ダメダメちゃむ日記
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2002年11月30日(土) 復活!

早っ!

薬と気合いで何とか体調戻しました。
お義母さんによくお参りしてから、
元気に東京ライブ行ってきます!


2002年11月29日(金) マジ風邪

 今朝、〆切の仕事を2つこなし、時間休をもらってドクターの元へ走った。
「風邪が悪化しました! 3日で治してください!」
 ……。(^^;)
 いいんだけどね、気持ちはわかるんだけどね、ここは神経科だよ? なんて突っ込みはなしね。だって、僕の薬、体調、精神状態、信吾愛、全部わかってくれてるのは、ドクターだけなんだもん。
 ええ、薬の追加もらいましたよ。午後の仕事は他の方に頼み込んでそのまま早退しました。だって、ライブまであと2日なんだもん!o(><;)(;><)o @明日は休日出張だとか、来週は忙しいなんてことは、最早頭にないようです。
 そんな訳で今日は眠ります。ええ、風邪なんか薬とググッ p(ーー; 気合い! で治してみせますよ。だって、この日の為に、しんどい仕事続けてきたんだもん!

 お義母さんには、心から冥福を祈り、心底謝罪の気持ちでいっぱいですが(_ _;)


2002年11月28日(木) 立ち直り

早っ!(笑)

昨日の日記は大変錯乱しておりまして、お目汚し失礼しました。
今からお読みになる方は、昨日の分はお読みにならない方がよろしいのではないかと思います。
思いっきり自慰行為です。吐き出した心のゲロみたいなもんです。
ま、日記なんで、勘弁してやってください(^_^ゞ
や、もう、吐き出すって行為は自分を整理する為に必要な作業なんですよ。
すっごいすっきりしました<お前だけだ
人間って、すごい生きる力を持ってるんだなぁ〜と、我ながら感心です<しなくてよろしい(笑)

風邪がマジになってきましたけど(−−;

はい〜、東京ライブ参加者の皆様、「ちゃむ」情報を信吾コンテンツにアップしましたので、こんなバカ見てみたいと思われる方はご覧下さいませ。
お客様にお会いできるのを心からお待ちしております。
(⌒ ⌒)(_ _)ぺこ


2002年11月27日(水) 怒る権利!

【予告】
昨日の日記「美酒」から、「ちゃむ」は、「ダメダメちゃむ日記」は、いきなりの変貌を遂げます。今はお客様の笑いを取る心の余裕が私にはありません。私の魂の叫びがしばらく続きます。ダーリンと主治医と、ここでしか叫べない弱虫の泣き言、愚痴が続きます。どうぞ、ご理解ください。今、私は自分を取り戻すかどうかの瀬戸際にいます。それがご不快な方、笑いを期待されている方には「ちゃむの日記を読まない権利」があります。しかし、私は、今、共に苦しむ人々の為に、自分の為に、自分本意の叫びを続けます。ご容赦下さい。
※めちゃめちゃ長文です。そして、重い内容です。かなり鬱陶しい日記です。それでも構わない方だけ、お目通し下さい。


 親による精神的・肉体的・性的虐待を受けた子どもには怒る権利がある。満面の、無条件の愛情を注がれなかった私達は、怒りを持つことができる。そして、怒りは(傷つけられた精神の、削り取られた人生の)回復への原動力だ!
 性被害を被った女性も男性も怒っていい! 怒らねばならない! そうしなければ報われない。私達「サバイバー」(生き残った者)は苦痛の中にあって今も尚、死を選ばずに(死ねずに)生き抜いた、それを誇りにし、胸を張って生きていく権利がある!!

