鶴は千年、生活下手

2002年11月30日(土) 霜月の終わりに

1日が終ってもいないのに、こんな時間にもう今日の分。
うんとむかしの雪国の霜月のお話。

東北では、11月に初雪が降る。
初雪が降る頃には、「雪降しの雷さま(らいさま)」と呼ばれ
る雷が鳴った。夏のものとはまったく様子の異なる雷。
夏の雷は、もやもやしたものを吹き飛ばしてくれるような勢い
を感じさせるが、この時期の雷は、何がそんなに悲しいのだと
問いかけたくなるような物悲しさを感じてしまう。
夏の雷雲のようにもくもくと育っていく威勢のいい雲ではなく、
気づかないうちに薄暗くなっていて、その中の特別暗い辺りか
ら雷鳴が轟く。

この先半年の間、そんな灰色の濃淡でできているかのような空
を、毎日のように眺めて暮らしていく自分の気持ちを哀れんで
くれるかのような、そんな悲しい雷に思えていた。
たまの青空に、どうしようもなくうれしくなって、授業さえも
ほったらかして外で遊び回りたくなった。
雪の中での遊びも充分に楽しいものだけど、たまの青空は格別
だった。

雪降しの雷が鳴る前に、男達は出稼ぎに行ってしまう。
女と子供と年寄りだけでも大丈夫なように、充分な雪囲いをし
て出かけていく。次に会えるのは正月。
だから正月は、村の女達にとって、子供達にとって、年老いた
親達にとって、ほんとに特別なときだった。
10月生まれは、出稼ぎから一時的に帰ってきた夫から授かっ
た子供なのか。

どんよりとした灰色の空や、雪とおんなじ白い空や、モノクロ
の世界に暮らしていても、針葉樹は濃い緑を挑戦的に発してい
るし、子供達の防寒着は雪に映える明るい色ばかり。
雪の多かった頃は、男達を出稼ぎに出した後の女達の結束も固
かったように思う。
今は雪が少なくなって、人間関係の暖かさも少しだけ少なくな
ってしまったように思えてしまう。

方言でさえ、都会から嫁に来た「あねちゃん」(若いお嫁さん
のこと)達のなかからだんだんと薄れてしまっている。
わたしなどが帰省した時には、言葉は上京する前(20年以上
前)のものになってしまうから、地元の人以上に訛っているな
どと言われてしまう。
本当の地元の訛りなどよく知らない人達にそんなことを言われ
てしまうとは、何とも情けない話だと思ったりもする。

霜月の終わりには、つらつらと田舎のことを考える。

 10月に生まれたわたしの体にも愛の形に血が流れるのか
                          (市屋千鶴)



2002年11月29日(金) 過去へ吹く風

昨日、高校生の頃好きだった人のことを書いたからか、どうも
過去へ吹く風が吹いているようだ。

2時間ドラマ数本分って、かおりちゃん(銀行の同期)に言わ
れたわたしの人生って、いったいどうなんだろう。
1本目は、両親の離婚のことか。
2本目は、若き日の自虐的な恋愛のことだろうか。
3本目は、銀行を辞めたころのいざこざだろうか。
4本目は、転職してからの自分と姉達のこと。
そして5本目は、夫とのこと、か。
これから何本増えることやら。(笑)

2時間ドラマの数本分なんて、誰でも作れるものだと思う。
事実は小説より奇なりって、ほんとうだと思う。
なんらかの材料がなくては小説だって書けないだろう。
誰でも人生はドラマなんだと思う。
だから、みんな自分のドラマの中で生き生きとしててほしい。

過去を振り返るのはとても大切なこと。
それは、過去があって今の自分があるのだから。
今の自分を変えたいならば、過去を否定するのではなく、その
過去に何があったのかにきちんと向き合って、これからの自分
をどうしたいかを考えて行くことが必要なんだと思う。

自分で辛い過去があったと思っているし、若いうちにそれらが
あったことが思春期や青春期に影響を与えている。
だが、自傷行為や摂食障害といった肉体に直接的なダメージを
与える状況にはならなかった。
自虐的な恋愛行動をとることで、間接的に自分にダメージを与
えてきたのかもしれないが。

みんながそんなに強いわけではないと、よく言われる。
自分は弱い人間だとは思わないが、強い人間だとも思わない。
ストレスで急性胃炎になったりするし、泣くこともよくある。
ほおって置かれれば寂しくて、気が変になりそうだとも思う。
だけど、その瞬間にさえ冷静に自分を見ている自分がいる。
気が変になりそうだと頭を抱える自分を、その程度ではまだま
だといって見ている自分がいる。
その、もう一人の冷静さが、他人から強いと言われる理由なの
だろうか。
だって、本当に変になっちゃったら変になりそうだとは思わな
いじゃないか、ってそいつはわたしに言うのだ。
その冷静な自分がいるからこそ、寂しいときや悔しいときには
思いっきり泣いたりしても、立ち直れるんだと思う。
けれども、みんな、そういうの持ってるんじゃないのかなぁ。

辛い過去を振り返って、自己憐憫に浸る。
大いに結構だと思う。浸ろう、泣こう、文字にしよう。
自分自身が自分をいたわらなくてどうするのだ、と思う。
自分が辛かった時期を乗り越えて、今生きていることを誉めて
あげようよ。
その時はどんなに周りに酷いことを言われても、なんとかやっ
てきたんじゃないか、と自分を認めてあげよう。
別の人格を作ろうが、自傷行為に走ろうが、とりあえずはそう
して自分を守ろうとしてきたことに変わりはないのだもの。
それは、自分自身の心や体がぎりぎりの選択をした結果なんだ
もの。
みんな対応の仕方が違うだけで、辛い状況を乗り越えるための
努力をしてきたことには変わりはないのだから、それを認めて
あげようよ。がんばったな、自分って。

それで、大好きな人達に今はもう大丈夫だろうって言われたら、
もうそれでまた新しいドラマを作っていくことが出来るはず。

 「人生はドラマよ」笑う君の目が昔へと吹く風を追ってる(市屋千鶴)



2002年11月28日(木) らぶ・ばるーん

うちの近所では、夕陽が架線越しに沈んで行く。
架線にかかった太陽は、まるで朱色の風船のように見える。

人を想うとき、想いはどんどん膨らむ。
片思いはつらいものだけど、一人の人をずっと想っていられる
という幸せもある。
わたしは中学3年で転校してから、二十歳くらいまで、ずっと
片思いだった人がいた。(初恋も片思いだったけど。)
いつも彼には、好きな人がいた。
中学のとき、転校して初めて感心をもった相手が彼だったが、
彼にはすでに彼女がいた。
高校は一緒だったが、わたしは彼にとって戦友のようなものだ
ったし、高校でも彼は他の女子校に好きな人がいた。
いつまでたっても、彼は片思いの相手だった。
何年も何年も、わたしは彼の背中を見ていた。

やっとの思いで告白したときも、彼の答えは本当は分かってい
たし、彼がその後も同じ態度で接していたのがありがたかった。
告白した後の冬、皆で帰りの列車で一緒になったときのこと。
ボックス席の通路側に座っているわたしの席の、肘掛けに彼が
腰を掛け、腕をわたしの席の背もたれに回したことがあった。
ああこれは彼が出来る精一杯のわたしへの返事なのだと思った。
悲しくて、うれしかった。

他の人を好きになろうと思ったし、好きになりかけたりもした。
だけど、やっぱり彼が好きだった。
ずっと、そのままでいいと思った。
彼を好きでいる間は、いろんな言葉が浮かんできて、詩的にな
れた。
今でも、恋の歌を作るときは、彼のことを考える。

ずっと、膨らんだままで、絶対に近づくことの出来ない太陽に
恋をした朱色の風船のように。

 膨らんだ形のままで生きていく太陽を恋う朱色の風船(市屋千鶴)



2002年11月27日(水) 特別なわざ

目で話すのはどうも苦手だ。
若い頃は自分自身が目で話すタイプだったからかもしれない。
視線だけで相手をその気にさせたり。
(ごめんなさい、見栄です。(;_;)しくしく )

女同士には、何も言わなくてもわかることがある。
仲が良いとか悪いとかではなく、なんとなくわかること。
もしかしたら、仲の悪い相手との方が言葉にしないことの中に
いろんな意味を読み取っているのかもしれない。

例えば、「ありがとう」という言葉の裏に隠された、「余計な
ことしなくていいのにー。」とか。
「ごめんねー。」の裏に隠された「なんであたしが謝るのよ。」
そんな裏側の言葉を読み取ることを、普通に出来てしまってい
たとしたら、なんだかとても悲しいね。

なんとなく、こういうのは女の得意技だって思えるのも、どう
してなのだろう。
裏表がある上に、出そうと思えば優しい言葉の中にさえ棘を付
けることが出来るのは、女ということなのだろうか。

ああ、またSさんのこと思い出しちゃったよ。(T_T)

できれば、「ありがとう。」の裏の「あなたでなくちゃ頼めな
かったのよ。」を、「ごめんねー。」の裏の「今度はわたしが
あなたを支えるから。」を読み取れるような関係がいいな。

 言外の意を読む術(すべ)を日常に女同士はたずさえ生きる(市屋千鶴)



2002年11月26日(火) 場所

最近、短歌関係の場所に行くのが、どうも億劫になっている。
自分は、歌人と呼ばれたり名乗ったりする人達とは、短歌に
対する情熱がまったく違う。(ものすごく足りないと思う。)
歌集を出したいとかもあまり思わないし。
短歌を始めた頃は、何でもかんでも31文字に納めて喜んで
いた。いや、ほんとに何でもかんでもという感じで。(^^;

でも、短歌を作ろうと思ったきっかけは何だったんだろう。
詩とか好きなんだけど、詩にすると多くを語りすぎてしまう。
俳句はわたしにはそのセンスがないと思う。
その点、短歌は31文字に削るというか凝縮するという作業
が必要だ。
いや、詩でも俳句でも必要なのだと思うけれど、わたしには
この文字数があってるんだと思った。
日記に書いているような、ごちゃごちゃした気持ちをまとめ
て31文字にすることが、さまざまな記憶や思い出を少しは
冷静に考えられる手段だと思った。
一番冷静に考えたかったのは、両親のこと、家族のこと。
失ってしまった生家での出来事だった。
短歌を始めてからの4年半で、記憶を思い出に変えることが
できたように思う。

