2007年05月27日(日) 伊豆弾丸旅行

急遽、明後日伊豆弾丸旅行を決行することにしました。
ゆぅもけぃも、ゆずもおいらも風邪が治ってないのに??

まあ、天気や体調しだいですが、ただ、伊豆の空気を吸いに行くだけ。
しいてやるとすれば、天城のわさびソフトを食べに行くだけ。
もし、海に足がつけられるようなら足をつけてくるだけ。

なんか、今までのいろんなものを伊豆で浄化してきたい。
そんな思いが強くなってきました。
おいらの魂のふるさと、伊豆。

そこでどの程度立ち直れるか。



2007年05月26日(土) 物書きの方向性

前からずっと言ってますが(笑)おいらは物書き脂肪です。
いや、志望です。
何つー変換するんだ、このマシンは。

やっぱり、独自の世界観を作り出す小説を書きたい。
そう思い、時間を見つけてはチョコチョコ作ってます。

けれども。

ずっと前にはSYNA姉にいわれ、最近はゆずにいわれ。
『あんた、小説よりはエッセイ書いたら?』

そりゃ、小説を書く力がねーっつーことですかい?
悲しすぎますがな。

けれども、今さっき、かかりつけのマッサージやさん(整骨院ね)のHPみてると、やっぱり、並々ならぬ努力をしてるんだよねえ。
今のおいらにゃ無理かな、って感じがする。
働きながら、じゃあね。

どこかで発奮しなきゃいけない。
どこかで結論出さなきゃいけない。
けれども、その犠牲はとてつもなく大きい。

となるとやはり動きづらい。
考えちゃいます。
頭に野望を持ち続けていることで、プラスに作用をすればいいが、『いずれはこっち方面に進みたいんだから、今どうなろうが関係ない』というマイナス思考の仕事しかできないようなら、その野望は捨てたほうが良い。
実現は難しい野望を盾に仕事を放棄するなら。

とりあえず、腕を落とさないように、読みやすい日記をつづる癖だけはつけてますが。
前みたいに盲目的に日記を毎日つける、というのはやめました。
精度が落ちるし。

というわけで、取り留めなし日記でした。



2007年05月25日(金) 花束

昨日、近所の人たちが有志で、楓に手向けて欲しいと花束を届けてくれた。

楓、近所の人にもかわいがられていたのね。

そんなに愛想のいい犬ではないのだけれど(−−;

やはり、楓は世界一幸せな犬だ……。



2007年05月24日(木) ペットロスなんて

下らない言葉で片付けないで。
楓はペットじゃなかったから。どっちかというと、女王様(爆)

けど、通常言われるそれとは全く関係ないだろうな。

ただただ、八方塞な気がしてならない。
実家は思わぬ打撃(でも、実家は新しい仲間を得るために動いているみたい)。精神的に大丈夫か?
ゆぅさんを預けようにもゆぅさん自身が風邪。
ゆずは蓄積された疲労と風邪で限界。
ゆずの実家は義母が病気でほとんど機能できない。
おいらが仕事で帰ってこれない。

