ある漫画家の池袋線日記...ばて

 

 

ひとつ屋根の下 - 2009年01月29日(木)

野島伸二のドラマは昔面白かった。

あれは野島伸二が20代後半から30台半ばの頃なのだろうか?

『高校教師』『家なき子』『人間・失格』『ひとつ屋根の下』・・・
でも何か、昔の名作文学とか子供向け文学作品とかを下敷きにしているようなところも感じられる。

昔作られたもので、ほとんどのものが消え去ってしまい、今でも残っている作品がどれくらいものすごい作品なのか、漫画を描いているものにとっては痛いほどよくわかる。

ほとんどが残らないんだよ!

自分んの書いたものなんて、連載が終わって、1年もしないうちに忘れ去られてしまう。

そんな、時代に押し流されないで残ってきた作品を下敷きにして自分が物語を作ると言うことは、常々考えている。

簡単にはそれを焼きなおすアイデアが浮かんだりとか、この作品を焼直してみたいとか、そういう思いになることはそんなには無いけれど、あることはある。

また、もともと自分が発想した物語の下に、昔の文学作品を敷いてみるという作業もしないことは無い。

ここんところ、そんな発想が、頭の中でいろんな形で発酵し始めている。

頭の中がとても気持ちいい。

その発想をここでぶちまけてみたいところだけど、それはいつか遠い未来のことに、するとしておこう・・・



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くじ運17 - 2009年01月16日(金)

でも、やっぱりあの時期だけだったのかな・・・・くじ運がよかったの、と弱気になってはいけない。

とにかく、これから宝くじは買い続ける予定なので、いつかは・・・来そうな気がしているけれど・・・

もっとあの時の空気を引き寄せよう。

そのうちきっと来るに違いない。

大事なことは、自分の直感を信じて。

自分を信じて生きていくこと。

これはくじ運の話に関わらず、生きていくには必要なことで。

いい漫画を力強く描いていくには必要なことだと思う。




それで、今年の宝くじは当たったんだろうか?

当たったのか当たらなかったのかは、今年の精神力と運、両方とも来ていれば何かしら当たっているし、来ていなければ当たっていないということになるんじゃないだろうか。

さあ、それで結果は・・・どうだったのでしょう?

当たっていても当たっていなくても、






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くじ運16 - 2009年01月15日(木)

体力が衰えたわけではない。

あの頃より年齢が行っているにもかかわらず、信じられないほどの体力がある。

それは妻とコミュニケイションをとりながら、いろんな体にいい食事を作って、一人でがさがさ食べるのではなくて、二人で美味しく食べているからなんだと思う。

食事はいくら栄養のあるものを食べても、うまく体が吸収してくれるわけではない。

体が冷えているときにはできるだけ温かいものを食べた方が吸収が良いし、口喧嘩しながら食べるより、笑いながら食べた方が良いものが吸収できる。


妻は大学で農学部を専攻して、その後、食品会社に勤めた経験があって食事に関してはものすごく興味を持っているので、ウチではどうしても食事に関しての話題が上がることが多く、必然的に体にいいものを摂る方向に向かうことになる。

そうやって、いろいろやっていくうちに、今まで感じたことの無い健康的な体になってきている。

だから長い集中を続けても、徹夜など、かなりしんどい仕事をした後もすぐに回復してしまうほどの体力がついてきている。

ここは、もっと頑張れば、






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くじ運15 - 2009年01月14日(水)

何かそこに曇った感じが広がっていく。

とても曇った気分なのである。

そこで・・・

去年あたりから、そんなこと関係なしに生きて生きたいと思い、また、くじよ当たれと念じる日々が続いている。

あのスカッとした精神状態。

澄み渡るような、自信と気合の入った日々。

そんな日々から遠ざかりすぎている。

何とかこの感じから脱出できないものか。








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くじ運14 - 2009年01月13日(火)

もう当たらないと安心していた頃。

当たるはずが無いくじが、一回だけ当たったことがある。

6万円相当のムービーカメラがビンゴゲームで当たったことがあった、それだけである。

そしてその年、意外なことに漫画の連載が一本始まった。

それ以外は本当にあたりが来ていない。

しかしここで少し運の流れが変わったんだろうか?

この時とった連載はかなり苦しいものになり、漫画界では話題にも上らないものになってしまった。
何か上昇気流に乗ってこない感じ・・・

これは単なる気分だけの問題なのだろうか?