そう教えてくれたのは、1冊の漫画と1冊の本。そして、セクシュアル・ハラスメント防止を訴える講演会。そして、仲間。

「今日も青い空」金子節子著 双葉社 定価714円+税
(ISBN4-575-33276-3)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000007101879

そして、その漫画により導かれた本、
「甦える魂
〜性暴力の後遺症を生きぬいて〜
―なぜ生きるのがつらいのか、人にとって子供時代とは―」
穂積純著 高文研出版
(ISBN4-87498-147-X )
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000019334417

 母よ、あなたの生い立ちは確かに不運だった。
 幼くして「素晴らしい」実母を病気で失い、生活的自立ができていない実父のせいで、すぐに現れた義母の愛情を得る為に、必死で「素晴らしく親の言うことを黙って素直に従ういい子」で、「とんでもなく成績のよい子」であろうと、妹弟達への愛情を分けてもらう為に努力した長女のあなたの不幸が、今日初めて理解できたよ。可哀想なあなた。そして、それを今でも理解できないでいる深い心の闇を持ったあなた。かわいそうに。

 しかし、あなたはその不運故にとんでもない間違いを犯したことに、一生気付くことはできないのよね。私の主治医も言ったよ。
「僕もあなたのお母さんは大嫌いです。ガンバリストのあの人は一生治りません。あなたが自分の力でお母さんの呪縛から逃れて、あなた自身の人生を取り戻さなければ、あなたは生きていけませんよ」と。
 精神科医にまで不治の病の烙印を密かに押されたあなた。かわいそうに。
 でも、私はあなたによって、いいえ、私の兄もあなたによって、精神的抑圧という虐待を受けました。だから、私には怒る権利があるのです。いくら「愛」という真綿にくるまれたまやかしの「母」と「子」であろうと、苦痛を受けた被害者は「痛い!」と叫ぶ権利はあるのですから。

 両親の無条件の愛に恵まれず、配偶者とも理解と互いの尊重という愛情を結べなかったあなたは、子どもである兄と私に、自分の不遇を更に押しつけましたね。
 幼少時から、何百回、何千回、いかにあなたが「素晴らしく親の言うことを黙って素直に従ういい子」で、「とんでもなく成績のよい子」であったかを、毎日のように繰り返し聞かされたことでしょう。それしか、あなたには生きるよすががなかったのでしょう。でも、私も兄もその毎日のあなたの自己の尊厳の主張の為に、愛情に条件がつけられることを押し付けられたのです。
「親のいうことを素直に従わなければ愛されない」
「とんでもなく成績のよい子でなければ愛されない」
 あなたの言葉に隠されたメッセージを、兄と私は命懸けで受けとめなければならなかった。あなたに愛される為に!!
 兄は前者を選んだ。そして私は後者を選んだ。そうすることでしか、あなたに愛されないことを押し付けられてしまったから!
 私と兄はあなたに「正しさ」を教え込まれた。正しさの基準は全て、あなたの価値基準。「お母さんは苦労した。お母さんは偉かった。お母さんは正しい。だから、私達はお母さんの言う通りにしなければならない。それが社会の正義だ」とまで。

 成績優秀で生徒会活動にも部活動にも熱心であった私が、何故15歳にして煙草を口にせざるを得なかったか、あなたは一生わかってくれないよね。煙草を吸うのは数回バレた。でも、あなたは形通り、私を不良呼ばわりして、叱るだけだったね。私の苦しさに気付こうともしてくれなかったよね。「いい子」であることが、15歳の私にとってどんなに苦しいことか(15歳の私には自覚はなかったが)を理解しようともせず、成績と煙草で私を評価したよね。

 父が過労から心を病み、祖父母とあなたの不仲の中で、長男としてその優しさ故に何故アルコールに逃避せざるを得なかったか、あなたは全く理解しようともしなかったよね。
 中学1年の時の離婚云々の夫婦喧嘩を聞いて、私がどれほどの哀しみで兄に泣きついたか、中3の兄がどれほど精一杯私を抱きしめてくれたか、あなたは知らないよね。だって、話してないもん。話せなかったもん。何故って、「お母さんは正しい」から。でも、中学生の私達はもう気がついていたよ。「お父さんを病気にさせたのはお母さんだ」って。でも、言えなかったんだよ。何故って、「お母さんは苦労している」から。

 あなたの生活の苦しさを、哀しさを、苦労を聞かされた私は、高校3年になった頃には、見事にそんな父を憎むようになったよ。心から憎むようになったよ。家族への経済的義務を放棄し、その病ゆえに酒におぼれ、借金を重ねた父を憎んだよ。では、病に苦しむ「父」を理解し、支えるのは誰の役目だったのか!? 祖母か!? 祖父か!? 父の弟妹か!? 違う! 違う! 違う! 「家族」ではなかったのか!?
 父の遺伝子に私が何年恐怖の日々を送ったと思う!? 私も父と同じように病むのではないかと、学校で教わった通りの知識に震える日々を送ったのは誰のせいだ!?
 全て、父の配偶者であり、人生のパートナーであり、家族の要であった母よ、あなたの責任ではなかったのか!? 何故、その「家族の歪み」を、最も弱い存在である私が引き受けなければならなかったのだ!?

