今日で10月も終わり。 2002年も、もう残すところ2ヵ月となった。 でも、まだ2ヵ月も有るんだ。
上京してすごくうれしかったこと。 冬の空が毎日青空だったこと。 わたしの故郷は雪国だから、毎日雪空だった。 最近は暖冬のことが多くなって、積雪量も少な目らしいのだ けど、わたしが故郷にいた頃は、雪、多かった。 これからの時期、青空の日が多くなる。(^o^) 小春日和の意味を実感したのは上京してから。 まだまだ、空を見てうれしいって思える日々が続く。
最近は読書量が激減してる。 まだまだ読まなきゃならない本が沢山有る。 SFとか、ファンタジーとか、ミステリーとか、歌集とか、 エッセイとか、読みたい本がまだまだ沢山有る。 (明らかに偏ってるね、趣味。) 出不精のわたしは、わざわざ本を買うために都心まで出たり しないし、市の図書館は分室しかなくて、取り寄せてもらう ほどの気力が無い。図書カードは作ったのに。(^^; まだまだ気力が足りない。
今日、会社の他の営業所の事務員さんと電話で話していて、 じれったくて仕方なかった。 どうしても相手の言葉の3歩先を読んでしまうから、話すの を待っていられなくなるんだ。 まだまだ、人間ができていない。(;_;)
わたしの一歩後から夫が風邪をひく。 きっとわたしの風邪。 眠りこけてしまうわたしに、何も言わず寄り添ってくる夫。 まだまだ君のことが好きになっていくよ、きっと。
43歳、まだまだなわたし。
君を思う気持ちが空をまわるうち秋を彩る黄金色(きんいろ)になる (市屋千鶴)
今日はわたしの43歳の誕生日。
昔は稲刈りが遅かった。 稲刈りが終ると、「刈り上げ餅」っていうのをついて祝う。 わたしは、その餅をついている朝に生まれたのだと言われた。 な〜るほどぉ、それで餅が大好きなんだな、わたし。 真面目な顔で話すわたしを笑いながら見ていた夫。 ほんとなんだってばぁーっ! ・・・(たぶん)
生まれたとき、泣き声がちょっと低くて元気が良くて、皆は きっと跡取りが生まれたと思っていたのだとか。 期待して産婆さんにどっちと聞くと、 「かあちゃんの腹んながさ、だえずなものばわへできたみでだな。」 (かあちゃんの腹の中に大事なものを忘れてきたみたいだな。) って言われたんだとか。 う〜〜〜ん、やっぱりそうかぁ。忘れてきたんだぁ。。。 おまけに、おっぱいは両方のおっぱいを飲んでもまだ足りない という子供だったんだって。 大きくなるべくして大きくなったんだね。 小さい頃の無かった小さい頃。(爆) 3歳の健康優良児の記念写真を取るときに着ていたセーターは 3年生くらいで着る大きさだったとも言われたし、たしかに、 小学校2年生の姉と小学校に入る前のわたしは、同じくらいの 大きさだったよ。 双子みたいに同じ洋服を着ていたもんね。
誕生日には何が食べたいって母に聞かれて、わたしはいつも、 いなり寿司と答えていた。 母の作るいなり寿司が大好きだった。 それから、母の作るのり巻きも好きだった。 真ん中に紅生姜が入っているの。 姉は紅生姜が嫌いで、かんぴょうのしか食べなかったけれど、 わたしは紅生姜のが大好きで、誕生日にはいなり寿司と両方を 作ってもらった。運動会とかもいつもそれだったなぁ。 母のいなり寿司は、口までいっぱいにすし飯が入っていた。 市販のいなり寿司の倍くらいのボリュームだった。 それを十個とか食べていたんだから、大きくもなるわなぁ。(^^;
銀行員時代、腹の立つことがあってぴりぴりしているときに、 どうして怒っているかと聞かれて、おなかが空いているからと 答えていた頃。 そういう時は、コンビニやお弁当やさんでいなり寿司を買って 食べた。そうして、母のことを思い出したりした。 すうっと気持ちが落ち着くのだった。 (やっぱり空腹が原因か?)
今は、自分にいなり寿司を作ったりはしないなぁ。 今日は特別に、小さなケーキを買ってきた。 夫が帰ってきたら一緒に食べる。 旅行から帰って、鼻水が出るし喉がいがいがするので、昨日は めちゃくちゃ早寝だったんだよね。 夜中に目が覚めたら、夫が帰ってきていていろいろとやってく れていた。メールが来たのも、夫が帰ってきたのもわからない ほど眠っていたらしい。 今日は、ちゃんと起きて待ってるよん、ケーキと一緒にね。
誕生日とは関係ないけど、紅葉の季節に作った歌を日光の紅葉 を見て作り直した。
葉を落とし春に備える木々の中残る緑の厳しさを知る(市屋千鶴)
結婚して今年の暮れで丸5年になるが、うちには子供がいない。 出来なかったんだよね。
夫は長男だが、特に家業が有る訳でもない。 というのも、夫の両親はすでに亡くなっており、実家に残って いるのは、祖母と妹なのだ。 だが、彼の父親の兄弟たちが家と墓を守る人として夫を実家に 戻そうとしていた。 帰ってこい、だが一人でだ。 そう言われた彼は、帰るなら二人で帰ると言った。 跡取りが残せないような嫁は要らないと言われた。 (結婚前だったけどね。) もう、35歳を過ぎた女は要らないのだそうだ。
客観的に見れば、確かに身内からしたら何が悲しくて11歳も 年上の嫁を貰わなければならないんだ、おまえが、という気が するのだろう。 もっと年相応の女性と見合いでもして結婚してくれということ だった。
夫は、こんなやり取りの中で、彼の親族が彼本人に帰ってこい と言っているのではなく、跡取りに帰ってきて欲しいと言って いることに反発し始めた。 それに、わざわざわたし達に会いに来た叔父さんの言うことを 一方的に信じてしまった祖母や叔母にも失望したらしかった。 自分に直接話しも聞かないでだ。 妹に婿でも貰って、家でも墓でも守ってもらえばいいと言うよ うになった。 わたしとのことは、自分達で決めて自分達で歩いていけばいい ことだから、決心を変えるつもりはなかったのだという。 だが、二人でいずれは実家に戻ろうと思っていた彼は、親族の 対応に反発を感じてから、絶対帰らないといい始めた。
実際に入籍してから、もう何も言ってこなくなった。 財産なんか要らないから、妹に全部やると言ったからだろうか。 財産が有るから、守ることを考える。それは当然だろう。 だが、その為に嫌な奴になるのなら無い方がましなのだ。
そんなこんなで、結婚後、子供を作ることにはプレッシャーが あった。 畑が古いから、子供が出来ないのだと言われるものね。 種が良くないのかもしれないのにね。 3年くらいは、神経質になっていたかもしれない。 短歌を作っていても、子供の歌が作れる人が妬ましかった。
だけど、不妊の検査はなぜかやりたくなかった。 だって、どちらが原因で出来ないってはっきりしてしまうから。 たぶん、恐いのだと思う。 お互いに自分のせいかもしれないと思っているから、子供の話 をするときにはいたわりが生まれる。 40歳で不妊治療を始めたって、いつ出来るかわからないし。 決して子供を軽く見ているのではないが、不妊治療に全生活を ささげてまで欲しいと思う年齢ではなくなってしまっている。
夫に、子供が欲しかったら外で作ってもいいよといったことが 有る。 夫は笑った。 「ちーちゃんの子供だから欲しいと思うんだよ。 自分だけの子供が欲しい訳じゃない。」 わたしは、自分の子供がめちゃくちゃ欲しい訳じゃない。 おそらく、夫の子供ならば欲しいと思うのだろう。
でも、子供を作らないと決めたのでもない。 自然に任せてできたなら、それはとても幸せなことだろうね。
うん、可能性がある限り、望みは捨てませんよぉっ。(笑) ただ、ずっとそればかりにこだわって生きていくのではないと いうこと。強がりではなくそう言えるようになった。
ずっと若い頃思った。 「この人の子供が欲しいって思える人と結婚したい。」と。
30歳を過ぎてから、こう思うようになった。 「この人となら子供がいなくてもずっと一緒に暮らして行ける、 そう思える人と結婚したい。」と。
今、子供がいなくてもずっと一緒に暮らしていける人と暮らし ている。
トントンと突然我が家に訪れる予定はないかコウノトリさん(市屋千鶴)
子を持たぬ身であればこそそれぞれの気持ちほのかに透かし見るなり (市屋千鶴)
日光といえば栃木県、栃木といえば栃乙女。 というわけで、栃木限定「いちごキャラメル」っていうものを 買ってきたのさ。 昨夜、家に帰って早速、わたしも夫も食べた。
「あ゛〜〜〜〜〜っ!」(夫) 「どうしたっ?」(わたし) 「詰め物、取れたぁーっ!」(夫) 笑うわたし。 「しょうがないなぁ。」(わたし)
しばらくして、 「あ゛〜〜〜〜〜っ!」(わたし) 「どうしたっ?」(夫) 「詰め物、取れたぁーっ!」(わたし) 笑う夫。 「しょうがないなぁ。」(夫)
