鶴は千年、生活下手

2003年04月30日(水) 風に負ける

昨夜の風はとても強かった。
朝方に目が覚めてしまってトイレに行ったわたしと、それにつら
れたのか、入れ替わりにトイレに起きた夫。眠かったっす。

夫のGWのスケジュール。
 28日 横浜
 29日 休み
 30日 出社
  1日 会社の創立記念式典参列
 2日〜5日 休み

明日は会社の創立記念式典に参列するために、先日横浜に行った
時と同じ時間の電車に乗る。
上野だが、8時40分に社員は集合だということと、駅から歩く
距離が長いということもあって、7時15分の電車で行くそうだ。

妻は、本日、すっかりぼーっと暮らしており、昼寝までする始末。
昨日、中央林間で見て回った不動産屋のHPをチェックしてみた
りした。
その不動産屋は、夫が会社の寮から出た時(わたしと暮らす前)
にお世話になったところだった。

夜になって、夫が帰って来ると、今日はむくむくした犬がいたと
なにやら上機嫌。
事務所に行く途中には、鳥をたくさん飼っている家があり、そこ
のインコがお気に入りな夫。
青いのと白いのとが一つの鳥かごに居るの。
青い方は、しょっちゅう餌を食べているのだが、大きいのは白い
ほうなのだ。
白い方は、どうも止まり木が苦手なのか、止まり木にいることが
少ないのだという。巣箱の上にいたりするらしい。

わたしの主張。
むくむくしているので、安定してる場所にいたいんだよ、きっと。
そういうと、夫も妙に納得する。

むくむくしていれば、鳥でもウサギでも犬でも人でも、好きなん
だよね。
引っ越してきた年のカレンダーが、小動物のカレンダーで、その
なかの蝦夷リスが、未だに我が家ではその写真だけ壁にさがって
いるのだった。
夫の好みと、糖尿病との間で悩むわたし。(爆)なやむなーっ!

 丸いものだらけの飾り棚の中厳選されたメンバーになる(市屋千鶴)



2003年04月29日(火) 駅で選ぶ

夫は、橋本は嫌だという。
会社で引っ越し先の候補地をあげた時、橋本と言ったらば、数人
にそこよりもっと都会よりにしなさいよと言われたらしい。

夫は上京してからずっと小田急線暮らし。
わたしはというと、京王線暮らしの方がかなり長い。
小田急線暮らしの人からみると、京王線は、小田急の裏側の路線
に思えるのだと言う。(確かに平行して走ってはいるが。)
まあ、橋本は遠いとは思うけどさ。

そんなわけで、まずは、新百合ケ丘から降り立ってみた。
お昼を食べて、駅の周辺を歩いてみたが、不動産屋さんがあまり
見当たらないのだった。
それに、ここは、車が無いと住みにくいかもしれないなと思った。
そこで、さっさと移動して、次は相模大野。

ここは、にぎやかな町だ。
駅の片側は、怪しい看板も出ているような繁華街になっている。
住むならば、反対側の方がいいな絶対に、と思う。
駅から少し歩くところであれば、何件かめぼしい物件もありそう
だった。
少し疲れたので、お茶を飲みながら次の予定を検討した。
我孫子に来る前にお世話になっていた不動産屋さんの物件を見て
見ようと、一駅電車に乗った。
日曜と祝日はお休みだったなという記憶に間違いは無く、お休み
だった。店頭の広告で確認はできたが。
さらに、一駅のばして、最寄り駅として使っていた中央林間まで
行ってみた。懐かしい町並み。

駅前の不動産屋さんの店頭情報を見て歩いた。なるほど。

本日の結論。
駅を決めるのは、夫に任せる。
それは会社に通うのが夫だから。
住む物件を決めるのは、わたしが決める。
それは、部屋の中に長く居るのはわたしだから。
夫は、面倒だからと愚痴をこぼさずに、わたしの決定に従うこと。

ちょっとめんどくさくなって、いじわるを言ってみただけだとい
う夫に、こう言う時は、ぴしっと言うに限ると判断したわたし。
明渡しの日にちを決めたのは、わたしだから、もっとじっくり探
したいようなことを言われると、わたしが責められているような
気持ちになるのだ。
だから、面倒でも、部屋が決まるまではわたしに従ってもらうこ
とになったのだった。

ということで、次回は、5月2日。
以前お世話になっていた不動産屋さんから見て回ることになった。
候補地は、相模大野から中央林間まで。

 揺れ方が違うと思った急行に乗れば気が付く客層の違い(市屋千鶴)



2003年04月28日(月) 上天気

いやぁ、ほんとにいい天気。
洗濯物もよく乾くし。
昨夜は、どうしても眠くって、すごく早く二人とも寝てしまった。
寝起きの爽快なことったら。(笑)
朝は、二人ともバナナと牛乳という食事だった。

昼間の歩くようになって、歩きながらやはりいろいろ考えたりは
するのだが、歌ができたりすることがまずない。
電車に乗ってると、歌ができたりすることが有るのになぁ。
だから、電車に乗って出かける時はメモ帳を持って出る。
書き留めたものっていうのは、そこそこ出来だったりする。

日記を書いていてできる歌は、その時の気持ちだから、作品とし
て推敲したりはほとんどしない。
よほど気に入ったものでない限りは。
だからか、日記をUPすると忘れてしまうことが多い。
わたしにとって、日記の歌はそういう存在なので、ごめん。
その時の気持ちだから。

引っ越し先が変更になってから、ぷらむの方でメールアドレスを
知っている方々にメールした。
ひろたさんと田島さんと川口さんと、東先生。
みなさんからお返事をもらって、それはそれはうれしかったのだ
けれども、なかでも東先生にお返事をもらうのって、そういえば
不思議な感じだ。
毎月お会いしているのだから、それほど不思議でもなくなってき
ているはずなのに、目の前にTVで見かけたりする人がいるとい
うことや、直接メールがいただけて「淋しくなるなぁ、と思って
いたので、また来られるとのことで、とてもうれしいです。」な
どという文章が来るのを目にすると、ほんとに不思議な気持ちに
なるのだった。にへらにへらしてしまう。(かなりへん。)

メールとかでお話ししたことが無くて、いつもの歌会だけでお話
しているみなさまには、5月のぷらむで改めてご挨拶をしなくて
はならないなと思う。

通信会員の時にいただける、東先生のコメントも、すごい誘惑で
はあるのだが。

 存在を喜ばれている感覚はいくつになっても麻薬のようで(市屋千鶴)



2003年04月27日(日) 暑さとだるさと

昨日、今日と暑かった。
今日は、外出していても、なぜかだるくなってしまった。
わたしよりも、夫の方がだるそうだった。
夫いわく、「昨日、歩いていないからだなぁ。」
そういうものか。
たしかに、わたしも昨日は自転車で美容院に行ったりだったので、
歩く量は少なかったのだけど。
夫のように毎日歩いている人は、歩いていないとだるいらしい。

鳩のマークのお店で夫のジャケットを見たが、どうも空調が良く
なかったのか、夫はしきりと暑いというし、どうも気分が良くな
いと訴えた。
鳩のマークのお店とは、駅を挟んで反対側に、同じ鳩のマークの
ショッピングセンターが有る。
そちらに行ってみると、空調は快適で居心地が良かった。
この時期は、空調の効かせ方もなかなか配慮が必要なのだな。

同じようにジャケットを見たが、これはと思ったものが少し小さ
くて夫はショックだったようだ。
同じサイズでもメーカーやデザインで違うからねぇ。
夫の出した結論は、今持ってるのでいい、だった。(汗)

そこに行くと必ず行くのがロッテリア。
新しいエビバーガーを夫にも勧めて食べさせた。
エビバーガーにはうるさいわたしが認めた味と食感に、夫も納得。

夕食後は「ブレイド2」を観る予定だったが、眠くなってしまう
ので観るのはやめにした。
面白くないからということではなくて、なんだか暗めの画面での
導入部っていうのは、満腹時の見ちゃ駄目だと思った。
明日仕切り直しだ。

