★悠悠自適な日記☆
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2004年05月11日(火) |
だから私は今日も鏡を見つめる |
昨日、授業で「子供が泣いてしまうような恐ろしい顔を一瞬で作れ!」という課題がでました。
普段生活をしていると、顔が歪んでしまう程醜い顔をして怒ることなんかほとんどありません。それ程怒ることはあっても、私達はそれを顔に出さない訓練を日常の中で身につけてしまいます。だから出来そうで意外とできません。しかも全員の前で一人ずつ発表。先生がOKを出すまでやり続けなければならないので、どうしても恥ずかしさや照れが出てしまいます。
でも私はこの課題が出た時、ひそかに「イケル!!」と心の中でガッツポーズを取りました。案の定、一発で合格。かなり笑われた気がするので、私は相当醜い顔をしていたのでしょう。
先生は後で私に「出来ない子にアドバイスをしてやって。」と言われたので、私はクラスの皆に「これまでに一番腹が立ったことを思い浮かべて、自分の顔をぞうきんだと思って搾るといいと思います。」と答えました。
でもそれ、ウソです。先生、クラスのみんなごめんなさい。私は顔を作りながら、これまでに一番腹が立ったことなんてちっとも頭に浮かばなかったし、自分の顔をぞうきんだと思うという表現も、後で他の人の顔を見てとっさに思いついて出た言葉です。そんなこと微塵も思っていません。私の場合、そんなことを考えなくても、最初からできるんです。こう言ったらイヤな子と思われるので言わなかっただけで。
私は自分の顔が大した顔ではないことを知っています。目が一重だとか(実際は奥二重なんだけどさー。)鼻が低くてブサイクだとか、顔が丸いとか、唇がぶ厚いとか散々言われてきたし、それは自分でも十分承知。昔からずっとそれは、今でもコンプレックスとして自分の中に存在しています。
過去に、私は笑えなくなったことがあります。思いっきり笑った自分の顔が写った写真が物凄くブサイクで、周りの女の子は皆可愛いのに、自分だけがこんな顔を乗せて歩いているのかと思うと恥ずかしくて恥ずかしくて、写真に自分の顔が写り、それが未来に残されていくのかと思うと耐えれなくなったのです。
そこで私は、暇さえあれば鏡を見るようになりました。可愛い女の子は何をしていても可愛いけれど、可愛くない私は可愛く写る努力をしなければならないと思ったのです。どの角度で、どのくらい目を開いて、どれくらい口を開けば自分は「マシ」に写るのか。鏡の前で顔を作り続けて1時間2時間経っていたというのは日常茶飯事。鏡では自分の姿は逆さまにしか写らないから、自分の顔写りを確認するために、閉店間際のスーパーに行って、一人で誰にも見せることのないプリクラを取っていたこともしばしば。決してナルシストだったわけではなく、自分にとにかく自信がなかった故での行動です。
小学校や中学校の卒業アルバムを見ると、私の顔は引きつって写っています。誰かがぽろっと私に言っていました。「嶋子ちゃんって、いっつも同じ顔で写ってるね〜。」と。それもそのハズです。「マシ」に写ろうと必死で、目の奥が全然笑っていないのです。それは遠まわしにつまらないと言われているわけで、私の顔をつまらないと否定されているわけで、つまり私の顔を見られているというわけで、私はまずます自信を失いました。
ところが高校に入って、演劇との出会いをきっかけに私は殻を破るのです。ここでは、可愛い顔でいることよりも、たくさんの顔を見せることに価値を求められました。美人な先輩も、可愛い先輩も、特に秀でるもののない普通の先輩も、ここでは顔をクシャクシャにしてたくさんの表情を芝居にぶつけていきます。クシャクシャなのに、それが凄く魅力的。それはそこに美しさがあり、楽しさがあることを知っているからなのでしょう。顔の魅力はパーツではなくて、それ以上に目の奥に宿っている情熱だとしたら、私は勝負できるかもしれない。
今でも私は自分の顔に対するコンプレックスを拭い去ることはできません。自分の顔ってブサイクやな〜と思うし、可愛い女の子に笑顔を見せられたら自分の存在が恥ずかしくなります。だから私は今もやっぱり鏡を見つめます。鏡の前で自分がどのような顔をしているのかをチェックします。ひとつ、前と違うのは、どうすれば自分が「マシ」に映るのかということに加え、どうすれば自分が醜く、面白く、悲しく見えるのか、そして自分の目の奥に深さがあるかを確認します。やっていることはほとんど変わらなくても、顔に対する価値基準が以前とは全然違います。
そんなことを毎日続けているものだから、おかげさまで今では鏡を見なくてもどこの顔の筋肉を使えば自分がどういう顔をしているのかがわかるのです。自分が過去に気にしていたことは実にくだらないことでしたが、それが今に繋がっているとすれば、それはそれでよかったのかな〜と、今日になって初めて思えたのでした。少し遠回りやったけどね。
2004年05月10日(月) |
♪だから大きな声で何度もアタシの名前を呼んで |
今日、演劇表現実習ので同じクラスの女の子数人から「嶋子」って名前で呼んでもらいました。しかも呼び捨てで!なんか嬉しい!!凄く嬉しい!!そういえば、最近親しくなったバイト先のお姉さんからも「嶋子へ」という件名でメールが届きました。へへっ!!
