独り言
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2006年05月29日(月) テリーデイズというBandについて・その13

1990年4月6日

この日いつもの様にスージー・キューがジョージを引き連れてスタジオへ行くと亜龍はすでに来ており二人の顔を見るなりこう言ったという

「やぁテリーデイズの諸君!
今日もロックンロールしちゃってるかぃ?」


スージー・キューはこう語る

「私もいくつかバンド名は考えてたんだけど亜龍がテリーデイズと決めたならそれでいいと思ったの
響きも良かったしね

そもそもバンド名に深い意味なんて必要無いのよ

問題は憶えやすいかどうかだけ


…でも一応聞いたの
『何でテリーデイズなんだ?』って

そしたら彼…こんな話をしたわ」



亜龍はひざに抱えていたベースをゆっくりと床に寝かせ深く溜息をつきうつむいた顔の奥からひどく神妙な声色で話し始めた


「アメリカのフロリダ州って知ってるだろ?
あそこで12年前に起こった一つの悲劇的な事件にこのバンド名は由来している


女の名はケイト

ケイトは16歳の時に初めて愛し合った男との間に予期せぬ子供を授かってしまう
男は堕胎を強要しようとしたがケイトは厳格なカトリックの出身だったから死んでもそれだけは出来ないと拒み男の子を出産する

子供の名はザック

父親になるはずの男は当然の様にケイトの元を離れケイトは女手一つでザックを育てようと決意するが半年で挫折し捨てちまう
理由は経済的貧困によるものだった

それから時は流れて16年後
ケイトはデブで金持ちのオッサンをうまい事つかまえてめでたく結婚するがそんなケイトの身に一つの悲劇が舞い降りる

ケイトが家で一人留守番をしてる時に強盗が押し入り…彼女はレイプされちまうんだ


犯人捜索に際して警察はケイトの体内に残されていた犯人の『忘れ物』を当時まだ研究段階だったDNA鑑定にかけてみたんだが…ここでおかしな事実が浮上する


犯人のDNAとケイトのDNAが驚く程一致したというんだ


そう…ケイトをレイプしたのは実の息子のザックだったんだ
もちろんお互いに親子だなんて知らずにだぜ

それだけでも悲劇的だってのに…ケイトはこれが原因で妊娠しちまうんだよ

ケイトが堕胎出来ないのは言ったよな?

『これはあの子への…ザックへの罪滅ぼしなんです』とか訳わかんねぇ事言ってケイトはこの実の息子にはらまされた子供を出産する決意をする

でも知ってるだろ?
近親者の間で作られた子供がどんな運命を背負って生まれてくるか


…生まれてきたのは頭が普通の二倍近くある一つ目の男の子で手足には指が一本も無かった

この男の子がテリーさ


テリーは生まれながらに悲しい障害を多く抱えていたけど脳の発達だけは尋常じゃない速さで生まれてわずか18時間で人の言葉を理解し1日と13時間後にはもうしゃべりだしていたんだ

その後テリーはたった一週間で余りに短い生涯を終えることになるんだけど昏睡状態に入る直前…生後5日と18時間の時テリーはケイトにこんな最後の言葉を残したという


『ありがとう』ってね


このテリーという少年のたった一週間の尊い人生を音楽で再現するするものこそ…テリーデイズなんだ」


そう言い終えると亜龍は立ち上がりスージー・キューとジョージに背を向け黙り込んでしまった


スージー・キューも言葉を見つけられずスタジオはかつて無い程の静寂に包まれ壁に掛けられていた時計の秒針の刻む音だけが嫌味な程にその存在を誇示していた


どれくらいの時間が流れたのか定かでは無いが気を取り直そうと顔を上げたスージー・キューの視界に映り込んだのは何故か満面の笑顔を浮かべた亜龍だった


そして亜龍はいつもの様にふざけた口調でこう言ったという


「…っていう作り話を今考えたんだけど…どうだろか?

悪くないよねっ!?