ニフティの短歌フォーラムで、わたしはずっと泳がせてもら
ってきた。
やっと、今年の5月に外に目を向けてみようと思って、毎月
1回の短歌の勉強会「ぷらむ短歌会」に入会した。
気持ちを冷静に整理する作業から、少しだけ進んでみたいと
思ったのだが、ほんとに少しずつしか進めないわたしには、
歌集とか歌人とかいう言葉や人達がまだまだ遠い存在に思え
てしかたがない。
自分にはどんな場所がふさわしいのか。

失ってしまった場所は取り返せない。
生家から出て暮らした場所は、同じ市内ではあったが、そこ
にはわたしの気持ちを試すように川が流れていた。
その川を、なんでもなく越えることができなかった。
どうしても、こっそりと人目につかぬように、ただ車でそこ
を素通りするだけの訪問だった。
素通りして、中学校まで行って、辺りを眺めて帰ってきたり
していた。
わたしにとって、とても大事で、自分らしくいられた場所。
それは小学校や中学校だったのが、そこにも、いや場所では
なくその空気の中にわたしの居場所はもうないのだと、一人
振り返ったりしに行くだけだった。
もちろん、それはわたしが車の運転が出来るようになってか
らのことであり、それまではその川に架かる橋を本当に渡る
ことができないでいた。

新しい環境で自分の場所を確保するために、とりあえずいい
成績が必要だった。
転校して最初に実力試験では、ちょうど前の学校でやったば
かりの問題だったから、当然1番だった。
それから皆の見る目が変わって、わたしにはとても大好きな
競争相手が出来た。

新しい環境に飛び込むたびに、なんとか自分の場所を確保し
ようとあがく毎日。
そうして物心ついてから40年近い月日が、いつのまにか流
れていたんだね。

 少しでも自分の場所が欲しくって陣取り人生 ビー玉をはじく
                            (市屋千鶴)



2002年11月25日(月) レースのカーテン

レースのカーテンって、暗い方から明るい方を見ると透ける。
透けないレースのカーテンもあるんだろうが、うちは透ける。

外から見られたくないから日中はレースのカーテンをする。
それは、うちのアパートが裏から出入りする人が多いから。
駐車スペースが裏側にあるもんだから、車から降りてそのまま
リビングに上がり込む人が多いのだろう。
訪ねてくる人達も、裏から出入りしているらしい。
まあ、うちは車が無いのでもっぱら表から出入りしているが。
今度、別のアパートに住むときは、駐車スペースが表側にある
ところにしたいものだね。
夜、ドアの開け閉めやエンジン音でうるさいって思わなくても
いいように。

まあ、そんなわけで、裏がねぎ畑なのにもかかわらず、人目に
触れる機会がとても多い。
うっかり家の中で変な格好で体操してたりしては恥ずかしいし、
夫とじゃれあったりしていてもいけないのだ。
いや、じゃれあってもいいのだけれどね、カーテンしてれば。
だから、休日の日中はレースのカーテンをしめている。

自分の生き方というか私生活をひた隠しにしている人っている
と思うのだけど、銀行員だった頃のわたしはそうだったかもし
れない。
絶対、社内恋愛はしたくないと思っていた(銀行員苦手なので)
から、わたしの付き合う人は社外の人ばかりだった。
「寄らば切るぞオーラ」を出しながら仕事していたわたしに対
して、恋愛感情を持ってくれそうな人はまずいなかったと思う
のだけど、自分からも個人的な感情は押さえようとしていたの
だと思う。自己防衛本能ということかしら。
感情の起伏も激しかったし、手厳しい自分と甘えたい自分との
バランスを保ちながら、恋愛することは出来なかった。
自分の部屋に会社の人を上げたことも無かった。
たとえ、アパートの前まで送ってもらっていてもだ。
ごく少数の女子社員だけがわたしの特別な私生活を知っていた。
ほんとに、特別な私生活だった・・・・(謎爆)
うん、カーテンで言えば遮光カーテンだったなぁ。

今はそうでもないよ。
自分達の暮らし方がべらぼうに明るいからって外から透けて見
えたとしても、やっぱり人生は明るめでいきたいもんだよね。
こんな人生って、いいでしょって言いたいよね。

 透けそうで透けないレースのカーテンに透けてもいいか人生明るめ
                             (市屋千鶴)



2002年11月24日(日) 隣の芝生

先日の東京同窓会で久しぶりに会った同期の女性。
茨城県の土浦市に住んでいる。
彼女は歯医者さん、ご主人も歯医者さん。歯医者さん夫婦。
東京同窓会の日、彼女が着ていた淡いピンクのスーツは、どう
やら生地代だけでも何万もする代物らしかった。
たまたまアパレル関係に勤務する同期がいて、そのことを教え
てもらったのだけど、わたしにはぜんぜんわからなかった。
きれいで仕立てのいいスーツだとは思っていたけど。
彼女は買物は銀座と決めているのだそうだ。
「土浦から銀座まで出てくるの?何時間もかけて?」
素直に疑問を投げかけるわたし。それも特急で行くんだよね。
「う〜ん、そうなんだけどね、やっぱりお買物は銀座でって
 思っちゃうんだよねー。」
「そっかぁ、地元には気に入ったものが無いんだね。」
なるほどと納得するわたし。
朗らかな笑い声は変わらない彼女にうれしくなる。

わたしの買物は、今はイトーヨーカドーとか通販。
大きいサイズの洋服や靴を置いてくれるお店が増えているのが
うれしい。
権行員で、新宿を経由して通勤していたころは、お気に入りの
Lサイズショップがあって、洋服にもお金を使っていた。
しかし、結婚してからなにをどうやったらこうまで変わるのか
と思うほど、洋服とかにお金が使えなくなってしまった。
夫がそういうものにあまり感心がないからだろう。
夫のものを買おうかと持ち掛けても、要らないっていわれるこ
とが多い。夫のものを買う機会が極端に少ない。
したがって、自分のものだけ買うのも申し訳ないような気がし
て、自分の洋服にかける金額も少なくなってきたようだ。
彼の贅沢はパソコン関係とパチンコくらいなのだ。
(ときどきのパチンコも勝つんならいいけどねぇ。)

結婚して変わる男と女。
夫は、少しは着るものとか履くものとかに気を使うようになっ
てくれたんだろうか。付き合い始めたころ、ほんとにこいつは
って思うくらい無頓着だったもんなぁ。
わたしも贅沢はしなくなった。(飲み代は使ってるけど。)

歯医者さん夫婦の生活をいくら羨ましいと思っても、自分がそ
の仕事をしているわけでもなければ、それまでの努力をしてき
たわけでもない。
それなりの収入の仕事にはそれなりの苦労があるのだし。
そして、銀座でなければ買物できないという生活が、わたしに
似合っているとも思えない。
わたしは、二人で歩いて買物に行き、バーミヤンやロッテリア
で食事して、一つのものを買うのにもああだこうだと考えて、
買ったときにはとてもうれしくて、という暮らし方がけっこう
気に入っている。

銀座での買物でなければ満足出来ない人と、手近なところで満
足出来る人。どちらがより幸せだとは決められない。

幸せは、なるものではなくて感じるもの。
その時々で幸せを感じることが出来る心境にあるということ。
その機会が多ければその人は幸せなのだ。
どんなに周りから恵まれている状況だと思われていても、その
中に有って幸せを感じることが出来なければそれは不幸なこと。
周りから見てどんなに恵まれない状況であっても、その中にも
小さな喜びを見出せる人は幸せなのだと思う。
そしてそれを共有できる人がいるということ。
家族であったり、恋人であったり。
そういう意味で、わたしは生家から出たときも、貧乏だったが
母と二人の暮らしはとても幸せだった。
その後のさまざまな状況を乗り越えた今、夫と二人の暮らしは
とても幸せだと言える。

まあ、目下の悩みは、図書館が遠いことと歌集が高いこと。
何処に行くのも全線JRだから電車賃がかかりすぎること。
それと、壊れるまで自分のノートPCが買い替えられないこと。

 幸せの秤はみんな違うから隣の芝生は青くてよろしい(市屋千鶴)



2002年11月23日(土) 光と影

勤労に感謝する日。
働いているすべての人にありがとう。

いつもにこにこしていて、元気が良くて、悩みなんかなさそう
だった友達。
彼女は銀行の同期入社、わたしより一つ年下。
かおりちゃんは悩みなんか無いよねって言われてそうだよって
答えてた彼女。
彼女は、学生時代に恋人を海で亡くしていた。
そのことを知ったのは入社してから何年も経ってからだった。
銀行で一緒だった11年間、彼女に浮いた話はなかった。
わたしが銀行を辞めてからも浮いた話は聞かなかった。
いまも独身。

彼女のご両親は、お母さんお父さんの順で亡くなった。
わたしが銀行員時代にお母さん、辞めてすぐにお父さん。
彼女は弟さんと二人暮らしになった。
それでも、彼女は元気がよかった。
彼女が泣いたりするのは、見たことが無かった。
彼女が泣くのは、きっと自分のことではなく友人達のことばか
りだったのだと思う。

わたしも彼女の明るさにはとても助けられていた。
わたしが銀行を辞めることに悩んでいたときもそうだった。
そんな彼女も何年か前に銀行から転職した。
わりと近い松戸に住んでいるのに、なかなか会えないのだけど
どうしているんだろう。

彼女に浮いた噂が無いのはどうしてだったのだろうか。
彼女は、自分が鈍感だからっていう。
まわりもそう思う。
たとえ彼女に行為を寄せている男性がいたとしても、彼女はそ
の人の気持ちにまったく気がつかない。
食事に誘われたとしても、一人の女性として誘っているだろう
相手に皆で行きましょうとにっこり本気でそう答えている。

恋人を海で亡くしてから、恋愛に臆病になってしまったのかも
しれないねと話し合っていた友人達。
大切な人を失うことを恐れて恋をしなくなったのだろうか。
恋人を亡くし、両親を亡くし、また大切な人を亡くしたらと、
そんな事を彼女は考えているのだろうか。
いつも豪快に笑い、自分は恋愛には鈍感で短気なんだよと言う
彼女の心の裏側にはどんな気持ちが渦巻いているんだろう。

大好きな人には光のようでいて欲しい。
光があれば影が出来る。影は苦悩、闇。
光に向かって歩いているだけでは影の存在に気づかない。
影を見つめ、影が濃いのは光が強いからなのだと気づいたとき、
闇を持っていることを自覚している人こそ、その魂は光り輝く
のではないのだろうか。
彼女の影は、どれほど濃いのだろうか。

 太陽に向かって生きているようなあなたの闇をのぞいてみたい(市屋千鶴)



