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Mi Pensamiento Diario

英語ペラペラ

英語ペラペラ?って誰かに聞いたことある人って多いんじゃないかな?中には英語ペラペラ?って聞かれたことある人もいるだろうね。でも、英語ペラペラ?とか、英語を話せる?っていうのは何を基準に聞いているんだろう?ペラペラっていうのは何をいわれてもわかるし、その受け答えがちゃんと出来ることをいってるのかな?それとも、TVや映画を見たときに何をいってるのだか理解できることをいっているのかな?どうなんだろう?
今は石を投げれば留学経験者に当たるっていわれてるくらい短期留学、長期留学等の留学経験者は多いよね。ムースも実はその1人なんだけど…。だから誰かが投げた石がムースに当たったら、はぁ〜い、留学経験者で〜すってことになる。まぁ、ムースの場合はどこに留学してたの?って聞かれれば、スペインですって答えるから、英語ペラペラ?っていうのはあまり聞かれることはないけど…。でも、もしムースがスペインにいた期間と同じ期間をイギリスで過ごしたとして、果たして英語がペラペラになったのだろうかって思うことがあるの。もちろん、答えはノー。イギリスにいた3ヶ月は英語なんてほとんど話すことがなかったもん。スペインにいたときの方が英語を話す機会が多かったっていうか、毎日英語を使う場面があったんだ。その逆に、イギリスにいるときの方がスペインにいたときよりもスペイン語を話す機会が多かったなぁ。それを考えると、やっぱりたった1年でペラペラっていうのは果てしなく遠い世界だよね。サンフランシスコにいる友達から聞いたことがあるんだけど、アメリカの大学を卒業した人でさえ、ろくに読むことも書くことも話すこともできない人がいるっていうしね。っていうか、ムースもそういう人を何人か見てるから知ってるんだ。誤解されると困るので付け加えると、留学をした人、している人の中には一生懸命勉強して、普段の生活には支障のない程度の英語力があって、英語でコミュニケーションをとることに大きな問題がないって人がたくさんいますので。
で、ペラペラってことだけれども、もしこれを自分の日本語を基準とした場合、ペラペラっていうのはどういうことになるだろう。もちろん、日本語のレベルも人それぞれだと思うけど、でも大体これくらいの言葉はわかるでしょうってレベルがあるよね。例えば、新聞を読んでいてほとんど問題がないとか、日本語で何かを書いた時、文法的には間違っていてもほとんどの日本人は理解できるとか。TVを見たときに何をいわれているか9割9分までわかるとか。ムースがここであえて「ほとんど」とか「9割9分」とか曖昧な表現を使ったのは、日本人が日本語のニュースを見ていても100%理解できているとは思わないから。だってムース自身、ここに日記を書くようになったら日本語がわからなくて辞書を引く回数が増えたし、TVを見てたって全部が全部わかるかといったら、そんなことはないから。政治や経済の話は大体わかるけど、時たま何をいわれているかわからないときがあるもん。もちろん説明をされればわかるものもあるよ。でも、時には説明されてもわからないことも。新聞だって読んでいる時にたまに辞書引くときだってあるし。だって漢字が読めないんだもん。さらに、ムースの話す日本語がおかしいっていう人が何人もいたので日本語にあんまり自信がないんだけど…。でも、ほとんどの人がムースは日本語がペラペラだと思ってるし、そのことについては誰も否定しないよ。だからムースは日本語がペラペラだと思う。
これを英語に置き換えた時、なぜか基準が変わってくる。一般的に英語がペラペラっていうのは、英語で聞かれたことは何でもわかるし答えられるってことになっていないだろうか?例えそれが日本語でいわれたってわからない言葉だとしても。英語でいわれたこと、聞かれたこと、話すことに一切の問題がないのがペラペラってことになっていないだろうか?ムースはどうもそんな気がしてしょうがないの。日本人同士が日本語で話していたときにわからない言葉だってたくさんあるでしょ。でもそうだからといって、日本で生まれ育ってる日本人に対して、日本語があまりお上手じゃないんですねと誰もいわないでしょ。それが英語の場合となると、わからない言葉があると周囲の人はその時点で、この人はどれくらい英語が話せるのだろうかと不安になってくる。それになぜだか完璧を求めてくる。これがムースにとっては不思議な話。もちろん、英語ペラペラって聞かれる方だってその現実を知ってるから、ペラペラですとはまず答えないでしょう。どこかあやふやないい方をするよね。大体わかりますとか、何をいわれてるかわかるけど、わからないこともたくさんありますとか…。
