何も書けなぁ〜い!って叫ぶかと思いきや、別にそんなことを必要もなさそう。何だか生活が乱れてからというもの夜になっても眠くならずに、ついつい明け方まで起きちゃってる。困っちゃうなこんな生活。でも今日はなぜだか6時半という、とんでもなく早い時間に目が覚めちゃったの。めずらしく朝からお腹も空いていたし、たまには朝ご飯を食べて充実した1日を送ろうかなと思っていたの。だけど朝ご飯を食べ終わったら眠くなっちゃって、結局午後2時まで寝ちゃった。ここ1週間、食べては寝て、食べては寝てって生活を送ってるんだけど、早いところやめないとブクブクと太っちゃいそう。気をつけなきゃ。3時頃になってメールをチェックしたら友達からメールが入っていて、それを読んだら早く返事ちょうだいって書いてあったからすぐに返事を書いちゃった。こんなにすぐ返事を書くのは久しぶりかな?いつもは1日2日経ってから書くときが多いから。そんなことをしてたらお腹が空いてきちゃったの。朝ご飯が早かったせいか、いつもより早くお腹が空いちゃった。4時にお腹が空くなんてめずらしいかも。体内時計がくるってる証拠だね。でも腹が空いては戦が出来ぬとばかりに、昨日作ったお好み焼きの残りを今日も焼いて食べちゃった。2日間連続お好み焼き。たまにはこんなご飯もあっていいかな。お好み焼きなんて滅多に食べないし。早めの晩御飯のあとは今日もハリーポッター読みに挑戦。昨日は1ページ読んだら寝ちゃったけど、今日は5ページ読んだの。でもその後は1時間半の夜のシエスタ。このままじゃ絶対に太っちゃう。もう食後にハリーポッターを読むのはやめようかな?この本を借りたときに最初の2、30ページはつまらないよって聞いてたけど、いわれた通りちょっと話に入っていけないかも。気合だけで読み続けてたけどきつかった。でもこれからは話の展開が面白くなりそうな感じだから、読み続けていこうかな。教科書に比べたら字がとっても大きいけど、教科書以上に読みづらい本とはハリーポッターもなかなかやるなってイヤミをいっちゃったりして。
と今日の出来事はこれくらいにして、今日、あるオンライン小説を読んでいてふと思ったことはどうして日本人は悲観的にものを考えてしまう人が多いんだろうって。こんなことを書いてるムースも悲観的に考えることが多いの。いつも悪いことが起こったときのことを想定しちゃって。もしこんなことになったらどうしようって悪い方に考えちゃう。これが国家レベルのことだったら常に最悪の事態を想定して、それについての防衛策をとるのだから結果的にはいいかと思うんだけど、個人だと悪いことを考えるよりいいことを考える方がいいと思うの。悪いことを常に考えちゃうと本人の意思とは別に、ことが悪い方へ悪い方へと進むような気がして。逆に国はこんな最悪の事態が起こったらどう対処しようかって考えた方がいいと思うんだけど、皮肉なもので国は常に楽観的に考えてるよね。うらやましいくらい楽観的で、時にいい加減で。今のムースは昔に比べたらやや楽観的に考えられるようになったのかな。前は本当に悲観的でひどかったけど。もしかしたら環境もあるのかなって思うの。だってムースがスペインにいたときは能天気極まりないくらい楽観的に考えてたから。スペインに着いた頃は悲観的だったけど、日を重ねるごとに段々と楽観的になっていって、ストレスからも解放されてたと思うんだ。その分、いい加減になったって話も無きにしも非ずだけど。例えば待ち合わせをしていて相手が待ち合わせの時間に遅れたとき、昔だったらムダな時間を過ごしてるだとか、何で自分だけが待たなきゃいけないんだとか、よくないことばかりを考えたの。でも最近は違うかな?大体、待ち合わせをするっていったら本を持って出かけるようにするし、待っている間は本を読んでいるから相手が時間通りに来れなくてもイライラする必要がなくなったし。待ち時間を有効に使えばいいやって思えるようになったの。もし相手が1時間遅れるとかってなったとしても、本を読んでいればいいや、ムダな時間を過ごしてることはないんだって自分にいえるようになったし。この間の夏学期も実はどこか楽観的に考えることが出来たの。