明日は、夫が9時半までに新横浜に行くので、7時少し前に家を
出る。
6時起きだ。
早く寝る。

 睡魔には勝てないほどの好奇心しか持てなくて日延べする刃(やいば)
                          (市屋千鶴)



2003年04月26日(土) 「通えるね」

午前中、美容院に行った。
こざっぱりとしてもらったが、ちょっとつんつくつんな感じ。
そういえば、アラレちゃんに出て来る「つんさん一家」。
息子が「つん・つくつん」。
娘が「つん・つるりん」。
お父さんが「つん・つくてん」。
お母さんが「つん・つんつのだのてーゆーごー」、だったなぁ。

そんなことはさておき。
午後からは、交代で夫を美容院に行かせて、自分は会社へ行った。
新しい事務員さんへの説明もするはずだった。
が、行ってみたら新しい事務員さんの姿が無い。
金曜日に1日だけ来て、「わたしには無理です。」といって辞め
てしまったのだそうだ。
月曜から、別の人が来るらしいのだけど、1日だけでというのは
社員のみなさんもびっくりというかショックを受けていた。

2時間半ほど、請求書の作成を説明しながら手伝って、広島行き
が横浜行きになったことを話した。
外出から帰ってきていた部長が、それを聞いて一言。
「それじゃあ、通えるじゃん。」
冗談なのだが、交通費を出してくれたら、月に1、2回くらいな
ら来てもいいかなと思ったりする始末だ。
ほんとに請求書の時だけね。
とはいっても、別段できないのではなくて、ただ安心して任せる
人が欲しいだけなのだから、新しい事務員さんが慣れてさえくれ
ば問題ないのだけどね。

夕食後、DVDを借りに出かけた。
借りてきたのは「リターナー」「少林サッカー」「ブレイド2」。
「リターナー」と「少林サッカー」を続けて観た。
「リターナー」は、なかなか面白かった。
鈴木杏ちゃん、好きだし、金城武、かっこ良かったし。
「少林サッカー」は、とんでもなくあほらしくて面白かった。
こちらを先に見るべきだったかと、少々後悔した。
だって、後に観た方が脳裏に残ってしまうから、「リターナー」
のほうを脳裏に残せば良かったかと思ったのだった。
今日は、「ブレイド2」観るのだ。

借りるものは、わたしが選んだ。いつもそうだ。
夫はいつも、わたしが選ぶものに、特に意義は唱えない。
よっぽどのことがない限り、わたしの希望を優先させてくれる。
明日は、午後から出かける。(近所までね。)

 俳優の名前は知らない君のため解説つきで鑑賞させる(市屋千鶴)



2003年04月25日(金) Hb−A1c

昨日の日記に、短歌を付け損なっていたので、付けました。

ヘモグロビンA1c。
過去三か月間の血糖値の平均を表す数値。
正常値は、4.3〜5.8。
わたしが月曜日に採血した血液検査の結果は、5.1。
ちゃんと正常値内に納まっていはいるものの、昨年の8月の検査
では4.9、昨年11月末の検査では5.0。
ということで、0,1ずつではあるが、増えている。
この微妙な増加が、体重の増加にもつながっているのだろう。
ちょっとずつ、体重が増え続けてきたものねぇ。(汗)

正常値範囲内だからといって、油断してはいけませんよと、先生
にも言われた。コントロールを怠り無くと。
なにやら、引っ越し先で主治医になる先生宛に、紹介状を書いて
くれた。
一昨年の9月の生活習慣病検診以来の経過などを、書いてくれた
らしい。
今のままの治療方法でいけば、腎臓のほうも糖尿が悪化しなけれ
ば、まだ十分保ちますよ、とのことだった。
左の腎臓のほうが、のう胞が大きい。右にも有るけれど。
肝臓にも有るんだよね。
先生からすれば、希有な事例として見守り続けたかったのではな
いだろうかと思う。

希有といっても、母がその病気であることを知ったのはまだ昭和
だったころで、本当に希有な病気だった。
遺伝的素質が有ると言うことを知らされて、姉もわたしも姪にも
その病気があることを知った。
しかしながら、平成も15年になると、医学の進歩は目覚ましく、
それほど症例のない病気と言うほどでもなくなったらしい。
超音波検査(エコー検査)などが一般的になり、内臓の様子を見
ることが普通になってきたからだろう。

昨日は、夫がエコー検査を受けていた。
右のろっ骨の下辺りが痛いと言うので、見てもらったのだった。
他の臓器に特に取り立てて異常は無く、小腸がストレスで過敏に
なっていて、動き過ぎるのだろうと言われたらしい。
整腸剤をもらってきた。
明日は、痔のお医者さんに行かせる。(これで最後になるかしら。)

なにやら、医療日記の本日。

 4週間ごとに会うのも治療だと患者は思う 暴食の枷に(市屋千鶴)



2003年04月24日(木) マジですか

昨日の午後、紅ショウガ入りののり巻に、幸せを感じたばかりだ
ったのに、夕方、夫から焦ったような電話。

「あのね、広島の仕事、無しになったよ。」
「ええっ? そうなの? じゃあ、このままなの?」
「引っ越しの手配してる人はキャンセルしてっていわれた。
 6月か7月には、我孫子の事務所は閉めるから、引っ越しは
 もう少し先だね。」

一応納得し、不動産会社に電話を入れたところ、もう次の入居者
が決まっているとのこと。
予定通りに引っ越しはしなくてはならないようだ。

その後で、再び夫から電話が有った。
「6月1日から、当面、開発センター(自社ビル)だって。」
「それじゃあ、前の住んでたところ辺りで大丈夫だね。
 GWは、部屋探しに行かなくちゃね。」
このような会話の後、姉といとこ達に連絡した。
というのも、27日の日曜日に食事会を企画していてくれたから。
今日は、叔母二人に連絡をする予定。

いやぁあ、なんてこった。
最初の電話をもらった直後は、かなり頭に来ていた。
わたしの宮島は、出雲大社は、尾道は、倉敷は、神戸は、萩は、
津和野は、お好み焼きは・・・・・参ったなぁと思った。
本人は、新しいプロジェクトに携われるのを楽しみにしていたの
だから、わたしよりがっくりしてるのかもしれない。


そんなこんなで、わたしはまた、神奈川県民になる予定。
アパートの候補地は、中央林間と橋本。
開発センターへの通勤と、新横浜への通勤などを考慮して選ぶこ
とになるだろう。
まあ、身内の側に戻れることを考えれば、良かったのだと思う。
人生、何が起きるか分からないものだね。

 離れるな、遠くへ行くな、どこからか声なき声に呼び止められる
                           (市屋千鶴)

ぷらむ短歌会のみなさん。
こんなわけで、また通えることになりました。
今度はずっと、近くなって通いやすくなります。
どうぞ、この先もよろしくお願いします。(^_^)



2003年04月23日(水) バットと紅ショウガ

昨年の夏に、偶然見かけたソフトボールの練習風景。
とてもうらやましくて、キャッチボールしたくて、じっと眺めて
いた。
声をかけてくださった方がいて、お話ししているうちに、翌週の
練習に参加させてもらうことになった。
一昨年の9月下旬から食事制限で、かなり体重が落ちていたので、
体は軽かったが、筋肉もおちていた為に踏んばりがきかなかった。
愕然としながらもなんとかついて行っていたのだが、顔が真っ赤
だといわれ、休憩して頭を冷やすように言われた。
10分くらい休憩したのだったろうか。
頭が冷えてきたので、最後の部分にまた参加した。

その後、会社の夏の忙しさや、体力のあまりの落ち方に自信をな
くしてしまったこともあって、練習には行かずじまいだった。
が、最初の練習の時に、わたしはバットを持参していて、毎回持
ち帰るのもなんだからと、他のバットと一緒に預かってもらって
いたのだった。
そのバットは、姉のバット。
スパイクやグローブと一緒に宅配分で送ってくれたものだった。
スパイクやグローブや運動着は、姉の家に置きっぱなしになって
いたのだった。
というのも、多摩市内のソフトボールチームで練習していたから。

