ゲットだぜと言っても、ポケモンをゲットしたわけではなくて、 iBOOKのことなのだ。(^o^)
今日の昼休み、わたしの携帯電話が、「ワイルドアームズ」の テーマソングを奏でた。 この着メロは、夫と姉の家族からのときしか鳴らない。 最近では、夫からかかってくることも無いので、しばらくぶり に聞く着メロだった。(いつも、かえるメールだからなぁ。)
何事かと思って聞いてみると、夫と同じプロジェクトを担当し ている某社の方が、ご自分のパソコンを買い替えるので、安く iBOOKを売ってくれると言ってくれたらしい。
それで、わたしにどうすると聞いてきたのだった。 夫は、白いiBOOKを使っていて、わたしもその白いのなら MACにしてもいいなぁと言っていたので、即OKした。
その某社の方は、MACが好きでかなり頻繁に買い替えている と言う話は、前々から夫に聞かされていたんだよね。 よくしょっちゅう買い替えられるものだと感心していたのだが、 そのお陰でわたしのもとにもiBOOKがめぐってくるとは。
もろもろの神々に感謝か。(とっても日本人的!?) MACに感謝か。
イカBOOKって名前を付けた夫のとは区別しなくちゃいけな いから、MACの前のマーク(カラフルりんご)のシールでも 貼ってみようか。 呼び名は、白いから「かまぼこBOOK」かい?
それにしても、今使用中のNECのノートPCも、別に壊れて しまったわけでもなく、まったく普通に使えているのだけれど、 iBOOKが手元に来た場合、この子はどうしてやったらいい のだろうか。 同棲した翌年に買った物だから、6年か。 DOS専用マシンとして、活躍の場を与えてやろうか。 まだiBOOKが手元に来ていない内から、あれこれと考え中。
そうそう、明日は東京ディズニーシーに行くんだった。 夫の会社の社員会の企画なのだが、もう団体パスは入手済みだ から、いつ出かけてもいいんだよね。 その前に会社にちょっと出て、請求書を作ってから出かけるこ とになるのだが、お天気が良さそうで、よかったよかった。
君と行く予定の場所を決められずどこもかしこも印を付ける (市屋千鶴)
夫のゲーム「アーマード・コア3 サイレント・ライン」。 先日の日記で、もう何時間もクリアできないでいるミッション があると書いたが、その日の夜にはなんとかミッションを終了 したらしい。 通算すると何時間かけたのだろうか。
そして翌火曜日の深夜、夫は試験を受けたらしい。 なんだか昇級試験のようなものらしいのだが、同じシリーズの これまでのものとは、そこいら辺がちょっと違う。 がんばって試験に合格したと思ったら、これからはより困難な ミッションをやってもらうからというメール(ゲームの中でね) が来たらしい。 そんな報告を昨日の朝に聞いたわたし。
「で、そのこんなミッションはどんなあんばい?」と聞くと、 「ものすごく難しいんだよ。 合格しなきゃよかったかなぁって思うくらい。」と夫。 「そいつぁ大変そうだなぁ。」 「今回のゲームは、アーマード・コア3のデータで始めたから なんとかミッションをこなせるけど、そうじゃない人って、 ぜんぜんミッションをクリアできないんじゃないかなぁ。」
な〜るほど。 それほどむずかしいのだね。
わたしも、ゲームの最初の段階で装備がどれだけしょぼいのか を知っているので、激しく肯く。 頭部分なんて、最初の奴は「システム、起動」しか言わないし。 賢い頭部は、「システムを起動します。作戦行動を開始します。」 って言うもんなぁ。
まあ、そんなこんなをおしゃべりしながら、夫を送り出す準備 が整うのだった。
わたしは、24時になると眠くなってしまうので、それ以降に 帰ってくる夫は、わたしの寝顔ばかり見ていることになる。 帰ってくれば目が覚めるし言葉を交わすが、夜中まで働いてい る夫は、すぐには寝付けない。 大抵3時ごろになる。 わたしは、そのずっと前に夫にお休みを言って、再び眠る。
我孫子市に越してくる前、遠距離通勤の夫が終電で帰ってくる のが1時40分だった。 それ以降に帰ってくることなどほとんど無かった。 歩いて通えるようになった今、歩いて30分ほどの事務所から 帰ってくるのがやっぱり1時40分ごろになろうとは。(T_T)
近ければ近いだけ、働かなければならないということか。 妻の睡眠時間がすっかり改善されて、すこぶる元気なのだが。 夫の出勤時間も9時半に家を出るという時間なので、夫自身の 睡眠時間も改善されていると言って良いのだろう。
そんな寝付けない時間を使って、こつこつとミッションをこな している夫。
わたしが試験される日は、来るのか?
良い妻の試験が有れば確実に赤点でしょう笑顔以外は(市屋千鶴)
ぷらむ短歌会の2月のお題は「氷」だ。 わたしの短歌には雪の歌が多いが、氷の歌は思ったより少ない。
NIFTYの短歌フォーラムで、毎週水曜日に「苺摘みRT」 というイベントが開催されている。チャットでだけど。 順番を決めて、前の人の歌から一語(苺)を摘んで自分の歌の なかに詠む込むということを繰り返していく。
だいたい2時間だが、その間に2回から3回くらい順番が回っ てくる。 我孫子市に越してから、12時になると眠くなってしまう体質 になってしまったので、まったく参加できなくなった。 まず、PCを繋ぐのが、20時までか遅くても23時までとい う状態では、参加どころではないのだった。(^^:
だけど、「苺摘み」というのは、前の人の歌からどの語を選ん で使うのかに趣味が出たり、即興で詠むことから作者の現在の 状況が出てしまうものなんだね。
わたしが、頻繁に「苺摘み」をしていた頃は、今現在の幸せに 慣れている途中だったのだと思う。 自分が、若い頃になぜ無謀な疑似恋愛を重ねてきたのかとか、 その心理の奥底には何が有ったのかとか、夫と出会えたことを とてつもない奇跡に思えていたりとか、そんなことを考えてい た頃だったのだと思う。
そのころ、わたしの歌には雪の歌が多かった。 雪は、わたしにとってまさにスペシャルアイテムで、いいも悪 いもなにもかもひっくるめて、特別な物だった。 短歌フォーラムでは、「おつう」というハンドル名なのだが、 「苺摘み」のメンバーの中には、寒い歌のおつうさんとか、冷 たい歌のおつうさんとか(笑)呼んでくださる方もいた。 どうも、雪の歌には思いが強く出過ぎてしまうらしい。
それにしても、即興で歌を詠むという機会が、ずいぶんと少な くなってしまった。 その場で思い付いた歌の中には、深層心理がにじみ出ている。
結ばれし小指の糸のゆくさきをみるすべもなし舞う雪の夜 (市屋千鶴)1998.12.02作 降る雪に自分のルーツを見せられて気のない返事を君にしている (市屋千鶴)2000.03.07作
いずれも、「苺摘みRT」での作。 短歌フォーラムでの雪の歌を古い順にならべていくと、わたし の心理状態がわかって面白いかもしれないなと、ふと思う。