2002年11月22日(金) 終幕

お知らせ:日記のジャンル、「テキスト」にしました。

今朝一番うれしかった情報は、「踊る大捜査線」の映画第2弾
が来年の夏に公開されるということ。
前にも書いたが、織田裕二が好きであの身のこなしがまた見ら
れるのかと思うと、とってもうれしい。
「真夜中の雨」は、2回分をまとめて観るという技(?)で、
2週間じらして一気に観るという楽しみを続けることにした。

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若いからといって、死と無縁な訳ではない。
とてもまだまだ大丈夫と思っていても、すぐ側にある死の誘い。

たとえば、姉は最初にくも膜下出血で脳外科手術を受けたのは
38歳になって2ヵ月あまりだった。
くも膜下出血といえば、血圧の高い人がなるように思っていた
から、ええっ、なんで姉ちゃんがっ!という気持ちでいっぱい
だった。
血圧が高い状態で出血していたら、助からなかったのかもしれ
ないが、姉は出血してもすぐに止まったらしく意識もあった。
それから3年半、再びくも膜下出血で手術。41歳だった。
1回目は上の子供の高校受験の年、2回目は下の子供の高校受
験の年だった。

この2回の脳外科手術の全身麻酔と術後の投薬は、姉の弱った
腎臓と肝臓にダメージを与えた。
そしてその3年半後には人工透析に踏み切り、腎臓の全摘出と
肝臓の一部摘出を行った。
姉の腎臓ではのう胞が大きくなっていて、妊婦さんのような姿
になっていたから、使わなくなった腎臓を摘出してしまうこと
で体への負担を軽くしようという試みだった。
かなりの大手術だった。
そして、半年の入院を終えて退院したと思ったら、1ヶ月半で
十二指腸潰瘍になってしまった。
痛みとかはあまりなさそうだったが、見えないところで出血し
てしまっているという事態は、人工透析しているものには死に
直結する重大事なのだそうだ。
人工透析者は、透析後4時間くらいは血が止まりにくい状態で
いなくてはならないから、知らない間に極度の貧血状態になる
ことが危ないらしい。
そして、今年の正月4日に手術をした。

こうして間近で見ていると、わたし達は年齢など関係なく死の
攻撃にさらされているのだと思ったりする。

自分が死ぬのは、たぶん、腎臓なのだろうか。
それとも、母のように脳出血で逝くのだろうか。
だが、出来れば、最後に意識が少しはあってくれたほうがいい。
なぜなら、あまりに突然の死では、夫にありがとうという間も
ないから。
きっと死ぬまで一緒にいてくれるだろう夫には、最後のお礼を
言ってから死にたいと思う。

だけど、本当は夫を見送ってからと密かに考えているわたし。
だって、わたしに先に逝かれて呆然としている夫を想像したく
ないから。たとえ呆然とはしないかもしれなくても、そういう
状況を想像したくないという、わたしのエゴ。
わたしなら、夫を見送ってもきっと耐えられると思うから。
もうすでに親を亡くしているわたし達だから、残されて悲しみ
や寂しさに耐えるのはわたしの方でいいと思うから。

 人生の終幕なんて大袈裟なことではないが君と立ちたい(市屋千鶴)



2002年11月21日(木) がっくし

今日は仕事でがっくし。

毎日きちんとやってる確認をやらなかった日に限って、何かが
起きるものだ。
毎日やっていた確認作業。
定休日前に確認したから大丈夫だと思って、今朝はしなかった。
午後3時過ぎに電話で、作業に来てもらっていないがどうした
のかと問合わせがあった。

わたし、慌ててしまったんだよね。
急いで業者さんに電話してお客さんに電話してもらって、夕方
に訪問させていただくことになった。

だけど、連絡をしてきた某大手の営業の方に、お叱りを受けて
しまった。
問合わせをいただいたら、その逆方向に連絡を回してお客様に
連絡するもので、直接業者からするものじゃないって。
間に入った方の立場が無くなるっていわれた。
たしかに、その方の言われるとおりだと思った。
失敗したなぁ。(落胆)

まあ、対応が早かったのは認めてもらったけど、連絡の取り方
に問題があったんじゃあだめだね。
せっかく感謝してもらえる仕事が、これでは苦情ばかりの印象
の仕事になってしまうと言われたのだった。
ほんとに、がっくし。(T_T)

あわてて、ちゃんと話を聞かないわたしが悪いよなぁ。
しまった、やっぱり確認しておくんだったよ、という気持ちが
態度にでてしまったんだね。
まだまだ、修行がたりない。


なんて、がっくししてしまうわたしだが、こうやって文字にす
ることで、ちゃんと自分の失敗を見直せることがありがたい。
きっと、文章にしなかったら、いつまでもぐちゃぐちゃと考え
てしまっていると思うから。

こうみえて、優柔不断で執念深いさそり座のA型だもん。(笑)
動物占いでは、わけのわからんペガサス。(更爆)
六星占術では、淫乱で精力絶倫と言われる火星人の陰。(謎爆)

どこをどう切っても、粘りそうでしょ?
さっぱりと生きていくために、密かな努力を続けているのだと
いうことは、自分でも知らない。(自分でもかよっ!)

 わたしには不思議がいっぱい詰まってて一生かけても解明できない(市屋千鶴)



2002年11月20日(水) ワイルドアームズ3(長いです)

夕べ、24時近くまでかかって、やっと終了。
夫が帰ってきたのが23時ごろ。
「もう、いやんなっちゃったよぉ〜。」
「なんで?」
「だって、ラスボス(最後の大勝負)、進化しながら戦って、
 もう8回目くらいなんだよぉ。」(半べそ状態)
「せっかくここまできてるんだから終らせたら。」
「う〜ん、がんばる。」
じわじわ、ねちねち、じりじりとラスボスを攻撃するわたし。
傍らで、晩御飯をかっ込み終えて、インターネットで攻略法を
確認してくれている。(ラスボスは第10形態まであった。)
やり方はあってるみたいだ。
けど、ねちねちした攻撃。(爆)

エンディングまで見終わって、なんて感動が少ないんだろうと
思った。
「ワイルドアームズ」の1作目とどうしても比べてしまう。
「ワイルドアームズ」は、2もやったけど、すぐに売った。
3も売ることになると思う。
それは、もう1回やってみたいかと聞かれたらNOだから。
それは、わたしにとってはそのストーリーをもう一度味わいた
いかという問いだからだ。
もう、このお話は、いいです。たくさんです。
そういう心境。

終ってから、夫と1作目との違いについて語り合った。
同じような話なのに、なぜ感動ではなく嫌気がするのか。
悩みながら主人公達が成長するのはある程度お決まりのことだ
から、それはOK。
その精神的な成長、それぞれが抱えている悩みを乗り越えると
いうことに対して共感が持てる。
言ってることも、ちょっとは青臭いけど、いいことだった。

では、なぜ主人公の言動が鼻につくのか。
1作目では、3人の主人公がそれぞれの悩みを乗り越えて成長
していく様が感動的だった。
お互いを思いやる気持ちに溢れてくるのが良かった。
3作目でも、同じようなものなのだが、決定的な違いはその話
の見せ方にあった。

1作目では、一人一人が思索するという形でプレイヤーに訴え
かける。
プレイヤーは、キャラクターの考えていることをなぞらえる形
で自分のものにしていくのだと思う。
3作目は、殆どが会話の中で語られる。
悩んだことも、乗り越えたことも、すべて主人公の口から少女
の青臭い言葉として語られる。少女の言葉づかいでだ。

そこにプレイヤーは入り込めないような気がする。
会話をずっと聞かされて(読まされて)いると、プレイヤーは
ただの第3者にならざるを得ない。
そこには、観客という立場の自分しかいないように思う。
1作目の、一緒に思索している感覚が味わえないのだ。

熱い心を語ってくれるのは、子供向け番組であって欲しい。
テレビゲームもそういうものだけど、自分でプレイしていると
いう時点で、それは自分の言葉や思考に引き寄せている。
憧れるヒーローではなく、自分で操作する自分を同化させたも
のだから、話し言葉ではなく思索して欲しいのだと思う。
要するに、「ワイルドアームズ3」はしゃべりすぎってことだ。

他の人はどうなのだろう。
頭の中で、考え事をするとき、どんな言葉で考えるのだろう。
わたしは話し言葉で考えない。
話し言葉で考えるとき、それは実際に言葉に出して独り言とい
う形になっている。(歩きながら、夕陽がきれいだねなんて。)
考えるときは、書き言葉であることが多い。
たとえば、この日記のようにね。

「ワイルドアームズ」の1作目。
実はもう3回も繰り返しやってたりする、溺愛しているゲーム
なのだ。
だからこそ、1作目を越えるものを期待してしまうのだけど、
それは作る方にしてみれば大変なことなんだろうなぁ。
わたしみたいなファンばかりではないもの。
あくまでも、これはわたしの願望で、趣味なので。

3作目、途中までの方が感動的だったなぁ。。。。ラストより。

それにしても、「ポポロクロイスはじまりの冒険」を開封でき
てうれしかったよぉ。(T_T)
説明書を読んでるだけで、うれしくなるあほなわたし。
ポポロが好きなのは、同じ人物が登場してくるシリーズものだ
からなんだろうなぁ。
ファンタジー小説の続編を見ているような気持ちになる。
さっそく途中までやったよ、やった。
なんてかわいいのだろう、このキャラクターたちは。(嬉)

多くを語らせなくても、一言のセリフだけで主人公の優しさが
わかるところに、このシリーズの良さがあるのだと思う。

 新しい主人公たち見守ってその一言に優しさを見る(市屋千鶴)

マニアックで長い日記、読んでくださってありがとう。



2002年11月19日(火) 誰も知らないよね季節託児所

ヒーローものについて熱く語ってしまうのは、なぜだろう。

わたしは幼稚園って、行ってなかった。
村には保育園があったが、行っていなかった。
農繁期には、公民館で子供を預かってくれる「季節託児所」と
いうものがあった。
わたしはその「季節託児所」育ち。(笑)
でも、記憶はあんまりなくて、姉が迎えに来てくれていたこと
と、おにぎりを食べたことしか覚えていない。
ああ、なんか絵を見て名前を言うっていうようなことをやって
いたような気はするが。

「季節託児所」に行ってる以外は、基本的に家にいた。
母はわたしにテレビを与え、チャンネルをいじることを知らな
かったわたしは、母が映していった「教育テレビ」を毎日見て
暮らしていた。
英才教育?
いやいや、わたしの生まれ故郷ではそのころ、民放は1局だけ
で、あとは○HK総合と教育と、3つしかなかったのだ。(涙)
実験をやってるとことか、訳も分からず見ていた。
結構面白いと思っていた。