近くの歯医者さんを知らないので、事務員さん(Kさん)に 昨夜電話で聞いたよ。 事情を説明したら、漫画みたいだねって言われた。 全くそのとおり。 実にあほな夫婦である。 二人一緒に歯の詰め物がとれるなんて。
夫は虫歯が2本しかないし、その2本もちょこっと詰めてある だけなの。 またつめ直せばいいだけみたい。 わたしは、詰め物と一緒にほんの何ミリか歯も欠けた。(T_T) だから、保険証はわたしが先に使うことになった。
本日、早速Kさんに教えてもらった歯医者さんに行った。 土台がしっかりしているので、型を取り直して来週にはOK。 小さな虫歯が何本かは有るけれど、レントゲンを見ても歯茎は しっかりしていると言われて、ちょっとうれしい気持ちに。
Kさんが優しい上手な歯医者さんだからというだけある。 ちゃんと通おうっと。
吾に有り君に無いもの 太股のぶるぶる・虫歯・歌会締切り(市屋千鶴)
二日目は、9時の出発予定を30分早めて出発。 宿泊は湯元の方だったから、湯の湖や中禅寺湖の紅葉を眺めな がら、まずは「華厳の滝」へ。 早めの出発の効果で、見学用のエレベーターにも並ばずに乗れ たし、お土産物屋さんもまずまずの混み具合だった。 出だし好調。
いろは坂を下りながら、坂ごとに異なる紅葉を眺める。 日本人で良かったと思うひととき。(^^) 四季折々の風景を愛でることができるんだものね。 とにかく、紅葉がとてもきれいだった。
日光市内に下りたが、昼食にはまだ早いからと、先に東照宮を 見学。 実は初めてというメンバーもいて、ぞろぞろとミニ団体で歩く。 (わたしも姉も始めてだった。(^^;あはは ) 坂や階段が、姉や従姉にはちょっときつかったみたいだった。 が、なんとか無事に見学も終了し、後は帰るだけ。
さすが身内の旅行だ。 何ヵ所も見て回るのではなくて、少しでも楽なようにという点 を重視しての旅行だから、3ヵ所も見るところが有ればOK。 なによりも、バスから眺める紅葉は実にきれいだった。
思うに、アメリカ人である従妹のハズが、「来年は日光に行き たい!」と言わなければ実現しなかったであろうこの旅行。 そして、難病の従姉が回復していて、彼女の夫が交通事故から 復活していて、わたしの姉が透析に慣れていてという、今でな ければ実現しなかっただろうこの旅行。
姉は言った。 「しあわせだわぁ。こんなきれいな紅葉が見られて。」 従姉も言った。 「ほんとだねぇ。いい時期に来れて良かったね。」 二人の心の中には、言葉にしない言葉が有るはずだった。 「お互いに旅行できるまでになって良かったね。」 そして、二人の妹であるわたしと従妹にも、言葉にしない言葉 があった。 「姉達が元気に旅行が出来るようになってほんとに良かった。」
そして、わたし達従姉妹すべてが思ったこと。 二人の叔母とその連れ合いが、こうしてずっと仲良くしていて くれるおかげで、こういう集まりがずっと20年以上も続いて いるのだということ。 きっかけをくれた従妹のハズにも、叔母達にもいとこ達にも、 その家族達にも、たくさんのありがとうを言った。
幹事として、そんな集団の一員として。
なによりも一緒に旅行できたこと姉の家族とわたしの喜び(市屋千鶴)
宿の部屋が乾燥していたので、ちょっと喉を傷めているらしい みんなだけれど。(^^;
前日は23時に就寝。 朝は5時に起きて、シャワーを浴び髪を洗った。 だって、温泉でシャンプーなんか面倒だもんね。 髪を乾かしたら夫を起こして、食事を取って5時55分に出発。 長い長い1日が始まった。
京王線の「調布」駅に着いたのは7時50分だった。 改札前には、身内がいっぱい。(笑) わやわやと挨拶を交わしながら、バスまで歩いた。 従妹の娘は「美桜子」(みさこ)という名のアメリカ人。 赤ちゃんに向かって、「ハロー」と声をかけたりする我ら。 だが、赤ちゃんの母親(従妹)は思いっきり日本語で話しかけ ている。どっちも教え込むらしい。
集まりが早いっていうのがうちの身内のいいところ。 予定通りに8時に出発した。 一応、幹事のわたしから挨拶し、いろいろと旅行のプランなど を決めてくれた義兄からも挨拶。
高速に乗るまでに集金をしたのが間違いだった。 だってわたしは乗り物酔いし易いんだよね。 下を向いて、お札なんか数えちゃったらすぐにバスに酔ってし まうのさ。 さっそく、買っておいた乗り物酔いの薬を飲んださ。(T_T)
初日は雨だったから、ほとんどバスの中。 トイレ休憩や、風景を眺められるお土産屋さんに寄ったくらい。 休憩時間の後の集合も、やっぱり時間通りの集合で、おまけに あまり道路も混んでいなかったので、早めに宿に行ってしまい ゆっくりお風呂に入ることに決定。 3時過ぎには宿に着いていた。
宴会といっても、大広間を仕切っただけだったし、特別大騒ぎ するようなメンバーでもないので、それなりの盛上がりで部屋 にもどり、もう一度風呂の入ったり部屋でおしゃべりしたり。 辞書を片手に従妹のハズバンドと会話するわたし達。 我が夫や甥っ子などが同室だったが、特別不自由なこともなく 過ごせていたらしい。(ほんまか)
なにはともあれ、だれも具合が悪くなることもなく23時には みんなそれぞれの部屋で寝る体制に入っていたのだった。 従妹のハズ曰く、男性だけで話していたときよりも、女性たち だけで話しているときの方が話が続くんだね。 そんなこと、当り前じゃないの。 だって、血が繋がっているのはみんな女性たちなんだもの。 男性メンバーで血が繋がっているのは、甥っ子だけなんだから。
三人でかしましいなら10人のわたし達ってきっと無敵ね(市屋千鶴)
だけど、みんな配偶者に恵まれていて、こんな幸せを味わえる。
若い事務員さんは、笑い上戸だった。(笑)
わたしと事務員さん(Kさん)との会話を聞いて笑う。 Kさんと男性社員Wさんの熟年な会話を聞いて笑う。
見ているわたしもおかしくなってしまって笑う。 なんだか事務所中で笑ってしまう。 社長と部長が外出の日で良かったぁ。 でも、別にサボってる訳じゃないんだよぉ〜。 わたしは手を動かしながら会話し笑うんだもん。(爆) 手は休めずに会話し笑い、笑わせる。
これはもう、お笑い芸人でしょう、立派な。 いやいや、待てよ。 お笑い芸人さんは、プロだから片手間に笑いを取ったりしな いはずだな、きっと。 だから、片手間に笑いを取るなんて、お笑いの風上にも置け ないなんて言われるかもしれない。
なんてばかなことを考えながら、請求書作りの準備は着々と 進んでいくのだった。
伝票をめくる指さえ加速する笑い転げる金曜の午後(市屋千鶴)
2002年10月24日(木) |
わーい、若い事務員さん |
今日から新しい事務員さんが来た。 わーい、若いよーっ。 といっても、35歳なんだけど、わたしやもう一人のベテラン 事務員さんからしたら、若いのよ。 何といっても、電話に出るときの声が若い。 あ〜、うらやましい。 かわいい声で電話に出たりしたいもんだ。(T_T)
ベテラン事務員さん、Kさん。 若い事務員さん、Tさん。 食後のおしゃべり中の会話。 「良く食べるんですよぉ。」Tさん 「あらぁ、痩せの大食いなのね。」Kさん 「そんなことないですよ、下っ腹でてますよ。」Tさん 下っ腹って、あなた。 さすが表現は35歳だと、ちょっと感心。 全体が大きいわたしはノーコメント。(笑) わたしとKさんと二人で、若いを連発してしまった。 二人とも、30代の女性に会社で接するのはほんとに久しぶり なんだよぉ。
なんとなく男性社員よりもミーハーに喜んでしまう自分達が、 ちょっとだけかわいいと思ったり。(^o^)
実は、今日明日と、夫はお休みをとっている。 夕方の電話で、明日は午前中だけ提出書類を書きに行くことに なってしまったみたいだけど、一応すんごく遅い夏休みだとか。 何処に行くでもなく、ぼわーっと過ごしていたらしい。
せいぜい、休んでおいてくださいまし。 今度の土日は旅行だから、朝早く起きなくちゃいかんのよ。 それに、従妹のダンナ様(アメリカ人)と同室にするからさ。 一生懸命、片言の英語で話しちょってくれ。 などと、心の中で念じつつ、夫の横で日記を書いている。
突然、わたしの頭を撫でる夫。 パソコンの画面に映し出しているゴマフアザラシの写真を見て わたしへの感心が沸き立ったらしい。 ふん、わたしはアザラシだし、プッチンプリンのCMの黄色い パンダだし、我が家のカレンダー「犬ごよみ」のむっくりした 小犬だよ。(T_T) 1年前よりちょっとだけパワーダウンとサイズダウンはしてる けどさ。(^_^)
ほんとうはぬいぐるみなのプーさんもあなたの妻のあたし自身も (市屋千鶴)