 兄は既に就職していた。高3の私は「父から離れたい一心」で成績優秀だった。最終的に離婚を頼み込んだのは私と兄だ。「お前の就職に差し支えるから」という定番の歪んだ口実で、離婚の決定を「親の離婚くらいで差別するようなところには就職しない! 私の力でそんな差別をしないところへ就職してみせる!」と、18歳の私に断言をさせたのは誰だ!? 母だ! 母だ! 母だ! あなたには経済力があったのに、あなたは離婚の責任を18歳の娘に負わせたのだ。
 調停離婚が成立した翌日、職員室で担任に向かって高3の女の子に
「両親が離婚したので保護者名が変わりますが、姓は変わりません」
と冷静に言わせ、担任を唖然とさせたのは誰だ!? それは親のすべき仕事ではなかったのか!? なんてずるい母。なんて素直な私。

 中3の時、私をいじめたクラスメイト、私はあなた達を一生許さない。
 いじめのせいで登校拒否した私を責めた担任、私の唯一の親友だったMちゃんに友達としての責任を負わせ職員室で泣かせた担任、私はあなたを一生許さない。
 離婚後の父に向かって「あんたなんかどこでのたれ死んでも構わないんだから、早く家から出て行って!」とまで言わせ、2週間後の私の大学合格発表前夜に交通事故で死んだ父への負い目に何年も私を苦しませた、そのように「私」を教育した母を、私は許さない。
 大学のクラブの男子同級生に運営に関して意見した私に、キャンプファイヤーで「お前は男のプライドをわかってない!」とセクシュアル・ハラスメントを重ね、私を引きこもらせた何人もの男性の先輩達、私はあなた達を一生許さない。

 単位の取り損ねで留年した23歳で発病した。交通事故によるショックも影響したのだろうか? 病名は「うつ病」。躁鬱病だった父とは違う病気を私は抱いた。
 母になだめすかされて無理矢理連れて行かれた精神・神経科病院で、あるがままの私を受けとめてくれるドクターと出会えた、私の何たる幸運!
「だって、あなたは苦しいんでしょう?」
と、家族の矛盾を私が自ら理解するまで見守り、道しるべになってくれたドクター。私の人生の恥も苦痛も喜びも過ちも全て話せる懐を持ち、微笑んでくれるドクターと、初めての病院で初診で出会えた私の何という幸運! 奇跡だ!
 カウンセリングや投薬の過程で自殺未遂も何度かあった。一晩強制入院させられたこともあった。落ちつかせる為に投薬された睡眠剤で眠る私の寝顔を様々な思いを込めて見守ってくれた(らしい)ドクター!
 ここだけは心から母に感謝する。私とドクターを巡り合わせてくれて本当にありがとう!
 でもね、治療の過程で、私は理解しなければならなかったんだよ。全ての原因はあなたにある、と。苦しかったよ。認めるのが切なかったよ。神に逆らうほどの勇気が要ったよ。なのに、今でもあなたの呪縛から未だ完全には抜けきれない、あなたに逆らえない37歳の私がいるんだよ……。

 ダーリンとの出会い。これもまた奇跡としか言えない。こんな男性が世の中に存在するなんて、想像したこともなかった。最良の人生のパートナー! 彼も、実父から精神的・身体的虐待を受けた人だった。磁石が引き合うように、私達は手を取り合った。

 全てを超越する何者かが私に「生きろ」と行っているのか? いや、そうではない。「私」が「生きたかった」のだ。自殺願望と闘った年月も、自己の存在意義が認められなかった年月も。
 ダーリンは自ら進んで私に同伴し、ドクターの診察を、アドバイスを受けた。「私」を「生きさせる」為に。

