事務局 日誌
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2002年09月30日(月) 息抜き

朝、ホームページ表紙がうまくいかなくて四苦八苦。島田さんに修正依頼。
午前映画「龍馬の妻とその夫と愛人」で息抜き
マイサポートコピー機トナー納入。一太郎返却される。
南地区センターへ連絡(小山保健師)
北ロータリー事務局より10月7日の件について連絡
守岡さんより電話入っているが連絡できない。血管入らず不安そう。
本部より会費内容について問い合わせ。
五泉山崎さんに近況を聞く。アイサインでお仕事とのこと。
山田ケアマネへ問い合わせ。
佐藤恵美子さん広川さんなきあとの事務局を心配して下さる。
全体に一仕事後の休息ムードの日。
内閣改造。坂口大臣続投でホッ。


2002年09月29日(日) 呼吸リハビリ講習会

秋色の濃い長岡日赤病院で呼吸リハビリ講習会がありました。
60名近い参加者が9:30から12時過ぎまで熱心に受講。
PTにはあまり目新しいことではなかったようですが訪問看護の方達には実習付きが新鮮だったと好評でした。
午後、患者家族向けの講義と実習は十数名の患者さんが実際に家族からやってもらえるようになるように手取り足取りの指導でした。笠原先生はじめ小林量作・山田・大竹・諏訪PTの多大なご協力に感謝です。
長岡日赤の広いリハビリ室と12階の見晴らしのいい食堂を開放してくださった永井先生と日赤のスタッフにも感謝です。
OT室に場所を変えての交流会も出席者全員が切実な体験を淡々と語り、実り多いものだったと思います。
長岡保健所を始めひまわりの種の会の3名、長岡日赤看護学校の学生さん7名とボランティアも沢山で、色々な立場の方の結集があって新潟はいいですね、患者さんも東京より沢山出てくる、と笠原先生の喜ばしい評価でした。
新潟市でもやりたいものと思いました。


2002年09月28日(土) 戴帽式

午前:29日の受付表作成
昼:猪俣支部長、青陵大学看護福祉心理学部看護学科戴帽式出席のため種の会の小 林さんと共にJALSA号でサポート。
ベッド移乗からすべて奥様大奮闘。
地域看護学の村松幸子教授にこれからの学生ボランティアを依頼。学生飯村公順君
にも話す。
パーキンソンの斎藤博会長に全国大会のノウハウなどを聞く。
吉田議員、坂口厚労大臣に個人的に吸引問題アピール文など手渡しして話してくだ
さったとのこと。安田町町長もご臨席だった。
帰宅ベッド移乗終了4時。
帰路原宏道君宅で9年目のお参り。重度リウマチのお母様にパソコンの便利さなど
話す。
筋ジス行商の渡辺浩一を訪問、一緒に働きかけてもらったホテル日航の顛末を報
告。
夫不在のため事務局泊。


2002年09月27日(金) 転院

9時守岡君が大学病院へ転院するので有馬さんとお手伝いに行った。
9:50出発、お母さんと主治医の土屋院長・中村副婦長が救急車同乗。
大学外科は新館804。来週3日に手術予定とか。
事務所では29日の資料作りにひまわりの種の会の方が5人も緊急動員で来てくださった。パソコンメンバーとの共同作業で2時間足らずで終了。お料理ボランティアの美恵子さんの昼食に驚喜?して(代金100円払って)お帰りになる。ありがとう!
諸橋君、東京での若林のドジぶりを伝えにやってくる。この若造がぁ!メ。
10月7日北ロータリークラブでの卓話を松原先生が引き受けてくださる。助かった。中野会長に連絡。
29日の専門職講習会参加者全員に参加確認と資料代の連絡をする。
美恵子さんと新潟の案内名所はどこだろうなどとりとめもない話。
夫不在で久しぶりに実家で夕食。7歳から92歳まで7人。暖かくって気持ちいい。