洗濯物を干しながら、突然頭に浮かんだこと。
このエンピツさんで、親の不倫に悩む高校生の女の子の日記が 有ったと思った。 ランダムジャンプして読んだことが有ったはず。
そうだね。 不倫という言葉を知らないくらい小さい子供でも、親の様子は わかるものなんだよね。 ましてや高校生なら、とっても悩んでしまうはずだよね。
わたしだって、小学生の頃から大人びた考えを持たなくてはな らなかったのだが、それがもっと小さい頃だったらどうだろう。 親が思うよりもずっと、子供はなんでも聞いているし、知って いるんだよね。 ただ、自分には何も出来ないことも知っていて、ひたすら両親 が穏便に過ごせるように気を使ったりするんだ。 たとえば、家族で車に乗ってでかけるとき。 母の運転にいつもケチをつける父。 不機嫌になるのが見ていられなくて、懸命に父の機嫌をとる。 そんなことが何年も続いていたら、大人びた子供になるよね。
両親がもめているとき、どちらかの親が出ていこうとしている とき、はっきりと自分の意見など言える子供が果たしてどれだ けいるんだろう。 きっと、いないよ。 だけど、子供たちはきっと親をちゃんと見ている。 彼らは、親の一言一言をきいているし、やることを見て知って いる。 自分達の子供だからといって、自分達の一部だなんて思わない でほしい。 自分達の都合で行き先を決めたりしないでほしい。 子供たちの意見を、辛抱強く聞いてあげてほしい。 きちんと話せば、小さい子供でもきっとわかるはす。 だから、ちゃんと子供に話してほしい。
母は、離婚の直前になって、わたしに詳しく今の状況の説明と これからのことを説明してくれたが、父とは何も話していない。 未だに父を面と向かって責めることは出来ない。 恨んでいるなんてことはもとからないが、問い詰めてみたいと いう気持ちだけが残っている。 わたしは父と暮らすことに全く未練が無かったから、寂しいと か悲しいとか思ったことはない。 しかし、わたし達三人(母、姉、わたし)の辛い経験に対して は、やっぱり父からはっきりと言葉で謝って欲しいのだと思う。
借金するとき、今の奥さんと逃げると決めたとき、姉やわたし のこと、祖父母のことは少しでも考えてくれたのか。 考えた上で、何もかも失うとわかっていて行動を起こしたのか。 本当ははっきり聞いてみたい。
あなたの自慢の娘が、平気であなたより母親を選んだことを、 あなたはどう思っているのかと。 その選択のもとになったことが、毎日わたしが見せられていた、 両親のケンカだったりしたことを知っているのかと。 あんなに子供を大切にしてくれていた母が、どんな思いでわたし を置いていくと告げたのか、わかっているのかと。
心に傷を持ちながら暮らしていると、自分のことはわかっている ようでわかっていないということが多い。 自分のことがなんでもわかったら、悩むことなんて無いもんね。 わからないから悩むのだし、悩むからいろんな精神的なストレス が生じる。 だけど、きっとこの悩む時期を乗り越えたときに、自分のことが わかるようになって、いろんな辛い過去とかが少しだけ客観的に 見られるようになってくる。
そのときに、悩んだとき側にいてくれた人達のありがたさがわか るようになるんだよね。 わたしなんか、二十数年かかったけどさ。(笑)
怒鳴るほど軽いものではない我の怒りを知らず 怒鳴りし父は (市屋千鶴)
今日も新しい事務員さんは来なかった。 明日は定休日だし、定休日明けの木曜日から来るんだって。
どうしてこんなに新しい人と会うのが楽しみなんだろう。
小さい頃はすごく人見知りする子供だった。 知らないところではいつも姉の後ろに立っていた。 知らない人に、じっと見られたりするのがだめだった。 いわゆる内弁慶っていうやつだろうか。 学校とか家では、ぜんぜん物怖じしなかったんだが、まったく 見知らぬ人達の中ではじっと大人しくしている子供だった。 自分の位置が分からないと動きが取れない子供だった。 相手にとって、自分はどういう位置にあるのか。 言葉にするとむずかしいけど、要はいい子でいたかったんだね。 周りが期待する自分の在り方を探っているのが人見知りしてい る期間と言うことか。
小学校の4年生まで、同級生に何か意地悪なことを言われたり あだ名で呼ばれたりするだけで泣いていた。 悲しいのではなくて、悔しかった。 でも、泣くしか出来ない子だった。 4年生の担任が、わたしに言った。 「そんなに泣くほど悔しいんだったら、言い返しなさい。」 わたしはその時初めて「言い返す」ということを知った。 言い返していいの? って思った。 それからのわたしは、泣かない女の子になった。 (あの母の痣を見ながら泣いた日を除いては。)
そして、学校の中での自分の位置というものが、少しずつわか るようになった。 例えば、学業成績。 学校の中で一番成績がいいということを、意識し始めた。 一番体格がいいということも、意識し始めた。 自分の言葉が持つ影響力を実感し始めていた。 かなり早熟であったことは確かだね。(^^;) 肉定的な早熟と精神的な早熟を併せ持っていた。 そうならなくては、家での暮らしに耐えてこれなかったからな のだろうか。
中学で転校した時だって、あんまり人見知りしなかった。 同じ方言で話す子供同士の学校の中だからか。 その上、転校する前に3番までだった成績が3倍にはなるもの だと思えって先生に言われていたんだけど、3番までというこ とに変わりが無かったからかもしれない。 成績の上での自分の位置関係があまり変らなかったからだろう。 ソフトボール部でもすぐにレギュラーになれたし、すぐに友達 もできたし、あんまり辛くはなかった。
だけど、上京して都会に出ると一変する。 都会は、自分の位置を見極めるのに時間がかかるところだ。 結局のところ、専門学校での2年間と銀行に入ってからの1年 ほどの約3年間を人見知りで過ごした。
こんなにも新しい人と出会うことが楽しみなのは、今の自分が 自分の位置をちゃんと把握しているから。 それは会社での位置であったり、私生活だったりするが、何よ りも自分と夫との位置関係がしっかりしているからだと思う。 何が有ってもこの人だけはわかってくれるという人を持つ強み。 新しく出会った人に、例え拒絶されても夫がいてくれることの 心強さ。 とうぜん、夫以外にも、一緒に旅行する身内だとか、これまで に出会った人達でわたしのことを理解しきちんと見てくれる人 の存在も、また心強い。
だから、わたしは新しく出会った人に 「わたしってこういう奴なんだよぉ〜っ。」 って言って、接していけるのだと思う。
明日は、大切な友達の39歳の誕生日。 一緒にいると、どちらかが人見知りしているときは、どちらか がなぜか積極的になっている、ナイスなコンビなの。 一足早いけど、お誕生日おめでとう。(^o^)/ そして、これからの人生でも、どうぞよろしく。(^_^)
ずっと、羨ましいと思っていた。 生まれ故郷の近くで暮らしている人を。 明日誕生日を迎える彼女と、幼なじみだったらどんなに良かっ ただろうかと、わたしは時々思うのだ。
温泉もお酒もいいがあんたとは子供の頃から会いたかったね(市屋千鶴)
今日から新しい事務員さんが来る。 はずだった。(^^;
なんだか前の会社で引継ぎ事項が一つだけ残っているとかで、 今日は前の会社に呼び出されてしまったらしい。 明日から行きますのでって、電話が有った。 明日が楽しみ。(^_^)
わたしよりずっと若くて同じ名字。 だからきっと、若い方の○○さん、とか、小柄な方の○○さん とか、呼ぶのかもしれない。 新しい方の○○さん、もありか。(笑)
わたしが今の会社に勤め出したのが、ちょうど2年前だった。 いやあ、丸2年でこんな風に偉そうになっちゃうのか。(^^; 入った翌年の3月には、取引先を7〜8社も任せてしまう会社 も大したもんだよね。 見積り、受注、発注、入荷確認、納品、請求、支払。 電話連絡、FAX。 そしてパソコンへのデータ入力全般。 (入力は全取引先を3人で手分けする。)
今では、担当の取引先は更に増え、13社ほどになる。 そのうち、大手受注先が4社。 その大手のお休みに合わせてわたしの休みは存在する。(T_T) だから土日がお休みになるんだけどね。(^o^)
さあ、新しい事務員さんには何を教えてあげようかなぁ。 ああ、ほんとに明日が楽しみ。 けっして、いじめたりはしませんよぉ。 だって、わたしは女性には優しいんだもん。
