鶴は千年、生活下手

2002年12月31日(火) 今年も、来年も

いつも、年末に二人で大掃除し、買物に出かけ、わたしがお節
を作る間ゲームなんかしてる夫を見ていたりするとき、ああ、
幸せだなぁと感じる。(^^;

夫にそう言ったらば、「わしのために働け〜っ。」と笑いなが
ら言った。
「わたしはあなたのために働くのでも尽くすのでもないよ。
 わたしがしたことで、あなたが喜んで幸せそうにしている
 のを見ていると、自分がうれしいし幸せだから、自分の為
 にしてるんだよ。」

そう答えると、夫は「ふ〜ん。」といって微笑んだ。

今年も幸せな年にしてくれてありがとう。
来年も、楽しく暮らそう。

夫への歌は、いつも甘くなってしまう。
だけど、それは作品ではなく、独白のようなものなので、仕方
がない。(^^;


日記を書き始めて、他の方のいろんな日記を読めて、良かった。
今月からは大人の日記も書いているし、パソコンに向かってい
り時間が確実に増えた。
来年は、新しいパソコンにしなければならない事態に遭遇する
のかどうか。
できればそうなる前に買い替えられるといいけど。(笑)


わたしの日記を読みに来てくださるみなさま。
いつもありがとうございます。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

 きんとんは甘さ控えめだけれども君への思いは甘さでいっぱい
                             (市屋千鶴)
今年は最後まで甘い歌。(笑)



2002年12月30日(月) 今年の最後の歌会で

 手の中に光りを包み込むような君の子供を育てたかった(市屋千鶴)

この歌を、28日の合評会で取り上げてもらった。
その時に出したコメント。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
遺す歌と考えたとき、その相手は夫しか考えませんでした。
おそらくは年下の夫よりも先に死んでしまうだろうわたしが、
夫に遺す言葉で感謝の気持ちの他には、きっと子供を持つこと
ができなかったという残念さや申し訳なさではないかと思った
のでした。
手の中に光りを包み込むような我が夫の血を引く子供であれば、
きっと育てていても暖かい気持ちでいられたのではないかなど
と思ったりしました。
この歌に、「でも幸せでした。」と続けて遺す言葉にしたいと
いました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

実際、歌会の幹事をしていて辛いなあと感じるのは、その月の
お題に納得していないときだ。
特に集計幹事(選歌とコメントを受け付けて集計する担当)と
しては、お題は自分で考えたものではない。
今月のお題は「遺す歌」。
誰かに遺したい歌とか、自分の作品としてこれはという歌とか
なのである。
そして、遺したい歌というときのその遺す相手は、大半が子供
にと考えるのだろう。
そのように、家族に向けて遺そうとする歌を、他人にとやかく
言われたいか。それが、わたしの意見だった。

選歌する方やコメントする方だって、その作者の個人的な思い
のとても強い歌を、どのような基準で選ぶのか迷うだろう。
わたしはそう思っていた。
が、考え様によっては、そのお題で作れないと思えば、自由題
にすれば良いのだし、選歌できないと思えばしなければ良い。

そう思い直して、歌会には題詠として最初に挙げた歌を、自由
題として、昨日の日記に挙げた歌を提出した。

 誰しもが未来を託す子を持って暮らしていると思うな友よ(市屋千鶴)

集計幹事にも、メールで歌が届いてくる。
そして、題詠の多くはやはり子供に遺す歌であったりする。
そんな歌たちを見ていて、どうしてもこの歌を出したくなった
のだった。
お題を出した幹事でさえ、遺す相手は子供だった。
そういう風に何かを託したくても託す相手(子供)のいない人
だってたくさんいるというのに、それを見ていなくはないかと
問うてみたくなったのだった。

また、子供を持てたとしても、自分の子供に未来を託せずにい
る人だっているだろう。
そういう人にとって、他人のそんな歌を目にすることがどんな
気持ちなのかを、少し知って欲しかった。

コメントも同様で、わたしの2つの歌に対して、子供を持って
いることを前提にしたコメントもあった。
子供を持たない夫婦の間で、遺す歌をいうのは、誰に対しての
ものなのか、そこまで考えが及んでいない。
独身の方のほうが、共感してくださる場合が多い。
結婚すれば子供が出来ると、当然のように思っている人(特に
男性に多いみたい)に、この時代、少しは考え直して欲しい。

子供を持てない、持たない夫婦の在り方を、少しだけ思考の中
にとどめておいて欲しいと、どうにもひがみ加減で暮らしてい
た今月だった。
ああ、なんだか、支離滅裂。

だけど、わたしはとても幸せだ。

 君が思う女の幸せなんてもの押し付けないであたしはあたし
                            (市屋千鶴)



2002年12月29日(日) 今日の作業

年賀状、作り終えましたさ、1時間で。
プリンタ君は、宛名と、差出人を印刷しただけという作業で、
またしばらくお休みするんだろうな。

印刷済みの年賀葉書を、何種類か選んで、宛先ごとに振分けて
宛名を印刷。
後は、まとめて差出人を印刷するだけなので、わりと簡単。
本当は、絵柄とか考えればあと1時間半くらいは余計にかかる
のだろうが、何しろ枚数がそんなにないので。(^^;

日中は、狭いアパートの掃除というか、片づけただけ。
雑誌とか、カタログとか、本とかの整理が一番面倒だったな。
基本的に模様替えもしないし、それほど物も増えないし。
あっさりしたものだ。

夕方近くになって、年賀葉書と、お供え餅とか、お飾りとかを
買いにいった。
一旦帰って、夫はパチンコ屋に預金しにいった。(T_T)
先日、パチンコ屋さんから降ろしてきた(笑)分を、そっくり
預けてきてしまったらしい。
年賀状の印刷を終える頃に帰ってきた。(しょうがないなー)

さてと、きわみちゃんちのおばあちゃん猫が、だいぶ弱ってき
ているらしい。
夕べは、夜中におトイレから戻ってこれなくなって、飼い主を
呼んだのだとか。
ほんとに、すごいおばあちゃん猫なのだ。
彼女の最期はどうか安らかに、そう思わずにいられない。
若い頃、といってもほんの数年前までは、毛並みがきれいだっ
たんだけどね。

田舎で飼っていた猫たちは、みんな、いつのまにか何処かに行
ってってしまうのだった。
自分の次の世代が、その家で根づいたことを確認して安心して
去っていけるのだろう。この世からも。

次の世代、未来を託す子供たち。
それを持つものと持たないもの。

 誰しもが未来を託す子を持って暮らしていると思うな友よ(市屋千鶴)

これも、今月の歌会に出した歌だった。



2002年12月28日(土) 忘年会

今日は、忘年会。
年末の休みに入ってもまだまだ仕事をしているきわみちゃんを、
またもや柏まで誘い出して、忘年会。
だって、またしゃぶしゃぶがいいってきわみちゃんが。

帰りがやや遅くなった。

今日はニフティ短歌フォーラムの歌会合評会だった。
チャットで今月の歌会の歌を相互批評する。
23時からなのに、少し遅れて参加した。

だけど、わたしは24時を過ぎると眠くなってしまう人間だ。
ついさっき、途中で失礼してきてしまった。

この日記も、睡魔と闘いながら・・・・ZZZZZZZZ

今月の歌会のお題は「遺す歌」。
なんて難しいお題だぁ、と思いながら、なんとか1首。

 手の中に光りを包み込むような君の子供を育てたかった(市屋千鶴)

この歌に「でも幸せでした。」と続けて、夫に遺す言葉にする
のだろうと思った。



2002年12月27日(金) それぞれの年末

今年もあと5日。
それぞれの家庭に、それぞれの年末がある。

7年前まで、叔母は肉屋をやっていた。
肉屋も暮れには大忙しなのだった。
上京してから、ほとんど毎年のように、年末には叔母の肉屋を
手伝っていた。もう一人の叔母と姉とわたしと従姉妹達。
店員さんが4、5人増える。

お正月には来客があって、すき焼きやしゃぶしゃぶをするとい
うところが多いらしく、そのための肉を「○○日に行くから、
用意しといて。」、というお客さんがけっこう多かった。
29日からの3日間は、そういう予約のお客さんの品物を揃え
るために、始発電車に乗って叔母の所まで行き、6時半くらい
から用意するのだった。
二人一組になって、予約の品物を揃えるものと他の準備をする
ものとに別れて作業するのだ。
お客さんが来始める10時くらいまでには終わらせておく。