 娘が生まれた。30歳にして、初めて私は無条件の「愛」を知った。娘には無条件の愛を与える! 夫婦で話し合う必要すらなかった。私達は愛を受けられないことに傷ついた。連鎖を繰り返してはならない。お互いの不文律だった。愛して愛して愛し抜く! それは「自分」を取り返す為に必要な治療だ。

 先週の長期出張で、たまたまメンタル分野のトラブルがあり、精一杯遂行したことを、担当者から散々に責められ罵倒を浴びせられた。心がズタズタになった。とにかく帰宅するまで、セルフコントロールするのに必死だった。
 それから、家族を抱きしめ、子どもを母に預けてセクハラ講演会。疲れ切っている筈の私は混乱の中、眠ることすらできなかった。
 生憎、23日は祝日だった。病院は休診。どうしていいかわからないほど混乱していた。ドクター! でも休診日に自宅まで電話はできない。(母の「常識」ね)
 夜の仕事に出ていたダーリンにSOSの携帯。でも、重大事件でどうしても帰れない。
 次に私は兄に電話した。兄の部屋電、携帯、つながらない。絶望だ!
 母よ、私が「お母さん! 助けて!」と電話したのは、あなたにも話したけど、本当の最後の手段だったんだよ。あなたとだけは話したくなかった。あなたはいつも「母の正しさ」で私を傷つけるから……2年前(最悪のうつ状態で病休を取った時)も今でも。私はあなたとの会話から逃げ回っているのに。
 その日はかつて同職だったあなたらしく、とても綺麗な言葉で担当者の誠意と配慮を語り、私を落ちつかせてくれたね。あなたにしては珍しく、
「あんたはその時、自分にできる範囲のことを精一杯頑張ったんだよ」
と言ってくれたね。嬉しかったよ。例え、その一言の重大さに全く気付いてなくても。
 後日、ドクターは「あのお母さんにしては珍しいですね。でも、お母さんの言う建て前と綺麗事はやっぱり違うと思いますけどね」と言った。そう、メンタルヘルスに関しては、元小学校教員より現役精神科医の方が勿論正しい見識を持っている。

 あなたはやっぱりわかってはいなかった。今日帰宅すると、珍しく母が我が家に上がり込んで長女と、私を待っていた。その後の様子を聞きながら、そして、こう言った。
「私(母)とお兄ちゃんは、全くお人好しで……」
「私だってお人好しだって、ダーリン(仮名@笑)に言われるよ!?」
「何を!? あんたは私の前ではいい子やと思って安心していたら、いろいろ話を聞いてみたら、裏で舌を出すような娘やないの。人が親切で声を掛ければ、ひがんで悪意に取るし……」
 ああ、やはりこの人はだめだ。何もわかってない。「あなたの前でいい子」でいようとした、愛される為に必死だった子どもの心の傷なんて何もわかってない。この15年の私の苦しみも、何もわかってない。そうして、また私を傷つける。
 母よ、私はもう諦めた。もうじき70になるあなたの人生を今更変革することは不可能だ。あなたは本当に不治の病だ。

 私はもう大丈夫。あなたを乗り越えたから。けれど、娘は育成(学童)の後、あなたの家に寄って1〜2時間を過ごさなければならない。全力で、私は娘を守らなければ。「正しさという名の抑圧」を再び繰り返されては堪らない。
 そんな話をダーとこっそりしていたら、長女がポツリと口をはさんだ。
「○○ちゃんはまじめ。でも、おばあちゃんはまじめすぎなの」
 ああ、その幼さでよく気が付いてくれた。あなたの両親は、全力で無償の愛をあなたに贈るから! どうかあなたは私のように歪むことのないように、私達はあなたを愛し、守るから!