いじめるって言えば、銀行員だった頃の話。 わたしはシステム開発部っていうところに所属していた。 だってコンピュータの専門学校出身なのだもの。 で、男性社員(敢えて行員とは言わない。株式会社だから) は、ちょうどわたし達の頃から専門学校の卒業生は採らなく なっていて、支店から転勤してくる人がほとんどになってい った。 支店から転勤してくる男性の多くは、コンピュータのことは まったくの素人だから、一から教える。 その教える役目を、彼らよりも年下のわたしなんかがするん だよね。 なんだかね、勘違いする。 自分より高給取なのに、この部門ではこの程度なのかって。 そう思うわたしも馬鹿だったんだけど、彼らにもプライドが あるから、なかなか質問してこない。 逆に出来たのかどうか聞いてみるとできてない。 「わからないことが有ったら聞きなさい。」 「聞いたことは覚えられたら覚える。 2回聞いて覚えられないようなら、ちゃんとメモしなさい。」 「同じ質問は3回目まで。」
こんなことを平気で年上の男性達に言ってたんだから、わたし もかなり生意気でお馬鹿だったと思う。 そのころ、○○さんは恐いって言われてたんだよね。 28歳までは、そうやって尖がって仕事していたんだよ。 仲の良い女性社員達でさえ、仕事中は恐いよねって。(T_T) かわいい後輩も仕事中は緊張するらしかった。(T_T)
28歳になって、なんだか肩の力が抜けた気がした。 彼らが自分より高給取なのは、責任というものを肩に背負って いく人達だからだ。 責任がない分だけ、わたし達は給料が低いのだと思った。 トラブルが起きても、現場の女性が叱られることはない。 叱られるのは、監督する立場のものたち。 彼らは、決して担当者だけのせいにはしなかった。 きちんとチェックできなかった自分達の責任だと言った。 そういう姿を直に見るようになって、肩の力がぬけたんだろう。
今の人達は、どうなんだろうね。
転職した会社では、まだそんなとこまで行っていなかった。 開発現場と営業のギャップは大きかった。 営業の大風呂敷をカバーするため、開発現場は毎日が修羅場の ようだった。 いろいろともまれて今のわたしはあるのだし、高校の同窓会の イベントコーナーの司会もできるまでにずうずうしくなってき たのだから(笑)、まあ良い経験だったということだ。
あの会社に転職しなければ、夫とも出会わなかったしね。(^^)
トラブルの対応をする君の目はきらきらしてると言われてた日々 (市屋千鶴)
2002年10月20日(日) |
ゆるゆると前日のこと |
昨日の日記を書いてから、池袋に出かけた。 昨日、会っていたのは京都からいらした女性と埼玉の男性。 パソコン通信の世界で知り合った人達。
場所だけ予約して、料理は各々好きなものを注文する。 ああ、この方がいいよね、自分でメニューを選べる幸せ。 別のコース料理が嫌いな訳じゃないのよ。 ただ、メンバーが揃わないときのコース料理は、ちょっとねぇ。 で、ゆるゆるとサワーなどを飲みながら、ゆるゆると食事する。 そのパソコン通信の知り合った場所は、いわゆる内緒話系の所 だったから、会ってお話するときも内緒話の延長になる。
いつも、会ってお話するお店は、仕切りが有る個室か個室風の 場所にしている。 だって、内緒話なんだもの。(笑)
むだ毛の処理方法の話。 デートの話。 男女間の性意識の違い。 アブノーマルな世界とノーマルな世界の境界線の話。 日常の中に紛れ込んだ非日常的な場面に対する男女の反応の差。 成人向けサイトの一部(自称M女サイト)に関する定義付けの 弱さや矛盾、未成熟さ。 M女の資質。(わたしには絶対その資質がないこと。(爆))
本当は、詳しいこともみんな書いてしまいたいんだけど、成人 向けの日記じゃないので見出しだけね。
何にしろ、わたしは下ネタでさえ平然と冷静に語れるという、 めずらしい人間なのだそうだ。 うちの会社の若い衆が言ってた。 「○○さんって、淡々と話しますよね、下ネタ。」 そっかぁー。うれしいのか悲しいのか自分。 保健の先生みたいだと言われたことも有った。(T_T)
いろんな人達と出会ってお話できることで、普段は話したくて も話せないようなことを、真剣に話し合うことが出来る。 それは、とってもありがたいことだと思う。 上に書いたような内容の話は、あのメンバーでなければきっと 話せないことだから。 率直に意見交換が出来るのも、一緒に話す友人が率直だから。 言いたいことははっきりと言うことで、より親交が深まる。
わたしの中では、下ネタを率直に話せる相手はたいがい男性で、 女性は女性同士でなかなか話さないし、話せないと思っていた。 それは同じ女性に拒絶されたくないからだろう。 こんな話をしてしまって、きっと変に思われるって。 だからこそ、男女の違いなく何でも率直に話せる友人達がいる ことがとてもありがたいと思うのだ。
恥ずかしい話もできる友達が女であってうれしい夕べ(市屋千鶴)
昨日の日記に書いたような事情で、朝、起きられなかった。 吟行、楽しみにしていたのに。 起きたら家を出るはずの7時半近かった。 あ〜、馬鹿な自分が情けない。 それでも、その時間はまだ回復していなくて、また横になる。 9時には、先生に連絡しないとと思って、起きた。
先生に「行けなくなりました。」と報告した。 歌は今日中に送れば、感想を頂けるとのこと。 ありがとうございます。 でもね、吟行は楽しいよと何度も言ってくれて、わたしの吟行 参加の決心をさせてくれた○○○さんにも、申し訳ない。 今日、一緒に歩いて、やっぱり楽しいねって言いたかったな。
夕方からの友人との食事にはもう元気で行く予定。
相変わらず、いろんな人に許されていることに感謝しながら、 とりあえず、今はご飯が炊けたので、夫を起こして(爆)食事 する。 全部出しちゃったから、おなか空いちゃってね。(^o^) 昔から(小さい頃から)、吐くまで食べちゃだめだよって言わ れていたのに、成長していない自分が悲しい。
「咀嚼するって味わうことだよきちんとね」君の言葉を実感してる (市屋千鶴)
実は、本日は高校の同期の打合せが新宿であって、これがどう にも集まりが悪く、待っている間に少ない食べ物でお酒とビー ルを飲んでしまった。 メインのうどんすきを食べ始めたのが遅かったもんだから、ま るでラストスパートのように食べてしまった。 いやぁあ、満腹って満足感で電車に乗ったのはいいけど、上野 から電車に乗った途端、気分が悪くなってしまった。(T_T)
で、南千住で降りてトイレでしばらく佇み、家の方まで行く 最終の電車に乗ってはみたものの、かなり手前の松戸駅であ えなく下車。 もう帰るにはタクシーしかなくて、待つこと20分、家まで 車中30分と、帰宅したのは午前2時。
南千住で夫にメールするとすぐに電話がなった。 なんとか電車に乗るよと言ったけど、途中までしか行けなか ったね。 タクシーに乗ったら、また夫から電話。 「どうした?」と聞かれ、松戸からタクシーに乗ったと告げ ると、「んじゃあ、俺も帰るよ。」という返事。 「えっ、何処にいるの?」と聞くと、「駅にいる。」って。 わたしを心配して帰りの駅で待っていてくれたらしい。 ありがとう、ってその時は言えなかった。余裕が無くて。 タクシーの運転手さんに気を使ってもらって、窓全開で帰宅。
家に帰ってコンタクトを外しながら冷静に分析するわたし。 食べる前に飲んだから悪酔いしたんだな。 同じように飲んでいても、この前の樽平のときは先に食べた からぜんぜん平気だったもの。 それから、食べるものもいけなかったなぁ。 うどん、だもんね。 かまないよ、わたし。 汚い話だけど、南千住のトイレで吐いたとき、うどんが長い ままだったもん。 ちゃんと噛んで食べないといかんな。
以上が反省点。 それに、根性で電車に乗らなかったから、タクシー代も出費 っていうのは大きいよね、パートのおばちゃんには。(T_T)
それから、うれしかったこと。 夫が駅で待っていてくれたという優しさに感謝。
君がくれる半分ほどの優しさも与えることができていますか(市屋千鶴)
身内で旅行する費用を計算中。 うっかりして、叔母に毎月立て替えてもらっている会費を予算 に入れてしまっていた。 集めてもそれは叔母に返すお金だったのにぃ。(T_T) 叔母には毎月積み立ててもらっている。通帳も叔母が管理。 すっかり凹んで、計算し直した。
う〜〜〜ん、予備の手持ち金が心もとない。 叔母に計算し直した結果を報告し、おろしてもらう金額を相談 すると、寄付していただけると言うありがた〜〜いお言葉。 こうしてわたし達いとこ連中は、二人の叔母にお世話になって いるのだ。(いつまでもごめんね、おばさん達。) またまた、いろいろと許してもらって生きていることに感謝。