店頭には、さまざまな商品がならんでいた。
毎年、手伝いの最初の日は値段を覚え直すことから始まった。
とはいっても、たいていは値段に変わりはないのだが。

隣は魚屋さんで、威勢のいいお兄さんが「いらっしゃいませ」
の声を上げ、それと張り合うように、こちらも声を上げる。
お兄さんはいつも同じ人だが、こちらは入れ替わり立ち代わり
声の主が替わるのだから、「勘弁してくださいよぉ、声枯れち
ゃったんすから。」などと弱音を吐かれた。
隣に買い物に行くと、サービスしてくれたりした。(笑)

肉屋のある商店街は、平日なら午後3時から、休日には午後1
時から、車両通行止めになっていた。
そうすると、一気に店先が張り出して、賑わいが増すのだった。

早朝から丸々1日、昼食の時にほんの5分ほど腰掛けるだけで、
ずっと立ちっぱなしで駆けずり回っているような状態が、毎年
3日間続いた。
当然、自分の家のお正月の用意などは、手付かずだった。
大掃除は夫達の役目で、買い出しもお願いすることになる。
お節料理だけは、31日に帰ってから作れるものだけ作るのだ
った。あとは叔母が詰め合わせのようなものを持たせてくれた。

1日が長いような短いような暮れの3日間。
そのころは、わたしは普段は机やパソコンに向かって仕事をし
ていたが、叔母の店で「いらっしゃいませ」と声を張り上げ、
大声で笑いながらお客さんと話をし、「元気があっていいねぇ。」
などと言われてうれしくなったりしていた。

エプロンの下には、ちゃんと綿入りのちゃんちゃんこを着て、
腰にはカイロを付けて、ジーパンの下にはズボン下やタイツを
はいて、寒さ対策をしていた。
もこもこで帽子をかぶってエプロンをした、どこか似ている女
達が4、5人集まっている様子は、なんだか微笑ましかった。
姉の子供達も、大きくなるにつけ手伝うようになっていた。
常連のお客さんは、女達が血縁だということを知っていて声を
かけてくれた。
わたし達の仲の良さは、この肉屋が有ってこそだったのだろう
とも思のだ。

 どれもみなどこか似ている女達笑い声さえコーラスになる(市屋千鶴)

その後、叔母達は肉屋をやめた。
わたしたち従姉妹4人は、ごく一般的な年の暮れを迎えるよう
になった。
肉屋に来ていたお客さんのように、29日から買い物をして、
おせちを作る。
夫と結婚してからお節料理を作りはじめたのは、それまでに何
もできなかったその反動かもしれない。
まあ、大した物は作れないし、きんとんとか、お煮しめとか、
田作りとか、煮豚とか、紅白なますとかだけど。
その甲斐有って、カロリー制限や塩分制限のための手作りお節
も、なんとか作れるのだった。
出来合いの煮物とか、味が濃すぎて食べられなくなっていてね。
きんとんも、砂糖は少な目に作っているから、照りが少ないし。
紅白なますだって、いやに酸っぱいよ。(爆)

わたし達を繋ぐ絆は、血ではなく思いやりなのだと思う。
なぜなら、父方の血の繋がりは皆無に等しいから。
母方の絆は思いやりで作られていると思う年の暮れである。

 懐かしき絆を思う年の暮れ血は水よりも濃いとはいうが(市屋千鶴)



2002年12月26日(木)

松島で撮った写真を、現像してもらった。
使いきりカメラで撮ったのだけど、半分くらいは情けないほど
の出来栄えだった。
最近、旅行に出かけるときは、いつもデジカメだったり、他の
メンバーに撮ってもらったりだったからなぁ。
普通のカメラの取り方なんて、忘れてしまったらしい。
なにしろ、フラッシュを焚くのを忘れてるのだからねぇ。
暗い写真や、ぼやーっとした写真が何枚かあった。
う〜〜ん、残念なのは、ラッコのぬいぐるみの横でわたしを、
ペンギンのぬいぐるみの横で夫を撮った写真がうすぼんやりし
ていること。
面白い写真なのになぁ。(;_;)
まあ、これもひとつの思い出ってことだ。

こうして考えると、写り具合を確認して撮影するデジカメって
わたしのようなものには向いているのだなぁと、妙に感心。

ここは一つ、新しいデジカメ購入を検討しなくては。
今のは、本体が結構重いと感じるようになってしまったことと、
AC電源のコードが接触不良を起こすという問題点があるのだ。

よしっ!
年末年始の休みに入ったら、デジカメを買いに走るぞーっ!

しかし、この考えは逃避かもしれない。
年末の大掃除からのね。(笑)
おせち料理は、自分のためにも手作りなのだけど、大掃除が。
もともと、かなりのぐーたらものだし、座ってパソコンを開い
てしまうと動かなくなってしまうし、テレビっ子だし。

それもこれも、子供がいなくて、両方の親もいないという気楽
な環境だからかねぇ。(^^;  深く反省すべきか。

考え始めるといろんなことを考えてしまって、取り止めが無く
なるから、物事をあまり深く考えないようにしている。
物思いに囚われてしまいそうになるから。(冬は特にそうだ。)

 君と過ごす七度目のお正月に向けおせち料理のおさらいをする
                             (市屋千鶴)



2002年12月25日(水) 松島紀行3

クリスマスだと言うのに、松島紀行を書いているわたし。
いいのだよ、うちはクリスチャンではないのだからね。(笑)

12月22日。
瑞岩寺へと向かったわたし達は、入り口ですぐに、有料で観光
案内はいかがですかと声をかけられた。
3人までは1800円。
瑞岩寺には、説明書きがないのだ。
それを一つ一つ説明して、大体30分くらいで、このお値段。
最初は高いなぁと思ったのだけど、実際に説明をしてもらって
終った頃には、よかったと思っていた。
金額については高いのか安いのかわからないのだが、説明なし
で見て歩いたら絶対知らないで終ってしまうことが、いくつも
有った。
小学校のときに修学旅行で瑞岩寺に来たはずなのに、全く何も
覚えていなかった。
初めて訪れる夫と同じくらいの知識しかないわたしだった。(笑)

瑞岩寺は、伊達政宗公が建立したのだが、お寺と言うよりも、
お城の機能を備えた屋敷なのだった。
門構えや、建物の作り、位置関係。知らないことがいっぱい。
説明してもらって、本当に面白かった。

瑞岩寺を出て、お土産物屋さんがたくさん並んでいるところを
通って、五大堂に行った。
五大堂までは、道路から小さい橋を3つ渡る。
2つめと3つめの橋は、横木に板を渡している作りだから、板
の間から水面が見える。
高い所が苦手なわたしは、なるべく下を見ずにさっさと渡った。
瑞岩寺と同じ頃に作られた五大堂。
瑞岩寺も五大堂も、紀州から木材を運ばせて建造されたとか。

オルゴール博物館とか、伊達政宗歴史館とか、他にも有ったが、
瑞岩寺、五大堂を見て、昼食とした。
お昼を食べたら、お土産物屋さんを見比べて歩いた。
夫は、「笹かまちゃん」というマスコットを見つけて、ぜひと
もきわみちゃんにお土産にすると言い、購入した。(笑)
かわいいんだよ、笹かまちゃん。背中に笹をしょってるのさ。

仙石線、松島海岸駅を13時19分の各駅で仙台まで約40分。
仙台では、お茶を飲んだり、お土産を見たり、仙台でまでヨド
バシカメラに立ち寄ってみたり。(笑)
そんな時間があるのなら、松島で遊覧船に乗るものなのだろう
か、普通は。
仙台駅を16時43分発のMAXやまびこ(オール2階建て)
で帰京した。

わたしが、12月に旅行に行きたいと言ったことに、付き合っ
てくれた夫に、ありがとうと何度も言った。
夫は、どうやらペンギン君の思い出が気に入っているみたいな
ので、水族館に寄ってよかったと思っている。
それと、宿泊先がとてもよかったと言ってくれているので、選
んだわたしもうれしかった。

ただひとつ、1日目にわたしの会社から電話がかかってこなか
ったら、もっと楽しめたかもしれないが。

ちなみに、暖かな準備の中の、帽子とマフラーと手袋は使わず
にすんでしまった。
持ってこなければ良かったねというわたしに、夫は、持ってな
ければお天気が悪くなったらどうしようって心配しなくちゃな
らないから、持っていて良かったんだよと言った。

わたしは、夫がそういう人だから結婚したのだった。

 ゆるやかに削られていく島々の今の姿は今だけのもの(市屋千鶴)



