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Mi Pensamiento Diario

東京って…

どうしたんだろう?今日はダルダル。全然体が動かなかったの。めずらしく朝早くに目が覚めたんだけど、金縛りにあったかのように動けなくってそのまま寝ちゃった。で、結局起きたのはお昼になってから。今日こそは図書館へ行って調べ物をしようと思ってたけど、ちょっと出来なかった。つい2、3日前まで食べることも忘れ、ネットでいろんなことを調べてたんだ。でもここ2、3日は食欲旺盛でちょっとネット離れ。人が変わったかのように食べてるかな。だから立ちくらみもしなくなってしたし…。って実際には立ちくらみじゃなくって、座ったままで血の気が引いていってたから。座りくらみ?ムースは昔から立ちくらみをよくしてたし目の前で星がキラキラと光ることが日常茶飯事なので特に気にもしてなかったけど、さすがに座ったままなのに血の気が引いていったのにはあせっちゃった。そんな訳で、ちゃんと食べるようにと気をつけたんだけど、それに反して体が動いてくれなくなっちゃった。
お昼に起きてからこれといったことは何もしなかったんだ。あっ、調べ物はちょっとしたかな?でも、それもすぐに終わっちゃって。何しようか考えたんだけど、そういえばまだ夏目漱石の「こころ」を読んでなかったと思って、今日ちょっと読みました。最初、太宰治の「津軽」を読もうかなぁって思ったんだけど、読むなら1日かけて集中して読みたいって思ったから「津軽」は後回し。で、「こころ」の最初の部分を読んだの。目次を見たら3つの部分にわかれていたんだ。「先生と私」、「両親と私」、「先生と遺書」の3つ。今日は「先生と私」だけ読んだの。ムースがよく読むオンライン小説と違って展開が早い訳でもないんだけど、なぜか引きつけられちゃった。やっぱり文章の書き方が上手なのかな?それと夏目漱石を読んでると東京が舞台になってる文章も多いから、頭の中に情景が浮かぶのかも。もちろん「坊ちゃん」のように四国松山が舞台になってるものもあるけど。でも、小説の中に神田小川町が云々とか佐久間町が云々とか書いてあると、あぁ、あの辺の話を書いているんだなぁって思いながら読めるから。東京以外の人にはこんな地名馴染みがないかもしれないけど、東京で生まれ育ったムースには馴染みがあるの。だから読んでいても楽しいのかもしれない。考えてみれば明治時代の文豪といわれた人たちってその多くは本郷に住んでたんだもんね。本郷ってところは東京大学のそばの辺り。って東京の人じゃないと東大がどこにあるかも知れないって人が多いかな。うぅ〜ん、何ていえばいいかな?
昔、北の玄関口といわれた上野駅のそばに上野公園っていう大きな公園があるのね。その公園の中にパンダで有名な上野恩賜動物公園とか東京都美術館とか国立博物館とかいろいろな施設があるの。でね、公園のずーっと突っ切っていくと不忍池っていう池があるんだけど、その向こうが東大のはずれになるのかな。ところで、不忍池って読み方わかるかな。東京の人にはわかるに決まってるじゃんっていわれそうだけど…。「しのばずのいけ」って読みます。父がいってたんだけど、読み方を間違える人が多いらしいから。「ふにんいけ」とか「ふにんのいけ」って読む人もいるそうなの。
小説を読んでると、上にも書いたけど神田○○町っていう地名や本郷や小石川等、作家が住んでた辺りや本屋さんのたくさんある辺りの地名が本当に多く出てくる。でね、そのそばに一ツ橋っていう地名があるのね。何があるかな?毎日新聞があって目の前には皇居のお堀が見える辺りなの。そこでの話なんだけど、父がある人に「一ツ橋へ行きたいんですけど、どういったらいいですか」って聞かれたんだって。父はここが一ツ橋ですって教えたらしいんだけど、その人は違うといい張ったそうなの。私の行きたいところはここではないって感じで。で、よくよく話を聞いたらその人の行きたかったところは一ツ橋ではなくって一の橋だったんだって。一の橋っていうのは麻布十番の坂を下ったところの辺りのことなの。たまたま父は若い頃麻布十番の辺りをフラフラとしてたことがあるからすぐにわかったそうなんだけど、東京の人でもわからない人が多いから地名は間違わないようにね。東京の地名ってまぎらわしいから。