2002年09月26日(木) 県庁へ

恥ずかしながら今頃県へ補助金申請書提出。以前出したものは実績報告書で、違っていたそうな。飯沼参事へ提出ついでに来年全国大会をするので補助金を出していただけないかと打診。可能性あるとのこと。ウン。
ついでに恒例福祉保健部(ヘルパーの係)の布施さん坂田在宅福祉係長にも挨拶。ヘルパー吸引運動の現状を訴え理解を乞う。道中西村智奈美県議にあったので彼女にもヘルパー吸引問題をアッピール。
事務所で和子さんに明日の資料作成の要領を伝え、恵美子さんに日曜の準備を頼む。(遅れてごめんなさい)
西新潟病院へ守岡さんのナースコールの確認に行き数人と立ち話。
帰ったら美恵子さんが甚衛アイマスクの切り抜き作業を黙々としていた。なんて有り難いボランティア!


2002年09月25日(水) リソグラフ

29日役割について長岡保健所・清水幹事と通信。昨日の佐々木案で行く。
10時ホテル日航熊倉さん来局。福祉器具の説明、カタログ贈呈。部屋・余興・遊覧船の話などひとまず佐々木さんを交え来月初め話し合うことに。
北ロータリー中野様より10月7日チャリティゴルフ寄付贈呈との連絡。
大西先生に講演依頼を打診するが平日なのでご無理とのこと。
2時半福祉会館で29日用資料リソグラフ印刷。早い!安い!
4時近く種の会の堀川さんが手伝いに来て下さり交代。
一時帰宅。
夜、守岡さんよりスイッチについて相談電話。病院を訪問。
福祉会館へコピー済み資料を取りに行く。


2002年09月24日(火) 休み明け

連休明けは小さな事務所でも電話の鳴りっぱなし。予定の仕事が手に着かない。
朝、29日リハビリ講習会の資料を郵便局に取りに行く。32枚の大部。
10時和子さんがお掃除に来て下さる。ベランダ整理に昔取った杵柄の腕前を発揮。
種の会堀川さんから守岡君のアフガン募金お礼文について電話あり。
勇二君27日に大学病院外科へ入院とのこと。お母さんから応援依頼電話。
会計の佐藤さん現れ、東京交流会の精算など。県への書類下書き。
29日講習会キャンセル電話何本か入る。
昼、ミクロウィング石川さん現れ伝の心を借りる。支部に寄付も下さる。ホテル設備備品のことなど相談。
清水さん・佐々木さん・保健所と29日についてやりとり。
2〜5時太平町の患者さん宅へボランティア。
ユニクロで秋の衣類を買い6時帰宅


2002年09月22日(日) 第7回全国講習会交流会

21/22日と新宿「東京青年館」で開かれた会に来年の研修もかねて出席。諸橋・織田・佐藤恵美子+若林の4名。
21日千葉東病院の今井先生による「告知後の心のケア」講演と当事者によるシンポには150人ほどの参加だった。22日「ALSの口腔ケア」は50人足らずと少数だったが千葉東病院の大塚歯科医長による口唇の運動実習も混ぜた講演は丁寧で新鮮だった。
21日夜の交流会は昨年の半分規模で諸橋君は期待外れ。が、本部事務局の村木さん大槻さんなど若いスタッフと嬉しそうに歓談。車椅子の補助を借りながら上京した甲斐があったようだった。


2002年09月20日(金) 早川さん・守岡君

20日土曜日「ぶっちゃけた話を議員としよう」に不参加ながら届けて欲しいメッセージを主催者(スペースBE)送付。
パソコン教室:猪爪・佐々木夫人・霜鳥・相馬・諸橋・木村NS・のり先生・若林+自家製野菜の天ぷらそば昼食(佐藤恵美子亭)は百円なり。
午前中、川崎さんと早川伸子さんに誕生日カードを届けに行った。誰彼の誕生日にカードの寄せ書きを集めてくれる川崎さんの心遣いが嬉しい。苦しそうな息の中でめがねをかけてカードを丁寧に読み、みなさんどうもありがとう、とサインペンを持ってゆっくりとお礼を書き、最後までしっかりと日付を入れられた。1933年生まれ。
諸橋君午後現れ明日の一泊旅行について主治医に連絡承認電話。
3時半西新潟病院へ。Sさんにパソコンを打つ印刷するのお手伝いはするけれどお手紙を出すことは家族にお願いして欲しい旨伝える。子供の頃のことなど書きたいことはたくさんあると笑顔。早く自分のものが持てると良い。
守岡君夜間寝返りが頻繁なので個室に移る。お手伝いに有馬さんが早々と来ていた。お母さんの頼もしい相談役。Tさんのパソコンも水曜に日立の小澤さんが直接直して下さって使えるようになっていた。リハビリの研修生がパソコンを使えるので手助けしてもらえるようで助かるとのこと。