2002年12月24日(火) 松島紀行2

宿泊先のホテルは、とてもきれいだった。
部屋に案内されると、そこは和洋室で、定員5名の部屋だった。
二人では勿体無いくらい広かった。
夫曰く、「初めてちゃんとしたとこに泊まる気分。」(^^;

たしかに、結婚した翌年1月に箱根に行ったときは、急だった
しとりあえず空いてるところをと予約したので、食事はよかっ
たのだが、部屋がいまいちだった。

夫の会社の社員旅行だって何人かでの相部屋だし、親戚の旅行
に至っては、男部屋、女部屋っていう仕切りだし、予算も切り
つめていたから、そんなにいい部屋ではなかったのだ。

夫は(当然わたしもだけど)、部屋の眺めにも大喜びだった。
松島のいいところを見渡せる部屋だもの。
ホテルだから、和室でお布団を敷くときだけ客室係が部屋に入
るようになっているそうで、部屋には緑茶、烏龍茶、コーヒー
などが用意されており、同じフロアにある製氷機から氷をもら
ってくれば、部屋でおいしいお水で水割りなどが楽しめる。
有料なのは、お酒などの冷たい飲み物だけだった。

夕食までの数時間、二人でゆっくりとお茶を飲みながら、眺め
を楽しんだ。
お茶を飲みながら、夫は、「このくらいの広さが有れば、二人
で充分暮らせる広さだね。」と言っていた。
たしかに、これで、洋室と和室に仕切りが有って、台所が有れ
ば二人には充分かもしれない。いわゆる2DKってことだね。

夕食は、和風海鮮バイキング。(わーい!)
一度にたくさんは持ってこないで、少しずつ一通りのメニュー
を食べてみる。気に入ったものを何回かお代わりする。
この方法で、すっかり満足いくまで食べたわたし達。
鮪のほほ肉(かぶと焼きの)と、牛タンの塩焼きがおいしくて
最後の締めは牛タン定食風になっていた。(笑)
お寿司も、お刺し身も、たくさん種類のある小鉢も、焼き物も
煮物も、蒸し物も、揚げ物も、ほんとにおいしかった。
この旅行の間だけは、食事制限のことを忘れようと思っていた。
デザートコーナーに、果物に混じって、「ずんだ餅」があった。
いや、これはお菓子扱いしてはいかんぞと思いつつ、2個食す。
夫は小さいケーキを3個食べていた。

すっかり満腹になったわたし達は、部屋でお風呂に入り、数少
ないテレビ番組から面白そうなものを選び、のんびりした後は、
12時前には眠っていた。


一夜明けて、12月22日。
ホテルは天然温泉では無かったが、大浴場からも海が見渡せた。
二人とも、近視なので、メガネを外して入浴すると、風景など
見えないのだけどね。(^^;
それに、お風呂を楽しみたかったら、温泉に行く。
それも、女友達と行く。
なぜなら、夫婦だけで行くと、お風呂の時間は一人ずつなので、
一人で大きなお風呂に入っていても、つまんないんだよね。
それに、肉体的なコンプレックス(言えないけど)があって、
一人で大勢の中に入っていくのは、すごく決心が必要だ。
友達と一緒なら、なんとかなるのだけどね。

そんなわけで、朝日を見ながら入浴しようと、コンタクトを入
れて大浴場にいったものの、たくさんの先客がいたために、眺
めを確認しただけで、すごすごと帰ってきてしまったわたし。
眺めは部屋からの方が、ずっとよかったのだ。

朝食は、洋風バイキングだった。
7階の、海を見渡せるレストランでの朝食は、また格別だった。
なにしろ、雲一つないいいお天気だったのだから。
朝日が昇る時間にはまだまだ雲が有ったのだが、朝食の時間ま
でにはすっかり晴れ渡っていた。

チェックアウトしてから、ラウンジでコーヒーを飲み、帰りは
送迎バスだねと決めた通り、送迎バスで瑞岩寺に向かった。

 いつだってわたしが先に眠るのは悲しい夢を見たくないから
                            (市屋千鶴)



2002年12月23日(月) 松島紀行1

行ってきました、松島まで。
何日かに分けて、日記にします。

往も帰りもグリーン車って、ちょっと贅沢な感じでよかった。
なにより、ひろびろしていて、寝るにも寝やすい。

往路、12月21日。
上野を10時22分発のMAXやまびこ(オール2階だて)で
まずは仙台まで。
仙台で仙石線(仙台〜石巻)の特別快速電車で約20分、松島
海岸駅に着いた。
あいにくの曇り空だったが、それほど寒くはなかった。
それもこれも、「遠赤外線あったかタイツ」とボンディングフ
リースのお陰だ。
昼食は、新幹線の中で朝食と昼食を兼ねて弁当を食べたため、
軽いものでいいねと相談し、松島水族館(マリンピア松島)に。

場内は、寒いお天気のせいか、それほど混んでいなかった。
特に大きくて新しいとかいうことはなく、ラッコとマンボウが
有名な水族館。

入場してすぐに、広場になっていて、目の前がペンギンだらけ。
2つのブロックに分かれていたのだが、大型のペンギンたちの
水槽を見て、びっくりした。
普通の水族館で見るペンギンは、泳いでいるというとスイスイ
と格好よく泳いでいるものだ。
しかし、その大型のペンギン君たちときたら、プカプカと浮い
ているのだった。それも、水槽から外を観察するようにだ。
そして、そいつの正面に回って、にらめっこしたその瞬間に、
そいつは「フン」をした。(笑)

それだけでも、びっくりしたのに、他の数匹も水の中に入って
来たかと思うと、どうやらわたしの方に皆が寄ってくるようだ。
夫と二人に、寄ってくるのかと思ったが、夫と離れてみると、
わたしの方に皆寄ってくるのだ。
プカプカと浮いたペンギンが3〜4匹、水槽からじっとこちら
を見ているという図は、どう考えても普通じゃないよね。
夫は、それ以来、ずっと思い出しては笑いっぱなしだ。(T_T)

アシカは芸達者だったし、館内でラッコの餌やりの時間に遭遇
することができたので、ぐるぐる回りながら貝やイカをムシャ
ムシャと食べるのを見ることが出来た。
両手(両方の前足)を差し出して飼育係さんから貝をもらって
いる姿は、べらぼうにかわいいし、1匹は陸に置いた貝を右の
前足できゅっと引き寄せては潜りながら回転していた。
この子(笑)は、わたし達の目の前で食べてくれたので、長い
ことその愛らしい様子を堪能することが出来た。

イロワケイルカ、通称パンダイルカも、横からと上から見るこ
とができた。やっぱりイルカはかわいい。
ガラスのパンダイルカをきわみちゃんのとお揃いで購入した。

マンボウは、デカかった。怖いくらいデカかった。びっくり。
でも、もっと広いところで泳ぎたいのだろうなとも思った。
マンボウは速く泳げないし、方向転換もゆっくりだから、水槽
にぶつかっても、たぶんそんなに痛くはないのだろうが、向き
を変えるまでにずっと水槽に当たりっぱなしなのがかわいそう
だと思った。じっと丸い大きな目で水槽の外を見ながら、向き
を変えられずに、水槽に下唇を押し当てている様は、長い間見
ていることが出来なかった。

いろんな水槽を見て、広場に戻り、夫は牡蠣を、わたしは帆立
を食べた。
だんだんと寒さが増してきたので、ホテルに向かうことにした
のだが、距離は遠くないはずだと、歩いたのだった。
それが、間違いでねぇ。
宿泊するホテルは、山の上に有って、歩いて登る羽目になった。
寒さも吹っ飛んだねって、笑うわたし達。(笑)

そこは、とてもきれいなホテルだった。

 ひたむきに水槽を押すマンボウのくちびるだけが泣いている午後
                             (市屋千鶴)



2002年12月20日(金) うかれぽんち

どことなく、うかれぽんちな一日。
明日の準備を早くしたくてねぇ。

ニフティの短歌フォーラムでは、毎月歌会というものをやって
いるのだが、今月はわたしが幹事を務めている。
明日と明後日は居ませんからというお知らせをUPして、まず
は最初の準備OK。

これから、明日の準備、第2弾に着手するさっ。

きわみちゃんに、お土産は何がいい?とメールしたら、返事は
「白松が最中:胡麻餡、白餡各一個、
 白松が羊羹:おいしそうなやつ」
だった。  おいしんだよね、あれ。
さすが地元出身だ、細かい指定、ありがとう。
うち用のも買ってくるさっ。

