昨日から読み始めた夏目漱石の「こころ」を読み終えちゃった。何ともいえない気持ち。特に最後の章、「先生と遺書」は人の心の奥底を描いているだけに、重くムースの心に伸し掛かってきちゃった。高校生の時に教科書に載っていたのがこの最後の章。Kと私のやりとり、そして心情の変化を描いたところ。読んでいて思ったのは、誰しもが持っている人としての醜い部分をこうも描き出されると、それはまるで自分のことをいわれているかのようでちょっと辛い気分になるってこと。自分自身を含めて嫉妬をしたことがない人間なんて見たいことないし、自分の都合のいいようにしたいと思うのは至極(しごく)当然のこと。人間、煩悩を捨て無我の境地で何かに挑んだつもりでも、心の奥底では私利私欲が渦を巻いて今やその心を飲み込まんと待ち構えている。ややもすれば、無我の境地で挑むというのは口先だけのものとなりその心は私利私欲の塊となりがちである。お坊さんとか聖職者と呼ばれる人からは人間そういうことではいけないと叱責されそうだけど、でも自分の心に正直になるとやっぱり欲しいものは欲しいと思っちゃう。欲しいものを手に入れようとするのは普通のことだし、人はそれだから努力するんだと思う。欲しいものを手に入れるとき、そのやり方がきれいとか汚いとかあるかもしれないけど、それはその人の価値観や倫理観によって違うわけだし。ムースの中で善しとされるものだって他人にとって悪しとされるものがたくさんある。だから自分が美しく自らの欲するものを手に入れたとしても、その手法は甚だ人の道からはずれていると思われることだってあると思う。だって美しいというのは主観であって客観ではないから。 何か変なこと書いてるかな?最近はちょっと悲観的な意見が多いかも?煩悶(はんもん)することがちょっと多いのかな。もうちょっと楽観的になれればいいんだけどねぇ。スペインにいる時はちょー楽観的だったんだけど。どうしちゃったんだろう?ここんとこ変かな。でも寂寞(せきばく)となっているわけでもないし、厭世(えんせい)的にもなってないから。 昔現国の授業の中で一部を読んだのと、今改めて全部を読んだのでは受ける印象が全く違うね。この間読んだ太宰治の「人間失格」もそう。全然印象が違った。それなりに年をとったのかな?ピーターパンシンドロームだし、アダルトチルドレンなのに。何だか滑稽だね。 そういえば、昨日気づいたんだけど、日曜日の夜の記憶がムースの中からすっぽりと抜けてた。何をしてたんだろうって思ったの。だっていつもいろいろな人の日記を読んでるのに日曜日に読んだ形跡がなかったの。っていうか読んでなかったの。人によって書く時間が違うから朝と晩に巡回してるんだけど、夜の巡回がなかったみたい。でも何やってたか思い出せない。健忘症になっちゃったのかな。イヤだねぇー、年をとるって。記憶力が著しく衰退しているだもん。医学的には年をとったからものを覚えられないってことはないみたいね。ってことはこの記憶力衰退の原因は何?不思議だぁ。 「こころ」を読み終えたし、次は何にしようと思うんだけど、実は今リビングルームに読みかけのハリーポッターが転がってるの。どうして「こころ」はたった2日で読めるのにハリーポッターは6ページ読んだだけで飽きちゃってるの?次はハリーポッター読むぞーといいたいところなんだけど、江国香織か唯川恵か吉元由美を読む可能性大。それが終わったら三浦綾子の氷点でも読もう。ハリーポッターはいつ読むことになるやら…。
難しい言葉、使いすぎちゃった。やっぱり子供だ。覚えた言葉をすぐに使いたくなっちゃう。 |