鶴は千年、生活下手

2002年09月30日(月) 女の強さ

女の強さは見た目ではない。
そんなこと、女だったらわかってることだよね。
強い女って、どんな女?(プロレスラーって答えは無しね。)

失恋の歌におけるユーミンと中島みゆきの女性像はちょっと違う。
少しだけ強がるユーミンの女性。
悲しみ、泣き崩れそうな中島みゆきの女性。
わたし自身はどちらかと言うと、強がってしまう女だから、逆に
中島みゆきの歌の中で道端で泣き崩れちゃったりする女性に少し
憧れる。できないもん、そんなこと。
だから、別れそうな予感のときは自分から別れを言い出したりす
るんだよね。
そんなことわたしは平気だもん、っていう顔をしてるけど、結構
辛いんだよね。
いっぱい泣いて、次の日はけろっとしてなくちゃって思ってた。

女は確かにいざとなったら生命保存の本能が働くから、きっと男
よりある意味強いのかもしれない。(芯が強いって言う意味で)
だけど、日常の中、真っ赤な口紅で力いっぱい生きている女性を、
怖いなんて言わずに良く見て欲しい。
きっと、ときどきその口紅を噛み締めながら生きているのだから。

 弱さゆえ朱き紅もて身構える女もいると気づけ、男よ(市屋千鶴)



2002年09月29日(日) 寝だめする夫

先週の3連休も昨日も仕事だった夫は、11日ぶりのお休み。
いつもより、たくさん眠っております。(染の助・染太郎風に)
たとえわたしが隣の部屋でテレビを見ていようが、ハンガーを
落とそうが眠っている。

つまんないって思ってちょっかいを出しても、今日は反応無し。
余計につまらなさが増えてしまう。(T_T)
4時半過ぎまで寝ていた夫は、すっかり元気。
「サイボーグ009」を二人で鑑賞した。
2日分くらい休んだ気分だそうだ。
「寝だめ・食いだめ、芸の内」っていうくらいなんだから、夫
は芸達者か。(んなわけないよね。)

わたしはといえば、なんだか2日で1日分のような妙な気分だ。
めりはりのない1日は境目の無い遠近両用メガネみたいなもん。
どっからが今日でどっからが昨日だったかわからなくなるよ。
妻はふつふつとした感情をもてあましている。

 休日は寝だめするぞという夫の幸せそうな寝顔に脱帽(市屋千鶴)



2002年09月28日(土) 13年前(やや長いです)

13年前の午前4時20分。母が亡くなった時間。
平成元年の春、母は人工透析を始めた。
腎臓は、多発性腎のう胞という病気で機能しなくなっていた。
腎臓の中にのう胞(袋)ができていて、年を重ねるごとにその
のう胞が大きくなっていく病気。

人工透析になる前は、具合が悪くて入退院を繰り返していた。
だから、透析を始めて元気な母を見るのは嬉しかった。
その年の9月、母は故郷に2週間ばかり帰った。
なんだか久しぶりにいろんな人に会ってきたって言ってた。
これまで話をしなかったことも話したりしたらしい。
そして、故郷から姉の家に戻ってきて1週間後、母は倒れた。
脳出血だった。秋分の日の前日だった。
わたしが母に会ったのは8月だったから、1ヵ月経っていた。

まだ、銀行員だったわたしに、姉から電話がかかってきたのが
10時くらいだった。
母が倒れて手術をするという連絡。
電話の後、わたしは何をどうしたらいいのかわからず、友達の
席に行った。
友達に、「しっかりして。上司に言ってすぐに帰るのよ。」っ
て言われて、やっと涙が滲んできた。
本当に何をどうしていいかわからなかったのだ。

処置室の母は、呼びかけるとまだ体が動いた。
意識はなくて、反応だけはするようだった。
それから長い長い手術が始まった。
待っている間、わたし達は食事をした。
姉は、喉を通らないと言った。
わたしと義兄は胃が痛いと言いながら、無理矢理食べた。

手術室から出てきた先生は、脳圧がさがらず止めても止めても
次々と出血すると言った。それで時間がかかったと。
脳圧が下がらないので、開けた頭蓋骨を元に戻すことができな
かったのだとも言った。はっきり言って脳死状態なのだと。
倒れた日は、透析をするはずだった日。
手術後に透析をしたが、脳の機能がちゃんと働いていないと、
透析してもだめなんだって。
あとは、腎不全になるのを待つだけだって言われた。
心臓は丈夫な人だったから、腎臓に障害が無ければ植物状態で
生きていたかもしれない。

もって1週間。
その1週間がわたし達に残された時間だった。
母が死んだら、お墓をどうするのかって問題になった。
不謹慎だって思うかもしれないが、母は自分が死んでも実家の
お墓には入りたくないと言っていたのだ。真剣に相談したよ。
そして、義兄がお墓を立てるから、そこに最初に入ってもらう
と言ってくれた。ありがたかった。
その頃住んできたところから1時間とかからない場所に、母の
お墓ができるのだから。
義兄はわたしに、「おまえも嫁に行かなかったらここに入れば
いいんだからな。」と言ってくれた。
母と姉と同じお墓に入るんだよって思っていた。

母が息を引き取った時、病院にはわたしと姉と義兄が泊まり込
んでいた。
母の体温はすぅーっと冷たくなっていった。
ああ、本当に冷たくなるんだなぁと思った。
ベッドの側で泣いていたのはほんの1、2分だったか。
母の死後の処置のために病室から出るように言われた。

 体温が冷えゆくことの確かさを認めてなおも母を呼び止めむ
                             (市屋千鶴)

