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Mi Pensamiento Diario

英文科は…

レポートが書けないまま学校へ行っちゃいました。宿題もいい加減なら、レポートも書けてません。そんな八方塞なムースですがネットに依存している時間は誰にも負けません。ってただ単にインターネット依存症なだけなんだけど。今心から思ってるのは、インターネット依存症を治したぁ〜い。アルコール依存症の方がまだいい。だって専門医がいるんだもん。っていうか、専門医なしで70日間禁酒してたから、専門医の下で治療に専念したら直せるような気がする。人ともたくさんしゃべれるし。
こんなバカげた事を書いてると本当にアルコール依存症になったときにしっぺ返しが来そうなので冗談もこの辺でやめておこう。くれぐれもいっておきますが、ムースはアルコール依存症でないですよ。自分でちゃんとコントロール出来ますから。飲んじゃいけないっていわれたらどんなに飲みたくても飲みません。でもインターネット依存症については…。ちゃんとコントロールできてるのかなって疑問。もしかして依存症の2歩くらい手前なのかな?ちょっとそんな気がしちゃった。ムースが思うにこのインターネット依存状態がムースから集中力を奪ってるんじゃないかな?「この日の日記」に「前頭葉が働いてないの?きゃー、ちゃんと脳内会議してよー」って書いたけど、今日鼠丼さんのコラムを読んでわかりました。詳細は「ここ」から。ムースの前頭葉は発育してないどころか機能していないように思われます。その結果何が起こってるかというと、脳会議の席でムースの前頭葉は「そんなのどうでもいいんじゃないのぉ〜」って投げやりなことをいつもいってると思われるの。それはなぜか?パソコンに向かいすぎです。じゃ、ムースの前頭葉は何ていってるかというと、「脳会議よりネット、ネット〜」って脳会議を放棄してる。きゃー、これではレポートの1枚も書ける訳ないよね。アルコール依存症より恐ろしい病です。
でも実はムースはこの病の治し方を知ってるんだ。それは鼠丼さんでも書かれてましたが家族の団欒です。家族としゃべりまくることです。っていうかムースの場合は家族に限定せず、気軽にしゃべれる人と一緒にいたらネットの世界に浸ってる時間は信じられないくらい減ります。その証拠にここにムースの友達が来ていたときに巡回したサイト数はわずかです。友達がいながらちゃんと巡回してる方が恐いっていわれちゃうと身も蓋もないんだけど…。誰かムースの目をジーっと見ながらムースの話を聞いてください。ムースが愛をこめてしゃべりまくります。愛が欲しいなんていいません。ムースが愛を与えます。もしお酒を飲んでしまったら目がとろ〜んとなってロレツが回らなくなると思いますが、でも愛をこめてしゃべり続けると思います。
別に酔ってる訳でも、テンションが高いわけでもないのに変なこと書いてるなぁ。何かキャラが違うような…。

