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Mi Pensamiento Diario

自由になりたい

今の生活はイヤだ。いろいろなことに縛られていて堅苦しい。できることならもっと自由な環境で自分のやりたいことを自分の思い通りにやりたい。こんなようなこといったことないですか?ムースはいい過ぎていついったかも思えてないくらいなんだけど…。人って忙しすぎたり、決め事や規則に縛られすぎるとこんなようなことをいっちゃうんじゃないかな?中には決まりっていうのは破るためにあるっていう人もいるよね。ムースは決まりは守ろうとする方なので、破るためっていう発想はあまり感心しないけど、でもその気持ちもわからないでもないな。あまりにも、決まりだから、決まりだからっていわれると破りたくもなってくるもんね。でも、その決まりや規則というものがなくなって何でもやっていいよといわれた時、本当に何でもできるのかな?
今日、いつもムースが行く日記書きさんのところにおしゃれの話がでてたのね。その作者が高校生の頃、校則で許されてる範囲の中ぎりぎりのところでおしゃれを楽しんでたというの。それはスカートの丈を短くしてみたりだとか、マニキュアを塗ってみたりだとか、髪の毛の色を少し明るくしてみたりだとか。もちろん高校生だし、先生の目ってものがあったから、徐々にやっていったって書いてあったけどね。ここまでだったら大丈夫かな?これだとヤバイだろうって感じで。ムースも高校生の頃はそんな感じだったから気持ちがわからないでもないなぁ。っていっても、ムースのいってた高校は他校と比べるとかなり緩い校則だったから、先生に怒られる前に親に何かいわれるのが先立ったかもしれない。だから校則で許されるだろうっていうギリギリのところを楽しむっていうことはなかったけどね。
でも、その日記の作者が短大へいった時、状況はかなり変わったみたい。短大だから何を着ていこうが、どんな恰好をしようが自由だよね。もう校則というものに拘束されることはないよね。最初の頃は校則から解放されたことの喜びで、今までできなかった恰好してみたいなんだけど、そのうちに飽きてしまって段々簡単な恰好になってしまったみたいなの。飽きたってことだけが簡単な恰好になっていった理由じゃないみたいなんだけど、ムースが受け取った感じだと、飽きてしまったのかなって思う。校則という名の拘束がなくなって自由になったとたん、意外とおしゃれに気を使う時間が短くなっていったみたいなの。そしてその人は今OLのようなんだけど、ここでも特に服装に関する規定がないらしく、何を着ていってもいいらしい。でも、毎日、毎日、おしゃれをするのではないらしく、普段は簡単な恰好で会社に行っているようなんだ。
ムースね、これを読んで思ったんだけど、この作者って今までは規則を破るか破らないかのギリギリのスリルを味わっていたんだと思うの。だってギリギリの線でやってるものってスリルがあるし、緊張してるし、楽しいと思うの。政治家がお金をもらう、もらわないっていうのも、そのギリギリのところだよね。だから毎日楽しくて仕方がないと思うの。もちろん、イヤな思いもたくさんすると思うけど、でもギリギリのところのものが多い気がする。だから政治家を辞められないんじゃないのかな?収入が多いっていうのも魅力の1つだと思うけど…。
でも、何してもいいですよっていわれたとたん、この日記の作者は自然体になっていったと思うんだ。もしかしたら政治かも何やってもいいですよっていったら自然体になるのかな?いや、政治家に限ってはそんなことないかな?権力を行使するのが好きな人が多いから。ムースが思うに、これはいけません、やっちゃダメですってあまりにもいい過ぎると思うんだ。そして枠の中にはめていこうとしてるように感じる。例えば、高校生はこうあるべきだって感じで。だからみんな反発したくなっちゃうと思うんだ。ただ、既存の決まりを破るとそれなりの罰を受けるし、それはイヤだからギリギリのところでいろいろなことをやってるのかもしれないよね。
ある時に日本を飛び出して海外へ行ってお仕事をしたり、勉強をしたりする人って今の時代多いよね。どういう理由で海外に行ったんだかムースにはわからないけど、思うに、日本っていう国でやっていくのに窮屈さを感じたから飛び出して行っちゃったって人が多いんじゃないかなって思うの。実際には外国へ行って何かをやるってことの方がいろいろな規制があるんだけど、それでも海外っていうのは、規制事項が多くてもそれを感じさせない何かがあるんじゃないかな?例えば、やったらやった分だけの見返りがあるとか、やりたいって思ったことに一貫性があって、期待できれるものがあればちゃんとやれるとか…。多分、窮屈じゃないんだと思う。それが最大の理由なのかな?
自由にやりたいっていうけど、このやりたいって気持ちを維持するのってとっても大変なことだと思う。世の中に完全な自由っていうのは存在しないと思うけど、でも窮屈じゃなければ、息苦しくなければ、いくら規制事項があってもそれをあまり感じないんじゃないだろうか?常日頃から、これはダメ、あれはダメっていってるから、やる気もなくなるし、何をやってもダメだろうって最初から諦めてしまってるんじゃないかな。ダメ、ダメいうのって簡単だと思うけど、これやっていいよ、あれやっていいよって何かをやらせるっていうことは、ダメ、ダメっていう何十倍も、何百倍も難しいと思う。そうしたら、自由になりたいっていう愚痴や嘆きやぼやきが減っていくと思うし、日本を飛び出して海外で成功を収める人も減っていくと思うんだけど。
ところでムースはどうなのって思うかな?ムースは鳥のようにいつも自由に世界中の空を羽ばたいていないとダメなようです。っていうと聞こえがいいんだけど、要は根無し草なので、時の流れに身を任せてそこら辺でプカプカと浮いてます。これがムース流の自由な生き方です。決してまねしないでね。楽しいようで結構つらいことも多いので…。

今日で試験も3教科終わり残り1教科となりました。明日は試験がないから、今日はちょっとゆっくり。お昼寝もたっぷりしたし、またまたお酒も飲んじゃいました。ちょっとだけ夏休み気分になったのかな?いや、まだまだだね。最後の試験、がっちりと点数を取っていかないと後々に響いてくるからね。できることなら成績ってことに振り回されずに勉強したいんだけど、でも試験や成績ってものがあるからちゃんと勉強するのかもね。あまり自由になりすぎると、自然体でいるっていうより、ただの物体になって学校を行き来するだけになっちゃうから。
昔撮って、スキャナーで取り込んだ写真があったんだけど、今日くつろいでた時にちょっとだけいい感じに加工したのでよかったら見てください。ムースが昔いた、スペインのサラマンカっていう街のマヨール広場の写真です。ライトアップしてるのでクリスマスの前に撮ったと思うんだけど、よく覚えてません。そんなにきれいな写真じゃないけど、こんな感じの街なのねってことはわかると思います。ちなみに写真はちょっと大きいのでダイアルアップでつないでる人は見れるまでにちょっと時間がかかると思います。ここ(ここっていう文字)をクリックしていただければ800x600のウィンドウが開いて見れると思いますので。


2002年05月07日(火)




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