目が覚めればお昼。ってことは寝ている間に午前中が終わってしまったのね。あぁ〜あ、今日も午前っていうときをムダにしてしまった。明日から徐々に調整すれば来週の頭にはまともな生活のリズムが刻めるようになるのかな?夏休みが始まって今日で1週間が過ぎたけど、まさかここまでだらけるとは思わなかった。本当、1度坂道を落ち始めるとどこまでも転げ落ちてしまうのね。気をつけなきゃ。今日はそんなダラダラした生活をちょっとは改善しようと午後から自動車の修理工場へ行ったの。この間、竜巻警報があったときに壊れた運転席側の窓の修理とボロボロになってしまっている後部バンパーを修理しようと思って。っていっても今日その場で修理してもらえる訳じゃないから、今日は見積もりだけもらって修理は来週やってもらうんだけど。それにしてもバンパーの交換ってこんなにも高いものかって思っちゃった。見積もりを出してもらったら9万5千円もするの。あまりの高さに驚いてバンパーは修理しないでいいですっていっちゃった。窓は前からおかしかったし、調整装置?の按配がよくないから窓が開かなくなっちゃったっていうのは知ってるの。それに窓が開かないと今の季節ちょっと困っちゃうから。真冬だったら窓なんて開けることないからいいんだけど。でね、これは結構高いだろうって思ったら、思ってたよりは安い見積り額だったんだ。っていっても実際に修理してみないと費用はいくらかかるかわからないんだけどね。そんな訳で今回は窓の修理のみでバンパーはこの次かな。気が向いたときに9万5千円払おう。この冬はタイヤも交換しなきゃいけないから、その分のお金も必要だし。じゃないと雪が降ったとき、ブレーキを踏んだ瞬間にとんでもない所へ滑っていっちゃうからね。いずれは直さなきゃいけないってわかっていても、9万5千円を今払うだけの決心は出来ないなぁ。考えてみれば、このパンパーの一件は自分の整備不良が招いた修理っていってもおかしくないんだよね。はぁ〜、これからはこまめに車を整備しなきゃ。実家の車は何もしなくても平気だったけど、今乗ってる車は騙し騙し乗らないとすぐに壊れちゃうから。ご機嫌取りも楽じゃないね。お金があればいい車買ったのになぁ。出せる金額は今乗ってる車の値段くらいだったし。まっ、しょうがないか。お金がない分、自分で車のことを勉強して、ご機嫌を取り続けるしか車を維持することが出来ないもんね。それにここ北の国では車がなければ何も出来ないし。車がなかったら飛行機に乗りたくたって飛行場へすら行けないし、買い物へ行くのだって歩いてスーパーへ行ったら片道45分もかかるから。夏はまだいいけど、さすがに真冬は行けないもん。−15℃の中、約3.7リットルの牛乳を持って45分も歩けないし。多分そんなに長い間牛乳を持って歩いていたら家に着く頃は凍ってるから。冗談じゃなくマジな話で。
さてと今日のムースの思いはある新聞の記事を取り上げて、そのことについて書いてみようかな。その記事とはナベツネ新聞に掲載された「高校生の4割が図書館で本を借りない」っていうもの。「ここ」をクリックして参照してください。こんなことは自慢にもならないけど、ムースが高校生のとき、図書館から1度も本を借りたことがありません。だって読みたいって思う本がなかったんだもん。小学生のときは図書館から本を借りることはあったけど、何も読まずに返してたから。実際には6年間で3冊くらいしか本を読んでなかったんじゃないのかな?なんてったって集中力のかけらもない子供だったし、本に興味がなかったから。それに小学生のときの読書感想文は親掛かりだったから実際に自分で本を読むことなんてなかったし。おかげで今だに読解力というものがなくて困っちゃうんだけど。ただ、何を血迷ったのか高校生になってからは推理小説ではあるけど、本をちょこちょこと読むようになったし、2ヶ月に1冊くらいの割合で本を読むようになっていたかな。自分の名前書けます大学に入ってからはさらに血迷って新潮文庫を買い漁るようになってたけどね。だからかもしれないけど、今どうにか漢字も読めるし書けるのかな。って最近はパソコンの自動変換に頼りっきりだから、いざ紙に漢字を書いてっていわれると実際に書けるかどうかわからないなぁ。それに自分で読み書きが出来ると思ってるだけで、実際にテストされたら平均値以下かもしれないけど。この記事には「文章力の低下には本を読まなくなったことが影響している」って書いてあるけど、本当にその通りだと思う。文科省では英語教育に力を入れてるみたいだけど、ムースの視点で見たら、日本語の読み書きがしっかりしてない人にどんなに英語を叩き込んでもムリがあると思う。だって母国語ですら文章の構成がうまく出来ないんだもの。それを外国語でやろうだなんて…。 この日記を書き始めてからよく英語のことを書いていると思うけど、英語を習えば習うほど実は自分の持っている言語体系の母体になる日本語の能力を気にし始めるのは自然なことだと思うの。っていうかムースの周りにいる人で英語が達者な人に限って日本語をどうにかしたいって嘆いてる。それだけ日本語が大切なんだよね。しっかりとした日本語があるから、しっかりとした外国語を学べるってムースは思ってる。ってことはムースがいちいち頭の中で英語やスペイン語を日本語に直してるかっていうとそれはまた違うの。