よしっ
人からバンド名の由来を聞かれたら今みたいに説明しといてよね

もちろん…一語一句間違わずにー」


そう言うと亜龍は声を上げて笑いだしその笑い声はしばらく止む事は無かった



スージー・キューはこう話す
「亜龍のセンスって…音楽にしてもジョークにしてもそうだけど…ラインが無いのよ

ここからここまでがOKであっち側はNGっていう区切りが一切無いのよね

常に自由で解放されてて…傍で見てて恐くなっちゃう位に所在が不確かなの

自由って凄く魅力的なものだと思ってたけど…亜龍と出会ってその考えも変わったわ

人として生きるには必ず何かしらの縛りが必要なんだと思う様になったの

だって亜龍は人というより…想像そのものなんだもの

今改めて考えると亜龍なんて人間が本当に存在していたのかどうかも…私には自信が無いわ

それ位彼は危うい存在だったの


この作り話にしたって…彼にとってはジョークなのよこれが

…笑えないでしょ?

でも彼には…可笑しくてしようがなかったみたい」


スージー・キューの言う通りこの悲劇的で常軌を逸したテリーという少年の作り話はこの日の亜龍の日記に『喜劇案』というタイトルで書き記されている


2006年05月06日(土) word/like the elephant (song for テリーデイズ)

乱雑を絵にして胸に抱き歩く素浪人
求むる地も帰る郷も知らぬまま

何がこの行く手を阻んでいる
誰かのせいにしていた
何がこの心を蝕んでいる
誰か優しく誤魔化して



誰か答えて
誰かほどいて
誰か優しく許してくれ
何が欲しくて
何処へ行くのか
わからないまま峠を越えていく




乱雑を胸に秘め虚構をまとい吐く声は空
現身は燃えやがて尽きる斜陽の中

何がこの行く手を阻んでいる
誰かのせいにしていた
何がこの心を蝕んでいる
誰か優しく誤魔化して



誰か答えて
誰かほどいて
誰か優しく許してくれ
何が欲しくて
何処へ行くのか
わからないまま峠を越えていく
また夜が消えていく




誰か答えて
誰かほどいて
誰か優しく許してくれ
何が欲しくて
何処へ行くのか
わからない
わからない
わからない
嫌々否
わからない
わからないや


2006年05月05日(金) テリーデイズというBandについて・その12

その証言をした男とは冒頭に登場した亜龍の旧友である


「俺も全然気付かなかったよ
あの事件があってしばらくしてアルの日記が話題になって
…でも俺あの頃はアルの事考えるの凄く嫌になってたんだ
…とにかくショックだったから

アイツに関するニュースとか雑誌は一切見ないようにしてたんだよ

でまぁ時間が経つに連れて次第に皆の関心も他に移って…俺も無理に目をつむってる必要も無くなったんだけどさぁ


…ちょい前まで付き合ってた女がアルの大ファンで…いつもアルの話ばっかするんだよ
それで無理矢理あの当時の雑誌を読まされて…思い出したんだ」



この男が言うには

テリーデイズというバンド名の由来であるあの『彼』とは

『ドラマーのジョージ』

だというのである



「では何故テリーなのか?」という問いに対して男は

「そうそうそれなんだけど…
誰も信じないんだけど確かにアルが一回だけ俺に言ったんだよ

「あのチビさぁ…スージーはジョージっぽいって言うけど…俺が思うに…ジョージっつーより『テリー』っぽくねぇ?」って


俺はアルとマジで仲良かったしアイツが何かに打ち込んでる姿を見るのは自分の事の様に嬉しかったから…スタジオにもよく顔出してたんだ

…けどテリーデイズってバンド自体には余り興味が無くてね

…そもそもあのロックってモンが俺にはいまいちピンとこなかったし

…それにスージーとジョージって蛇孔の人間だった訳じゃん?
俺いまだにあの蛇孔の連中が好きになれなくてね


だからアルがバンドやメンバーの話をしてもほとんど聞き流してたんだよ

…それでこの事も今まですっかり忘れちまってたんだけどあの日記が掲載された雑誌を読んで急に思い出したんだ…本当だよ」


この証言を裏付ける物は残念ながら何一つとして無いが男はこうも話してくれた


「アルはいつもスージーの横でニヤニヤ笑ってるジョージの事を『ピエロ』みたいに嘘臭いヤツだって言ってた
『アイツの笑顔は仮面でその裏に間違いなくとんでもないモンを隠してやがるぜ』ってさ」