ナースステーションの横で、姉とわたしは泣いていた。
それまでの1週間で覚悟はしていたのだけれど。
母の遺体は義兄が付き添って自宅に運ばれた。
わたしと姉は、半分泣きながら母の話をしながら駅まで歩いた。
ゆっくりゆっくり歩いて、泣きはらした目で電車に乗った。

大事な大事な、大好きな大好きな、尊敬する母だった。

あれから、13年。
姉は、母と同じ病気で昨年から人工透析をしている。
母よりも10年以上早い。
わたしにもある、のう胞。
わたしは大柄だからか、体質なのか、姉よりも大きくなるのが
遅いらしく、それほどの影響はでていない。
きっとわたしは母と同じ年くらいまではもつのだろうなぁ。

姉は脳外科手術2回、腎臓全摘出&肝臓一部切除手術、そして
十二指腸潰瘍の手術と4回の大きな手術を繰り返している。
最初のくも膜下出血の手術から、その度に不死鳥のように復活
するんだよね。(えらいぞっ、ねえちゃんっ!)
いつかやってくる死というものを、わたしも義兄も姪も甥も、
意識しないでは居られない。

 身近にある姉の命はぎりぎりのところでいつも踏ん張っている
                             (市屋千鶴)



2002年09月27日(金) 好み

「迫るといやぁ、ショッカーだよな、」君といる幸せなどをふと思うとき
                          (市屋千鶴)
もちろん、それは「仮面ライダー」のショッカー。
「仮面ライダー」のテーマソングだ。
「せまるーっ、ショッカーッ、じごくのぐーんーだーーん。」と
いう歌。
わが夫なら、「迫る」といえば「ショッカー」と絶対返すはずだ
と思って聞いてみた。
言ってみる前からわかっていたさ。
ゲームもやってたくらいだからね。

夫を選んだ理由のなかに、わたしが大好きだった特撮物のテーマ
ソングが歌えたからというのもある。(ほんとか、おい?)
それは、わたしが12歳のときに見ていた番組「超人バロムワン」。
11歳下の夫が知っているはずが無いと思っていたのだが、彼は
再放送を見ていてテーマソングが唄えたのであった。
年代を超えて、好みが一緒なのがとてもうれしくて、話も弾んだ
のだった。
他にも、「新造人間キャシャーン」も唄えたよ。
ほれぼれしたね。(*^^*) 例に漏れず、アニメも好きなわたし達。

わたし達は、ウルトラマン三部作も見ていた。
「ウルトラマンティガ」
「ウルトラマンダイナ」
「ウルトラマンガイヤ」
戦隊もので最近好きだったのは、「タイムレンジャー」。
最近の仮面ライダーも、もちろん見ている。
「クウガ」、「アギト」、「龍騎」。
それらの特撮ヒーローを見ていて気づいたこと。
主人公の眉の太さは、成長の証だってこと。
ウルトラマンダイナのときに初めて気づいて、タイムレンジャー
でも、龍騎でも確認した。
回を重ねるごとに、経験を積むごとに、眉はりりしく太くなって
いくのだ。(そんなことに感心する、あほ夫婦です。)

先日、短歌の勉強会で一緒の方にこの眉の話をしたら、爆笑して
いただいたっけ。賛同していただいたと勝手に解釈。(^_^;

そういえば、初めて二人で見に行った映画って、何だと思う?
「モータルコンバット」っていう映画。
アメリカのゲームを映画にしたっていう作品。
特撮と格闘(どちらも大好き)で、おまけに空いてて良かった。(^^;
次に見たのは「ルパン三世」。その次は「ガメラ2」。
(なんだか書いてて情けなくなってきた。(T_T) )
「スリーピーホロー」とか「千と千尋の神隠し」とか「陰陽師」
とかも見たけど。

そうしてオタクチックな夫婦は出来上がってきたのである。(笑)

個人的には時代劇も好きで、「鬼平犯科帳」や「どら平太」とか
も見ているので、広く浅い守備範囲だと思っている。
恋愛映画だけは見ていられないけどね。(^^; 苦手なんだ。
恋の歌は詠めるのに、恋愛映画は見ていられないの。
こんなのだったら、見ていられるかなぁ。

 追いかける君の後ろを追いかけるまるでわたしは恋するスパイ
                         (市屋千鶴)



2002年09月26日(木) 皮を食べる

近所のスーパーで「あけび」を見つけた。
果物としてだからか1つだけパック詰めされていた。
小さい頃よく食べた。
姉は、実の部分(白いバナナみたいだけど黒い種がいっぱい入ってる)を
食べていた。
わたしは、その実がいまひとつ好きになれなくて、大人と一緒に皮を煮た
やつを食べていた。ほろ苦くておいしいんだよね、皮。
果物のくせに、皮ばっかり食べられてるイメージがあるなぁ。
きっと、姉はそんなことないって言うだろうけど。

もう一つ見つけたもの、秋田産バートレット。西洋梨。
昔良く食べた西洋梨の形。ラ・フランスよりいい形だよね。
上京したての頃、洋梨をどうやって食べるかで友達ともめた。
もめたっていうのもなんだけど、もめた。(^^;
みんなは、皮を剥いて食べるっていう。「えっ!?」とわたし。
「なんで皮剥くの?」「剥かないの?」「剥かないよぉ。」
友達は全員ここで、絶句。
だって、わたしが田舎にいた頃は、洋梨はまるごともらってそのまま皮も
剥かずに食べるのが普通だったんだよ。
剥かなくていいくらい熟れた洋梨を食べてたんだよぉ〜っ!
一生懸命、説明したけど、ワイルドな食べ方って言われたさ。(T_T)

おいしかったなぁ、洋梨。あけびの皮。丸ごとのりんご。ぶどう。
囲炉裏で焼いて食べた焼き栗。焼酎で渋抜きした柿。干し柿。

 まいったな、食べ物ばかりが目に浮かぶ。すぐそこにある食欲の秋。
                           (市屋千鶴)