会費っていうのも、毎年旅行していた頃の半分になっている。 だから、旅行なんかすると残高なくなっちゃうんだよね。 次のイベントは新年会だけど、いつも安いところでやっている ので、そこは大丈夫だろう。うん。 来年とか、もう旅行は当分行かないよ〜〜〜、みんなぁ。 行くなら有志で行ってくれ〜〜、会費が無いから。(T_T)
ところで、こんなに仲のよい我々だけど、結構辛いこともある んだよね。 母の実家、つまり叔母達の生まれた家でも有り、従姉妹達の生 まれ育った家。 これが人手に渡ることになった。 後を継いだ従兄が農協から借金していて、何年かまえから家族 みんなで出稼ぎしていても結局返せなくなってしまったのだ。 家族みんなで家を出ると決めたとき、必ず帰ってくるからと、 近所の親戚にも管理をお願いしたりしていたのに、借金は減ら なかったんだね。 親戚中かき集めたら集まるお金だけど、これまでに何回も援助 してきているから、もう出せないんだよね。 叔母達も、従姉妹達も。 それぞれが、従兄から返してもらってもいないらしい。 わたしと姉は立場が違うので、何もしていないけど。(^^;
39歳独身の従妹は、あきらめきれないらしくてわたしに電話 をしてきた。 別のどうにかして欲しいのではなく、自分の気持ちを聞いても らいたかったのだと言う。 頑張れば何とかなる金額だけど、今はそこに誰も住んでいない のだからどうやって維持していけるのか。 一時の感情で家を取り戻しても、その後が続かないよねって、 冷たいようだが、そんな話をした。
わたしの生家は、高校生のときに取り壊されてなくなった。 祖母、祖父と、高校1年の10月に相次いで亡くなり、住む人 がいなくなってしまったから。 とても古い家だったし、祖父母は共に痴呆症になっていたから 家の維持なんてできていなかったらしい。 でもね、父親の兄弟が同じ村の中に住んでいるのになんだよ。 わたし達(姉とわたし)は、父親ではなく母親を選び自分から 家を捨てて出たのだから、生家が無くなったからと言って悔し がったり悲しがったりする訳にはいかない。
今はとってもつらいだろうけれど、家の形が残っているうちに 写真でも撮っておいでよ、と従妹に言った。 きっと、雪が降ったら潰れてしまうよね、古くて人が住んでい ない家なんて・・・・・
わたしたちが子供の頃一緒に撮った写真とか、わたしは大事に しまってあるよ。 生家の裏で姉と一緒に撮った写真だって、大事にとってある。 あんた達姉妹とわたし達姉妹は、ほんとによく一緒だったよね。 あのころがあるから、今もこうして姉妹のようにみんなで仲良 く旅行したり新年会したりできるんだもんね。 きっと、あんたのかあちゃんも、とうちゃんも、ばあちゃんも、 天国の家からずっとあんたを見ているよ。 あの家はなくなってもね。
思い出は写真の中に残されてずっと変らぬ人の住む家(市屋千鶴)
昨夜はすごい雷になって、う〜〜ん怖かった。
わたしの田舎は夏でも夜になるとけっこう涼しい。 それなのに、なんとなく肌がじっとりしてくるような気がした ら、夜にはちゃんと雷がなるのだった。
網戸越しにふれる湿度をとらえては雷来ると肌がおしえる(市屋千鶴)
雷とか雨雲には通り道が有るらしい。 実家の裏もそうだった。 裏手にある杉林のそのまた裏側に川が流れていて、その川沿い に雷が通るのだと教えらていた。 今のところはどうなんだろう。 雹が降って話題になるくらいのところだから、雷が鳴ると結構 すごい。 やっぱり川に沿って動いているように感じる。 西から東に動くのはわかるんだけど、たまたまこの辺に大きな 川があるからかなぁ。
で、わたしは雷がとても嫌い。嫌いっていうか、怖い。(^^; 小さい頃からそうだった。 雷が怖くて、頭から肌掛けをかぶって耳をふさいで、指先とか をちょこっと母親の体にくっつけて寝ていた。 雷が落ちても一緒に感電するようにって思ってたんだよね。 それが中学3年生なのだから情けないね。
死ぬときも一緒なんだぞと思ってた母しか頼るものなき時代(市屋千鶴)
今は、夫だけがたより・・・ なわけで、昨夜の雷のときには幸い夫が早く帰っていたので、 しっかり夫にくっ付いて寝た。 夫は、わたしが母の体のどこかにくっ付いて寝ていたという話 を知っているから、わたしが足先をくっつけたりすると笑う。 「まったく、子供なんじゃけぇ。」ってね。
2002年10月15日(火) |
今日から菜食週間だい |
社員旅行以来、どうも胃が大きくなってしまったらしい。 食べ過ぎちゃいけない体なのに〜。 なぜってそれは、わたしが糖尿病だから。(^o^) 父方の祖母が糖尿病だったんだよね。
そんなに重度ではないので、食事に気を付けたり散歩したりし てコントロールしている。 薬は、糖の吸収を緩やかにするという薬を朝晩2回飲んでいる けれど、インシュリンとか使っていない。
昨年の9月の検診で、立派な糖尿病ですって言われて、それか ら食事制限の日々が続いている。 最初は1日1200kcalって言われてね。 1週間で1キロずつ痩せたんだよね。 さすがに7キロくらい痩せたところで、立ち眩みするんですと 先生に言ったら、1400kcalでいいですよと言われた。 わーい、わーい、てなもんでそれでも順調に痩せてねぇ。 年末には1500〜1600kcalは食べていいとお許しを いただいた。 で、それ以降、検査の結果も順調で、血糖コントロールができ ているみたい。
だけど、会社が夏のすんごい忙しい時期に入ってからは、こん なわたしでも少しはストレスが有って、ちょっと食に走ったり したんだよね。 会社はエアコン取付けとかやってるので、夏はとてつもなく忙 しいのね。休めないことがストレスになってた。 ストレスが食欲に直結するタイプなんだなぁ。(^^; それ以来、なかなか体重が減らない。 摂取カロリーも平均で少しだけオーバー気味。
先生(2枚目です。)は、あと5キロくらい痩せさせたいらし いんだけど、なかなか落ちなくなってきました。 8月の検査では、とても結果が良かったので、先生もわたしも ちょっと油断気味。 社員旅行なんかあると、その前後でコントロールしなくちゃな らないのに、その後の三連休でもなかなか食欲が押さえ切れず に、ちょっと体重増えちゃった。
いかん、いかん。 1週間から10日くらいを目安に平均で摂取カロリーを調整す るんだから、これから再来週の旅行までに菜食週間。 19日の吟行の後の昼食や、夕方からの食事なんかを加味して も、やっぱりそれ以外の日はひらすら野菜を食べていなくちゃ。
野菜好きのわたしだから出来ることだけどね。 白菜、しらたき、大根などなど。 芋類はとりあえず、少し控えよう。 とにかく菜っ葉だ。菜っ葉を食べよう。 油も控えめにするから、煮物に偏りそうだけどしょうがない。 とりあえず、今日の夕食、メインは冷やっこだった。(T_T)
慣れって怖いね。 わざわざ計算しなくても大体が把握できるようになってしまっ たものだから、余計に始末が悪い。 ほんとに大体で食べてしまっていた。 きっちり計算して食事すると、ちゃんと結果が出るよ。 手間をかけなくちゃいけないね、自分の健康にも。
「これから年末にかけて、きっちりコントロールします。」 って、こうして日記に書いて宣言するんだ。 だって、嘘は書けないもん。(^o^) ごめんね、先生、最近食べ過ぎてます。 (先生のためにやってるんじゃないけど、ついつい謝ってしまう。) 2枚目の先生は、いつもこう言う。
にっこりと笑って「運動しましょう」と主治医は言うが(一緒じゃないよね) (市屋千鶴)
わたしが衣更えするとき、マスクは必須。 なぜって、花粉症だから。 というより、鼻から喉から、風邪になってしまうから。 だって、繊維の粉でもくしゃみが出るんだよね。 くしゃみとか、不意にでると気管支あたりからでちゃうんだ。 で、喉が痛くなって風邪になったりする。
花粉症なくらいだから(花粉症歴16年)、鼻とか敏感。 視力は弱い。近視で乱視。裸眼で0.01とか0.02。 そのかわり、嗅覚と味覚と触覚はすぐれてるよ。
町を歩いていて漂う匂いで献立を当てたり、カバンの中はいつ だって手探り。 でも、カバンの中は物の配置が決まっているから、見なくても わかるんだけどね。(^^;
夫にいつも言われる。 「毒ガスで攻撃されたら、真っ先に死んじゃうね。 だって、変な匂いとか言って、一生懸命嗅いじゃうでしょ。」 返す言葉が無い。(T_T)
そうなんだよね。 変な匂いとか思ったら、その正体を突き詰めちゃうのだ。 だから、変だといいながら嗅いでしまう。動物的?