人の気持ちなんて、わかったような気がしていても、それは単 に推量ったいるだけのことでしかなくて、本当の所はわからな いもの。 それでも、ずっと一緒に育った兄弟姉妹や、家族のことならば 他人よりはわかりやすいのか。 そんなことは全く無くて、家族よりも親友の方がその時々の気 持ちがわかってしまうことなんていっぱいある。
ふと、父のことを思い出したのは、今朝、歯を磨いていてのこ とだった。 父が自慢だった小学生の頃、運動会の父兄の競争では足の速い 父がいつも走っていた。 父が可愛がっていたのはわたしだったと思うのだが、わたしも 姉も上京してからは、わたしにはほとんど連絡は来ない。 いつも、姉の家に電話がかかってくるんだよね。
夫を初めて会わせたときは、とてもうれしそうな父だったが、 借金の申込みをしてくる時くらいしか、父は電話をしてこない。 姪や甥が小さい頃から、孫がいるほうがやっぱりうれしいのだ ろうし、わたしは一人暮らしで帰宅が遅かったから、留守がち だったことも電話してこない理由の一つなのだろう。
が、うがった物の見方をすれば、わたしは父が愛人と失踪し、 母と借金や離婚について話合う所に、その直前まで同席してい たのだし、父の失踪によって母の次に被害を被った人間だから なのだろうとも思えるのだ。
ばつが悪いというやつ。 わたしに、田舎に戻ってこい、いい旦那様を見つけてやると、 何度も言ってはいたが、わたしは夫と結婚してしまった。 もう、わたしに用はないのだろうとも思う。
わたしは、離婚したときの父の年齢になっている。 分別はもちろんある年齢のはずだ。 もはや、父のように家族を捨ててしまうほどの恋愛をするよう な気力も情熱もない。 おそらくは、今の奥さんが父には最適な女性だったのだ。
そういう伴侶を得ることが出来たのは、幸せだったのだろう。 それも、わたし達の苦労を考えに入れなければの話だ。
恋をするには覚悟が必要だとは、日記を書き始めた頃に書いた 言葉だが、覚悟だけで突っ走るのもどうかと思い始めるこの頃。 周りのことを推量るだけの余裕も、また必要なのだと、最近に なって思うのは年を取ったからだろうか。
風向きを読めなくなった凧のように君の周りをくるくる回る (市屋千鶴)
土曜日曜と、坐骨神経痛がでていたのかもしれない。 左のお尻から膝の裏辺りまで、さわさわひりひりとした感じの 痛みが続いていた。 表面痛というのだろうか。
本当は、土曜か日曜に映画を見に行こうと思っていたのだが、 これじゃあ、長いこと座ってもいられないなぁということで、 夫婦揃って、ごろごろと過ごした週末だった。
26日の日付の日記は、金曜の夜の内に書いていたのだったが、 昨日はパソコンを繋ぐことさえほんの少しの時間だった。
神経痛は、暖めるのが一番だ。 ホットカーペットに布団をかけて、炬燵のような状態に。 座るときも、ひざ掛けを逆に後ろに回して巻スカートのように して巻いて座る。 人間、下半身が暖かいと、眠くなるのが常だから、夫婦揃って やけに眠い。 今日もまだ少し痛いけど、土曜日よりはマシだ。
夫は「アーマード・コア3 サイレント・ライン」というゲーム を土曜日に買ってきて、ひたすらそれで遊んでいた。 このゲームは、最初に出たときから夫の大好きなシリーズで、 ロボットを自分なりに調整して、ミッションに臨むゲームだ。 ロボットに乗った傭兵である。
このシリーズは、前のバージョンのデータを読み込んで、新し いゲームで遊ぶことが出来る場合がある。 だから、ある程度の装備を持った状態でスタートできたようだ。 それでも、結構きついミッションがあって、昨日の15時くら いから、一向に次のミッションに進んでいないらしい。(笑)
「アーマード・コア」というのは、とにかく自分で好きな組み 合わせでロボットを作れることと、装備だけよくても勝てない というミッションの数々に魅力があるのだろう。 見ていても、結構楽しい。 ロボットの頭部も変更可能で、レーダー部分とか微妙に違うし、 賢い頭部は高いのだった。 そして、ミッションに入るときにAIがしゃべるのだが、その 話し方や声が違う。 ミサイルや、レーザー砲にも、勝手に名前を付けて遊んでいる。 面白いよ。 相変わらず、ナビをしているわたしだ。
ゲームでも方向音痴のはずなのにナビゲーターはいつでもわたし (市屋千鶴)
突然、恋や片思いの話をしてしまったのは、某BBSで恋の話 を目にしたからだった。 それを目にしたのはもう何日も前のことだったが、どうしても 頭から離れなかった。
無断で引用すると、「恋だけが人を変えられる」。 しばらく恋をすることなど忘れてしまっている女性には、その 言葉はとても眩しいものに見え、こらからたくさんの恋愛をし ていく女性達には、それはとても素敵な指標のように見えたの ではないだろうか。
恋愛で人が変わるのは当り前のことのように思えるが、それを 敢えて言葉にしてみたりはしないからだろう。 そのうえ、恋だけが、だから。 なんとなく、悔しいような不思議な嫉妬を覚えたのだった。 おそらくそれは、現役で恋をすることが出来る女性達に対する 羨望なのかもしれない。
鮮烈な恋の歌を詠むことなどわたしにはできない。 それは、そんな鮮烈な恋愛をしていないからだし、恋に生きる 女ではいられなかったからだと思う。 わたしにとって恋の歌とは、片思いの歌か、夫への愛情の歌だ。
純粋な恋愛以外で波瀾万丈の前半生を生きてしまった自分には、 穏やかな愛情こそが、一番だと思える。 穏やかで、心に染みる歌を詠みたいものだ。
もし、本を一冊作ってあげようと言われたら、わたしは迷わず 自伝的小説を書きたいと言ってしまうかもしれない。 でなければ、民話のようなお話の本を作りたいかも。
鮮烈な恋の歌は詠めないと言いながら、裏では男と女のお話を 書いていたりするのだけれどね。(^o^)
捨てられないものをたくさん持つ今はせつない胸だけ恋しています (市屋千鶴)2000.08.20作
2003年01月25日(土) |
一人で思うことの意味 |
恋について語ることなんて、表の日記では、いや表の世界では もうずいぶん長いことしていない気がした。 たぶん、この日記の書き始めの頃「傷つく覚悟」という文章を 書いたが、それ依頼かもしれない。
一人でいることが大事なことも有る。 誰かと一緒にいるよりも、一人の方が寂しくないとき。 二人でいるのに寂しいと感じるとき。
二人でいても寂しいのならば、一人になって寂しいほうが当り 前だと思える分だけマシなのではないか。 だから、そんな関係になってしまったら、さっさと別れてしま ったほうがいいのだと思ってしまう。 いくら一緒にいて抱き合っていたとしても、一緒にいて寂しい と思う相手というのがいるものなのだ。 それは、相手がもともと暖かくない人なのかもしれないが、付 き合っていく内にそういう関係になってしまった二人の責任で もあるのかもしれない。 若い頃からの偏った恋愛経験で、そう思ってしまう。
ずっと一緒にいても、相手の気持ちが動く度にびくびくしたり、 相手が何を考えているのかが気になって仕方がなかったり、何 でもない相手の言葉を深読みしすぎて疑心暗鬼になってしまっ たり。そういう経験はないだろうか?
