ダメダメちゃむ日記
DiaryINDEXpastwill


2002年12月31日(火) 涙(なだ)そうそう

今年も1年が終わろうとしています。
昨夜はダーと2人でM様からいただいた「仮面ライダークウガ超古代語対訳版」を夜中まで見ていました。
「やっぱりよくできてるなぁ」
そのまま2人ともこたつで寝ちゃいましたけど(笑)

大晦日の今日は、ダー大掃除、私は年賀状書きと小掃除と台所磨き。初めてパソコン画像に挑戦しました(^^;) でも、宛名と差出人住所は手書きA^^;
一息ついてから、ダーは年賀状出し、買い物後、命令表持って署に向かいました。
全国のK察官の皆様、毎年大晦日は●走族取り締まり、交2取り締まりにお疲れ様です<(_ _)>

クウガのビデオ見て、レコ大見て、紅白見て、お風呂沸かしながら、今年最後の日記で皆様にご挨拶です。
皆様、ご愛顧ありがとうございました。相変わらず自分本意で周りの見えない管理人ですが、来年は益々精進の上、少しでもお客様にお喜びいただけるサイト運営を目指したいと思っております。

全然大丈夫じゃない迷える子羊(笑)ちゃむより
皆様、どうぞ新年が皆様にとって素敵な年でありますように
そして、来年もどうかよろしくお願いいたします。(⌒ ⌒)(_ _)ぺこ

今年最後の日記タイトルは信吾さんがフリーウェイのライヴでラストに歌ってくださったソングタイトル(@夏川りみさん)でした。
それでは皆様、(⌒0⌒)/~~~ よいお年を~っ!


2002年12月28日(土) CARRY ON

またも葛山信吾さん「BRICKS」のソングタイトルです。@シングルメジャー発売曲

福岡FW後、ずぅ~っとPCに向かって、メインページ改訂したり、新コンテンツ作ったり、アップしたり。
性教育について本読んだり、ネットで調べてプリントアウト、コピーを性教育担当に配布、と真面目に自宅研修したり。
日記アップする間もなく、何のかんのとあたふたしてました。
年賀状もまだ作ってない~(TωT)ブヒー 

各種コンテンツに書き込み熱烈大募集中です。どなたかレス下さい~[壁]TT)ウルウル……@めいさん、「性と生」にカキコありがとう☆⌒(*^-°)v Thanks!!

今年はほとんど私がやりたいこともできず、
『鉛のような心を持て余す』日々を送ってきたけれど、
やっと最近になって、やりたいことできることをささやかながら始めることができた。
『振り返らずに 立ち止まらずに
 闇の向こうに 日はまた昇る
 胸躍らせて 走り続けよう
 答えは見つからないけれど Carry On』
       @作詞/作・編曲:板倉雅一
 
そう、来年はきっと「CARRY ON」!( v^-゚)Thanks♪


2002年12月25日(水) どんな君でも嫌いにはなれない

またまた葛山信吾さん'sソングタイトルです(^^;)

メインページと、コンテンツの一つ改訂しました。信吾様コンテンツに福岡FWで大騒ぎした反省文(激謎)をアップしました。ここまで言い訳すると、一体ちゃむは福岡で何をやらかしたんじゃい!? と(((o(^。^)o)))ワクワクなさる方も多いかとは思いますが、それはまた後日の予定(当然未定)A^^;

どんな信吾さんでも嫌いにはなれない。
どんな自分でも嫌いにはなれない。
どんな生徒でも嫌いにはなれない。
どんな娘たちでも嫌いにはなれない。
どんなダーでも嫌いにはなれない。
どんな「あなた」でも嫌いにはなれない。

そんなサイトだと思って下さい。

PCを買った2000年春。
大学時代の友人たちばな葵さんに導かれて、私はクウガと出逢い、心底惚れ込んでクウガ突っ込み掲示板を開いた。マニュアル本を読みながら、見よう見真似で特撮突っ込みサイトを開いた。そして、葛山信吾さんに惚れ込み、追っ掛けを始めたのがちょうど1年前。それから、ちょこちょこコンテンツを改装し、
「ちゃむさんちは一体何をやってるサイトなのかがわかんないよ」
と、お客様からオフでご指摘をいただくまで、自分が何をやりたいのか、何の為のサイトなのかも、正直わからなくなっていた。
ただの日記屋になってた気分もあった。
実生活でも、自分(精神)を守る為に、私はずっと他人を見ないようにしてきた。いや、マイナスの感情を持たないように、他人の欠点から目をそらし続けてきた。ずるいですね。