2002年11月26日(火) 美酒

長い、不毛な闘いだった。
女性もんだいと関わって10年、研究が全国で認められたこともあった。学習の機会も多く与えられた。これこそが、今、私達に必要なことだ!と自信があったし、自負もあった。
けれど、私は運動を広げることができなかった。異動した支店の中では、私は「1人」だった。現在頑として存在し、連鎖を続ける「女性差別を解消」しようとすることで、私は奇人変人扱いだった。前任支店で思いもかけぬ過大過ぎる評価を受けたせいだろうか、私はどんどん萎縮していった。女性の中にあっても、である。
誰も男性中心の差別的社会構造に気付いていなかった。私は孤独だった。思うことを発言しても、会議では否定された。
ただ、年に1度、県下から同士が集まって熱心に論議する会だけが私の支えだった。
「ここには多くの差別に怒りを感じる先輩と仲間がいる。私は間違っていない!」と毎年勇気をもらうのが私自身の救いだった。
個人的に、自分のできる範囲で、女性差別を撤回する為の試みを行い続けた。私の人生を含めた話を聞いてくれた人達の目が輝いていた。支店長にはその都度報告はしていた。支店長も応援してくれた。
そこにドロ水をぶちかけたヤツがいた。担当者だ。ヤツは私の試みは絶対に間違いだ!それこそ差別だ!と決めつけた。お前が何をどこまで研修したのか!?
「成果まで見て下さい!」
と頼み込んで計画通りの実践を終えたが、担当者はそれが気に入らない。途中でヤツが私を妨害したことが対象にバレてしまったこと、「私」の闘いが評価されたことが、ヤツは気に入らない。ヤツは私を罵倒した。他の担当者も私を守ろうとはせず、同じ立場であるヤツに味方した。その人達も女性なのに!!
そして、2年前、私は倒れた。「私」の尊厳はヤツによってズタズタにされた。心も身体も悲鳴を上げていた。それでも、最後まで仕事は笑顔で続けた。上司にはずっと相談は続けていたが、医師とも相談の上、もう限界になった。病休をとることにした。仕事上、とても大切な時期に私は職場を離れた。いや、今になってわかる。私は、ヤツに業務が正常に行えない状態に追い込まれたのだ。ヤツこそが、私にハラスメントを行い、私を職場から引き離したのだ。初めて、正義をもって、ヤツに怒りを感じる。返せ!返せ!私の1年半を返せ!苦しんだ1年半を返せ!私の職業人としての信頼を返せ!

長期出張から帰宅したその足で、セクシュアル・ハラスメントの講演会に行った。副支店長(2年前とは支店長も副支店長も異動で変わっている)から研修用の資料を探して欲しいと頼まれたこともある。私自身も知りたかった。そして、気付かされた。長期出張中に、散々「冗談」という言葉に誤魔化し、私やふくよかな女性に、セクシュアル・ハラスメントを行っていたのは、他ならぬ現在の支店長と副支店長ではないか!? 寝ぼけた目が一瞬で目覚めた。今こそ立ち上がらなければならない。私しか知らないのだから!

今日、当の支店長から25分程度の研修があった。セクハラの何たるかも全く明確にされてない、本社から下りてきただけの、B4プリント1枚半。そして言う。
「時間がないので、これで1時間研修したことにしてください」(^_^ゞ
怒りが沸騰した。どこからの資料なのか、これでセクシュアル・ハラスメントの研修は終わりなのか!? 支店長は冷や汗をかきながら、これから、お互いに研修を進めていく、自分自身も勉強する、と。
講演会でもらった、A3プリント8枚の資料を「私」は持っている。副支店長にもコピーをお渡しした(私のコピーを「資料きたからもういらない」とほざきやがったが、しなやかに押しつけた)、いつでも声を掛けて下さい、と言うと、支店長は答えた。
「ありがとうございます」

研修後、皆が混乱していた。当たり前だ。アレも悪いんか? コレも悪いんか!? ……それがセクシュアル・ハラスメントなんだよ!と叫びたい衝動を抑え、私に質問してきた方には講演会で聞いた具体例を挙げた。驚愕されたが、これが現実だ。私達はあまりにも無知だったのだ。

私はやっと立ち上がれる。本社が「そうしろ」と言ってきたのだ。もう何の後ろめたさもない。やっと、私が「私らしく」生きられる!
連れ合いに報告しながら、お互いに成果があった今日の仕事を祝福しながら飲んだビールは、10年振りの勝利の美酒だった。
けれど、私の本当の闘いは今から始まる。やっと、公式にスタートラインが引かれただけだ。仲間をもっと増やそう。しなやかに、滑らかに、語っていこう。