だからか。
教育テレビで見たものって、必ずメッセージがあるように思う。
お話の番組、人形劇、明るい仲間などの道徳の時間に見ていた
ような番組。(道徳って今はないんだっけか。)
そういうものを見続けていたから、子供の見る番組には熱い心
が必要だなんて思ってしまうんだろうか。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
なんだか、東京同窓会が終ったら、ぼーっとしてしまっている。
気が抜けたっていうかなんというか。
それに、なんか、しゃべり足りない気がしている。
本番が終って、同窓会について語り尽くしていないという気持
ちがある。
まだまだ話したいことがいっぱいあったのに。
司会の準備やなにやらでみんなと話す時間があんまりとれなか
ったもんなぁ。(;_;)

昨年から準備のメンバーになっている人は、もう充分だという
気持ちがあるのだろう。
しばらく静かにしていたいみたいだ。

ほんとに、ぼーっとしている。
いや、なんとはなしにさみしいものを感じているのだなぁ。
酒でも飲みながら、なんかパーッとしゃべりたい気分。(笑)

 なにもかもぼんやりとした空の下ミトコンドリアの切ない暴走(市屋千鶴)



2002年11月18日(月) ゲームとかヒーローとか

マニアックな話がつづく。
わたしの超お宝ゲームは、この「ポポロクロイス」シリーズと
「ワイルドアームズ」。
ワイルドアームズは、最初のが一番だ。
最初に買ったロールプレイングゲームだったが、泣いた。
夫と姉の一家からかかってきたときの携帯の着メロは、「ワイ
ルドアームズ」のテーマソング。(すっごいばか?)
その後ポポロを買って、やっぱり泣いた。
1も2も泣いた。

ゲームで泣くなんて、この2シリーズ以外考えられない。
やってて面白い、難しい、爽快だとか、いろいろあるけれど、
RPGはストーリーの良さとキャラの人柄だって思うわたしは、
甘ちゃんなんだろうか。

同じような感覚で、子供向け番組も見る。
特にヒーローもの。
今現在放映中の「忍風戦隊ハリケンジャー」の前の前。
「未来戦隊タイムレンジャー」を見ていたころ。
市内のショッピングセンターに何気なく夫と買物に行った。
なんと、そこでは、「タイムレンジャーショー」開催中。
入り口の横のイベント会場で、彼らは戦っていた。
ああ、テレビで見るときと同じジャンプの仕方。
(メンバー一人一人、ジャンプの仕方が決まっている。)
すごいぞ、みんな。
お決まりのようにピンチになるヒーローたち。
子供たちに声援を送ってくれと頼むヒーローたち。
精一杯の大声で応援する幼い子供たち。
その声を聞いていて、なんだかわたしのほうが鼻がつんとして
しまった。
そうそう、そうやって誰かのために精一杯応援するってことを
覚えてね、みんな。
精一杯の応援が力に代わるってことも、ちゃんと覚えてね。

こんなわたし。
子供番組は子供と一緒に大人にも見て欲しいと思っている。
子供の純粋な質問にちゃんと答えてあげて欲しいと思っている。
仕掛けがどうのこうのは、大人だってわからないでいいと思う。
でも、この敵のどこが悪いのか、そしてヒーローたちは何を怒
り何を悲しんでいるのか。
それをしっかりと伝えて欲しいと思う。
作る方も、見せる方も、その中にちゃんと伝えたいことを入れ
て置かなくちゃいけないと思う。
御伽噺や昔話にちゃんとメッセージが込められているように、
子供向けと銘打ったテレビ番組には、ちゃんとメッセージが込
められていてほしい。
ただ、ロボットを買いたいとだけ思わせていちゃだめだよ。
幼稚園くらいの子供には、無理なんだろうけどなぁ。

3歳くらいまでは、ハッピーエンドのお話だけを読み聞かせる
のが相応しいと聞いた。

昔話やヒーローものや、少年向けのアニメ。
本当に分かるのは、小学校の後半からだろうか。
(龍の子太郎で泣いたのは、中学三年だったが。)
わたしは、10〜12歳くらいの主人公に憧れる。
熱い心は、ヒーローたちに支えられていく。

 「守るべき者があるから強いのだ。」スケバン刑事はかく語られり
                             (市屋千鶴)



2002年11月17日(日) 夫の研修とわたしの課題

今週の後半、夫は社員研修に出かける。
各地から集まって30人くらいでの2泊3日の集合研修。
SE(監督職)研修だって。
夫の会社では、SE(あくまでも会社の中でのランクとして)
になるときに小論文と面接を受ける。
上司の推薦も必要だったと思う。
SEになって1,2年目の社員のための研修らしい。

そういえば、銀行のころ中堅社員研修っていうのがあった。
だいたい30歳前後が対象で、これが終っているということが
課長代理クラスに昇進できる資格だったように記憶している。
なんか、夫の研修とは逆だ。
この中堅社員研修って、数人のグループに分かれて、その中で
お互いの長所短所を鋭く指摘し合うという時間が最初にある。
けっこう、手厳しいことを言われるらしかった。
その研修を受けてくると、丸くなるんだって言われてたり。(爆)
そういうもんかねぇ。
受けたこと無いから、なんとも言えないけど。(^^;

夫の研修は神奈川県の三浦海岸で行われる。
それも、研修会場に9時10分までに行いかなくてはならない。
家をでるのは、この間の日光旅行のときと同じだ。始発に乗る。
まっ、がんばんなさーい。(^.^)/~~~

そんなわけで、今週後半2晩は、一人。
給料日前のこんな時期に一人の時間が出来たって、ゲームする
くらいしかないだろうがっ。
そうそう、「ワイルドアームズ3」まだ終ってない。
だってね、不器用なわたしにはとても難しい道を通って行くん
だよ。もうちょっとで終るのに。(T_T)
買ってから、封も切っていない「ポポロクロイス物語」(最新)
がかわいそうだ。せっかくのプレミアボックスなのに。
「ワイルドアームズ3」が終らないと開けちゃいけないって、
夫に言われ、それを守っているわたし。(;_;)

がんばって、夫の研修の前に「ワイルドアームズ3」を終らせ
て、研修に行ってる間にポポロくんを始めよう。
ああそれのしても、ピエトロ君がお父さんになるなんて。
ナルシアちゃんがお母さんになるなんて。(感慨)
アニメの「ポポロクロイス物語」もしっかりビデオに撮って、
二人で毎回見ていた。
エンディングの歌が大好きだった。
聞いてると幸せな気持ちになれた。

マニアックな話でごめんなさい。

「ポポロクロイス物語2」の最後のほう。
崩れ始めて海の底に沈んでしまう所に居るピエトロとナルシア。
水に落ちると泡になってしまうナルシアのために、ピエトロは
ナルシアを抱き上げている。
だんだんとつま先立ちになりながら。
自分は水の中に沈もうとしながら。
そんなピエトロのため、泡になってピエトロの呼吸を助けよう
と、自ら水に入るナルシア。
「ありがとう、ピエトロ。」って言いながら。
このシーンで流すであろう涙を拭くために、予約でゲームを買
うと「涙ふくハンカチ」がついてきていた。

 つま先立ちでわれをささえるピエトロのため泡となるナルシアの愛
                             (市屋千鶴)



2002年11月16日(土) うれしい再会ばかり

昨日の東京同窓会、なんとか無事に終了。
イベントコーナーの司会をするのだからと、受付とかの役割を
代わってくれたみんなや、司会の間中、前の方の陣取って声援
を送ってくれたみんなに感謝したい。
今回の主幹事、15学年先輩の方には二次会のためのカンパを
いただいたいた。ありがとうございます。

それから、シナリオが良く出来ていたので、好評だった。
ありがとう、岩田君。
スクリーンに映し出された画像の美しさや、スクリーンの活用
方法は、大好評だった。ありがとう、柿本君。
資料を直前になって大量にコピーして小冊子をまとめてくれた
渡辺君、ありがとう。
今春卒業したばかりで、同窓会にわざわざ来てもらった後輩の
青山さん。(母校のチアリーディング部の創設メンバー。)
彼女には、チアリーディング部の紹介のためにユニフォームま
で着てもらった。本当にありがとう。
お父さんの年が、わたしたちと一緒だということ。
保護者感覚でそばに居たよ、みんなは。

ぶっつけ本番なのに、あそこまでうまくいくとはねぇ。(笑)
昨日の同窓会本番までの、さまざまな苦労が報われたっていう
気がした。
一番大変だったのは、同窓会長ではなくて、岩田君だったから
みんなそれはわかっていて、口々に岩田君にお礼を言った。

ステージで、出身の市名を言ったところ、終ってから同じ市の
出身の大先輩に囲まれ、いろいろインタビューされた。
二次会の会場では、来年の幹事をなさる14学年上の先輩方と
鉢合わせ。
わたしたちの盛り上がりにあきれておられたかもしれない。
が、ビールをピッチャーで差し入れていただいた。(感謝)
その中にも、同じ市の出身の方がいらして、「尾花沢会」って
いうものがあるって教えてくださった。
う〜〜ん、いろんな所に潜んでいるな〜。

同窓会の楽しみは、やっぱり久しぶりに会う人だよね。
久しぶりに、会いたかった人に会えて、とても嬉しかった。

故郷が隣町で、同じ駅を使う岩井君。
茨城県ひたちなか市に住んでいる。
一目ではわからなかったが、ほっぺたのお肉を削った顔を想像
したら、すぐにわかった。(爆)
わたしも彼も母子家庭で、二人とも貧乏だった。
剣道部だったのけど、最初のころは自前の胴着が買えなくて、
体育で使う柔道着を着て練習していたんだよね、君は。
おもわず、「おれたち、貧乏だったもんなー。」と肩を組んだ。
ここでも、男同士。(笑)
彼の恋愛のこともわたしは知っている。わっはっは。(謎笑)

水泳部で1年のとき同じクラスだった、安孫子君
埼玉で英語の先生をしている。相変わらず色が黒い。
わたしと同じクラスだったことを覚えてくれていた。(嬉)

これを機会に、連絡が取れるようにと新しいメンバーを加えて
メーリングリストが更に強化された。
そういうのは、渡辺君が大好きだから、彼はきっと楽しそうに
いろいろ企画するんだろうな。(二次会の手配も彼だった。)
まずは、忘年会だろうか。

興奮覚めやらないまま、書いています。(汗)

 懐かしき顔ぶれの中もう一人君が居ればと想いを馳せる(市屋千鶴)