いまは、毎日、早く帰るために仕事をしてる。
休みのために泊まりをこなすが、その泊まりも、何もトラブルが起きないように台数でないように祈りながら仕事する日々。

後ろ向き過ぎる。

いつからこんなに後ろ向きになってしまったのだろう。
今のおいらに、戦っている、という言葉は合わない。
情けなさ過ぎる。

戦う力は、どこに行ってしまったんだろう……。



2007年05月23日(水) やる気でないなー

今日は休み明けの出勤。
けれど、やる気でないなー。
ひとつは、ゆずが大風邪。そして、子どもたちもその兆候。
おいらも風邪が治らないのにも起因する。

そして、仕事がいまいち。
わからないのもあるが、聞けないのもある。
聞いてもわかる人いないし。

誰に聞けばわかるかといえば前任者なんだが、前任者はもっとハードな仕事をしているために聞きづらい。
やはり、前の職場の上司に聞くか。

モチベーションは下がりまくり。
疲れが全く取れていないんだろうな。
今日当たり、泥のように寝てみるか。



2007年05月21日(月) さよなら 我が愛しの楓号

平成19年5月19日、午後三時半頃、実家の愛犬、楓が逝った。
おいらの母親の話だと、だいぶ痛がっていたようだ。
死因は心筋梗塞のようで、大き目の血栓が血管を塞いでしまっていたようだ。
最後の一日は、おいらは仕事だったので、その場には居あわせなかった。
午後二時半には終わる仕事だったので、三時までには戻るからね、と楓に告げて仕事に行っていたが(今思うと、最後の一週間は時間を作っては楓のところにいたように思う。朝出勤前に十五分時間を取り、実家によって横たわっている楓に声をかけて出勤。帰ってきて、子どもたちを寝かしつけてから、実家に行って楓と添い寝。たまに痛がったりすると体をマッサージしてやったり)たまたま仕事の都合で戻れなかった。
母親から電話があり、病院の診察台で息を引き取り、処置が終わった、との電話があったのが午後三時三十二分。
病院に行く道中から、苦しみが増し、母親も楓の死期を悟ったのだと思う。
「今までありがとうね、ありがとうね」
と繰り返す母親の顔を見て、『何でそんなことを言うの?』とでも言いたげに、じっと顔を見ていた、という。この話を聞く限りでは、楓は自分の死期が近づいていることに気づいてはいなかったんだろうな。
心筋梗塞は、突如やってくる。もちろん、原因は積み重ねられたものではあるのだが、それが発症するかどうかはタイミングにかかっている。
そして、発症したから病に伏せる。

最期の一週間、元気だが嘔吐し続け、徐々に食事を取らなくなり、立てなくなり、という流れを見てきたおいらは、どこかで覚悟をしていたように思う。
話を聞いても驚かなかった。ただ「おいらが行くまで待てなかったのね」という感情だけがあった。
最近、後悔はあまりない。
自分の納得できない結果がそこにあったとしても、そういうものは、概して自分の直前の判断を誤ったから起きたものである、ということはほとんどない。
やはりその積み重ねなのだ。
楓が心筋梗塞。
つまりは高カロリーなものを摂取していたから、血がどろどろになったわけだが、結果的に楓はそれを喜び、おいらたちも喜ぶ楓を見て喜んでいた。
途中から、あげるご飯にセーブこそかかってきたものの、やはり、どこかで誰かがあげていたのだろうと思う。
亡き祖父の墓参り後の赤えびの店では、えびやらステーキやらのかけらがひとかけら。
誰かしら必ずお土産として持ち帰った。誰かが残したヨーグルトの器は楓が綺麗になめ取った。
けれど、それを悪しきこととは思わない。
皆、楓がかわいいからこそやったこと。そして楓が喜び、おいらたちも喜んだ。
ただそれだけ。

----------------------------

その晩、おいらは一人で楓の通夜をするつもりで、実家に行く。
発泡酒を一缶準備。そして、楓の小さい頃からのずっととってある写真を眺めて、楓に思いを馳せよう、と思ったのだ。
アルバムを引っ張り出し、まだ生まれて一週間くらいの、本当にころころした楓から順番に見ていく。最期に、楓の遺体を見ることで、楓の一生を見届けた、という、楓に対する記憶のインデックスをつけようと思ってたのかもしれない。

本当にいろいろあったなあ。
実家にあるものは、ほとんどが楓用にカスタマイズされた。
車の下にもぐらないようにつなげられたすのこ。
先代の飼い犬との生活場所がかぶらないように設けられたアルミ柵。
玄関に置かれたアルミの水飲み皿。
台所に置かれたアルミの水飲み皿。
応接間の机の下に置かれたドッグフードやらジャーキーやら入った元衣装箱。
PCの空き箱で作られた楓専用ベッド。犬小屋とは別にあった。別荘を持っていたんだね、ヤツは。
電子レンジ下に設けられていた楓専用おもちゃ箱。この中には、『ワンワン』と呼称されるライオンやらトラやらシマウマやらのぬいぐるみ、ボール、タコ糸を絡めて作ってある歯磨き用の骨がある。ご飯を食べているときには、そのおもちゃを持ってきて、これと交換して、といわんばかりに目の前に置いた。
居間にあるソファーの座布団には、必ずぼろバスタオルが巻かれた。楓がそこで寝るためだ。人間が腰を沈めて落ち着けるくぼみが、楓にとってちょうど体を丸めて収めるのにちょうど良かったのだろう。体の弱ったバーちゃんに対してはわきまえているのか席の要求はしないし、必要があって「ソファーから降りろ」というと決して逆らわないけれど、「そこ、かわってもらってもいい?」とじっと見上げる楓においらたちは席を譲る。じゅうたんに腰掛けたとき、目の高さに楓が来て、なでやすいのもあるんだよね。