きっかけは修学旅行。
完全不登校だった少女が、勇気を振り絞って修学旅行に参加した。人生の復帰を賭けてのチャレンジだった。フォロー態勢が話し合われた。私は彼女に会ったことも、話したこともなかった。そして休職明けだった私には、学年会で職員室で与えられる彼女の情報は少な過ぎた。
「ま~た誰も私に○○して『くれない病』が始まった」
「わがままばっかりで疲れるよ、全く」
「同じ話ばかり繰り返し泣いてばかりで鬱陶しい」
担任から与えられる断片的な情報しか知らず、私は彼女と出くわした。
ねぇ、Mちゃん。どうして私達は出会ったんだろうね? それまで、一度も会話を交わしたことすらない私が、たまたま偶然あなたが心から傷付いてギブアップした場所に待機していたんだろうね? どうして、そこに一緒にいた1年時担任のK先生ではなく、私があなたを宿まで連れて帰ることになったんだろうね? 娘へのお土産を買うのに付き合ってくれたね。2人で笑いながらおしゃべりしたね。
「そんなに『すみません! すみません!』って謝らなくていいんだよ? 先生達は生徒を無事に連れて帰るのが仕事なんだし、好きでこの仕事をやってるんだから。あなたは何も悪くないんだよ。辛くなったあなたを無事に連れて帰るのが私の仕事だし、先生はそうしたいんだから。謝らないで。『ありがとう』でいいんだよ」
そんな他愛もない台詞から、あなたは泣きながら自分の生い立ちと苦しさと切なさと哀しさを吐き出すように話し始めたね。一緒に泣いたね。あなたの病気と私の病気と、あなたの生い立ちと私の生い立ちを2人で泣いて話しながら帰ったね。そして、あなたの人間不信のどん底で巡り逢えた私たちの「頑張って一緒に生きていこうね」という細い絆は、担任のS先生によってブチ切られたね(T-T)
何故、私とあなたは「二度と話をしないで!」と、担任のS先生に命令されなきゃいけなかったんだろう? 何故私は自分のうつ病をMちゃんに話したことで責められなきゃいけなかったんだろう? 心を病んだことのないS先生が、あんなにもMちゃんを傷付けているのに、Mちゃんは今生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのに、
「こんなに自分の気持ちを話せたのはちゃむ先生が初めてです。もしかしたら、人を信じてもいいのかもしれない」
って泣いていたMちゃんに、何故私は背を背ける行為を取らなければいけなかったんだ!? 親にも、主治医にも、担任にも、(不登校専門の)センターの先生にも話せなかった想いを受けとめた筈の私が、何故その直後に手の平を返さなければならなかったのだ!?
11月27日の「怒る権利」で私が本当に怒ったのは、S先生と学年長と校長に対してだ。何が「私が卒業まで責任持つ」だ!? 何が「まぁ、その内おいおいに」だ!? その内っていつだよ!? 何が「よく知らないけど、S先生に任せて余計なことには関わりなさんな」だよ!? あんたら、Mちゃんを殺す気かい!?(TロT)
 盲腸炎を起こしたことのない人間にその痛みは理解できない。骨折したことのない人間にその痛みは理解できない。そして、心を病んだことのない人間にその本当の苦しさなんて理解できないんだ!(ノ><)ノ~~~~~~~~┻━┻

Mちゃん、あなたには届かないかもしれないけど、私はサイトの方針を変更したよ。いつか、あなたや、あなたの仲間に届くかもしれないことを信じて。

どんな君でも嫌いにはなれない。


2002年12月24日(火) メリメリ~苦リスマス~♪

折角のクリスマス・イヴに何書いてるんだか?(笑)

え~と、ただ今12/25 03:35です(^^;)@既に24日ではない
激動のクリスマス・イヴでした(苦笑)
そもそも福岡FWから帰宅したのは24日の午前2時(爆) 夜の部が終わって、のほほ~んと同行Sさんと帰途についたのですが、あまりにものほほ~んとし過ぎていた為、電車1本乗り遅れまして、Sさんと濃い語り合いの果て夜中に帰りつくわ、次女ちゃんは起き出すわ、わしはPCにかじりついたまま寝ちゃうわ、次女ちゃんを心配させるわ、次女ちゃんに泣きつかれたダーに怒られて逆切れするわ、夫婦喧嘩が始まって責任を感じた次女ちゃん泣き出すわ、朝は寝坊して遅刻するわ、ダーは代休で休むわ、職場で気の置ける方数人にツーショット写真見せびらかすわ、長女ちゃんに弁当持たせるの忘れて育成のクリスマスパーチーに参加できないまま。。。。(( T_T)トボトボ帰宅させるわ、帰ったらお父さんがいたので長女大喜びだわ、念願の掃除ができなくてダー謝るわ、管理職に強気で交渉するわ、職場の会議は長いわ、仕事に切りつけて次女ちゃんのクリスマスプレゼント買いに行くわ、クリスマスパーティー開くわ、夫婦喧嘩は始まるわ、子どもはサンタさん狙いで即行寝るわ、僕の日記(@ここ)は見られてるわ、プリントアウトしてた分読ませるわ、仲直りするわ、思う存分PCに向かえるようになるわ……(笑)<長い! 長過ぎる!(-_-メ)