2002年09月19日(木) 新潟国際コンベンションホテル株式会社へ要望書提出

長い名前の会社、これがのっぽビルのオーナー会社。新潟経済同友会とか言う日本精機・栗山米菓・丸新石油等数社合同出資で作ったもの。改造をお願いするならここへ頼めというアドバイスに従い要望書を出した。佐々木副支部長夫妻と3名で、午後ホテル日航開業準備室へ出向いた。
相手は同社の小川さん・ホテル日航の乾さん・江口さん。あたりは柔らかだったが内容はきつかった。
もうできてしまったので改造は無理。できる限りのソフトで対応させていただく。まずドアを外すと63センチなので幾部屋かは外せるように、それができるか調査中。幅の狭いシャワーチェアを用意し、そこに乗り移って入ってもらう。必要ならポータブルトイレも用意する。従業員もよく対応できるよう教育する。駐車場の段差はない。エレベーター・電力については問題ない容量。会場以前に一度点検願いたい。ということだった。法の基準が現状ではこんなものか。
事務所にFAXがあり他疾患だが意思伝達の方法がないので「伝の心」を試したいとの相談。業者と連携すれば協力可能。
29日の講習会に向けて保健所と連絡。
この半年献身的に事務局を助けてくれた昔からの友人広川恵子さんが体調不良でお別れの挨拶にいらした。少し大げさかも知れないが実感として、孤独な日々のかけがえのない相棒だった。心から感謝して無事長寿を祈ります。ありがとう。








2002年09月18日(水) 多様なボランティア団体

猪爪初江さん、ビッグエッグへ外出のお手伝い。21世紀のシルバープランを考える会の沢山のお年寄りと一緒。車椅子の方も多数。昼、ひまわりの種の会の堀川光子さんもお手伝いに参加。天寿園散歩など一緒に楽しんだ。
一足先に失礼し、信楽園の患者さんお二人を訪問。転倒して急遽入院の方と長期呼吸器で殆ど反応も定かでない方と対照的。だが後者の方には「新潟ホスピスボランティアの会」の方が毎週欠かさず何年も訪問し記録ノートをつけていってくださっている。多様なボランティア団体が支援してくださっていることに感謝。
孫ちゃんの急な発熱アクシデントがあり、予定時間より大幅に遅れて堀川先生と面会。来年全国大会講演会のご相談。先生に座薬まで入れていただいた。済みません。


2002年09月17日(火) ご遺族の訪問

滋賀県のご遺族が来局。数年前にお父様が7年の闘病の後他界され、以来ALS・呼吸器が頭から離れず旅先でもそうした話ができるところを訪問するとのこと。家族を大事にしてくれたお父様だったので、ういう形でも生きて欲しかったから呼吸器を装着したが、母の苦労を思うとどうだったのか今でも分からない。こればかりは味わった人でないと分からない苦労が多すぎる。呼吸器どう思います?と、今でも涙ぐんでお話しされた。私は「多くは介護力の問題、そして外せる権利のあるなしの問題だと思うけど、生きて人間の可能性に挑戦している方も素晴らしいし、また、呼吸器を着けないという選択も立派な一つの選択だと思う」と申し上げた。悩みのつきない問題。
午後は事務の日。お金の精算。21日・29日の行動予定を佐藤さんと確認。
夕方、猪爪さんJALSA号を取りに来る。明日は奥様の外出。お天気になりますように。


