★悠悠自適な日記☆
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2004年07月11日(日) |
晒し者型笑いと努力型笑い |
人を笑わせることが好きで、いつも集団の中心にいて、誰もから愛される人物。逆に人前に出て自分を表現をすることが大の苦手。いつもクラスの隅っこで本を読んでいる人物。さて、今一度舞台に立ち、何か面白いことをやれ!と命じた時、どちらの人物の方が笑いを取れるでしょうか。
これは、意外にも後者だったりします。間違いなく。
どちらが面白いことをやっているか、そのテクニックが問題なのではありません。舞台に立っている者よりも、それを見ている者がどちらを見たいと思っているか。こちらにある気がします。
人というものは残酷なもので、「私を見て!!」と頑張っている努力型よりも「恥ずかしいよ〜!人前に立つのなんて嫌だよ〜!」と晒し者になっている者を見たいと思うのです。晒されて笑われている者は自分の代わりをしてくれている。自分でなくてよかった。その安堵感から起こる笑いかもしれません。
そして、この現象は晒し者と同じくらい、笑いを取ろうと頑張っている者にとっても残酷です。サービス精神を旺盛に、皆に笑ってもらおうとあれこれ計算して演技をしているのに、何もしない奴がふっと笑いを持っていってしまいます。残された自分は凄くサブイ人間として見る者の目に残るのです。あぁ、嘆かわしい…。
私はどちらかと言えばこちら側の人間です。ふとしたことで笑いを取ってしまうと(正確に言えば、「笑われた」だけなのですが。)サービス精神旺盛な私は、次同じ境遇に立った時、やっぱり面白いことをして皆を笑わせなければ、あるいは笑わなければならないと意気込んでしまうのです。で、今度はあれこれ計算して挑むのだけれど、それがいかんせん面白くなくて…イタタタタ(爆)お調子者なのです。
何にもしないところから笑いが生まれ、次にいざ笑いを取ろうと意気込むとそれは面白くなく、その矛盾が笑いの難しいところで、残酷な部分です。
時に努力と勢いで面白くないものを面白いものに変えてしまう人達もいますが、それはごく一部の人間です。まぁ、笑いをどうしても取りたい人間はそれくらいの志が大切なのでしょうが。私の私生活レベルの笑いですらこんなにも緊張感漂うのに、芸人さんはそれを職業にしているのだから、大変やなぁ〜と思います。
2004年07月06日(火) |
信頼関係築けますか? |
人の信頼関係なんて、そう簡単に出来上がるものではなく、いくらこれから仲良くしようね、頑張ろうねと言い合っても、ふとした振る舞いで、あぁ、私はまだ信用されてないんだな…と痛烈に感じたりする。痛い、痛い。だったらどうするか。まず、私が動かないといけないんだなぁ…。
私は拒絶されることがとても恐いと思う。ちょっとしたことで、人に不快感を与えてしまっていたらどうしようと、その日は他のことが手につかなくなったりする。超小心者。
どこまで自分を出していいのか、いつもその加減の調節で苦しむ。自分を出さないと表現なんてできないわけで、けれども我を通せば輪が乱れるかもしれなくて、協調性と自己主張との間でもがき苦しむ。私だけじゃなくて、人って誰しもそんなものなんだろうけど、場所が芸術なだけに、よけいに、そう、おもう。いつも、いつも、なんだか恐いと思う。好きなんだけど、好きなだけに、拒絶されたときのショックが大きい。だから、好きという気持ちと同じくらい、恐いと思う。
もんもんもんもんもんもんもんもん…。
私は友情とか、みんなで何か作るっていう響きがすごく好き。できるだけ皆の意見を尊重し合いたいなと思う。それは心から思っていること。
でも、何かを生み出す者として、どうしても譲れないものもある。それはたとえ友情であっても決して譲歩できない。私にとって友情・協力という言葉は1番にはならない。その罪悪感がずっと自分の中に重くある。
要は私のそんな部分を、他者のそんな部分を認め合えるような関係が築ければいい。でもそれは凄く時間のかかること。
好きだから、嫌われてしまうのが恐いと思う。だけど、もっとずっと一緒ににいて、お互いのことをわかりたいと思う。私が本音を話せば、相手も本音を見せてくれるだろうか。そんなことをずっとドキドキしながら考えている。
クリエーターには向いてない性格だなぁ…。
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