2002年11月15日(金) 優しい言葉

ある日突然目にした言葉に、心をぎゅっとつかまれる。
それは、別に詩歌でも特別な言葉でもなく、掲示板に書かれた
言葉だったり、日記に書かれた文の一部だったり。

先日、偶然見つけた裏の掲示板。
見ないでおこうと思ったけれど、なんとなく覗いてしまった。
見ないでおこうと言ったくせに、ちゃんと行き方を確保してお
くなんて、未練っぽいわたし。(笑)

そこには、切ない言葉が書いてあって、それにこたえる優しい
言葉は書いてあって。
やっぱりこの人達は優しい人達だって思った。
だからといって、わたしが何か書込むのもどうかという雰囲気
は変っていないのだけど。
偶然みつけた掲示板。
いったい何処から行けるようになっているのか知らない。
表から行けるように出来ていない、行き方を教えられていない
ということは、そこに書き込むべき人間ではないということ。
わたしはそういう風に受け止めるから、感激しようが、優しい
言葉に触れようが、何も書込めない。
たとえ、何か語りかけたい言葉を持っていたとしても。

先日、掲示板が苦手と書いたのは、実はこの掲示板の存在を知
ってしまったショックによるものが多かったのだと思う。
見ては行けないものだった様な気がする。
ショックというには軽すぎる、何でもないことかもしれない。
やっぱり、ただの嫉妬なのかもしれない。


今日は高校の東京同窓会本番。
終るまではどうも落ち着かない。
おおざっぱな段取りだけの方が気が楽なのかなぁ。
二人で司会ということで交互にしゃべるようになる。
その辺がちょっと心配。
掛け合いって難しいからなぁ。

とはいえ、まだ本番直前と言う訳じゃないから、上がってると
いうのでもないし、漠然とした不安とか焦り。
まあ、なるようになるでしょう。(^o^)

今朝ね、すごくいい夢を見た。
いい夢っていうか、なんかモテモテだった。(爆)
自分が30代前半で、20代の後輩とかいっぱいいて、みんな
に熱い視線を送ると応えてくれるっていう。
それも、みんな、仮面ライダーアギト級のかっこよさ。
でも、夢の中の自分は明らかに自分じゃない容姿ってとこが、
なんだか悲しいやね。

 何気なく視線を向けた相手にも恋する瞳は振りまかれている(市屋千鶴)



2002年11月14日(木) 同居人

昨日はなんで、苦手だったSさんのことを思い出したのだろう。
日記のことはつゆほども知らない夫。
夜遅くのスタートレックを夫と見ていたら、登場人物の一人が
Sさんに似ていないかと言い出した。
わたしは思いっきりふるふると首を横に振る。
ぜんぜん似てないよぉ〜〜〜。(T_T)
う〜〜ん、いわれてみれば眉毛が似ていたかも。
でも、眉だけで似てるって言わないでくれよ。
だいたい夫は女性の顔の区別が出来ない。
というよりも、あんまり見ていない。(^^;

Sさんには、一緒に住んでいたY君の他に、猛烈にアプローチ
していた男性がいた。
その人が、わたしの一番の友人(この前しゃぶしゃぶ食べたね
・通称きわみちゃん)のご主人になる人だったんだよね。
一緒に住んでるY君がいるのにっていわれて、Sさんは一緒に
住んでいるY君はただの同居人だと言っていた。
Y君は、そんな風に言われていてもSさんを信じるっていって
たっけ。
もちろん、きわみちゃんの言うことがすべて正しいのかどうか
わからないし、とも言っていたのだけれど。

Sさんは結婚して群馬県に住んでいたんだけど、どうも嫁ぎ先
とうまくいかなかったようで、離婚していた。
だけど、実家にはいたくないし、一人暮らしはしたくないし。
そんなときに、Y君と付き合い出して、Y君のアパートに一緒
に住み始めていた。定期だってもってたよ。
Y君は岩手県の出身で、ゆくゆくは岩手県に戻る人。
Sさんからすれば、二度と田舎に嫁ぎたくないという気持ちも
あったのだろう。
だから、SさんにとってはY君は一人暮らしにならないための
同居人だったっていうことなのかなぁ。

きわみちゃんも、きわみちゃんの彼も、離婚経験者。
Sさんときわみちゃんの彼は同じ高校だった。
高校生のころ付き合った仲らしい。
きわみちゃんの彼が離婚したとき、Sさんは喜んだのだろうと
思うよ。
それからが、いろいろからんでこんがらがったもつれになるん
だけど、やっぱり相関図を書かないと説明できないや。

女性の顔の区別が出来ない夫だけど、わたしのことをただの同
居人だなんていったことはないし、これからもないよね。ね。
男と女が一緒に住むって、それもワンルームのアパートでって
ことは、愛情があってできることでしょ。

もう、Sさんのこと考えるのやめよう。
もっといろいろ書いてしまいそうになる。
なんだか、わけのわからない文章になってしまって、ごめん。

 もう一人好きな相手がいるなんて苦も無く言えるあんたの鎖骨(市屋千鶴)



2002年11月13日(水) お昼休みの怖さ

同じ女子社員の怖さを思い知らされたのは、11年も勤めてい
た銀行でではなく、昨日の日記の会社でのことだった。
銀行員のころは、システム開発部門だったからか、たまたま恵
まれていたのか、先輩にも同期にも後輩にも嫌な思いをする事
はあまりなかった。

転職して、いろいろと説明をしてくれた女子社員Sさん。
わたしより6歳年下、事務のベテランの雰囲気。
最初の半月はアルバイトだったけど、もうその期間でSさんが
派遣社員のY君と付き合っているのを知った。
だいだい3日でわかってたけどね。
他の人に聞いたら、もうわかったの?だって。
当り前だよお、お弁当作ってきてくれるし、男性のことをこの
人ったらって言う場合は、特別な関係のことが多い。

で、Sさんを含め何人かでお昼ご飯を食べていた。
毎日繰り返される、ドラマの話と芸能人の話と上司の悪口。
そんなことはどこだっておなじことなんだろうけど、ちょっと
飽きちゃって、そのうち一人で自席で仕出し弁当を食べるよう
になっていた。

あとで聞いた話だと、お昼休みの応接室(お弁当を応接室でテ
レビ見ながら食べていた。)では、その場にいない人のことが
いろいろと話題になるのだと言う。それも、悪い方の話題。
ちなみに、わたしは出張する先々に男を作っていることになっ
ていたらしい。(爆)
転職して最初の長期出張のとき、一緒に別の仕事で出張してい
た建築士さんといい仲になったことは認める。
それを、Sさんと付き合っているY君にこっそり打ち明けたん
だよね。まずかったよね。
Y君はそのころわたしのかわいい部下だった。
それが尾鰭を付けて、先々で男を作るってことになってたのに
は驚いたよ。
他の出張先には、ちゃんとした取引先のみなさんがいるだけだ
ったのだけど。
(そういえば、プロレスのチケット手に入れてくれたりした
 プロレス好き仲間の方がいたけど、それは別よね。)

けど、わたしなんか、その程度(爆)で済んでいたけど、いつ
も一緒に食事していて、如何にも仲の良いEさんのことを悪く
言ってるのを聞いたときには、頭来た。
Eさんが、怖くて休めないといっていたと聞いたとき、かわい
そうになった。
何を言われても、あの人のいうことは信用できないって周りが
思っているんならいいんだけど。
行動は信用できないけど、情報は信用できそうなとこが怖い。

女子社員の怖さって書いたけど、女性でなくてもそういうもの
を持っている人はいるよね。
ただ、日常社内にずっといる人だけに、怖さが増すとも言える。
会社解散以来、何をしているのか知らないけれど、あの頃つき
会っていたY君は、すったもんだの挙げ句に故郷に帰って結婚
した。
連絡が来たとき、うれしくて涙が出そうだったよ、Y君。
しいたげられてたもんねー。(T_T)
相関図を書かないと説明できないような、男女関係のもつれに
まきこまれてたからねぇ、きみは。

 結婚の報告をする君の声に返す言葉が鼻声な訳(市屋千鶴)



2002年11月12日(火) 胃が痛いって

昨日は日記を書いてからおなかが痛くなってね。
ずいぶん長い時間トイレに入っていた。
疲れちゃって、10時前に寝てしまったよ。
帰ってきた夫は、大丈夫かあといっておなかをさすった。
だめだよ、刺激しちゃー。
午前4時過ぎ、再びトイレに行くために起きたよ。(T_T)
今朝、体重計に乗ったら、すっかり体重が減ってしまった。
(嘘です、ちょっとです。)
りんごの食べ過ぎ?(1日1個だけど)
おなかが冷えたのかなぁ。(腹巻き必須?)
同窓会に向けてのプレッシャーか? (いや、まさかね。)

今日も微妙にしくしくするような気がする。
いや、実症状は出ていないから、そんな気がするだけかも。

胃が痛くなったことって、43年の人生で3回くらい。
最初は、母が倒れて亡くなるまでの1週間。
次が、銀行から転職した会社での仕事で1週間入院。
3回目は? へっ、いつだっけ?
結局2回なのかな?

