、10時過ぎには工事
が終わった。
待ちかねたケーブルTVと電話。
ネットは夫が帰って来ないと、設定できない。(汗)
今日は、夫は朝から黒川だから、そんなに遅くならないはず。

電話がつながって、早速身内に電話した。
転居の挨拶状を出すべきなのだが、プリンタはまだ奥の方に有る
し、気持ち悪いしで、とりあえず電話番号だけを連絡することに
したのだった。
ついでに、妊娠したことを報告した。
みんなに良かったねおめでとうと言われ、姉から大変だよとおど
された事も忘れ、心強くなった。

しかし、父親と、夫の実家には、まだ連絡しない。
産まれる直前でも、産まれてからでもいいかなと思っていたりす
るのだった。
励ましでない、ただのプレッシャーならいらないから。

昨年の5月に長男が産まれて7月に結婚式をした秋田の従弟に、
携帯でメールを入れたら、なんと返事が「それはおめでとう、家
も二人目です。」という文面で、こっちも驚いたのだった。
そういえば、アメリカで結婚した従妹の二人めが8月頃に出産予
定だし、秋田の二人めは9月が予定日だと言うし、わがいとこ達
のうち、晩婚組にあたる者達のベビーブームなのだろうか。

帰宅した夫にも秋田の二人めのことを知らせると、やっぱり驚い
た。
大柄なお嫁さんが、赤ちゃんを肩に乗っけるようにしていた姿が
思い出されて、二人になったら両肩に乗せるのかと言った夫が、
あほらしくも好ましかった。

 脱皮する蝉がつかまる木のように揺るがぬ体 母の貫禄?
                         (市屋千鶴)

というのとも、ちょっと違うような、微妙な秋田のお嫁さん。



2003年05月28日(水) 絶不調なり

なんだか今日は、不調だった。
気持ち悪くない時間がほとんどなかった。
とりあえず食べるが、台所に立つのも嫌で、ご飯と味付け海苔と
か梅干しとかばかり食べていた。ああ、納豆も食べたけど。

夫には、帰りにコンビニのサラダを買ってきてほしいとメール。
なんだか無性に、キャベツの千切りにレモンをかけて食べたくな
ったのだった。
ドレッシングとかなしに、とにかくレモンをかけて食べるのだ。
すっぱくてたまらない。

 唐突に欲するレモン かたわらで口をすぼめる君が楽しい
                         (市屋千鶴)



2003年05月27日(火) 内科へ

内科の2回目の診察。
前回の血液検査の結果を説明してもらった。
貧血が少し出ていること、カルシウムが少ないことなど。
どちらも腎臓の機能が落ちていることに原因が有るのだとか。
もう一度血液検査をして、経過観察となった。
経過次第では、胎児に影響の無い方法で飲み薬(ビタミン剤とか)
が出される模様。

行きも帰りも気持ち悪いことに変わりはないが、東林間の駅のベ
ンチで次の電車を待っている間に、隣に腰掛けた年配の女性の香
水だか化粧品だかの匂いにうっとなり、そそくさとベンチを立っ
てしまった。
立っていれば、通り過ぎる女性のシャンプーの匂いにうっとなり、
相模大野の駅でバスに乗り換えれば、前の座席の人のカバンの匂
いでうっとなりながらの往路だった。
帰りはグレープフルーツ味の飲み物を抱えて帰ってきたから、な
んとかそれでしのいだ。
帰りには梅キュウリ巻きなど購入し、昼ご飯とした。
短歌研究の年間購読料も払い込んだ。

それにしても、うっとかげぇっとかなるのに、一口も戻さないと
いう自分自身に驚いたり納得したり。(笑)

内科の次回は、4週間後。

昼過ぎまで出かけて、午後からは普通のテレビを見たりしながら
ののんびりとした、それでいて吐き気との闘いの日々だね。

金曜日は、産科の日だ。

19時頃、夫から、今黒川にいるというメールが届いた。
おまけに、もう帰る支度をしているということだった。
21時前に帰宅するのは、ほんとに久しぶりだった。
が、その連絡をもらった時には、すでに自分の夕食は終わってい
たのだった。(笑)

 珍しく早めの帰宅うれしさを分け合うようにおなかをさする
                         (市屋千鶴)



2003年05月26日(月) 転入届

夫を7時過ぎに送り出してしまうと、暇だ。
しばらくテレビを見てから、諸手続きのために出かけた。
市役所の支所で転入届。
農協へは、口座を開設しに行った。
家賃の自動振り替えと、ガス料金の口座引き落としのためだ。
駅からアパートまでの間に農協が有る。
農協に口座を持つなんて、子供の頃以来ではないだろうか。
子供の頃は農家だったから、農協は身近な存在だった。

転入届を出した際に、我孫子で母子手帳をもらっていることを告
げ、相模原市の資料をもらった。
夫に読んでもらう資料もある。
全部読んでもらった方がいいのかな。

帰り道で、八百屋さんに寄った。
キウイとかほうれんそうとかピーマンとかタマネギとか茄子とか。
納豆とか牛乳とかいろいろ。
結構重かった。
引いて歩く買い物カートでも買おうかと思ったりする。

部屋の片づけは、ほとんど手つかず。
夜になって、気持ち悪くて寝てしまった。

夫は、3時間かけて帰ってきた。
明日は、内科の診察の日。

 帰ると言うメールの後の3時間を吐き気とともに布団にて待つ
                          (市屋千鶴)



2003年05月25日(日) 誤算

今日は、エアコンの取付工事と、ケーブルTVの人が来た。
エアコンは問題なく取り付け終了し、洗濯機に蛇口の違いをつい
でに教えてもらったりした。

ケーブルTVの方は、大きな誤算。
今日、工事をしてくれるのだと思っていたら、契約だけだった。
工事は29日の午前中にしてもらうことになった。
ケーブルTVが見られないし、電話は携帯電話だけだし、ネット
にもつなげない。
う〜〜む、かなりの誤算。

エアコン工事とケーブルTV契約の時間の合間を縫って、日用品
を買い出しに出かけた。
必要なものの8割ぐらいを100円ショップで購入し、いつもの
洗剤やリンスを購入したが、物干竿が見つからない。
しかたなく、電車で隣駅のオリ○ピックまで行き、物干竿だけを
買って電車で帰ってきた。
隣駅の中央林間で電車に乗ろうとした時、医者に行くのだと言う
きわみちゃんと遭遇。
いやぁあ、近くに越してきたのだなぁと実感。

すっかり疲れきってしまっている夫は、筋肉痛なのだった。(笑)
普段は、SEだから力仕事は全くしないので、引っ越しの荷物を
動かしたりしただけで筋肉痛になったんだろうね。
明日から、夫は、2時間半かけて、我孫子に通う。
黒川に通うのは、もう少ししてからなのだった。
7時過ぎに家を出て、10時頃に事務所に着くのだ。

がんばれーっ。

 物干竿一つを買って乗る電車の窓に見なれた街の風景(市屋千鶴)



2003年05月24日(土) 引っ越し当日

遠足に行く子供のように、朝の5時、6時、6時半と目を覚まし、
それ以上は寝ていられないと起きてしまった。
起きてすぐ、昨夜の内に買っておいたおにぎりを食べた。
そして、夫を起こして、朝の作業を開始した。

一段落してぼーっと椅子に座っていると、背後に人の気配がした。
振り向くと、オレンジ色の作業ズボンを履いた若者が立っていて、
おはようございますと挨拶をした。
時刻は予定の8時半まで、まだ10分有った。