この証言を裏付ける物として前述したジョージが「ピエロのメイクをしたい」と申し出た時の亜龍の反応を思い出してもらいたい

ジョージの記憶が正しければ亜龍は「名案だ」と言い「間違いなく似合う」と言っている



男は続ける
「だからジョージがライブの時にピエロのメイクをしてたじゃん?
俺はあれってアルが無理矢理やらせてると思ってたんだよね

…だってその頃は誰もジョージの昔の事は知らなかった訳でしょ?」


男が言う様にその当時亜龍がジョージの過去について知っているはずも無く(亜龍に関しては最後まで知らなかった事になるのだが)この証言が事実だとしたら亜龍の『触れたモノ全てを見透かしてしまう』かの様な強烈な感受性に驚くより他無いのだがもっと驚く事にテリーデイズ結成後初めて亜龍が書いた『like the elephant』という曲はそのタイトルの真意こそ不明だがその歌詞は正にジョージが砂漠を当ても無く彷徨っていた姿を映す様な内容となっており日記にある『その仮面の裏側に想いを馳せる』という行為の結果としてこの曲が生まれたのだとしたら
この『テリーはドラマーのジョージ』
だという証言は疑い様も無い程真実に近いと考えられる



しかし全ては亜龍という闇の中に今も眠ったままである


2006年05月03日(水) テリーデイズというBandについて・その11

1990年4月5日

テリーデイズの三人が初めて揃ったこの日

亜龍の日記を見てみるとそこには乱雑な散文の様なものが約十ページに渡り記されている

その文章を適当に抜粋すると

「表現に対する欲望が高まり過ぎて破裂寸前の右脳が波打ち頭皮をダブつかせやがる」

「これでやっと終われる 全て終わりにするんだ」

「俺は日本語を話す中国国籍のチーズ臭いオカマ野郎」

「母さんがくれた日本語は何処まで行っても美しい」

「イメージが押し寄せて俺の理性をさらっていく」

「自由な表現の場を奪う事を暴力と呼ばずして何と呼ぶ」

「誰にも邪魔させない」

等が挙げられる
そして事ある毎に
「クソッタレ」
という言葉が書かれておりその数はゆうに百を越える


その長きに渡る精神的混沌を吐き出した文章の中でも一際印象深い箇所をここに挙げる
しかしその内容も他同様混乱を隠しきれないものとなっているがその端々から亜龍が常に抱えていた『芸術の領域に属する音楽』に対する困惑を窺い知る事が出来るだろう


「そもそも音楽性等というモノは有って無い様なモノでそんなモノを求めた時点で芸術としての表現は遠退いてしまう

芸術とは常に自由でありそこに一貫した思想や理念は必要無くすなわち真の芸術家とは常に己の作品に対して無関心でなければいけない

真の芸術とは人間が意図的に生むモノでは無く人間を介して自然発生的に生まれくるもので最大の芸術とは『無』に他ならないがそれは余りに遠過ぎて俺の様な凡人はこうして音楽にでも身を寄せて『芸術に触れた様な錯覚』に騙されていた方が幸せに終われるんだ

そこに意味等無い
言葉は常に無力なのだ
日本語は美しい
しかし無力なのだ

だから俺は日本語で歌を歌うという行為だけに意味を求める事にしよう

歌詞に意味等無い

このクソッタレに閉鎖的な世界で日本語で何かを表現しようとするその姿勢だけ示していればいい

『表現闘争』というかつての目的だけを求める振りをしていればいい

芸術は余りに遠過ぎる
求めるな
俺は何も求めない
俺は風よりも己に無関心な男

クソッタレ

頭が痛いよ母さん」





そしてこの日の約十ページに渡る日記の最後はこうやって締め括られている


「バンド名は『彼』に敬意を表して『テリーデイズ』と名付けよう

そして俺はその第一歩としてその『仮面の裏側』に想いを馳せる事にしよう」




亜龍が余りに身勝手で最悪な結末を選択したあの日
それは丁度この日記が書かれた日の一年後
1991年4月5日の事だった

その数日後に発見されたこの日記の中で最も謎を含み人々の関心を集めたこの『彼』
永きに渡り数々の物議を醸し出したこの『彼』だがそれを聞いた多くの人間が「最も有力である」と認めざるを得なかった証言が日記発見から約三年後ある一人の男によってもたらされる事となる