今日は、そのバットを返してもらいにグランドまででかけた。
グランドには、一人だけ、居た。
雨が降りそうなのと、メンバーが揃わないので、練習が取り止め
になったのだという。
わたしの家に連絡しようとしていたところだった。
バットを返してもらいながら、あれこれと世間話をした。
広島に行って、どこか気軽にやれるところが有ったら、ぜひとも
ソフトボールを続けてねと言われた。
そうだなぁ、キャッチボールしたいなぁ。
何がしたいって、キャッチボールなのだ。
わたしは、とにかくキャッチボールが好きなので、それさえでき
ればいいのだ。(が、夫は球技音痴なので、夫とはできない。)

バットケースに入ったバットを自転車の前のかごに入れて帰る道、
和菓子やのり巻を売っているお店の前を通った。
巻きものの種類を眺めていたら、かんぴょう巻きの中心付近に赤
いものが見えた。
自転車から降りたわたしは、お店のおばさんに訊ねた。
「このかんぴょう巻きって、もしかして紅ショウガ入ってます?」
「ええ、入ってますよ。紅ショウガ好きなの?」
「はい。小さい頃食べてたのがそうだったので、忘れられなくて。」
こうして、バットの入った自転車のかごには、紅ショウガ入りの
かんぴょう巻きも入れられた。

母が作るのり巻は、紅ショウガがたくさん入っていた。
姉が紅ショウガが嫌いなので、それはわたし専用ののり巻だった。

そんなことを思い出しつつ、かんぴょう巻きにかぶりつく昼ご飯。

 パンパンにつまったおいなり紅ショウガだらけののり巻 幸せだった
                           (市屋千鶴)

それは、しあわせの代名詞だった。



2003年04月22日(火) 失った時に

先ほど、会社に顔を出した時、新しい事務員さんの面接をしてい
るところだった。若くてきれいな人らしい。(うふふ)
他の事務員さんも、新しい事務員さんには興味津々なのだ。

2時間ばかり、請求書を作ったり、webから指示書を印刷した
り、入力されたデータを眺めたりして帰ってきた。
ちょうど一週間経ったわけだが、なんとかできているみたいだ。
週に1回くらいずつ顔を出せば、大丈夫なようだし、そのうちに
新しい事務員さんが、いろいろと覚えてくれるさ。(笑)
あとは、お別れ会をしてくれると言うので、夫が広島に行ってか
らならいつでもOKだと言ってきた。たぶん火曜日だとは思うが。

こうして見ると、夫を送り出したからやろうと思っていることの
なんと多いことか。そんなんでいいのだろうか。(笑)
とりあえず、今度の日曜には多摩方面へ行くことになっているか
ら、土曜日にでも夫の買い物をしなくては。
夫のものの片づけは、ある程度まとめておいてくれれば、あとは
わたしが段ボールにつめるだけだから、せっせとつめようぞっ!

ところで、昨日の「こちら本池上署」を見ていて思ったこと。
引きこもり気味だったおばあちゃんが孫が食べたいと言うケーキ
を買いに出たところ、ひったくりにあって腰の骨を折ってしまう。
孫は、自分がケーキを食べたいと言ったために、おばあちゃんが
けがをしてしまったと思い、ベッドに寝ているおばあちゃんに、
何度も謝っているのだった。
それから、女性刑事さんが、お主人を亡くした日、前日にけんか
をしてしまって、いつもなら必ず言っている「気をつけてね。」
という言葉をかけなかったことを、悔やんでしまうという話。
署長本人も、子供の頃父親を亡くした時に、自分が悪い子だから
父親が死んでしまったのではないかと自分を責めたことを話した。

身内を亡くした時、身内に何か不幸が起きた時、自分がこうして
いればそうはならなかったかもしれないという意識を持つことが
あるのは、わたしも実感としてわかる。

父方の祖母と祖父が亡くなった時には、自分達が生家を出てきた
からだと思った。なぜか、父のせいだとは思わなかった。
母が倒れた時にも、わたしは自分のせいではないかと思った。
母が倒れたその夜の前日に、父が上京していた。
夜遅くまで話し込んでいたということを聞いた時に、わたしがそ
の日、仕事で姉の家に行けなかったから、父は母と話し込んでし
まったに違いないと思った。
わたしが父に会いに行っていれば、母を早く寝かせることができ、
その翌日の夜中に脳出血を起こしたりはしなかったのではないか。
ずっと、そう思っていた。
姉だって、疲れているからと、一人で寝かせたことを悔やんでい
たかもしれない。発見が早かったなら、もしやと。

大事な人を失うということは、そういうことなんだね。
なぜだか、だれしも自分になにか責任が有ったのかもしれないと
思ってしまったりするのだ。
そうではないと、自分を納得させることができるようになるには、
身内同士で心の痛みを分かち合うことが必要なのかもしれない。
そういう身内がいない時には、とにかくつじつまが合っていよう
がいまいが、ただじっと話を聞いてくれる人が必要なんだと思う。
誰かに話して、そうじゃないんだと、はっきりと否定して欲しい
のだと思う。
失った痛みは、なかなか癒えないものだから、人の助けを借りた
ってぜんぜん恥ずかしいことでもなんでもないのだよね。

 痛いって気付くことさえなくなって人も己も闇も見えない(市屋千鶴)



2003年04月21日(月) 雨のち晴れ

今日は、昼食後に歩いてお医者さんまで行った。
ほんとは先週末に行かないと薬が切れるはずだったのだが、何回
か飲み忘れた日が有って、今日まで保ってしまった。
いつもの先生とは違って、お母さん先生。産婦人科の先生。
とりあえず、薬を貰うことと、血液検査と尿検査をしてもらうの
が目的だった。
結果は金曜日にわかるので、金曜の午前中にいつもの先生に会う。
あと、もう一回くらい会えるのかな、いつもの先生には。
あの聞き惚れてしまう声ももう聞けないのかと思うと、少し残念。
少し体重が増えてしまったから、検査結果にどう反映されるのか
が気になる。

帰りに買い物をして、クリーニング屋さんで受け取って帰る。
行きは遠回りして45分ほどかけて歩いたが、帰りは約15分だ。
トータルでも1時間か。まだまだ歩かなくちゃなぁ。
食後、1時間くらいで歩くようにするといいようなので、夕食後
も歩いてみようかな。
夕食後はともかく、昼食後に1時間歩くなどということは、仕事
していたらできないことだもの、せっせと歩こうっと。

1時過ぎから急速に天気が回復し、とてもいいお天気になった。
しかしながら、とて風が強い。とても強い北西の風。
今日の夕食は、鰈の煮付けメインにしようかシュウマイメインに
しようか検討中。

明日は、午後にちょっとだけ会社に顔を出して、請求書の作成を
手伝うことになっている。
土曜日に、ちらっと部長に出くわした時、大変なことになってる
よと言われたが、そんなひどいのかな。
週に四日しか働かないわたしが一人でやれていたことなのだから、
正社員のみなさんならなんとかなるよね。ねっ。

 歩いても歩いてもまだ足りないと万歩計にはそっぽを向かれる
                          (市屋千鶴)



2003年04月20日(日) 雨音とともに

雨音を聞きながら、二人で荷物の整理をした。
カバンと靴で一袋できた。着なくなった洋服でまた一袋できた。
夫の方はと言うと、本や資料などの書類と雑芥の固まりができた。
なんだか、すっきりと晴れていればもう少し捗るような気もする
のだけれど。

わたしの物は、夫が広島に行ってからでもゆっくりとまとめるこ
とができるから、夫がいないと片付かないものから優先。
広島の部屋は、下がレンタルビデオ屋さんだというから、テレビ
に飽きたらビデオ(DVD)三昧である。

