昨日授業の中で先生が話していたこと。ちょっと気になっちゃった。「利子はどこかで払うことになる」ってこと。これは表現としたらやんわりをしてるかな。言い換えれば「必ずツケを払わなきゃいけないときが来る」ってことだね。授業の中での話だからもちろん例え話は学校のことになっちゃうけど。日本の大学って入るのはムチャクチャ難しいけど、1度入ってしまえば何もしなくて、例え学校へ行かなくても卒業できちゃうよね。って現にムースは3年生の途中から学校へ行くことなどなかったけど、卒業だけはさせてくれたからね。でもそんなことをしてると実は社会に出てから勉強しなければいけないときがとっても多くなる。学生時代に覚えとけばいいものを社会に出てからやろうとすると、それはそれは大変なこと。なぜって学生時代のように自分の思うように時間が使えないから。退社後の限られた時間の中でしか自分のやりたいことなんてなかなか出来ない。まぁ、その分集中してるのかもしれないけど。学生時代にやりなさいってことをやらずに来ると、あるときにそのツケが回ってくる。やるべきときにちゃんとやっていればそこで覚えることが出来るけど、それを後回しにしてしまえば、まず思い出すのに時間が必要だし、思い出してから覚えるのに時間が必要になるから。覚えるのに15分しか必要じゃなかったものが1時間も2時間も必要になってくる。たった15分で済んだものが貴重な睡眠時間2時間を削らなければいけなくなったら困るのは自分だと。これが先生が口癖のようにいうツケというもの。 これを聞くたびに妙に納得しちゃう。実はその先生も大学に入った年は遊びまくったそうだ。でもその後改心して勉強したそうだけど。で、何をしたかというと大学をもう1度行き直して、それから修士、博士の課程へと進んだそう。学費をこしらえるためにマンションを売ったっていってた。もしちゃんと勉強していればそんなことする必要がなかったろうにっていってた。この辺の話は自分自身の話に置き換えやすいから余計にそう感じるのかもね。ムース自身、何も勉強せず、学年で下から1番という望んでもなかなかとれないすばらしい成績で中学、高校を卒業し、自分の名前が書ければ合格というすばらしい大学に進学したものの、途中からそこへも行かなくなっちゃったから、社会に出てから苦労の連続だもんね。そう思うと今一生懸命ツケを払ってるって感じかな。今まで何も勉強しなかった分、今になって勉強してるもん。唯一の救いは20代のうちに勉強しなきゃダメだぁーって気がついたことかな。これが30代になってから気づいたのだったらいろいろな制約も増えてたことだろうし、リスクも今の何倍にもなっていただろうね。もちろん、今でもかなりのリスクを背負ってるけど、もう足を踏み出しちゃったからね。あとはやり遂げるしか残された道はないかな。 もしかしたらこれが自分を追い詰めてる原因かもしれないね。だから疲れてるのかも。1度は疲れがとれたと思ったんだけど、最近の自分を振り返るとそうでもないらしい。ただ今ここでツケを少しでも精算しないと、これからもっともっと大変なことになっちゃうと思う。先生じゃないけど、ムースも自分の資財のすべてをなげうって学校に勉強しに来たから。資財っていったって大したことないけど、すずめの涙ほどの月給でこき使われてたムースにしたらその額は莫大なものです。それだけのツケを払わなきゃいけなかったんだから本当に大変。親のスネをかじっていればよかった頃が懐かしい。といっても、今だに実家に帰れば親の好意に甘えて上げ膳据え膳です。 この話をするときに大体引き合いに出されるのが今の大学生だけど、やっぱりみんなこれといった目的がないみたい。どうして大学に来たの?って聞くと、ほとんどの答えが親が行けっていったからとかみんなが行ってるからとか。考えてみると自分自身もそうだった。これといった目的もなく何となく行ってた。だからつまんなくなっちゃうんだろうね。でもそのときに、将来少しでも楽をするために今勉強しなきゃいけないんだって熱く語ってくれる先生でもいれば少しは違うのかな?10代の人にそんなことをいってもムダなのかな?ムースが10代のときに理解できたかっていうと、絶対ムリだったと思うけど。ただムースの先生は熱く語ってるみたい。きっと彼らのうち何人かはその言葉を思い出すときが来るんだろうなぁ。若いうちの苦労は買ってでもしろっていうけど、今思うと若いうちに苦労を克服すると年をとってから楽になるよね。楽な方に逃げるのは簡単。ムース自身もそうやって逃げてきたし。ただ逃げてばかりいるとそのうちツケが大きくなって回ってくるのかなって思う。だからといって頑張りすぎるのもよくないと思う。出来ることから少しずつやって出来る範囲をちょっとずつ広げていく。もちろんちょっとだけムリはするけど。そしてこれ以上ムリは出来ないって思ったらそこでやめる。きっとそこが限界点だろうから。あとはそれとどうやって付き合っていくかそれだけだよね。 走り高跳びをやるときに最初から1メートル70は飛べないでしょ。最初は自分の飛べる高さから飛ぶじゃない。