いや、ホントお客サマ、信吾さん、マイダーリン、そんで僕も。
皆さん、身体にメリメリ言わせるほど苦しい毎日をよくぞ頑張りました!(^_^)ヾ(^^ )ナデナデ キリスト者ではない僕は「メリメリ~苦リスマス♪」を贈ります。


2002年12月22日(日) 明日になれば

 やっと2学期の学期末が終わり……ます。@24日の終業式は不要だ!(><)

 そして、明日は葛山信吾さん福岡フリーウェイ!@ファンの集いだ! ♪~♪ d(⌒o⌒)b♪~♪ルンルン 嬉しい嬉しい嬉しいよぉ~~~~~(T∇T) ウウウ
 そうさ、この日の為にしんどい期末整理を頑張ってきたんだもの(T^T)
 明日はもう生信吾さんとの楽しいトークにアレにアレにアレにツーショット撮影会あり~の握手あり~の……Σ( ̄TT ̄)ブーッ!!@鼻血 (//∇//) テレテレ ヾ(>▽<)ゞ ウレシイ♪ ヽ(´ー`)丿ヽ(´ー)丿ヽ(´ )丿ヽ(  )丿♪ もう、トロけるバターになりそうな自分が走馬灯のように見えてきます。へ(゜∇、°)へ ケケケケ<逝きそうやな(謎笑)@普段が虎だしね(^^;)

 JRの便をやっと確認した。<明日やろ!? 同行Sさんとももうすぐ連絡つきそうです@何、須賀っちとマッスン目当てに三井に行ってんだよ!? とか、私には笑えない(--;
 いや、昨日ですね、行き付けの美容室に行ってですね、
「キレイにしてください!」<( ̄^ ̄)>
とか、バカなことほざいて店長を驚かせたのは俺です(_ _;)@いつもは「適当に、手入れ楽にしてください!」なのだが''r(^^;)ポリポリ
 そんでファンの集いでツーショット写真だのと話をしたら、
「どうして当日に来ないんですか!?」
とか笑われちゃって、「当日は朝早いから無理」って言ったら、「じゃあ、言う通りにブローして下さい!」って教わったんだけど、難しいの! o(><;)(;><)o ジタバタ@正しいブロー
「そんなことできません!」(T-T)
「じゃあ、明日来て下さい! ツーショットで写真撮る乙女心の為に行くんでしょう? 女心を忘れてはいけません!」
って、見事に店長のセールストークに乗っちゃって、二連荘で行きましたよ、美容院(爆)しかも、事情を知ってるお姉ちゃんが「笑う~!!」とか言いながらも、ノリノリでシャンプーしてくれて、
「トリートメントもお願いしますね!」
「リクエストのトリートメント行きます!」
等々、滅茶苦茶気合いの入ったブローしてくれた上に、
「ラメも入れちゃいましょうか?」
「Σ( ̄□ ̄;)ラメ!? ヽ( ̄ ̄∇ ̄ ̄)ノ 行きましょう! 行きましょう!」
と、不思議な乙女連帯意識で、ラメまで振ってもらいました(^^;)ありがとう!>S藤さん (*^.^*)エヘッ そんな訳で、明日の僕はラメ入りです(爆)

 次女(4歳)の七五三(@4歳だろ!?A^^;)の手配も無事お正月過ぎにできそうだ<それは既に七五三じゃないだろ!?@千歳飴の袋持たせて写真撮れば立派な七五三(大嘘)……と、実母の妹である叔母ちゃんが美容師なので長女ちゃん同様にお願いするつもりで電話したら、おかんがブッ飛んで来て、試しに着物を合わせて見たら、これがもうモノの見事にちんちくりん!![壁]TT)ダー 次女ちゃん、背ェ伸び過ぎ!! ええ、もうこうなったらそこらへんのレンタル写真館で間に合わせの写真取りますよ(T∇T) ウウウ<親失格この上なし!☆(゜o(○=(-_-○>


2002年12月17日(火) お願い!<(_ _)>

 「性と生について」(性と生について語り合おう!)コンテンツに、僕の生徒の叫びを書き込みました。(本人はPCを持っていないので)

 「徹」は中3の女の子です。受験生です。部活にも勉強にも生徒会活動にも、本当に一生懸命頑張っている生徒です。今日、国語の授業が終わった後、
「先生、相談があるんですけど……。読んでもらえますか?」
と差し出されたノートの内容は、僕が一昨日「愛なしでは生きられない」で予想していた通りの現実でした。