それにしても、従妹の家に行って感じたのだが、ほんとに我が家
では民放を見ることが少なくなってしまった。
ほとんどがケーブルTVなのだ。
きっと、広島では間違いなくビデオ三昧だろうなぁ。

夫が広島に行くのは、どうやら5月4日になるようだ。
わたしは、それから3週間、一人暮らし。
近郊電車乗り歩きが、楽しみなわたし。
一番大きな時刻表を昨日買って帰ったし、準備万端。(笑)
わたしには、電車に乗ること自体が楽しみというところがあるの
で、夫を付き合わせて乗り歩きはあんまりしない。
だから、一人で。

最初に思ったのは、銚子まで行ってみたいということ。
それから多摩モノレール。
あれっ?
もしかしたら、5月のぷらむも参加できるのではないだろうか?
すっかりと別れを惜しんできたはずだったのに。(汗)
う〜〜む。少しばかり恥ずかしいよね。
でもまあ、あれから急転したのだから、仕方が無いか。
そのうえ、ぷらむが終わってからゆっくり帰ってくることもでき
るではないか。
それに、この日記もぷらむの方が何人か見ていてくださるので、
事情が変わったことは、ご存じのはず、か。

夫は、自分がいない3週間は、友達のところとか従妹のところと
かに泊り歩いてればいいんじゃないかと言う。
そんなに寂しがりはしないつもりだけどなぁ。

夫と離れて暮らすことが嫌なのは、夫の生活ぶりを心配してしま
うからで、心配してやきもきするのが嫌なのだ。
もし、万が一いなくなってしまうのだったら、やきもきすること
はしなくてすむ。
ただひたすら寂しくて、いろんなことを懐かしく思い出すだけな
のだろうなと思う。
夫の心配をして、やきもきしなくなったら、終わりかなぁ。
とりあえず、三年寝太郎を起こすのがわたしの任務だからね。

 雨音に誘われて見る窓の外 雨を恐れぬ幼子ひとり(市屋千鶴)



2003年04月19日(土) ザ・ロック

昨夜、従妹の家では、レンタルビデオの鑑賞会となった。
「ロード・オブ・ザ・リング」(1作目)と、アメリカのプロレ
スラー、ザ・ロック主演の「スコーピオン・キング」の2本。
「ロード・オブ・ザ・リング」はもちろん見たかったものだから
予想通りに面白かったとしても、「スコーピオン・キング」には
予想以上に楽しませてもらった。

従妹は「ロード・オブ・ザ・リング」の1作目も2作目も映画を
見ており、そのうえ1作目のビデオはもう2回も見ているらしい。
それにしても、初歩的な質問が出たのには驚いた。
エルフ族の弓の名手が、雪の上をすたすたと歩いているシーンを
見てびっくりしたらしい。
「エルフだからね。」と当たり前のように答えるわたしに、さら
に驚いていた。

まあ、それはともかくとして。
ザ・ロックは、プロレスラーとして戦っている姿をケーブルTV
で見たりしていたので、その格好良さも知っていたし、彼が主演
する「スコーピオン・キング」のことも知っていた。
しかしながら、映画の中の人物として、こんなに魅力的な存在に
なっているとは思っていなかった。
従妹も従妹の同居人の女性も、かっこいいと喜んでいた。
とくに同居人のO谷さんは、べた惚れだった。(笑)

わたしはと言えば、夫ともう一度見てもいいなと思った。
それと、「ブレイド2」も夫と見なくては。

従妹が、田舎の家から持ってきた品物の中に、番傘があった。
屋号の印と名字と村落の名前の入った傘だ。とても大きい。
そういえば、田舎の家には昔はどこの家にも番傘が有って、和装
で行う行事の時に、番傘をさしていたような記憶が有る。
いったい、何の時だったか。

もう一つ、2段重ねの重箱2組と、それをしまっておくための箱。
出前の岡持のような形の箱だった。
きれいな色の重箱。
うちに1組ちょうだいなと言って、忘れてきた
来週の日曜日は、姉の家のところまで行く。
どうやら、身内で集まれるものは集まってくれるらしい。
少々照れくさい。

 年収が下がる懸念にあと何年くらせるかと言う4年目の春(市屋千鶴)

従妹のマンションは2000年に入ってすぐに購入し、4年目。
会社の都合で年収が大幅に下がる可能性があるらしいと言われて
いて、そうなったらローンは払えないな、あと何年、ここに住め
るのかしら、と言う従妹。
そうだねぇ、としか言えないわたしだったが。



2003年04月18日(金) 従妹の家に

今日は、調布に住む従妹のマンションに行く。
携帯のメールで従妹と相談する。
「お昼頃に行くよ。」
「お泊りする?」
「先週もお泊りしたし、遅くなっても帰るよ。」
「えーっ!泊らないの?甘くて美味しいワインも買ってあるのに。」

ここで夫と相談する。
もうだいぶ前、相模原に住んでいた頃のこと。
従妹がマンションを購入して引っ越した日に、わたし達は手伝い
に行ったのだが、その晩一人で泊るのが寂しいからと、わたしに
泊って行ってくれとせがまれたことが有った。
下着の替えも持ってきてないしさ、と言うわたしに、コンビニで
も売ってるよ、と言い返されて、結局泊ることになったのだった。
夫は、なんだかんだ言って結局泊ることになるんだろうと言う。

「結局泊ることになるんだから、泊るつもりで行くようにって。
 お泊りします。」
「やったーっ! 待ってるわ。」

こうして、わたしは今週末も外泊することに。
この従妹とは、社会人になってから一緒に4年ほど暮らした。
母の実家の末娘で、小さい頃から一緒に遊び、一緒に寝た。
家族に言えないことも、お互いに知っている間柄。
お互いの姉同士が難病を患うという境遇に、二人そろって、なぜ
姉達ばかりが辛い目に遭うのかと嘆きあった。
14歳で生家を捨てたわたしと、30代の終わりに生家を失った
従妹。
30歳目前に母を亡くしたわたしと、30歳を過ぎてから母親、
父親、祖母と相次いで亡くした従妹。
わたしが今の従妹の年齢には、夫と言う存在を得ることができた
が、従妹はなかなか身を固めない。
マンションも自分で購入し、今は同じ会社の女の子に1部屋貸し
ている。

あんまり似てもいないし、パッと見て従妹だと分かることはない。
しかし、お互いに話をしているのを見られると、姉妹のようだと
言われることが多い。それほど口が悪いのさ、二人とも。(笑)
言いたい放題である。

先月、生家を処分するために、叔父叔母たちと品物の整理のため
に山形に帰っていたそうだから、きっと懐かしい話がたくさん。
失ったものは、せめて思い出の中にしっかりと生き返らせてあげ
なくてはね。
生家を出る時、何も思い出になるようなものを持って出なかった
わたしには、思い出の品が多いのは少しだけうらやましい。

 思い出の品はあなたの手に有ってあなたを思うときにきらめく
                          (市屋千鶴)



2003年04月17日(木) ゆるやかに

緩やかに時間が進む午後。
しかしながら、会社から問い合わせの電話があるかもしれないと
いう心配を少しだけしてしまう。
緩やかでいて、少しだけ気掛かりな午後。

今日は帰りの早かった夫。
晩ご飯はうどん。夫は、ご飯も食べる。
二人でうどんだらけになったおなかをさすりあう。
さするのが好きな二人。
いつからだろう。

二人で暮らし始めておよそ一か月が過ぎた頃、人間ドックの何日
か後のことだったか。
夫と一緒に帰る約束をしていて、おなかが痛かったが、駅までは
なんとか平気だった。
電車を待っている間に、どうしても我慢できなくなって、それは
下腹が痛いのではなく、胃の左下のあたりがきりりと痛かった。
変える方向とか反対のホームに移動し、一駅電車に乗って、夜間
救急外来の診療を受けた。
レントゲンをとっても、特に変わったことはなかった。
とりあえず、痛み止めの点滴を打ってもらい、夫にはずっと付き
添ってもらって帰った。
バリウムを飲んだ後に、ちゃんと出きっていなかったのだろうか。

