★悠悠自適な日記☆
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2004年08月28日(土) 「あげる」→「したい」「する」=愛情

・妻が旦那に食事を作って「あげる」
・彼女が彼氏の部屋を掃除して「あげる」
・犬の散歩をして「あげる」

 私達は親切心からよく〜して「あげる」という表現をよく使います。しかし、私はこの言葉に少し疑問を持っています。この表現の中には、なんだか義務や見返りのようなものが求められている気がするからです。

・妻が旦那に食事を作り「たい」から「作る」
・彼女が彼氏の部屋の掃除を「したい」から「する」
・犬と散歩が「したい」から「する」

 このように、少し表現を変えてみます。前者と違うのは、間に自分の気持ちが入ることです。私が「したい」から「する」。こうすると、義務や見返りよりも、私の思いやりが含まれて、物凄く愛情を感じられるのです。

X妻が旦那に食事を作ってあげる。
○妻が旦那に食事を作りたい。だから作る。(それは、旦那を愛しているから)

X彼女が彼氏の部屋を掃除してあげる。
○彼女が彼氏の部屋を掃除したい。だからする。(それは、彼を愛しているから)

X犬の散歩をしてあげる。
○犬と散歩をしたい。だからする。(それは、その犬が大好きだから)

 後者の方が、見返りよりも、自分からの思いやりや愛情が動力になっています。〜して「あげる」のではなくて、私がその人に対して持っている愛情故に「したい」と思い、「する」。

 私はずっと、そんな人間になりたいと思っています。

 見返りを求めずに愛せる人間になりたい。


2004年08月23日(月) ♂まぐろ♀

白い天井を眺めながら、私はずっと考えていました。

わたしは いま なぜ なんのために だれのために ここにいるのか
わたしはどこにいってしまうのか
わたしのきもちはどこへむかっていくのか

私が私である不安
私じゃなくても代わりはいるかもしれない…という不安

何度も目が合うのに言葉が出ない。
決していい加減な気持ちだったのではなくて、
私の正直な気持ちなわけで、
そうなったことはちょっと嬉しくて、
でもその気持ちをぶつけるほどの勇気は持ち合わせていなくて、恐くて、できなくて。

ドキドキともやもやでなんだか満たされない眠りを
私はその腕の中でしてしまいました。


2004年08月18日(水) リーダーのお仕事!!

 私は先週行われた授業の実習でリーダーに任命され、5月頃からずっと会議等に参加し、助教授とメンバーと先輩の間に立って準備や指揮を取り進めてきました。そこで私はずっと考えていたことがあります。(な〜に〜!?)

 私は何かとリーダー的なポジションに就くことが多いです。中学1年生の1学期、たまたまジャンケンで負けて決まったクラス代表から始まり、生徒会、高校では部活の部長、そして大学に入った今でも何かと小さな企画の班長やらリーダーとして会議に駆り出されます。なんだか先輩陣の噂によると、このままいけば2年後、学科の制作チーフになるとかならんとか…。(学科内のチーフになってしまえば学内業務に追われて自分の公演が打てなくなるんじゃないかって危惧しているのですが。ま、今のところどーでもいいや。自分の仕事を誠実にするだけ。)

 私は元々そんなにしっかりしている訳ではないし、人付き合いが上手な訳でもありません。それ故に小学校、中学校ではかなり色んな人とクラッシュしてきました。私が指揮を取ることで、それを良く思わない人に嫌なことを言われたりされたり、それでちょっとの間学校に行けなくなったり…。

 最初からこういうポジションに向いていて、温和に仕事をバリバリこなせる人もいました。でも私は不器用で、だけど正義感だけはいっちょまえで、小心者の癖に思ったことをズバズバ言ってしまう。自分の気持ちを正直に言う方が相手に伝わるものだと信じていたのです。

 でも、自分よがりの誠意なんて伝わりっこないのです。リーダーのポジションに就く数をこなせばこなす程、また、先輩の仕事ぶりを見たりバイトで従業員の一人として働けば働く程、不器用な私にも少しずつ色んなことが見えるようになってきました。

 リーダーというポジションは、権力があることではなく、指揮を取るポジションにあるというだけのことなのです。偉い訳ではなくて、数ある業務のひとつです。野球で言えば、キャッチャーに近いかもしれません。リーダーはまず、そのことを指示を与える側に理解してもらえるような振る舞いや気遣いから始めなければなりません。

 リーダーは状況判断をし、指示を出すことが仕事です。そしてその下で働く人はそれを理解して、時に自分の思い通りに行かなくても、自分の気持ちを押し殺して協力することが仕事を進める上での近道です。「アイツは指示を出すばっかりで、俺達は働くばっかりかよ!」なんて思ってはいけません。どっしりと腰を据えて全体を見て指示を出すことがリーダーの仕事なのです。リーダーにちまちま動かれたのでは帰って効率が悪いです。