 僕は昨日、彼女のクラスの授業で言った。
「心が傷ついた人は誰かにそう言っていいんだよ。言わないままだと、大人になってからその傷が噴き出すよ。言えないなら書きなさい。悩みや苦しさを文字にして書きなさい。そうすることで初めて自分が理解できることもあるんだよ」
と、国語の教師として、悩み多き受験生に「書くこと」「読むこと」を勧めた。
 僕はいつも、3年生に対しては本音で話をする。「今」しかチャンスがないからだ。その言葉が自分に返ってくることは、あまり期待していなかった。でも、覚悟はできていた。
 ――発言しただけの責任は取る――
 それは人間としての、教師としての僕のモットーだ。

 彼女のノートを読んだ僕は、返事を書くことも推敲もできなかった。僕一人が簡単に解決できる問題ではない。これはただの文章訓練の作文ではない。彼女の魂の叫びだ。そして、彼女の母の、家庭の問題だ。けれど……。
 あれほどまでに頑張り屋の彼女の、どこにこれほどの悩みが隠されていたのだろう? 以前、国語の授業の中で僕が性の教育を語った時、こっそり恋愛相談に来た彼女に、僕は本気で答えたけれど……。
 彼女は、これほどの悩みを、自己の存在価値に関わるほどの悩みを、これまで誰にも語れずに来ていた。なのに、その悩みを何故、担任でもない、3年部の教員でもない、ずっと信頼してきた部活の顧問でもない、ただの教科担任の僕に打ち明けるのか!?
 それは僕が「語っていい」と言ったからだ。「語るべきだ」と言ったからだ。
 昼休みと放課後、少し彼女と話をした。僕のサイトに載せること、匿名を守ってその上で皆に語り掛けることの許可を得た。
 「徹」――今日初めて彼女が自分につけたHN。何と彼女にふさわしいHNだろう。何に対しても、徹底的に、徹頭徹尾頑張り通した彼女が選んだHNが「徹」という男名前であったことが、同じ女性でありながら一人称を「僕」で通す自分と重なって、ほんのちょっぴり切なかったけどね。
 帰宅後、僕はまず自分の日記の一部をプリントアウトした。僕にできるのはそれくらいだから。アドレスとタイトルを切り取って封筒に詰めた。@今の彼女と僕はあくまで「生徒と教師」だから。

 さぁ、あとは皆様よろしくお願いします! <(_ _)> どうか、徹に語り掛けてやって下さい。徹はPCを持っていないので、僕がプリントアウトして彼女に渡します。名前も知らない「あなた」の声を、徹は待っているのです。<(_ _)>


2002年12月15日(日) 愛なしでは生きられない

 葛山信吾さんソロ時代の歌のタイトルだけど、今、本当にそう思う。
 昔、ドクターからもらった本にもあったんだ、ラストに「人は愛なしでは生きられない」って項目が……。

 私のように「親」から十分な「愛」を与えられなかった人は、多分想像以上に多いと思う。「親」そのものが「愛」を知らないことは十二分に想定できる。そして、そういう「家庭」は、多分私が想像する以上に多いのだろう。

 でもね、きっと巡り逢える!
 敢えて私はそう言おう。「あなた」が生きていく以上、いつか必ず「愛」に巡り会える。いいえ、ただ「あなた」が気付いていないだけなのかもしれない。「あなた」の周りにある、沢山の、本当の「愛」に……。

 ダーに出会うまで、僕は「愛」を知らなかったと思っていた。でも、本当は生まれた瞬間から、僕は本当の無条件の愛に包まれていたんだって、やっと今日(!?)気付いた。
 哀しいけれど、ただ僕が理解できていなかっただけなのだけれど、それは、心が傷付いていた父と母からではなかった。いや、父は父なりに、母は母なりに僕を愛していたと、頭では理解できる。でも、それは僕の欲しかった愛じゃなかった。
 無条件にただ僕が僕であるそれだけで、僕が納得できる形で愛してくれていたのは、父方の祖父母と叔父達と叔母達と、そして兄。
 そんな、当たり前のことに気付くのに、37年掛かったり……。人間って、「愛」って、本当に難しい。でも、もつれた糸が解けてみれば、これほど簡単なこともなかったり……。本当に、生きていくって、あっけないくせにややこしかったりするんだよなぁ。

 僕はずっと兄と一緒に育った。妹だったから、当然兄を見て育った。何をしたら怒られるのか、どうすれば褒められるのか。僕は兄を見て学習しながら育った。兄は父方では初孫だったから、そりゃあもう舐めるように可愛がられた。本当に純粋で思いやりがあって、優しかった。
 2つ下の妹である僕は……哀しいけど純粋ではなかった。いつも幼心のどこかで計算していた。そして、自分でもそれを知っていた。自覚ある計算って、すごく哀しい。親戚に遊びに行くのも常に兄と一緒だから、「兄ちゃんと比べられている」っていう意識がいつもあった。兄は天然でも愛された。天使みたいな子だったから。兄はいつでもどこでも可愛がられた。「あの気の強い妹を可愛がるいいお兄ちゃん」だって。でもね、そうやって「あの」呼ばわりされていることを、哀しいほど聡い子どもだった僕は敏感に感じ取っていたんだよ。いつも比較されていることに、子ども心はとても傷付いてたんだよぉ……。ちゅーかさぁ、叔父ちゃん、叔母ちゃん、
「ホントにちゃむ(仮名)はどーしよーもねぇなぁ」
なんて言葉の裏が、「どーしよーもねーから可愛い♪」だなんて、子どもにわかる訳ねーじゃん!?(T_T)

 37歳になった今なら、叔父ちゃんや叔母ちゃんの態度や言葉や目配せ一つでわかるよ! みんながどれだけ、僕を心配し、愛してくれていたか。でもさー、子どもにはわかんなかったんだよ!!