おいらが寝ているとよくおいらが寝ている布団のところに穴を掘って(実際はおいらが足を広げるとできるくぼみ)、そこで横になっていたものだった。
生理中の楓はといえば、すごい勢いで朝飛んできては人の顔をなめまわす。
楓にとっては、おいらは強力なオス、だったのだろうね。

実家の車の助手席は、楓の特等席だった。
車に乗ると、酔うか窓から顔を出し続けるか、というほかの犬と違い、楓はずっとシートに腰をかけていた。背筋をピンと伸ばし、窓の外を見る。シートベルトつけようと思えばつけられたかもしれないね。実際、おいらが運転するときは、おいらがブレーキをふむとき、左手で楓の胸の部分を押さえ、前につんのめらないようにしたものだ。チェイサーのときは、マニュアルだったので、なかなかそれは難しいが、それでもきちっと手のひらで受け止めたものだ。

楓とは、いろんなところに行った。
まず、まだ親父が社会人だった頃に毎年のように行っていた、伊豆高原。
おいらの心のふるさとなわけだが、ここにも毎年のように行った。
途中から、出向してもとの会社の寮そのものには立ち寄れなくなったものの、それでも三回ぐらいはその寮には泊まったかな。
その後も中央区の寮にとまったり、と楓は毎年必ず一回は伊豆に行ったものだ。
今は、箱根の社員寮も伊豆の社員寮もないけれど、たまにそこを通るとよるようにしていた。やはりおいらの思い出の地だからね。今回、さらに重みが増したかな。
海も行ったけど、楓は海はだめだったな。風呂もだめだったところを見ると、泳ぐのはあまり好きじゃなかったようだが(母親の最初の風呂の入れ方がまずかった(−−;)足先がちょっとぬれる程度の水は好きだったようで、近所の小川には膝まで使ってはよろこんでいた。
岡崎とかにも行ったな。
親父の父親(父方の祖父ね)の何周忌かは、常に連れて行った。
途中、おいらが群馬で五年ほどいたときは、人数的に乗せられなかったけれどね。
墓参りにも必ずついてきたっけ。墓参りの済んだ墓地の前で、レジャーシートを広げ、おやつを食べている横で、必ず座っておいらたちがおやつをあげるのを待っていた。
おいらがいない間に、楓はおいらの親たちに、いろんなところに連れて行ってもらっていたようだ。
ばーちゃんの痴呆が始まってから、母親はどこにもいけなくなっていたが、一回だけ一泊旅行に行ったことがある。だが、そのときも犬可の宿を探したものだった。
けれどね、楓はやっぱり外泊は好きじゃなかったらしく、あまり落ち着かなかったねえ。

おいらが実家を出て一ヶ月。
正月時にゆずをつれて帰ってくる。
そのとき、楓はゆずを家族として迎えてくれた。
時は過ぎて、ゆぅが初めて実家にきた。
基本的に小さい子どもは苦手だった楓だが、おいらの子どもだとわかったのだろうか。
ゆぅの目を軽くなめる(犬にとって、最大の敬愛表現)。
けぃがきたときは、覗き込みに来て、何とかして目をなめようとしていた(ラックが邪魔で届かなかったみたいだけど)。

ばーちゃんと親父と母親が心配で群馬での生活を締め、東京に戻る。
そのとき、楓はどう思っただろうか。
近くに住んだと思ったのだろうか。
一度行ったら、おいらの新居までの道を覚えたよ。

本当に頭のいい、考える子だった。

------------------------

楓を斎場に連れて行く、最後のお別れのとき。
親父の発案で、実家の車の助手席に、楓の棺(元楓の別荘)をのせ、散歩コースをぐるりと一周。途中、仲良くしてもらった一歳年上の犬の家の前を通り、世話になった獣医の家の前をクラクションで通過。そのまま、楓の実家(親父の妹の家……楓の父親の家だった)により、一生を全うしたことを報告。そして、斎場へ。
斎場で手続きをし、楓の棺とさよなら。
最後の最後まで凛々しい表情でした。
死後一晩たつと、さすがに口元は剥製っぽくなってきちゃったけど、まだ全身の毛はなぜればやわらかかった。
首筋、尾の付け根、あご周り、と楓が生前なぜると喜んでいた箇所をなぜる。
反応は当然ない。けれど、手を止める気にはどうしてもならない。
撫ぜ足りない。触り足りない。抱き上げたい。
多分、人の目がなく、後に予定がなければ、ずっと撫ぜていたかもしれない。