とここまで書いたところで、ちょっと港区の地図を見たんだけど、何か懐かしくなっちゃった。港区に天現寺って呼ばれるところがあるの。住所だと広尾になるのかな?そこにね、ムースが出た高校の担任の先生が住んでいたことがあって。高校を卒業してまだ間もない5月。友達と予備校の帰りに先生の家へ行こうってことになって2人で行ったの。その先生もムース達と一緒に卒業しちゃって、その時はプー太郎だったのかな。だからヒマしてたのかもしれないね。でね、夕方くらいになってから遊びに行ったんだけど、ご飯でも食べに行こうかってことになったんだ。3人だけっていうのも何となくってことでもう1人友達を呼んだの。その友達は高輪に住んでいたし、すぐに来るからっていって。電話してから30分くらいで来たのかな?それからみんなでご飯を食べに行こうってなったんだけど、その時行ったのが恵比寿のビール園。今のガーデンプレース。そこへ行ったんだけど、下戸のムースにとっては結構つらかった。ガンガン飲まされたから気持ち悪くって。本当に大変だった。今だったら何ともないかもしれないけどね。ムースはもうフラフラだったんだけど、でも大丈夫っていってたの。そうしたら今度は六本木へ飲みに行こうってことになって。本当に大変だった。今思えばよく家に帰れたことだと思う。っていっても今まで通ってた学校から帰るのと変わらないから、あと何駅って思いながら帰ることが出来たからよかったけど。もし初めてのところだったら、家へ帰れなかったかも。考えてみればこの時生まれて初めて六本木っていうところで飲んだんだ。まさかその何年か後に毎週末夜な夜な遊び歩くことになるとは思わずに…。っていってもそこのお店にはその時以来行ったことないけど。ちょっと懐かしいなぁ。
前にも書いたけど、ムースの周りの人は昔の地名を使う人が多いと思う。ムースが中国へ行った時に知り合った人はやっぱり広尾の人で、有栖川宮記念公園の中にある中央図書館ってところに毎日いますなんていう人だった。どんな職業の人だろうって思って聞いたら、無為徒食の身ですっていわれてはぐらかされちゃったの思い出しちゃった。その人も昔の地名っていうか昔の東京の話をよくしてて、皇居のことを宮城っていってたし。ムースなんて川向こうの方ですか?なんて聞かれちゃってビックリしたことある。昔、隅田川を境に武蔵の国と下総の国にわかれていたのね。だから同じ江戸の町でもいわゆる下町は下総の国。本所、深川、向島、これみんな下総の国。だからその人からしたらムースの住む下町は川向こうの土地で国違いなの。でも、今の東京の人でこんなこという人はいなかっただけにちょっとビックリだった。料亭で有名な向島も読んで字のごとく、川向こうの島だから向島。相撲で有名な両国は武蔵の国と下総の国の両国をまたがる所からその名がついたみたい。ここ両国には赤穂浪士で有名な吉良上野介の屋敷跡があるところ。
昔から東京ってところは大きな街だったみたいだけど、でも人間味のあるところだったみたい。今のように無味乾燥の味気ないところじゃなかったのかもしれないね。いつの頃からかそうなっちゃったんだか。もしかしたら明治維新後すべての中心を東京に持ってきて東京至上主義になってからなのかな?今、標準語と呼ばれる言葉だってもとはといえば東京の山の手地方の一方言に過ぎなかったんだもんね。東京の言葉なんて化政文化の時代には大阪の言葉を取り入れていたようだし。東京地方の言葉が話し言葉で、元来大阪地方の話し言葉だったものが東京ではおしゃれとされて、それがいつの間にやら敬語になっちゃったのだってあるみたいだし。何となく吉本興業の人が大挙して東京に来たのと同じって思っちゃうのはムースだけだろうか。昔も今も関西で起こったものが東京でおしゃれとされ、それが全国に広がってるって思うだけど…。東京ってそんな街なのかな。

ダルダルだったけど、結構書いちゃった。昨日、この日記の中でお知らせした「3」に関することをテーマとした短いエッセー。おかげさまで掲載されました。SAM’S SITEさんというコラムのサイトです。「ここ」をクリックしてくださればジャンプできます。3000HIT記念企画というところを進んでいったら読めます。近々、投稿した作品を1つのページまとめようと思いますが、まだ何もしてません。SAMさんへ。締め切りだったのに掲載していただいてありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。


2002年05月20日(月)




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