2002年09月25日(水) 昼のデート

昨日、深夜12時半頃帰ってきた夫は、悲しそうだった。

夫「自転車、盗まれちゃったよ。」
妻「あんなとこに止めてあるのに?」(夫の事務所ビルと隣家の間)
夫「ううん、コンビニでパンを買ってる間に。」
妻「何で鍵をかけなかったの?」
夫「パンを買うちょっとの間だったからね。」
妻「なんで、パンなんか買いに行ったの?
  ご飯は食べたって言ってたじゃない?」
夫「食べたんだけど、おなかすいちゃってさ。」
妻「食べるものある?って聞いてくれれば、有ったのにぃ。」
夫「ふぅ。明日は歩きだな。」

この微妙にずれた会話。
帰るコールのときに、何のためにご飯は食べたかって聞いてる
のかわからんだろ、おい。
その時に、食べたけど腹へってるって言えば、有るよってー。
そしたら、コンビニで自転車を盗まれることも無かったのに。

こんな風に考えるのは、わたしが女だからか。
なんでこうしちゃったんだろう、って振り返るのは女だからか。
夫は、ショックだけども盗まれた事自体へのショックなのだ。
わたしは、鍵をかけなかった夫と、コンビニに寄った理由の方
に引っかかっている。
パンを買いに、でなくても、きっと漫画を買いにとかの理由で、
寄ったはずなのだけどね。

しょうがない。
もしかしたら、誰かが間違って乗ってってしまったのかもしれ
ないではないか。
今日の帰りに寄ってみるよ、という夫は少しまだ少し悲しそう
だった。(人が良すぎなね、うちのは。)

 出来事を振り返るのは妻だけで前を向くのは夫の仕事(市屋千鶴)


さて、今日はわたしは定休日。
夫は給料日。
お昼に夫の勤務先の近くの回転寿司で待合わせた。
うちから徒歩で30分。
別にバスでも行けるけど、敢えて歩きましょう。
10分早く着いたので、日陰で涼しい風に当たって待った。
かなり遠くから、夫が歩いて来るのがわかった。
だって、がっしがっし歩いて来るから、すぐわかるんだもん。

自転車のこと、聞いてみる。帰りにコンビニに寄ってみるって。
まだあきらめきれないよね。歩いたら35分はかかるんだもん。
かといって、わたしの自転車を雨曝しのあの場所に止めるのは
ちと勿体無い気がして、貸せない。(夫もそう思うらしい。)

貧乏性なのか、たまたま好みがそうなのか、いつも二人の食べ
たお皿は、大体2色。
なんだか、安上がりな二人。(T_T)
たった30分だけど、お昼のデートは久しぶりだった。
ずっと休日出勤とかで、日中に二人で出歩いていなかったから。

 それぞれにお皿の色は一番と二番目に安い色で統一(市屋千鶴)



2002年09月24日(火) 起こし忘れた妻

夫は寝起きが悪い。良くないではなくて、悪い。
おまけに一人で起きられないらしい。
目覚ましを止めて寝ちゃうタイプなんだよね。

夫は11歳下で、知り合ったのは会社。(銀行の次のとこ。)
35歳と24歳だった。
グループ会社同士だったので、わたしの会社に応援に来ていた。
二人ともコンピュータソフトの開発をやってたんだけど、その
頃は別々のプロジェクトだった。
ただ、進捗会議なんかやるときは、みんな一緒だったから同席
していたけど。

そんな彼は、よく寝坊してきた。
あきれるくらい寝坊する。
こんな奴が社会人でいいのだろうかと思うくらい遅刻もする。
システム開発は時間が不規則だからそれなりに務まっているよ
うなものの、やっぱりいつも注意されてたんだよね。

それで、休日出勤とかも一緒になったりしたわけで、話をして
いる内にいいやつだぁって思ったんだよね。
で、起きれないなら起こしてやろうかという話になってね。
姉の家に居候している身でありながら、モーニングコールなど
始めたのだった。
1回、かけて起こして、しばらくしてもう1回かける。
そうしないと、生返事しただけでまた寝てしまうから。
なんでそうなのかというと、あの頃はインターネットではなく
て、ニフティのチャットを毎晩やってたんだね、彼は。
それで毎晩遅くなるもんだから、朝起きれなくなるというのだ。

モーニングコールにもなれちゃった頃、彼はわたしにモデムを
預かって欲しいと言ってきた。
それが無ければ、夜中までチャットで起きていないですむから。
そんなこんなで、彼との間は接近して誕生日を祝ってあげたり
なんかまでして付き合うことになったのだった。
その頃には、36歳と25歳になっていたね。
その翌年には同棲を始めていた。
きっちりと毎朝起こす人が絶対必要だったんだよね。(^o^)

そうそう、夫は寝起きが悪いに戻る。
この3連休に出勤した夫は、今朝も寝起きが悪かった。
起こして朝食を食べさせる。
食べ終わっても出勤時間まで余裕があるんだよね、悪いことに。
そこで、夫はまた寝る。(^^;

わたしは、自分の出勤の準備をする。
わたしも夫も10時からお仕事。
わたしは徒歩2分、夫は自転車で15分。
休み明けのわたしは少し早めに9時半頃に行く。
もう起きないと間に合わないよと起こすと、1時間遅く行くか
ら10時半に起こしてくれと言う。
しょうがないなぁって言いながら、会社に出勤したんだけども
気が付いたらもうお昼休みだった。(T_T)