不織布のマスクって、値段も安いし通気性も優れてるから、息 が苦しくないマスクっていって売られてるよね。 たしかにその点はいいんだけど、マスクしてるとマスク自体の 匂いで嫌になっちゃうことが有るんだよね。 やっぱりガーゼのマスクがいいなぁ。 衣更えのときは不織布のマスクだったけど。(短時間だし。)
1年のうち、2月の後半から3月にかけての1ヶ月半くらいの 間、メガネ+マスクという怪しい格好ですごす。 (普段はコンタクトレンズ。) だから、マスクにはうるさいよ〜ん。 花粉症の時期、薬を飲めば楽なんだけど、眠くなる。 外出するときは眠くなっても大丈夫だから薬を飲むけど、仕事 するときは眠くなっちゃ困るから飲まないようにしてる。 とっても酷いときには飲むけどね。 で、薬を飲んでマスクしないで外出すると、薬が切れたころに かなり辛いことになる。 だって、薬で症状は押さえているけど、花粉をいっぱい吸って きちゃうんだから、後が大変ってことだね。 だから、薬を飲んで、らくちんな時も、マスクは忘れちゃだめ なんだよ。 花粉症対策は、吸わないことが一番なんだ。
マスクは大事。花粉症持ちにはとっても大事。
マスクなら舌を出してもわからない 君の気持ちが見えないように (市屋千鶴)
人間、いろんなことを乗り越えて毎日暮らしている訳で、日々 の生活はうっかりしていると忘れそうになる。
やっと衣更え。 寒かったり暑かったりで、半袖でいいかっていう日もあったし、 重ね着するほどの日もあるしで、やっと衣更えに踏み切る。
この三連休は、二人とも予定無しのぼんやりした三日間。 来週末、その次の週末と、早起きして出かけなければならない ので、鋭気を養い中。(^^;
来週末は、短歌の勉強会で吟行。 お散歩しながら短歌を作るんだね。 で、普段でさえ2時間半かけて通っているんだけど、その日は 10時集合なので、7時半に家を出る。 午前中に吟行して、お昼を食べて、午後から合評なんだけど、 わたしは夕方から上京する知人と会いたいので、途中まで。
その次の週末は、身内の日光旅行なんだけど、8時に出発する んだよね。それも2時間近くかかる所から。(T_T) 6時過ぎの電車にのる。5時台に家をでなくちゃならん。 一人ならまだしも、寝坊助の夫と一緒に行くのだから、その日 はきっと大変な朝になるんだよね。(;_;)
なんて、ぼやいていたら友達から電話がかかってきた。 衣更えが終ったら、夕方から飲もうって。 それぞれが電車に乗って、都心に出るんだ。
新宿で待合わせして、居酒屋さんへ。 早く着きすぎた彼女は、待合せ場所で人々の流れに飲み込まれ そうになりながら、待っていた。 わたし達夫婦は二人とも大柄だから、彼女の方からすぐわかる。 助さん、格さんを従えた、御老公みたいになって歩いた。
彼女とは夫と付き合う前からの友達で、付き合い始めの頃から わたし達のことを知っている。 引越しのときには手伝ってもらったり、手伝ったり。 温泉旅行も一緒に行く間柄。 いつもお世話になっております。m(__)m
ウーロンハイとか飲みながら、茄子焼とか食べながら、いろん なことを3人で話した。 会社(夫と彼女は同じ会社)のこと、飼っている3匹猫のこと、 テレビ番組のこと、「回転寿司発見っ!!」と叫んでしまった わたしのこと、魚屋さんで子持ち昆布を見ていてよだれを垂ら してしまった彼女のこと、などなど。 取り止めも無く、いろんなことを話した。
あんまり楽しくお話しすぎて、社員旅行のときに買ったお土産 を渡し損ねた。(T_T)おばかー。 途中の乗換え駅から彼女に電話して、忘れちゃったよと話す。 「途中で思い出したけど、忘れてるんだなぁって思ってた。」 と、彼女。 貰う側から、「お土産は?」とは聞けないよね。ごめんね。
夫は、行きも帰りも、ポケットに忍ばせたiPODで音楽を聴 いていた。 でも、わたしがしょっちゅう話しかけるから、帰りの途中から は聴かなくなってしまっていた。ごめんね。
いろいろなことを許したり許してもらったりして暮らしている ことに感謝する夜。
都会から逃げ帰るような電車にて減りゆく人を見送っている(市屋千鶴)
メールをもらった。
「でも、あなたはお父さんに一番愛されたのですね。 そのことにはあまり触れてないですね。 もっとお父さんの記憶を訪ねては?」 (勝手に抜粋してしまって申し訳有りません。)
だけど、父の記憶をたずねて日記に書くのは、冬まで待とうと 思っていた。 強烈な記憶は降りしきる雪と共に有る。 だから、雪の季節に書こうと思った。 ごめんね、言い訳みたいな日記で。>みなさん
父に愛された記憶は確かに有るし、おそらくはわたしのことが かわいくて仕方なかったのだろうと思う。 その事を考え合わせてもなお、すんなりと父に甘えたりするこ とができないほどの記憶があるのだ。 母からは、たとえ「置いていく」と言われようとも、それ以上 の愛情を貰っている。 離婚して、姉は上京し、わたしは母と二人暮らしになった。 とても幸せだった。 それまでで一番幸せだと思っていた時期。
母も父も、離婚したことに対しての子供への負い目があるのか 離婚後も二人でいろいろ気を使ってくれた。 それがなんだか苦しくてしょうがないことがあったけど。
小学校の5年生までは自慢の父だった。 家の前で、父とバイクに乗ってうれしそうに撮った写真もある。 いい学校はでていなくても、頭のいい人だ。 話もうまいし、PTAの会長なんかしていて、学校で父親の話 を聞くことも多かった。 それは、小学校を卒業するまで同じだったが、だんだんと学校 では家のことを考えないようになっていた。
父の知り合いの家では、お酒を飲んで暴れる父親を息子が止め るのだというのを聞いて、とてもうらやましかった。
兄弟が欲しいと痛切に思ったのは、両親がケンカしていて、母 が父に殴られたりタンスに叩き付けられたりしているのを聞い ていたとき。 小学生のわたしや、中学生でもきゃしゃな姉には止めようも無 かった。 ほんとにひどいときには、祖父が見かねて止めに入った。 それも包丁を持って、止めぬならおまえを刺して自分も死ぬと。 部屋の外で黙って聞いていた祖母も、この時ばかりは祖父を止 めた。 自分の夫のために息子を止めた。嫁のためではなかった。
この大喧嘩の翌日、わたしは痣だらけの母から「置いていく」 宣言をされたのだった。 流した涙は、「置いていく」が悲しかっただけでなく、何もで きなかった自分達が悔しかったということもあった。 顔と体に残っていた母の痣は、今でもわたしの目に焼き付いて いる。 母はもう13年も前に亡くなったのに、父は今でも元気だ。
兄弟が欲しいと切に願う夜 母の体の痣は消えない(市屋千鶴)
雪の季節の記憶はこんなものではないのだけど。 父への思いは、雪の思い出と共に雪の季節に書くつもりだ。 今が幸せだから書くことが出来る、辛かったことも。
昨日の夜に見たテレビドラマ。 昨日から始まった新番組だ。 なぜ見ようと思ったかというと、好きな俳優さんが3人も出演 するから。 織田裕二、石黒 賢、阿部 寛。 ん〜〜、たまらないですよ、視聴者としては。 決して若すぎない、渋さが滲み始めた年齢もいいよねぇ。 (身近な若さもいいというのは旅行で実感したのだが。) 何が好きって、織田裕二の走る姿。 あの身のこなしが好きなんだよね。 顔も好きだけど、顔だけだと石黒 賢のほうが好き。
渋いといえば、9月に放送した「明智小五郎対怪人二十面相」。 明智小五郎と田村正和はあんまり結びつくイメージじゃないと 思うんだけど、見ている内に気にならなくなった。 最後のシーンで田村正和が明智小五郎と怪人二十面相の二役を 演じるのだが、それもまたすごいと思った。 同じ顔で、顔の表情一つであんなに別人に見えるんだもんなぁ。 やっぱり、役者さんってすごいと思った。 役者なら、当り前なのかしら????