自分に自信がないままで、いくつもの疑似恋愛をこなしてきた わたしには、そんなことばかりだったように思う。 好きな相手の気を引くために何かが出来る、という性格ではな かったから、いつのまにか二人でいるのに一人で落ち込んでし まったりしていた。 突然、落ち込んで涙ぐんでしまうような女を、男は持て余して しまうだけかもしれないというのに。
楽しい恋愛だけがいいと言うものでもないだろうし、ただ楽し いだけの恋愛は、もろいものなのかもしれない。 しかしながら、一人で勝手に苦しんでしまう恋愛では、いつま で経っても二人になることは出来ないように思う。 苦しみや悩みは、とりあえず両思いならば、話をしてみること をしなくてはならないよね。 そこまで成長した恋愛にしなければ、先は見えているというこ とだとも言える。
一人で誰かを思い続けることは、きっと人にとって欠かせない 経験なのだと思う。 いつも、好きな相手は必ず自分のことを好いていてくれた、と いう経験しかない人は数少ないだろうが、もしかしたらそれは 気の毒なことなのかもしれない。
そんな意味で思春期の片思いは、大切なことなんだと思う。 一人で相手を思うことを練習するって言う意味で。 いつもいつも、相手に思われてばかりの恋愛をしていると、思 うこと下手になってしまいそうだ。 思うことが下手だということは、思う相手の気持ちを推量るこ とが苦手だということではないか。 いつも思われてばかりの人は、自分が思いを寄せている相手を 観察することが苦手なんじゃないかな。 観察と言うと言葉が変だが、要するに好きな相手のちょっとし た動作や表情に敏感でいられるというだろうか。
一人で人を思うということは、自分の心を見つめると同様に、 好きな相手の様子に敏感でいられるということなのではないか。 人を思いやることを養う一つの方法、それが片思いなのかもし れない。
擦り減った階段の下を行き過ぎる君の背中に告白をした(市屋千鶴)
今、密かに(といっても日記で書いてちゃだめだよね。)企ん でいること。 「題詠マラソン2003」という企画に便乗してしまうこと。
この企画は、1月に参加者を募り1月末に100のお題を発表 し、2月から11月までの10ヵ月で参加者1人1人が100 のお題で1首ずつ作歌するというものだ。
100のお題は、一度に発表される。 どんなペースで100のお題をこなすかは参加者の自由なのだ。 1つのお題に1首ずつだから、慎重に慎重に。 そして、12月には参加者同士で意見交換となるらしい。 10ヵ月かけて100のお題で100首を詠むマラソンだ。 最初の頃から参加者にはどんな方がいらっしゃるのか見ていた。 そうそうたるメンバーだと思う。
100のお題だけいただいて、日記で100首を発表してみよ うかと思っている。 びっくりだよね。参加者はもう100人を優に超えている。 この企画を考え、サイトを作り、運営と言うか管理する方にと っても、この人数は予想外だったようだ。
何人が完走できるのだろうか。 全員で100首ずつ作ったら、1万首を超えるのだ。 いやあ、ほんとにすごい企画だ。
でも、わたしは歌人ではなく、ただのおばさんなので、密かに 企んでいるだけなのだ。 いや、だから日記で書いてちゃ、密かじゃないって。(笑)
走るのが苦手なわたしは、いつも最後の方を走っていた。 小学校のときにライバルだった少年も同じように走るのが苦手 だった。 二人は、お互いに応援し会うことで友情を確認していた。
マラソンの苦手な我に最後まで声をかけゐし君はライバル(市屋千鶴)
今日は、ニフティ短歌フォーラムの1月歌会選歌締切り。 まだ途中までしか出来ていないので、この日記の後にひたすら 選歌とコメントを書く予定。
選歌というのは、応募された短歌の中からいいと思う歌を選ぶ ということで、選んだ歌にはコメント付けなければならない。 この段階では無記名の一覧という形で応募された歌を見ている。 長いこと歌会に参加し続けていると、誰の歌なのかというのが 予想できたりもするのだが、そんなことは別に関係ない。 選ぶのは、あくまでも自分の感覚だけだから。
だけど、そこが難しい。 自分の感覚で選ぶと言っても、その時々で感覚にぶれがある。 はっきりとした基準を自分の中に持っていないから、そうなの だろうと思うのだが、やはり共感するということを主眼におい てしまう。
不思議なことに、余りに共感することが出来ると、近親憎悪の 様な感情が芽生え、ついつい小さなことをしてきしてみたりし てしまいがちだ。
わかったから、もうわかったから。 そういう気持ちになることもある。 おそらく、自分も同じように思われているのだろうと思いつつ、 少しでも違う自分も出せればいいなと思いながら作り始めてい るところだ。
自分の歌はストレートなのがいい所だとも言えるが、もう少し 言わないことで訴えるということをしてみたいなぁなんて思う。 すべてを言い切ってしまわないこと。余韻。 ストレートだけど、そんな余韻もある歌なんて、欲張りすぎか。 もしかして、矛盾してるかなぁ。
毎回、選歌のときに迷うんだよね、いろいろ。 今回は「福笑い」というお題だから、楽しい歌を選ぼうと思っ てはいるが、そうばかりはいかないのが現状。
悲しげな笑みを浮かべた歌ばかり選んでしまう 雪の季節に (市屋千鶴) いやあ、別に何か有った訳でも何でもないんだけどねぇ。
大きな箱に小さい箱が4つ入っている。 某大手スーパーで鹿児島ものの特集をやっていた、先日サイズ 直しを依頼した指輪を受取るついでに見に行ったら、やっぱり ボンタンアメの大箱を買ってしまった。 やっぱりというのは、どういう訳かボンタンアメが好きで、駅 の売店で良く買うからだ。 他にもいろいろあったけど真っ先に手にしたのはボンタンアメ。
九州と言うと、仕事で良く行った宮崎県しか行ったことが無い。 宮崎空港から、日豊本線で北上すること約1時間。 日向市というところまで出張していた。 日豊本線では、しいたけ弁当がおいしくておまけに安い。
飛行機の時間まで間が有るときは、宮崎空港の滑走路が見える 喫茶店でお茶を飲んで過ごしたりしていた。 通常の旅客機が飛ばない時間には、セスナ機で離着陸の訓練が 行われていて、何度も何度も着陸しては離陸していくセスナ機 を眺めて過ごした。 足元には、ノートパソコンとマニュアルが入った鞄と着替えな どの入った鞄。 時々本を読みながら、時々お茶をすすりながら、時々滑走路を 眺めていた。
出張はほとんど一人で行っていて、当然行った先では仕事一筋 なわけで、接待など受けたためしがない。 なぜかと言うと、忙しい時期に行ったりするので、取引先の方 もかなりいそがしくしているからだ。みんな帰りが遅かった。 せいぜいお昼ご飯をご一緒するくらいなのだった。
そんな中、1日だけ、早めに切り上げて出かけましょうと言わ れたことが有った。 いつ来ても、仕事ばかりで申し訳ないし、この辺りの観光もし たことがないですよねぇと、部長さんともう一人の担当者さん にドライブがドライブに連れていってくれた。 おまけに、写真までとってくれて、会社まで送ってくれた。 別の機会には、幻の焼酎と言われる「百年の孤独」をわたしと 別の担当者にと2本もくださった。
わたしが、銀行から転職してからお付合いした取引先の中で、 あの日向市の測量会社さんは、本当にいい方ばかりだった。 もし、よかったら、宮崎に来ませんかとまで言われていた。(^^; 転職先が解散という事態になったとき、本当にそう誘われたが その時はもう夫と暮らしていたので、残念だったがお断りした。
あれで、スギ花粉がもっと少なかったら、ほんとにいい所なの になぁ。 周りの山には、日向杉がたくさんあるのだった。(T_T)