ここからはいつもムースの嘆きを。今日学校にいるとき、ふとムースの友達がいってたことを思い出したの。ムースお得意のスペインでの出来事。何の話からそうなったんだかよく覚えてないんだけど、日本の大学での教育について語り始めたの。そのときにムースの元同僚(帰国後、偶然同じ会社で働いた人)がいったことなんだけど、「日本で英文科を出ても英語を話すことも出来ないから本当にムダだ」って。ちょっと過激な発言だけど、これにはムースも納得。確かに日本で英文科なんかいっても英語を話せるようになるのは皆無に近いよね。英文科は英会話とは違うっていうのであれば、英語の読み書きは問題ないの?って聞きたくなっちゃう。それも…ってなると思う。もちろん大学というところは勉学の場でもあると同時に人間関係を形成するところでもあるから、そちらも大事だとは思う。だけど大学へ勉強しに行ってた、しに行ってる人がもう少しいてもいいかも。だってそういう人ってホン一握りだもんね。ムースを含め多くの人は入試に受かった時点で4年間のモラトリアムを手に入れたって思うよね。モラトリアムっていうと聞こえがいいけど、その中身は成長しないでいい期間、子供のままでいていい期間の延長を手に入れただけなんだよね。ムース流にいえば、ピーターパン症候群(大人になりたくない大人)であることを黙ってていていい期間の延長を手に入れたってことかな。心から学びたいって思って大学へ行く人なんてほとんどいないと思う。だから4年間大学へ行ったって、何も覚えずに卒業する。ムースは経済学が専攻だったけど経済のことなんて何も知らない。まぁ、名前だけ書ければ入れてくれる大学だったからかもしれないけど…。
経済学をやる上で数学ってとーっても必要なのに、1年生のときに履修した経済学基礎みたいな授業で、先生が黒板にグラフを書いて、「これを微分して…」っていっただけで、そこら辺から不満の声が出たの。そうしたらその先生、「みんなは文系だから数学は苦手なのか。じゃ、やめましょう」っていって微分して何を求めたかったか説明せずにやめちゃったの。生徒も生徒だけど、先生も先生だと思った。経済学をやるのに数学が出来なかったら説明できないこともたくさんあるにね。それを教えずにやめてしまったんだから。株価や為替の予測なんて思いっきり数学なのに経済学者が数学出来ませんっていったら何のために学校へ行ったんだかわかんなくなっちゃうよね。
こんなようなことがどこでも起きていると思うんだ。話を英文科に戻すと、英文科を卒業して英語の先生になるとする。でも英語の先生は英語をしゃべれない。これってすごいことだと思わない?もし英語が堪能な科学者がいたらどうなんだろう?その人は英語の先生より英語がしゃべれるのに英語の先生にはなれないの?これって思いっきり矛盾じゃない?もし、外人で日本文学を勉強してますって人がいて、その人に日本語で話しかけたらたどたどしい日本語で「わたし…日本語…わかりません…」って答えられたらどう感じる?何いっちゃってるのって思わない?自分の国では日本語で夏目漱石を読んでたとかいわれた日には目が点になるって感じだよね。だから日本の英語教育が変だっていろいろな人にたたかれちゃうんだよね。何がしたいんだかわからないもん。その友達曰く、「英文科なんか行くよりは、そのお金を使ってアメリカでもイギリスでも行って勉強した方が言葉も覚えるし、そっちの方がよっぽどいい」っていってたんだ。確かにそれも一理あるかなって。それから英文学を勉強すれば英語で学ぶことができるし、胸をはって英語を教えてますっていえるのにね。
大学へ行くとそれぞれの人が専門ってものを持つよね。ムースでいえば経済学なんだけど、それをいうときに恥ずかしい思いはあまりしたくないよね。今のムースはその反省を込めて、そしてたまったツケを払うべく、一生懸命コンピュータの勉強をしてるの。だって経済を勉強してましたってことはあまりいえないもん。それでも…っていわれたら、自分の専門だった航空政策についてはちょっとだけ他の人より知ってるけど、それ以外は何もないの。英文科を出た人だって英語がわかりませんっていうのはちょっと恥ずかしいと思う。だからそうならないためにも、自分が何を勉強していて、何のために勉強しているのか今1度考えた方がいいのかなって思っちゃった。
学校へ行くと「君たちは何でコンピュータの勉強をしてるか」とか「これを学んで何をするか」とか叩き込まれるからついつい考えちゃうんだよね。もし、今語学を一生懸命に学んでる人がいたら、これを考えて欲しいの。今習ってる言語を使って何がしたいか?これはムースがスペインにいたとき、ムースの住んでるアパートに出入りをしてたムースを含めた日本人全員がいってたこと。っていってもムースの家に出入りしてた人はムースでなくルームメイトに会いに来てただけなんだけど…。もし、今英語を勉強してる人なら、英語を使って何がしたいか。自分の専門は何か?英語を学んだからっていったって、それだけでは海外で働くことは出来ないし、日本で英語を使う仕事に就くのはとっても難しいと思うんだ。だってアメリカの大学を出た人は英語で経済なり法律なり工学なり学んでるんだから。みんな自分の専門があるんだから。英語で専門用語をいくつも知ってるんだから。かなり努力をしないと英会話学校へ1年行ったくらいじゃ、同じ土俵に立つのは難しいかも。
自分がちゃんと学んだものにはムダは絶対にないと思う。でも今日引き合いに出した英文科の英語の話はちゃんと学んだっていえないんだと思うの。だからムースの友達じゃないけど「そんなのはムダだ」って発想になっちゃうと思うんだ。だからそんなことをいわれぬように勉強していかなきゃなぁって思っちゃった。胸をはってコンピュータのことを勉強しましたっていえるように。

ちょっとは休止状態の脳も働いてくれたかな?


2002年07月15日(月)




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