2002年11月23日(土) 我、帰着せり

いろいろトラブルもありましたが、
無事、フェリーから飛び込むこともなく、
大阪FWのことを思い出す暇もなく、
20日に関テレで「おすピー」の放送が
夜7時から放映があったことに気づく間もなく(T∇T)
9時頃新聞見てそれに気付き、
7時頃夕食を皆と食べていた自分を
激烈呪いたくなりましたが、
生テープも持って行っていなかったし、
どうやら知り合いが録画しているようなので、
よしとして、無事帰宅しました。
ヘ(−_−ヘ フフフフフ


2002年11月19日(火) さらば……

昨夜は「さらば宇宙戦艦ヤマト」のDVDを見ながらこたつでうたた寝しました。
こーゆーことしてるから、咽喉枯れが治らないんだよ┐(´_`)┌フッ
そんなこんなで、長期出張行ってきます。
資料に大阪FWの当日券申し込み電話番号と会場をφ(..)メモメモしてしまい、救命胴衣の装着法を誰よりも熱心に見てしまう自分がちょっと恐いです(T_T)


2002年11月18日(月) 明日

明日わた〜しは〜旅に出ま〜す〜♪
いと「おかしく」「あわれな」(現代語)旅になりそうです(T∇T)
「明日の準備はいいの?」
と小1の娘に聞いたら、
「お母さんこそ明日の用意できてるの!?」
Σ(ノ°▽°)ノハウッ!@ナイス突っ込みだ!>娘
もちろんほとんど荷造りなんかやってません。
「明日できることは今日しない」
が僕のモットーです<( ̄^ ̄)><☆(○=(-_-; パンチ!


2002年11月15日(金) ヘラクレスの選択

ホントは昨夜書きたかったんだけど、書けなかったこと。

やっと、「あさま山荘」に突入できました。@レンタルビデオ
いや、ホントず〜〜〜っと貸し出し中で(;-_-)  冗談抜きで丸1週間毎日レンタルビデオ店に通ったの。でも、ず〜〜〜っと貸し出し中だったんですよ、「突入せよ! 『あさま山荘』事件」@DVD2本、ビデオ7本。(−−;
(@@;))))〜〜(((((;@@) なぜ?なぜ? そんなに人気あったの?「あさま山荘」映画? そんなに人気あったの?大塚さん<発想そのものが自分寄りにズレてるぞ。
と、訳わからんちんで(−−メ)イライラしていた僕の謎を、ダーは一言で片付けてくれた。
「K察官が借りてるに決まってるじゃん!」
「Σ( ̄□ ̄;)そーなの!?」
「他に誰が借りるっていうの?」
「……( - ゛−) ジッー そういうもん?」
「昔(あさま山荘現場に)行ってた人とかが懐かしがって見てるんだよ」
「?(。゜)(゜。)? ハッ? そんなに行ってたの?」
「行ってたんだよ! 管区機動隊とかがいっぱい!」

はい、話によると、滅多に映画など見に行くことがないMさん'sパパ(退職K官)も映画館に見に行かれたそうで、マジK官が交替で借りていたんじゃないかと思われます。

映画の中に「ヘラクレスの選択」という言葉が出てきた。「大変な道ばかりを選ぶ」というような意味だそうだ。
「あさま山荘」の作者Sさんはその連続だったそうだ。長官だったGさんも素晴らしかった。それは誰よりも現場のK察官達がよく知っている。

僕の先輩にも沢山いる。「ヘラクレスの選択」をなさった方々。そのほとんどが女性だ。そもそも女性問題を考える研究会に、自主的に好きで参加している僕。素敵な先輩方に多くのことを教えられた。そして、未熟な僕に、たおやかに滑らかに、いろんなことを教えて下さった先輩方は、「ヘラクレスの選択」を余儀なくされた。
『言っただけのことは、やれ!』
という無言の圧力(多言だったかも知れぬが、彼女達は決して多くを語ることはない)が、彼女達を望まぬ高みへ押しやった。
彼女達が何より現場が好きだったことは、10年間、遠く離れながらも手取り足取り、思いやりと優しさをもって教えていただいた僕にはよくわかっている。
でも、彼女達は昇らざるを得なかった。後に続く女性達の為に。

「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」
 魯迅の「故郷」のラストの言葉そのままに、後進の女性達の為に、彼女達は「ヘラクレスの選択」をし、そして苦渋の道を切り開き、進んで行く。

僕は彼女達の後を追えるのか? 正直、全く自信がない。でも、先輩達を応援することだけはできる。自分の身体と精神と、家族を守る為に、僕には「ヘラクレスの選択」はできそうもない。だからせめて、精一杯、彼女達を応援して行くつもりだ。何しろ、僕にはそれしかできないのだから……。


2002年11月13日(水) 家に帰り着くまでが遠足です!