東北人なのに、妙にイントネーションが似ている宮崎県北部に とっても親近感をもっているわたし。もう一度行きたいなぁ。 が、行っても何もすることがないんだけどね。
駅前の景色が故郷に似ているとしいたけ弁当ほおばり笑う(市屋千鶴)
2月が近づいてくると、いろんな事を思い出す。 2月は、従妹の誕生日、姪の誕生日、姉の誕生日がある。 そういえば、父方の祖父の誕生日も2月だった。 姉の誕生日の翌日だった。
姉の誕生日は、両親が離婚した日。 2月の吹雪には、特別な思い出がたくさんある。 2月になったら、きっと暗い話を何日かし続けてしまうと思う。 そんな時は、タイトルに暗めって付けるから。(^^;
それにしても、人間に思考力は、朝と昼と夜でずいぶんと違う ものだと思う。 思考力というよりも、思考の方向と言った方がいいかな。
うんと若い頃に聞いたアドバイス。 夜に書いた手紙は、朝になってからもう一度読み返して出せ。 だったと思うが、確かに夜に物を考えると多分に感情的になる ことは間違いなさそうだ。
しかし、それだから書く事が出来るものもあるわけで、例えば ラブレターなんかは、夜じゃないと書けないような気がする。 朝になって読み返したりしたら、絶対出せなくなってしまうよ。 まあ、ラブレターなんて出したこと無いんだけどね。(^^;
とにかく、何か決断をしなければならないときには、夜に出し た結論を朝にも昼にも考え直して確かめた方が良さそうだ。
如月に向かって沈み込むような夜を待たずに夢を見ている(市屋千鶴)
おお〜さむっ、って読んじゃだめか。(^^;
小さい頃、寒休みっていうのがあったように記憶しているのだ が、本当にそうだったかはっきりしない。 その頃は、田植え休みも、稲刈り休みも有った頃だものなぁ。
冬休みは正月休み。 一番寒くて雪が多い時期に寒休みだったと思う。 ちょっとずつ休む。だから、夏休みは短かったのだね。 いつからそうでなくなったのだろうか。 段々と生活も便利になったからか、寒くて雪が多いからと休み にするほでの積雪量でもなくなってきたからか。
正月休みに寒休み、そんな地域が他にもあったと思うのだが、 どうなのだろう。 北海道みたいに、ある程度のレベルを超えた所は、そんなに甘 いことはやってなかったのだろうか。
おお〜、さむっ! って、かじかんだ手をこすりあわせてみた りするが、寒い中を歩いたりするといつのまにか手がぽかぽか になっていることもある。 最初は嵌めていた手袋も、要らなくなったりする。
それも、年々、暖まるまでの時間が長くなるのは、やっぱり歳 のせいか。(T_T) 寒さのせいかどうか、頭の回転すら落ちているような気がする 今日このごろ。
手のひらの設定温度を間違えて誰彼となく握手する人(市屋千鶴)
何を唐突に思い出したのか、自分。
「ぷらむ短歌会」で指導していただいている東直子さんの歌集 の批評会のときのことを突然思い出した。 批評会の後、懇談会というか懇親会というのがあって、ご本人 の挨拶や、関係者の挨拶などが行われていた。
お芝居の関係の方や新聞社の方の挨拶が終ったころ、わたしは かなり前の方に座っていた。 大体は後ろの方から見守るようにしていたのだが、それを前に 陣取ったのは、話が聞こえなかったからだった。
その日、たくさんの歌人の方々が出席されていた。 それは、とても有名な方だったり、そうなる途上の方だったり、 それでもちゃんとした大人の集まりだった。 しかしながら、わたしのようなお手伝い的な感覚で参加した者 が、一番前の方にまで行かなくてはならないほど、私語がうる さかったのは何故だったのだろうか。
たしかに、挨拶なんて、結婚式のスピーチや社長訓示のように 長くてあまり興味のない物かもしれない。 しかし、興味の有る人の挨拶だけを静かに聞いていて、飽きて しまったからおしゃべりに夢中と言うのは、大人げないだろう。
前の方と言っても立食式だったから、椅子は部屋の周囲にぐる りとおいてあるだけだったし、座っているわたしの前には、先 に挨拶をされた新聞社の方が立っていた。 その方が、わたしのすぐ隣の女性の大声に、思わず振り向いた のをよく覚えている。
おそらく、その彼にしてみれば、あまりに意外なことだったの だろうと推測された。 わたしだって、そんなに前に座りながら、それでも良く聞こえ ないという思いをするとは思っても見なかった。 その時、その女性達は、まるで女子高校性のようの思えた。
その後、やはり後方に戻って見守っているわたしだったが、他 でも同じようなおしゃべりで聞こえないという場面に出会った。 まあ、聞きたかったら前に行けってことなのだろうが。
大声で雑談するなら、場をはずすか、後ろに下がるべきだろう。 話をしてはならないのではなく、マイクを使って話す人の話が 聞き取れないほどの声でしゃべり続けるのはいただけないよ。 たとえ、その人がどんなに素敵な短歌を詠む人であっても、わ たしはそういう人の歌集はきっと買ってまで読めない。
先人の歌人の歌集は、当人を知らずに買ったりする訳だけど、 少なくとも同じ時代に生きていて、その普段の態度を知ってし まったら、作品以上に好き嫌いが出てしまうのではないか、と 思ってしまう。
情熱的で、とても素晴らしい歌を詠むことは得手だが、人の話 を聞くのは不得手なのか。 短歌は自己主張だからなぁ。 だが、作品のみで評価できるほどわたしは歌人ではない。
そんなことをふと思い出す、どんよりとしたお天気。
話す人の目を見て聞けと教えられ目をそらせずに君を見ている (市屋千鶴)
昨日の帰りに、銀座線に乗るつもりで丸の内線に乗ってしまい、 気が付いたときには、後楽園を過ぎてもうすぐ池袋だった。
先輩がそれに気づいたのだが、池袋から山手線で日暮里に出て、 最終の土浦行きに何とか間に合ったのだった。 先輩は、それに乗らないと最寄り駅まで帰れない。 取手からタクシーになっちゃうなぁ、って余裕の表情だったが 最寄り駅まで行く電車に間に合ったのは、うれしそうだった。
しかし、仮にも自称「鉄ちゃんもどき」のわたしが、乗り間違 いに気が付いていなかったなんてねぇ。(;_;) 銀座と言う慣れない場所がいかんのだよ。(笑) きっと先輩は乗りなれておられるから大丈夫だという気持ちで いたから、何も考えずに付いていってしまった。
自分の行く場所は自分の目で確かめよう。 駅も、人生もね。
行き先の見えない人を従えて一歩踏み出すそこは雪原(市屋千鶴)
今日は、昨年11月に行われた高校の東京同窓会の幹事慰労会。 このところ赤字続きだったらしいが、今回は黒字だったという ことで、慰労会もその余剰金で出してもらえた。 大先輩の方々からも、今年の同窓会はとても良かったから予算 でちゃんと慰労会もやりなさいよというお言葉もいただいてい たらしい。
場所は青山。18時から。 家からだと16時25分のバスに乗らねばならない。 仕事は17時までだが、バス停が会社のすぐそばに有るので、 16時20分までで、早退させてもらった。 一応仕事先には、会計報告会があるからということで。(^^; バスが思いのほか早く着いたので、予定よりも1本早い電車に 乗ることが出来た。
上野までは常磐線で、そこからは地下鉄銀座線で青山一丁目ま で。平日の夕方の時間のためか、どちらも座っていけた。
そういえば、岩田君の他に誰がくるんだろう? うちの同期は果たして18時からという時間に何人参加できる のだろう? そう思いながらお店に到着すると、先輩方がもう4人来ていて 飲み始めていた。 それからも次々と到着するのは先輩方ばかり。 岩田君は近いはずなのにいないなんてと思って、待ちきれずに 電話してみると、もういるのか、すぐ行くとの返事。 早く来てくれよぉ、一人じゃ心細いじゃないか、と思ったのも 最初の内だけで、お酒が入ってしまえばぜんぜん平気だった。(^^; オーナーと先輩が知り合いで、おいしい料理をならべてくれた。