この冬のさなかに、松島なんて、何が楽しいのだろうか。(笑)
食べ物につられていくんだけど、あとは新幹線のグリーン車に
乗りたいから。(これはわたしだけ。)
夫は、きっとわたしの楽しみに付き合っているだけかもしれな
いが、わたしが喜ぶのが夫の喜びだと確信して、連れて行く。
たぶん、最初から最後まで、わたしが連れて行くという形式の
ままだろうと思う。
わたしが一緒だと、電車の時間やら何やらはみんなわたし任せ
になるから。
きっと、新幹線の中で爆睡し、夕食の後も爆睡するんだろうな。
毎日、夜中まで仕事している夫に、休息になればいいのだが、
それは、わたしの心がけ次第ということか。

 かたわらに君の寝息を確かめて車窓の冬をつかまえに行く
                         (市屋千鶴)

それでは、みなさん、いってきます。



2002年12月19日(木) まだ間に合うのか

昨日、夫は久しぶりに日付が変わらない内に帰ってきた。
ゲームソフトを購入してきた。
夫も年末に向けての対策か。(笑)
ちょっと古いのだが、「ICO」という脱出ゲームだ。
先日の「打ちまくる」ものとは対照的に、静かに面白いらしい。
が、静かなだけに眠くなったりもするらしい。(爆)

昨日の買物の成果を夫に見せると、ずいぶんと用意したねって
笑われた。(あんたのためだってば。)
新しいニットの帽子を被ってみせると、ヘルメットみたいだと
またまた笑われた。
本人はいたって可愛らしく被ったつもりだったのだが・・・


間に合うのか、年賀状。
実は、まだ買ってもいない。
我が家のプリンタは、ここ何年も年末しか稼動していない。
それだと、インクがね目詰まりしてしまうので、毎年インクを
買い換えるところから始めなければならない。
インクを買うのと、印刷済みの年賀状を買って手書きするのと、
どっちがお得なのだいったい。
プリンタも速くて静かなやつがいいな、今度は。

年賀状の枚数も30枚くらいと少ないし、手書きでも全く問題
ないのだよ、実際。
印刷済みの年賀葉書で、いいのがあればそれでいいかななんて
久しぶりに手書きしてみようと思っている。

が、宛名もパソコンで印刷していたので、住所はパソコンの中
なのだった。
いやはや、パソコン無しでは書けないのか、年賀状。

 手書きする君の名前とあの人の名前とそれからそれからそれから
                             (市屋千鶴)



2002年12月18日(水) 暖かな準備

今日は定休日なので、買物に行ってきた。
といっても、二駅先まで。
ショッピングセンターでいろんな物を見て歩いた。

しかし、今週末のことが念頭にあるもんだから、目に付くもの
はどれも「あたたか」なもの。(笑)

ニットの帽子(自分の分と夫の分)、遠赤あったか靴下(これ
も二人分)、遠赤あったかタイツ(またしても二人分)。
さらにおまけに、イトー○○○ドーのボンディングフリースの
ジャケット二人分。これは紳士用で同サイズを色違いで購入。
婦人用のLでは、肩幅がまず足りないので、一応LLなんだけ
ど(やせてもまだLLなわたし(^^; )、それだとどうしても
丈が短いような気がする。
そりゃあ胴が長いんだろう、って言う意見もあるけどさ。(笑)
だから、その手のものは紳士用のLサイズにしている。
これが夫と同じサイズ。
便利なんだけど、そこはかとなく、かなしいような。(^^;
てことで、同サイズ色違いにしたんだけど、どっちの色も楽し
めて、そういう意味ではお得なわたし達。

いや、タイツはさすがに共用しないよ、靴下も。(爆)
帽子はデザインを気にしなければ共用できる。
夫の洋服のサイズは、今はLとLLの中間くらいなんだと思う。
これで、寒さ対策はばっちりかなぁ。
まてよ。
分厚い靴下がはける靴じゃないといかんのよねぇ。
そいつぁ、また別問題かもしれん。ひゃーっ。

バスを降りて見上げた空には、ほんの少し満月に足りない月が
輝いていた。
ふっと思い出した、数年前の歌。

 満月に少し足りないこの月に一歩進めぬ君を重ねる(市屋千鶴)

さてと、今日は鍋。今日もだったりして。(笑)



2002年12月17日(火) リズミカル

一段落したはずの夫の仕事、まだまだ忙しいことには変わりは
ないらしい。
昨日も1時半ごろだったらしい。
らしいというのは、寝ちゃってたから。(夫よ、すまん。)
こちらに引っ越してきてからは、12時になると眠くなってし
まうという、べらぼうに健康的な生活をしている。
それが、この何日か、1時半とか2時とかに寝ていたもんだか
ら、なんかやっぱり12時過ぎると眠くなてしまう。(T_T)

朝だって、目覚ましよりも先に目が覚めるのさ。
年齢と共になのかなぁ、こういう生活リズムって。
年末年始のお休みまでに購入しておきたいもの。ゲームソフト。
だけど、そのゲームをやりたかったらゲーム機本体も買わなく
ちゃならないの。そこが辛いとこだけどなぁ。
さあ、もう1週間くらい、悩もうっと。

キーボードを打っているとき、調子がいいとすごくリズミカル。
とくに、思い付いたままに何か書いているときは、とっても。
あとで校正することは当然必要だけど。

本日、会社のパソコン君が復活した。\(^o^)/
やっと、大きな字で入力できるよ。(笑)
なんといっても、自分の机の上に有るのはやっぱり便利なもの。
わざわざデータを入れるためにせきを移動するなんて、銀行に
入社したてのころくらいだったし。
それでも一人一台という訳にはいかないのは、しょうがない。

わたしが入力している音を聞いていると、いつもすごいねって
言われてしまう。
何がすごいって、キーボードが壊れそうなとこか?
が、データ入力の場合、ほとんど数字入力だから簡単なんだけ
どね。
だけど、普段パソコンなんて滅多に使わない我が社の若者にと
っては、不思議なものを見るような感じらしい。(笑)

ブラインドタッチとかが出来る訳ではなく、ローマ字入力が速
いっていうだけなんだけど。
これも長年のプログラマー生活の賜物だと思う。
プログラムって、基本的にアルファベットだったからね。
コメントなどを入れるときは日本語を使うが、本文は英数字が
基本なので、すっかりローマ字入力だ。

今日もわたしはリズミカルにキーボードを打って、日記を書い
ている。

 パソコンに向かう背中のその先でカチカチテンテン話をしてる
                            (市屋千鶴)



2002年12月16日(月) 寒さ対策

寒くなってから、ずっと1日1個ずつ、林檎を食べていたが、
その間はとても調子が良かった。
最近、林檎を食べていないなぁ。(いまいちな大腸具合。)

昨日、ケーブルTVの天気予報チャンネルで、今週末の仙台の
お天気を見た。
ピンポイント予報とかいうもので、リクエストに答えて予報し
てくれるのだ。
それによると、曇り時々晴れというまずまずのお天気なのだが、
如何せん気温が・・・・・
最高気温が、4度〜6度とからしい。最低気温は0度だった。

う〜〜ん。寒がりな夫のために、スキータイツがあるのだが、
それだけでは足りないのではないかと不安になる。
スキータイツって、結構あったかいよね。
それの上にさらにズボン下を履きたいって言いそうな夫。(^^;
まあ、行きは日中に到着するから、スキータイツだけでいい?
いや、わたしも厚手のタイツ履いてくけどさ。
北海道から横浜に来るのに、何を着ていけばいいのかしらと、
悩んで来られた方もいれば、仙台あたりですら何を着ていけば
いいのか大迷いしている夫婦もいる。

今日は15度くらいあったんじゃないかなぁ。
今日と比べて10度違うのかぁ。
って、10度違うってどうものなのか、わかんないんだけどね。

ほんと、旅行するときの着るものって悩みの種だよね。
むくむく着込まないで暖かくするには・・・・・
脂肪をつければいい? (゚O゚)☆\(^^;)バキッ

 君の手のぬくもりはもう冬用の温度設定 吾を包んで(市屋千鶴)



2002年12月15日(日)

11月29日に、採血して検査した結果を、金曜日に受取った。
長期間の血糖値の状態を示す数値は、見事に基準値内。
尿糖も尿蛋白も出ていないしすこぶる順調だと、ハンサムで声
の素敵なお医者さんはニコニコして言うのだった。
いやぁ、ほんと、ハンサムな男性にニコニコされると、特別な
感情など持っていなくてもうれしいものだ。
腎臓の数値は少し上がっていたけれど、気にしすぎることはな
いからと言われ、これまで通りに塩分にも気を付けるように、
年末年始にかけて暴飲暴食しないように、羽目を外しすぎない
ように、と、まるで卒業旅行に行く子供に注意する親のような
口調で注意された。(たとえが変?)