わぁ〜〜〜ん、夫は起きたんだろうか。
どうしようーっ!
慌てて自宅に戻る。(いつも昼休みは自宅。)
いない。
良かった、自分で起きていったらしい。
とりあえず携帯に電話すると、「余裕、余裕。」だって。
なんだ、この数年きっちりと起こしてきた甲斐が有ったんだね。
いつまでも、「三年寝太郎」じゅあないんだねぇ。(T_T)うん

朝はわたしが親になって、寝起きの悪い夫の面倒をみる。
夜は夫が親になって、すぐ眠くなってしまうわたしの面倒をみる。

 お互いに必要だからそばにいる親で子供で夫婦な二人(市屋千鶴)



2002年09月23日(月) もったりと3連休

3連休、またもや夫は3日とも午後から出勤。(;_;)
わたしはといえば、昨日行きたかったちょっとしたイベントにも
行かずに、今日も午前中は会社に請求書を作りに行っていた。
こういうとき勤め先が近いって、いいような悪いような。
(来週は母の命日だから、お墓参りに行こう。)

夫は自転車で会社に行く。
わたしが2台目の自転車を買うまでは、歩いていってたのにね。
もう歩くのを面倒がるようになってきたみたいだ。

うちは、二人ともペーパードライバー。マイカーは自転車2台。
相模原にいた頃は、ぜんぜん不便じゃなかったのだけど、今の
ところはスーパーも遠いし、駅も遠い。バス停も遠い。(T_T)
楽しいところや、行きたいお店なんかはみんな遠い。
夫と出かけるときは、当然駅まで歩き。
近所だったら自転車で出かける。

自転車に乗ると、ついついこぎ続けてしまうわたし。
坂道もぐんぐんこいでしまう。
そういうとき、いつもわたしが先を行く。
あれっと思って振り向くと、はるか後方で夫の自転車がゆっくり
走っている。
「おそいねーっ。」というと、「あんたが速すぎるんよ。」って
言われる。「なんでそんなにこいでるのさ。」って。

困った。   理由なんて無い。 と思う。
ゆっくりとふらふら乗っていることができないんだよね。
夫は、「いいから先に行きなさい。」という。
「あいよっ。」と言ってわたしは先に目的地に進む。

歩いているときもそう。
狭い道ではわたしを先に歩かせてくれる。
わたしのペースでいいんだそうだ。

わたしはおとうさんの前をるんるんと歩いている子供のように、
るんるんと歩くのだ。
ときどき、後ろ手で合図を送ったりしながらね。

 後を来る君の足音聞きながら見守られている子供の気分
                        (市屋千鶴)



2002年09月22日(日) 傷つく覚悟

 われひとり悲劇のヒロインだと嘆く 覚悟もなしに恋をしたのか
                           (市屋千鶴)
銀行から転職した先の会社で一緒だった女性の話。
わたしがその会社に入ったばかりの頃は、コックさんの恋人がいた。
1年経ったか経たないかの頃、その人と別れて別の人と付き合って
いるとわたしに教えてくれた。
その相手はグループ会社の人で、もうすぐ結婚の決まっている人だ
った。結婚を目前に控えた男性の気の迷いに彼女はヒットしてしま
ったらしい。まあ、その人が自分の会社に戻る頃までしばらく付き
合っていた。

その後、彼女の相手はわたし達の会社に派遣されて来ていた男性に
なった。
彼も結婚直前というより、入籍しただけで単身赴任状態だった。

彼女は、相手のいる誰かが、自分とその相手を比べて自分を選ぶと
いうことに、どうやら魅了されてしまったらしい。
誰にでも愛想のいい彼女、派遣されることの多い彼女の普通な反応
ではあったのだが、その態度が相手の誤解を招く。
誤解された挙げ句に相手に告白されて、今の相手よりも魅力的だと
告げられる。
この言葉に全く反応しない女性はいないと思う。
例え、相手に好意以上のものを持っていないとしてもだ。
彼女は、そうしている内に自分の方がより好きになってしまうのだ。

わたしは、ことあるごとに彼女の悩み相談相手になっていた。
最初は、そういう相手しか好きになれない彼女に同情もした。
ちゃんと話も聞いていた。
だが、いつまで経っても彼女たちの関係は改善されようとしない。
悲劇的な状況に落ち込んだまま、改善しようとしない。
わたしを相手に愚痴をこぼすだけだった。

わたしははっきり言って不倫は嫌いだ。
父親を別の女性に奪われた身の上だから、当然の反応ではないか。
自分自身、全くそういう気も無い。
それは、人前でこそこそしなくてはならない恋愛なんかしたくなか
ったから。
が、他人がそうしていることを別段非難するつもりも無い。
父を奪った女性に対しても、わたしの母よりは彼女の方が圧倒的に
父に似合っていると思っている。
一つの出会いが人生を変えることは沢山ある。
だから、好きになった相手がたまたま相手のいる人だったというこ
ともあるだろう。
だが、それを知ってなお付き合うのならば、それ相応の覚悟が必要
だろうと思うのだ。

恋愛には、傷つく覚悟が必要だ。
そういう覚悟もなしに、ただ嘆くだけの恋愛をしている人は哀しい。

  傷ついて痛みを知ってなお君が好きだと言える覚悟が欲しい
                           (市屋千鶴)