それからというもの、夫はわたしのおなかをよくさする。
ちゃんとお通じが有るかどうかを心配する。
ガスだって我慢しなくていいから出しなさいと言う。
二人で暮らし始めたころは、いろんなことが恥ずかしかったから、
生理的なことで我慢していたこともいろいろ有った。
だが、それ以来、夫の前では何も我慢しないようにしている。
夫は、わたしが元気で笑っていれば、それを喜ぶ人だから。

うどんのおなかをさすりあう二人。
愛情表現なのか、感触を楽しんでいるだけなのかは、不明。(笑)

 この中につまっていると思うものは君への愛着だけかもしれず
                          (市屋千鶴)



2003年04月16日(水) 九十九里浜

会いたい人に会いに行く気持ち。
よそ行きにしたいような、普段着のままの自分を見てほしいよう
な微妙な気持ち。結局は、普段着になるのだが。

自分が会社に行かない朝は、なんだか朝食への手の掛け方も違っ
て来るようで。
早めの昼食を食べてから、クリーニング屋さんに寄って駅へ。
ここから、2回乗り換えて、1時間40分の電車の旅。
乗り慣れない路線では、本など読まずに車窓を眺める。

成田まで35分。10分待って乗り換える。
そこから15分ほどして、また乗り換えて目的地まで。

駅を出ると、母娘が出迎えてくれた。
「こんにちは。」と挨拶して、照れる少女に容赦なく話しかける。
一旦、お宅にお邪魔しておいしいケーキをいただく。
わんちゃんに、抱きつかれる。
「あの子は女性と見ると抱きつくのよ。」という彼女に、
「いいじゃないですか、分かりやすくて。
 男だって、それくらい分かりやすい方が扱いやすいもの。」と
答えるわたし。

九十九里浜を見に連れて行ってもらった。
見渡す限り続く砂浜と海。打ち寄せる波。
山育ちのわたしには、圧倒されるような感覚だ。
やっぱり海って、なんだか特別だ。

もう一度、お宅にお邪魔して、少女と遊ぶ。
少女の元気さ、かわいさ。
姪っ子や甥っ子の小さかった頃を思い出して、一緒に遊ぶ。
くすぐったがりやさん。
お土産にと、後ろポケットにチョコを一つずつ入れてくれた。
帰りの電車ぎりぎりまで、お邪魔してしまったわたし。

いったい、何の話をしに行ったのだったかわからなくなってしま
うほどに、古い友人宅にいるように遊んでしまった。
43なのに同レベル。(笑)

たまに来て遊んでくれる大人は、もしかして質の悪い男と同じで、
去った後の寂しさだけど残してしまうのではないか。
たくさん抱っこしてじゃれて、子供の匂いをまといながら帰路に
ついた。
今日の海と、はしゃいだことで、風邪をぶり返さなければいいの
だがと思いながら帰宅したら、早速、メールをいただいていて、
どうやら熱は出さずに済みそうだという文面に安堵する。

 わかりやすい犬も男もあたしには多分今なら似合う気がする
                          (市屋千鶴)



2003年04月15日(火) 桜吹雪

その道の行き止まり。
渦巻きになった水路の水の源のある緑の原。
その緑の原の入り口に、番をするように1本の桜。
すでになかば散ってしまった他の木とは異なり、青々とした葉と
桜がみごとだった。

そこまでの道。
もう大部分が散ってしまった桜とまだ散り始めたばかりの桜。
より濃いピンクの花を咲かせた枝垂れ桜。
更に濃いピンクのつぼみをたわわに付けた八重桜。
それらを眺めながら歩いた。

ふと、前方の桜が、ふわぁ〜〜っと花びらを散らした。
遠くから眺めるわたしには、それはまるで雪のように見えた。
本当の吹雪はもっと凄まじい勢いと冷たさだが、桜吹雪は吹雪と
言う言葉とはうらはらに、優しく花びらを、髪に、肩に、背中に、
裾に、まとわせる。

今年は、夫と二人で桜を眺めることも無かった。
こんな楽しい南大沢の町並みを、夫と一緒に歩いてみたかったな
と思った。
本物の吹雪を夫と見ることはまず無いだろうが、桜吹雪は何度で
も夫とともに眺めたいものだ。

 なごり雪の降るふるさとを思いつつ桜吹雪を遠く眺める
                    (2003.04,13 市屋千鶴)

昨日、高校の同期に、この日記の存在を伝えた。
どうしてるかなと思った時に、覗いてみてくれればそれでいい。

今日の夫からの電話で判明した事実。
どうやら、引っ越し先には候補が2か所あって、条件のいい方は
5月22日以降でないと空かないらしい。
条件がいいというのは、2LDKで50?、勤務先から10分で
少しは便利なところらしい。こっちを仮に押さえている模様。
早く空きそうなところは、勤務先から30分で何も無いところら
しいし、部屋も40?と少しせまいということだった。
そりゃあ、条件のいいところがいいに決まっている。
夫には3週間だけ、他のメンバーの部屋に居候してもらっての、
単身赴任ということにしてもらうか。
とりあえず、不動産会社には明渡し日の延期をお願いしたところ。

しかしながら、会社主導の部屋探しは、なかなか大変なのだった。

 それぞれに一人で過ごす3週間 我が存在の大きさを知れ(市屋千鶴)



2003年04月14日(月) 南大沢での発見

小さい頃、家の真向かいが駄菓子屋というか雑貨屋で、その隣が
お寺だった。
子供達は、お寺の境内で毎日遊んでいた。
なんかね、似合わないんだけど、一応わたしも、ままごとなどを
したことがあるのだった。

ままごとで食べ物のかわりにしていたものの名前を、南大沢で、
昨日初めて知った。
エゴノキだった。
ふ〜〜ん、そういう名前の木だったのか。
花の名前や木の名前。
そういうものに無関心で過ごしてきた日々。
見たことのある花、木、木の実。
その地方独自の呼び方しか知らないもの。
35年ほどの時間を経て、初めてわたしの知識となったもの。
なんだか、ごめんなさい。

 ままごとできゅうりになったエゴノキの名前を35年後に知る
                    (2003.04,13 市屋千鶴)
そのままの歌で、もっとごめんなさいだね。


もう一つ発見したこと。
桜の色に冷たいという言葉が似合わないと思っていたということ。
ひろたさんが、日陰に溜まっている桜の花びらに触れていた。
前日の雨の名残か、その花びら達は冷たかったらしい。
冷たいと言う言葉を聞いて、なんだか桜と似合わない言葉だなと
いう感想を持った。
そして、その後に浮かんだものは、母の手だった。

病院で母を見送る時、急激に冷たくなって行く母の手に触れなが
ら、ほんとうに冷たくなってしまうのだなと思った。
母親という存在と、冷たくなって行くこととは、似合わない。
桜と冷たいが似合わないように。

 母の手が冷たくなって行くことを理解できずにいれば良かった
                          (市屋千鶴)



2003年04月13日(日) お花見吟行

今日は、ぷらむ短歌会の吟行だった。
昨年の五月に初めてプラムに参加してから、12回目の短歌会。
しばらく通信会員になるわたしにとって、このお花見吟行はとて
も楽しく思い出深いものになった。

南大沢って面白い。(笑)
公園には「宇宙からのメッセージ」という名前のオブジェがあり、
空想好きなわたし達の妄想をあおってくれた。(わたしたち?)
南大沢は山を切り開いて作った街。
そこに、いくつも並ぶ高い住宅たち。
そのてっぺんの避雷針や、とんがった屋根には、きっと空もくす
ぐったいと思っているに違いない。