いつも、検査したり、結果を聞いたり、お医者さんに行った後
は、ちょっと食べ過ぎるわたし。
結果が悪ければ気を付けるのだろうが、順調だからとその週末
は好きなものを食べたりする。
今週は、夫も居ないので、そんなに食べないけどね。
ああ、でも、むき栗とか、けっこうお菓子を食べたぁ〜〜。


さてと、
一度文字にしてしまったものは、消すことが出来ない。
削除機能を使って上辺は消してしまっても、それを書いたとい
う事実と、それを読んだ人の頭の中に刻まれた言葉は、消すこ
とができない。

はしゃぎすぎる自分に手を焼いてしまうことは、これまでの短
かくはない人生の中で何度も味わってきたことなのに、それで
もまだわたしは、はしゃぎすぎて失敗する。
まあ、回数は減っては来ているけれどね。
リアルな世界では、はしゃぎすぎてもその場で収拾がつくこと
もあるのだが、この世界ではそれがむずかしいのだった。

兎にも角にも、「送信」ボタンや「書込み」ボタンや「WRITE」
ボタンをクリックする前に、その場に相応しい内容かどうかを
きちんと考え直すことを、わたしはもう一度肝に銘じなければ
ならない。
自分の日記とも自分の掲示板とも違う別の世界では、もっと慎
重にならなければならないと、更に肝に銘じなければならない。
特に、相手のことが大事であればなおのこと、その時の、その
場の相手の気持ちを慮らねばならなかった。

シャルロット・チャーチの歌声を聞きながら、目下、反省中。
(一昨日から反省してるんだけどね。)

 場の空気が読めない女は嫌いだと言ってるあたしがほんとは嫌い
                             (市屋千鶴)



2002年12月14日(土) 今週末も仕事

夫は、またもや、今日も明日も仕事だ。
コンピュータSEなんて、就業時間が有って無いようなものだ
と思っているから、しょうがないかなぁ。

大変だねぇと言うと、3連休にちゃんと休めるようにだよと。
その後、いや、今が一番大事な時期なんだよ、と言った。
出だしが肝心なのはわかってるけどね。
今日も、明日も午後から事務所に行くのだから、そこそこ睡眠
時間が確保できているのが、まだましかも。

普通は、ピークの時期があれば、緩くなる時期もあるんだけど、
今年はGW明けからずっと帰りが遅いままだ。
その遅い中でのピークが7月と、今ということなのかしら。
お正月は、どれだけ休めるのか。
まあ、会社に行くと言っても、自転車に乗れば15分だから、
気軽に休日でも出て行けるのだろう。

わたしはといえば、おなか痛いし、今日はちょっとだけピンチ
な感じなので、気を抜くことにした。

仕事で大忙しの毎日を送っているみなさんに比べれば、わたし
なんか実にのんびりと暮らしているように見えると思う。
それは、自分で自分の生活に納得できるように考えて選んだこ
とだし、他人と比べてどうだとは思わない。

子供もいないし、仕事も出来るのになぜ仕事しないのか。
それは自分の性格に問題が有るからなんだよね。
仕事をばりばりしていると、自分自身余裕が無くなってしまう。
夫に向き合うときに余裕が無くなってしまう。
それが自分で嫌なのだ。
夫のためにフルタイムの仕事をしないわけではなく、余裕の無
い自分自身が嫌だからフルタイムの仕事をしないのだ。
夫の前では笑顔でいたいという強い願望の故だ。

そして、それほどまでしてやりたいという仕事を持っていた訳
でもない。
35歳を過ぎてからのSEは、ほんとに好きでないと務まらな
いと思っているし、いやいややっていては会社にも取引先にも
迷惑をかけるし。
わたしにとっては、生活のためでなければやっていない仕事だ。

いや、今日はあまり考えるのは辞めよう。
いくら考えても、暗い考えや反抗的な考えしか浮かばないから。

 目の前にぶら下がってる獲物にも手は出さないと決めた冬晴れ
                             (市屋千鶴)



2002年12月13日(金) いらだつまなこ

会社でわたしが使っていたパソコンのハードディスクが壊れて
修理に出してから、もうずいぶん経つのだが、未だにわたしの
机には、ディスプレイとキーボードとマウスしか、無い。

わたしの仕事の7割はパソコン仕事なので、1台減るというこ
とは、暇なんだよね〜。
実際、入力したりする量が減っているこの時期だから、確かに
暇なことは暇なんだけども、手の空いたときに入力しておこう
とかいう暇つぶし的な作業ができない。
他の事務員さんと競合しちゃうもんね。

おまけに、共用しているパソコンは、特別なシステムを入れて
いるために、画面設定が小さい。
こんな年寄りばかり(笑)の内勤者相手に、こんなちっちゃい
字の画面見せて、どうすんだぁ。
わたしは強く主張するよ。(みんなのためだから。)

わたしは、外出するときはコンタクトレンズなのだが、会社で
は暖房の中でパソコンを見つめるのでメガネでいることが多い。
メガネだと、矯正できる限界というものがあるから、どうして
もコンタクトよりも視力が落ちる。
会社のパソコンは、大きい画面設定にしてあるから、メガネで
もぜんぜん平気だったんだ、実際。

それが、ここへ来て、小さい画面設定の文字を見たり探したり
することによって、眼精疲労による頭痛までしてしまう始末。

いや、苛立ちの原因は、毎月のもののせいも有るのだけどね。
ほんと、爆裂気味に苛立っていたわたし。
苛立つ自分に一番苛立つ。

わたしのまなこは、苛立っている。

 苛立ちの理由を聞けば口ほどに物言うまなこが訴えている
                            (市屋千鶴)



2002年12月12日(木) 結婚記念日

そう、今日は結婚記念日。
結婚式を挙げていないわたし達にとって、婚姻届を出した日が
結婚記念日なのだ。

姉の結婚式は、わたしが19歳になったばかりの11月11日
だった。う〜〜んと、24年前だね。
すごく覚え易い日だったし、披露宴が11時からというゾロメ
だったんだよね。

姉達にあやかってというわけでもないが、結婚記念日の候補と
して12月12日って思っていた。
1,2,1,2って足並みそろえて歩いていけるように。(笑)

結婚したのは5年前だ。
その年の姉達の結婚記念日は、姉の2回目の脳外科手術の日だ
った。2回目のくも膜下出血のため。
大変な結婚記念日になっちゃったなぁって、手術している姉を
待ちながら、義兄はそう言っていたっけ。
手術後の姉の回復を確かめた上で、わたし達は婚姻届を出すこ
とにしたのだった。

手術のために、頭を丸坊主にした姉に二人で報告に行った。
住民票なんか、用もないのに1通余計にとって、姉に見せた。
「続柄」の欄に「妻」って書いてあるやつ。
姉は、なんだかとてもうれしそうだった。
しきりと夫に、ありがとうねって言っていた。
義兄も、にやにやしちゃって、困った。
姪や甥は、1,2,1,2でいいね、覚えやすいじゃんって。(笑)

あれから5年間、姉達家族にはいろんなことが有って、わたし
達はいつも傍らで見守っているだけだった。
わたしも夫も、ただただ、その場に一緒にいてあげることしか
出来なかった。
わたし達夫婦の5年間よりも、ずっと大変な5年間だったね。

わたし達夫婦は、ずっと変わらなかったし、これからもきっと
変わらないだろう。

夫曰く、
「一緒に暮らし始めてからは、もう7年になるのかぁ。
 長いような短いような、あっという間の7年間だったね。」

このセリフは、日付が今日に変わった頃に交わした電話でのこ
とだった。
だって、帰ってきたのは今日の午前3時だったんだもの。(T_T)
まったく、切りが良いとこまでって、ほんとにいつまでも仕事
しちゃうんだからなぁ。

夫よ、これからも、元気でわたしの面倒を見てくれろ。m(__)m
わたしも、毎日いろんな工夫をしながら起こすからさぁ。(爆)

 足並みを揃えて歩む記念日は1・2・1・2と二人三脚

あまあまで、ごめんなさい。(笑)



2002年12月11日(水) 人力車

今日は、きわみちゃんと二人だけの忘年会の予定だった。
タイトルだって、朝は「二人だけの忘年会」のはずだった。

それがどうして「人力車」になってしまったのか。(^^;


今朝、お鍋をお湯で洗って、ヤカンとお鍋をガスコンロにかけ
たら、少ししてすうっと火が小さくなっていった。
付け直してもガスが出てこない。
表に出てみると、ガスのメーターのコントローラーがエラーを
表示していた。それも「ガス管外れ」。
ええ〜〜〜っ! と思って、説明書を見ながらリセットしたら
ちゃんと火が点いたし、お湯も沸かせた。

だけどその後、朝シャンしようと思ってお湯を出していたら、
あったかくなったお湯がすぐに水に戻ってしまった。
再び表に出てみると、同じエラー表示が出ていた。
う〜〜〜ん、今日はきわみちゃんと待ち合わせなのにぃ〜。
慌てて準備をして、美容院でシャンプーをしてもらった。
だって、もし帰ってもお湯が出せなかったら、髪が洗えない。
とりあえず今日洗ってもらっておけば、明日までなんとかねぇ。

その美容院では、わたしの前にも湯沸かし器が壊れたといって
シャンプーに来たお客さんがいたらしい。
寒さで壊れるのか、湯沸かし器。
そんなもの沸かしたお湯の温かさでカバーしろよっ!