某所で書いたことを、日記でも書いてみました。
わたしの知っている恋するすべての女性達へのエールとして。



2002年09月21日(土) 夢の場所

夢の場所は、いったいどこなのだろう。

いつも見る場所がある。
わたしの暮らしてきた記憶には無い場所だ。

山村を走るバス。これは確かに記憶にある。
実際、生まれ故郷を走るバスは、細い坂道をうねうねと登っている。
だが、夢の中で走っている風景はどこかわからない。
それに、夢の中でバスに乗っている自分は、外など見ていない。
バスのターミナルのような場所。
夢の中では、いつもそこでバスを乗り換えるのだ。
ぎりぎりのタイミングでバスを乗り換えている。
こっちの路線に乗れば何分か早く到着するとか、よく考えているよ
うな気がする。
もう一つは、電車の乗換駅。
大きな駅で、乗り換えに立体交差のような階段と通路を使う。
乗り換えの間に、改札がある。
新宿駅のようでもあるが、もっと田舎の景色だし、電車も古い。

バスに乗るとき、なぜか見知らぬ制服を着ている。
そう、わたしは中学生か高校生になっているのだった。
隣には、少年がいた。
大抵は、中学生や高校生の頃に好きだった人のはず、だ。
というのも、顔は本人とちょっと違っていることが多いから。
自分の姿でさえ、目覚めた後で思い出すとき、自分とは違うことが
ある。

一番多いのは、初恋の相手だろうか。
わたしは小学校の頃から彼が大好きだった。
毎日、ケンカばかりしていたが、好きだった。
中学に入って告白はしたが、彼が別の女の子が好きなのはわかって
いた。
それでも、自分が好きだという気持ちだけは伝えておきたかった。
結局は友達のままなのだけれど。
よく電話で話しもしたし、転校して住所を最初に連絡したのも彼だ
った。

転校後の中学三年生、前の中学から林間学校の誘いが有った。
久しぶりに懐かしいみんなとバスでの旅だった。
帰り道、7月の30日、東北は梅雨末期の大雨にみまわれていた。
予定のルートでは帰れなくなり、山道を走る迂回路を通った。
そちらは渋滞になってしまっていた。
トイレを借りるために民家にお邪魔しなければならないような状態
で、乗物酔いをするものもいた。
わたしも乗物酔いをするのだが、大好きな彼が先に酔ってしまった。
みんなの心遣い(?)か、酔いやすいものは前にというので並んだ
のか定かではないが、わたしは彼と並んで座っていた。
介抱していて、ちょっとうれしかった。

夢に出てくる、山村を走るバスはこのときのバスなのかもしれない
と思う。
一度しか見ていない村の中を走るバス。
隣には初恋の人が座っていて、少しだけ幸せな気分になっていた。

戻ることのできない時と場所。
触れることも見ることもできない相手。
いつしかわたしの心の中には、その場所と相手が住み着いてしまっ
たのだろう。
一昨年の同窓会で懐かしい人たちに会えたのは、とても嬉しいこと
だったが、それでもああすればよかったとか、なぜこうしてしまっ
たんだろうとか、心残りのことが山ほど有った。
そうしてまた、わたしは過去に囚われていってしまうのだろうか。

ふと、夜中に目を覚まして夢のことを考えてしまうとき、わたしは
そこでひとりになっている。

  いつも見る夢の場所には見覚えがないから忘れられないでいる
                           (市屋千鶴)



2002年09月20日(金) 涙の意味2

ほんとに小さいころはとても泣き虫だった。
泣かなくなったのは、4年生のころからか。
言い返すということを覚えたときからだった。(^^;
それまでは、言われたら泣いてるだけだったんだよね。
以来、中学、高校と、人前では泣かない女の子で通したし、
20代の頃は泣いたら負けだと思っていたようなとこがある。
そのころは、女の涙は武器だと思っていたから。
泣くこと、涙を流すことが心を軽くしてくれるということに
気づいてもいなかった。
こう思うようになったのは、30代も後半になってから。

夫と暮らし始めて(結婚前の同棲時代)半年くらいまでは、
月に1回くらいヒステリーを起こしていた。
家のこととかちゃんとしてあげたいのに、仕事のせいにして
出来ない自分に腹を立てていた。
ちゃんと奥さんらしく、女の人らしくしなくちゃいけないと
思っていた。
そうじゃない自分が悲しくて悔しくて、こんな自分がこの人
と一緒にいていいのだろうかと思うと泣けていた。

夫は不器用な人だから、女の人はよくわからん、と言う。
だから、最初のうちは、なぜ泣いているのか全くわからなか
っただろうと思う。
しかし、なんとなくほの暗い感情がわたしの内にあることが
わかってきて、それで泣くのだと今は思っているらしい。
普段から良く笑っていて面白いこのわたしが胸の内に抱えて
いるものを、じっと見ようとはしないが存在を認めている。
だから、わたしが泣きたいときは泣かせてくれる。
夫と一緒に暮らしてから、泣くことを我慢しなくなった。
不思議と悔し泣きすることもなくなったのだけど。(^_^)
思いっきり泣くと、それは力に変るのだ。
泣くという行為は、ストレスに対抗する力になるのだ。
泣きたいときは泣きなさいと言ってくれる人は、大事なのだ。

  こっそりと隠れて流す涙では心は軽くならないと知る
                       (市屋千鶴)
  泣くまいと心に決めた20代 涙も力と知る30代
                       (市屋千鶴)



2002年09月19日(木) 涙の意味1

よくお邪魔するHPで、泣くということが話題になっている。
ふと考える自分の涙の意味。

わたしにとって、悔し涙と、怒りの涙は違う。
悔し涙は、自分自身の行為や心根を悔やんだり、自分に腹が
立ったりするときが多い。
もし、言い争って、その結果自分が我慢を強いられることに
なったとしても、相手に対する悔し涙というよりは、あの時
なぜこう言い返せなかったのかという自分自身への悔しさ。
言いたいことを言えずに折れてしまったことへの悔しさ。
そんなときの涙は、なかなか止まらないものなのだ。