わいわいと空想を巡らせながら散歩した後で、短歌を二首作る。
作る時はみんな真剣。

今日のお花見吟行では、あと二日分くらい日記にできそうなほど
いろんなことを考えたので、明日も明後日もきっと今日の話。

常磐線の中で考えた歌と、その場で考えた歌とを発表した。

 姉の背をぬく妹の勢いで葉は繁りゆく卯月の桜(市屋千鶴)

 散りてなお若葉ときそいあうように桜花(はな)のなごりはあか色を増す
                           (市屋千鶴)

一首目は「妹の猛攻」、二首目は「姉の逆襲」といったところか。
小学校に入る前に、姉の身長に追い付いてしまったわたし。
五年生で中学三年の姉を追い越したわたし。
そんな自分と散り始めた桜の若葉とを結び付けていた。

二首目は、間近で桜を見ていて、改めて感じたことだった。
花が散ってしまうと、桜蕊の赤い色が目立ってきて、葉の緑に負
けないくらいに見える。
すっかりと大人になってからの姉の逆襲のようだった。

どちらも、手直しした方がいい点はあるのだけれどね。

 高台の更に空へとのびるものに空の青さは手招きをする(市屋千鶴)



2003年04月12日(土) 筋肉痛なんて

昨夜観たお芝居は、面白かった。
小劇場のお芝居なんて、いつ以来だろう。
いや、覚えてないのか、観たこと無かったのか。(汗)

一つ二つの意見はあるものの、それは演出をした岩田君にメール
するとして、それよりも座席に低さと狭さにたじたじ。
高さ
15〜20センチくらいのところに座布団を敷いてあって、それ
にきっちりと座ったままの1時間40分は、おばちゃんには少々
きつかったのよ。
今頃になって太腿と股関節の辺りが筋肉痛なのは、なぜ?
なんでそんなところがって思うのは、わたしだけか?

一緒に行ったきわみちゃんは、一昨日に会社の人とジムなんぞに
行っているからして、筋肉痛なのはそのためだと言えるが、この
わたしはどうなんだ。悲しいほどの運動不足か。

そんなこんなで、きわみちゃんちに泊ったわたしだが、彼女の家
の三匹のにゃんこ達は、すっかりわたしにも慣れてしまったよう
で、わたしが居ようが居まいが、あんまり気にしなくなった。
ふむふむ、二年後に会いにきても、忘れないでちょうだいね。
などとささやきつつ、にゃんこ臭をまとって帰路についた。

新宿で紀伊国屋に寄った。
さすがに、紀伊国屋だ。
ちゃんと見つかったのだった。小学校二年生の算数のマンガ。
しかしながら、これでいいのかは、本人に確認するまで不明。(笑)
何気なく見渡した先で目にとまった1冊の絵本。
気に入ってしまって、2冊購入。
引っ越しまでに、あと2冊ほど、購入したいと思った。
わたしを含めて、持っていてほしい人にと。

いや、2、3年で帰ってくるんだけどね。

 ホームにて手を振る君の体調が心配なんだとなんどもつぶやく
                          (市屋千鶴)



2003年04月11日(金) 早退する女

わたしの勤めが15日までだというのに、勘違いしていたY部長。
月末までいると思っていたらしい。(^^;
そんなぎりぎりまでいたら、引っ越しの準備ができないのにね。

今日は30分早退する。
昨日の日記に書いた通り、帰り明日の午後だ。
きっと、夫は明日も三年寝太郎で、、わたしが帰るまで寝ている
はずだ。(笑)

明日の帰りには、稲穂と波の名前の少女のために、小学校二年生
の算数のマンガを探して購入して来る予定。
おばちゃんは、がんばって探すから、楽しみにしててね。(^^)

そんなこんなで、今は昼休み。

 制服と一緒に脱いだ緊張は抜け殻のように足下にある(市屋千鶴)



2003年04月10日(木) 明日の楽しみ

明日は、きわみちゃんとお芝居を見に行く。
丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅に18時半頃集合ということで、二人とも
30分だけ早退して出かける。

高校の同期のみんなには、まだ広島行きを連絡していない。
明日、岩田君に会えたら言うけど、会えなかったら、MLだな。
なぜか、同窓会名簿に住所を載せ忘れたしまったわたし。
幹事だったために、受付しないで参加していたからだった。(汗)
ちゃんと新しい住所を知らせておかなくちゃ。

明日は、お芝居の後はきわみちゃんちに泊まり、帰りは12日の
土曜日だ。
そして13日の日曜日は、ぷらむの日。
今回は吟行なので10時に南大沢集合。朝7時半に家を出る。
秋の吟行の時のように、前日に酔っぱらってしまって欠席などと
いうことはないはず。
参加できるのはこれでしばらくおあずけなので、有意義な一日に
したいものだ。

とはいっても、その場で短歌を作るのは、ずいぶん久しぶりだ。
ニフティの短歌フォーラムでは、毎週水曜日にチャットで即詠の
歌会をやっていて、我孫子に引っ越してくるまではわたしも毎週
参加していた。
前の人の歌から一語をもらって歌を作るのだが、順番があるし、
そこそこ時間に追われる感じになる。

しかし、そういう即詠と吟行とでは、大分趣が異なるのだろう。
初めての吟行、とても楽しみだ。

ああ、その前に明日のお芝居が楽しみ、きわみちゃんちのお泊り
が楽しみだ。

 見るものを言葉に紡ぐ技を持ち多摩野を歩く魔女になりたい
                          (市屋千鶴)
ああ、なぜに魔女。。。。。



2003年04月09日(水) 広島行き

つい、さきほど夫から電話があった。
広島行きは確定しているが、アパートはまだ見つかっていないの
だそうだ。(連休明けというのもほぼ間違いないらしいのだが。)

広島には、先発隊として単身者が2、3人すでに行っている。
勤務先までは、車を持って行った人の車に相乗りで通勤している
のだそうな。
夫も、その仲間になるようだ。
しかし、単身者用のワンルームはすぐに手配できていたらっしい
のだが、我が家のために部屋はすぐには見つからないらしい。
たぶん、勤務先に近いことや、他の社員の住まいに近いことなど
を考慮してくれているのだろうが。

やっぱり、車で送り迎えしなくちゃならなくなるのだろうか。
でも、わたしも夫もペーパードライバー。
夫は全くのペーパーだが、わたしは田舎の道ならば運転したこと
がある。
片側2車線までしか運転経験がないのだ。
東京では、多摩地区しか乗ったことが無い。
そんな夫婦が、広島で運転できるか・・・・。(きっと無理)

今日の午前中に、気になる刑事ドラマを見ながら洗濯していると、
ふとんの下取りはいかがですかと、○八の人が来た。
お話をして、古い布団を見てもらったりして、名刺を貰ったが、
気になるドラマは終わってしまっていた。
再放送は、日曜の昼間なのに〜〜。(涙)
何か目が離せない時とか、カップラーメンを作ってる時とかに限
って、誰か来るんだよね。(宅配便以外のね。)

午後から、我孫子駅まで行ったので、ロッテリアに寄った。
新しいエビバーガーのサラダセットを食べた。
ライ麦パンに変わって、ますますわたし好みになった。
うれしかった。

今夜は牛丼と温野菜サラダ。
紅ショウガたっぷりのつゆだくで、どうぞ。
すっかり、ただの日記。(笑)

 どんぶりが好きなあなたとどんぐりが好きなわたしで牛丼二つ
                          (市屋千鶴)
なんやこれ。



2003年04月08日(火) 引き継ぎ資料

引き継ぎ資料を見ながら、部長に対して引き継ぎをする。
この部長は、わたしの採用面接をした人で、先月部長になった。
最初は、この部長の仕事をサポートするために採用されたのだが、
その翌年の三月には、部長が東京営業所に行くことになり、仕事
を全部引受けることになっていた。
それからちょうど二年かぁ。

もうすっかり忘れてしまったよという部長に対して、資料を見な
がらあれこれと説明するわたし。
「えっ、そんなこともやるようになってたの?」と言われる。
「そうなんですよ。何かと増えましてねぇ。」と答える。
作業内容を引き継ぎ資料にすると、かなりあっさりしてしまう。
資料にならない気配りの部分で、かなり手間がかかるんだけどな。