作業の準備をしながら、隣の部屋の人に挨拶をする人達。
積み込み前に支払いを済ませ、いざ作業を開始すると、その作業
のなんと早くてテキパキしたことか。
夫と二人、そのスピードと手際の良さに感心してばかりだった。

これまで、友人に頼んで引っ越ししたりすることが多く、我孫子
に越してくる時に初めて引っ越し業者さんに頼んだのだったが、
金額は安く、作業は確かで、ほんとに感心した。

ちょうど積み込みが終わる頃にガス屋さんが来て、ガスを止めて
数日分の支払いを済ませた。
9時半過ぎ、引っ越し屋さんは、相模原に向けて出発して行った。

きわみちゃんと姪に電話を入れて、きわみちゃんには早めに部屋
に行ってもらって待機していてもらうことに。
姪とは、東林間の駅で待合せをしたが、結局相模大野の駅で姪を
見つけて一緒に電車に乗った。
相模大野からきわみちゃんに電話すると、荷物は先ほど到着して
荷下ろしを始めたところだと言うことだった。
そのあたりをきわみちゃんに頼んで、わたし達はご近所への挨拶
としてお渡しするものを買ってから部屋に向かった。

ちょうど、そろそろ荷下ろしも終わるころに、到着した。
部屋の水回りは、なんと工事中。(笑)
お風呂と台所に、新しい給湯システムが入るのだった。
工事は、一日がかりのようだった。
それでも、まだ洗面台の交換は終わっておらず、入居後の交換に
なることになっている。

ご近所の挨拶をして、ざっと荷物を寄せて、軽く昼ご飯。
すっぱいものに惹かれるわたしの希望で、巻寿司にした。
引っ越し蕎麦にはしなかったのだけど、いいかなぁ。(^^;
しばし、荷ほどきをして、16時頃に食事に出かけた。
きわみちゃんは、この後会社に行くのだと言うことだったので、
食事をおごらせてもらって、後は姪と三人で荷ほどきすることに。
東林間に戻ると決めた時から行きたかったタイ料理のお店で、早
めの食事をとった。
いや、夫に言わせると、二回目の昼ご飯だということなのだが。
初めてタイ料理を食べると言う姪に、あまり辛くないものを選ん
で少しずつ食べた。

きわみちゃんにご苦労様と言って別れてから、まずは照明器具を
買いに行き、後半の作業に入った。
ある程度、食事のための道具立てがそろうところまで、姪は手伝
ってくれて、20時過ぎまで居てくれた。
姪を送りがてら、駅まで行って、帰りに買い物をして帰った。

一日がかりで工事していたお風呂に、二人で入ってみた。
今時のお風呂はそうなのかもしれないが、ボタン一つで希望する
温度と湯量のお湯が張れるのだ。追い炊きもできる。
初めての高機能給湯システムに、感心する夫婦。
従妹のマンションのお風呂で見たのと同じだねとか言って。(汗)

こうして、慌ただしい一日が終わった。

 ボタン一つでお風呂に入れる喜びと電気なしには暮らせぬ不安
                           (市屋千鶴)



2003年05月23日(金) 引っ越し大詰め

昨日の夫の打合せはキャンセルになったとかで、23時半ごろに
帰ってきた。
連絡もなしだったので、まだ打合せ中なのだろう、帰れそうにな
いのかなぁと思いつつ、1時間ばかり眠ったところだったので、
帰ってきた物音にびっくりして気持ち悪くなった。(汗)
明日は新しくメンバーになる人が来るとかで、午前中だけ事務所
に出るのだと言う。
わたしは、今日は契約しに。
いよいよ大詰め。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

きわみちゃんと12時過ぎに待合せし、不動産屋さんへ契約しに。
契約後、部屋の場所を覚えてもらうのと、大きいものの置き場所
を覚えてもらうために、新しい部屋に行ってみた。
駅前の不動産屋さんの担当者さんが、契約に行く時から部屋まで
車で送ってくれた。
きわみちゃんは、家賃と部屋の広さに感激ぎみのようだ。
彼女はペット可のアパートでなくてはならないので、なかなか安
い部屋がなかったのだろう。
うちよりも新しいが少し狭くて家賃の高い部屋に住んでいる。
住む人が住みたいと思う時に、希望の部屋が出回っているかどう
かというのは、半分以上は運なのだろう。

そそくさと家に帰ると、夫は一生懸命に荷造りをしていた。
が、実際のところ、わたしに聞いて詰め込む部分手つかずのまま
で、すぐに「うっ」となってしまう役立たずの妻に、いろいろと
指図だけされてややかわいそうであった。
それでも、夜中の12時までかかってなんとか荷造りをし、朝を
待つこととなった。

 早起きの妻と夜更かしする夫の微妙なバランス7時起床(市屋千鶴)



2003年05月22日(木) 各日程決定

ケーブルTV会社からの工事の連絡も有り、これで一通り、日程
が決まった。

今日は、夫は夕方から横浜で打合せなのだと言う。
帰って来れるのかどうかわからないようだ。
まあ、明日は午前中出勤すると言っていたから、基本的には午後
3時頃から家にいてくれればいいのだが。
何しろ、エアコンの取外しも、ケーブルTVの取外しも、明日の
午後3時以降にしてあるからだ。

わたしは、契約のために相模原市まで行っているからねぇ。
頼りは夫だけなのだよー、荷造り頼むぞぃ。

今日は、小さな箱を4つばかし詰めた。
使っていない食器1つ、書籍類2つ、わたしの雑貨1つ。
夕食後に、もう少し詰めておこうとも思っている。
作業中は、マスク必須だ。匂いを防ぐためが大きな理由。
それでも、マスクの匂いで最初はうっとなるのだけど。(笑)

昨日で、ダスキンの浄水器を返してしまったので、今の水はこの
アパートの井戸水そのままだ。
井戸水なのに、美味しくない。
どうも、今一つ、好んで飲む気になれないこの井戸水の変わりに、
昨日夫に水を買ってきてもらった。
そういえば、ここに引っ越してきてすぐの頃も、水が飲めなくて
水とかウーロン茶とかを大きなペットボトルで買っていたのだ。

なんだか、カルキ臭い水道水の方が、美味しくない井戸水よりも
まだましな気がする。
美味しくないと言うことは、何か入っているということなのか。
そんなことまで考えたよね、そのころから。
未だに首都圏で井戸水のところが有るというのが驚きだったのを
覚えている。
わたしは、田舎が井戸水と水道の併用だし、子供の頃は井戸水や
わき水で暮らしたから、それほど驚きはしなかったが、夫は水道
育ちなのでかなり驚いていた。

買ってきた水に、レモン汁を入れてレモン水にして飲んだりする
のだが、なかなかおいしい。
さて、今晩のおかずは、何にしたら食べられるだろうか。
こてっちゃん、食べたいんだけど、塩分がねぇ。

 差し当たり愛しい人がそばにいるだけで可とする季節は終わる
                          (市屋千鶴)

子供ができたら、そばにいてくれるだけでは満足できなくなるの
だろうか。



2003年05月21日(水) 洗濯日和

今日は久しぶりの洗濯日和だった。

今朝、届いていたメールを読んで、愕然とした。
わがことながら、あまりの自分の勘違いと思い込みと筆無精とに
あきれ、かつ、情けなくなった。

知り合いの方が、サイトを閉鎖するにあたって、何人かの方達に
宛てて送ったメールを、わたしはそのまま読んだだけにしていた。
サイトの閉鎖について、思うことは有っても、それはその方の決
めたことだし、わたしはその後の変化をただ待っていればいいの
だと思っていた。