それとも気分で、上昇気流に乗れば、何もかも開けてくるものなのかまったくわからない。
でも、上昇するにはかなりのパワーが必要なのは確かである。


でも、このくじ運の悪さと、仕事の内容や結果が正比例すると言う感じ。






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くじ運13 - 2009年01月12日(月)

ここでまた少し過去にさかのぼる。

精神的な力があれば、何でも跳ね返してやろうと思っていた頃が、たまたま運勢のいい年だったのか?

精神的に充実していた頃と、くじ運がよかった時期がたまたま重なってしまったのか。

それは定かではないけれど、くじ運のよかった時期はかなり長期間に及ぶ。

おそらく10年以上、15年未満。

ある時、もしかしたら漫画家になれないのは、くじに運を奪われてしまっているんじゃないかと思い、その年末から、絶対に当たるなと祈りながら忘年会に行き始めたその年。

本当にこれからは当たらないようになる、という自信も体のどこかで感じながら、いくつもの忘年会を渡り歩く。

本当に今年は来ないと思いながら、くじ引きやビンゴゲームが当たらない日々が過ぎていく。

そして、本当にこの年くじが何も当たらなかったが、その年が明けたときに、出版社から電話があった。

あなたの描いた漫画が賞に入りました。

それ以来、年末になるたびに、くじよ当たるな!

と念じ続け、その年以降のくじには、ほとんど何も当たっていない。








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くじ運12 - 2009年01月11日(日)

運勢の本を見ていた妻が、「今年の運勢を発表します」と言って僕の前でそこに書いてあることを読み上げた。

今年は賭け事をやっても、当たる事は無いでしょう。

宝くじも、その他、競輪競馬などの賭け事をやっても全て無駄になるでしょう。

と言うことらしい。

そんな本に書いてあることは、当たることもあれば、そうでないこともある。

それに、運勢に関する違う本を読んでみれば、

まったく違うことが書いてあるということは、よくあることだ。








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くじ運11 - 2009年01月10日(土)

そりゃあ、漫画の連載を死ぬほど苦しみぬきながらやって、

原稿料が入り、

そして大ヒットして単行本が1千万部も売れてしまうと、

もっと大きなお金が転がり込んでくるわけだけれど、

そんな大ヒットも経験したことも無い自分にとっては、

何も働かないで、家が買えて、お釣りが来てしまうほどのお金が入る、と言うことは、嬉しいなどと言う簡単な言葉では語れないような出来事だ。

そんなことは無いと思いながら・・・今年から、宝くじを買ってみた・・・

まだくじ運が、いいままなのかは最近ほとんどビンゴゲームや、くじをやっていないのでわからない。









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くじ運10 - 2009年01月09日(金)

ここでひとつ気になることがある。

今までほとんど宝くじを買ったことが無いということ。

地道に買っていたら、億と言うお金が入っていたかもしれないと。

でも本当にそんなことがあるだろうか?

たった1万円か2万円で、宝くじを買っただけで、2億とか3億のお金が入ってきて、人生が変わってしまう。

簡単に言うけれど、もしこんなことがあったなら、人生の出来事としては、漫画の連載が取れた以上の大きな出来事ではないか!

いや、連載が取れて原稿料が入りだしたとかいうことと、ちょっと違う。

何も働かないで、人生が変わってしまうと言うことがある。













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くじ運9 - 2009年01月08日(木)

あるときの話。

僕はマージャンをほとんどやったことが無くて、知り合いに教えてもらいながら、お金を賭けないマージャンをやっていた。

マージャンと言うのは、みんな知っている通り、ほしいパイが次々に来れば、一人勝ちである。

僕の後ろから見ていて、やり方を教えてくれているその知り合いが、目を光らせて僕のところに来るパイに驚いている。

実は君のところには、今欲しいと思っているパイが次々に来ている。

不思議なほど次々と・・・

賭け事にどうしても興味がわかなかったのでマージャンにははまらなかったが、










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くじ運8 - 2009年01月07日(水)