明日はお休みだから、明後日に支払書を送付する。
その際に、退職する旨の挨拶文を添付する予定。
広島に行ったら、岡山の会社の方に会いに行きたいなぁ、なんて
思ったりする今日このごろ。
先日は、山形からまんじゅうを送ってみた。
ネットで注文して、岡山に配達してもらったのだった。
なんだか、とても声がね、友達の声に似ていて、顔も見たことが
無い人なのに、仲良し気分なのだった。(汗)

それにしても、まだまだ引き継ぎことがあるので、更に資料を作
る予定。
でも、一番引き継ぎたいのは、対応の迅速さと、気配りかも。
みんな、単身赴任させちゃいなよ、とか冗談で言うけれど(半分
は本気かな)、夫婦二人暮しで単身赴任してどうするんだよねー。

夫は、わたしがいないと駄目らしい。(昨日、判明した。)
わたしがきちんと起こして会社に行かせていること。
ついつい嵌ってしまうパチスロ地獄からも引っぱりあげておいて
やっていること。
わたしこそが、夫を社会人としてなんとか通用させているのだと、
昨日改めて認識したらしい。(爆)

なんのことはない。
またパチンコで負けて貯金を減らしてしまったことに、がっくり
してしまっているだけなんだけどね。(汗)

全ての金銭関係は、わたしが握ることになったのだった。(笑)

 引き継ぎの資料の文字の隙間には張り巡らせた神経がある(市屋千鶴)



2003年04月07日(月) 感動と焦りと

昨日から始まった、新シリーズの「アトム」に、感動した。
純粋な正義感、といったら大げさかもしれないが、純粋な気持ち
で人間と機械と両方のことを考えた行動を取ったところに、感動
してしまったんだよね。

機械のノイズを言葉として、その機械の助けを求める悲鳴として
感じ取ることができて、それに応えることができるなんて、いい。
正常な状態に戻った機械は、もうノイズを出すことも無く、言葉
でアトムと会話することはなかったが、光の点滅でその気持ちを
伝えていたところに、またも感動。

誰にも教えられないのに、人間のことも機械のことも救おうとた
というお茶の水博士の言葉に、本当の子供の純粋さを感じたのだ。
人間だとか機械だとか、区別はしないんだね。


引っ越しの詳細が決まらない。
GWには引っ越さなければならないという状況は変わっていない
のだろうか。
ほぼ広島行きとは言われているが、引っ越しの時期も定かでない。
だが、不動産会社には5月5日に明け渡すことになっているし、
気持ちは焦るばかりだ。
例えばこれが横浜行きだったなら、引っ越し先は以前にいた場所
の近くということになるから、もし勤務先の変更が遅くなっても
先に引っ越してしまえるのだけど、広島だとそうはいかない。

夫とのんびりしているはずの休日にも、気持ちは焦るが、体は動
かないのだ。
気が急くばかりで、何もしないでいられない気持ち。
それなのに、何をしていいのか分からない不安。
かなり、精神的に不安定になっているらしく、イライラしていた。
手持ち無沙汰で、何かを食べていたくて仕方が無かった。
ストレスは、確実に太る原因だ。体にいいわけが無い。

やたらと食べたがるわたしを不安そうに見守る夫に対して、当た
るわけにもいかずに、うつうつとした休日を過ごしたのだった。

「早く決めて下さいっ! ○○部長!!」

 いつどこに行けばいいのかわからずに引き継ぎ資料を作るわたくし
                           (市屋千鶴)



2003年04月06日(日) 強風の中

強風の中、午後には近くまで桜を見に行くと夫と約束している。
もっとも、彼はいつものようにまだ寝ているのだけれど。

昨日、農家だった頃の自分が幸せだったと書いた。
実際、専業農家だったのは小学校までだったのだ。
小学校の高学年の頃、父は冬の間だけ、自動車教習所の指導員を
していた。
そして、今の奥さんと知り合ったのが、この頃だった。
自動車教習所の生徒だったんだよね。
わたしは、そんなことなど全く知らずに(当たり前か)、父が働
いている自動車教習所の遊びに行ったことも有った。
もちろん、今の奥さんと会ったことがあったかどうかなど、全く
覚えていない。

小学校までの暮らしは、大地に根を下ろした暮らしだったような
気がしている。
わたしの記憶のなかでは、春は田植えをしていて、夏はスイカ畑
にいて、秋は稲刈りをしてイナゴをとっていた。
冬は、父のいない家の中で、みなでこたつを囲んでいた。

家族総出で、親戚や近所の人達の手を借りて、田植えや稲刈りを
やっていたことが、なんだか幸せの形に思えていた。
たとえ、多少の不満が有ったとしても、みんなで協力しなければ
終わらない大仕事を、春と秋にこなしているということが、家族
が力を合わせていることの証のような気がしていた。
それは、そのほとんどが手作業だったからだろうか。
手作業だからこそ、多くの人が関わるからこそ、その大勢の笑顔
を見ることが幸せだったのかもしれない。

わたしは、プログラミングを学びそれを仕事として暮らしてきた。
システムエンジニアの夫と暮らし、農業とはかけ離れた暮らしを
している。
多くの人が力を合わせて手作業する暮らしに、少なからず憧れる。
故郷のおばさんの家で、スイカの収穫を手伝ったりする時、自分
の中に流れる農家の血を感じたりする。
おいしそうに転がっているスイカをみると、撫でたくなる。
今年のスイカはいい出来だという叔父の顔に、誇りを感じる。

母と二人暮しになった市営住宅の裏庭で、母は茄子やピーマンや
しそやアスパラや、インゲンやトマトを育てていた。
庭だったはずのところは、いつの間に畑になったのか、わたしは
覚えていないが、とても自慢だった。
わたしにとって、農家=母、なのだろう。

わたしは、農家のおいしいところしか覚えていないし、見ていな
いのだと分かっている。
だけど、それでもやはり時々、収穫の喜びや、一面に水を張った
水田の美しさに、心惹かれることだけは、間違いないのだ。
雪の心を奪われることと同じくらいに、春の水田に惹かれる。
秋の稲穂の海に惹かれる。
刈り終えた稲田を歩く時の、あの清々しさに惹かれる。
もの思いする子供の周りを優しく包んでくれた、土の匂いと草の
匂いと水の匂いに惹かれる。

そして、そのことを思う時、こうしてその思いを書いている時、
わたしの目には涙が浮かんでいることもまた、間違いないのだ。

しかし、わたしは、その溢れんばかりの思いを、言葉にすること
ができないでいる。ましてや、短歌には。

 四畳半ばかりの庭を耕して野菜を育てる母になりたい(市屋千鶴)



2003年04月05日(土) 半日だけの一日

昨夜は、本社の会議の帰りにみんなとお酒を飲んで帰ってきた夫
と、3時まで「カオス・レギオン」で遊んでいた。

というのも、プロローグの時に持っていた召喚獣が破壊されて、
9個に別れてしまった破片を集めると、めちゃくちゃ強い、その
召喚獣で戦えるので、二人でかけらを探しに出かけていたからだ。

今朝は、ゆっくり寝ているつもりが、なぜか7時半に目が覚めて、
悔しいから(笑)もう一度寝て、10時に目が覚めて、まだまだ
悔しいから更に寝て12時に起きたのだった。
いやぁあ、よく寝た。
そんなわけで、我が家の一日は半日。

物足りないと言っていた「カオス・レギオン」だったが、辛くな
い程度の緊張感でザクザクと敵をやっつけるのが、どうやら楽し
くなったらしい。(笑)
物足りなかったのは、イージーモードだったからだったのだが、
ノーマルモードにしても、それほど緊張感はない。
回復アイテムも集まるし、敵も強いが召喚獣も強いのだから。
ノーマルモードに切り替えて更に遊んでいる。

強風・波浪注意報の出るようなこんな雨の日は、大人しく家の中
でのんびり暮らすのがわたし達の暮らし方。
まるで雨の日の小学生のようだ。

16日以降の、ただの主婦になってからの最初の予定が決まった。
同じ千葉県の海の側まで、会いたい人に会いに行く。
農家の嫁には少し憧れるのだ。
自分が農家の育ちだからだろうか。
農家の娘だった頃が、とても幸せだったからだろうか。
16日は、謎の田園主婦と、稲穂と海の名前を持つお嬢さんと、
千葉の海を眺める予定。

 幸せな家族の象徴としてわれの記憶に残る農家の暮らし(市屋千鶴)



2003年04月04日(金) 大事なのはTV?