それが、その方の精いっぱいのメールだったことに、気付いてい
なかった。
情けないほど、鈍感だった。
今朝、妊娠したことにお祝いのメールをいただき、わたしからの
返事が無かったことに悩んだり心を痛めていらしたことを知った。
わたしの勘違いや思い込みや筆無精が、その方を悩ませていた。
ほんとに、申し訳ないと思った。
一つの騒動が有って、サイトを閉めることになったのだが、その
ことで付き合い方が変わる可能性なんて、全く考えていなかった。

わたしは、きちんと、自分の気持ちを伝えるべきだった。
サイトでどんな騒動が有っても、実際のその方を知っている身と
しては、わたしの気持ちは何も変わらないのだということを。
ずっと、何でも話題にできる友人でいてほしいのだと。
(ほんとうに、ごめんなさいねー。)

安定期に入ったら、ノンアルコールでオフ会にお付き合いしたい
と、そう思っている。

昨夜も、きわみちゃんと人付き合いのことなどを、1時間も話し
ていたにもかかわらず、自分のことは気付いていなかったことに、
あきれるやら、情けないやら。

つわりもひどくなろうと言うものだ。
今日は洗濯日和だから、たまった洗濯物を片付けたが、他のこと
は何もできないでいた。
ふと、嗅いでしまう我が家の匂いで、うっとなってしまう。
それは、たとえば、古い書籍の匂いとか。
古くなった紙の匂いは、独特だからねぇ。
それでも、うっとなるだけで、実際に吐いたりしないのが、まあ
不思議と言えば不思議。
さすが、食べたものは出さない女だと、妙に感心しながらも。

明日は、使っていない食器を詰めたり、残った書籍を詰めたりし
なければならないなぁ。
箱に詰めるだけで、動かしたりはしないんだけどね。(笑)

 思ってるだけでは伝わることの無い気持ちを文字に言葉に声に
                          (市屋千鶴)

この筆無精さと妙な思い込みが、友人の少ない理由なのだろうな。



2003年05月20日(火) 転出届け

今日は、市役所に転出届を出し、郵便局に転送願いを出した。
ケーブルTVの関係の手続きもだいたい終わった。
明日は、たまった洗濯物を片付けて、少し箱詰めをする予定。

金曜日、契約に行くわたし。
きわみちゃんに、付き合ってもらうことになった。
一緒に契約の後に、転居先に行ってもらう。
なんといっても遠距離の引っ越しなので、本人達は電車で移動す
るのだが、引っ越し屋さんに方が早くついてしまうことがある。
実際、我孫子に越してきた時は、引っ越し屋さんの方が早く到着
してしまい、30〜40分待たせてしまったのだった。

それで、金曜日に鍵をもらったら、きわみちゃんに預かってもら
って、引っ越し当日に先に行っていてもらうことにしたのだった。
いつもお世話になっているね。

引っ越し当日は、姪が手伝いに来ると言ってくれているが、姪は
引っ越しの経験が全くないから、興味津々なのだった。(笑)

様々な手続きを終えているが、これで契約ができなかったりした
ら大笑いだ。(爆)
いや、しゃれにならない。

 引っ越しに段取りを決めるときでさえ夫は我の指揮下にあって
                           (市屋千鶴)

いやいや、いろんなことが、わたしの指揮下にあるのだけれどねー。
わたしを支えてくれていればそれでわたしは満足なのだ。



2003年05月19日(月) 引越見積り完了

今朝、不動産屋さんから連絡が有って、引っ越し先が確定した。
先方の都合で、契約は金曜日か土曜日と言われたのだが、土曜日
は引っ越しの当日だから、契約書を書いているうちに、トラック
がついてしまうよ、ということで、金曜日に契約書を書きに行く。

金曜日は荷造りする日なのだが、契約書を書きに行くのはわたし
と夫とどちらが行った方がいいのか、今晩相談しなくては。

16時過ぎ、引っ越しの○○○の人が見積りに来た。
見積りするとお米がちょっと貰える。(笑)
通常の引っ越しに加えて、不要品(主に書籍と衣料品等)の処分
とエアコンの移設もお願いしたから、桁が一つ上がった。
エアコン移設は、移設パックと言うもので追加工事の分を見込ん
で金額が設定されている。
そのため、本日の見積り金額について、追加料金はいっさい無し。
引っ越し当日、積み込み前に現金で支払う。

また、今のアパートの不動産会社には、やっと引っ越しの日が決
まったことを伝え、鍵の処理について相談した。
担当の方に、妊娠したことを伝えると、「引っ越しの時にできた
子供は丈夫に育つっていうよ、沖縄ではね。」と励まされた。
ちょっとうれしかった。

つわり以外に自覚症状の無いこの時期は、わたしのような妊婦に
とって、微妙な時期なのだろうか。
毎日の暮らしの中で、喜びが7割であとの3割に面倒くさいなぁ
という感覚がついてまわる。
胎動を感じるようになれば、少しは違ってくるのだろうか。

昨日の晩、夫にその話をした。
「3割くらいは、面倒くさいなぁって思うんだよね。」って。
「面倒くさいし、体も大変そうだから、おろしちゃおうっかなぁ。」
などと言ってしまったりする。
「そうっかぁ。」と言っていた夫。
何かの拍子にわたしのおなかに触るとき、少し力が入っているよ
うな気がして、「だめだよ、そんなに押しちゃあ。」と言うと、
「おのね。
 おろしちゃおうっかなぁなんて言ってても、ちゃんとおなかを
 庇ってるでしょ?
 つまりは、そういうことなんだよ。」と言われた。

う〜〜ん、そうなのかぁ。恐るべし、夫。
やっぱり、ちゃんとおなかを庇ったり、ちゃんと食事に気をつけ
たりしているところを見ると、面倒くさいという気持ちも、それ
ほど大きいものではないのだろう。
でもね、一つだけ夫にお願いしていることが有る。
絶対母体優先でお願いします、ということ。
わたしは、夫に赤ちゃんを残したいのではなく、夫との暮らしの
中に赤ちゃんが授かったのだと思うから。
夫に赤ちゃんだけを残して死んでしまうなんてできない。
夫がいて、わたしがいて、子供なのだと思った。
母性のかけらもない? かなぁ〜。
おなかが大きくなってきたら、その気持ちも変わるのだろうか。

ガスと電気と新聞の手配は済ませた。
今晩夫と相談した上で、次はケーブルTV関係の連絡と、市役所
に転出届を出すのだな。

 子供より自分を優先してと言うもしかしたらば嫉妬だろうか
                          (市屋千鶴)



2003年05月18日(日) 引越屋を選ぶ

選ぶというほどの作業をせずに、引越は「引越の○○○」でお願
いすることに決めた。
引越の代金は、会社から出してもらえるので、金額的なことをあ
まり考えなくて良いのだった。
だから、見積りを比べるということもせずに、インターネットで
支社の電話番号を調べて、直接電話した。
明日、見積りにきてくれるとのこと。

当初、わたしが荷造りをしておいて、金曜日に引越を考えていた
のだが、荷造りをしておくことができないので、夫が休みを取っ
ている金曜日に荷造りをして、土曜日に移動することにした。
本当は、夫は土曜日に事務所に出たかったらしいのだが、他の人
に変わってもらうと言ってくれた。

きわみちゃんも、荷造りを手伝いにきてくれると言うし、姪っ子
は荷ほどきの方を手伝いに来てくれると言う。
ありがたいことだ。
(月曜の夜に、きわみちゃんには電話するからね。)