今回は、はじめて2次会までごいっしょさせてもらった。 場所は、銀座にある先輩のお店だ。 頭のいいうたの上手なお姉さん方がいて、素敵な歌を聴かせて 暮れるお店だった。先輩の歌も初めて聴いた。 ギターとピアノがあって、その伴奏だけで唄ってくれる。 う〜〜ん、お姉さん方がとっても素敵だぁ。はまった。 銀座で30年も、こういうお店をやってきたのかと、感心する。 まあ、わたし達には到底手のでないお店であることは確かだ。 先輩方と一緒でなければ絶対の来れないお店だね。
持つべきものは、同窓生というところか。先輩おそるべし。 花見の際もお声をかけてくださいと、先輩方にお願いした。 帰りは、茨城県まで帰る先輩と二人で常磐線。 その方は、わたし達が高校生の頃の体育の先生のお兄さんだ。 地下鉄、常磐線と、いろんな話をしたり聞いたりしながら乗り 継いでの車中は、とても短く感じた。
皆さんの集まりに、お邪魔でなければまた呼んでください。
15年の隔たりの中 人生はいろいろあってよしとすべしと(市屋千鶴)
短歌関係の方のHPで切り番の記念に1ページプレゼントして いただけるのだが、いったい何をと決めるのに時間がかかった。 「鶴の恩返し」をちょっとだけ大人向けの切ない感じにして、 短歌を間に入れながら語るような物にしたいと考えてから更に 時間が経ってしまった。
なんとか全体が出来たのだけど、もう一度見直さなくちゃ。
「夕鶴」では、与ひょうがお金の話とか、欲望の絡んだ話をし 始めると、つうには与ひょうの言葉が意味不明なものになって しまうのだ。 そして、与ひょうをそそのかす二人の村人の言葉は、はなから 理解できていない。 つまり、純粋で無欲な与ひょうや子供たちだけが、つうと会話 が出来ていたのだった。
だけど、わたしの「鶴の恩返し」はちょっと違う。 ずっと言葉は理解できている。 つうは、純粋な鶴の化身ではなく、変身して一緒に暮らすよう になってから次第に与ひょうに恋心を抱く女性としたかった。
鶴と人間の恋に重点を置いた訳ではなく、ただ少し切ないお話 になればいいなと思っている。 いいな、って、自分で書いてるのにね。(笑)
命なきむくろとなりて雪原に埋もれる覚悟を与ひょうがとかす (市屋千鶴) これが出だしの歌。
姉は、最初のくも膜下出血の手術をするまでは、怖い奥さんだ ったと思う。あんな言われ方をして、よく我慢できるなぁと、 義兄に対して感心したものだった。 あんなに強い口調で夫や子供をしかりつけていた姉だったが、 わたしから見ると、姉は上京してからの生活で強気にならざる を得なかったということなのだと、思うのだ。 手術後、みんなにぼーっとしちゃったよね、と言われる姉だが、 わたしにとっては子供の頃の温容な姉に戻ったような気がして うれしかったりしたのだった。
幾度も手術を繰り返している内に、術後の変化もその時々で差 があるということもわかってきたが、性格的な変化と言うのは 脳外科手術の場合、顕著に出るものなのだ。 1回目は、術後からすぐぼーっとなった。 2回目は、術後はおしゃべりになって、お医者さんにも冗談を 言い返すようなうるさいおばさんになっていたが、その後はや はり温容な性格に戻っている。
脳の中で出血した場合、血液に触れた部分と言うのは、出血を 止めるために血液の流れを止めてしまうらしい。 それでその部分の血流が滞ることによって、その部分の脳が死 んでしまうのだそうだ。 だから、何処が切れたかで、後遺症も違うんだとか。
だけど、脳は不思議な物だから、使えなくなってしまった部分 の機能は他の部分で補おうとするんだそうだ。 だから、言語障害や記憶障害が出たとしても、壊滅的に記憶の 部分が死んでいない限り、その記憶にたどり着くまでの回路を 改めて構築し直すということをするらしい。 でも、その新しい回路は、何回も何回も繰り返し使わなければ 確立できないものなのだ。 子供の頃から何回も使って太くしたシナプス回路を、もう一度 作り直すんだもの、かなりの努力が必要なのだろう。
話し出すまでに時間がかかる。 昔のことはよく覚えているがちょっと前のことを忘れてしまう。 こんなことは、何でもないことなのだ。 壊滅的なダメージでない限り、そんなことは時間をかけて何度 も繰り返すことで回復できる。 今では、とりあえず普通に暮らせている。
だけど、大きな手術をして全身麻酔を使ったり、くも膜下出血 の影響で軽い癲癇を起こすようになってしまったのを押さえる 薬を術後に使わないままで軽度の癲癇を起こしてしまった後な どに、脳はせっかく作り上げた新しいシナプス回路を使うこと を忘れてしまうらしい。
どこか一点を見詰めたままで何も話さなくなっていたかと思う と、眠りもしないでずっと話し続けたりしていた。 わたしは付き添っていなかったが姉の家族の話では、話の内容 が昔のことから段々と最近のことになってきていたのだそうだ。 昔の話をし始めた時には、姉は訛ったいたらしい。 聞いていて、最近の話になってきたところで、ああ、そろそろ 回復してきたなと判断していたのだとか。 しかし、その時のことは姉は全く覚えていないのだそうだ。
脳の不思議を、身近に見たわたしたち。 いろんな可能性を脳は持っているんだね。
白いまま抜けた記憶を持つことの怖さを誰に打ち明けようか (市屋千鶴)
昨日は、柏まで行ってタクシーチケットを売った。 きわみちゃんから預かっていたもので、千葉県内でないと使え ないものなので、換金するのも千葉県内でないと出来ないとか。 夫とのデートもかねてでかけた。 (そのお金できわみちゃんと今日は酒を飲む予定。)
帰りに、近くのショッピングセンターの宝石店で指輪のサイズ 直しをお願いしてきた。 わたしも夫も痩せたために、結婚指輪が緩くなってしまって、 二人ともしていなかった。 せっかくの指輪が勿体無いので、今年はサイズを直してちゃん と嵌めていようと相談した結果だ。二人とも2サイズダウン。
この指輪は、父から就職祝に貰ったネックレスをリメイクした 指輪を、さらに二つにリメイクした物だった。 ただパイプをきったようなプラチナの平打ちの指輪だ。 全く同じで大きさもあまり変わらないので、区別するために、 わたしの物にだけほんの小さなメレダイヤを付けてもらった。
結婚したばかりの頃、わたしは二人が夫婦に見えるということ にこだわっていた。 一緒に住み始めるときに、アパートを捜していて、不動産から カップルに見られなかったことがあって、結構気にしていた。 いや、あそこの不動産屋は特別だよと、きわみちゃんは言って くれたけど、そのときはかなり傷ついていた。
別段、人からどう見られようと構わないはずだったが、二人で 一緒にいるときに、年下の男性と不倫している女性のように見 られてしまうのが、いやだった。 わたしだけ、母の形見の指輪をしていたから。 だから、ちゃんと婚姻届を出して結婚したとき、二人はセット ですという合図を身に付けていたかったのだ。
今では何処から見ても、セット商品のようなわたし達だが。
年の差を気にして君はおそろいの指輪をはめる僕の指にも(市屋千鶴)
昨日はぷらむ短歌会の日。 相変わらず2時間かけて通っております。(^o^)
今月のお題は「未」。 子を連れて婚家を出でし母親の歳を越えたる我が身の未熟 (市屋千鶴) 最後に「我が身の未熟」と言ってしまわずに、別の表現でとい う指摘をいただく。 自分でもそこに何を持ってこようかと考えたのだけど、お題の 「未」のつく熟語で「未熟」しか浮かばなかった。(^^; お題にこだわらずに作ったほうが良かったかもしれない。