2回目の1週間入院っていうときには、もう夫と同棲を始めて
いた。
転職してから2年間担当していたシステムから、別のシステム
の担当になって、営業支援だとか、データ移行処理とかの毎日
だった。
だが、営業支援で一緒に出かけていくと、営業の大風呂敷を聞
かされる羽目になって、それは出来ませんとはその場で言えず、
結局自分の仕事が増えてしまったり、スケジュールがきつくな
ってしまったりしていた。

出来ることと出来ないことをはっきり言いたい。
こんな当たり前のことが許されなくて、嘘をついているようで
心苦しかった。もう、嘘はつきたくないと思った。
それが胃痛の原因だったんだと思う。
ある朝突然に、胃が痛くて立っていられなくなっていた。
診察を受けて、検査に行こうとして胃が痛くて涙が滲んできた。
それを見ていた医師が、車椅子を用意してくれた。
車椅子で検査室にいったり、結局入院することになった。
入院中、胃カメラで検査したりしたが、少し赤くなっているだ
けで胃潰瘍とかではなかった。胃炎。
だけど、上司が見舞いにきて仕事の話をし始めると、胃が痛く
なった。ほんとに、条件反射だった。

それから、1ヶ月半ほどして、会社は解散された。
嘘をつかなければならない会社なんて、そうなって当然だろう。
はったりと嘘は違うよ。
はったりは、誇張するだけ。
出来ないことを出来るといったりはしない。
なんとか出来るだろうと思っていることを、出来ると言いきる
ことによって力にするのがはったりというものではないかと思
うのだけど、どうだろう。

わたしは勤める会社を失ったが、仕事はあった。
最初から担当していたシステムを最初に購入してくれた会社で、
わたしを必要としてくれたので、個人で仕事を引き受けること
にしたのだった。
その期間は幸せだったなぁ。
なんだかんだいって、その最初に担当したシステムがかわいい
と思っていたし。
このシステムに関しては、出来る出来ないとちゃんと伝えた上
で対応を考える付合いが出来ていたから。
うんと前の、まだWindowsになる前のDOSで動くもの
だったけど、未だに質問が来るところをみるとまだ使ってもら
っているらしい。(^^;

解散した会社の話、追い追いと出していくつもり。

 あの人の言葉を聞けばきりきりとわたしのなかで棘が育つよ(市屋千鶴)



2002年11月11日(月) うんと昔の高校のこと

昨日の「ぷらむ短歌会」の休憩時間に聞かれたこと。

高校に、同じ中学から3人だけって、プレッシャーはなかった
か、だったと思うんだけど。

もう、28年も前のことなんだね、高校入試。
わたしの故郷山形でも、当然学区は別れていた。
わかりやすくいえば、庄内地方の南北、内陸地方の南北かな。
はっきり覚えていないのだけど、あの高校には北は新庄から南
は上山あたりまでだったと思う。

で、当然山形市内の中学校からは沢山入学する。
もっと離れた市町村からは、おそらく中学校から1〜4人程度
ではないかと思う。
誰もが中学校のトップクラスからやってくる。
当然、高校に入ったら同じくらいの学力の生徒がたくさん。
ここから、本当の学力の差が出るんだと思うよ。

高校入試のプレッシャーってはっきり言って、なかった。
だって、入学できると思い込んでたから。(笑)
模試で充分入学できる位置にいたから、そう思い込んでいた。
だいたい、受験勉強なんて、問題集1冊やっただけだったし。
もともと、小学校、中学校と、あんまり勉強しなかった。
授業をきちんと聞いていれば試験もできたし、成績も良かった。
覚える事は、その日の内に覚えてしまい、映像で思い出す。
変な子だったの。あの教科書のこの辺に書いてあったなって。
入試だってそんな調子だった。

でもね、一緒に入った二人はそうじゃなかったんだと思う。
一生懸命地道に勉強したんだと思う。
だから、彼らは思わず泣いてしまったり、わたしと抱き合って
喜んだりしたんだと思う。
わたしと抱き合って喜んだ彼は、言ったもんだ。
「おれは一生懸命勉強したんだから、受かる自信が有った。」
偉いよね、彼ら。
だから、医者になったり、研究所に勤めていたりするんだろう。
医者になりたいと言っていて、本当に医者になった泣き虫の彼。
家業が洋品店だったからか、化粧品メーカーに勤めた彼。
わたしは、中学の先生になりたいと、漠然と思っていただけ。
それも、わたしが両親の離婚で苦しんでいたときに、担任が全
く気づいてくれなかったというだけの理由だった。

わたしは、中学校まで地道に勉強するなんていう習慣ができて
いなかったから、高校に入ってからの戸惑いは大きかった。
わからないところがわからない。
毎日の復習予習が終らない。
今まで味わったことの無かった感覚だった。
一緒に列車で通う他校の生徒(中学の同窓)の宿題は、駅に着
くまでの短い時間で全部解けるのに、自分の宿題は1問も解け
ない。 なんか、切なかったね。
でも、そんな思いをしなければ、わたしはいつまでも何の努力
もしない、挫折も知らない大バカ者だったと思う。
わからないということの辛さを初めて知ったときだったもの。

転校前の中学で、同じ高校に入ろうと約束した男子達は、高校
のランクを一つ下げていた。
高校まで遠いわたし達は、山形市内の高校を受験する生徒全員
で前の日から宿泊するのだった。
たまたま前の中学の生徒も同じ宿で、彼らがランクを下げたこ
とを知りショックを受けたのを覚えている。
たしかに、ランクを下げて入れば、入学した後に楽なのだろう
と思う。(大バカ者は治らなくてもね。)

だが、
県内でトップの高校と言われ特別視されようとも、
下から数えた方が早い成績でも、
ほとんど女子がいなくても(今は女子の方が多いらしい)、
体育で男子と一緒に柔道を教わったりしていても、
授業中に割れた天窓から雪が降ってくるようなボロ校舎でも、
わたしはあの高校に入って良かったと思っている。
そんな高校の同窓会、今週の金曜日だ。(どーしよーっ)

土曜日のNHKで、鶴岡第三中学校が取材されていた。
2年生から導入される、習熟度別学習。
ゆっくり進む子も、早く進む子も、わかるっていうことはほん
とに楽しいことなんだよね。
安易に中学の先生になりたいなんて思っていた自分が恥ずかし
くなったし、なんだか涙が出そうだったけど、夫が見てるので
我慢した。

 中学生に戻ってやり直すことを望まねばならぬ やな奴だった
                             (市屋千鶴)



2002年11月10日(日) ぷらむ

今日は「ぷらむ」の日。
毎月、新しい会員さんが増えているようだ。(^_^)
今日は12人だった。いつもより少し多いかな。

意見交換していただいたのは3首だが、

 「少しだけ太りましたわ」ころころと笑い声して月を見上げる(市屋千鶴)

「ぷらむ短歌会」のみなさんは、この歌がお気に入りだった
ようで、わたしらしいと言っていただいた。(笑)

今日は、2時間でたどり着ける方法を見つけた。
というよりも、それにチャレンジしてみたというべきかな。
家に一番近い(会社の前)のバス停で、12時3分のバスに
乗れば、13時50分に南大沢の駅に着けるってわかった。
ここのバス停、1時間に1本あるかないかだから、あんまり
時間も覚えていなかったんだけど、ちょうどいいのがあった
なんて、ラッキーだ。

本当のことをいうと、ある方の日記を読んでいて時間がなく
なってしまったのと、着ていくものが決まらなかったことで
もしかしたら間に合わないかもしれないって思っていた。
5分遅刻するくらいかなぁ、なんて思っていた。
でも、電車の乗り継ぎがとてもスムーズなので、これはいい
と次回からこの方法に決定。(^o^)

この日記を読んでくださっている「ぷらむ」の方と隣同士で
すわった。
彼女の歌は、とてもお気に入りなのだ。
意見交換で作者のお話を聞くと、なんでもない風景や事柄を
詠んでいるようなのだが、文字にして歌にしてみるとわたし
なんかはとても深読みしてしまって、う〜〜んいいなあって
思う。言葉の選び方がうまいのだろうか。
今月も、3首の内2首も読み違えていたのだけれどね。(^^;
みなさん、独自の雰囲気を持っている。
独自の雰囲気を持っているって大事なことだと思う。

来月は、終ってから忘年会。とても楽しみ。
年末年始に向かって、食事を調整しなくてはならない。
だって、お正月くらい食べたいもんね。

なのに・・・・
休憩時間のお菓子はみんな食べた。おいしかった。
夕食を白菜いっぱいのお鍋にしようとしたが、バーミヤンの
誘惑に負けて断念。
なんて、誘惑に弱いんだろう。(;_;)
お米がなくなっていて、夫に買っておいてもらったんだけど
さすがに炊いておいてとは頼めなかった。
帰ってからご飯を炊くのが、待ちきれなかったんだよ、胃が。
だれか、わたしの食欲を減らしてくれーっ。

いや、それより運動しなくちゃいかんね。
バーミヤンの前で夫を待つ間、段差を使っておもむろに踏み
台昇降するわたし。
「なにしとるん?」と夫に聞かれて、「踏み台昇降っ!」と
元気に答えるわたし。
「えん石、買ってやろうか?」って言われたよ。

東直子さんから、「通じるものがあるのでしょうね。」って
いわれた久米さ〜ん。(帰りは新宿までいつも一緒。)
ぎっくり腰、大事にしてねーっ!



2002年11月09日(土) ラーイ

「真夜中の雨」、2回分のビデオがまだだ。早く見なくちゃ。

明日は「ぷらむ短歌会」。月に一度の短歌の勉強会。
先月の吟行は、あんな事情(10/19の日記)でお休みした
から、今月はとても楽しみにしている。
2時間半の道のりは遠いけど、あんまりぎりぎりに出かけてし
まってお昼を食べる余裕が無かったりして野菜ジュースだけで
済ませてしまったりしてるけど、それでもとても楽しみ。

当日、みんなで意見交換する短歌は1週間前までにFAXとか
Eメールで送っておいて編集していただく。
お題は「見」。今月は、題詠で3首。
あんまりいいのが作れなかったから、旧作からちょっと引用し
てしまった。
新作が作りにくかったのは、「見」という文字を使った旧作が
けっこう多かったからかもしれない。
検索してみたら、夢を見るという歌が多かった。
写実的な歌があまり多くないわたしにとって、見るものという
と夢になってしまうのだろうか。ちょっと反省。(..)