そういえば、昨日、義兄に電話した時に、やっぱりそっちの方に
住みたいのかと言われた。
言われてから気が付いたのだが、姉達から見れば、近くに越して
来てくれればと思っていたのだろう。
わたし達は、そこに全く気が付いていなかった。
横浜線への乗り換えが楽なようにと、そればかりを考えてしまっ
ていた。
京王線族のわが身内と、小田急線族の夫の違いが出たみたい。
そうだなぁ、京王永山(姉の住んでいる駅)にだって、それなり
のアパートは有ったような気がするけれど、少々家賃が高かった
ような気がした。
同じ間取りで同じ家賃と言うわけにはいかないだろうと思う。

東林間は住みやすいということしか頭に無かったなぁと少し反省。
でも、明日、本決まりになってしまうので、しばらくはこのまま
少し離れたところに住むことになる。
でも、我孫子から2時間半かかるところから、1時間弱で行ける
ようになるのだから、まあ良しとしてもらおうか。

 すぐそばに住んでほしいと一言も言われぬままに住処は決まる
                          (市屋千鶴)



2003年05月17日(土) 捨てられる文庫本たち

朝、東林間の物件にしたいと不動産屋さんに電話して、申込書を
代筆してもらった。
夕方の連絡では、保証人の確認はとれたので、あとは本人の在籍
確認がとれればOKでしょうと言われた。
この物件は、この不動産屋さんの専任物件ではないので、別の不
動産屋さんなりの確認作業が必要なのだった。
来週の月曜日に、夫の会社に電話が入って在籍確認がされる。
来週、契約書を書きにまた行かなくてはならないみたいだ。

今日は、しまってある文庫本を二人で整理した。
居間に出ていた本は、先日自分で選別した。
わたしの文庫本で一番場所をとっているもの。
それは、なんといっても、「グイン・サーガ」である。
現在まで出ている89巻までと外伝をすべて保管していたのだが、
この際だからと、外に出ていたものと気に入っている外伝だけを
残して捨ててしまうことにした。
おそらくは遡って読むことは無いと思われるので。

他のシリーズ物で、「ベルガリアート物語」、「マロリオン物語」、
「タムール記」、「時の車輪」シリーズ、「創竜伝」、六道慧の
本、「妖星伝」など。
他にも、細かいSFなどを捨てることにした。
生き残ったのは「リフトウォーサーガ」と「アッシュ」シリーズ。
それから、お気に入りのSFやファンタジー。
栗本薫の伊集院大介シリーズと、お役者捕物帳。
コロボックルシリーズと松谷みよ子の童話や昔話など、お気に入
りの童話。

漫画では「スケバン刑事」と「ブルーソネット」を捨てることに。
「ブルーソネット」は、夫が読んでから捨てるらしい。(笑)
生き残ったのは、「ピグマリオ」と「グランローヴァ物語」。

SFやファンタジーで、わたしのお勧めの本が有って、それは夫
も読んでみたいというので、大事に確保。
でも、まだ出してない本があるんだよね。

それにしても、こうして挙げて見ると、なんと偏った趣味なのだ
ろうと感心する。
他にも推理小説や探偵小説を読むのだが、それらはこっちに転居
する前に売ってきていた。

数少ない短歌関係の本は別格なので、大事に確保してある。

今日は、昨日の疲れがでているのか、今ひとつぱっとしない状態
で、おなかが空けば気持ち悪いといい、「うえっ」といったりす
ることが多かった。
食べた後に吐いたりすることは無いので、それは少し楽。
吐き気がするだけなのだった。
早く寝てしまおう。

 もう一度空に画像を結ぶため君の話を思い出してる(市屋千鶴)



2003年05月16日(金) 候補をしぼるまで

午後1時に不動産屋について、それから4時間。
夕方の5時までかかって、候補を3つにしぼった。
そのうちの2つのどちらかに決められなくて、結局は帰って夫と
相談して明朝返事をすることにした。

住み慣れた東林間で駅から徒歩12分の物件と、小田急相模原の
駅から徒歩8分の物件とにしぼられたのだが、この辺が微妙だ。
住み慣れた町で駅から少しくらい離れてもいいと思うか、駅から
は近い方を選ぶかなのだった。
東林間の物件は、裏が車2台の駐車スペースになっていて、その
まま道路に出る。
小田急相模原の物件は、駅からメインの商店街を行き、そこから
横道に入って行ったところに有る。
しかし、この道がべらぼうに狭い。どの道も同じように狭い。
初めてその辺りに行くわたしから見ると、まるで迷路のようだ。
そのためだろうか。
なぜかその辺りに住むのが不安に感じるのだった。
頭の高さくらいの垣根が続く、迷路の中を行くような不安感。
夜には歩きたくないと思ってしまったのだった。

しかしながら、間取りはそこそこいいんだよねぇ。
だから、その場でなんだか駄目な気がするって気が付かなかった
のだろうか。

少しくらい駅から遠くても、住み慣れた町を、人は選ぶものなの
だろうか。

 住む町の候補を語る時に知る 町には町の明るさが有る(市屋千鶴)

なんとなく、二つの物件を考えると、頭の中に浮かぶ明度が違う
ということに気が付いたのだった。



2003年05月15日(木) 大慌て

まったくもって、のんびりさせてくれない引っ越し事情。
今朝、9時を過ぎた頃、不動産屋さんから電話が有った。
なんと、火曜日に決定と連絡を貰った物件が、大家さんの都合
でキャンセルになったのだ。
なんでも、大家さんで使うことになったのだとか。
きっと、身内かなんかで住みたいという人が現れたのだろう。
大家さんからの電話は、昨日の夜のことだったらしく、担当者
の方が慌てて電話はくれたのだった。

今回の物件は、東林間と中央林間の二駅が利用できて、小田急
線の急行が止まる中央林間まで7、8分という位置にある。
この不動産屋さんのエリアでは、あとは小田急相模原という駅
の付近しか即入居可能な物件はないらしかった。
だめもとで、一応希望金額を少し上げて、東林間・中央林間の
物件を探してもらった。
夫とも相談して、小田急相模原でもいいかということになり、
その物件も見せてもらおうと思っている。

そんなわけで、またまた明日、2時間かけて東林間まで行って
くることのなったのだった。
今朝の電話で、夫はかなりのショックを受けていたようだが、
そういう時に限って、わたしの方が冷静だったりして、やはり
夫婦はお互いに補いあうものだと感心したりした。(笑)

いざとなったら、別の不動産屋さんに当たるしか無いのだろう。
せっかく、保証会社の審査を通ったのになぁ。

しかし、一難さってまた一難というかなんというか。
小田急相模原って、バスだけで北里大学まで通える駅なのだが、
まさか、そこにしろというどこからかの暗示か。(爆)

あわてて、きわみちゃんに電話したりして、きわみちゃんまで
巻き込む慌てぶりだったのだよね。いやぁ、ごめんごめん。

こんなに引っ越しでバタバタしたのは初めてだ。

 住む町の選択肢には入らないなんて言えないあと1週間(市屋千鶴)



2003年05月14日(水) 一日がかり

今日は、朝7時前に家を出た。
通勤時間帯の山手線に乗ることをさけて、遠回りをして北里大学
病院へ。家を出てから約3時間半後に到着。

総合案内所で、複雑な受付のことをお願いした。
初心受付限界の11時少し前だった。
内科の紹介状を持って、内科で行って受付をし、その足で産科の
受付に行った。
産科で問診だけをしてもらって、その後、採尿。
この時点で12時。内科の診察までに約1時間待った。
内科で診察を受けて、その後採血と腎臓の超音波検査。
それが終わったら、産科の初診受付に。13時半過ぎ。
産科の初診が終わったのは、14時50分だった。