参列した家族が皆、自分なりにけじめをつけ、楓の棺に背を向ける。
そのまま、新人の楓を受け入れてくれるように、先代先々代の犬の眠る塔へ詣でる。
リリ、シェリー、楓をよろしく頼むわ。
最期にもう一度楓を目に焼き付けておこう、と思ったが、楓の棺はもう霊安室に移った後だった。

----------------------

なんと表現すればいいのだろうか。
『取り返しがつかない』
『過ぎたときは戻らない』
上記の表現が適当はわからないが、楓のために何かしてやりたい気はすごくしている。
けれど、もうできない。そして、何をしていいかもわからない。
ただ、脱力している気にもならない。

とりあえず、自分の気持ちを整理するため、日記を綴っている。
それが最大の手向けになるのかな。

-----------------------

追記

荼毘に付された5/21午前八時。
当直の作業中だったが、親父から電話がある。
「楓が荼毘に付される時間だ」
わかってるよ。
けれど、まさかそれだけのために電話してくるとは。
親父にとって、近しい存在の初めての喪失、なんだろうか。

さすがに、おいらは知り合いにそこまではしない。
ただ、当直中にふらっと外に出て、お寺のある空のほうを見上げただけだった。
やっぱり、死んだら上に行くのかな。
そんなことは思わなかったが、そこで下を向こうとは思わなかった。
やはり上だ。

不思議だけれど。

とりあえず、さようなら。
まあ、おいらもそのうち逝くよ。
あっちでも元気でね。



2007年05月19日(土) 楓逝く

おいらの最初の飼い犬にして、最初の子どもにして最初の恋人だった愛犬楓が、今日の午後三時半に逝きました。

心筋梗塞。

所長の留守番してて、間に合わなかったんだよな。
二時半までにはいくから、待ってろよ、と声をかけて出た早朝。
三時過ぎまでは待てたみたいなんだけどね。

だめだったか。

子どもたちを寝かしつけたら、一人で実家で通夜をしてきます。

明日は、会社を中抜けして、楓の埋葬(といっても、集合葬で、荼毘に付されるのは明後日だそうだけれど)に行って来る予定。



2007年05月16日(水) 死と向き合う

愛犬楓が倒れた。
おそらく明日の晩を持つかどうか。
恐れていた別離の始まりか。

愛インコの死。
愛犬の死。
祖母の死。
父の死。
母の死。
姉の死。
そして、おいらの死。

おいらが死ぬとき、おいらの子どもたちは、おいらを見取ってくれるだろうか。
ゆずとおいら、どっちが先かわからないが、成長した子どもたちをみて、安心して逝きたい。

情けない親の元育てられたおいらたちの育てた子どもが、どこまで立派になるのか。
偉人になれというのではなく、人として最低限の痛みはわかっておけ。
そう教育していけるだろうか。
愛しい者がこの世を去るとき、泣ける人間になるだろうか。

群馬で感じていた、自分の手の届かないところでの死の始まりは避けられた。
後は、一つ一つを後悔しないようにこなしていくだけ。

瑠璃だけは看取れなかったのが、唯一の後悔だが。



2007年05月14日(月) 迫り来る別れのとき

愛犬楓が、徐々に弱ってきている。
今月の頭から、吐いてしまって食事を取れていない。

もう、15歳だ。
おいらが浪人しているときに来た柴犬の女の子。
今じゃ、おばちゃんもいいところ。

人の話をよく聞く賢い子。
体中が痙攣しているが、まだ歩くことはできる。
でも、たまにえづいて、食べてないのに胃液を戻してしまう。
一度手術をしており、体内に腫瘍があるのははっきりしている。
それが悪性であろうが良性であろうが、もう取らない、と決めた。