 誰かの下で学んだり、働いたりするということは、それが自分の意志であろうとなかろうと、その人に協力するという覚悟をすることです。中途半端にやっていては何も学びとることはできないし、方向性も定まりません。

 私の学科には、曲者と呼ばれ、先輩方から敬遠されている助教授がいます。だけど私はその助教授の授業を履修しました。履修したということは、その助教授を信じるということ。覚悟を決めて、じっくりとその助教授の言うことを理解しようとすれば、少しずつ、良いところが見えてきますし、不満があってもその伝え方を考えることができます。今では私はその助教授のことが大好きです。

 私は今、先輩の下で制作の勉強をしています。本当は音響がやりたいと思っていました。でも、覚悟を決めてじっとその先輩の言うことを信じてみるます。するとその仕事の楽しさが見えてくるし、先輩のいいところもたくさん見えてくるのです。今では、制作でよかったな〜と思います。

 自分がどういう役割をもって、何をしなければならないのか。全体を見て、相手を気遣うこと。それを常に心に留めておけば、集団は円滑に動くのかな〜と思います。でもみんながみんなそれを理解しているわけではないから、リーダーはそれを伝えることを考えなければならないわけで。やっぱり難しい!リーダーってやっぱり大変だ!


2004年08月17日(火) あいせない。

 私は、家族を愛せません。

 それは、家族に対して意地になっているとか、反発しているとかではなく、何かが欠落しているような感覚です。嫌いなのではなくて、何も思わない、思えないということです。

 例えば大好きな人が風邪を引いて苦しんでいたら、なんとかして元気になってもらいたいと思うし、その人が苦しんでいるのを見ていることができません。友達や好きな人に対してはそんな感情が自然と沸いてきます。

 しかし、母や父に対して、何故かそういう感情が起こらないのです。熱が出て、しんどいと訴えられても、「じゃあ薬飲んで寝とけば?」くらいにしか思えないのです。病院に連れて行って欲しいと言われたら、私は連れて行くでしょう。でもそこで、私はある感情が欠落しているのです。同じ家族でも、弟やおじいちゃんに対してはその感情が沸いてくるのに、父と母にはどうしても沸かないのです。

 幼い頃、母は私の苦痛の叫びを聞き入れてくれなかったし、私も両親の期待を裏切りました。そして、父は母と、子供(私と弟)を裏切る行為をし、私は父の娘であることを、母は私の母親であることを放棄しました。気がつけば、私達親子の間には何もありませんでした。

 私を産んでくれたこと、育ててくれたことにはとても感謝しているけれど、でもそれは私にとって、TV番組にスポンサーが付いているのと同じ感覚なのです。お金の援助をしてくれて、ありがとう。

 友達は、母親は友達のような存在で、相談にのってもらったり、一緒に買い物をすることはとても楽しいらしいです。でも私は母と30分以上の買い物はできないし、家族で食卓を囲んでも、ちっとも楽しいと思えないのです。絶望はないけれど、そこに愛もありません。この部分の欠落が、まるでとても人間として欠陥があるようで、それを目の当たりにするのがつらいのです。

 私は元々インドア派で、家に篭っているのが好きです。しかし、私は家で家族と共にすると、自分の目が暗くすさんでいくのが自分で分かります。愛したいのに、愛せない。だから私は、他の人から明かりを分けてもらうために外に出ます。そうやって自分本来の目の輝きを保たなければならないのです。

 忙しい毎日を送っていると、ふと安らぎが欲しくなります。だけどそれを私は家に求めることはできなくて、私はなるべく一人になれる夜の遅い時間を狙って帰り、生活の時間をずらしています。親と同居しながらも別居のような生活です。

 一度崩壊したものを修復することは不可能です。それならば私は家を出て、一人になりたいと思います。でも、一人になるだけではきっとダメです。誰かを真剣に愛したいです。愛して、愛して、どうしようもないくらい愛しい気持ちを、家族との間に築きあげられなかったその気持ちを、そんな気持ちが私の中にも宿っていることを確認しておかないと、私は、家族だけでなく、心の底から人を愛することができなくなってしまうような不安に駆られるのです。

 私は電池の抜けたおもちゃにはなりたくなくて、心の底からの動力をぶつけたいのです。

 好きになりたい。愛したい。触れ合いたい。心の底から。
 


2004年08月12日(木) あいしてる!