 父の通夜や葬式で、
「愛情表現の下手だった親父が、いつも兄と『私』の自慢話ばかりしていて、どれほど愛していたか」 
 どーして話してくれなかったんだよぉ!? 
「ちゃむ(仮名)ちゃんの合格発表の日は知ってたんだよ。楽しみにしてたんだよ。でも、それも聞かずに死んじゃってかわいそうだった」
なんて、何故19年経ってから言うんだよ!? 母にも聞けずに自分を責めて、悩んで苦しんで、ビョーキにまでなった俺は一体何なんだよぉ!?(TロT)  その挙句、
「お前が『うつ病』のわけねぇ!」(≧∇≦)/ ハハハ
かよ?(いや、叔父叔母には今日初めて病名を告ったんだが)叔父ちゃん、酔ってたけどさ、僕は確かに昔から、「人前では元気」な子だったけど、あの母に育てられたんだぜ!? あんたらみんな、知ってたんでしょ? 母がどんな人なのかって。誰が父を心の病気から死(ま、事故死だが)に追いやったのか。だから、俺のこと心配してたんでしょ? 俺が母に遠慮して顔出さなかったから、本当のことを何にも言わないから。だから、みんなすぐ納得したじゃん!?(笑) ……ちゅーか、俺より頻繁にこっちに顔出してた兄よ、妹への配慮はいいから、ちゃんとみんなに説明しとけ(笑)

 乱暴な言葉の裏に無条件の愛情が隠されていたり、愛しているのにそれを上手く表現できない人がいたり、愛情を穿き違えている人がいたり、愛という名の従属を強いられていたり、愛という名の抑圧があったり……。難しいもんですな。

 でも、だからこそ、人は「愛なしでは生きられない」ものなんですよ。

 今日は、叔父叔母達への感謝を綴るはずだったのに、結局文句言っちゃったわ?ヽ(~~~ )ノ ハテ? いや、人間て自分でも訳わからんもんです(笑)


2002年12月12日(木) 偽善者?

 僕って偽善者なのかな?
 そう思われても仕方がない発信をしているかもしれない。

 僕をどうとらえるかはお客様の自由だ。誤解されかねない表現も多々しているとは思う。
 でもね、僕は本気。自分の恥も醜さも愚かさも欠点も語っていく。何より、それは自分自身と、共に苦しみ悩む方々の為に必要な作業だと信じているから。
 間違っていたら、教えて欲しい。そして、僕自身も勉強させていただきたい。


2002年12月11日(水) Σ(〇o〇;))))!?

 カ、カウンターが回ってる!?
 何でっか? 何事でしょうか!?<とことん僻地根性が身に染み込んだ管理人だな┐(´_`)┌フッ
 「性と生を語ろう」を某掲示板リンクと、超人気サイト某様掲示板にURL載せたせいでしょうか?<他にどんな理由があると?

 まぁ、微力ですが、僕なりに精一杯対応させていただこうと思いますので、[壁]TT)カキコよろしくお願いします(滝涙)<寂しがり屋さん♪

 今日、管理職から「スクール・セクシュアル・ハラスメント防止」研修会第2弾がありました。セクハラ野郎(笑)のA教頭からの自主作成資料と解説です。一通り解説と研修を終えたところで、A教頭、
「何かご意見ありませんか? 」|_・;) チラリ>僕(爆)
 ええ、勘弁してやりましたよ(笑) 僕の渡した資料も活用していたし、前回の校長による漠然とした訳わからん研修よりは簡潔かつ具体的でわかりやすかったし、意見も抗議もしませんでした。勿論、職員会議が終わった後で、留めの念押しは入れましたけどね。不備を指摘して、感想として提出もしましたけどね(笑)<鬼!
 武士には情けも必要です。何しろ敵はこの分野に対しては、図部の素人なんですから、今日は誠意を汲んで容赦してやりました(笑) 無論、攻撃の手は休めませんけどね。だって、現場の意識改革なんて、一朝一夕でできるものではありませんから。手を変え、品を変え、僕はやっていきますよ!(≧ ≦)Ω ヨッシャ!

2学期の成績出さなくっちゃ~(T^T) ちゃむセンセ、今夜も少し頑張ります<ゞ( ̄∇ ̄;)おいおい「少し」かよ!?