などと考えながらも、きわみちゃんと新橋で合流。
宝くじを買いに行くらしい。
なにやら今日は、きわみちゃんのラッキーデーなのだそうな。(笑)
それにあやかって、うちでも宝くじ購入。

そして、昼食を食べて、なんとなく浅草に行った。
ほんとに、なんとなくだったんだよ。
そして、雷門の前でわたしたちは若いお兄ちゃんにつかまった。
しばらくお話して、そのお兄さんの後についていくことに。(笑)
そのお兄さんは、えびす屋さんという人力車の俥夫さんだった。
お兄さんの感じの良さと、人力車初体験という誘惑に負けて、
乗ってしまった、30分コース。
いやあ、楽しかったっす。(爆)
お金さえあれば、1時間コースとか乗ってみたかったけどね。
思ったよりも乗り心地が良い。
テンション高めのわたしたちは、人よりも高い位置から周りを
見ていると、ついついお笑いの魂が滲み出てしまって、引いて
いるお兄さんを笑わせながら、乗っていたのだった。(^^;

手に持っていたカイロと、足元にかけてくれていた毛氈のお陰
で結構暖かかった。顔は冷たいけどね。(笑)
その後、喫茶店でお茶。
喫茶店を出た頃はもう暗くなっていて、雷門前の通りは、イル
ミネーションが煌いていた。
初めて見たが、とてもきれいなものだった。

横目で見つつ、買物を。
明日は、結婚記念日なので、夫にプレゼントを買ったのだった。
色をそろえて皮の手袋を。
自分ではめてみて、指先があまったら夫のサイズ。
手のひら周りはほぼ同じだから、わたしがはめてみて買える。
松島に行くときには、二人でそれをはめていくんだ。
そして、夫の通勤用にもう一つ、安めのものを買った。
気に入ってくれるというのだけど。(^_^)

 手のひらを合わせてごらん小指だけやけに短い 赤い糸どこ?
                             (市屋千鶴)

帰ってからお湯を出してみたが、エラーにはならなかった。
朝だけなのか・・・・



2002年12月10日(火) きらめき

師走も、もう10日。
年末に向かって加速するような日暮れの早さ。
いつからこんなに1日が早くなったのだろう。
そのまま短歌になるようなフレーズだ。
結句だけ付ければいいのだが。

  年末に向かって加速するような日暮れの早さ恋のあやうさ
                             (市屋千鶴)
      ↑
の歌は、実は2年も前に作った歌。
まっ、こんな程度だった。(^^;


仕事が終わって会社を出ると、決まって空を眺める。
今日の月はどの辺に出ているのだろうか。
星たちはどのくらい輝いているのだろうか。

月を慕っているかのように星たちは煌いて瞬いている。
わたしの目には、空まで、という同じ物差しでしか計れていな
い月と星たちの輝き。
それぞれの在り方とは関係なく、そのきらめきだけで人の心を
引きつけうるもの。
それが星なのか。それが月なのか。それが夜空なのか。

人にも持って生まれた煌きがあるはずだ。
その煌きは、当人の意識とは関係なく輝くものなのか。
そうして、当人の意志とは関係なく人を惹きつけてしまうもの
なのだろうか。
とりあえず、今の自分にはその類の煌きはなさそうだ。
うん、穏やかではある。
2年前にはこんな歌も作っている。

  人知れず煌くことを許されてそっと貴方を惹きつけている
                             (市屋千鶴)

  煌きに取り付かれたまま歩くこと 灯りを持たず闇をゆくこと
                             (市屋千鶴)



2002年12月09日(月) 雪?まあ大変(笑)

昨夜は、仕事をしていた夫と、最寄り駅からタクシーで帰った。
タクシーの窓に当たる雨は、もうみぞれになっていた。

朝、目が覚めたとき、雪が降っていると確信していた。
それは、雪国の人ならわかるだろうが、明るさが違うことと、
音の違いから。
曇りや雨の朝とは明らかに違い、また晴れの朝とも違う明るさ。
しんとしている、音の無さ。
懐かしい感覚で、積雪を確信していた。

それにしても、会社が寒い。
会社の建物は、依然は車のショールームだった。
それで、2面はまるまるガラス張りなのだ。
おまけに、ガラスの扉は、ぴったりとは閉まらない。(T_T)
ガラスの壁からは、しんしんと寒さがしみてくるし、ドアから
は冷たい風が入ってくる。
もうすっかり、都会の暮らしに慣れてしまっているわたしの体
は、寒い寒いとうるさいほどだ。


昨日の「ぷらむ短歌会」。お題は「銀」だった。
昔作った歌を、「銀」で検索し、ヒットしたものを練り直した
つもりだったが、練りすぎてしまった。(笑)
最初の方がよかったかもしれないという歌ばかりになった。
手を加えることは簡単だが、よりいい歌にするのは難しい。

3首の中で、自分で一番気に入っていたのは、

 ぬくもりが生きる術だと抱きあう銀のほのおの国に住むひと(市屋千鶴)

これを、みなさんの意見や、東先生の助言で手直しすると、

 抱きあうぬくもりが生きる術となる銀のほのおの国に住むひと(市屋千鶴)

となった。理屈っぽさが少なくなったみたいだ。
どうもわたしの歌は理屈っぽい歌が多いのだ。
ずっと、それが悩みの種だけど、すんごく深刻に悩んだりして
いないということがわかる。(学習能力無いのか?)

忘年会も、楽しかった。
東先生やみなさんの反応(みんな笑いすぎ?)がうれしくて、
いつも以上にしゃべってしまった。
どうしても、受けをねらってしまうあたり、お笑いの血がそう
させるのか。(爆)

次回から、少し控えようかと、ちょっとだけ反省。



2002年12月08日(日) 「ぷらむ」な日と雪

今日は「ぷらむ短歌会」の日。
忘年会の日でも有る。(わーい!)

昨夜、天気予報を見たら、今日は夕方から雪になりそうな予想。
明日も雪になりそうだって。

雪なんて嫌いだと言ってみたところで、降らないようにするこ
とはできないし。
だが、嫌いだと言っていても、雪を見ると心が躍ってしまう。
降り続ける雪をたった一人で見ているのはだめ(これはやばい)
のだが、誰かと一緒に見ているのはやっぱり楽しいのだ。

雪の降るなかを夜遅くに帰ってきたとき、夫がいなかったら、
夫の居場所がわからなかったら、きっと崩れてしまうだろう。
雪の中で誰かを探したり、一人で誰かを待っていたりすると、
わたしは14歳の頃の自分に戻ってしまう。
昨年の2月にもそんなことが有った。
美容院に行っていたわたし、その間にパチンコをやっていた夫。
終って迎えに行くと、まだやっていくという夫。
一人で家に向かったわたしの頭の中には、14歳の2月の光景
が蘇ってきて、半べそかきながら買物をして家に帰った。

家に帰って、雪の中を夫を待っている。
夫が帰って来るまでの数時間、わたしは丸くなってがたがた震
えながら泣いていた。
声を出すのではなく、ただただ流れてくる涙。
わたしは頭が変になってしまったのだろうかと思った。