ムースがスペインから帰ってきたときに受けた就職面接での出来事。ムースの履歴書を見て、スペインに行ってたんだぁーっていう軽いジャブが入った後、スペイン語や英語がしゃべれるかって聞かれたの。まぁ、スペインで友達と英語で会話をしてたからしゃべれると思ってたのね。だから英語もスペイン語もわかりますっていったの。そうしたらどの程度わかるか聞かれたんだ。どの程度っていったって、難しい言葉はわからないから難しいことはわかりませんっていったら、スペインで1年間遊んできたんだよねっていわれたの。勉強しに行くっていうのはその国で学士なり、修士なりを取ったら勉強してきたっていうみたいなこといわれたもん。さすがに何もいうことがなくなっちゃった。スペインの学校で1年間習ったこと、イギリスの学校で3ヶ月間習ったのは何だったのって思ったけど、これが一般論なんだろうなぁーって思ったの。それ以来、ムースはイギリスに3ヶ月いたことあるし、スペインにも1年いたけど、遊んでばかりいたし、お酒の飲み方を覚えて帰ってきたっていうことにしたんだ。そういった方が受けがいいから。
スペインへ行く前にお勤めしてた会社でも、あるときに英語の単語の意味を聞かれたことがあるの。なぜかっていうと、ムースが英語を話せるっていうことになっていたから。でもその当時はNHKのラジオ英会話2年目。大して英語なんてわからない頃だったんだけどね。でね、聞いてきた人は辞書にのってるムースが聞いたこともないような単語の意味を聞いてきたの。当然わかんないからわからないって答えるよね。そうしたらね、あれっ、英語話せるんじゃなかったっけ?ってようなことをいうんだよ。この時も何もいいたくない気持ちになったんだ。だからかもしれないけど、今だに英語を話せるの?って聞かれると話せないっていっちゃうんだけど…。ちょっと悲観的過ぎかな?
英語がペラペラってことはいわないかもしれないけど、隠れペラペラはたくさんいると思うんだ。ムースが思うに、ペラペラっていう偏見に満ちた定義を変えれば、雨後のたけのこのように英語ペラペラっていう人がたくさん出てくると思うんだけど…。英語のわかる人が出る杭になって打たれるんじゃなくって、その能力をもっと引き出そうっていう社会だといいんだけどね。
英語の話しついでに…。多くの日本企業ではTOEIC崇拝傾向があるみたいだけど、TOEICの点数がいいから英語がしゃべれるとは限らないから。逆に英語がしゃべれるからTOEICの点がいいっていうこともないと思うよ。っていっても、しゃべれる人は800点くらいの点数は何も勉強しなくてもすぐに取ると思うけど…。ムースの見たインド人でTOEFLが580〜590点(コンピュータのTOEFLでは何点くらいになるかわかんない)っていう人がいたんだ。読み書きはすばらしいと思う。読めない、書けないムースからしたら、うらやましいって思う。けれども英語でコミュニケーションはとれてません。なぜなら、発音がひどすぎるから。でも、彼らにはプライドがあるの。ぼくは、私は英語ができるっていうプライド。だから発音を直そうって人はあまりいない。これって英語が話せるっていうのかな?もし語学がコミュニケーションをとるための道具であるなら、使える環境にあるなら、使わなきゃ意味ないよね。ピカ一君でないんだから…。資格のためだけの語学って何かが違うんじゃない?新人教育のときにどんな企業でも「ほう・れん・そう」って教えるでしょ?報告・連絡・相談って。社会で一番大切なのは人との円滑なコミュニケーションじゃんなかったっけ?ってことは英語はそれを海外の人とするための道具で、資格のためだけじゃないでしょ?TOEICの点がいくらよくても、コミュニケーションができなければ意味がないんじゃない?

あぁー、明日も朝1番で試験だっていうのに…。何にも勉強してないよう。今日、試験が終わって学校から帰ってきたら、留守電が入ってたの。ムースが家にいないのがわかってるのに電話。しかも一方的なメッセージで。ちょっとイヤな気分だった。ムースが借りてたものがあったんだけど、明日取りに来るっていうの。もう半年以上も話してないのに、突然。イヤな気分になったから、今日すべてお返ししました。と同時に部屋の模様替えもしちゃいました。実は模様替えっていうよりも、お勝手に置いてたった食卓ををリビングルームに移して、勉強机にしただけって感じなんだけど。試験中にこんなことやめてっていいたいけど、何もいわなかった。何でだかわからないけど、最近、文句をいうのをやめちゃう傾向が…。昔は熱かったのになぁ…。コミュニケーション能力の欠けてるのかな?それともやっぱり人間として欠陥なのかな?


2002年05月06日(月)




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