田村正和。 眠 狂四郎をやっていた頃から見ているけれど、あの頃は本当 に美しかったね。 今は渋いんだけど。 あの人が、ドラマの中で見せる崩れた瞬間がたまらない。 相手を説得しながら涙を流すシーンとか、先日の二役のときの 憎しみと共に暮らしてきた男の表情とか。 やはり、二枚目が崩れるところに魅力が有るのだろうね。
そういう意味で、今の若い人ですごい2枚目で、それが崩れる 時に魅力を感じさせる俳優と言うと誰だろうか。 豊川悦史が泣き崩れるシーンに、ぞくっとしたこと有ったな。 織田、石黒、阿部、竹野内、反町、唐沢とかはどうなんだろう。 木村拓哉、稲垣吾郎あたりは? 2枚目俳優っていなくなったのかもしれない。 3枚目もできる2枚目俳優さんがほとんどだもんね。
そうそう。 明智小五郎と言えば、稲垣吾郎が演じたときに妙にしっくりく ると思ったっけ。 なんというか、あの時代のスーツとか衣装とかとても似合うの だよ、彼は。 若き日の明智小五郎という雰囲気だった。
趣味的には、明智小五郎の役は陣内のが好き。 それと、刷り込み的に明智小五郎って思ってるのは、夏木陽介。 子供の頃に見たんだよね。ぴったりだと思ったの。
少年はいつしか大人になっていき人生の謎に立ち向かう日々(市屋千鶴)
2002年10月10日(木) |
惚れっぽいっていいこと? |
自慢じゃないが、わたしは惚れっぽいほうだと思う。 惚れるというか、いいなと思うことがかなり多い。
その人のとても自分好みな一面を目にすると、その人の好感度 は当然UPする。 だけど、一つくらいいいとこが有っても、好きだぁってなった りしないよね、普通は。 ところがわたしったら、結構そういう傾向が有るみたいだ。 だいたい、夫にしたってアニメソングから交際に発展するよう なわたしだから。(^^;
別の味方をすれば、惚れっぽいということは他人の良いところ を探すのが上手ってことでもある。 (自分で書いてても言い訳っぽいよぉ。) いいとこを見つけてその人をもっと好きになる。 好きになるからもっといいところが見えてくる。 そうやって好きな人を増やしていきたいね。
好きな人ばかりで暮らす日常と非日常のわたしはわたし(市屋千鶴)
好意を持っている人の夢を見る。 夢の中でその人に優しくされたりすると、目覚めてからもその 夢から抜けられないことが有る。 実際に優しくされたらもっと妄想爆発だったりして。(爆) 本当に大事な人、好きな人はちゃんとわかっている。 だけど、夢の中のことがしばらく忘れられずにいる。 大事な人を横目で見ながら夢のことを考えたりする。 まあ、大体は1週間くらいかなぁ。
実際の生活(日常)と夢の中(非日常)との区別がつかないで 暮らすように、夢に囚われたように切ない気持ちでいたりする。
夢を見た記憶をたどり作り出す それはほんとに見た夢だったか (市屋千鶴)
温泉は好きだなぁ。
わたしの故郷は山形県。 全部の市町村で温泉が出る。 わたしの生まれ育った市にも当然温泉がある。 だから、すごく身近なものに感じられる。
昨夜泊まったいわき温泉、お湯がそんなに熱くなくて、猫肌の わたしでもゆっくり入っていられるお風呂だった。
この前の日記に書いた、河津温泉のつりばし荘の抹茶風呂。 これがねとっても気持ちいいんだよね。 二つの浴室が有って、川に面して開放されている。 それぞれの浴室には、二つずつの湯船が有る。 一つは木のお風呂。一つは湯飲みみたいなお風呂。 その湯飲みみたいなお風呂の方に、袋に入った抹茶を浸す。 まるで抹茶の入ったおっきな湯飲みみたいになる。 そこに入るんだけど、入ってると肌が白くなるような気がする んだよね。あったまるし。 で、そのおっきな湯飲みと木のお風呂とで出たり入ったりする。 友達と行ったときは、お風呂に入りながら飲んでくださいねと 水出しのお抹茶を付けてくれた。 あったまった体に冷たいお抹茶がとてもおいしかった。
また来たいね、と言い合ってからもう5年経ってしまった。
彼女とは、宮城県の鳴子温泉、今年の4月には遠刈田温泉にも 一緒に行っている。 彼女もかなりの温泉好きなんだね、実は。
抹茶風呂、今度は夫と行きたい。
湯気だけが隠してくれるうっすらと朱に染まりゆくぼくの欲望(市屋千鶴)
えっと、この日記は社員旅行から帰ってきて書いてます。
社員旅行の夜の出来事。 宴会でイベントコーナーの手伝いをした。 イベントコーナーの幹事は、いつも新人さんの担当。 新人さんといっても、うちの会社での新人さんということなの であって、新卒ってことじゃない。 で、今年の新人さんは24歳と32歳の若者たち。
この24歳の新人君がかっこいんだよねぇ。 見た目は2〜3歳上に見えるんだけど、話すと結構子供っぽい 印象を受ける。が、わたし好みの2枚目だ。(^o^) そんな2枚目なのに、ステテコ・腹巻き姿に背広を着て、ハゲ かつらをかぶらされていた。 二人とも同じような格好なんだけど、2枚目な分だけギャップ が面白い。 しゃべりは32歳の新人君が担当していて、なかなか上手だ。 「似合うじゃないの。」と言ったら、「うれしくないっす。」 との返事。 やっぱ、うれしくはないのか、似合ってても。 わたしはきっとうれしいと思ってしまうんだろうなぁ。 お笑い系の血が騒ぐよね。
わたしはビンゴの司会というか進行をやってたんだけど、客席 の若い衆がやじを飛ばすので思わず乗ってしまったよ。(T_T) やっぱりお笑い系の血が騒ぐんだよね。
宴会後、二次会会場のスナックで若い衆は大盛り上がりだった。 カラオケでラップをやるわ、コンパニオンさんと飲み勝負をす るわで、我ら年輩ものは付いていけないよといいながら、部屋 に退散してワインなど飲みながらしばし雑談。 しばらくして2次会の終った若い衆が二人、部屋に戻ってきた。 この二人は昨年の宴会で一緒に騒いでいた子たち。 24歳と26歳。 24歳の子は、一緒に暮らしている年上の彼女との食生活の話 をしてくれた。26歳の子は最近彼女と別れたらしい。 集まるとちょっと付いていけない雰囲気を醸し出すんだけど、 一人二人だとかわいいやつらだ、まったく。(^_^) 思わず、肩揉んだりしてあげちゃったよ。 決して若い子の体に触りたかっただけではない・・・・・よ。
若さなら君が受賞をするのだろうわたしの中の思い出大賞(市屋千鶴)
昨日、帰ってきたのは22時過ぎ。 帰ったら、うれしそうにiPODに充電している夫がいた。 よかったよかった。 晩御飯はと聞くと、チャーハンの素と卵を買ってきてチャーハン を作って食べたんだって。えらいえらい。
2年前の今頃、こんな事を書き残していた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 引っ越してきたばかりでまだ仕事はしていない。 毎日、近所の探索に出歩いていた。 田んぼの中の砂利道を自転車で走っていると、いつの間にか、 30年前に思いが飛んでいた。
小学校5年生のわたしは、稲刈り後の田んぼを歩くのがとても 好きだった。 様々なことを考えながら、時には鼻歌なども歌いながら歩いて いた。純粋に楽しかった。 しかし、その日はいくら歩いても楽しい気分にはなれなかった。 前の日に、わたしは母からこう言われたから。 「姉ちゃんは体が弱いから母ちゃんが連れて行くけど、 おまえは父ちゃんに似ていて可愛がってもらえるだ ろうから、置いていくよ。」 わたしは久しぶりに母の前で泣いた。悔しかった。悲しかった。
父はその少し前頃から、外に女の人がいたのである。 母は我慢強い人ではあるが、我慢できなくなるとはっきりさせ ないと気が済まない人でもあった。 父は、母の追求に返す言葉が無く、暴力に訴えるようになった。 母に「置いていくよ。」と言われたのは、そんな父の暴力に耐 えられなくなっての事だった。 わたしは毎日そんな父と母を見ていたから、母が出て行くこと が仕方の無いことで、その方が母のためだということも、子供 心によくわかっていた。
それでもやはり、悔しくて、悲しくて、母の前で泣いた。 何も出来ない子供の自分が悔しくて、母に置いていくと言われ たことが悲しくて、泣いた。
結局、母は実家から連れ戻されてしまって、わたしのもとに帰 ってきた。 でも、母がわたしを置いていくと告げたことは、深い傷となっ てわたしの心の奥底にしまい込まれた。
それから両親が離婚するまでの3年半ほどの間、わたしは両親 の夫婦喧嘩を毎日のように見て暮らしていた。 そんなわたしの救いは学校であり、そして田んぼのなかや畑の なかを散歩することだった。
秋の風景は、大好きなのだが、また、悲しい記憶も含んでいる。 雪の記憶はわたしを含めた母と姉との三人の記憶、それは離婚 に関わるいろいろだからだが、秋の田んぼの記憶はわたしだけ の懐かしくも切ない記憶だった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今では懐かしい秋の田んぼだけどね。 2年前に田んぼを歩いていたとき、散歩する老夫婦に会って、 元気よく「こんにちは〜!」と声をかけたりした。 あの夫婦と仲良くなりたいなと、唐突に思った自分にびっくり もした。 なんだかとてもうれしいような悲しいような気持ちだった。 両親が仲良く年をとって、あんな夫婦になっていたら良かった と思ったのだろうか。 それとも、自分自身があの年齢まで夫とずっと仲良く暮らして いけたらいいなと思ったのだったろうか。 帰ってきて、短歌を詠もうとして、なぜだか涙が止まらなかっ たのを覚えている。それでも↓のような歌を詠んだ。
置いていくといった母の年齢をもうとっくに越えていた。
刈り終えた稲田を歩くずんずんと記憶を土に埋め込むように (市屋千鶴)
2002年10月06日(日) |
行き先はそれぞれだけど |
今日も二人で出かける。(嬉) 行き先はそれぞれなんだけど、途中の駅まで一緒だ。