2002年12月10日(火) やっちゃった!

キャー q(≧∇≦*)(*≧∇≦)p キャー♪
恥ずかしながら、コンテンツの一つを「性と生について語り合おう」に改装しちゃいました!(〃∇〃) てれっ☆

 僕は特別に「性の教育」の専門家って訳じゃない。でも、少なくとも他の先生達よりは学習している。県下の女性差別と闘う小中学校の先生達と、10年一緒に勉強してきた。「女子教育もんだい」と称されたその研究会は、最近「両性の自立と平等をめざす教育」と名称変更された。
 そうだよね、女の子も男の子も変わらなくちゃ、21世紀は素敵な時代になれないよね。「女だから」「男のくせに」って、ずっと言われてきたよね。「女らしさ」「男らしさ」に囚われて、女も男も苦労してきちゃったよね。
 だから、そんな困っている子どもたちや大人たちとの語り合う場を開きたかった。「真実を教えてもらえなかった」子どもも大人も悩んでいて、困っているよね? だから、「みんなで語り合いたい」んだよね。でも、私1人が「せんせい」な訳じゃないからね。みんな助けてね。困っている、悩んでいる人を、みんなで助け合おうよ。そんなコンテンツを目指して、私もできるだけ、頑張っていきます。
 皆様、ご協力よろしくお願い致します。ぺこ <(_ _)>


2002年12月07日(土) やってみろよ

と、自分に向かって言ってみるテスト(笑)

 うん!(^-^)
 今、やりたいこと、いっぱいあるんです。何度も挫折し、現状に絶望し、傷ついて二の足踏んでいたけれど、今、時代が、10年の月日をもって、私たち(先駆者)に追い付いたんだと思います。今、時代は追い風です。

 だったら、「やってみろよ」@葛山信吾さんの歌のタイトル>自分
 うん!(^-^)
 今ならできるかもしれない。私だからできること。私にしかできないこと。すっごく小さな手だけれど、それでも「あなた」に差し伸べる「手」があるのだと、私は語っていいのかもしれない。

 私は公立中学校の教員です。

 親から精神的虐待を受けた、
幼少時に性的いたずらをされた、
中学校でいじめに逢い、登校拒否したことで教師によって更に深く傷つけられた、
家族の歪みを一番弱い存在である私に押し付けられた、
大学時代は痴漢や強姦寸前の目に逢い、性被害を受けた、
心を病み、深く傷つき、それでも立ち上がった、
サバイバー(生存者)の1人です。
 それでも元気に、今日も笑って生徒に「いきる」ことを語ろうとしています。

 近々「語り合おう」コンテンツを開こうと予定しています。
 私1人が背負い切れるものではない、見知らぬ「一人ひとり」の苦しみを、切なさを、悩みを、語り合える場を開こうと思っています。

 でも、まだ期末テストの採点が残っていますA^^; 2学期の評定も今からです。明日はまず仕事をやってみろよ!?>自分(苦笑)
 改装はその後になりそうです(^^;) そんでもって、全然大丈夫じゃない私の予定は未定です(滝汗)

 今、頭の中にあるのは、「性と生を語ろう」と「心の病気は恥ずかしくない」みたいなの……。
 デリケートな分野だからこそ、もっと勉強して、より自由に語り合える場を作りたいな、と思っています。慎重に作りたいな、と。

 さて、これまで通り全然大丈夫じゃない管理人ちゃむですが、まずは職業カムアウトから第一歩!と。
 全然大丈夫じゃないからこそ語り合いたいな、と思っとります。@だって、みんなそんなに丈夫じゃないでしょう?
 こんなヤツで構わないから、何か「実は誰かに話してみたいこと」ある方、まずは掲示板へ、カキコしてみませんか?
 私なりに、それからみんなで精一杯語り合っていきたい、とか思っております。


2002年12月05日(木) 鼻からカメラ~♪

 マジっすよ!!(><)
 ギャグとかネタじゃないんすよ!o(><;)(;><)o
 11月からず~~~っと続いていた「声枯れ」がどうにも治らないので、
「これはもう、風邪じゃない。のどの病気だ!」
と確信して、耳鼻咽喉科(第1変換が「淫行」かよ!?>マイPC( p_q) シクシク つか、「耳鼻淫行」って、マニアック過ぎや!@そーゆープレイがあるのかも不明)に行きまして、状態とか結構詳しく話しました。子どもの主治医でもあります、厳しくも優しいお医者様です。
「煙草1日2箱、ビール350ml×6本」とか、正直に問診票にも書きましたです。それくらい、声がかすれてるですよ。
 ライブの折も、咳は出るわ、痰は出るわ、声はハスキーだわで、同行Sさんには大変ご心配をお掛けしました。信吾さんのライブの邪魔にならないか、不安でたまらなかったんです。うまいこと、ミュージシャン信吾さんの為の適度な加湿器が効いたようで、MC中はなんとか邪魔にならなかった……と思いたいです[壁]TT)@Sさん、隣席の方にはご迷惑お掛けしましたが。