300分の一が2年連続となると、9万分の一と言う確率だよね。

1年に一回しかないお祭りで田舎の神社で餅やお菓子を神社の壇上からまき、たくさんの村の人たちがそれを拾ったり取り合ったり。

その後でガラガラまわして数字の書いてある玉が出てくるあれである。

当たり前に考えると9万年生きていて一回だけしか当たらないという確立である。

それに2年前にも1等が来ている。

こうなると9万年に一回などと言う数字ではなくなる。

僕の親は、初めにこう言った。

「あんまり当たるので怖くなった」

それから、「村の人たちから、不正があって1等をもらったんじゃないかと疑われるかもしれない」と付け加えた。

僕の父親は、町の教育委員長を務めたり、村の長を務めたりしたことがあったので、その関係で疑われる可能性があったりした。

もちろんそんなことをする人ではないので、その可能性な無い。

無いからこそ、怖くなったと言うことだったりする。








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くじ運7 - 2009年01月06日(火)

10代の頃から、ここで現在に戻る。


1000分の一の確率のものが2回来ることだって無くは無い。

と思っていたけれど。

今度は僕の親からの知らせがあった。

「実は、田舎のお祭りで、くじが毎年あるんだけれど、僕の名前でくじを買うと、毎年何かが当たってしまうんだ」

「どれくらいの確立で当たるの?」と聞くと。



「5年連続して買ったんだけど、

一番が当たる確立はだいたい300分の1で、

1回目で1番が当たった」



「あ・・・そう」
まあそんなことはあってもおかしくない。



「でね、その次の年と更に次の年は、1番ではなかったんだけど景品が当たった」

「あ・・・そう」

「でね、その次の年と、更に次の年なんだけど」

「うんうん」








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くじ運6 - 2009年01月04日(日)

1年か2年経った頃、すぐに精神的な力を出し続けることに限界が来た。

疲れてしまったんだと思う。

いわゆる頑張りすぎて鬱状態になった。

と、よくある、がんばりすぎのサラリーマンによく起こるような状況に陥った。

精神に限界が来た僕は、だんだんに絵を描かなくなり、画家を目指すことに挫折し。

ただアルバイトで食いつなぐ生活に入った。

1年ほど経過した頃、精神的に少し立ち直ってきていたのだろう。

今度は画家ではなくて漫画家を目指すことになったんだけれど。

その頃から、くじのいろんな出来事が始まった。

精神的なエネルギーは、あの頃ほどでもなかったけれど、それでもかなり充実はしている。
そして、この精神的エネルギーが、運を引き寄せていると言う感覚も確かにある。






そういう感覚は確かにある。


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くじ運5 - 2009年01月03日(土)



本当に動かせたことは無かったけれど、小石くらいなら精神の力で本当に動かせる。

そう思いこんでいた。

何でもやれると言うような全能感もあった。

ほとんど精神的な病にかかっている状況。

ただ、人に危害を加える精神的病と、危害を加えない精神的病があるけれど、もしかかっているとしても自分は後者の方だ。

他人に迷惑を加えることも無ければ、他人から何かひどい事をされていると言うような被害妄想も無い。

ただストイックに自分の力を引き出すこと。

そこに集中していた。


そして絵を描いていくと、小さな展覧会ばかりだったけれど、











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くじ運4 - 2009年01月02日(金)

そういえば。

あれは、19歳の頃。

ここから過去にさかのぼる。

油絵で身を立てようとしていた頃。

絵を極めようと言う気持ちが大きくて、自分の見るもの全てに集中して、全てを把握しようとして、過度の集中をし続けていた。

そのうちに目の前にあるもの全てが違った形で見え始めた。

何かを、支配でもし始めたかの様な感じ。

目に見えるものが全てふくらみを持って見える。







全てのものが自分の思い通りにでもなってくるような感じ。

そしてそして・・・

『自分の目の前にあるコップくらいなら、手を触れないでも動かせる』ような気がしてくる。




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くじ運3 - 2009年01月01日(木)

くじ運を呼び寄せたルーツは、いったいどこにあるのか?

運がいい人の特徴と言うのは、悪いことが起っても、悪いことととらずに、前向きに対処できる。とか。

必ず未来にはいいことが起こると思い込んでいたり。とか。

アクシデントが起こっても、リラックスしながら向かっていける。とか。

良くない事が起っても、良くない事として考えていない。

その結果、私は運が良いと思い込んでいる。

又は、人前でネガティブな顔つきをしていない。

いつも前向きな態度で、生活しているので、あまり悪いところには入っていかない。

と言うことがあるけれども、それとは明らかに違う状況。






そこにはあるような気がしていた。


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