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2007年05月09日(水) 備忘録 記事 北アイルランド

毎日新聞 朝刊 2面

北アイルランド 自治政府が復活 4年半ぶり4党連立で

カトリック系とプロテスタント系住民の対立が続く英国領北アイルランドで
8日、自治政府が4年半ぶりに復活した。02年から英政府の直轄統治下に
置かれてきた自治政府は、プロテスタント系の議会第1党・民主統一党
(DUP)と、カトリック系過激組織アイルランド共和軍(IRA)の
政治組織シン・フェイン党など4政党の連立により生まれ変わり、同日、
ベルファスト郊外で自治再開を正式宣言した。

北アイルランド各党は自治政府の閣僚割り当てに合意。8日、ペイズリー
DUP党首は首相、シン・フェイン党のマクギネス副党首は副首相への
就任宣誓を行った。
ペイズリー党首は自治政府再開について「我々に平和をもたらすことになる」と述べた。
ブレア英首相とアハーン・アイルランド首相も同日、自治再開記念式典に
参加した。ブレア首相は自らが尽力してきた北アイルランド和平の成就を
見届け一両日中にも正式に退陣表明する予定だ。式典にはケネディ米上院
議員も出席した。
北アイルランドでは、英国統治に賛成するプロテスタント系と、
アイルランドへの併合を求めるカトリック系の住民が激しく対立。
98年4月の和平合意で自治政府が発足したが、シン・フェイン党幹部の
スパイ疑惑発覚事件で英政府は02年10月、自治政府の権限を凍結した。
05年7月のIRAの武装闘争放棄宣言を経て、同党とDUPは今年3月
初の公式党首会談で自治再開に合意した。



【ことば:北アイルランド】
英国を構成する4地域のひとつ。カトリック教徒が多いアイルランドが
1922年に英自治領として発足した際、プロテスタント教徒が多い
北部地域が「北アイルランド」と称して英統治下にとどまった。しかし
アイルランド共和軍(IRA)のテロなどで党派、宗派間の和平が進まず、
自治の停止が繰り返されていた。



同 7面

英領・北アイルランドの自治政府が8日4年半ぶりに再開したことで、
北アイルランドは和平定着への基盤を取り戻した。英国統治の存続を
主張する多数派のプロテスタント系・民主統一党(DUP)に対し、
アイルランドへの併合を求める少数派のカトリック系過激組織、
アイルランド共和軍(IRA)の政治組織シン・フェイン党が自治政府で
どこまで政策協調を図れるか。今後の道のりは決して平坦ではない。

自治復活を決めたのは、DUPとシン・フェイン党が今年3月26日に
行った史上初の党首会談だった。シン・フェイン党のアダムズ党首は
「この島(アイルランド島)における新時代の始まりだ」と高く評価。
一方ペイズリーDUP党首は「英国の中の当地住民にとって意義ある
改善となった」と語り、分離独立運動を強く牽制した。
本来、DUPとシン・フェイン党は水と油のような対立関係にある。
ベルファストからの報道によると、ペイズリー党首はIRAの過去のテロ
活動に根強い嫌悪感を持ち続けているが、今では責任追及の相手を名指し
しなくなった。アダムズ党首もカトリック教義を公言することは少なくなり
双方に自制を重んじる雰囲気が生まれている。
北アイルランドでのプロテスタント、カトリック両派の抗争は訳40年間
に及んだ。衝突の舞台は都市の街頭になり、多くの市民が流血の惨事に
巻き込まれた。英BBC放送のアイルランド問題担当、コノリー記者は
「不和は今でも多く残っているが、街頭ではなく議会の中で対立を克服する
ことを住民は理解している」と報告した。
英政府のヘイン北アイルランド相は「生活水準の向上が北アイルランドの
最大の政治課題だ」と強調する。
そのためには自治議会での協議と自治政府の効率的な運営が不可欠だ。
DUPとシン・フェイン党はこれから政治対話の真価が問われることになる。

1919年、英国の植民地だったアイルランド島で、独立を目指す
カトリック過激派の義勇軍が対英闘争を開始し、アイルランド共和軍
(IRA)と改称した。同島の南部26州は37年に独立したが、
プロテスタントが多数派の北部6州(北アイルランド)は英国の自治領
となり、IRAとプロテスタント系過激派が対立。ロイター通信によると
70年前後からの約40年で犠牲者は3600人以上に上った。
英国、アイルランド両政府は97年、武器引渡しを監視する国際委員会を
設置。98年にはIRAの政治組織シン・フェイン党が包括和平案を正式に
承認した。しかし、IRAが武装解除をいったん拒否するなど和平の実現は
難航。北アイルランドの自治は度々凍結された。IRAは05年、武装解除
に合意、翌06年に英、アイルランド両政府が自治復活の基本計画案を
発表した。


恵 |MAIL