2002年09月15日(日) 意思伝達装置

午前中西新潟病院のSさんと「伝の心」を打つ。
ご本人の申請が進まないので毎週支部のPCを持っていく。日常生活用具ではあるが「意思伝達装置」は入院中でも身障手帳で買える。家族が手続きに積極的にならないには原因があるはず。なんだろう?
守岡君4,5日お通じもなく腸が痛み夜も眠れないとのこと。辛そう。
昼、三条まごころヘルプが清水さんを迎えに来る。赤字にならない程度でまぁまぁやっているとのこと。ありがたいシステム。


2002年09月14日(土) 幹事会

昼過ぎ、佐渡から家族相談の方一名来局。しばらくお話とビデオ。
2時前にほぼ揃い始める。
出席は佐々木夫妻・小杉夫妻・清水・猪爪・織田・島田・村越・磯野・若林+来談者の12名。来年の全国大会に向かい加茂のご遺族織田さんに新たに参加していただくことになった。
まず、告知をすべきかどうかという来談者の悩みにたいしそれぞれの立場で話す。
以下議題順
1)「内輪の会」「希望の会」報告。小人数で内容ある話し合いができた。保健婦さんが一日かけて沢山参加してくれて良い研修になるのではないか。
2)29日「秋の集い」「呼吸リハビリ講習会」のスケジュール案内
3)ヘルパー署名運動。支部だけで焼く5000名集まった。全国15万。
  陳情には佐々木副支部長が参加するとのこと。
4)21/22日東京での全国講習会交流会。織田さん一日参加。
5)15年度全国大会。経緯報告。毎月集まろう、10月は12日にとなりました。遠来者の交通費は支部負担。10月は12日事務局で集まろう、となりました。来月までにタイムスケジュールと予算案を提示すること。
6)28日青陵大学戴帽式猪俣支部長列席。29日北ロータリーALSチャリティゴルフ大会あり。
以上。久しぶりに村越幹事の出席を頂きありがたかった。申請手続きの点等諸々をすんなり解説。
6時過ぎ解散後ヘルパー署名用紙を数え第二次発送。2216?支部合計はほぼ5千。
清水さんの食事終了後8時過ぎ帰宅。



2002年09月13日(金) PCランチクラブ?

金曜PC教室。佐々木夫人・猪爪・霜鳥・清水・諸橋・のり先生・小林(洋)・佐藤美恵子・広川恵子・若林+ご飯とお水を差し入れの佐藤恵美子さんと大賑わい。清水さんの冷たい足を霜鳥さんが一生懸命マッサージ。帰ってからも「電子レンジで暖めたタオルでくるむといいよ」と電話してきてくれる熱心さはお義母様を介護していたときそのまま。
諸橋君と21日の東京全国交流会について打ち合わせ。
猪俣支部長28日青陵大学戴帽式へ出席の返事を出す。ご辞退の大越さんに代わって小林さんが付き添いを引き受けて下さった。
呼吸リハビリ申込約50名!
5時近く西新潟病院へ「伝の心」を持って伺う。先週からお待ちかねのSさん。懸命に打ち込む。
申し訳ないけど急な客人なので日曜日にまた来るからと約束して6時に引き上げ。早く自分のパソコンがもてるといいのにね。家族は病院に迷惑がかかるからと手続きに消極的。ケースワーカーに相談したら家族と話し合ってみたらとのこと。ストレスを少なくするためにも有効な療養法なのだから病院からも薦めてほしいもの。



2002年09月12日(木) 第6回希望の会

新津植物園で希望の会でした。
出席は、佐々木夫妻・清水・小杉・諸橋そして猪爪弘・織田孝・川端(ボランティア)の各氏。保健所は新津から伊藤・渡辺・若杉・新発田の本間・巻の野崎・新潟の高野・坂井・世話役当番三条から富山そして訪問看護師の遠藤・馬場
と総勢19名。あいにくのあめでしたが「堅苦しくなく和やかな」雰囲気で食べ語らいよいひと時を過ごしました。
帰路清水さんが事務局泊まりで日曜まで滞在です。
夕方船江病院の岡田栄吉さんを訪問。8月10日より意識不明となられ、奥さんも不眠気味とか。松岡さんが訪問してくださったころから17年。昭和60年4月入院61年1月に呼吸器をつけ、何もかも見て来た方.またパソコンができると楽しみにしておられ「仕事も区切りがつき、ようやく私もゆっくり看てあげられるようになったのに、思うように行かないものですね」と奥様。
7時半清水さんに遅い夕食を用意して帰宅。