湯気だけが隠してくれるうっすらと朱に染まりゆく我の欲望 (市屋千鶴) 某所の毎日1お題のコーナーで作って歌だった。 その時は「湯気」で作ったんだった。 面白いといっていただけて、うれしかった。
カサカサのくちびる噛んで自転車をこぐこぐぐんぐん北風に勝つ (市屋千鶴) みなさんから、一番わたしらしいといっていただいた歌。 元気が出るって。(^_^) ただ、最初の「カサカサ」と後半の「こぐこぐぐんぐん」とが 両方とも1首の中に有るとちょっとうるさい感じということで、 最初の「カサカサ」を「かさついた」に変えることにした。
かさついたくちびる噛んで自転車をこぐこぐぐんぐん北風に勝つ (市屋千鶴) こんな感じ。 自分では2首目の「湯気だけが〜」の歌が結構好き。 3つの中で、1首目だけがまるっきりの新作だった。 3首とも別の雰囲気をもつ歌をと思っていたので、旧作からの 引用の2首とは別の雰囲気を作ろうとした結果だ。 それも、「未」を使おうとして無理をしたようなとこがあった のでそこを指摘された格好になった。 無理はいかんよ、無理は。(笑)
「未」といえば、ひつじでもあるのに、どうしてもひつじの歌 ができなかった。 父は未年。今年の5月で72歳になる。
新年会は、久しぶりの全員参加で、実に楽しかった。 離婚した従弟の子供たちは、なぜかとても楽しそうに見えた。 昨年までは、新年会にいても下を向きがちだった。 ジュースをお代わりするのも、気のせいか親の顔色をうかがう ようなところがあった。 だけど、今年は何かが弾け飛んだように楽しそうに子供同士で 遊んでいた。
帰り道、夫と従妹とその話をした。 楽しそうで良かったって。涙が出そうだった。 自分はどうだったのかと考えた。 わたしも、父が一緒のときは父の顔色をうかがう子供だった。 父を怒らせてはいけないと思っていた。 父を怒らせると、母が酷い目にあうのではないかと思っていた。 だから、母の実家にわたしと姉だけで行っているときが一番楽 しかったのだろうと思う。
母の実家でも、伯父はお酒を飲むと荒っぽくなってしまう人だ ったから、伯母が機嫌を損ねるようなことをついやってしまう と物が飛ぶという状態だった。 だから、いとこ達もその伯父の機嫌を取るのがうまかった。
あの子達も、そうだったのだろうか。 どちらが悪いというのではないが、父親と母親がどちらも機嫌 の悪そうな顔をしていたら、またケンカしてしまうのではない かと思って、両親の顔色をうかがっていたのではないのか。 機嫌を取っていたのではないか。 まだまだ中学生なんだから、子供らしく遊べばいいのだ。 子供同士でいるときくらいね。
新年会に来てくれてありがとう。 これからも、わたし達に笑顔を見せてちょうだいね。 そして、別に暮らすようになってしまったお母さんも大事にし てね。
満面の笑みを見ている大人達笑う門には来るという福(市屋千鶴)
今日はぷらむ短歌会の日。
今日は、身内で新年会。 離婚した従弟の奥さん(元奥さんか、)以外は全員参加という 出席率抜群の新年会。
昨年は、姉が手術したばかりだったから、全員じゃなかったの。 風邪の人もいたしね。 でも、今年は全員だ。 姉も人工透析の日なのだが、朝からの透析に変更してもらって 夕方の新年会に参加できるように調整している。 しつこいようだが従弟の奥さんがいないのが残念と言えば残念。 でも、夫婦の問題は夫婦にしかわからないと思うし、自分の親 が離婚しているので、どちらかと言うと離婚に抵抗はない。 いつもケンカしている親を見ているよりは、別々に暮らして、 時々一緒に会う方がいいかもしれないと思えたりもするのだ。
子供がいなければなおのこと。 二人でいても寂しいのならば、一人になって寂しいほうが当り 前だと思える分だけマシではないか。 だから、そんな関係になってしまったら、さっさと別れてしま ったほうがいいのだ。 若い頃からの偏った恋愛経験で、そう思う。 いくら一緒にいて抱き合っていたとしても、一緒にいて寂しい と思う相手というのがいるものなのだ。 それは、相手がもともと暖かくない人なのかもしれないのだが、 付き合っていく内にそういう関係になってしまった二人の責任 でもあるのだろう。
従弟達がどのようないきさつで離婚に至ったのかは良く知らな いが、子供たちの目に映っていた両親のイメージが、少しでも 和らいでいくことを期待する。 協議離婚なんだからさぁ。 わたしの親みたいに、女房子供を捨てていった父親の籍から、 わたし達を抜いたっていうような離婚とは違うのだから。
両親の顔色を見る子供にはさせないでくれ君の子供は(市屋千鶴)
いやあ、まいった。
昨夜は夜中の1時過ぎに帰るコールがあって、夫が実際に帰っ てきたのは、1時40分だった。 それからご飯を食べさせて寝ようとしたのだが、あろうことか 夫は「お尻が痛い」と言って眠れずにいる。 おまけに、じっとしていても痛いし、うんうんと唸るばかり。
昨夜帰って来てからわたしと相談し、今日にはちゃんと医者に 行く予定でいたのだが、もう痛くて我慢ができなかったらしい。
「救急車を呼んでくれ〜!」と唸る夫。 「お尻が痛いって、救急なの?」と問い返す妻。 「だって、どうやって夜中にお尻を見てくれる医者を探すんだよ。」 「確かにそううかも知れんね。電話してみるか。」
そうしてわたしは、119番に電話したのだった。 「あのぉ、お尻が痛くて眠れないらしいのですが、そんなこと でも来てもらえるんでしょうか?」 ああ、なんて間抜けな問いかけなんだろう。(T_T)
「大丈夫ですよ、すぐに伺いますからね。」 「夜中なので、サイレンは鳴らさないでお願いできますか?」 「じゃあ、近くまで出て誘導してくだされば、そこから鳴らさ ずに行きますから。」 「お願いします。」
わたしは痛がりながら転がったままの夫を置き去りにして、表 に出て救急車を待った。時間は3時半。 近くに消防署の分署があるので、そこから救急車がすぐ来た。 走ってアパートの入り口まで誘導したわたし。 部屋に入って、夫を起きあがらせ、「歩行可能です。」という 救急隊員さんの声を聞きながら戸締まりをして、一緒に救急車 に乗り込んだ。 夫は、体をくの字にして痛がったままだ。
何軒かの病院に電話をして、受入先を探す救急隊の方。 3軒目で受け入れ可能な病院にあたり、15分くらい走ったと ころで病院に着いた。
処置室で、痛み止めの座薬と軟膏を付けられて、30分くらい 経ったころ、わたしが処置室に呼ばれた。 「痛み止めが効いている内に帰って一度眠って、朝になったら 専門の医者に見てもらってくださいね。」 看護婦さんにそう説明を受けた。 病院から、タクシーで帰宅。午前5時だった。
8時過ぎに起きて、夫に身支度をさせて、専門の病院に送り出 し、わたしは出勤した。
11時前、夫からメール。 「診察終り。裂け痔でした。薬もらいました。」 すっかり、肩の力が抜けて笑いがこぼれた。(^o^)
コンピュータSEの、職業病なのか?「痔」
良かった、普通の「痔」で。(爆) 出血もしていないし、救急処置してくれたところでは、触診し ても特に何も触れないので、専門医に詳しく診てもらうように 言われていたから、少しだけ心配していたのだった。 ああ、日記に書かれちゃうなぁと言う夫に、病名がはっきりし たら書くかもねと言っていたので、書いている。(笑)
それにしても、あの痛がり様は何だったのだろうか。 昨日の昼、あまりに痛いので「ボラ○ノール」を買って、それ を使ったらしいが、それからずっと痛いらしかった。 もしかして、「ボラギ○ール」がしみてたなんてこと、ある?
