くじら浜
 夢使い







   2006年10月30日(月)

手が溶けるくらいに赤く焼けた太陽を掴みたい
傷痕が焼けただれるくらいに

細胞が細かく千切れるくらいに
沸騰した塊と同化するくらいに
掴んだ手が再生するくらいに








刻むこと   2006年10月29日(日)

いつも思うのはあの海の深さ
記憶の欠片が幾層にも重なり
それは夢をあわせるように
静かに沈みゆく








閉じ込められた空   2006年10月25日(水)

砂浜に寝そべって天を仰いだ君に
銀色に閉じ込められた空が落ちてきた
いくら探せど答など見つかるはずもなく
砂に窪んだ自分の背から
空の熱と距離だけが伝わった
君はまだ知らないんだね
その空間に答があることを









雨をよむ   2006年10月23日(月)

乾いた宙からおちた
その一粒のつながり
とけゆく昨日は
分裂された雲のよう
つながっておちて
どこまでもつづくのか








「いから始めよう」   2006年10月22日(日)

途中経過”い〜そ”まで。
完成したら正式にUPします。








眼にくる   2006年10月21日(土)

すずめの鳴声で目がさめた
そう
あのときはすべてが眼にきたんだ








時間の壁   2006年10月18日(水)

あれからもう5年が過ぎたんだね
時間の重さをあらためて感じるよ
君はどうなんだろう








再び夢をみる   2006年10月16日(月)

その繋がりを探し
立ちつくした空は朱に染まり
過ぎ去りし影が延びゆく
その繋がりを探し
青に焼けた空は溢れだし
歩みだす己の影を追う








お盆の頃   2006年10月15日(日)

少年時代、その日が近づくとドキドキしていた。


その日の為に新調した提灯
もう何年も使い続けた提灯
とりわけ大きい父とおばあちゃんの提灯
家族全員のそれぞれの提灯がある

夏の夕暮れは遅く
特にその日は日が暮れるのを心待ちにしていた

ようやく辺りが薄暗くなる頃
提灯に燈が灯される

ぼくは自分の提灯に短い竹の棒をくっつけ
それを持って先頭を歩いた
兄と父は一本の長い竹の棒を互いの肩に担ぎ
その棒に3つの大きな提灯をぶら下げて後に続いた
母と姉2人とおばあちゃんも
それぞれの提灯を持って
そして家族全員で墓へと向かった

ぼくの家は村の一番はずれにあり
墓は反対側のはずれにあるので
村のはずれからはずれまで提灯をぶら下げて歩くのだ
その道すがら大人達は他の提灯の家族達と軽い挨拶をしたり
ぼくたち少年は互いの提灯の自慢をしたりする


提灯の燈はぼんやりと持主の顔を照らし

その提灯の長い列が真っ直ぐに墓へと向かってゆく

それがどういう儀式なのか
お盆とはどういうことなのか
ご先祖様とは何なのか

そんなことなど何もわからない少年達は
ただその日だけは特別な日だった。



つなさんの一本花を見て故郷のお盆を思い出しました。







宇宙の法則   2006年10月14日(土)

いつの間にか秋になっていた
傍らの草が風にたなびき
その風は悠然と去ってゆく
費やした歴史がそこに刻まれるなら
僕はその風を止め
一本の木になろう









宇宙の法則   2006年10月13日(金)

「海は母だね」と 君は言った
「じゃ山は父?」
「うーん、山も母かな」
「なんで?」
「宇宙そのものが母だから」

 そうか 僕らはまだ母の中の胎児なのだ









東京湾に上がる太陽   2006年10月12日(木)

湾岸線を東に北上
工業地帯の彼方の東京湾に
真っ赤な太陽が昇る

午前5時45分








強いチカラ   2006年10月10日(火)

欲しいと思う時には手に入らず
気がつくといつの間にかそばにある
もっともっと大きな
強いチカラが欲しいのに。








青空を見上げる   2006年10月08日(日)

雨がいつまでも続くと
夢を思い出すようで
その雫の繋がりは
ゆっくりと離れていく
千切れた水滴が
夢の終わりを告げたら
青空が広がっていた。








自分探し   2006年10月03日(火)