それは50センチかもしれないし、最初から1メートル50飛べるかもしれないし。1メートル60センチくらいまではちょっと練習すれば記録も簡単に伸ばせるかもしれない。でもそこからの1センチは並大抵の努力じゃダメだよね。たくさん苦労して1センチ伸ばすって感じでしょ。どんなに努力しても1メートル65センチ以上飛べなかったら、限界を1メートル64センチにしてもいいと思う。そうしたら今度はどれくらいの確立で1メートル64センチを飛べるようにするかかな?100%っていうことはないと思うから、その確立を3割から4割にあげるようにするとか。こうやって付き合っていくのがいいのかなって思う。今のムースはもしかしたら1メートル70が飛べないって嘆き苦しんでるのかもしれないなぁ。 昨日もいわれたけど「君たちは自分の限界を知らないから不安になるんだ」ともいってたけど、これも大当たりかな。どこが自分の限界かわかってないから、常に不安だし、ちょっと壁にぶつかっただけでも限界だと思って諦めちゃう。っていうか不安が先行しちゃってるから、そこで関係ないことを考えるのに、不安という妄想を膨らませることに頑張りすぎちゃってる。だから壁に当たったときはもろいのかも。だからもう少し自分を信じてあげなきゃいけないって感じるのかも。だから頑張るって言葉が嫌いなのかも。 うぅ〜ん、なんかまとまりがなくなってきたなぁ。とにかく人生は甘くないってことかな。
話はちょっと変わって、ずーっと前から気になっていた飲み物があったの。ある日記にこの飲み物のことが書いてあってからどんなものだろうと思ってたんだけど。詳細は「ここ」からどうぞ。その飲み物の名前はバニラ・コーク。どんなものだろうって思って一昨日スーパーへ行って買ってきちゃった。で、その味だけど、微妙です。ちょっと甘すぎかな?決してまずいってことはないし、ムースはバニラの香りが好きだから何とも思わなかったんだけど、あの匂いだけでも甘さを引き立たせる効果は大きいと思う。もしバニラの香りが嫌いだったら、匂いを嗅いだ瞬間にダメって思うだろうね。本当に甘〜い香りがするから。人生が甘いのや、孤独なムースのもとに甘い話を持って来てくれる(今までしゃべれなかった分しゃべりまくります)のは大歓迎だけど、これはもうちょっと甘くない方がよいのでは?甘いのも良し悪しかな。
さっきここまで書いたんだけどちょっとつけ足しを。先日、胸につかえたものがそのままになってモヤモヤしてたからそのままを書いたの。孤独だとかつらいとか。今でも孤独です。つらいです。何がつらいっていったら誰とも話ができないこと。いつも書いてるけど、楽しい時に楽しい、悲しい時に悲しい、つらいときにつらいっていえず、抱え込んだままにしてると変になっちゃう。 今日読み終わった唯川恵の「さよならをするために」の中に「相談ごとというのは、たいていが口に出した時点で、ただの愚痴に変わってしまうものだ。恭子はたぶん智子の回答など求めてはいない。不安を誰かに聞いてもらいたかっただけだ。それとも不安に悩まされている可哀そうな自分を誰かに慰めてもらいたかったのかもしれない。恭子の求めてることは、ただ話すこと。そして智子のしてあげれることは、ただ聞くこと」っていう件があったの。ムースが求めているものもこれです。ただ話したいだけです。きっと誰かと毎日話が出来る人にとってはそんな簡単なことって思うかもしれない。誰かと話せばいいじゃんって思うかもしれない。ムースも東京にいるときはこんなことかけらも思ったことはないし、ややもすれば誰とも口をききたくないって思ったくらい。でもそれは胸につかえたものをいつも吐き出していたから、抱え込む必要はなかったからそう思えたの。そうすることが出来ない今はこんな些細なことでも苦しむんです。空気みたいなものかな?なくならないとわからない。そんな感じ。 でもムースだって、今日読み終わったエッセイじゃないけど、いつか「さよなら」はします。こんなことがいつまでも続いたら困るし、喜びや悲しみ繰り返しながら時代はまわっていくから。今日は倒れた旅人のムースだけど生まれ変わって歩き出します。どっかで聞いたことあるかな?でしょうね。ある方がムースに中島みゆきの「時代」の歌詞を書いて送ってくれたんです。行間の読めないムースなのでそのメールに書いてあった言葉の意味をどこまで理解できたか怪しいけど、きっとこの歌にはその人のいろいろな思いが詰まってることだと思うの。そう思ってメールを読んだんだ。本当にうれしかった。 これまでにもいろんな人からメールをもらった。メールをもらうといつも本当にうれしい気分になるの。特に今のように人と話が出来ない時は余計に。本当にありがとうございます。ムースも涙なんか知らないいつでもほほえみを持ったひまわりの花のような人になれたら…って思う。スペインの大地一面に咲き誇るひまわり畑の花のように。「ここ」をクリックして今の気持ちを表した歌の歌詞を見てくださいね。音が出るので注意してください。ただ「もしもいつかあなたが顔を見せなくなればきっと枯れてしまう」のでよろしくお願いします。 |