母に父が出ていったことを聞いたのも雪の中。
吹雪きのなか、出ていった父親を母が探し回る毎日。
たった一人で明かりを点けたまま、雪に埋もれた家の中で母を
待っていたわたし。
一人の不安や、父への嫌悪や、母への愛情やなんやかや。
いろんなものをひとりで抱えてじっと待っていたわたし。
14歳のわたしは泣くこともなく、ただじっと待っていた。

夫が帰ってきて、びっくりされて、こうだと説明をした。
夫は、がまんしないで、そういう時は引きずってでも帰るんだ
よと言った。
それから、雪の日は一緒にいるようにするからねとも。
それからは、雪の日は夫と一緒に楽しく過ごしている。

 この雪はあの時の雪でないものを 白い 冷たい まなこを覆う
                             (市屋千鶴)

余計な心配はせずに、勉強会も忘年会も楽しんできます。



2002年12月07日(土) 結晶化

今日の雨は、もしや雪になるのではと思うほどの冷たさだった。
夫は今日は仕事だというので、昼頃一緒に家を出て、事務所の
そばの喫茶店で昼食を一緒に食べた。
それから夫は事務所に、わたしは柏にチケットをもらいに。

予約してあるから、チケットを受取るだけかと思ったら、思い
のほか時間がかかった。
それでも、楽しみにしているものを手にするときは、待ち時間
も苦にならないものだ。

その後、イトーヨカドーで手袋を見たり折り畳み傘を買ったり
して家路についた。
今日はおでんにするよと宣言していたから、材料を買って帰る
のだが、おでん種はほんとに重い。
おまけに折り畳み傘2本とミニ時刻表などがカバンには入って
いたし、おまけに雨。
両手の肘にカバンとスーパー袋をそれぞれかけて、両手で傘を
ささえながらぎゅっぎゅっと歩いて帰った。

その時に浮かんだ短歌。

 いま少し気温を下げてこの雨を結晶化する力をください(市屋千鶴)

雪国育ちだから、雪が懐かしいのは当り前だと思うだろうが、
わたしにとっては、雪は特別なものだ。
両親の離婚にまつわるあれこれが、2月から4月までに有った
から、わたしの人生の最初の転換期は、確実にその時期なのだ。
だから、雪を見るといろんなことが蘇ってくる。
懐かしいものも思い出したくないものも、一緒に蘇ってくる。

言葉にすること、短歌に凝縮することが、辛い記憶を思い出に
変える力になった。
そんなことを思い出す、寒い1日だった。



2002年12月06日(金) 暖かいもの

わたしの体重。現在は、上京してから2番目に軽いはず。
2番目っていうのは、一時期から2キロほど戻ってるからだ。

皮下脂肪が減ると冬の寒さが身にしみる。
このことを痛感したのは、昨年の冬のことだった。
越してきた年(2年前で痩せる前)は、12月の初旬にやっと
エアコンを購入した。
それまではエアコンは無しで、ホットカーペットだけで寒さを
しのいだが、昨年の冬はぜんぜんだめだった。

そこで、ほんとに久しぶりに恋しくなったのが、綿入れ半纏。
田舎では当然のようにみんなが着用してたし、上京してからも
母から作って送ってもらったり、母が亡くなってからは叔母か
ら送ってもらったりいた。
そうそう、綿入れちゃんちゃんこも持っていた。
綿入れ半纏は方言では「どんぶぐ」、綿入れちゃんちゃんこは
「そでなす」と言う。

何回も引越しをしているうちに自分のものは持たなくなってし
まい、夫との同棲生活を始めた頃には、わたしが持っていない
のに夫が持っていた。
夫も綿入れ半纏派(!?)だった。(笑)
夫と暮らし始めてから、いたってふくよかな(笑)生活を送っ
てしまっていたものだから、あまり必要性を感じなかった。
だが、昨年はほんとに恋しくて、夫のものは押し入れから引っ
張り出し、自分の分はスーパーで買った。
やっぱり、ほんとに暖かいよ。(^_^)
その後、自分のものだけ新しいのもなんだなぁと、夫のものも
スーパーで買った。

 おそろいじゃないけど二人半纏で並んでいれば心もほかほか
                            (市屋千鶴)

という状態が昨年から我が家の冬の光景。

 家事を終えくつろぐ場所に備えおく綿入れ半纏ガウンのごとく
                            (市屋千鶴)

オシャレなガウンとかではなくてお互いに綿入れ半纏が好きだ
というのも、11歳の年齢差を感じさせない夫の古臭さ(田舎
臭さ)でもあり、またわたしの好きな点の一つなのだった。

 まんまるになってるわたし 綿入れの半纏一つで座るピカチュー
                            (市屋千鶴)

しょうもない歌ばかりの本日でした。



2002年12月05日(木) 出不精にも救いの神

昨日、えきねっとで予約できてしまったので、拍子抜け。
いいのか?楽して予約しちゃって、というほんの少しの罪悪感
と、えへへ〜ラッキー!、という気持ちで複雑だった。

帰ってきた夫に相談した結果、往きも帰りもグリーン車にする
ことに決定。本日、変更の依頼をした。
1500円でグリーン車になるんだから、往復でも3000円。
わーい、電車好きのわたしにはたまらない旅行。
夫はゆったりと乗っていられればそれでいいらしい。

ウキウキしながら会社で「松島に行くんですよ〜。」と発表。
松島で、夕食は「和風海鮮バイキング」なんだもんっ。
帰りには水族館に寄ったりする予定。
駅弁を食べるのも楽しみのひとつ。
うかれぽんちな一日だった。(^^;

さて、
昨日、成人向け自由表現の日記を始めようかと書いたところ、
初めて掲示板に書込んでくれた方がいた。
いや、それはあくまで書込む口実だって、わかってるけどね。(笑)

今書いている原稿を読み返すたびに、自分で気になるその文体。
ですます調にしたのだが、なんだかわたしらしくない。
おまけに、妙に読者を意識した媚びた文章になっている様な気
がしてしかたがない。
それ以外にも気になることはまだまだあるのだ。

ここの日記に書いている分には、常識をわきまえた文章であれ
ば、あとは自分の生活やその日の出来事から考えたことを書け
ばいいのだから、割合と楽なのだ。あっ、短歌は別だけどね。

だけど、アダルトな分野に一歩足を踏み入れたら、そこからは
一文ずつに神経を使う。
それは、インターネットの特性によるもの。
匿名だからと何を書いても良い訳ではない。
おまけに自分の正体を知っている人が見る可能性も考える。
そうした場合に、読まれても良いように微妙にオブラートをか
ぶせる必要はないのか。
読まれて困るようなことは書くべきではないのだろうか。

今朝の「とくだね」でテレビ東京のHPにおける同アナウンス
室長の発言について話し合っていた。
HPという個人的な場所でも書込みだからと、ついついサービ
ス精神で、普段は言えないようなことを書いてしまうこと。
インターネットの世界を甘く見てはいけないのだ。

いろんなことを考える。

 色メガネで見ているなんて非難する君も色付きレンズで見ている
                             (市屋千鶴)



2002年12月04日(水) 出不精に付ける薬

いや、まったく、わたしは出不精だ。
(切り方間違えると、デブ症になるので、要注意!)

旅行のパンフレットを見ていたら、インターネットで予約対応
可能って小さく書いてあったので、さっそく試してみた。
まあ、予想はしていたが、12月の三連休なんて今から予約が
とれるはずがないのだった。
行きたい海鮮バイキングのホテルは、満室と表示された。
では、日曜から月曜にかけてはどうなんだと見てみるが、それ
も同じ状況だった。
三連休に旅行したいって、みんあそう思うんだなぁ。
とりあえず、「えきねっと」で申し込みして、じんわりと雨の
なかで回答を待つことにしたさ。

実は今日は、昼から夫が出勤していったのだ。
(今日は、午前半休だそうな。)
だから、昼まで家にいたし、夫が出かけたと思ったら雨が強く
なってきてしまった。
わたしに出かけるなと言うんかいっ!
駅まで15分もこの雨の中を歩いたら、びしょびしょだよ。

と、すっかり軟弱なモードの切り替わってしまったわたしは、
旅行先をさらに近場の「いわき湯本温泉」に変更してしまおう
かと検討中だ。
ちなみに、社員旅行でいった場所だから、そこの旅館はホテル
のパンフレットがあったので、電話してみた。
候補の旅館は、22日ならば空いていると教えてくれた。
夫と相談して、えきねっとの回答をまったうえで、予約しよう。