今回のがそれが原因なのかはわからないが、寿命的にもそろそろ。

看取ってあげられるといいのだけれど……。



2007年05月13日(日) おめでたい? お誕生日

本日、晴れて十八歳十五年目に突入いたしました。
午後二時誕生というから、もう少し後なのかもしれないけどね。

体力の低下をそろそろ感じるかもしれない、と言う年になったけれど、ある意味健康、ある意味不健康になっております。
健康、という意味では、ダイエットしてなくても徐々に体重が落ちているということ。
不健康、という意味では、もう体が限界に近いかもしれない、ということ。

いずれにせよ、もうちょっとの我慢なんだろうな。

-------------------

JR東海のHPにて、新しい新幹線N700系の試乗会の話が出ていました。
小学生以下の子どもと、20歳以上の親同伴とのこと。
もう、うちもそういうのに該当するようになってしまったのだなあ。

万が一、東京大阪間の券が当たりましたら、大阪在住の知り合いの方、遊んでくださいね。
でも、申し込みが官製はがきのみというのは(−−;
JR西日本は、WEBでも募集しているというのに。

ゆぅが、電車のビデオを見てから、ほかの地方の電車にひどく興味を持ってきた。
東武のスベーシア。
これをビデオで見たせいか、先日ハードオフで買い物をしたとき、おもちゃのスベーシアを見つけてずっと持っていた。
買いましたよ。もう、すごい欲しがり様で。
どうせ中古だから安いしね。

-------------------

電車だけかと思いきや、最近は車のエンジン音にも興味を持っているみたい。
チェイサーはマニュアルなんだけど、そのシフトアップ時のマフラー音を口で真似するようになってる。
いや、徒歩でシフトアップはないんですけど(^^;

けれど、車に興味を持つのも男の子としては当然なのかもしれないね。

驚かされるのは、その目。
先入観のない目には、世の中の事象は、まっすぐに入ってくる。
何人の人が、電車の音が「うぉーんうぉーん」だと思うだろう。
電車はガタンゴトン。
こう思っている人は多いだろう。
けれど、踏み切りのまん前で聞くと、線路の音より何より、モーター音が耳に飛び込んでくるのだ。
だから、うぉーんうぉーん、も正解。
ゆぅは、電車出遊びながら、うぉーんうぉーん、とうなってる。
あくまで、乗ってるのではなくて、目の前を走っているのを再現しているのね。

今のうちに、いろんなものをいっぱい見せてあげたい。
そんな気がしてなりません。
けぃにも同じことをしてあげないとね。



2007年05月12日(土) 脳梗塞?

最近、どもりのほか、平衡感覚が失われてきた。
まっすぐ歩けるのだけれど、たまに頭を振るともう前後不覚に陥る。

病院、行ったほうがいいのかな。
けど、そんな時間も金もないし。

息抜きすればだいぶ変わるとは思うが、いささか心配。

自分の時間が全くなくて、今は夜中ごそごそ起きてる状態だからなあ。

何をすれば現状打破できるのかなあ。

全体的にまだ闇の中。



2007年05月10日(木) 兼ね合い

異動して初の給与計算。
今回の締めは、いろいろと作業があるため、所長に聞かなきゃいけないことは山ほどあるのだが、この所長、忙しくて営業所にいないので、何とか自分で前の営業所の先輩にアポをとり、作業を聞いた。

ところが、そのアポを取った日に限って、なぜか所長が出かけない。
新しい営業所の後輩が、いろいろとわけのわからないことをやってくれていたため、所長が外出できるタイミングを逸してしまっていたからだ。

でも、急いでいるのは目に見えているので、聞くこともできず。
締め日に向けて、不安なまま時間を過ごすのもいやなので、所長がいるのにもかかわらず、アポ時間十五分遅れで出発を覚悟。
所長に告げると
「何でいくの?」
そりゃ……いえませんがな。前の営業所のヘルプで、と濁し、何とか許可を得る。

所長以外に聞く人いないし、じゃあ所長に聞けるかといえば聞けないし。
非常に難しい状態だったが、なんとか目的は達することができました。

あとは、今日もう一度所長に質問して(作業の流れ、ではなく作業に必要な情報収集)情報を得ないとなあ。
今日、入力さえしておけば、明日の締め日がだいぶ楽。

やってみますか。とりあえず。



2007年05月09日(水) 夢に向かって邁進する人たち

某インチキSEだった頃の同期は、社長になった。
昨日、前の営業所で一緒だったガス馬車御者仲間と焼肉を食ったときの仲間たちは、みんな自分の好きな事業をやった。
その結果、ガス馬車御者になったり、その好きなことをやり続けながら働いている人たち。

羨ましいな、と思いつつ。
今の現状が動けないおいら。

じゃあ、自分を束縛するものがなければどうだったのか?
……おそらく変わらなかったでしょうし、変わらないでしょう。
だって、フリーな時間はあったんだ。
大学生のときもそうだし、残業はいっぱいしていたけれど、社会人で独身の時間もあった。
それでも、自分のやりたいこと、といわれるものをあまりしていなかった。
趣味としてはしていたけれど、彼らのように夢を実現させる方向には動かなかった。
ということは、元々が動く力がないということじゃないかな?