来週の金曜日は、高校の東京同窓会本番。
案内のハガキの返信用に、川柳をどうぞと書いたところ、なん
と132の応募が有った。
当日、以下にしてそれらの川柳を発表するか、またどれを選ぶ
かが重要になってきた。
イベントコーナーの司会であるわたしも、選句する。
ほんとは全部紹介できるのが一番なんだけど、時間の問題があ
るし、スライドショー的にスクリーンに出しておくという手も
考えたりしている。
当初の予定よりも、時間を取られるコーナーが増えてしまって
なかなか難しいようだ。

なーんて、この日記を書き始めたのは、「勇者ライディーン」
をケーブルTVで見ながらだったのだけど、いつのまにかこん
な時間になってしまった。(^^;
夫婦でライディーンを見ていると、「ラーイ」って語尾につけ
て話をしてしまうアホ夫婦だ。(笑)

 ラーイって言うけどそれはライチュウじゃないよ僕らはロボット世代
                              (市屋千鶴)



2002年11月08日(金) 広くて浅い

それは、わたしの趣味。
いいや、趣向というべきか。

本の趣味は偏っていると書いたような気がする。
とっても偏っている。
普通の小説が読めない。
なんだかそれってわたしの人生より波乱が無いじゃないって
思ってしまうから。(爆)
恋愛小説なんて、読んだことが無い。
とにかく現実に近いものはあんまり読まない。

漫画もあんまり少女漫画は読まなかった。
でも、和田慎二が好きで、「スケバン刑事」と「ピグマリオ」
は全部読んだ。「明日香シリーズ」もね。
「スケバン刑事」は9巻から後全部、「ピグマリオ」は全巻
持っている。
不覚にも「ピグマリオ」で泣いたりするわたしっす。

歌の趣味は逆に、身近に感じるものが好きだった。
とはいっても、あんまり熱心に誰かの歌を集めるとかしない
のだけど。
中島みゆきは好き。立ち直る力がもらえそうだから。
A−HAも好きだった。北欧の匂いがするから。
好きな本の中に出てくる国の匂いがする。そう、ケイロニア。
(わかる人にしかわからない国名でごめんなさい。)
なぜか氷室京介も好き。あの声のかすれ加減が好き。
いっぱい好きな歌い手さんはいるけど、そんなにCDを持っ
ていない。テレビっ子だから。(笑)
最近、ガックンがかっこいいなぁって思う。

映画の趣味は、もちろんアクション映画。(なぜにもちろん?)
それと特撮映画。笑える映画。時代劇映画。サスペンス。SF。
一番記憶に残っているのは、「ブレードランナー」かなぁ。
やっぱり現実離れしているものが好き。
宮崎アニメも好きだけど、基本的に、戦う女の子が主人公と
いう設定が好きなんだね。ナウシカとかラピュタとか。
もっと前だと「未来少年コナン」だね。(映画じゃないね。)
ラナの意志の強さと、ラナのためなら何でも出来るコナン達が
とっても好きだった。

他にもいろいろ好きなものなど考えるが、これ一本っていう物
がないのに気づいた。
なにをやっても中途半端ってことかなぁ。(;_;)
これの話ならずっと話していられるとか、これについては他の
誰にもひけを取らないとかいうものが無い。

いろんな事を広く浅く知っていて、興味が有って、ってことか。
これを深く追求したいって思ったこと、何だっただろう。

男女関係?(爆)
それはかなりいろいろとお話できるかもしれない。(^^;

 この道を真っ直ぐ行けばたどり着くと信じて歩く君の待つ町(市屋千鶴)

 趣味雑学広くて浅い吾なれば想いは深く歌に込めたし(市屋千鶴)



2002年11月07日(木) 苦手なもの2

苦手なもの、その2。
渋谷。というか人込みか。(^^;

なぜだかわからないのだけど、渋谷はどうも苦手だ。
たぶん、いいところを見ていないだけなのだと思う。
あんまりいい思い出がないというか、人ばっかり見てしまって
どうにも目が回ってしまいそうだ。

25,6歳のころ、京橋まで通っていた。
東京駅の八重洲口南口から歩いて京橋の端っこまで。
同期の女の子二人と三人でよく帰りに遊んだりしたんだけど、
会社の帰りに銀座に行って人に酔ったという経験が有る。
二人に大笑いされたね。
それまでは、京王線の明大前までの通勤で、京王線の中だけで
すんでたんだけど、京橋勤務になってからずいぶんと人込みを
歩くようになっていたんだね。
だけど、アフター5の銀座の人の中で不意に気分が悪くなって
しまうわたしは、う〜〜ん、やっぱり田舎育ちかねぇ。(T_T)

その後、勤務地が池袋に変った。
池袋もわかりにくいとこだし、人も多いところだけど、会社ま
ではなるべく人通りの少ない道を選んで、信号の間隔を計って
は走っていた。
ここでこの信号を渡って走れば次の信号も青、とかね。
駅から普通に歩いたら13分くらいのところまで、毎日7分で
行っていた。
走るくらいなら、1本早い電車に乗ればいいのに、それができ
なくて、毎日池袋駅から走っていた。(T_T)
食べてもあんまり太らなかったのは、通勤がハードだったから
だってわかったのは、勤務地が調布になってから。
また京王線の中だけの通勤になって、おまけに20分しか電車
に乗らないから、太った。混んでもいなかったし。(T_T)

その2ヵ所に通っていた頃、必ず通るのは新宿駅。
新宿は、会社の帰りによく寄り道した。
新宿の人込みは、どういうわけか平気だった。
なんかね、いろんな人がいて、どんな人も受け入れてもらえる
懐の広さみたいなものを新宿に感じていた。
渋谷は、田舎もんが行くと、なんだか街全体に拒まれているよ
うな気がしたけど、新宿はどんな田舎もんでも平気な気がした。
あくまでも20代の感覚で、たぶん自分に自信が無かったから
紛れ込める街が好きだったんだと思う。
今でも、新宿はまあまあ好きな街。危険だけどね。

渋谷は、まだ慣れないなぁ。
というか、乗換えで降りるくらいで、あんまり行ったこと無い
っていうのが実際だ。
池袋は、先日行ったけど、相変わらず人の少ないところを選ん
で歩いてしまったよ。(笑)
もっと、都会的なとことは、きっとわたしには似合わなーい。
自分でもすごい田舎もんだと思っているし、それが自慢。(爆)

田植えを手植えでやったことが有って、稲刈りも鎌でやったこ
とがあって、イナゴを取ったり、やぎを連れて小川の側を歩い
たりしたことが自慢だ。

都会が苦手なのに、都会にしか住めなくなってしまっているの
自分に気がつくと、少しばかり悲しい。
もう、雪かきを毎日しなくちゃならない生活はきっとできない
のだろうなぁ。

 積もりたる雪の重さを知るものは茅葺き屋根と雪かきの母(市屋千鶴)

 いつの日か雪降る町で暮らすこと君にはわからぬことかもしれず(市屋千鶴)



2002年11月06日(水) 苦手なもの

わたしが書いているのは『エンピツ』の日記。
『エンピツ』には、マイエンピツという機能が有って、お気に
入りの日記をMy登録するとリスト表示できる。
この機能を逆に使うと、誰がMy登録してくれているかを知る
ことができる。そしてもう一つ。
どこからのリンクで何回読みに来られているかがわかる。
わたしは毎日この3つの機能を使っている。
でも、今日はちょっと意外なものを見つけてしまった。

MyRefer(何処からリンクされているのか知る機能)を
見ていたら、見たことが有るような無いような場所を見つけた。
逆に飛んでいってみたら、わたしの全く知らない掲示板だった。
それも書き込み件数を見るとかなりの件数になっている。
そうかぁ、表が静かだなぁと思っていたら、裏が有ったのかと
気がついた。(笑)
きっと、こんなことはいっぱいあるんだろうね。
こっそり見続けるのもなんだし、書き込むのもどうかと思って
見なかったことにしてしまおうと思った。それがいいや。

わたしの苦手なもののひとつに、掲示板がある。
わたしもこの日記から掲示板に行けるようにしているが、それ
だって結構思い切ってのことだったんだよね。
何が苦手って、掲示板に書き込むこと。
だから、My登録していただいている方の掲示板に書込むとき
だって、かなり思い切って「送信」とか「Write]とかの
ボタンを押してるんだよ〜。
(口調が妙にかしこまっているのも、その為です。>みなさん)

なぜ苦手なのか。
もともとインターネット育ち(爆)ではないので、こんなに開
けた所に踏み出すことに慣れていないこと。
パソコン通信の時代の人間なので、限られたメンバーのみが集
う場所に慣れてしまっているのだね。
だから、誰が見ているかわからないところで発言できなかった。
どうしてもメールするみたいにかしこまってしまう。
楽しい会話調になかなかなれない。
なんだか自分の書込みだけが浮いているみたいに思えてしまう。
別に浮いてたって構わないのだけれど、とてもあの中には入れ
ないと思うことも時々有る。

ああだこうだとぐだぐた言ってるけど、要するに掲示板って、
楽屋落ちみたいなところがあって、わかる人だけの会話になる
わけだから、それに馴染めないんだろうね、きっと。
結構めいっぱい馴染もうとしてるんだけど、かなり無理が有る。

あ〜あ、面と向かって自己紹介とかをするんだったらぜんぜん
戸惑ったりしないのになぁ。(^^;

ネットの世界って、とても親しみやすくて、簡単そうに見える。
掲示板だって、楽しそうに会話に入り込んで仲良しになるのも
やろうと思えばわたしには簡単なことなのかもしれない。
だけど出来ないのは、そうやって自分から相手に近づいていく
と、とても急激に近くなりたがってしまうから。
きっとすぐに近寄ってすりすりして自分の仲良しにしてしまい
たくなるから。人よりも相手との距離を詰めるのが速い。

予想外に急速に近寄ってこられたら、みんな引いてしまうよね。
恋愛だって、友情だってそうだと思う。
いや、そうだったというべきか。
そんな自分を押さえて押さえて、外の世界に踏み出しているか
ら、人に近づくときにはとっても慎重になっているのだ。
すぐに有頂天になってしまう自分をよく知っているから。

わたしは、とても嫉妬深いのかもしれない。

 片方の肩を濡らしてしまうのは自惚れだから一人ずつ 傘(市屋千鶴)



2002年11月05日(火) 集中とリラックス

昨日の談話室「滝沢」で話していたこと。
短歌を作るとき、どうやって作ってるかって。

かわいい美人のYさんは、リラックスしていないと作れない。
わたしは、集中しないと作れない。

Yさんは、ベッドの中で横になりながら作る。
ベッドで横になってリラックスするんだね。

わたしはパソコンに向かって作る。
パソコンに向かうと、長年の職業的条件反射で集中するから。
反対に本を読むときは、集中しないんだよね。
すごくリラックスして読んでいる。
まあ、読む本が現実ばなれしていて、気合を入れなくてもいい
からかもしれないけど。
わたしの好きな本を読むときは、リラックスして頭の中に本の
内容を映像化する。頭の中で登場人物が動いている。

だけど、歌集を読もうとするとすごく集中しないと読めない。
なんでだろう。
だから、本を読む=リラックスのわたしは歌集を読むのが大変。
かといって、パソコンで歌集を読むのはそれも辛い。
ジレンマだねぇ。

銀行のシステム開発部門にいた頃、パソコンじゃあなくて端末
だった。
大型コンピュータの端末が、並んでいる場所があって、そこで
プログラムソースを修正したり、ジョブを動かしたりする。
だから、そこは集中する場所ではなかったはず。
集中するのは、席に座ってプログラムを考えているとき。
少なくとも日常の仕事ではね。

だけど、一旦トラブルが起きると、端末の前は集中の場になる。
プログラムのミスを探すのは、そのものを見るよりも、実行の
結果を見た方が早い場合が多い。
そこで、ミスした部分を見つけて、どう修正するかを決めて、
さらに中断したジョブをどうやって回復し再実行するか考える。
それは、短時間に行われなければならない。
今ではどうなのかしらないが、わたしが銀行員だった頃には、
夜間にまとめてデータを処理するジョブがいくつも実行されて
その数が年々増えていた。
だから、一つのジョブがつまづくと朝までにすべてのジョブが
終らないから、トラブルの対応時間にも制限が有った。