2006年05月01日(月) テリーデイズというBandについて・その10

1990年4月5日

やっと有力なドラマー候補が見つかり晴れやかな気持ちでスタジオを訪れたスージー・キューと新たな居場所をすぐそこに見出だしていたジョージ

それとは裏腹にジョージをドラマーとして迎えるという提案を聞いた時の亜龍の反応は余りかんばしいものでは無かった



亜龍は
「こんな小間使いのガキんちょに俺のロックが理解出来る訳?」
と言いジョージの方は一切見もせずまた独りでベースを弾き始めたという



「でもあの子負けなかったわ
言葉は理解出来なくても亜龍の表情で受け入れられてないってのはわかったはずなのに

あの子私の方見て『ニッ』って笑ってさ
ドラムセットに座って…物凄い勢いで叩き始めたのよ

ツェッペリンの『ロックンロール』って知ってるでしょ?
あのドラムから始まる曲
あれよ

亜龍も目玉飛び出してたわ

飛び切り上手いって訳じゃ無いけどとにかく勢いが凄かった

…その辺似てるのよねあの二人」



その後一歩出遅れたスージー・キューを待たずして亜龍とジョージは『ロックンロール』よりもロックンロールらしい『ロックンロール』を演奏しそれが終えたかと思うと亜龍はいつかの様にベースを放り投げ外へと飛び出して行ってしまった



「…本当救い様の無いバカ…でもそこが亜龍の最大の魅力に違いないんだけどさぁ

付き合わされる方の身にもなって欲しいわよね」



突然のこの事態をうまく飲み込めず不安な表情を浮かべるジョージの傍らでスージー・キューはあの時の事を思い出し小さく肩を震わせ笑っていたという


前回同様ほどなくして亜龍はスタジオに戻ってくるのだがその手に握られていたのはラジオペンチではなく彼がいつか被っていたあの『ツェッペリン風の帽子』であった

そして
「お前ガキんちょだから多分ブカブカで似合わないけどやるよコレ」
と言い乱暴にジョージの頭に被せてやったのだという


「ね?…バカでしょ?

亜龍は最後までジョージをガキ扱いしてたけど精神的には彼の方がずっと幼かったわ

…まぁ私からしたらどっちもガキにさえ届かないって感じだけどさ」



口にはしなかったもののお気に入りの帽子をジョージにあげる事により事実上亜龍も彼をドラマーとして受け入れた事となりこうして遂にこの日テリーデイズのオリジナルメンバーが揃った訳である



スージー・キューはこうも言っている
「あの子の選曲も良かったのよ
ジョージは知ってたのね
亜龍がツェッペリンを好きだって事を
そしてその曲をあの子は何故かマスターしてた

要はこういう事よ

あの子はいつも私と一緒に居たわけでしょ
んでその私はいつも亜龍と一緒
んでその亜龍は朝から晩までロックのお勉強

…でもお勉強してたのは亜龍だけじゃ無かったって事…わかる?


ジョージも亜龍と同じ様に同じ位の速度で成長してたって訳


…本当ガキの探求心には頭が下がるわ


『ただ好きだから』とか『ただ楽しいから』とかそんな理由だけで客観的に見たらとんでもなく面倒な事を軽々しくやってのけてしまえるんだから


そこに営利的な目的なんて一つも無いのよ
恐ろしい程純粋な探求心だけ

…でもそれが世界一力強い原動力なんでしょうね



金とか名誉なんかよりもずっと」



その後三人は約八時間にも渡るバンドとして初めてのスタジオセッションを行うのだがその内容は亜龍が指定したアーティストの曲を手当たり次第演奏するという小さな『ロック・コピー・パーティー』の様なものであった

亜龍は終始笑顔を浮かべ時には歌う事を忘れて大声で笑いだす事もありその姿はまさに子供の様であったという

そんな亜龍につられてスージー・キューとジョージも笑いスタジオはこれ以上無い程の感情と音で満たされていた



しかしそれとは裏腹にこの日に書かれた亜龍の日記はこれ以上無い程の混沌と混乱で埋め尽くされている


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