人を好きになると切なくなる。時として痛みを伴ない胸を締めつけやがて傷を負う。互いに傷つき傷つけ合い苦悩する。でも人はそれを乗り越えて初めて他人に優しくなれるし自分にも優しくなれる。「優しさ」とは「強さ」だと思う。その強い力で愛は育まれていくんだと思う。

あいにく僕は、あの時それを乗り越えることが出来なかった。強い力で彼女を守ることが出来なかった。あの時を思い出すと今でも少し心が痛むし後悔している。つまりいまだに「あの時」を乗り越えてはいないのだ。

だから書くことにした。書くということは「認める」ことだと思う。悲しさ辛さ醜さ弱さ憎しみ恨み、それらの感情をすべて認めることだと思う。文章にすることによってあの時の感情を蘇生させ、そして噛み砕き呑み込んでしまう。書くということはそういうことで、「文章の力」とはそういうものだと思う。

そして、書き終えた時に見えたもの、それが何だったのか今はわからない。いつかそれを探しにまた旅に出るだろう。








公園とベンチ 8   2006年10月02日(月)

公園にベンチがあった

公園にベンチがふたつあった

ある日ふたつのベンチはひとつになった

ひとつのベンチに彼と彼女が座った

ベンチは笑った

彼と彼女が笑ったからベンチも笑った

いっしょに笑った

雨が降ったらベンチは泣いた

彼と彼女がこないからベンチは泣いた

彼と彼女が座らないからベンチは泣いた

雨に濡れるからベンチは泣いた

雨が止んだのでベンチは待った

彼と彼女がくるのをベンチは待った

彼と彼女が座るのをベンチは待った

でも彼と彼女はこなかった

夕日がおちるまでベンチは待った

いつまでもベンチは待った

でも彼と彼女はこなかった

ベンチは泣かなかった

彼と彼女がこなくてもベンチは泣かなかった

彼と彼女が座らなくてもベンチは泣かなかった

ベンチは泣くまいと思った

もう泣くまいと思った

何があってももう泣くまいと思った

ある日ひとつのベンチはふたつになった

砂場に小犬がきた

小犬を追いかけて少女がきた

ベンチはもしやと思った

もしかしたら彼と彼女がくるかもしれないと思った

ベンチは待った

夕日が落ちるまでベンチは待った

でも彼と彼女はこなかった

それでもベンチは泣かなかった

もう泣くまいと決めたからベンチは泣かなかった

彼と彼女がこなくてもベンチは泣かなかった

彼と彼女が座らなくてもベンチは泣かなかった

少女と小犬が帰って

夕陽が

ベンチを射した

まぶしいと思って

ベンチは

静かに目をとじた



だれもこない公園にベンチがあった

だれもこない公園にだれも座らないベンチがふたつあった

うしろの樹だけがゆれていた。



       おわり。









公園とベンチ 7   2006年10月01日(日)

彼女が公園に来なくなったのはそれからしばらくしてからだった。

ぼくはひとりベンチに座り、そして・・少しの安堵感をもった自分に愕然とした。会う痛みより会わない安堵感に逃げた自分に激しく嫌悪した。

ぼくは彼女に会わなければならないと思った。会って彼女の手を握らなければならない、会ってその髪にいつまでも触れていなければならない。そう思った。ぼくは彼女を守らなければならないのだ。こぼれ落ちた砂はもう掌には戻らない。だけどもう一度少しづつでもぼくが新しい砂を掬って、そしてまた溜めていけばいい。そう思った。

ぼくは彼女の家に向かった。
彼女の家はすぐわかった。

辺りはすっかり薄暗くなっており、彼女の家にもすでに灯りが燈っていた。
曇りガラス越しに彼女の姿があった。おどける弟に何か文句を言ってるような彼女の声がした。久し振りに聞く彼女の声は、いつもぼくと話しているときよりもはるかに若かった。母親がやってきてふたりに何か言ってるようだった。そして彼女のシルエットは消えた。

ぼくはいつの間にか泣いていた。
涙がこぼれ落ち止まらなかった。
悲しさからではなく辛さからではなく、ましてや久し振りに彼女を感じた嬉しさなどではなく、ただ涙が溢れて止まなかった。彼女を初めて見たときのあの胸を突き刺す感情。あのときとよく似た感情がよみがえり、でもその感情が何なのかぼくにはまるで理解できず、激しく嗚咽した。







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