これでも、産科の血液検査用の採血はしていないし、助産婦さん
からのお話も次回にしてもらった。

内科では、薬は糖尿の薬も血圧の薬も服用しないで、食事療法だ
けで経過をみていくとのこと。
産科では、32週まで保たせてくれれば、それが駄目でもなんと
か28週まで保たせてくれれば、なんとかすると言われた。
その間には、入院したりすることも有るでしょうがというお話。
親の都合とか、社会的都合でではなく、医療的な事情で計画誘発
分娩と麻酔分娩をしなければならないだろうとのこと。
そうでないと帝王切開になってしまい、その際の薬の影響が後に
腎臓に出てくることが心配だから、帝王切開ではなく分娩という
形で出産させたいということだった。

腎臓のことでいえば透析しながら出産された方もいるし、糖尿病
で出産する方もいますと言われ、当事者夫婦の希望の答えるのが
病院スタッフの勤めだとも言われた。
産みたいのなら、条件つきですがなんとかしましょうということ
らしい。

とにかく、あと5か月ほどの期間、人生最大の踏んばりどころか。

あっ、でもね、血圧高めだから、気張らないように分娩するって
言われたんだった。(笑)

それにしても、超音波で撮った写真を見ると、すこぶる不思議な
気持ちである。
それは、夫も同じような気持ちだったようだ。

今日は、一日、夫が付き合ってくれた。
そして、18時過ぎ、夫は事務所に向かい、わたしは買い物をし
て帰ってきた。
夕食は、すっかり手抜きで納豆巻き。しょうゆ抜きで食べた。
今日のすっぱいものは、相変わらずはちみつ黒酢ダイエットと、
キウイ・フルーツだった。

次回の予約は、内科、産科ともに引っ越し後だ。
内科は27日に、血液検査の結果と、超音波検査の結果を聞く。
産科は、30日に癌検査の結果を聞いて、採血検査他もろもろ。

なにはともあれ、行けるところまで行くしか無いのだと思った。
あとは、わたしと胎児の相性なのかもしれないね。

 体重を測ることさえ初心者でうろたえ気味に血圧測る(市屋千鶴)

最新式の体重計の使い方に戸惑ったまま測った血圧は、内科で
測ったよりも高かった。(汗)



2003年05月13日(火) おめでたいのか

ついに、日記を一日飛ばした。

昨日、いつも糖尿で通っているお医者さんに別のことで行った。
いつも行っているお医者さんは、産婦人科でも有るのだ。
検査の結果で、妊娠していることがわかった。
といっても、土曜日に妊娠検査薬を使ってチェックしたところ、
陽性だったから、わたし達夫婦は妊娠したと知ってはいたのだが。

尿検査の結果、尿糖も尿蛋白も出ていないとのことだった。
しかし、今現在、服用している薬は、変えた方がいいということ
だった。(薬の件は今朝、電話で聞いたこと。)
わたし達の引っ越し先は神奈川県相模原市の予定だが、相模原市
といえば、北里大学病院だろう。
普通の産科では、おそらくわたしの体を診きれないだろうから。
糖尿病も、腎臓に有るのう胞のことも対応できる病院でなければ
だめだという判断だ。

今飲んでいる薬を飲まずにいるということは、血圧が高めになる
ということになるので、なるべく早く行くようにと言われた。

しかしながら、2時間かかる道のりを、初心受付期限の11時ま
でに行くのは、少し辛い。
が、そんなことを言ってはいられないのだよね。

すっかりあきらめかけていたこの時期に妊娠するなんて。
うれしい反面、わたしの腎臓はもつのだろうかと思った。

夫には、もしかしたらわたしの体では無理だと言われるかもしれ
ないがその時はごめんねと話した。
夫は、妊娠したという事実だけでもうれしいと言ってくれた。
お互いに妊娠できない体なのではないだろうかと思って暮らして
来たから、妊娠することができたというそのことがうれしいと。

昨日の夕方、姉に電話をしたら、「大変だよ〜。」の連発だった。
昔から、子供が欲しいなら早いうちにしなさいねと言われてきた
が、この歳(43歳)で妊娠するとは思っていなかったのだろう。
「その歳だと、産むまでも大変だけど産んでからはもっと大変よ。」
と、まるで産まないほうがいいのではと言わんばかりだった。

だからといって、なにくそと思うわけでもない。
自分でも不安だらけだし。
おそらくは、腎臓次第。

子供が中学生の時には、わたしは母が亡くなった年齢になるのだ。
姉は、自分が娘が中学生の時にくも膜下出血で手術し、それ以降
も娘や息子に心配をかけたことを悔やんでいるのだろう。
だから、わたしが子供に同じような思いをさせるのを良しとしな
いのだろう。
でも、姪も甥もいい子に育っているよね。
何を大切にしなくちゃいけないかを身をもって知っているからだ。
それではいけないのか。

何も心配をかけずに育てることが親の望みか。
わたしは、まだ親になっていないから思うのだろうけれど、子供
は心配をかける親をどう思うかは、子供次第だ。
そしてそれは、親の態度次第だと思うのだ。
どんなに苦労しても、親からの愛情を確かに感じ取ることができ
れば子供はぐれたりしない。いや、できない。
大人になったら、自分も愛情を与えることができる大人になる。
子供の心は子供自身にも分からないのかもしれない。
わたしは両親の離婚に対して、姉とは全く異なる経験を持ってい
ることで、違う見方をしてるんだろうなと思う。

なにはともあれ、明日、電車で2時間、バスで15分ほどの病院
まで行ってからのことだ。
手放しでは喜べないことが、子供に申し訳ない気がする。
ただ母性本能のまま、突き進むことができないことが、不思議で
もある。

 子を宿す機能を確認することが人間として必要なことか(市屋千鶴)



2003年05月11日(日) 五月、ぷらむの日

今日はぷらむの日。
「あらっ?」という何人かの方の驚きに答えるわたし。
広島に行かなくて良くなって、今度は相模原市民の予定と報告。

今月のお題は、「車」。
どちらかというと、車という文字からでも電車を連想してしまう
プチ鉄ちゃんのわたしであるからして、電車の歌三首。

 寝てしまう君の隣で新しい車両の匂いを確かめている(市屋千鶴)

 車窓から眺める緑「本日は視力が上がる予感がします。」(市屋千鶴)

 左には安心できる人がいい電車の席も通りの上も(市屋千鶴)

今回の三首は、めずらしく東先生から、直す必要が無いと言って
いただいたのだった。かなり、うれしいこと。

新しい車両の匂いに気付くのは、珍しいことのようだった。
姉一家もわたしも、電車好き(なにしろ電鉄会社の義兄)なので、
新しい車両の時には、その外装や内装はもちろん、匂いにも関心
があったりするのだった。

二首目の「」の中は、誰かの実際の言葉なのか、とひろたさんに
訊ねられたのだが、それはわたしの頭の中で車掌さんが車内放送
するという妄想なのだった。
昔の特急列車や、今でも新幹線に乗ると、ご乗車ありがとうござ
いますという車掌さんの放送が有る。
この車内放送の一環として、その列車の出発に際して車掌さんが
案内する面白いと思ったのだった。
実際には、仕事で奈良県に行った時に、車の窓からながめた緑が
あまりにくっきりときれいに見えたので、きっとこういう日には
視力が上がっているのではないかと思ったのだった。

帰りの電車で、会員の久米さん(男性)と左側か右側かの話題で
盛り上がった。
久米さんも左にいてほしいタイプなのだとか。
左に有る心臓を庇う位置には、信頼できる人をおくか、または壁
のようなものをおくかするというのが、人間の本能的な行為らし
いのだが、別の意味でそれは支配欲ではないかという話をした。