しかし、怒りの涙。
こちらは、純粋に相手に対する怒り。
それはわたしにとっては、涙を流している場合ではないこと
が多く、涙があふれても、長くは流れていないように思う。
とはいっても、純粋に相手に対して怒りをぶつけること、い
やそれ以前に、怒りを持つことなど滅多に有るものではない。
ケンカしてさえ、相手に対する怒りより負けてしまった自分
に対する悔しさのほうが先行するのだから。

何か無性に怒りを感じたのは、地下鉄サリン事件のニュース
を聞いたときだった。
仕事中だったが、無差別大量殺人をねらった犯行に、頭の中
がカァーッとなってしばらく仕事が手に付かなかったのを覚
えている。
通勤電車だったということも、自分の身近なものに感じた要
因だったのだろう。
同僚と話していて、涙ぐんでしまった自分に驚いていた。

  怒りとか悔しさとかの涙には味がないんだ味わえないんだ
                         (市屋千鶴)

明日に続いちゃおうかな。f(^^;)エヘヘ



2002年09月18日(水) 契約更新からいろいろ

今日は、アパートの契約更新のために更新料を振込んだ。
契約書などなど、サインして印鑑を押した。
不動産屋さんは離れているので、郵送。
そういえば、不動産やさんの住所変更のお知らせが来ていた
けど、返信用封筒には前の住所が書いてあって、そのままで
送っちゃった。
普通、転送の手続きはしてるよね。(大丈夫、大丈夫。)

更新料は、家賃の1.5ヵ月分と保険代。
大抵どこもこれくらいかな。
うちは家賃が安いところだからそんなに大変じゃないけど、
家賃の高いところに住んでると、そういうのも大変だよなぁ。

夫は、新しさより、少しくらい古くても広い方が良いという
人なので、家賃も安い方になるみたいだ。
入居したときは、12室のうち、うちともう3軒くらいしか
入っていなくて、めちゃくちゃ静かな生活だった。
ちょうど管理会社の入れ替わりが有って、入居者が出ていく
ところだったらしい。

そんな静かな生活は半年くらいだったかなぁ。
じわじわと入居する人が増えて、今では全室入っている。
若い世帯が多いから、子供も小さい。
走り回るは、泣き叫ぶは、そりゃあもうお天気のいい昼間は
とてもうるさいのよ。
うちは子供がいないから、子供のいる家のことはわからない
はずだけど、姉の家に居候していた時期があるから、子供が
うるさいのは知ってる。
それでも、うるさいのよ。

子供って、身内の子供ならうるさいのも我慢できるんだ。
それに、どういう場所でうるさいかにもよると思う。
田舎の叔母さんちの孫たちもすっごくうるさかった。
それでも、広い農家だからか、気にならないんだよね。

きっと、自分達の生活に騒音として紛れ込むからうるさいと
思うんだろうな。
まあ、もともと過激な性格だからというのも・・・・(^^;

仮住まいだから、ずっと住む訳じゃないと我慢していられる。
ほんと、この性格は直らないのかなぁ。
そういえば、若い頃母に言われたっけ。
「おまえが男だったら、毎日喧嘩して帰ってくるんだろうね。」
返す言葉が無かったね。(T_T)
むかし勤めていた会社でも、いろいろ怒ることが有ったけど、
理由を説明するのが面倒で、お腹が空いてるからよって答え
てしまう自分が悲しかった。
きっと、あの人はお腹が空くと怒りっぽくなるって言われて
たんだろうなぁ。

 どうしてと問われてお腹が空いてると答えてしまう悲しいわたし
                         (市屋千鶴)



2002年09月17日(火) おやつは野菜な夏の日々

トマトといえば、それは食材というのが普通。
スライスして冷やしトマトとかだよね、おかずに。
きゅうりだってそうだよね。
とうもろこしは?おやつになるね。

子供の頃(両親が離婚するまで)は農家だった。
夏になると、おやつはトマトとかきゅうりとかトウモロコシ
とか、スイカだった。
喉が渇いたと言えばスイカを食べろと言われ、腹減ったよと
言えばトマトやトウモロコシを食べろと言われた。
トウモロコシは蒸したものがざるに入れられ置かれていた。
トマトやきゅうりは、畑からとってきて食べろと言われた。

トマトを3,4個買うと、それはわたしのおやつになってし
まう。(^^;
トマトは丸ごと食べる。だっておやつだからね。
きゅうりもそのまんま食べる。これもおやつだからね。
トウモロコシはきれいに一列ずつ食べる。無駄がない。(笑)

冷蔵庫で見かけたトマトが、自分の口に入ることは少ないと
夫に訴えられて、しまったと思う。
自分のおやつで殆ど食べてしまっていたのね。(ごめん。)

 丸噛りするのはリンゴだけなんてトマトを甘く見てはいけない
                         (市屋千鶴)



2002年09月16日(月) ふるやのもり

こんな雨の日には、「ふるやのもり」という昔話を思い出す。

おじいさんとおばあさんの暮らす家に貧乏神がやってくる。
貧乏神が梁の上で二人の様子をうかがっていると、ふたりは
「ふるやのもり」の話をし始めた。
それはどうやら、雨の日にやってくる恐ろしいものらしい。
貧乏神はだんだんと怖くなり、その家からすたこらさっさと
逃げ出してしまう。
貧乏神が逃げ出すと、二人の暮らしはちょっとずつ良くなっ
て行く。
二人の話していた「ふるやのもり」とは、「古い家の雨漏り」
のことだった。
貧乏な自分達の家では、貧乏神など怖くない。
怖いのは「古家の漏り」だけだと、二人は話していたのだ。

わたしはこの昔話が好きで、そんなに詳細に憶えている訳で
はないが、忘れられない。
雨が降ると「ふるやのもり」が怖い。(笑)