 みんなは私に優しいと思います。とても、とても。

 大学の先輩はとても私によくしてくれます。よく声をかけてくださいます。挨拶は当然ですが、それ以外のことでも「実習は順調?」などと気遣うように声を掛けてくださったり、友達のノリで楽しく話しかけてくれたりします。

 クラスメイト(私の学科は人数が少ないのでどの授業を受けてもメンバーがほぼ同じなのです。)も私に優しいです。朝教室に入るとみんなが笑顔で「シマコ、おはよ〜!」と声をかけてくれます。私のことを「中嶋さん」じゃなくて「シマコ」って呼んでくれます。

 高校の友達も、離れて住んでいてもよく私を遊びに誘ってくれます。演劇部時代の先輩も、今でも私を可愛がってくれます。仲良しです。

 アルバイト先のお兄さんも、お姉さんも、私が仕事をキチンとこなせるように、色々配慮してくださっているのがわかります。

 そうそう、助教授も私に優しいです。研究室にお邪魔すれば色んなお話をしてくださいます。そして私に私が将来外に出て行けるタメにチャンスを与えてくださいます。(でも単位はなかなか与えてもらえません。)

 みんなが私に優しくしてくれます。私が何をしたわけでもなく、何ができるわけでもないのに、ちょっと目をかけてもらっている気がします。これまでそういうことに縁がなかったのでちょっと手に汗握ってしまいます。

 ちょっとした一言でも、そこにその人なりの優しさが見えれば、私はとてもドキドキして、心がぽわぁ〜っとなります。そしてそんな瞬間を決して見逃したくないと思っています。男でも女でも胸キュン!

 私はお世辞でも人類皆兄弟とは言えないし、その人の全部を愛したりすることはできないけれど、そういう、その人の中から自然と出てくるさりげない優しさに触れてしまうと、その人のその部分が愛しくてたまらなくなってしまいます。

 そうすると、今度は自然と私からもその人に優しくしてあげたいな、愛したいな!という気持ちが沸いてきて、なんだかほんわかほくほく。私は恵まれています。物質的な豊かさではなくて、人との出会いに。

 でも、みんなはわたしにこんなに優しくしてくれるのに、モテないのはなんでだろな〜…と思う今日この頃(笑)。私から愛さなければならないのだろうな。でも、こればっかりはいつになっても臆病で、恐い。困った困った…。


2004年08月09日(月) わたしはつよい

 ♪最近わかったこと〜アタシはつよい〜♪(C7 byGO!GO!7188)

 私の大学の学科には夏休みの勉強会というものがあり、3回生の先輩が中心になって1回生の私達に2週間、学内のスタッフワークについて学びます。そして私は制作チームに所属しています。

 で、今日はその制作チームで飲み会がありました。私達は勉強会中で予算の金額予想ゲーム(あらかじめ各ヅタッフの予算額を予想し、一番近い金額を当てた人が勝ち…というゲーム)私は見事優勝することができたので特典として今日の飲み会は制作チーフが半額負担でした。(チーフありがとう!)

 飲み会はおいしく楽しく時を過ごせたのですが、私はいつも飲み会の席で悩むことがあります。それは「酔っちゃった♪」ができないということです。

 私はどうもお酒が強いみたいで、カクテル7杯くらいまでは全然酔いません。いつも体よりも先に財布に限界が訪れるので、自分の限界がどの程度のものかもわからないし、さすがに先輩に囲まれた席でビールや日本酒に手を出すわけにもいきません。(いや、これらは飲めないのですが。)周りの雰囲気に流されてテンションは高めですが、それでも全然シラフなのです。足元もロレツもしっかりです。

 私は思います。普段どんなにいかついキャラクターの人でも、少しお酒を飲んで顔を赤くしている人は色っぽいのです。ガハハハと笑っていてもカワイイのです!このお酒特有の色気は真似しようがないのです。お酒に強い私は顔が赤くなることもなければ色気も出ません。皆とお話をすることはとても楽しいし、ご飯もお酒もおいしいけれど、「酔っちゃった♪」ができないのは少し悩みです。

 私は強いです。演劇ワールドに入るとちょっと強いです。今日の予算会議、突然進行をまかされて、初めてなのに同回生、先輩相手にガンガン口を出しました。同回生の子達は、そんな私を見て「恐い!」とビビっていました。上回生には生意気!と絶対に目をつけられたに違いありません。

 でもそれはそうすることが仕事で、それくらいの勢いと、貫禄を示さなければ、制作の仕事においても、芸術という分野での主義主張を貫く事はできないと思っているからです。その場に合った対応の仕方で接しているだけ…だと私は思っています。

 私自身は、本当はすごくぼんやりしていて、時間の浪費が大好き。要領が悪くて、方向音痴で、電子レンジや洗濯機が回っているのをじぃ〜っと見て他のことができないようなドンくさい子です。それでも自分が働かなければならない場面になると、背筋がピっと伸びて、頭がフル回転を始めます。(もとがぼんやりしているのでボロは出ますが。)

 みんなは働く私を見て「強い・いかつい・恐い・しっかり者」というイメージを抱きます。お酒も強いから、余計にそんなイメージが強くなるのでしょう。

 「本当は私、弱いの…。」と言いたい訳ではありません。働く私は私の強さで、そんな私を私は嫌いではありません。ただ、一度強いというイメージが付きまとうと、その場ではずっとそのような振る舞いをしなければならないような妙なプレッシャーに晒されるのです。そうすると恐くなくて、ぼんやりした私の出番はいつ?っとなってしまうのです。ちょっと悩みます。


嶋子 |MAILHomePage

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