そういえば、ドラマとかで刑事さんが犯人に手錠をかけて連行す
るシーンでは、刑事さんの左手と犯人の右手をつなぐ。
支配する側は利き腕を自由にしておきたいのだ、きっと。
思いつきで、こう話すわたしに、今考えたの?と聞く久米さん。
するどいよ。(ほんとにその場で考えたのさ。)

来月から、一時間弱で通えるのがうれしいわたし。

自動車の歌も作ってみたが、分かりにくいと思って出さなかった。

 幼子は真夏の風で髪の毛を乾かしていた屋根なしジム二ー(市屋千鶴)

昔、母が姪っ子と甥っ子を連れて、一か月田舎に行っていた頃。
親戚から借りたジム二ーにその三人とわたしを乗せて、銀山温泉
に行った。
公営浴場で汗を流し髪を洗っての帰り道の様子だった。



2003年05月10日(土) 新住居

引っ越し先がほぼ決まりました。
ほぼ、というのは、来週早々に保証会社の審査があって、その後
確定するからだが、まあ、まず大丈夫だろうとのこと。
だって、前にお世話になっていた不動産屋さんだし、保証人とか
も前の時と同じ、義兄なのだから、条件一緒だものね。

で、どこらへんかというと、相模原市東林間。
ひと区画歩けば、もうそこは大和市中央林間という場所だ。
おまけに、以前に住んでいたアパートの3軒隣のアパートだ。
六畳(和洋室1ずつ)にキッチンという間取りだが、押し入れは
二間分あるのが魅力。
キッチンが狭いので、冷蔵庫の置き場所を工夫しなくてはならな
いのだが、前に住んでいたアパートでも同じような悩みが有って、
さらに洗濯機の置き場も確保しなくてはならない状態だったから、
それに比べれば、洗濯機置き場が別に有るので少しいい。
そのうえ、前回は六畳と四畳半だったから、それよりは広い。
防音対策(戦闘機が飛ぶため)で、窓サッシや玄関ドアを含め、
内装も全面的に新しくしたところなので、実にきれい。
そして、重要なポイント。
J−COMのケーブルが既に引いてある。ナイスだ。

裏には、駐車スペースが有るが、2台分だけ。しかも横向き。
今ほど車の音に悩まされることも無いだろう。
もっとも、前に住んでいたアパートでは裏に庭が有ったんだよね。
そういう意味では、庭ではないが、子供が遊び回ったりするよう
な場所でもない。

まあ、この1物件しか見ないで、即、決めてしまったわたし達。
この辺りの住み易さは、前に4年半住んで、もう十分知っている
し、土地カンもあるし。
不動産屋さんも、きっと楽な仕事だったに違いない。(笑)

明日は、ぷらむの日。

 婚姻の届けを出した窓口の近くを通る 本籍地に住む(市屋千鶴)

結婚した時、その前のアパートに住んでいて、本籍地をそこにし
たのだった。丁目、番地まで一緒の土地に住むのだ。



2003年05月09日(金) 電話でどきどき

時々、哲学的なことを書かなくてはならないような気持ちになる
ことがある。
ただ毎日の自分のことを書いているだけでは、駄目なような気が
してしまう。
日記なんだから、本来の意味からしても毎日のことを書けばいい
はずなんだが。う〜〜む。

すっぱい飲み物は、朝で無くなってしまった。買いに行かねば。

なんだかんだいって、部屋を探しに行くのは結局土曜日だ。
夫は、上司からの回答を待っているのだろうが。
明日は必ず行かなくてはまずいだろうと、今朝、夫に確認した。
明日、部屋を見に行って、明後日はぷらむの日で出かける。
すっぱいものを抱えて電車に乗ることになりそうだ。(汗)

夕方になって、お米が無くなるので買い物に出かけた。
今日はやっぱり昨日までよりも調子がいい。神経痛も出ない。
すっぱい飲み物として、またはちみつ黒酢ダイエットを購入。
どうも、買うものが野菜ばかりになってしまった。(汗)

新聞の勧誘というのには、いつも閉口する。
うちはここのでずっと行きますからと何度も説明しているのにも
かかわらず、3か月でいいからお願いしますと言う。
それじゃあ、試しに3か月だけと契約すると、その後にまた来る。
3か月の後は、いつもの新聞に戻して1年とかの契約にしている
から、それではその後にまた3か月お願いしますと言われる。
仕方なく、1年半くらい後から3か月お願いすることとなる。
ところが、試しにとってみた3か月で、夫にはやっぱりいつもの
新聞に戻してくれと言われた。

引っ越してしまえば1年後くらいからの契約は、無しになるのか
と思ってほおっておいた。
ところが、本日電話がかかってきて、なにやら販売所の住所が変
わることの連絡なのだと言われた。
ちょうどいいからと、引っ越しするのだと伝え、1年後くらいの
契約はキャンセルできないかと聞いたが、電話してきた女性はよ
くわからないからと、担当者を行かせますと言う。
来週早々にも、担当の人がくるんだろうなぁ。
正直に、お宅の新聞よりもいつもの新聞がいいと夫が言うからと
伝えるしか無いよね。
黙っておけばよかったのだろうか。
そうすれば、自然に契約は消滅するのだろうか。
買い物前に、ひとしきり考えたのだった。

 昼寝するわたしを叱咤するごとく電話の音は心拍数あげる(市屋千鶴)

電話がきたとき、昼寝してたんだよね。(^^;
どきどき、ぐらぐらしながら起きたのにさ。



2003年05月08日(木) 風の音・雨の匂い

昨夜は、夫もわたしも風の音がうるさくて、なかなか寝付けない
でいた。今朝は、ほんとに眠かったっす。

そういえば、相模原にいた頃よりも、今のところのほうが、断然
風が強いねと、寝付けないままに夫に話しかけたりした。
それでも、不眠と言う言葉を知らないわたしは、暫くして寝た。

お昼頃から風向きが変わったが、やっぱり風は強いままだ。
このところの酸っぱいものが欲しくなる状態は続いていて、夕方
になって、コンビニへ酸っぱいものを探しに行った。
はちみつ黒酢ダイエットを2個、レモンの飲み物を購入。
なんだか漬け物が食べたくなって、詰め合わせを買ったりした。
普段は、塩分を気にしているので、漬け物は食べないんだけど。
それと、どういうわけかレトルトのおかゆまで買った。
最近、どうも食後や空腹時に気持ち悪くなるので、非常食代わり。

会社に行ってた時は、ほんとに休まなかったなぁ。
一昨年の11月に、急激な食事制限で体力が落ちた時に熱を出し
た時以来、病欠もしていなかったように思う。
基本的に、水曜日と土日は休みだから、週にそれだけ休んでいれ
ば病欠の必要も無かったんだが。
今月に入ってから、どうも胃がむかむかすることが多い。
やっぱり、つわりか?(しつこい?)(^O^)

コンビニに行って帰ると、自分が雨の匂いでいっぱいになってい
ることに気付いた。
むせ返るようだった。というより、吐き気がした。
いろんな匂いに敏感になっているようでもあり、匂いでうっとな
ってしまうこともある。
こんなことではスーパーにも行けないぞ、と思ってしまう。
歩いているとそれなりに楽なのに、立ち止まるとむかむかする。
早く帰って、はちみつ黒酢ダイエットを飲みたいと、そればかり
を考えて家まで帰ってきた。

きっと、天気のせいも有るのだろう。
なんといっても、前線が通過するような日は、神経痛が出てくる
くらいだからなぁ。
痛だるい左足をなだめながらの往復だった。

愚痴を言っているように見えるが、実はそうではない。
自分の現状を書いてみただけ。
明日のお天気に期待して、今日はすっぱいものを飲んで過ごすこ
とにしよう。

 精いっぱい雨の匂いを気にせずに食べたいものを探すコンビニ
                           (市屋千鶴)