2002年09月11日(水) 種の会例会・河田さん

ひまわりの種の会例会に参加。秋の行事の説明。秋の集いに2〜3名参加とのこと。
まごころヘルプに寄り、署名を頂くとともに、河田さんとお話。ヘルパー吸引は「一定の講習を受けたヘルパーによる吸引」などと書かないと誤解されていることを知った。また、責任問題に関して注意するようアドバイスを受けた。
ホテル日航の熊倉さんにコンベンションホテル株式会社の小川さんへのアポを依頼した。明日になるとのことだが、雲行き怪しそう。
清水さんよりTEL、佐野さんを誘いたい様子。直接電話してもらう。
実家・孫ちゃんの日なので事務所に寄らず以上のみ。


2002年09月10日(火) 長岡日赤

事務局超日記を引越し。ここだと長期保存が可能。記録簿になる。
午後長岡日赤へ「秋の集い」の打ち合わせにいく。
永井先生・諏訪PTに大変お世話になります。
液晶プロジェクター・ビデオ撮影・学生ボランティア皆お願いしてしまった。
講習会は只今36名。当日は50名近くなるのではないか。
患者家族は今のところ7名。
たまたま入院中の小泉忠男さんとゆっくりお話できて楽しかった。


2002年09月09日(月) 重陽の節句

ALSのメーリングリスト[interlov]主催者より[ヘルパー吸引」要望運動への問題点を送付され、それへの返信。吸引問題委員会長・事務長へ転送。論拠がヘルパー=無知、看護力の充実を求めよで、どうすれば患者家族の窮状が救えるかという積極的な提言がない。
運動は看護協会も反対しているようなので積極的なアピールをしないと難航が予想される。
堀川先生に新潟全国大会の相談依頼のメール発送。
昼佐藤恵美子さんが千人分近い署名を持ってきてくださる。感謝!が、今週お仕事は急遽お休みとのこと。車税の振り込みだけ頼んだがちょっと困る。
吸引・・委員会へ電話したところ今週末集計とのこと。金曜日まで締め切りを延ばす。
広川さん、守岡君の寄付名簿コピー。署名協力者へのお礼状準備。が、集計か陳情予定が出てからにする。私は礼状メールのためOEのアドレスを整理。これが時間を食った。
笠原先生から講師依頼の公文書催促のメール。
美恵子さんがゴーヤをもってきてくれた。
7:40出局。


2002年09月08日(日) 市民病院改築を巡って

大西先生から言われ[新市民病院に望む]議員との懇談会に参加。今井議員しか知らなかった。政策医療から難病を外さないで欲しいこと、現在の跡地に療養型の病院など作れないか、人員増員、危機管理の充実など要望。
終了後肝移植体験を通して命の大切さを中学生に説いて回っている児玉氏と猪俣支部長を訪問。支部長の積極的な生きる姿勢に感動し取材して行かれた。昨年岡田栄吉さんを訪ね彼の話を子供達に伝えていらっしゃったとのこと。


2002年09月07日(土) ホテル日航へ要望書を渡す

ホテル日航熊倉さん要望書を取りに来る。上司(イヌイ氏)の方から地元の要望を聞くように言われている。自分も変だと思う。早速上に伝えると意欲的。民間共同出資の会社の運営を任されているのがホテル日航だという話。あきらめないで頑張ろう。
滋賀の遺族から電話。新潟へ旅するので寄りたいとのこと。
母髪染めに同伴。
西新潟病院、昨日できなかった伝の心を使ってもらう。
伝の心で画像添付ができないと相談を受けるが解決できず。悠久堂を頼んでみると約束。