今日は短歌は出来そうにない。 ああ、歌会の締め切り日なのになぁ。(T_T)
とにかく、ほっとしたわたし。
NIFTYの短歌フォーラム、今月のお題は「福笑い」。 締切りは1月10日、明日の24時だ。
福笑いといえば、子供の頃はけっこうやった覚えがある。 福笑いとか、双六とか、トランプとか。 あと、花札とか。(^^;
わたしの生家は、いわゆる本家というものにあたっていたので、 お正月にはさまざまなお客様が訪れた。 その中には当然父方のいとこ達もいて、わたし達姉妹の部屋に 子供たち用に炬燵をしつらえて、そこで遊んでいた。 昔は豆炭炬燵だったんだよね。 小学校を卒業する頃に、電気炬燵になったのだった。 その炬燵の上にみかんを乗せて、トランプなんかしていた。
だが、そのいとこ達が帰った後で、わたし達は母の実家に遊び にいくのだが、そちらの方が格段に楽しかった。 なぜだったのだろうか。
父方のいとこ達は、一同に集まるというようなことがあまりな かった。親達自体、全員集まるということができなかったから だろうと思う。 そしてその子供たちは、子供だけで遊びに来たりはしなかった からなのだろう。 なぜ、子供たちだけで遊びに来なかったのか。 父方の祖母がうるさいのを嫌がったからなのかもしれない。 子供にはあまり居心地のいい家ではなかったのだろう。
母の実家では、子供たちだけで何日も泊まって遊んでいた。 夏休みに至っては、1ヵ月間滞在して、その家の子供のように 過ごしていく従弟たちもいたほどだった。 わたしや姉だって、1週間とか平気で泊まり込み、彼らに宿題 を教えたりしていたのだ。 とにかく、居心地が良かった。 特別なことをしてくれる訳ではなく、洗濯やお昼ご飯なんかは 自分達でやったりして、ほんとうにそこの家の住人になったよ うな暮らし振りだった。
その母の実家も、今はもうない。 皆を分け隔てなく扱ってくれた伯母が一番先に亡くなった。 その後に伯父、そして祖母と、わたし達の面倒をみてくれた人 達が、次々に亡くなってしまった。 最初に亡くなった伯母の葬式には、本当に久しぶりにいとこ達 がみんな集まって、懐かしんだものだった。
福笑いも、双六も、トランプも、豆炭炬燵も、いろんなものを 失いながら、わたし達は育ったのだなぁと思った。 そして、失ったものたちの代わりに、たくさんの思いやりや、 懐かしい思い出を身に纏って育ったのだ。
今度の土曜日は、そんなわたし達の新年会。
新年の挨拶かわすそれぞれが大事な人と確認しつつ(市屋千鶴)
水曜日は思索の日か。 朝から頭の中では、さまざまな言葉が飛び交っていた。
今朝、わたしが見た夢は、なんともいえないものだった。
なぜか、夫とわたしともう一人の女性、たぶん従妹だと認識さ れる女性がいた。 ただその彼女を部屋に泊めてあげているのだが、どういう訳か 夫とその女性が同じ布団に入っていた。 別に悪さをしているのでもなく、悪気もなさそうなのだった。 しかしながら、わたしはその無神経さに腹を立て、その彼女を 突き飛ばし、夫の胸座をつかみ、夫にビンタしていた。 二人に対して泣きながら、大声で怒鳴っていた。 「この人が、わたしの一番大事な人だと知っていて、どうして そんなに無神経なことが出来るの?」と怒鳴っていた。
ふと、気が付くと、わたしは朝の布団の中にいた。 夢だと気づくが、夢の中で抱え込んでしまった怒りが、わたし の中にまだ残っているのがわかった。 夫がそんなことをする人ではないと、充分すぎるほどわかって いるはずなのに、そんな夢を見た自分が悲しかった。 無性に夫に申し訳ないと思ってしまった。 夫を見ると、気持ち良さそうに眠っていた。
この時間になって、落ち着いて考えてみると、あれはきっと、 夫自身ではなくて、わたしの思い出の中でその男性が夫という 立場を借りていただけなのだと思う。
思春期の頃、いとこ同士でほのかに恋心など芽生え始める頃に、 わたしはたぶん従妹と同じ従弟がお気に入りだったのだ。 わたし達は兄弟のように育ったから、夏休みの昼寝は雑魚寝だ ったりしていたけれど、その時の映像とかすかな嫉妬心が増幅 された形で夢に出たのだろう。 従弟は、昨年暮れに離婚し、昨日は従妹と電話で話した。 その影響だったのだろう。
そう、わたしの夫は、そんなに無神経なことはしない。 たとえ、わたしが無神経な大馬鹿者だとしても、夫はしない。 だからこそ、あんな夢を見てしまった自分が悲しかった。
重なって重なってまた重なってそうして夢は織り込まれゆく (市屋千鶴)
お正月の食生活の後遺症か、朝から少し胃が痛かった。 昨日、ずいぶんと気合を入れて入力もしたし、今日は午後から 出勤にしてもらったのだった。
ところが、胃痛で半休したわたしに、今日は新年会だと事務員 さんが告げた。 ええ〜〜〜っ、来週の火曜日じゃなかったの? 本気でそう思っていたわたしに、火曜とは言ったけど、14日 って言わなかったぞという社員のみなさん。
なんだよっ、飲めないじゃないかっ! 食べられないじゃないかっ!
それでも、誘蛾灯に誘われる蛾のように、若者たちに誘われて ふら〜りと新年会に参加してしまいそうなわたしなのだ。
新年会は、夫の事務所がある駅の反対側。 そう、歩いても帰ってこれるところなのだけが、安心を呼ぶ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 新年会は、ぼちぼちと始まった。 特別に挨拶などがあるのでもなく、なんとなくテーブルごとに 乾杯をして飲み始め食べ始めた。
まあ、一般的な居酒屋さんの新年会コースなんてあんなものな のかもしれないが、飲み放題のお酒が注文してから出てくるの が遅い。 たしかに、すぐに出してすぐに飲み干されて、それで980円 では割りが合わないのだろうが、それにしても遅かった。
別に、料理にも飲み物にも贅沢は言わないけど、一般的に許容 範囲に入ってくれていれば良いのだ。
それよりも大事なことは、そういう場でのコミュニケーション だろうと思う。
昨年は、全営業所を集めて新年会を開いたのだが、遠くから集 まるのも大変だからと、今年は営業所ごとに新年会をすること になった。だから、全部で14人だった。テーブルが二つ。 それでも、世代間というのは明確に出てしまうもので、知らず 知らずに若者たちのテーブルに顔を出してしまっている自分が せつなかった。(^^;
どうしても、若い子が好きなんだよね。(^o^)わっはっは (ああ、若干酔っ払いです。)
どこまでも酔っ払ってる振りをして君のふところ飛び込みたいよ (市屋千鶴)
今日は、社長の娘さんが子供(社長の孫だね)を連れて挨拶に やってきた。 妊娠中から大事を取って会社は休んでいたし、産後も育児休暇 を取っているので、実に1年ぶりくらい。 生後七ヶ月の男の子だ。 彼女が会社に復帰するのかどうかはわからないが、今のところ すっかりお母さんらしくなっていた。
社長も、孫を見ればすっかりおじいちゃんの顔つきになってし まい、目尻は下がりっぱなしだ。(^o^) おじいちゃんに抱っこされると、うれしいらしくて上機嫌にな る。 これじゃあ、かわいくてしょうがないに決まっている。(^_^)
未消化の幸せを抱え込んだままで日常に戻ってみたが、そこに は変わらない日常が有った。 いつものようにFAXを整理し、鬼のようにデータを入力し、 電話で年始の挨拶を兼ねて用件を済ませ、変わらぬ日常だ。
ただひとつ、いつもと違ったのが、社長の孫だったのだ。
ああ、それから、めずらしく入力で1時間ばかり遅く残ってい たので、若い衆に会えたのがいつもと違う点か。(笑)
昨日は、大根と鶏肉を煮ていたのだが、おいしい煮汁が残って いるから、また大根を入れて煮ている。 だって、特別においしかったらしく、明日も大根を煮てくれと 夫がリクエストしたんだもん。(^o^) 安上がりの夫である。 その程度でべらぼうに誉めてもらえるわたしは幸せ者だろう。 それにしても、減塩醤油で煮物を作る我が家では、ほんとうに うす味である。
未消化の幸せは、日々の暮らしの中でじわじわと、自分の中に 吸収されていくのだろう。
少しずつ消化していく幸せは心の栄養 ややふとりぎみ(市屋千鶴)
昨日は、請求書作りとFAXの整理のために出勤していた。 夫は休みなので、ず〜〜〜〜っとぐ〜たらしている。 まあ、明日から、また夜中までの仕事の中に首まで浸かるのだ から、休みの間くらいはぐ〜たらさせておくべきか。
だけどね、1日が半日分しかないような気がして、とっても損 した気分になる。 別に何処に行きたい訳でもないし、何か特別なことをしたい訳 でもないのだが、なんだか未消化な感じがする。
やっぱり、お正月って、それらしいということが大事なようだ。 たとえ何日も休みが有ったって、それが何のための休みなのか って大事なんだと思う。 年末年始の休みは、新年を迎える準備と新年を祝うためのもの だと思っているから、何もしないでぐ〜たら過ごしたまま休み が終ろうとしている日になって、何をしてたんだろうというこ とになりかねない。