一念発起して、というのは簡単。
けれど、結局できないんだろう。

それで家族に迷惑をかけるなら。
やらないほうがマシ。
そうは思うのだけれど。
何か腹の中ですっきりしないものがある(焼きにくくいすぎたわけじゃござんせん(−−;)
何とかして、何かを変えたい、現状を打破したいという気持ちはあるんだろうな。

それが、今の生活が満足いかないから、逃避としての変化を望んでいるのか、それとも、前向きに生活をよくしていきたいという変化を望んでいるのかわかりません。

ま、疲れきってまともに考えることもできない現在、何かをすることのほうが危険だな。
とりあえずは、今の足場を固めることにしよう。
新しい営業所に行って、まだ自分の仕事が半分もできていない(というより、流れもわからないので、仕事のしようがない)。
そこが落ち着いてからだ、いろいろ考えるのは。
とりあえずは、そこにくらいついていくことにしよう。



2007年05月08日(火) パソコンの首の骨が折れた!

今使っているノート。
液晶とキーボードをつなぐ部分がブランブランになってしまいました。
どうも、液晶のほうの背中が割れているので、そこに負荷がかかって折れてしまったみたい。

古いノートだからなー。
中古とはいえ、15万払ったわけだし、もうちょっと持つと思っていたけれど……。
けれど、まあPCは日進月歩。仕方ないのかな。
どうでもいいけど、パソコン欲しいなあ。
かねないけど(−−;



2007年05月07日(月) 居眠り運転

ここ数日、ステップワゴンで出かけると、必ず信号や走行中に意識が飛ぶ。
眠いんだろうな。
疲れがたまってるんだろうな。
早く寝なきゃと思いつつ、寝ても寝られないもがわかっているから、どうせなら起きてしまえ、と起きてたのだが、最近けぃに暗闇で授乳すると、もういつの間にか落ちているおいら。

体力の限界は超えているのかな。

精神的な限界は、まだ少し余裕があるのだが。
早く寝ろ、といいたいところだが、寝ても寝られないんだろうな。
当直も、ここ数回半端な睡眠だし。

前の営業所にいたときより、体力的な低下は顕著だ。



2007年05月03日(木) さらに続く問題

なんかこう、もう、困難がまとめてきてる、という感じ。
いらっしゃいませ。

今度は、実母が入院することになりました。
目の手術をするんですな。
病名は長ったらしいので書きませんが、平たく言えば、めんたまの表面がたるんで見えづらくなってしまったので、余った部分を切って延ばしてぺたっと貼るという手術。

一応、七月中旬を予定していますが、バーちゃんを預ける施設の予約が取れないとどうにもならない。
また、東大病院でのオペのため、入院二週間の間に物品を送り届けたり、入院退院をフォローしたり、といろいろ問題は出てくる。
むかつくのが、入院する当の本人が、派生する問題に感づいていないこと。
他人には迷惑かけない、とほざくから、「迷惑かけないわけあるか! ただ、親子だから迷惑を迷惑だと思わないだけだ。本人があほなこと抜かすんじゃない! 迷惑をかけないと思うなら、自分が二週間いなくても大丈夫なように家の中を準備しとけ」と思わず叱責。

七月中旬に向け、さまざまなことを調整しなければならない。
オペの当日にいきなり行って、二時間ほど我慢して、またさっさか帰ってこれるわけじゃない。

おいらのおやもふくめてだが、どうしていろんな状況が想定できないんだろう。
もう怒りを通り越して呆れてしまった。

もう、まとめて面倒見ちゃる。
ああ、大変だ大変だ(−−;

まあ、これも親孝行のうちか。


 < 過去  INDEX  未来 >
ご感想をどうぞ。




彩葉 [MAIL]

My追加