いい成績をとりたいのは当たり前の話なんだけど、かといっていい成績をとらなくたって人生に失敗するわけじゃないからいいやって。もし、もう1度履修しなきゃいけなくなったら、そのとき考えればいいって。ムースの場合、投げ出さないようにするのが第1の目標でもあったから、その他のことは二の次だったし。これが一昔前だったら再履修しなきゃいけなくなったらどうしよう、時間までに提出できなかったらどうしよう、でも投げ出したくはないって悪いことばかり先に考えてたの。だから何もできないまま終わってしまうんじゃないかって思って、出来るものも出来なくしてたかもしれない。出来るところまでやって、それでもダメだったらそのときに考えようってことは思えなかったんじゃないかな。もちろん、その間に励ましの言葉をもらったりしたから最後まで投げ出さずに出来たんだけどね。前にも書いたけど、授業中、先生に「君たちは自分の限界を知らないから不安になるんだろうね。やれば出来るんだから時間をかけなさい」っていわれたことも励ましになったかな。そのとき、たまたま自分を信じることに関するHPを見たことだし。自分を信じて、やれば出来るって思っていたら何も悲観的に考える必要もないかなって思えるようになったし。 何でこんなにまで多くの人が悲観的に考えるのかなっていうと、やっぱり褒められたことがないからじゃないのかな?出来て当たり前、出来ないのはダメな人って感じでしょ。だから1度でもダメなことがあると自分はダメなんだぁーって考えてしまったり。本当はダメじゃないのに自分で勝手にダメだと思い込んじゃってるのかもしれないよね。っていうムースもずーっとダメな人だって思い続けてたけど。だからやる前に諦めちゃったりするの。最後までやってダメだったらまだしも、やる前に諦めちゃう。どうせダメだよってって自分に言い訳して。もし最後までやったけどダメだったら、どこが悪かったかわかるし、反省もできるよね。次につながる。でもやる前に諦めてしまったら、もうそこでおしまい。 いつだったかこういう風に感じたときがあったの。1度しかない人生なんだし、何もせずに終わっちゃうのももったいないなぁって。そう思ったから今は投げ出さないようにしてるの。悲観的に考えるくせがついちゃってるからなかなか楽観的に考えることもできないけど、もし誰かが励ましてくれたら、その言葉をそのまま受け取って、踊ってみるのもいいかなって。もし誰もいってくれなかったら自分で自分にいってもいいかなって。前にTVでテニスの松岡修造が試合前には「やればできる」っていう内容の自己催眠のテープを聞いてたっていってたの。彼はだからウィンブルドンでベスト8まで進出できたっていってたかな?ちょうどムースがイギリスにいたときだし、ちょっと心に残ってるもので。 あと他の人と比較して自分ができないとか、自分はダメだと悲観的に考えることもあったけど、そんなことからもそろそろ足を洗おうかなって思って。他人と比較したからって他人になれる訳ではないんだし、他人になったって面白くなさそうだし。やっぱり自分が何を思って何をしたいかが大事なのかなってそう思う。きっとムースがイギリスにいたとき、いつも他人と比較してたからホームスティ先のパパがムースに「隣りの芝はいつも青いんだよ」っていったんだと思う。あの頃のことだから、って今もその傾向はあるんだけど、あの人は英語が上手だとか、あの人は何ヶ国語がしゃべれるだとかそんなことをいってたんだと思うなぁ。それに他人よりちょっとくらい英語が上手になったところで上には上がいるんだし。いつも下を見て誰々より英語が上手と自己満足するか、常に上を見ていつも自分が劣っていると思うか。ムースは悲観的に考えてたから後者なんだけど、よくよく考えればどっちもイヤだな。自分は自分。もうちょっと楽観的に考えていきたいって思う。 あまりにも長い間悲観的に考えてたから思考が常に悲観的だけど、今ちょっとずつ楽観的に考えられるようになってるから、この状態を保っていけたらいいなぁって思うんだ。 虚仮(こけ)も一心っていう言葉があるからムースのような愚か者でも何か一つのことを心を込めてやれば、他の人に負けないすばらしいことができるようになるかな?ってこの言葉、他人と比較してない?矛盾だらけだぁ…。 |