2002年09月06日(金) 全国大会の認可通知

平岡療養部長から15年度全国講習会交流会を新潟でやることが療養部会で認可された旨通知がありました。依頼しておいて認められたも変なものですが深くは問いません。来年9月13(土)14(日)新装コンベンションホールでの開催になる見込みです。この建物はバリアフリーで問題なさそうなのですが、隣接のホテル日航に問題あり。バリアフリー使用は一室だけ、55のツイン室ではトイレ室へのドアが60センチで車椅子が通れないのです。地下駐車場から館内へ入る所も段差があり、問題です。そこでホテルとビルのオーナー会社とに要望書を出すことにしました。本日はパソコン教室の喧騒を背後に?その文案作りでした。
青木学新潟市議夫人が「自薦ヘルパー」の申請用紙を持ってきてくださり、おいしいコーヒーの匂いに釣られて教室へ・・。入ったが最後はまってしまって賑わしく盛り上がっていました。「イメージと違ってとても楽しいところでした」とのこと。今日の教室は佐々木夫人・いのさん・わこさん・のり先生・美恵子さん。昼時に来るといっていた諸橋君は「行けなかった」と5時頃電話が来ました。
佐渡の患者家族から来所したいと電話あり。
西新潟病院へ寄って帰宅。


2002年09月05日(木) チャリティゴルフ

吸引問題解決促進委員会の海野事務局長より依頼されている「冊子」の修正をようやく送信。
本部平岡療養支援部長よりメール「9月1日の療養支援部会で15年度全国講習会・交流会の開催を新潟ですることに正式決定した」とのこと。ふーん。
夜吉田六左右衛門後援会「豊政会」チャリティゴルフコンペでご寄付を頂く。小杉夫妻・猪爪さんと4名で出席。メインテープルを占拠しバツが悪かった。小杉さんが良いスピーチをなさった。


2002年09月04日(水) 支援費制度

実家泊まり。午前はボランティア仲間の初孫(双子)ちゃんを拝見に伺う。なんてかわいい!
事務局。青木市議から電話。自薦ヘルパーについては申請書を送って下さるとのこと。全身性介護人派遣制度については他都市では単身でなくとも適用されている旨伝える。もう一踏ん張りして下さるとのこと。ありがたい。
長谷川美香福祉建築家よりメール。ホテル日航の件、努力して下さっている。期待しないで、と言いながら。
3時から来年度支援費制度についての説明会で市役所講堂へ。
介護保険はそのまま利用して、とのこと。福祉制度を自分で選んで申請するところが今までと違うので、各自が自覚を高めなければなるまい。
夕方から孫ちゃんの日。


2002年09月03日(火) interlob(メーリングリスト)

メーリングリスト「Interlab」へ長文投稿。ヘルパー吸引について、世間の理解を得るのに時間が掛かりそう。
署名2777名となる。本部へ発送。
太平町へ吸引ボランティア。高橋さんも来られておまいり。帰途猪俣支部長を訪問。渡辺セツ子さん、大越さんが来られたとのこと。「暑い中ご苦労様」と変わらぬ温情でねぎらってくださる。
署名も百名以上集めて本部へ送って下さったとのこと。


2002年09月02日(月) 2621名!

署名用紙が続々送られてくる。恵子さんと数えたら2621名!
まだこれからも増える。本部へ直接送られたものを合わせると新潟県で5000名はクリアしたのではないだろうか。署名してくださった一人一人の方々、頼んでくださった方、集めてくださった方、協力してくださったお一人お一人に感謝したい。
リハビリ講習会に申し込みが十数名。先が読めない。
甚衛アイマスク注文発送。
岡田さん8月10日頃より意識不明とのこと。夜間呼吸器接続部が外れていたとか・・。伝の心で通信復活を待ち望んでいらしたのに。痛恨。
原さんからご寄付。ありがたい。有馬さんからも。孫ちゃん記念かな。事務経理の佐藤さんにお任せ。
昼母へ鯛を持っていったが、夜「調理してもらってね」とTELするともう忘れている。


2002年09月01日(日) 猛烈残暑

署名用紙と同時提出できるように在宅呼吸器療養患者の習慣メニュー表のひな形を作ってみる。橋本吸飲問題委員会長にメールしてみるが反応なし。
昼は実家で老嬢達とお茶。
夕刻より夫友人立派な鯛を持ってきて調理して下さる。


事務局超日記