2003年05月07日(水) 南風

最近のニュースショーやワイドショーでは、白装束の集団のこと
がかなりの時間を割いて取り上げられている。
GWは、白装束の集団とSARSのニュースに終止した感が有る。
代表の女性の単独インタビューを聞いても、納得できないことば
かりだった。
彼等は、いったいどこに行こうとしているのだろうか。
山梨県の大泉村のドームにたどり着けないとしたら、福井県にあ
る研究所に向かうのだろうか。
不思議なことはたくさんある。

わたしは頭痛持ちではないが、緊張性肩こりで頭が痛くなること
はある。
それに、我孫子に越してくる前は、よく頭痛がした。
睡眠時間が基本的に足りていなかったからだと思う。

銀行員の頃、六年下の後輩(女性)が、わりとすぐに頭が痛くな
る人だった。
少しだけ神経質なのだと自分でも言っていて、あれはわたし達の
チーム(外国為替システムの担当チーム)がシステム部全体の部
内旅行の感じだった時だった。
東京ディズニーランドで遊んで、近くのホテルの一泊して懇親会
という年度だった。
いつも旅行ばかりで、たまには近場で遊ぼうということだったか。

一応、幹事だからして、一緒に行動していたが、そこにたまたま
後輩ちゃんの苦手な男性社員が来たんだった。
どこが苦手って、いい奴なんだけど、大雑把なんだよね。
彼女にはその大雑把加減が苦手な類いのものだったのだと言った。
しばらく一緒に歩いたりしていて、彼女は頭が痛くなってしまっ
たんだねぇ。
わたしも、人込みにもだんだんとイライラしてきたところだった
ので、早々にホテルの部屋に引き上げた。
もちろん幹事だから同じ部屋だったが、彼女は部屋に入るなり、
手を洗い、顔を洗い、髪をほどいてよく梳いた。
それから、おもむろに紅茶を入れて、ホッと一息ついたところで
頭痛は軽くなっていくのだった。

実際、すごく痛くなってしまったら、そんなことくらいでは納ま
らないのだろうけど、その時に思ったのは、人間いろんなものを
洗い流すと具合がよくなるものなんだなぁと言うことだった。

昨日から、頭が重いとか言ってるわたしも、シャワーを浴びて、
髪を洗ったり、念入りに顔を洗ったりして楽になった。
南風が、だるさを運んで来るけれど、洗い流してしまえ。

 低気圧に吹き込む風がけだるさを巻き付けるから 流してしまえ
                          (市屋千鶴)



2003年05月06日(火) だるさいっぱい

二人とも、休み過ぎたのか、だるさいっぱいの火曜日。
最近、どうも何か食べてもちょっと気持ち悪いし、お腹が空いて
もちょっと気持ち悪いという状態。
冷やし中華のようなものばかり食べたくなる。
すっぱいものがさっぱりしていいような気がするんだよね。
もしかして、ツワリ?(笑)

いろいろと、考えてたって始まらないことばかりだ。
なんていって、やっぱりゲームなんかしてしまうわたし。
現実逃避なのか、考え過ぎ防止なのか。
ただのゲーム好きと言われれば、否定できないのだけどもね。

会社の事務員さんKさんから夕方電話があった。
お別れ会をしてくれるということなんだけど、お酒が駄目な人も
いるので、昼食会にしようと相談。
社長の娘も育児休暇明けで、わたしと入れ替わりに復帰している。
社長の娘は、飲み会にしたかったようだが、社長がどうやらそれ
を聞き付けて、子供を置いて飲みになんかいっちゃいかんとお怒
りの様子なのだそうだ。
お母さんの方は、観ててあげるから行ってきなさいと言っている
そうなのだが、事務員さん達の立場としては、社長に後でなんだ
かんだと言われるのは嫌だろうからなぁ。
というわけで、みんなが休みの水曜日に食事だけと決まった。

そういえば、事務員Kさんも、明日引っ越しなんだそうだ。
亡くなったお母さんが飼っていた犬を、引き取るためにアパート
から一軒家に引っ越すのだそうだ。
やめる前に間取りを見せてもらったが、なかなか広い家だった。
大家さんが、家を建てた後で都内にまた別に家を買ったのだそう
で、売りに出さないで貸家にしているのだそうだ。
かなりの掘り出し物だと思った。
まあ、車が無いと暮らせないとこだけどね。

一日一日、たいしたこともしないで、ただ夫の休みに不動産屋に
行くのを待っているような感じ。

 何もかも視界の外に押しやって我をいざなう闇を見ている(市屋千鶴)



2003年05月05日(月) 子供の一日

今朝、前日の日記をUPするときに気が付いて焦ったこと。
4日までにメールしなくてはならないぷらむの歌を、まだメール
していなかったのだった。
あわててお詫びの言葉ととものメールした。
間に合っただろうか。
会社を辞めてから、やっぱり曜日の感覚と日にちの感覚が、鈍く
なっているような気がする。失敗、失敗。

今日は子供の日。取り立てて何も無い一日。
二人とも、子供のように遊んで過ごした。(意味が違う?)
夫は明日からまた仕事だし、わたしも夫のいない間に、本格的に
家の中の片づけとかやらなくては、なかなか荷物が減らせない。

朝は、ズームインの投稿ビデオ大賞をヴィデオにとった。
予告のコマーシャルで見た、おそらくはプレーリードッグの姿に
魅了された夫から、録画せよとの指示が有ったのだった。

午前中に一度起こすが、昼まで寝ると言う。
起こされながら一言。「おれの昨夜の成果に驚くがいい!」
それならば、確認しなくてはなるまいと、ゲームを始めたところ、
ゲーム時間を見てびっくりした。
おまけに、始めてみたら武器が強くなっていて二度びっくり。
話の内容を進めて、新しいダンジョンの1フロア目を終えたとこ
ろで、お昼ご飯にした。

昼ご飯を合図に起きる夫。
ケーブルTVで「謎の円盤UFO」が始まったので、一緒に観た。
この番組はわたしが小学生の頃に観ていたもので、夫はまったく
知らない。
わたしも、UFOが飛ぶ時の音と、基地の人の髪の色が違うのと
くらいしか覚えていなかったものだ。
サンダーバードの人が作った番組だと言うことを最近知ったのだ
が、改めて観てなかなか面白かった。
やはり、飛行機の飛ぶ場面やメカが動く場面の背景が素晴らしい。
三十数年前のものなんだよねぇ、と二人で感心した。

テレビを見て、ゲームをして、二人でほんとに遊んで過ごした。
今日は子供の日。
子供の頃、どうやって過ごしていたのだったろうか。
子供がいたら、どうやって過ごしているのだろうか。

 主役となる子供のいない家庭にはいつもと同じ休日の続き(市屋千鶴)



2003年05月04日(日) ひとまわり

今日はお昼に浅草に行った。
神谷バーでお昼ご飯を食べて、水上バス乗り場へ行ってみたが、
やはりものすごい混雑ぶり。
あっさりとあきらめて、おもむろに散策し始めた。
途中、長命寺さくらもちを食べて、橋二つ分をぐるりとひと回り
して浅草にもどった。
浅草は、何回か行っているので、一番の目的の水上バスに乗らな
ければ特に見て回ることもないのだ。
というか、人だらけでそれどころではなさそうだったから。
また、今度、ゆっくり水上バスには乗ろうということになった。

わたしと夫ときわみちゃんと。
なんだかんだとおしゃべりしながら約2時間の散策は、暑かった。
今日は特別暑かったのだね。
端から見ると、何をしに浅草まで行ったのかと言われると思うが、
人込みが好きじゃないわたし達には、混んでるものはあっさりと
あきらめて散策だけ、というのもまた有りなのだった。