私の本名は「悠紀子」です。だけど幼い頃から「悠紀子ちゃん」って呼ばれることはほとんどありませんでした。だから私も自分の名前が「悠紀子」であるという自覚がほとんどありません。(その証拠に私のことを「悠紀子ちゃん」と呼ぶ人とはまず人間関係が長くつづかない。)
もともと私は「ゆっぴ〜」なり「ゆっち〜」なり呼ばれていたのですが、高校で演劇部に入って、いい歳こいて先輩方にこのあだ名で呼ばせるのは恥ずかしいと思ったところから「嶋子」という名前は生まれました。中学時代に塾の友達が役1名このあだ名で呼んでいたことをふと思い出したのです。別に私は何と呼ばれてもいいのですが、とりあえず演劇ワールドでは「嶋子」で統一しようと思い、「嶋子」を名乗りはじめたところ、いつの間にか演劇ワールドが広がって、今ではほとんどの友達が私のことを「嶋子」と呼びます。友達の多くは私の本名は本当に「ナカシマ嶋子」だと思っているらしいので、私は「悠紀子」という名前よりも「嶋子」という名前の方がよっぽど相性がいいみたいです。(でも先輩数名は私のことを「マコ」と呼びます。ナカシマユキコの「マ」と「コ」を取ったらしいです。ひねくれてる…いやいや、個性的だなぁ…笑)
でも私はとても人見知りをするので、自分が親しくする人以外とはほんとうに付き合わない(というか、付き合えない)ので、そういう人はたいてい私のことを「中嶋さん」と本名で呼びます。そして私も相手の名前&あだ名を覚えれない、もしくは覚えてもどのタイミングであだ名で呼んでいいのかがわからないので、結局名字で呼び合うことになります。
私は基本的には誰とでも仲良くしたいと思っています。性格もそこそこ明るく振舞っています…というか、明るいです。ただ、じゃあ誰にでも気さくに話し掛けていって友達になれるかというと、それが物凄く怖いのです。自分が拒絶されることを先に想像してしまうのです。(恋愛においてもね〜。)(でも一度この人は大丈夫だと判断するとベタ甘えするタイプでもあります。)
普段なら好きな友達とだけ付き合っていればいいのですが、演劇をやるとなるとそうもいかず、自分が持っている恐怖心や殻は、自分で破る努力をしていかないと、いつになっても人前で自分を出すのが怖くて足がすくむのです。妙に気を遣ったよそよそしい稽古なんて稽古じゃない!
今日はある女の子2人が私を「嶋子」って呼んでくれました。私の中でパリーンっと何かが割れる音がしました。彼女達が私の殻を破るきっかけをくれたのです。今度は私が自分の殻をこじ開けて、無理矢理にでも外に出て行かないと。私が「嶋子」と呼ばれることに、実はこんなにも深い大きな意味が隠されていたりします。私は「悠紀子」と呼ばれることよりも「嶋子」と呼ばれることで、私がそこに存在することを許されていると認識するのです。
♪だから〜大きな声で〜何度もアタシの名前を呼んで〜。(by坂本真綾)
私も早く皆をあだ名で呼べるようになりたいヨ〜。
私は今、ものすご〜く自己嫌悪に陥っている最中です。私ったらバカバカバカ!!!私は自分の口の悪さにとても反省しているのです。
それは敬語が使えないとか、すごくガラの悪い言葉づかいをしているというわけではありません。言葉の言い回し方が悪いのです。うまく説明できないけれど、同じ情報を相手に伝えるにしても、伝え方が下手だと相手に不快感を与えてしまうのです。
私の場合、思ったことをそのまま丁寧に言えばいいのに、何故かそれを敢えてひねくれた言い回しで伝えてしまうという超悪い癖。大袈裟に言えば、別に私自身は相手に皮肉を言いたいわけでもなんでもないのに、口から出た言葉は相手にとって皮肉にとられてしまうかもしれないようなキワドイ言葉なのです。そんな過激な発言をする割には口ベタだから上手くフォローができない。最悪です。恥ずかしくてここに日記に書くのも嫌になっちゃうくらいです。頭の片隅で、ひねくれた言い回しをすることによってどこかで1エッセンス分目立ちたいという思いが無意識のうちにあるのかもしれません。友達同士ではむしろそういう言い回しができた方が会話も弾んだりします。
口を開けばキワドイ言葉を使い、「しまった!」と思って口を閉ざせば自分の発言にフォローができません。誰に注意されたわけでもないけれど、いつも後で大失敗大後悔大反省…。せっかく自分の悪い癖に気付いているのだから、もっと大人になれよ、私!
家族ごっこが修羅場を迎えました。でも結局最悪の事態は免れました。まぁ、弟はまだ高校生だし、私も大学の学費だけは援助してもらわないとどうにもこうにも困るので良かったといえばよかったのですが。
でも、壊れたという事実は変わらないのです。また家族ごっこが始まっただけです。何事もなかったかのように振舞う父や母を見て、吐き気がします。何でこんなに食卓を囲むのが息苦しいのかしら。私、演劇は好きだけど、おままごとって好きじゃないんだよね。リアルすぎて、すごい嫌。
私にとっては父も母も遠い存在です。どこかで私は切ってしまったのです。それは去年だったか3年前だったか9年前だったかは忘れてしまったけれど、いつからか仲良くしながらも、どこか冷めた目で見ています。理解し合うことを諦めてしまいました。それは母と父の関係を見てではなく、過去にあった私と母の関係、私と父の関係から起こったものです。
修羅場の最中、布団の中に蹲りながら、ずっと考えていたのはお金のことでした。生きていくために必要なのは両親ではなく、お金です。悲しいかな。でも私は今年で二十歳になるし、親がうんぬん〜って悩んでる年齢でもないのです。人間不信気味ではあるけれど。
でも、どこかでそう割り切らないと、私はやってこれなかった。私は他人への恐怖を背負う代わりにいろんなものを捨てました。
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