ただよくあるのは英和辞典や西和辞典を引いても、そこに書いてある日本語の意味がわからなかったってことが何度もあるから。それはただ単に日本語の語彙が欠けてるだけだよっていわれそう。悔しいけど事実だから何も反論できないけど…。でもね、日本語でも知らない言葉を別の言語で覚えるのは本当に大変なんだよ。だってどんなことだか皆目検討がつかないんだから。しかも日本語でも聞いたことのない言葉を慣れない言語で説明されたって何が何だかわからないときが多いから。それに自分の頭でわかっていることを日本語で説明しようと思ったときに日本語が出てこないって本当に悲しいこと。つくづく思うの。もうちょっと日本語が達者だったらって。別に英語の力が日本語の力以上になってしまったんじゃなくって、どの言語も中途半端じゃないのかなってことに気がつくの。英語をどんなに勉強しても日本語に追いつくことはないけど、その割に母国語である日本はというと…。こんなんだったら母国語である日本語をしっかりしたものにしたいって思うのは自然じゃないのかな。生まれてからずーっとその言葉を使い続けているんだし、慣れ親しんでいるものだし。それに自分の使ってる言語に誇りを持つってすばらしいことじゃないかっていつも思うんだ。 記事の中に国語力の崩壊の原因は「大人や教師が本を読まなくなったから」とか「家庭教育が厳しくなくなった」って思ってる人が多いって書いてあるよね。教師が本を読まなくなったっていうのは職務怠慢なだけだからムースがどうこういう必要はないけど、大人が本を読まなくなったとか、家庭教育が厳しくなくなったっていうのは本当のことだけど残念だよね。ムースは自分が読みたいものを読めばいいやって思えるから本を読むことが出来るけど、そのことがわからない人は誰かに本を読みなさいっていわれても何を読んでいいんだかわからないもんね。何も読まないから言葉を覚えないし、書けないし。だから家でも言葉を教えることが出来ないし。ちょっと残念。何でもいいんだけど、長編と呼ばれる本を何冊か読むと何となく日本語の構成がわかってくるようになるし、新しい言葉も覚えるだろうし、文章も書きやすくなるだろうし。もし長編を読むまでの力がなかったら短編を何話か読んで、それから長編を読むことに挑戦してもいいよね。何冊か本を読んで日本語の構成がわかってきたら今度は書いて書いて書きまくる。この日記のように思ったことを思ったままに書く。これが必要かなって思うの。ムースが英語を習ったときにいわれたのが、何でもいいから思ったことを思ったままに書きなさいってこと。それも出来るだけ多く。それができるようになったら初めて、ちゃんとした構成のもとに文章を書いていけばいいんだからって。序論結や起承転結のような構成を考えて文章を書こうと思っても最初から書けるはずがないもんね。ムースもいろいろな日記のサイトを見て回るけど、ここまでダラダラと書いている日記はあまり見たことないんだ。ってムースのようなヒマ人がいないだけだと思うんだけど…。ダラダラ書くことがいいとは思わないけど、でもこれってある意味これだけ長い文章も書けますよっていってるのと同じでしょ?今は構成力がないけれども、やり方次第では長文も書けるようになるし、その潜在力はありますよっていってるのと同じじゃないのかな。またその逆に長い文章を読むことが出来ますよっていう証しじゃないのかな。ムースはそう思うんだけど。だから出来る限り長く書くの。本当は多くの人に読んで欲しいけど、長々と書くことによって誰にも読まれなくなってもそれは仕方のない話かなって。ただこうやって毎日、毎日書くことによって自分の国語力がちょっとずつ伸びていくかもしれないって思っていられたら気分いいよね。しかもそれは誰のためでなく、自分のためだから。ムースの場合はちゃんとした文章ではなくってただ単に話言葉を書いているだけだっていわれるかもしれないけど、それでも全く何も書けないよりはちょっとはマシって思ってるから。だから書ける限り書いていきたいんだ。書いていくうちに何かに気がつくんじゃないか、何かをつかむんじゃないかって思っているから。 卵が先かニワトリが先かみたいな話になっちゃうんだけど、ムースの場合はこの日記を書くようになったから本を読むようになったの。他の人は本をたくさん読むから文章をたくさん書けるのかもしれない。どっちが先でもいいんだけど、たくさん本を読んで、いろいろなことが書けるようになるってことはとってもいいことだと思うんだけどなぁ。この間もちょっと書いたけど、これだけテキスト系サイトと呼ばれるものがたくさんあるんだし、多くの人がいいものを書きたいって思っているんだろうし。そうしたら電車の中とか夜寝る前とかちょこちょこと本を読んで自分のサイトに掲載してる文章の質を上げるのも悪くないと思うんだけど…。読書の勧めだか書くことの勧めだかわかんなくなってきちゃったけど、どっちも大切なことだから。
と、今日書いたことを自分にいい聞かせて、ムースも本を読むようにしないと。ただでさえムースの日本語はおかしいと何年も前からいわれてるから。早いところどうにかしないと、人様の前でしゃべることが出来なくなっちゃう。ってことはムースの部屋はムースの日本語力向上のためのサイトなのかな?読んでくれている方申し訳ございません。こんな日本語が下手なムースですが、これからも暖かい目で見守ってくださぁ〜い。 |