我が家は、いや、わたしは今そのような状態だ。 夫はそれなりに休みを満喫してるみたいなのだが、なぜに自分 だけが未消化な感じがするのだろうか。 わたしにとってのお正月らしさって何だったんだろうかと思う。
明日は、9時前に行かなくちゃならない。 年末の不始末(わたしのせいじゃないんだけどね)の尻拭いを しなければならないので。 夫は、本社というか自社ビルの開発センターで新年の挨拶があ るとかで、7時ごろに家を出る予定。
きっと、普通の生活に戻るのが嫌なのかもしれない。 毎日、夫と一緒に居すぎたかなぁ。(^^;
未消化の幸せ一つ抱え込み日々の暮らしを歩き始める(市屋千鶴)
昨日は、千葉名産落花生(もちろん殻付き)とビールを持って 姉の家に行った。
義兄は、駅勤務なので、一日おきに帰ってくる。 朝9時から翌朝の9時までという、24時間勤務。 したがって、昼頃には家に帰ることができる。 義兄は、早くお酒が飲みたくて、わたし達が行くのを首を長く して待っていた。(笑)
姉も、たくさん好物を作って待っていてくれた。 そういえば、初めて姉の家に夫を連れていったとき、焼き餃子 だったように思う。昨日は水餃子だった。 初めての家で、ずいぶんとたくさんに餃子を平らげてしまった 夫を憶えているからか、結構な数を作っておいてくれた。(^^;
姉の場合、野菜の中に含まれる「リン」が良くないということ で、野菜はとにかく一度茹でてその「リン」を流し出してから 調理するのだ。 餃子の中に入れる野菜たちも(生姜も含む)、みじん切りにし た後で茹でて、水気を絞ってから肉に混ぜるのだそうだ。 一年前は、そんなことを毎日やると言う生活に、とてつもなく ストレスを感じていて、十二指腸潰瘍になったんだよね。
みんなそろって、まずは、無事にお正月を迎えることが出来た ということを喜ぶ。 そして、夫が買っていった珍しいビールを回し飲みしながら、 わいわいとしゃべり、飲み、食べた。
大事な人が元気でいるということは、本当に幸せなことだ。 ほろ酔い加減で2時間の道のりを帰ってきたわたし達は、まだ まだずっと元気でいられるよね。
一年の長さを思う乾杯に合わすグラスの優しい響き(市屋千鶴)
今日は、昼から姉の家に行く。
とても気にかけていた人が戻ってきてくれたとき、人はどんな 反応をするのだろうか。
わたしにとっては、なんというか憧れと共に見守っていたい人。 わたしよりも後から短歌を始めたのだが、実にいい感性を持っ ている人で、その視点、捕え方、飛躍の仕方、どれをとっても 自分には絶対に出来そうにない歌を詠む人だ。 彼女の文章にもやっぱり彼女らしさがあって、短歌以外の文章 を読んでいても、感心したり、ぐっときたりすることが多い。
短歌を真剣に追い求めているというか、つきつめて考える人に は、短歌はかなり辛い文学といえるんではないか。 わたしのように、気楽になんでも歌にしてしまい、歌人なんて 呼ばれるのはまっぴらごめんだと思っているような人間は、歌 について追求するとかしない。 ただ、そこに共感するものがあるかどうかしか、考えないこと が多い。 だからこそ、すんなり読んでイメージが浮かび易い歌をと心が けたりもする。 歌だけでイメージできそうにないものには、すんなり文章をつ けてしまったりもする。 こんなこと考えて作りましたって。
だけど、真剣に短歌に向かい合っている人は、いつも辛いので はないかと思えて仕方ない。 気に入って歌を作れたときの喜びとか、気に入った歌に出会え たときの喜びとか、そういうもの以上にできなかったときの辛 さの方が大きくなってしまうのではないかと。 だからこそ、これはという歌に出会えたときの喜びも大きいの かもしれないのだが。
その人から学ぶことはいっぱい有るんだけど、学びたくないこ とはただ一つ、根を詰めすぎること。 生き急ぐというのではないが、生きている内に何かしておかな くてはと思う気持ちはわからないでもない。 だから、力いっぱい進んでしまうのだろう。 お願いだから力を抜いてと、ちょうどいいタイミングで言うこ とが出来ずに、少し遅れてただ見守るしかなかったわたし。 彼女の歌を目にすることが出来るのがとてもうれしくて、ただ の一ファンになっていることが多い。
わたしの姉のように、先が有るようで見えない生活をしている 場合は、今の内に何かをしておかなくてはという意識よりも、 まず今を生き抜くことが大事だと考えるようだ。
いつ命が終ってしまうかもしれないから、無理をしてでも何か をしておくのではなく、姉にとってはとにかく生きていること が最優先なのだろう。 少しでも生きていられる間は、生きていること。 それが姉の今の課題なのだろうと思う。 姉本人だけでなく、義兄や姪や甥、身内のみんなにとっても、 とにかく生きていてくれることが大事なのだ。
いやね、別段、今すぐどうのこうのという状態で毎日暮らして わけではないし、おなかが痛いといって救急車で運ばれたりし ていても、入院するほどではなかったし。(^^;
そんな人間を身近に持っていると、自分までとにかく少しでも 夫と一緒に生きていられるようにと、それだけで満足してしま ったりする。 糖尿病をコントロールするのだって、夫よりもずっと先に命を 終らせてしまわないようにだし。
別に、わたしの場合、姉のように体が弱いとかいうことはなく、 同じ病気を抱えながら、食事制限はしているものの、普通に暮 らしていられるのだから、もう少しがんばってもいいんだろう と思うのだけどね。(^^;
肩の力、抜けっぱなしである。
いつまでも生きていられる訳じゃない 今生きている正月三日 (市屋千鶴) 昨年のお正月は、4日に姉が手術をしたのだった。
みなさん、あけましておめでとうございます。m(__)m 今年もどうぞよろしくお願いします。(^_^)
さて。 お正月風景というものは時代が変わればたしかに変わっていく ものだと、わかってはいても時々さびしくなることもある。 かく言うわたしも、変わってしまった一人ではあるのだけども。
昨年の暮れは東北地方や北海道はとても寒くて雪も多かったよ うに思う。 わたしが子供の頃は、お正月はいつも雪の中だった。 TVも民放は1局しかなかったので、大晦日は当然紅白歌合戦 を毎年見ていた。 紅白が終わると、「ゆく年くる年」を見ながら年越し蕎麦を食 べる。 時報と共に挨拶をしてから身支度(防寒対策と懐中電灯装備) をして、初詣に出かけた。 子供でも、起きていられたら一緒に出かけることができた。 初詣といってもどこか遠くまで出かけるわけではなく、村の中 のことだったから。
村には、上方、中ほど、下方と、たいてい3ヶ所くらい神社が 有る。それを上方から順番にお参りしていった。 お願いする内容はいつもどこでも同じ。
「元気で暮らせますように。 成績が上がりますように。 家族が仲良く暮らせますように。」
3つめのお願いは、一番切実だったのにかなわなかった。(;_;) 毎年、お願いしていたのにね。 それはまあ、いいとして。
そうやって村を行き来しているうちに、近所の人達と出会うの でしょっちゅう挨拶を交わす。 こんなときに同級生と会ったりするのは照れくさいもので、好 きな子に会ったときは特別照れくさいものだった。(笑) 年賀状より先に挨拶しちゃったぁ、なんて思った。
現在。 夫は地元の神様を大事にしようといって、結婚してからは近所 の神社に初詣にいくようにしてる。 2000年に引越してその翌年は、どこに初詣すればいいのか と近所を探して歩いた。 けっこう近くに近所に小さくて古めかしい神社が有ったので、 まずはそこでお参りした。 それからさらに足を伸ばして歩くと、近郷7か村の総鎮守とい う神社を発見して、またまたお参りしたのだった。
華々しさはなかったが、なんとなくうれしくなるような近所の 神社めぐりだった。 それ以来、さらに一ヵ所追加して、近所の神社を三ヵ所ばかり 回るようになっている。
今年は、まだ初詣に行っていない。今日、行く予定。 さらにその足で初買(?!)に出かけるつもりだ。 その前に、いただいた年賀状にお返事しなくては。 明日3日は姉の家に行く。 明後日4日は会社に行く。(請求書を作りにね。(T_T) )
お願いの数は2つに減りました元気で仲良く暮らせますよう (市屋千鶴)
そういえば、松島に行ったとき、瑞岩寺でも同じ内容でお参り したのだった。(笑)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今日の収穫。(初買の成果です。) ・電子辞書 ・CDラジカセ ・多用丼 ・レンジ対応フタ付き小鉢 結局、福袋とかは買いませんでした。(^O^)
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