昔話はかなり嵌まっていた時期があって、松谷みよこの本で
「日本のむかしばなし」の文庫本を買ったり、昔話系の物語
を読んだりしていた。(うんと若い頃ね。)
一番好きなのは、「龍の子太郎」。(のちに映画も見た。)
両親が離婚した年の春、わたしは母の実家にいてラジオから
流れてきた「龍の子太郎」を聞いていた。
14歳のわたしは、なんだか太郎の優しさと強さに感動し、
涙を流していた。
いつの日か、龍と少年の物語を書いてみたいと漠然と思い始
め、高校生の頃には、受験勉強で忙しい同級生の中にあって、
物語を書き始めていた。
あれから二十数年、結末を書けないままに少年は龍と向かい
合っている。

そういえば、小学生になった姪っ子にずっと持ったままだっ
た原稿を初めて読ませたとき、涙ぐんだ目で「おばちゃん、
結末はぁ?」と聞かれて困ったりしたなぁ。
連ドラなら、最終回のラスト15分を残したみたいになって
いるんだよね。(^^;)

 結末を書かないままで暖めた童話の主は少年のまま(市屋千鶴)



2002年09月15日(日) 外出する妻3

予定通り、今日は一人で叔母の家まで出かけた。
上京して二十数年、母の二人の妹を拠り所として、わたし達
は良く集まる。
わたしと姉と従姉妹二人の、女四人が上京し多摩方面で生活
していた。(わたし以外はいまでも多摩方面。)
叔母の子供(男一人女一人)を含めて、いとこ同士は兄弟姉
妹のように仲がよい。
それぞれが所帯をもって家族の人数も増え、今では集まると
20人近くになる。
その人数で旅行とかに出かけるのだから、それを取り仕切る
幹事といったらそれは大変なものだったが、数年前から旅行
を止めていた。

叔母の娘はアメリカでアメリカ人と結婚して、昨年の末には
女の子を出産した。
その二人が子供を連れてこの秋に何度目かの来日する。
だんなさまは、日光東照宮が見たいらしい。
それを聞いて、久しぶりに親戚一同の旅行を実施することに
なり、今日はそれの打合せのようなものだった。
昼から6時過ぎまで、延々と話す。

女同士はよくしゃべる。とにかくしゃべる。
わたしの姉も従姉妹の姉の方も大病をしていて、両方が揃う
のは、久しぶりだった。
妹同士は、そんな姉達を見ながら、ちょっとうれしかった。
姉は、くも膜下出血を2回起こしていて脳の手術も2回して
いるし、腎臓にも障害が出て人工透析している。
従姉妹の姉の方は、多発性筋炎という難病で長期入院を経験
している。
姉達だけがなぜこんなにも辛い思いをするのかと、妹同士は
ずっとせつない気持ちでいたのだ。
今度の旅行、無事にみんなで行けるといいなぁ。

 仲の良い姉達を見る二人には同じ思いの数年がある(市屋千鶴)



2002年09月14日(土) 外出する妻2

この3連休、夫は3日とも仕事になった。
15日は元々出かける用事があって、二人で出かけるはず
だったのだが、わたし一人で行くことになる。

ちょっとつまんないなぁと思っているところに、友人から
電話が来た。
仕事で新潟に行ったからお酒を買ってきたよ、とのこと。
わーい、てな具合で午後から新宿まで出かけた。
新宿では「樽平」というお店に行った。
先月末に、高校同期の打合せで使ったお店だ。
だって、芋煮鍋が食べれるんだもの。(バンザーイ!)
「樽平」って樽平酒造のお酒の名前。もちろん飲んだ。
夕方五時から6時過ぎまで、飲んで食べた。
一緒の彼女が、会社の同僚の結婚式の為に歌の練習がした
いと言うので、カラオケに行った。

いやあ、唄ってしまった、「勇者ライディーン」。(笑)
昨日の影響大だなぁ。
いつまでも耳に残ってしまう、神谷明の声と子門真人の声。
声の魅力はとても不思議。
声は好きなんだけどねぇ、なんていう男だっている。
わたしは男声合唱を聞いていると鳥肌が立つ。
嫌なのではなくて、ぞくぞくするくらい好きなのだ。
男の声、とくにバリトンの人が出す高音に惹かれる。
テノールも大好きだけどね。
3大テノールは3人ともいいと思うけど、パバロッティの
イタリアの太陽のような明るい声が好きだし、カレーラス
の色気のある切ない声も好き。ドミンゴには深みがある。

男の声はいい。すごくいい。
低音だから、体に振動として響いてくるような気がする。
体で感じることが出来る声って、いいと思う。
残念ながら夫の声は、決して低くて張りのある声ではない。
電話に出るときなど、わたしより優しい声だったりする。
わたしの声は太い、低い。男みたいな声。
だけど、男みたいだからと言って自分の声が好きではない。

可愛い声だったらよかったなぁと、時々だけど思う。
きゃあ、とか言ってみたいよね。(笑)
でも、わあぁっ、って言っちゃうんだよね。(^^;)

 色気とか可愛い気のある声ならば違っていたかもしれない夫
                       (市屋千鶴)



2002年09月13日(金) 外出する妻

ケーブルTVで「ライディーン」を見ながら書いている。
神谷明の「ゴッドバードッ!」っていう声を聞きながらね。
彼の場合、いつも最後に小さい「ツ」が付くよね。
そこがたまらんのだけど。
高校生だったんだよね、最初に見てたのは。(゚゚)
「フェードッ、インッ!」とか真似してた。(^^;

さて。
今日は、同窓会の打合せだった。
同窓会と言っても、卒業年度の同じ同期が集まるものとは
違って、同じ学校の卒業生全体の同窓会で、首都圏で開催
される「東京同窓会」というもの。