わたしは短歌の勉強会で指導していただいている方の歌集批評会。 夫は秋葉原へGOだ。 iPODは買うのかどうかわからないが、一人で秋葉原に行くの は夫にとってすごい楽しいこと。 女性が目的も無しにウィンドウショッピングするのと同じように 秋葉原のお店をいろいろと見て回る。
目的のものが無くてふらふら見て回るのは、興味の強弱によって 体力消耗が違う。 女性が、洋服やら靴やらバッグやらを見てうろうろしていられる のはそれらに対する興味が強いから。 夫が(男性の多く)がそれに付き合っているとめちゃくちゃ疲れ るのは、そういう物への興味がほとんど無いに等しいから。 秋葉原で元気に夫に付いて歩けるのは、自分も興味が有るものを 持っているとき。 特に欲しいものが無いときに夫に付き合うのは、やっぱり疲れる。
だから、ほんとは一人でえんえんとお店を回って歩いたりしたい と思うのだろうが、わたしを気遣ってくれるので、ときどき一人 で秋葉原って夫には大事かもしれないね。 わたしは、定休日とかに大手スーパーを見歩いたりしてるからね。
一人の時間を持つ妻と、家にいるときはほとんど一人にならない夫。 一人ぼっちの時間はお互いに何を与えてくれるのだろうか。
そういえば、夏のある日、休日出勤の夫に会いに行ったっけ。 事務所に入ろうとして、声が聞こえたので誰かいるのかと思ったら iMACから好きな音楽を流して、唄いながら仕事していた。 夫の仕事が終るまで、夫の歌声を聞きながら、時折外れる音程の ことなどを気にしながら、本を読んで待ったっけなぁ。
休日の会社で一人歌いながら仕事している君を見ていた(市屋千鶴)
そろそろ出かける準備をしなくちゃ。
久しぶりに夫と歩いた。
うちから歩いて駅まで15分。 電車に乗って二駅目で降りる。 家電量販店を探して駅から歩く。 普通、家電量販店なんかは主要道路沿いに有って、駅からは少し 遠いものだ。 そこも例に違わず、駅から歩いて20分くらいかな。 帰りも同じだけかかってるから、行き帰りだけで1時間以上の歩 きだね。 中でいろいろと見て回る。 パソコンコーナーとかデジカメコーナーとかオーディオコーナー とか。 どうしても今必要なものが有るわけではないので、値段と性能を 比べたりしてこれがいいねと言っているだけ。
今一番欲しいのはデジカメだけど、実際にどの程度の使用頻度が あるのかなどなど考えると、微妙なんだなぁこれが。 それに、夫の事務所の備品として置いてあるデジカメが使われて いないので、この前も借りたんだよね。 また借りればいいか、なんて思ってしまうものだから、買えない。
夫はiPODが欲しいらしい。 いつ使うのって聞くと、休日出勤のときだって。 そんなに休日出勤するなよ。(;_;) でも、欲しいなら買ってもいいよって言った。 だって、わたしは打合せとか短歌のイベントとかオフ会とかで出 かけるし出費もあるから、その分欲しいものはちょっと我慢。 だけど、夫はずっと仕事漬けだったから、欲しいもの一つくらい 買ってもいいよなぁと思う。
今年の12月で結婚丸五年になる。 記念に京都に旅行したいねって言っていたんだけど、いろいろと 東京同窓会やら何やらでスケジュールも立て込んでいたし、出費 のほうもいろいろと有ったので、近場にしようかと思っている。 河津温泉のつりばし荘の抹茶風呂にもう一度入りたいなぁ。 予約だし、一回毎に入れ替えるし、貸し切りだし、一度友だちと 行って気に入っているんだよね。 いつ頃行けるのかまだわからないけど、計画して置こうっと。
二人して仲良く歩き二人して仲良く休む二人でありたい(市屋千鶴)
今日は、先輩方との打合せ。 東京同窓会は11月15日に迫ってきているので、打合せの回数 も増える。
明日はお休みだけど、日曜日にはまだお出かけする。 短歌の勉強会で指導していただいている方の歌集の批評会。
そうそう、来週の火曜日から水曜日にかけては、社員旅行。
そんなこんなで、10月も3連休以外は毎週何かが有るわたし。 第3週もお出かけするし、第4週は日光へ親戚中で旅行。 夫が一緒なのは日光への旅行だけ。(ごめんね)
きっと、その合間をぬって同期での打合せとか入るんだろうなぁ。
夜更かしできない体になってしまった(爆)わたしは、12時頃 になるとスイッチが切れたように眠くなる。 前はそんなこと無かったのに習慣ってすごい。
この日記だって、夜に書けばいいのにたいていは夕方書いてるし、 朝のときも有る。 夜遅くに書くことなんてこれからもきっと無いなと思う。 といって、今日も昼間に書いている。
パソコンの画面に向かう背中からカチカチテンテン会話が聞こえる (市屋千鶴)
今日の夕飯は、「芋煮」。 昨日はお休みだったから、自分で好きなものをたくさん食べてし まった。それで晩御飯はリンゴのみだった。 夫は23時ごろに帰ると予告が有ったので、急いで牛丼にした。
だから、今日は牛丼の名残が残る「芋煮」。 里芋、こんにゃく、長葱、牛肉。 今日はオプションでぶなしめじを追加した。
小中学生の頃、子供会で芋煮会をやった。 近所の川原で、かまどを作って大きな鍋をかけて。 里芋はすべって危ないので、各家で下拵えしたもの持たされる。 一升瓶に何本も水をいれ、醤油も一升瓶で持っていく。 お酒は、子供会なので持っていかない。 (料理しないで飲んじゃうといけないからね。(笑) )
各自が必ず持って行くもの。 お弁当箱にご飯、汁椀、箸。
芋煮だけだとなんだかちょっと物足りないので、ポテトサラダを いつも作った。皿の代わりは、お弁当箱のふた。
お肉を入れてじゅうじゅう焼いたら醤油をいれて、水を入れて、 具を入れて、ぐつぐつ煮るだけ。 それなりの味なら、子供でも作れるのさ。 芋煮とご飯とポテトサラダ。もう大満足だったなぁ。
両親が離婚してからのことだけど、わたしは高校生の頃に下宿し ていて、たまに父親の家にご飯を食べに行ったりした。 下宿先なんかも探してくれたりしてたから。 当然、その家には新しい奥さんが居る。 今だから「おかあさん」と呼ぶようにしているけど、その頃はま だ名前で呼んでいた。 だって、自分の母親は生きているんだから。 それに、母親は「かあちゃん」であって「おかあさん」ではない。
その彼女は、とっても料理がうまくて、それは楽しみだった。 母は、ひたすら畑や田んぼに出ていて、外でおいしいものなんか 食べたことが無くて、自分が育ってくる間に食べたものしか作れ なかった。 父は、見栄っ張りで遊び好きだったから、いろんな所に出かけて 食べたり飲んだりしてくる。 父は母が料理が下手だとよくおこった。 下手なんじゃないよ、知らないだけなのにね。 だから、新しい奥さんがとても料理上手なのは、子供ながらに妙 に納得していたっけ。
で、彼女の作る芋煮には、しめじが入ってたんだよね。 それがおいしかったので夫に食べさせるときにはしめじを入れる。
でも、わたしが一番好きな料理は、母が作ってくれた料理だし、 一番得意な料理も母が作ってくれた料理だ。 大根と油揚げの炒め煮とか、茄子の味噌炒めとか、じゃがいもの 甘辛あんかけとか、ぜんまいと油揚げの煮付けだとか。
夫はわたしの煮物を「ちーちゃん煮」といってひとまとめにする。 炒め物は「ちーちゃん炒め」だ。(T_T) 料理の名前は覚えないよ、彼は。おいしいって食べてくれるけど。 献立に文句は言わないし、ほんといい旦那様です、ハイ。(^_^)
里芋も牛肉もその味がして我が身のうちに故郷は帰る(市屋千鶴)
台風一過の青空の下、子供たちは大騒ぎだ。
短歌の勉強会のメンバーで暑気払の食事会が8月に有った。 そのときに人生の先輩方に言われたこと。 わたしの夫が11歳年下で、結婚してまだ5年目だと言ったら、 「ああ、それで恋の歌が詠めるのね。まだ新婚だものね。」って。
確かに子供のいない結婚5年目の夫婦はまだ新婚気分が抜けない と言えなくも無い。 だけど、恋の歌を詠むのに年齢は関係あるのかなぁ。
そういえば、わたしより年下の知合い(短歌関係)の方にも同じ ようなことを言われたような気がする。 もう、恋愛の歌は詠めないなぁ。 無理すると性愛の歌になっちゃうの。 って。 子供を持つと、恋の歌なんか詠まなくなってしまうのだろうか。
でもね、わたしだって恋をしているから恋の歌を詠むわけではな いし、相手を夫に限定して作るわけでもない。 青少年の頃の片思いが題材の場合がほとんどなんだよね。
40になったあなたを目にすれば夢の世界で恋などしない(市屋千鶴)
きっと、思い出の中だけの恋はこんなものなのだろうと思う。
あとは、恋する人への応援歌に。
届かぬとわかっていてもひたすらに恋はするもの愛は知るもの (市屋千鶴)
実際、恋をすることがあっても、きっとこうなんだろうと思う。
捨てられないものをたくさん持つ今はせつない胸だけ恋しています (市屋千鶴)
う〜〜ん、古い歌、引っ張り出してきちゃったなぁ。(;_;)
う〜〜ん、台風が来たので日記が遅れた。 だって、夫が帰ってくるまでは心配でパソコン開かなかったし、 帰ってきたらきたでパソコンは開かないし。
朝になって振り返る台風の日。 夕方からほんとに風が強くなってね、会社に居る間はそれほどと 思わなかったけど、自分の家(アパート)に帰ったらうるさくて。 なにしろ、うちは角部屋。それも北東側の角。 だから通り過ぎるまで、うちの三方の窓側から風が吹きつけるの でほんとにうるさいかったよ。 それが、21時ごろからの約1時間弱、静かな時間があってね、 22時ごろから逆向きに風が吹き始めた。 そうすると今度は玄関側に吹き付けるので、少しうるささが減る。
テレビの声も良く聞こえないような状態だったし、少々どきどき もしていたし、風向きが変る前に夫婦揃って早寝体制に入った。 一番静かそうな部屋で、布団に入ってお話タイム。 風向きが変って少し静かになった途端、条件反射のように寝てし まったわたし達だった。
わたしの生まれ故郷は東北地方なので、台風はいつも駆け抜ける ものだった。 時速60キロとか70キロでちょうど今回の様に。 いつも寝てる間に通り過ぎて、よく朝は暑かった。
台風に後押しされてただ二人寄り添う相手は母から夫へ(市屋千鶴)
|