今日は午後からずーっと図書館にこもりきり。インターネット依存症から逃れるには持ってこいの場所。だって部屋にいたら暑くて暑くてたまらないけど、図書館は快適な温度に調整されてるから心地いいんだもん。あまりにも心地よすぎて居眠りをしちゃうんだけど。それに図書館にあるパソコンで本の検索目的以外ではネットを使わないから、インターネット依存症のムースにはとってもいいの。それがわかってるんだけど、いつもはネットの誘惑に負けちゃって…。 明日はムースの履修してる授業が2つとも中間試験なので今日はちょっとだけ試験勉強。先日からいってるけど、前頭葉がちゃんと機能してないムースなので集中力が持続しないの。ついついボーっとしてしまって、気がつくと白昼夢の世界にいる。こりゃ、こりゃいけないって思ってまた勉強を再開しようにもなかなか上手くいかなくって。今日はそれが予想されてたので吉元由美の「ひとり、思いきり泣ける言葉」って本を持参していちゃった。ボーっとする前に集中力が切れた時点でこの本を読み始めたんだけど、これが不思議なことにこの本を読むのは苦にならなかったの。ただ今日は今1つ集中してなかったのか、心に残るものがなかったの。内容はよかったんだけどね。前回読んだ短編集より、今日読んだ詩はいいって思えた。もうちょっと心にズドーンと響いてたら何か残るものがあったんだろうけど、軽くしか響かなかったのでさらりとそよ風のように心を通りすぎちゃったの。でも、今日のように試験勉強の合間に読むものとしたら、これくらいの軽さがちょうどいい。もしもうちょっと重い感じの内容だったら、それこそ試験勉強どころじゃないし、インターネット依存症から逃れた意味がなくなっちゃうから。もうちょっと落ち着いたときに、再度読んでみれば心に残る言葉もあるんじゃないのかな。ムースの個人的見解としては、短編集より今日読んだものの方がいいなぁ。
いくらインターネット依存症から逃れたムースとはいえ、いろいろな方の日記を読むことはしてしまうんです。家に戻ってきた瞬間にビールを飲み、晩御飯を作り、パソコンの電源を入れちゃうの。だからこの日記を書く前には何コ?何十コ?かの日記は読んでるの。その中で今日気になったのは、いろんな人が今の日本の教育について危惧してるってこと。ムースもその気持ちは本当によくわかるの。子供のいない人にわかるの?っていわれそうだけど、教育を受けている身として日本の教育を見てるとこれでいいのって思うことは多い。今日読んだとある方の日記にある主婦のメールが紹介されてたんだ。そのメールは「ここ」をクリックして7月17日の日記を読んでください。その主婦の方の書いてあることはもっともなんだけど、ムースはちょっとだけ違う受け取り方をしたの。深読みし過ぎかもしれないけど、ムースが受けた印象は「公立の学校、もしくは文科省のいうなりの学校は何もやってくれないから、うちの子は私立にいかせるつもりです」と。本当は違うのかもしれないけど、そう取れちゃったの。その考え方なんだけど、ムースは好きではありません。ムースも私立の学校に行ったのであまり偉そうなことはいえないけど、でも少なくとも両親は1度たりとて私立に進学しなさいとはいわなかった。ムースの中ではこれが普通って思ってたけど、学校へいざ行ってみたら、多くの親は子供のためを思ってという名目で四谷大塚や桐杏学園、日能研に通わせ、受験戦争の渦中へと子供を投げ込んでたみたい。だから中学校へ入った時点で疲れきってる子だっている。それなのに今度は中学1年だっていうのに大学受験のお話。この戦いに勝った子供達が大体お役所に勤めて、今の制度を作り出してるってことがわからないのかな?文科省のやることがどうのこうのっていう割には自分の子を受験地獄の中に投げ込み、将来は役所勤めしないさいっていい続けるのが目に見えてるんですけど。 ムースに子供が出来たときに教えたいことは人間としていい人生を過ごすってことかな。例え勉強が出来なくても、人の気持ちをわかってあげらることが出来たりとか、喜怒哀楽をちゃんと表現出来たりとか、マナーをわきまえるとか、人として大切なことを教えたい。これって学校へ行ったからって覚えるものでもないよね。家庭で親が教えるものだよね。何でもかんでも学校で教えてくれないって文句をいうんじゃなくって、親が躾けるものじゃないのかな。 いろいろな日記を見てると、たまに書かれてるものなんだけど、ネットの匿名性っていうものを利用してあるサイトに対して誹謗・中傷、批判を繰り返す人っているよね。どういう人がやってるんだかわからないけど、それって心の鏡かもしれない。親が闇雲に批判ばかりを繰り返してるのを見て、子供もそれでいいって思ってしまったりとか。そんな心の鏡。 ジョン・F・ケネディの演説にもある「諸君の国が諸君のために何をなしてくれるかを問い給うな。諸君が諸君の国のために、何をなしうるのかを問うて欲しい(Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country)」っていう気持ちが必要じゃないのかな。学校が何をしてくれるの、政府が何をしてくれるのって問うのではなく、自分達がいい学校にするために、いい子供を育てるために、いい国にするために何が出来るかっていうことを考えなければ、いつまで経っても受身なまま、決して能動的にはならない。ムースはそう思います。
最近、教育関係のことばかり書いてるみたい。ちょっと偉そうだよね。ただの落ちこぼれ学生なのに。実はこんなムースが1番批判的だったりして?自分のやってることがわからないってこわぁ〜い。 |