広島に行くとなると、どうなるか。
昨夜、夫婦でいろいろと考えてみた。

まずは、ケーブルTV。
今、加入しているケーブルTVは、全国的なものだが、中国地方
では下関市にしかない。
それでは、他のケーブルTVはどうなのかと調べてみると、視聴
できるチャンネル数に比べて料金が高いような気がした。
いつも観ていたものの半分も見られない。(涙)

うちでは、テレビと電話とインターネットとセットで利用してい
るのだが、ケーブルTVを利用しないとなると、電話とネットを
どうするかという問題に突き当たる。
で、NTTの電話加入権はわたしのものも夫のものも、もう売り
払ってしまったから、電話はNTTのライトプラン(レンタル)
にすることにした。ネットするならフレッツか。

広島行きならば、家賃が会社持ちになるのだから、通信費に多少
かかってもいいかと二人で納得する。
行き先が決まったら、116に電話だ。
横浜行きならば、今のケーブルTVのサービスエリアに引っ越せ
ばいいだけだから、あとは家賃の問題だけだ。

しかしながら、相変わらず夫の行き先は未確定のままで、どうも
はっきりしない。
早く決まらないかと夫をせっつくと、「決まらないと困るのは、
おれのほうだ。」という返事が返ってきた。ごもっとも。

ええ〜〜いっ!
早く決めてくれ〜〜〜〜っ!

 行き先の見えないままに明け渡すことを決めたり ネギ畑前
                          (市屋千鶴)



2003年04月03日(木) レギオン

夫のゲーム、「カオス・レギオン」。
 LEGION:軍団、多数、大群、など。

レギオンといえば、「ガメラ2 レギオン襲来」を思い出す。
夫と見た、3本目の映画だったか。
なぜレギオンという名前なのかというと、おなかに群体をかかえ
ているからだ。
それがごちゃごちゃと集まったりガメラに群がったりする場面は
虫酸が走った。(思い出しても総毛立つ。)

しかし、怪獣ものの映画のなかで、一番好きな作品だった。
平成のガメラシリーズの中でも、一番好きな作品。
「ガメラ1」ではギャオスに対抗する手段としての存在と言われ
たガメラだが、「ガメラ2」では地球環境を守るための存在とい
う意識がさらに強くなっている。
人間が地球環境を破壊するものならば、ガメラは迷わずに人間を
壊滅させるのだろうと思ったりした。

それから、ガメラそのもの以外で好きだったのは、「ガメラ2」
の自衛隊のみなさん。
闘いというよりも、人々を守ろうとすることの大切さと、その為
に訓練された集団の格好良さを見たような気がした。

しかしながら、なにぶん古い記憶なので、曖昧な部分が多い。
もう一度、DVDでも借りてみようかしらと、ふと思ったり。

昨夜も、ゲームをしている夫に向かって、ガメラの話をした。
小さい頃に、公民館で観たガメラは、すごく恐かったなぁ。

 おぼつかぬ足取りで逃げる夢の中ガメラとゴジラと大魔神怒る
                           (市屋千鶴)



2003年04月02日(水) 別れた理由

お昼どき、ケーブルTVで1時間ものの日本製のドラマを見た。
タイトルは「別れた理由」。結婚7年の子供のいない夫婦の話。

旦那さんがある日女性に斬りつけられて怪我をするのだが、その
事情も女性に斬りつけられたことも奥さんには黙っている。
奥さんは、旦那さんが浮気の相手との別れ話でもつれて怪我をし
たのだと思い込む。
奥さんの方は、高校時代の同級生と親交を深めたりしていて、食
事をしにホテルのレストランに行くところを旦那さんが見てしま
い、奥さんが浮気しているのではないかと疑いを持つ。
7回目の結婚記念日に、ホテルのレストランで食事をしていると、
旦那さんは専務さんに呼ばれて席を外してしまう。
家には無言電話がかかって来るし、離婚届まで送られて来る。
奥さんはとうとう離婚届に印を押して、旦那さんに突き付けてし
まい、二人は言い合いになるが、なぜか決定的に問いつめあった
りはしないままにほんとに離婚してしまう。

離婚後1年経って、久しぶりにバッタリ会った二人は、旦那さん
が専務とその愛人の間に入っていて怪我をしたこと、奥さんが男
とホテルのエレベーターに乗ったけれどただ食事に行っただけの
関係だったことを、初めて話し合う。
お互いに、はっきりと話し合うこともなく、勘違いのままで別れ
てしまったことに気付くが、旦那さんの方はもう他の女性と一緒
になっていて、子供も生まれる予定だという。

なんだか、じれったいような、切ないような、悲しいような気持
ちになったが、こういう二人は結局は縁がなかったのだろう。
成り行きでそうなってしまったけれど、それはきちんと話し合う
ことをしなかったからであり、そのことこそが二人が生涯の伴侶
でなかったことの現れなのではないかと思ったのだった。

まあ、所詮はドラマのことだけど、実際にそういう人っているの
ではないかと思ったりもする。
いざという時、きちんと向かい合って話し合える関係が維持でき
ているのであれば、その夫婦は分かれる理由などないのかもしれ
ないのだ。
いざという時なんて、ないに越したことはないのだけれど。

 はっきりと言葉にするということ忘れずにいる二人でいたい
                          (市屋千鶴)



2003年04月01日(火) 成り行き文章

エイプリルフールだからといって、何もネタはないのだが。

日曜日、夫が購入したゲームは、「カオス・レギオン」。
召喚獣を使ってモンスターを倒しながら、友であり今は倒すべき
相手となってしまった男を探して、廃墟をうろつくゲーム。

自分自身が手を出さなくても、召喚獣が敵を倒してくれるので、
どの場面でどの召喚獣を出せばいいのかと、それぞれの召喚獣の
レベルアップの工夫をするくらいが、プレイヤーの仕事のようだ。
「ANUBIS」で、指が痛くなるほどボタンを押して戦ってい
た夫だから、この戦い方はどうも物足りないらしい。
早く終わらせて、売ってしまうと言っている。

わたしはというと、「逆転裁判」をじわじわとやっている。
頭の中は、引っ越しすることでいっぱいだが、どこにということ
が決まっていない今、何を考えても仕方ないとは思っている。

今日は夫は、横浜に打合せに行った。
事務所に出てから、午後の打合せだから、早く出るようなことは
なかったが、広島でなかったら今日の打合せ先に常駐することに
なるのだそうだ。
その場合は、今のプロジェクトの延長線上になる。
広島になれば、新しいプロジェクトになるのだ。
夫にすれば、どちらがいいのだろうか。
今のプロジェクトには、少なからず不満があるみたいだしなぁ。

とりとめもなく綴る文章には、4月初めの意気込みなどは微塵も
ない。
年度始めと言うものの、会社を辞めれば関係のないものになる。
子供がいるわけでもないしね。
あっ、そうそう、甥っ子は今日から社会人だったな。
幼児の頃は、わたしの幼児期と同じような顔立ちで、おばちゃん
子でも通るねといっていた甥っ子だが、今ではわたしと似ている
ところが見つからないほどだ。これも成長の証。

 口元が似ていたはずの笑顔まで大人びてきた青年の顔(市屋千鶴)


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