今日、フコク生命のおばちゃんが来て下さいました♪o(^o^)o♪
先日頼み込んでおいた「フコク情報ステーションファンファン10月『今ヒーローが熱い!!』」を持って来て下さっての笑顔でのご来店ですヾ( 〃∇〃)キャーーーッ♪
僕「(^0^)ノ お待ちしてました!」
↑こんなに待ち焦がれられる保険のおばちゃんも珍しいかと思われます(笑)
フ「(´ー`)ノ□ はい!」
↑おばちゃん、得意げ(笑)
フ「私も、これ見てたんですよ〜。『(イケメンが)沢山いるんだなぁ〜』と思ったまま忘れてたんですけど。ちゃむさんは『この方』一筋なんですか?」
僕「ρ(⌒◇⌒)ノ.はいっ! もう一筋ですっ!」
フ「実は、私はこの人……(´ー`) ウフフ」<太陽くんを指差すおばちゃん(笑)
ゞ( ̄∇ ̄;)おいおい?
僕「逮捕されちゃいましたけどね……ヾ(´▽`;)ゝ ウヘヘ」
フ「そうですねぇ」
僕「起訴『猶予』でしたけどね( ̄ー ̄)」<嫌味入ってます(^^;)
フ「よかったですね♪」<通じてません(爆)

おばちゃんを仲間と識別した(<勘違いも甚だしい)僕は、大阪FWの件をまくし立てました。向かいでK先輩、苦笑しながら、(<笑うしかないですよね?)
K「家に帰るまでが遠足です!」(笑)
フ「必ず校長先生がそう言ってましたよね」
Σ(ノ°▽°)ノハウッ!?
仲間だと思った(<勘違いです)保険のおばちゃんにまでトドメを刺された僕はもう(T∇T) ハハハ!と笑うことしか残されてません。<そもそもが間違ってます!

そんで、ちゃんと思い出したんです。W大局が突っ込んだツボ <_(__;)ゞ スイマセン
実は、僕はあの時、
「じゃあ、フェリーには乗りますから、甲板から突き落として下さい! そしたら、大阪まで泳いで、後は自力で帰りますから!」<マジ臭い(;-_-)
とまで言ってたんです。(―_―;) W大局は、そこに突っ込んだんです。
「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょう」<穏やかに!

……って、俺、そんなに飛び込みそうなんですか!?(T∇T) >W大局(爆)

ええ、もう完璧に諦めましたよ。
11/19〜23の関西出張で、20日に「おすピー」が録画できるかと思っていた(地元では放送はない)のに、関テレが放送してくれないらしいとか、20日は予約していた「真珠夫人DVD」の発売日なのに帰着するまで見られないとか、23日の大阪FWがもしホントの出張中だったら、宿を抜け出して大騒ぎになるか(まず携帯の電源は切ってるな)、同じ関西にいるのに何故俺はFWに行けないんだ!?(ー'`ーメ)ムカッ!と宿舎で悶々としないで済む、というギリギリの境で、嬉しいんだか寂しいんだか自分でも訳わかんない長期関西出張に、来週行ってきます(涙)

という訳で、来週1週間は全く更新できませんので、せめて今週はできる限り、日記アップします。<できる範囲ですが''r(^^;)ポリポリ

それでは皆様、12月の信吾様イベントでお目に掛かりましょう♪
((((((((=^-^)(^^*))))))))))


2002年11月11日(月) 一条記念日?

