あの人はプライドが高いとか、あの人はプライドがないとか、プライドって言葉、よく使われるよね。プライドなんて言葉、会話の中に1度も出たことがない人っているのかな?少なくともムースはプライドって言葉、何度か聞いたことあるし、自分でも使ったことあるよ。下らないプライドを捨てたらどうなの?とか、こんなことやるなんてプライドが許さないかな?とか。記憶の中から抹消しちゃったんだか、使ったことがないんだか、よくわからないけど、自分に対して使ったことがない気がするんだ。このプライドって言葉。 ところで、このよく聞かれるプライドって一体何なの?辞書にその定義が載ってるかなって思ってひいてみたんだけど、自尊心や誇りって書いてあるだけなの。でね、自尊心を辞書でひいたら、「自分を尊び他からの干渉をうけないで、品位を保とうとする心理や態度」って書いたあったの。これじゃ、何だかよくわかんないよね。だから今度はネットで検索。プライドってキーワードだけで検索するとたーくさんひっかかるんだけど、どうもしっくりくるものがないんだよねぇ。この言葉を使う人って一体どんな意味で使ってるんだろう。そう思ったんだ。 ムースが使った場合なんだけど、自尊心って意味よりも虚栄心って意味で使ってた場合が多いかな?実質が伴わないのに見せかけだけよくしようとしてる場合に見栄って言葉を使わないでプライドって言葉を使ってたの。だからなのかな?下らないプライドを捨てたらっていってたのは。例をあげると、ある人が英語を習ってたのね。でね、その人はまだ初心者レベルだったの。でも、読んでる本といえば、英語で書かれたペーパーブックといわれる本。ムースにしたらそれはちょっと…って思うんだよね。だってその人に適した読み物ってあるから。でもねぇ、そのことについてムースが何かをいうと「私は高校生の時、英語の成績がよかったし、英語は得意だから」って感じの言葉を返されたんだ。確かに高校生の頃、英語の成績がよかった人にとっては、ムースのような偏差値30台後半の人からは何もいわれたくないだろうと思う。でもね、それは昔の話で今じゃないんだよね。ムースだって高校時代は微積の成績がよかったけど、今じゃないんだよね。今、数値解析の試験の後、赤点が返されてきて、昔は…な〜んていったら誰しもが、「昔は昔、今を見なさい」っていうだろうね。だって昔話してたって、数値解析の成績が上げるわけじゃないから。これと一緒で、昔、英語の成績が良くても、それは昔の出来事。今を見なさいっていうんだけど、なかなか受け入れてもらえない。そのときにいったのが「下らないプライドなんて捨てたら」って言葉。過去の栄光にすがってしまってるんだよね。まぁ、こんなことをいってもムースのいったことなんて誰も聞いてくれないけど…。 いつもの、ちょっと余談なんだけど、ムースがねぇ、何かいうとみんな猛烈な勢いでいい返してくるの。「お前にはいわれたくない」とかってことはよくいわれる。でもね、同じことを他の人がいうとみんな素直に聞くんだ。ムースってよっぽど信用されてないか、鼻につく人間何だか、イヤミな人なんだか、よくわからいけど。それともいい方が押し付けがましいのかな?じゃなかったら、下だと思ってた人間にいわれるのがよっぽど癪にさわるんだか。とにかく大変。だから今は人には何もいわないようにしようって思ってるけど。ってHPを作って、いろいろなことを書いてること自体、矛盾でしょう、なんてこといわないでね。こんなムースでも、中にはムースのいってることに耳を貸してくれる人もいるから。耳を貸してくれる人の誰か1人でも、ムースのいったことがヒントになっていい状態になればいいなぁーって思ってるから。だから書きたいこと書いてるんだ。 で、余談は終わりにして、このムースの使ったプライドだと虚栄心って意味合いが強いと思うんだ。だって実質が伴ってないのに、干渉を受けないで、品位を保とうとしてるから。見せかけをよくしようとしてるから。 ネットでの検索は諦めずに続けたら、あるHPに到達したの。研究所「象」って所なんだけど、そこでなかなかいい感じの定義があったの。「プライドという言葉は、「全体のなかの一成員として、価値観を極め、その価値観を基に、吸収できるもの、吸収できないものを、魂の赴くままに、主張したい」という意味になります。言い換えますと、「全体のなかのものに対して、従えるものと、従えないものを、魂のままに主張したい」といえる」んだって。