「カメラでのどを見てみましょう」
Σ(ノ°▽°)ノハウッ! 咽喉カメラっすか!? ドクター? それ、僕、初体験なんすけど(--;
「胃カメラほど苦しくないですよね?」|-*) ソーッ<実母と同居したストレスで十二指腸潰瘍起こして、胃カメラ飲んだ経験あり。(苦笑)
「あ、細~いカメラですから、てんで大丈夫ですよ♪」
 本当ですね? その言葉信じますからね、本当なんでしょうね? ( - ゛-) ジッー
 そうして、細いコードを差し出したドクターにア~ンと口を開いた僕に向かって、彼は慣れた手付きでおもむろに、左の鼻の穴にカメラ(極細)を突っ込みやがったんですよ!!(TロT)<口を開けた僕の立場は!?(泣笑)
 微妙な痛みもありましたが(今だに奇妙な感触が残っていますが)、「え~~~~」と発声させられ~の、大きく息を吸うだの吐くだのされ~ので出た病名は、
『せいたいけっせつ』?(。゜)(゜。)?ハッ? 何すか、それ!???
 ま、しゃべり過ぎの煙草吸い過ぎが原因であることくらい、僕でもわかってました。でも、意味わかんない。漢字に変換もできない……。正直、「ポリープで沈黙療養させられたら仕事どーしよー!?」って思っていたんですが、予想外の病名に??(^・^;)??状態でした。
 証拠の咽喉写真(別に欲しくねーよ! そんなもん(T-T) グスッ)に漢字で病名書いてもらいました。「声帯結節」だそうです。

 そんで、今後の治療は、
 ①「できるだけしゃべらないこと!」
  く("0")>なんてこった!! 僕の仕事は喋ることなんだよ!? 無理だよ!! う~ん、職場に相談して、何とか工夫しよう。家族にはもう説明した。
 ②「煙草をやめること!」
  (ノ;;)ノ エグエグ! そんなことができるもんなら、15年以上も主治医に怒られてません……と事情を話すと、『できるだけ煙草を控えること』に条件緩和されましたが、結果一緒だし[壁]TT) 「禁煙!」と誓った2分後、帰りの車の中で煙草に火点けたバカは俺です(T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル~~~~~
 ③「うがい薬で1日3~4日うがいする!」 
  ( ̄▽ ̄)v それならできます。
 ④「薬を服用する!」
  v( ̄∇ ̄)v 超得意分野ですがな♪

ド「ガンじゃありませんから!」Σ(◎0◎)はっ!? ガン!? 何をおっしゃってるんですか!? ドクター?
ド「のどの病気の場合は、まず咽喉ガンを疑いますが、ガンではありませんから、きちんと申し上げておきます」
僕「このまま悪化したら、ポリープ?」
ド「そうなりますね」
僕「ポリープの場合は切除?」
ド「手術になりますので、きちんと自己管理してください」

 (O.O;)(o。o;)(O.O;)(o。o;)
 チャラリ~~♪ 鼻から牛乳~~~♪
  (↑いや、そんな場合じゃないってば!!)

 何だか気分は「真珠夫人」第3部の瑠璃子さん<大袈裟
 肺ガンはね、ある程度覚悟してたのよ。15歳から煙草吸ってたヘビースモーカーだから。<そのくせ一番軽いフロンティアを吸っている辺り、微妙に逃げ腰(笑)
 マジ、「ビョーキ」に逃げてたなぁ、俺。「ストレス防止」という名目で、無茶してきちゃったなぁ~(ー_ー;)
 健康管理……子ども達の為にしなくちゃいけないな。こんなんでも「母」なんだから。自分の為になんかはかけらもする気にもなりませんが(--;<そこがオカシイんです!

 ※近々、僕の職業(バレバレだっつーの!)カミングアウトします。そんでもって、少々コンテンツを変更します。僕にできることの一つかもしれないから……。


2002年12月04日(水) 「ありがとう」の気持ち

 もしかして、カウンター回ってます?A^^;
 トップカウンターが微妙に回ってる気がするのは、僕だけでしょうか? つか、小学校1年生の長女ちゃんの宿題が、繰り上がりの足し算と繰り下がりの引き算の混合になってきて、丸つけする「親の算数能力が試されているのか!?」と冷や汗かいている僕の思い過ごしなのでしょうか?(笑えない(--;)