わたしは、端末の前で集中していた。
周りから見ると、「近づくな」オーラが出ていたらしい。
そのくせに、目はきらきらしてたって。(^^;

転職してからは、パソコンになったから、パソコンの前で集中
するという習性はますます顕著になったらしい。

日記を書くのも当然、パソコンに向かう。
条件反射的に集中している。(はず)
だから、文章を考えて書いていく内に、心の中で出来上がった
イメージが固まっていく。そして、歌が出来る。

きっと、わたしには、こういう作り方しかできないのだろう。
というより、そうやって作らないとぜんぜんだめで、月に2首
とかしか作れないと思う。
事実、何も文章を書いていないときは月に2首くらいしか作れ
なかったもんね。
このまま続けて行けたら、1年で365首できるね。(^o^)

 集中はしてます電話を取りながら話しながらモニターの前(市屋千鶴)



2002年11月04日(月) もの語りの夕べ

12時に池袋の西武線改札前でニフティの短歌フォーラムの方
と待合わせ。
熊本から来た男性(K氏)と、何回か会っている男性(S氏)。
二人に挨拶。
心の中で、(へえ〜、Kさんて長髪なんだぁ。)初対面。
何回か有っているS氏は、相変わらず横顔が五木ひろしだ。

やや遅れて、Yさん(美人)登場。
相変わらず、かわいい〜〜〜〜。(^_^)
もう一人の美人は、今日は不参加になったらしい。

4人で昼食の場所を探し、ランチバイキングのお店に決めた。
食事が終っておしゃべりしていたら、2時から始まるのケーキ
バイキングの準備を始めた。
おおぉぉ〜〜〜っと、横目で見ながら会計。
食事のときに置いてあったケーキよりも、生クリームとか沢山
ついていて、甘そうだった。あれだと食べられないな、きっと。
だってわたしはあんこ好き。

その後、サンシャインの中で古本を売っているコーナーを発見
してしまって、しばしそこでうろつく4人。
手塚治虫大全(2冊組み)を購入。
それぞれ古い本を抱えて、談話室「滝沢」へ。
ここは、商談とかにも使われる。
喫茶店と言うよりやっぱり談話室という名がぴったりだ。
そこで時間をつぶしてから、高田馬場に向かった。

本日のもう一つのお出かけ目的、「もの語りの夕べ」へ。
童話や民話、詩や短歌の朗読。
朗読って、センスが必要だと思った。
元になるテキストを作るセンスはもちろんだが、言葉として音
として発することにはもっとセンスが必要だと思った。
文章の語尾を、静かだがしっかりと話せる人は素敵だ。
東直子さんの童話の語りは、静かな語尾が印象的だった。

絵本作家(文章の書き手)の本下いづみさんは、絵を見せずに
絵本を読んだ。
声を聞いているだけで情景が浮かぶ。
なんて、声に力のある人だろうと思った。

文章は、言葉はセンスだと思い知った夜だった。

 「ました」という語尾の響きに誘われて目を閉じましょう子供のように
                              (市屋千鶴)



2002年11月03日(日) しゃぶしゃぶ

2日の日記を書いた後、友達から電話が有って、会社の同僚の
結婚式に持つバッグが無いっていうから、貸すよってことに。
で、その結婚式は16日。
それまでに会える機会がないみたいだからと、急遽会うことに
なった。
「何処で会おうか。」
「お宅は夫婦揃って風邪っぴきだから、そっちに近いとこまで
 行くよ。」
「で、何が食べたいの?」
「ん〜とね、一人じゃ食べに行けないもの。」
「焼き肉とか?」
「うん、それもいいけど、しゃぶしゃぶとか食べたいなぁ。」
というわけで、場所は千葉県の柏でメニューはしゃぶしゃぶ。
彼女は、先日誕生日を迎えた彼女。大切な友人。
相変わらず、わたし達夫婦と彼女と三人。
会社の旅行のお土産も、やっと渡せた。(^^;
そう、彼女の家から柏までは、2時間以上かかるのよ。
だから、いつも会うときは中間地点の新宿とか都心にする。

帰りに夫が言う。
「わざわざ柏まで来てくれるなんてねえ。」
「うん。でもね。わたしも彼女も案外友達が少ないんよ。」

しゃぶしゃぶ食べたいからって、会いに来る友達はそうそうは
いないものなのか。
一人暮らしになってからの彼女は、前よりもきれいになった。
あんまり女性を見たりしない夫でもわかるくらい、きれいにと
いうか、すうっとした感じになっていた。
やっぱり、離婚して良かったんだね。

 しゃぶしゃぶの灰汁を取る人食べる人真ん中にいて野菜食う人(市屋千鶴)

なるべく野菜を食べるようにはしていたつもりなんだけど。。。



2002年11月02日(土) 電話の楽しみ

やっぱり、休日はずっと夫と一緒なので、日記を書く時間と
いうかPCを開く時間が少ない。(ほとんどないね。)
朝しかないやん、一人の時間。
てなわけで、翌朝日記を書いている。

1日の先輩方との打合せでは、だいぶ厳しいことになってい
たらしい。
なんといっても、最後の打合せだというのにわたし達からは
4人しか出席していないし、当日の参加予定が16人ではねぇ。
急遽、電話作戦が敢行されることになって、わたしも女性を
二人担当することに。
が、そのうちの一人はもう参加するのが決まっていて、ただ
受付をお願いするっていうことだから、あれこれ説明がいら
なくて、電話の楽しみだけがあった。
彼女は理系でわたしは文系だったから、同じクラスになった
ことはなかったが、久しぶりの彼女の声はぜんぜん変ってい
なくて、相変わらず大きな声で笑う。
いいなぁ、うんうん。(^o^)
ちょっと茨城訛りになっている彼女が微笑ましかった。
早く会いたいなぁ。

もう一人は、「現在使われておりません。」だった。残念。
彼女の結婚式には参列したのだけど、アメリカに行ってから
連絡していないし、日本に帰ってきたのも知らなかったよ。
3年生のときは同じクラスだったんだよね。(;_;)

女性への電話の前に、昨日の日記の彼にも電話した。
ほんとに久しぶりで、相変わらず穏やかでいい人だった。
口調がすっかりおじさまなのは年齢的に仕方ないけどね。
(それはお互い様だし。)
でも、訛っていなかったよぉ。(゚o゚)
今でも変らずすぐに訛ってしまうのは、構成作家のI田君と
わたしくらいなもんかもしれないね。なあ、I田ぁ。

東京同窓会当日、わたしは訛りながらボケ役をやらなくては
ならない(T_T)ので、今からちゃくちゃくと訛ってるのさっ。

電話の時、茨城訛りの彼女に「11歳年下の人と結婚した。」
と言ったら、「えぇ〜っ、でも昔から面倒見が良かったもん、
何と無く分かる気がする。」って言われた。
「えへへへ〜、まあねぇ。」って答えた。
それを夫に話したら、大爆笑で。
「うそつくなっ(笑)。面倒見られてるんでしょ。」だって。

そのとおりです。はい。
面倒を見ているのは、朝だけです。はい。
うぇ〜ん、ちょっとくやしい43歳。(;_;)

 ひと月に一度の会合終えるたび故郷の訛りをまとって帰る(市屋千鶴)

今回は、会合に出てないけど、電話で訛ったりしたのだった。



2002年11月01日(金) 打合せ欠席と男同士

今日は、先輩方との合同の打合せだったけど、風邪をひいて
いるからと欠席のお願いをした。
だって、そんな都心の空気の悪いとこに行ったら、悪化して
しまうよ。これまで、打合せには毎回出席していたのだから、
今回だけごめんね、みんな。
4日には、短歌関係のミニオフがあるの。
わざわざ上京してくる方がいるので、風邪、治さなきゃ。


昨日、高校の同期で、中学(転校後の中学)でも一緒だった
男性の家に電話した。同窓会の参加依頼だ。

電話には奥さんが出て、帰りが遅くなると言われた。
電話の目的を説明しメールアドレスを奥さんに伝えて、返事
が欲しいと伝えた。
なんで、電話番号にしなかったんだろう、わたし。
なんか、それって変だよねぇ。(笑)
きっと、毎日遅いのだろうから、土日にでも電話してみるよ、
もう一回。

転校した先の中学からは、わたしを含めて3人が同じ高校に
進学した。
県内で一番といわれている高校だったから、他の二人(男性)
はかなり必死だったみたい。
わたしはといえば、別にどうしてもその高校に入りたいので
もなかったので、それほど真剣ではなかったのかもしれない。
それでも、試験の結果を知るまでは、どきどきしていた。
他の二人と、試験の後に決めていたこと。
合格だったら、抱き合って喜ぼうってこと。

わたしがそのころ好きだったのは、その二人のうちの一人。
だけど、その子は合格発表を聞いて(学校で発表待ちだった)
一人で感激して泣き出しちゃったんだよね。(^^;
で、困ったなぁ、なんて思っていたら、もう一人がわたしに
向かって腕を広げて待っていてくれた。
それが昨日電話した彼だ。
いやぁあ、抱き合って喜んだね。(^o^)
ほんと、男同士みたいだった。(爆)

高校に入ってから、好きだった子はすぐに下宿してしまった。
わたしは、列車で通っていたから、抱き合って喜んだ彼と、
隣の工業高校の子と三人で毎日一緒に駅から学校までの道を
歩いていた。それも、1年の秋までだったか。
2年生の春から秋までもそうだったか。

2年の冬から下宿し始めて、3年の時は一年中下宿していた。
彼らとは、土曜日の帰りの列車で一緒になった。
ずっと男の子みたいだったわたしだったが、3年の冬には、
長いプリーツスカートなんか履いて、かわいいブーツなんか
おまけに履いたりしてたんだね。
その姿を見て、あの抱き合って喜んだ彼は言ったね。
「いやあ、おまえもやっと女らしい格好をするようになったか。
 おれは、ずっと心配してたんだ。」って。
おいおい、おまえはおいらの保護者かよぉ。
って、その時は思ったけど、後で考えるとうれしかったなぁ。

彼の家は、洋品店をやってて、化粧品や洋服や、小物を販売
していた。
だから、女性のおしゃれとか、気になったんだろうね。(笑)
彼は、今、某化粧品メーカーに勤めている。

 いつまでも男同士でいいわけがないか、わたしの戦友達よ(市屋千鶴)


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