最悪、いいの、近場でおいしいものが食べられれば。(爆)
(カロリーを考えて、お魚だよん。)
とにかく、今日は軟弱なのだよ。こんじょなしです。


と、うだうだと出かけなかった言い訳やら今後の対策なんかを
書いているが、実は他にも書いているものがある。
それは、「成人向け自由表現」の日記の原稿。(爆)
日記借りてもいないし、掲示板借りてもいないから、ほんとう
にあくまでも原稿の段階なのだけどね。(笑)

なんで、そんなものを書いているかというと、なんとなく自分
の体験を通した恋愛観とか、男女関係についてとかを、書いて
みたくなったから。
表の日記にどの程度のものまで書いて良いのかわからないから、
「成人向け自由表現」というジャンルにするべきものなのかを
現在検討中なのだ。
一般的なジャンルで表現できる範囲で書くべきかどうか。
直接的な言葉が出てくるのが、ポイントなのかなぁ。
境界線はどこにあるんだろう。
不安や疑問があるならば、「成人向け自由表現」にしておいた
ほうが無難なのだろう。

冬の太陽は、わたしには重要なアイテムだから、お天気になる
明日からはきっと元気でやる気のあるわたしになるはず。

 雨音に心をさらす思いにて誰にも会わない水曜の午後(市屋千鶴)

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この日記をUPしてから、メールのチェックをしたら、予約が
とれていました。やったねっ!
土曜日に券を受け取りに行きます。わーい、わーい!
取り乱しまして、失礼しました。(笑)



2002年12月03日(火) 雑感

今日、夫は神奈川県の自社開発センターまで。
フロアの移転があるとかで、ジーンズででかけた。
そうなのだ。
ケーブル這わせたりしてるとスーツじゃもったいからと、皆で
多分ジーンズ姿だろう。
机やパソコンを3Fから4Fに移動して、ケーブル関係も自分
たちで張り直すので、いつも模様替えのときはそう。

模様替えといえば、うちではあんまり模様替えしないってこと
に気づいた。引っ越してきて2年以上になるけれど、ほとんど
配置が変わっていない。
ケーブルTVにして、パソコン用に設定してとき以来だなぁ。


先週の金曜日。
約4ヶ月ぶりに、糖尿病の検査をしてもらった。
結果の確認は、13日の金曜日。(なんかやな感じだね。)
8月のときの結果を見ていたハンサムなお医者さんは、試しに
糖尿の薬を減らしてみましょうねと言った。
朝、食前に1錠飲むだけになった。(お試し期間だけどね。)
これで、食前にベイスン(糖尿の薬、血糖の上昇を緩やかにす
る薬)、食後にディオバン(高血圧の薬、40mg)を飲むだ
けでいいのだ。
これは結構うれしかったりする。
出かけるときも、泊りでない限り薬を持たなくてもいい。
でも、念のためと必ず1日分は持って出歩くわたし。

さあ、しばらく様子を見て血糖値の状態よければ、薬を飲まず
に食事によるカロリーコントロールだけでよくなるかもしれな
いって。
自分でも、血糖値が高い状態がどういう感じなのかをわかって
いるので、比較的制御し易いと思っている。
要するにわたしの場合は、人一倍食べるということに主な原因
があったわけだから、太らないように食事に気を付けていけば
いいということなんじゃないかな。

言われなくても、2サイズ下がって買い換えた洋服たちを無駄
にするようなことは出来ないもんね。
今の洋服がきつくて着られなくならないように、努力しよう。

 二つまみコートの脇を削ぎ落とし振り返らない去年のわたし(市屋千鶴)



2002年12月02日(月) 打ちまくる(訂正)

またまた、昨日の話になってしまうが。

昨日の夕方、夫は新しいゲームを買った。
ひたすら打ちまくるやつ。
かっこよく敵をやっつけると点数が上がる。
夫は嵌まっていた。ずっとやってる。
テレビも見ることができないわたしは、本を読んでいた。
だけど、いつまでもやめない。わたしは先に寝た。

夜中の2時過ぎくらいか。
まだ夫が起きていた。
「早く寝なよーっ。」といってまた眠る。

再び目が覚めた。
「何時なの?」「四時半。」
わたしは怒った。
「いつまでやってんのーっ!
 明日、起きれないって泣き言いうんじゃないぞ、絶対!
 さっさと寝ろっ!」
その後数分して、夫は布団に入った。
やっぱり、わたしが怖いんだね。(ニンマリ)

朝、もう少し寝たいとか、ひげは剃らないよーとか言う夫に、
「ふざけんなよー。
 遊んで起きてた奴に容赦はしないからなっ!
 さっさと起きてシャワー浴びてひげ剃れっ!」
夫はきっちりと起きた。(笑)
こういうときは、特別に男らしいわたしだ。

昔から、わたしは男らしいのだよ。ふっふっふ。
だから夫は特別優しいのか。(謎)

起きてしまえば、いつも通りのお見送り。
玄関のドア口から、「行ってらっしゃい、気を付けてね。」と
声をかける。
アパートの門をくぐって歩き、アパートの隣の家の庭木の間か
らちょっとだけ見える瞬間に、いつも夫は振り返って手を振る。
わたしも手を振って、姿が見えなくなるまで見送る。
なぜかしら、ぐーで手を振るわたしたち。(笑)

いつも毎日、こうして見送ってからわたしは会社にいく準備を
するのだ。
ばたばたとね。

 「気を付けて」夫を見送る玄関先 朝の空気がツンとしている
                            (市屋千鶴)

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本日の日記に、誤りがありました。

最初に目が覚めたのは、2時くらいで合っていますが、2回目
に目を覚ましたときにわたしが耳にしたと思っていた「四時半」
という言葉は、どうやら誤りのようです。
夫の言い分では、3時前だったと。
若干、不本意ながらも、夫の主張に基づき、ここにお詫びして
訂正いたします。(ほんとかなぁ・・・・(^o^) )



2002年12月01日(日) すみか

昨日、朝に日記をUPしてから、柏にでかけた。
結婚5周年の記念に何処かに行きたいねと言ってからもう半年。

京都に行きたいはずが、いつのまにかシャチを見に行きたいに
かわり、今度は冬の北国で海鮮三昧がいいと言い出す妻。
夫は、どこでもいいから好きなところを選びなさいよと言いな
がらも、海鮮三昧に賛成している。
まあ、今から宿が確保できるかどうかで行き先が決まるといっ
た具合なので、どこになるかはまだ未定。
今度の水曜日にまたまた柏まで行って、決めてくるつもりだ。

で、柏でうろうろしていて小腹が空いたねと言った夫が選んだ
お店は、インド料理のお店で、それもランチバイキング。
ランチバイキングなのに、16時までとはどういうことだ。
小腹が空いてるだけのはずだったのに、きっちり食べる夫。
後で聞くと、それはもう彼の中では夕食だったんだそうだ。
カレーを少しずつ何種類か食べられるのはいいなと思ったし、
タンドリーチキンがたくさん食べられてうれしかった。
ヨーグルトも酸っぱくておいしかった。(酸っぱい物好き)
今度、きわみちゃんも一緒に誘おうねと夫と話していた。

帰ってから一息ついていると、そのきわみちゃんからの電話。
土曜日の19時を過ぎたところだというのに、会社から息抜き
の電話だった。

土曜日もお仕事の皆様、ご苦労様でした。

柏のカレーの話などしていると、突然、彼女がこう言った。
「ねえ、うちの実家ってさぁ、わたしに子供がいないから、
 このまま両親が死んでしまったらわたしの家になるのよ。
 その時は、家を改造して一緒に住もうよぉ。
 だから、老人ホームの心配なんかしなくていいからさぁ。」
おいおい、仕事中に何を突然考え出したんだ、君は。
とはいえ、うれしい提案だった。
今度、夫の勤務先が変わって神奈川方面に戻ったら、住む所を
一緒に探してくれるとは前から言っていたんだが、離婚して、
今度は年をとってからのことまで考えるようになったのか。

夫は言う。
「きわみさんと一緒に住んだら、毎日怒られてるんじゃない?」
家事全般について、いまいちのわたしに、夫はそういうのだよ。
「えーん、ちらかしたら、きわみちゃんに怒られるのかなぁ。
 でもね、きわみちゃんの料理はおいしいよ、とっても。」

だけど、そんなに年取る前に、絶対に茶飲み仲間になる男性を
探そうよ、ねぇ、一緒に。
でもその前に、まずはスペイン語の話し相手になる人を探すん
だっけか。(鋭意努力中。)

 年老いて共に住む友 恋人はバスで5分の遠さがいいね(市屋千鶴)


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