これだと辞書に載ってる定義よりはずーっとわかりやすいんじゃないかな。従えるものと従えないものを思ったままに主張するってことだから。 じゃ、プライドが高いっていうのはどういうことって思うよね。研究所「象」ではそれについてもちゃんと書いてありました。「プライドの高い人といいますと、「従えるものが少なくて、従えないものが多い人」という事になります。従えないものが多くなれば成る程、よりプライドの高い人となる訳です」って。もちろん、ムチャクチャなものに対しては誰だって従えないと思うんだ。でもね、ここでいってる従えないっていうのは、ムース流に解釈すると、人の話を聞いてあげることが出来ないってことじゃないかと思うの。人の話を聞けないっていうと頑固って言葉の方が近いかもしれないけど…。 プライドが高いっていわれる人っていつもツーンとしてて、お高くとまっていて、人の話なんて全く聞かないってイメージがない?もしね、その人が親身になって人の話を聞いてくれてたら、ツーンとしてるとか、お高くとまってるって印象は受けないと思うの。人それぞれ考え方は違うんだから、他人の考え方に納得がいかない、従えないってことはたくさんあると思うけど、話を聞かずしてあなたのいうことはダメっていわれちゃったら、もう何にもいいたくなくなっちゃうよね。そういうときに、愚痴のように出てくる言葉って、「あの人はプライドが高いから、私のいってることなんて…」ってならないかな?「いつもお高くとまっちゃって…」とか。従う、従えないって話を聞くことができる、できないってことに置き換えても意味が通じるような気がするの。 でもね、私は変なプライドはないっていって何でもかんでも従うっていうのはまた違うと思うの。それは従うんじゃなくって依存するってことだから。依存って自分がなくなっちゃうよね。いつも他人まかせだよね。研究所「象」では依存しましょうって書いてあるけど、これは多分ムースの定義する依存じゃないと思うから。ムースのいう依存は自分というものがなくなって、常に他のものに頼って、他のいう通りにする。これがムースのいう依存で、研究所「象」の依存はどう見ても、自分っていう存在はしっかりとしている上での依存だから。 プライド。とっても抽象的な言葉だけど、よく使う言葉。高くても低くてもよく思われないプライド。それは従えるか従えないかっていえるから。人の話をよく聞いて従えるものを的確に見極めることが出来るようになれるといいね。そして、不必要に高いプライドを持たないようになれればいいね。 プライドって聞いて、今井美樹の歌?って思った人もいるかな?ムースがよく今井美樹を聞いてるってここに書いてるから。ってさっきまで今井美樹のプライドを聞いてたんだけど。研究所「象」にはプライドの解釈も載ってたからちょっと紹介します。「プライドという歌では、「あなたへの愛こそが、私のプライド」と歌われていましたが、これは、「私にとって、あなたこそが、全体の中で心から従える人だ」といっている」ことになるんだって。いいねぇ。ムースもこんなこといわれたいし、いってみたいねぇ。っていってもムースの場合は「南のひとつ星を 見上げて誓」うってよりも北の星かな?誓うことは「どんな時も 微笑を絶やさずに 歩いて行こう」ってことでも…。 実は、このプライドってことを書こうと思って金曜日の午後に頭を悩ましてたの。でもね、ボーっとしてて全然書けなかったんだ。そして昨日も。昨日は1日中頭が痛くって。お昼に起きたのに、3時頃昼寝してたし、日記書く前も寝てたし。プライドって本当に難しい言葉だね。何気なく使ってるだけに、どう書いていいかちょっと考えちゃった。ちょっといい訳だけど…。そんなんだったから昨日はまとまりのないこと書いちゃったし。ムースの中でアメリカって国はずーっと夢の国だったんだ。無知だったから何ひとつ疑うことなく、いい国って思ってた。無知って幸せだよね。でも、今は現実が見える。いいところも悪いところも両方見える。でね、何を思ったかっていうと、日本で日本人として生まれてきてよかったなぁーって。アメリカは今でも憧れの国だけど、アメリカ人として生まれこなくってよかったと思う。今、ムースは日本人ってことに誇りを持てるんだ。 これがムースのプライド。初めて自分にプライドって言葉、使っちゃった。 |