くじら浜
 夢使い







銀杏の樹   2006年11月28日(火)

15メートルはあるだろう銀杏の樹が立ち並ぶ。
いつもそこにあるのに、その存在感をあらためて思い知るのは決まってこの時期だけだ。

君はいつからそこにいるんだ
君はいつまでそこにいるんだ
君はどこに行こうとしてるんだ
君はなにを見ているんだ
君が想うと葉っぱが染まる
君が笑うと葉っぱが揺れる
君が泣くと葉っぱが落ちる
君が叫ぶと葉っぱが吹かれる

いつもそこにあるのに、
いつだってそのことに気が付かないんだ。








冷たい風の中で   2006年11月26日(日)

僕は道を歩いていて、教会の前で立ち止まり、中へ入って牧師さんにたずねた。「みにくい、汚い」というのはどいうことですか?牧師さんは答えた「それは自分で見つけ給え」僕は教会を出て煙草を取り出し火をつけて、冷たい風が吹き荒れる道を西の方へ向かって歩き出した。道ばたに寝ている浮浪者に出会った。僕は浮浪者に向かって質問した。人格とは一体なんですか?浮浪者は答えた「この道を真っすぐ歩いていったら分かるよ」僕は理由が分からぬまま道を歩いていった。ずっとずっと歩いていた。だいぶ遠くまで歩いた。何もないじゃないかと思った。ただそれだけだった。  終わり。

1985.10.25(木) AM 0:50 K・H


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
20年前の大学ノート(←なんて今言うのかな・・)を開いてみた。

その頃いちばん仲の良かったKと僕は、互いに「題目」を与え合い、その「題目」に沿った詩や文章や物語をひとつのノートに書き合うという文学少年モドキの遊びをしていた。
彼の書くものはどれも斜に構えたりアマノジャクなものが多く、まったくもってくだらいなものばかりだった。まあ、僕の書いたものも今読んでみるとK以上に幼稚でアホらしくて、とても人様にみせられるようなものではありません。

でもKのも僕のも20年後の今読みかえしてみると、所々にドキッとする言葉使いや表現を使っていることに気付いた。例えばKの書いた「トンネルの中と赤い靴の女の子」の冒頭の書出し↓
 僕はあわてていた。周りのみんなは靴ひもを完全にしめ終わっていた。僕はあわてるあまりに手がふるえて全然靴ひもが結べなかった。みんな次々と駆け出して行き僕ひとり廊下に残された。僕は恐かった。
という始まりのシーン。あるいは、冬という名の常識 とか、デリケートなかたつむり とかの表現。
Kは実は才能あふれるおもろい奴だったのかもしれないね(笑)









リンダリンダ   2006年11月21日(火)

昔は夏一筋の夏大好き人間だった。
でも歳を重ねる毎に冬が好きになってくる。
というか、ここ2・3年位でいつの間にか冬が好きになっていた。

夏の生命力に満ちた太陽や大地とその匂い、エネルギッシュな草樹の青さ、ギトギトとしつこく肌にまとわりつく空気やたっぷりとかく汗、走りぬける激しい雨と打ち寄せる波の音。そんな躍動する夏はもちろん今でも好きだが、冬に見上げる月や静かに焼けていく朝の低い空、雪の日に確かに聴こえるあの音、突き刺すような寒さや師走の枯葉を焼く匂い、そんな静かな冬はもっと好きだ。

夏にあれほどイノチが躍動するのは、きっと冬の下で静かに静かにゆっくりと、でも力強くイノチのエネルギーを蓄えているからなのだろう。

真夏に咲く向日葵が大きな花を付け、真っ直ぐに天を目指している姿は美しく、そして感動すらする。その向日葵の根っこから繋がる大地は、冬の間に雪融け水をたっぷり吸い込み、冬の静かな陽射しを浴び、落ちた枯葉やもぐった微生物たちが肥やしとなって、静かに静かにゆっくりと力強く向日葵のイノチを育てている。

目に見える美しさが夏ならば、
冬は気高く力強く優しい美しさだ。








冷たい雨   2006年11月19日(日)

白い街に冷たい雨が落ちてゆく
濡れた路面を激しく叩き
行き交うひとは
俯きつつも
冬の到来を
待ち望む







冬にみる夢   2006年11月14日(火)

はく息が白く手のひらを濡らす朝
あの日聞いた鳴声が
まだ明けきらぬ闇に消えてゆく
もしも時を越えられるのなら
強く大きく








わきゃしま   2006年11月08日(水)

ぅじん島やぬくさ
ぬがぬくさ
なちかしゃ唄ぬ
なちかしゃしゃみぬ
天てぃだうがみ
ゆらいゆくらいうどぅりょうや

ぅばん島やかなしゃ
ぬがかなしゃ
わらべやあしび
とぅじうとぅわやっくゎ
夜ね月うがみ
むんかんげ

あしゃぬてぃだや海ん
きぬん月や山ん

きょらん島やぅじぅばんや
うむいやてぃだ月
くぅまんあん島



じいちゃんの故郷はどうしてこんなにあたたかいんだろう
懐かしいシマ唄とそれに併せたサンシンの音色が
いつもなり響いているからあたたかいんだろう
太陽のもと大人達は浜に下り
酒を飲み交わしてその調べでいつまでも六調を踊っている

ばあちゃんの家はどうしてこんなに愛しいんだろう
子供達はばあちゃんのそばで遊びまわり
父さんと母さんは静かにそれを見守り
縁側から射す今夜の満月に照らされて
いつも子供達のことを想っている

あしたもまた太陽はあの海から昇って
そしてその下で唄い踊るだろう
昨日の月はまたあの山から顔を出し
そして子供達を照らすだろう

美しく懐かしくて愛しいぼくの故郷は
おじいちゃんとおばあちゃんがつくった故郷
月と太陽がつくった島









立冬   2006年11月07日(火)

雨が去ったあとに強い風が吹きぬけた
立ちこめた雲を一瞬で蹴散らし
僅かに焼けた空は徐々にオレンジを増していく
青とオレンジの境目には
四角い箱から延びた一本の突起物
誇らしげに赤く点滅させながら
オレンジは少しずつ下降し
青は次第に暮れてゆく
冬はいつだって突然やってくるんだ








そら   2006年11月06日(月)

いつも宙を飛んでいたあの時
いつしか飛ばなくなったのは
翼をなくしたのではなく
飛ぶ宙を見失ったから
夢の続きを見なくなるように
雨の雫を追いかけなくなるように
ぼくたちはいつか宙を飛ばなくなった








11月の声   2006年11月03日(金)

ススキの茂る畦道の先
脇を流れる小川に泳ぐ
天に飛ぶトンボは高く
揺れ動く染まった木葉
対岸を歩くきみは言う







初日 最新 目次 HOME