帰宅して、どうしても冷やし中華が食べたくなったので、夕食は
冷やし中華。
むしゃむしゃと食べて、またまた二人で「ダーク・クロニクル」。
きっと、明日の朝に起きたら、強くなってるんだろうなぁ。

 人込みにまぎれてしまう友の背を確かめながら交差点行く(市屋千鶴)



2003年05月03日(土) 二階に来る人

お二階さんが出て行ってから、一か月ちょっと。
二階に新しい人が越して来た。
といっても、まだ自家用車で荷物を運び入れている程度で、大物
の搬入はしていないようだ。
昨日は、ご夫婦そろって、挨拶に来てくれた。
前のアパートの時を含めて、きちんと挨拶に来てくれたのは初め
てかもしれない。それも、ご夫婦でというのは。
短い付き合いになるのが、少し残念な気もした。

夫は、がしがし歩く人だ。
きっと、二階などに住んでしまったら、歩く音だってうるさいと
思う。
わたしは、叔母の家が5階で、そこに行く度に静かに歩くように
と言われてきたので、静かに歩くのは何とかなると思う。
が、一階の暮らしでうるさい思いをいろいろとしてきているから、
自分達が二階に住んで、階下の人に気を使いながら暮らすことは
したくないと思っている。
それに、二人とも大きいし、歩く音だってそれなりだと思うから。

しかし、それもこれも、古くてもいいから広く安い所を、なんて
思うから二階の音を気にしなくちゃならない生活になるんだよね。
広島で用意してくれていた所は、その点文句なしで二階の生活が
満喫できたのになと、そこは少し残念。

午後になって、ゲームを一つ購入。中古だけど。
「ダーク・クロニクル」というゲーム。
前作は「ダーク・クラウド」というゲームだった。
通常のRPGに加えて、ジオラマ感覚で町を再現したりすること
が重要なポイントになっている。
それに、武器をパワーアップさせたり、組み合わせて別の武器を
作ったりすることができる。
「ダーク・クラウド」のときに、町づくりの楽しさを知ってしま
ったので、これが出た時にも買わなくちゃと思っていた。

わたしが眠っている間に、登場人物や武器のレベルが上がってい
とのは、夫がひたすらレベルアップのためだけに遊んでいるから。
新しい場面とかダンジョンとかは、わたしにやらせてくれるので、
わたしはいいとこ取りなのだった。
もちろん、自分でこつこつとレベルアップするのがRPGの面白
さであることは知っているし、最初のうちは自分である程度やっ
ているのだが、このゲームの一番好きなところは、自分で町を作
ることなので、他は目をつぶる。(笑)
今日は、二人でゲームをしているという、3週間で引っ越ししな
くてはならない夫婦とは思えないくらいの、のってり加減。

目当ての不動産屋さんが休みである以上、焦っても仕方ないし。
明日は明日で、きわみちゃんと水上バスにのるんだもんね。

 ここからは君の仕事だ 潔くコントローラー渡して笑う(市屋千鶴)

ゲームかよっ!(そうだよっ!)



2003年05月02日(金) 引き返す

今日は、最寄り駅まで行って、引き返してしまった。
どうも二人とも調子が悪い。
どこがどうということはなくて、なんとなくだるい。
疲れているのだろうか。
夜中になって、わたしは吐いてしまった。
ここ2、3日の食べ物が良くなかったようだ。
吐いて、すっきりした。

我孫子の前にお世話になっていた不動産屋さんに電話してみると、
3、4、5日は、お休みだという。日曜と水曜が休み。
夫は8日に休みをもらうから、その日に行こうと言う。
まあ、即時入居可能な物件を探すのだから、1週間くらい遅くな
っても大丈夫なのかもしれないが。
会社から出ると言われている補助金(特別扱い)の事もはっきり
してから契約の話をしたいと言う夫。
焦っても仕方が無いか。
25日には明け渡さなくてはならないので急いではいるのだが、
それまでにある程度の準備さえしておけば、なんとかなるだろう。
お願いする不動産屋さんが決まっていれば、その辺は早く決まる
と思うから。

いろんなことを自分に言い聞かせている二人。
焦っていること、じれったいことを押し隠して笑ってはいるが、
それだってストレス。
まあ、これくらいのこと、他のベテランご夫婦に比べたら、何で
もないことだからねぇ。
それに、自分の過去から見たって、どうってことないことだ。

やはり、吐いたのは食べ合わせが悪かったか食べ過ぎていたか。
そんなとこなんだろうなぁ。
いつだって吐いてしまえばすっきりするわたし。
熱が出たりするわけでもない。この辺が頑丈だなぁ。(汗)

明日からの3日間は行楽日和だというのに、衣替えとか、部屋の
片づけとかに終止することになりそうだ。

 どこまでも続く青空あの町も同じ青さを持っているのか(市屋千鶴)



2003年05月01日(木) 五月の冷え

なぜ、寒いのだろうか。
薄着になってしまっているからか。
日が沈んでから、どんどん冷えてきている気がする。
(アイス食べたからとか、そういうんじゃなくてね。)
昨日の南寄りの風とは違って、今日は北寄りの風だったからなぁ。
日中は過ごしやすくても、夜になるとトレーナーに半纏まで着て
しまう。

今日から五月だからといって、まあ、どうということもないのだ
が、GWの後半はお天気続きで行楽日和のようだ。
アパート探しに奔走する我が家には、あまり関係はないのだが、
日当たりなどをチェックするには、いいかもしれないね。

五月といえば五月病。
新しい環境になって、がむしゃらに走っていたものが、GWとか
でふっと気が抜けて、よく考えてみると自分は何をしてるんだろ
うと思ってしまうのではないか。

人間、がむしゃらな時には体調不良にも気がつかないものだが、
一度立ち止まると、途端にいろんなことに気が付いてしまう。
緊張が緩んだ時に、体調は崩しやすいものだよね。
ちょうど五月って、そういう時期でも有って、体がちょっと辛い
と訴える時は、心もちょっと辛かったりするものだからなぁ。

心の負担は体が庇おうとするし、体の不調は心が庇おうとする。
気を張って体の不調を庇っているうちはいいのだけれど、それも
いっぱいいっぱいになると、心の方が悲鳴を上げる。
だけど、その時には体の方も心を庇うほどの力は残っていないわ
けで、そうなると寝込むしか無くなるのだろうね。

わたしが急性胃炎で1週間入院した時、もう夫と暮らしていたが、
あの頃は、心の負担を体で庇いきれなくなっていたのだと思う。
仕事に対する不満というよりも、不信感。
できないことをできるといわなければならない罪悪感。
そんなものにじりじりと痛めつけられて、心が悲鳴を上げていた。
それを体力で庇おうとしていたのだけれど、限界をこえた。
会社が解散になった時、正直いってほっとした。
もうできる振りをしなくてもいいのだと思った。

会社解散後に、いくつかの取引先を回ったのだが、その時ばかり
は正直な気持ちを言わせてもらった。
先方も、うすうす感付いていたことも有るらしく、なんだか同情
してもらったりもした。
それでも、自分が責任を持って作り上げたシステムの取引先だけ
は、ずっと個人でも面倒見ますと断言し、それなりの報酬はいた
だいたけれども対応してきたのだった。

急性胃炎で入院したのは、ちょうど五月。
五月になると、無くなってしまった会社のことをつらつら思う。
少しだけ、気持ちも冷えたりしてねぇ。

 ギブアップするのが少し遅すぎて後に引けない会社解散(市屋千鶴)


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