 信吾さんのライブに行って来ました。
 またも同郷Sさんと一緒です。ホント、Sさんなくしては、これほど追っ掛けする度胸(笑)は持てなかったと思います。ありがとうございました。
 ライブで逢えると思っていたMくんとも逢えました。地元信吾ファンオフ会を開いて下さったMくんのおかげで、同郷の信吾仲間ができました。ありがとうございました。
 信吾さんのライブ、「5列目33番」というチケット、実は前から3列目でした。前2列は撮影の為、撤去されていたんです。ルート様、信吾様、ありがとうございました。爆裂感謝感激でした!(T∇T) そして、僕が毎朝通勤途中に、自分を励ます為に聴いていた歌を、生で唄って下さった信吾さん&板さん&ブリックス&スタッフの皆様、本当にありがとうございました。涙があふれて止まりませんでした。「しんどかったけど、頑張ってきてよかった!」「また逢えると信じていてよかった!」そう思わせてくれた信吾さん、ありがとうございました。
 ライブ後、絶対いると信じていたTさんと抱き合いました(爆) 何故お互いの姿を見つけた途端、一言の言葉もなく抱きしめ合ったのでしょう?(笑) まるで瑠璃子と直也のようでした。2人に言葉は要りませんでした。これもMくんのおかげですね。7月以来の再会に、僕なんぞを抱きしめて下さったTさん、ありがとうございました。
 会場を出ると、7月舞台の共演者の方々とばったり出くわしました。最初は気付かなかったんですが、「甥っ子はい~ですか~?」と叫んで下さった甥っ子兄弟役の方の声で、「中野さんだ!?」気付いてとアタフタヘ( ̄□ ̄;)ノ ヽ(; ̄□ ̄)ヘアタフタしてたSさんと僕に、中野さん役の峯村さんを突き飛ばして下さった(笑)甥っ子さん役の鈴木さん・伊藤さんのおかげで、峯村さんと握手ができました。
「K・プロデュース第2弾にも必ず出ます!」(あるんですね!? あるんですね!?)
とのお言葉に、
「舞台楽しかったです! 信吾さんの次に応援します!」
という僕のバカ正直な(つか、無礼な)発言にも笑って下さった峯村さんにありがとうございました。
 出口に何だか輪ができてました。何かな~?と覗いた真ん中にいらっしゃったのは、何と高寺P!?(実は入場シーンも目撃しちゃったのは僕)2階の招待客席に上がったのは見たのですが、まだいらっしゃるなんて!? (@@;)ぱちくり 「書くものがない!? ペンがない!?」と(TT; )( ;TT) オロオロするSさんを、
「フロントに行ってもらってくるのよ!」
とパシリに使ったのは僕です。''r(^^;)ポリポリ その間に「パチンコの景品でもらったバッタもん臭いプラダのバッグの中に証明書っぽいカード」を見つけた僕も、サインの列に並びました(ゞ( ̄∇ ̄;)おばさん……?)皆さん、高Pを応援していらっしゃいました。高Pを励ましていらっしゃいました。まだ映画化を待っているファンがいるのだと、一生懸命伝えていらっしゃいました。でも、僕には言えませんでした。誰よりも望んでいるのに、それを実現できない辛さを、僕は知ってしまったから。1人の想いではどうにもできない現実があるのだと、僕は知ってしまったから。プラダのカードに多少ビビった(笑)高Pに、僕は言いました。
「私たちに『クウガ』をありがとうございました!」
そして、握手させていただきました。過去の助動詞を使いました。でも、『クウガ』は僕の中では決して過去形になることはありません。映画化はすごく大変なことだと思うけど(もしかしたら、無理かもしれないけど)、でも『クウガ』は確かに私たちの中に残った。それだけは確かなことです。だからこそ、私たちは葛山信吾さんにも出会えて、こうして仲間が増えて、僻地からわざわざ癒してもらいに上京してくる。全ての出会いは高Pだったかもしれないから……。ただ、「ありがとう」の気持ちを伝えたかったのです。

 お義母さんの1周忌にライブ上京を許してくれたダー様、ありがとう。疲れて、逆切れして、傷つけてしまってごめんなさい。でも、あなたがいるから、帰って来られるの。あなたがいるから、生きていけるの。
「ありがとう」


2002年12月02日(月) ご褒美

頑張った自分にご褒美の東京ライブ。
信吾さんの魅力に昇天しそうになりました。
毎朝通勤時にCDを聴きながら、信吾さんに元気をもらっていた曲を再び生で聴けて、涙があふれました。
信吾さん、あなたのファンでいられてよかった。
幸せです。


2002年12月01日(日) 体調サイコー!

体調すっかりよくなりました。<取り合えず今朝は(^^;)
ドクター、やっぱり名医だぜ!
今回参加を見送られた乙女の皆さん5人分くらいの想いを背負って<重過ぎ(笑)
ちょっくら東京まで行ってきます!
待っててSさん、待ってろ空港、待ってろよ、羽田空港、東京厚生年金会館!
そして……信吾さん☆彡  \(^^(^^*)
では、薬も持って、お義母さんの遺影にしっかりお祈りして、
行ってきます!


ちゃむ |MAILHomePage

My追加