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Mi Pensamiento Diario

ノルウェイの森

昨日の日記で、「ノルウェイの森」はまだ読んだことがないって書いたんだけど、今日その「ノルウェイの森」を読んでみました。読み始めたのが午後になってからだったので、読むのにちょっと時間がかかっちゃったけど、どうにか読み終えました。今は読み終えてからまだ15分も経っていないかな。上巻だけだったら晩御飯前に読み終えていたんだけど、何となく下巻まで今日中に読んでおきたかったの。だからちょっと大変だったかな。っていっても、読んでいて飽きるような感じの内容ではないから、さくさくと読んでいくことは出来たの。ただ、上巻を読んでいるときは何となく本に集中できなくて困っちゃった。集中できないってことは文章が頭の中に入ってきてくれないことだから、読んでいてもちょっと大変だったなぁ。でも、下巻は静かな中で読んでいたからいい感じでページが進んだけどね。

この「ノルウェイの森」って発売されてからもう何年も経っているんだよね。この小説が話題になっていたころ、ムースはこの小説に対してあまり興味がなく、別のものを読んでいたような気がする。もしかしたら夏目漱石とか読んでいたのかな。今思うとちょっと変だけど…。それと巷では、この小説の性描写のことが話題になっていたような気がしたけど、実際はどうだったかな。随分前のことだからあまり覚えていないや。

ところで、この「ノルウェイの森」は今読んでもとてもいい小説だと思う。昨日、片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」を取り上げ、もう少し話が長かったらいいのに…みたいなことを書いたけど、そういった意味ではこの「ノルウェイの森」はとってもいい長さだったんじゃないかな。人には好みがあるから、これじゃ長過ぎって思う人もいるだろうけど、ムースとしてはこれくらいの長さの小説は読み応えがあっていいなぁって感じるの。だから、よかったって思えるのかな。もちろん、内容もいいと思う。ただ、この小説が流行ったときにこの作品を読んでいたら、ここまでいいと感じることは出来なかっただろうね。流行だからっていって読んだところで、あの当時のムースにはこの小説で描かれている人の気持ちとかを理解するのは不可能だと思うから。だから良いも悪いもわからないだろうし、流行っているから読んだってだけになっていただろうと思うんだ。それを考えると、読むべきときに読んだのかな。

読みながら感じたことはいろいろとあったんだけど、さすがに今は頭の中が整理されてない状態だから何をどう思ったかは書けない。きっと、今日思ったことは、そのうちに別のことで何かを感じたときに、あっ、そういえば…って具合に思い出して書くんじゃないのかな。

いつだったか無感覚になっていくことがイヤだとか、怖いとか、そんなようなことを書いた気がするんだけど、昨日、今日と本を読んで何かを感じているからいいことだなぁって思うの。昨日なんて久しぶりに本を読みながら泣いていたからね。もし本を読んでいて何も感じず、ただ文字を追うだけとなってしまったら、とってもイヤ。だからここ2日間はとてもいい時間を過ごせたと思うの。もしかしたらムースの過ごしたこの2日間は非生産的で非効率な時間的な使い方だという人がいるかもしれないけど、それはムースの価値基準でないから。

何かを感じているっていうのがわかるってことはまだまだ感情があるんだなってわかる気がする。例えそれが漠然としたものであっても。それは自分が生きているってことを感じれるときでもあるのかな。絶望の淵に立ったときにすべてを終わらせてしまえば楽だって思ったこともあったけど、これを読んでいると試練に立ち向かうのもいいんじゃないかなって思えたの。もちろん怖いって思うときはたくさんあるだろうけど、それもいいんじゃないかなって。上手くはいえないけど、何かそんなことを感じたかな。


2004年08月07日(土)




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