毎年、15年離れた2つの卒業年度が幹事をつとめる。
今年はわたし達の学年と15年上の先輩。
主導権は先輩方に有るが、懇親会の中のイベントコーナー
はわたし達の担当だ。
いつのまにか、イベントコーナーの司会なんかすることに
なっている。いやまったく不思議。
そんなこんなで、2ヵ月に一度は先輩方と合同の打合せが
あり、その合間に同期の打合せを行ってきた。
まあ、毎月幹事会という名目で都内で飲み会をやっている
というわけ。(^^)

パート先まで徒歩2分という距離のわたしは、普段は電車
に乗らない。
バスにだってあまり乗らない。
(引っ越してくる前は電車にはよく乗ったけどね。)
だから、こうしてときどき公共の乗り物に乗ると、自分の
激しい気性というものに自分自身あきれることがある。
とってもイライラするんだよね。
公共の乗り物の乗り方が気に入らないんだね、他人の。(^^;
右側を走ってる自転車にだって苛立つわたし。
どうしてこうも気性の激しいわたしが、あんな優しい夫に
恵まれたのか不思議でしょうがない。
なぜか、夫といると穏やかでいられる気もする。
夫は11歳年下で、めったに怒ったりしない人。
他人の行動にとやかく言う人ではないから、わたしが他人
の事でイライラしているのが不思議でしょうがないらしい。
だから、二人のときはのんびりと乗り物に乗るようにして
いる。(イライラしないで済むようにね。)

一人で出かけるとき、イライラの虫が出てきそうになるが、
そんな自分を敢えて冷静に見るようにして押え込む。
行きよりも帰りの方が、穏やかでいられる。
例えば同期の集まり。例えば先輩方との打合せ。
例えば所属する短歌の勉強会。
そんな場所で過ごした後は、少しだけイライラが押さえら
れているように思う。

まあ、人間、気の持ちよう、ってことだなぁ。
とりあえず、夫に感謝だ。(平伏)

 気にしても仕方ないのか自転車の乗り方さえも教えぬ親を
                      (市屋千鶴)



2002年09月12日(木) 爪を噛む

爪を噛む癖があった。
というよりも、爪切りを使わずに自分の爪で爪を切っていた。
爪の根元もよく剥いた。
よく、血を出していた。

子供が爪を噛むのは欲求不満だからだというが、自分はどうだ
ったのだろうか。
会社の事務員さん(年上の女性)も大人になってからも若い頃
は爪を噛む癖があったと言っていた。
わたしは中学生、高校生くらいまでだったろうか。
なにかイライラするものを抱えていたのだろうと話した。

そんな話から、自傷行為の話に発展した。
自傷行為そのものを普通の人はよく知らないらしい。
自分で自分を傷つける行為。
わたしには経験がないから、どういう気持ちだとはっきり言う
ことはできなかった。
たぶん、「なぜそうするのか」という問いの答えが出せるとき
には、もう自傷することはないのではないだろうか。
なぜなのかわからないから、またやってしまうのではないのか。

わたしの場合、直接的に自分を傷つけたりはしなかったのだが、
自分の体を大事にしなかった。
いつもいつも、選ばれなかった自分が好きではなかった。
自分の体に女としての価値を見出せないでいたから、女として
自分を欲してくれる人には、とてつもなく弱かった。
こんなわたしでもいいなら、どうぞあげますよ、ってな具合。
今だから、なぜそうしていたのかがわかる。
人間として絶対に自分を必要としてくれる確かな存在を見つけ
ることができたから。
女としての価値ではなく、一つの個性としての価値を確信させ
てくれる人達にたくさん出会えたから。
(何年もかかったのだけれども。)

  思いやりだけでは傷は癒えぬから能動的に愛をください
                      (市屋千鶴)



2002年09月11日(水) 失う悲しみ

きっと、いろんなところで1年前のテロの話題が持ち出されて
いることだろう。
確かにあんな形で命を奪われてしまうのは、本人にも遺族にも
堪えがたいことだと思う。

しかし、阪神淡路大震災で亡くなった人々と、交通事故で亡く
なった人々と、病気で亡くなった人々と、さまざまな犯罪で亡
くなった人々とどこが違うのか。
肉親を亡くした悲しみは、それがどんな形であろうと同じなの
ではないのか。
悲しみは同じでも、それに憎しみがついてくるかどうかなのか。

異なるのは、憎むべき相手が国際的に統一されていること。
国家への攻撃として認識されていること。
報復という名の「戦争」が行われたこと。

13年前の9月、わたしは母を亡くした。
脳出血で倒れて手術し、1週間後に亡くなった。
わたしと姉と義兄の見守る中で冷たくなっていった。
母の遺体は義兄が付き添って自宅に運ばれた。
わたしと姉は、半分泣きながら母の話をしながら駅まで歩いた。
ゆっくりゆっくり歩いて、泣きはらした目で電車に乗った。
母という支えを失ったわたしのその後の3年は酷いものだった。

テロは許し難い行為。
が、しかし、報復という名の戦争もまた許し難い行為なのでは
ないだろうか。
たとえどんな大義名分があっても、巻き込まれて罪もない人々
の命が消されていくのは、許されるべきではないと思うのだ。

ただひたすらに、亡くなった人々を追悼するのみだ。



2002年09月10日(火) 日記開始

今日から日記を始めることにした。
タイトルは、散々迷った挙げ句、『鶴は千年、生活下手』に。
わたしの名前は、千年生きる鶴のように長生きしますようにと
父の姉が付けてくれたものらしい。
生まれてまだ42年。(千年には程遠いよぉ。)
生活下手なわたしの毎日を、昔話を交えながら書いていきたい
と思う。


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