11月11日……  ヽ(□゜(-_-;)ゝ アッ!
今日は「1条さんの日」ですか!?<違います

昼食中、僕はこっそりK先輩に話し掛けた。
僕「22日にフェリーに乗り遅れたら、やっぱりダメですか?」||-*) ソーッ<やはり諦め切れていないらしい(笑)
K「何の話〜!?(笑)」
僕「いえ、23日に大阪で信吾さんのイベントが……。(≧∇≦)/ ハハハ! 勿論ダメですよね? わかってますってば(T∇T) 」
K「旅行は、自分で行ってね(´ー`) ウフフ」
その時、僕の隣席のW大局が、(-。-) ボソッとつぶやいた。
W「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょう」
(⌒ー⌒メ) ピク!
あんたには言ってねぇよ!凸(▼▼メ

そもそもW大局と僕はソリが合わない。2年前に僕が精神的に追い詰められて休職→病休する羽目になった原因の1/4はW大局のチクチク嫌味が原因だった。<最近まですっかり忘れていたが(-_-メ)

僕の信吾さんへの盲愛が、言って悪い冗談だとでも言うのかい!? とゆーか、誰がどう聞いても「冗談」だろ!? 凸(`0´)凸 ムッキー!<そ〜か〜ぁ?

せっかくの「一条さん記念日」にすっかり不愉快になってしまった(T_T)
僕は自己防衛の為に、ほとんど他人にマイナス感情を抱くことがない。無意識の内に他人の心情に深く踏み込むこともせず、不快感はすぐに忘れるようになっている。ストレスを避ける為に、「仲間」以外の他人には関わらないことにしている。
だって、しょうがな〜いじゃない? いろいろあんだもん♪

そんな僕を久し振りに怒らせたW大局、恐るべし! しかも来週からの長期出張ではW大局とほとんど同室だ!?ヾ(☆▽☆) アハアハ♪<部屋割りしたF君の悪意も感じる今日この頃である。(~_~)


2002年11月10日(日) 多忙だす

( ̄_ ̄lll)どよ〜ん
10日振りです。大変ご無沙汰しております。<いや、日記だろ?(^^;)
BBSにも書いてますが、マジ過労状態でした。
取り合えず、イベント一山越えました。(またイベントかよ?)
でも、再来週の長期出張に向けて、まだまだ超勤が続きます。しかも、よりによってですよ、再来週の22日夜に大阪を出て、23日早朝に帰社するという非情な長期出張なんですよ(T-T) <23日大阪FWじゃんよ!?@つか、貧乏旅行だな。
「私だけ大阪に置いて行って下さい〜!!(T∇T) 宿泊費も帰りの交通費も自費でいいですから〜っ!!(TロT) 」<血涙
勿論、会社にそんなわがままが通る訳はありません。それでなくても、今回のイベントは(またかよ?)部門の一大行事なのですから[壁]TT)ダー<諦めました(T_T)@信吾さんと入れ違う大阪(滝涙)

哀しみもひとしおの昨夜、ダーからケータイ。急用だというので娘と替わると、
ダ「11月末に何か予定入ってたよね?」
僕「うん。11月30日が社の出張で、12月1日が信吾さんの東京ライブ。で、2日に帰ってくる」
ダ「そっか……」
僕「どーしたの?」
ダ「いや……。さっき、兄貴から電話があって……。
12月1日にお袋の一周忌やるって……」
Σ(ノ°▽°)ノハウッ!
↑お姑さんの命日も忘れて浮かれてた馬鹿嫁☆(゜o°(○=(-_-; 天罰パンチ
僕「……あの、ライブ料金も運賃ももう払い込んでいて……(_ _;)」
( ̄_ ̄lll)どよ〜ん
ダ「うん、わかってる。用事があるって言っておくよ。じゃね……プープープー♪」
(T∇T) <鬼嫁確定!

お義母さん、生きていらっしゃる間に「嫁」らしいことの一つもせず、あなたの一周忌にライブに上京する私を許して下さい。せめて、東京へは、喪服(実はマタニティ礼服だという(_ _;))で行って来ます。どうか、この鬼畜のような阿呆嫁を天国からお守り下さい。<つーか、連れて逝かれそうな非道な行為だな(;-_-)

南無阿弥陀仏ぅ〜( ̄人 ̄)ち〜ん


ちゃむ |MAILHomePage

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