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Mi Pensamiento Diario

学習指導要領

ここんところ、毎日のように夜更かししてるから何となくボーっとしてるのかな?今日はねぇ、お休みだからゆっくり寝ようと思ってたんだけど、10時半には目が覚めちゃった。って十分遅いか。午前中は相変わらずネットを巡回してるんだけど、今日は明日提出の宿題をやらなきゃいけないと思って、早く切り上げようと必死だったの。っていうか、朝のうちに日記のネタを探しちゃおうって思ったんだけど、なかなかいいのが思い浮かばなかったんだ。検索をしたのは狩野探幽っていう画家のことだったんだけど、あまりにもたくさんヒットしちゃったから、これは今日の日記に書くには適してないって思ってやめちゃった。っていうかムース自身がこの人のことをよく知らないの。だからネットで検索したんだけど、ここまでヒットするとは思わなかった。この画家のことをどこで知ったかっていうと、昔京都へ行ったときに、この狩野探幽って人の絵を見て感動したっていう記憶があったからなんだ。昨日、オートバイで事故起こしたことあるって書いたけど、その事故の2日後くらいに、ふと京都へ行きたくなって、夜行列車に乗って京都へいったの。東京から京都へ行くのに夜行列車なんてあるの?っていわれそうだね。今はわからないけど、当時は急行銀河っていう夜行急行があって、それに乗っていったの。3月の終わり頃のことで、桜が散り始めた頃にいったんだ。でも、まだまだ桜の花は咲いたままで、朝早くに、って7時半頃だけど、誰もいない清水寺へいって1人でお花見しちゃった。その日はねぇ、天気があまりよくなかったの。午後から雨が降ってきちゃってねぇ。しとしとと雨降る中、1人さびしく哲学の道を散歩してた。だって、すれ違う人たちはカップルだったり、楽しそうに旅行してるOLっぽい人たちだったり。ムースくらいだったかも。1人でポツポツと歩いてたの。でね、そのあとに大原三千院とか寂光院へ行ったんだけど、あそこでも1人ぼっちって人は見なかったと思う。でも、その夜に泊まったところのTVでアイスホッケーが見れたからムース的には大満足なんだけど。この京都旅行の時、狩野探幽って人の絵をたくさん見たんだ。1人だから気ままだしねぇ。大覚寺では般若心境の写経なんかしちゃってねぇ。何やってるんだろうって思っちゃった。っていうのは、ムースねぇ、借りた筆で字を書くのってあまり好きじゃないの。筆のクセがわかんないから、何となくイヤでねぇ。だから写経した時は思いのほか時間がかかっちゃった。
狩野探幽についてはちょっと大変なので、書くのはやめようと思ったものの、これっていうネタが見つからないまま宿題に突入したんだ。でもねぇ、これが思ってたより早く片付いちゃったの。金曜日に提出しなきゃいけない宿題もあるんだけど、それはまた明日ってことにして、またまたネットに戻っていろんな物をボーっと眺めてたんだ。思いつくものはいろいろあるんだけど、調べるのに時間がかかりすぎちゃって何も書けないの。何を思いついたかっていうと、例えば、儒教って何だろうとか、孔子って何書いたんだろうとか。ムースって高校時代に古文が苦手で赤点以外とったことないってこの日記にも書いたことあるじゃない。でね、古文はわからないけど、漢文はできたってことはないので。漢文ってほとんど中国語でしょ。そんなのムースにはさっぱりわかりません。お習字で漢文を書くことはあるけど、何が書いてあるんだかいっつもさっぱりわかりません。でね、困っちゃうのが、たまに質問されるの。これ何書いてあるの?って。いつも答えは同じ。さぁ、何でしょう?って答えるの。それ以外答えようないしねぇ。ちなみに、ムースはお習字を書いている時は漢字を専門にしております。先生はたまには仮名でも書いたらと勧めてくれるんだけど、ムースねぇ、ここでも緊張しちゃって全然書けないの。だから仮名を書くことからいつも逃げ回ってるんだ。っていっても、本当は仮名の方がいいのかなぁーって思うときもあるんだけど。っていうのはねぇ、ムースの字って体形と一緒でヒョロヒョロなの。先生は褒め上手だから良寛みたいねっていってくれるんだけど…。良寛って小学校の教室の後ろにあった学級文庫の伝記シリーズとかにあったあのお坊さんの良寛。良寛の字ってねぇ、ミミズが這ったようなヒョロヒョロの字なんだ。前にねぇ、上野の美術館へ行って何かの展覧会で良寛の字を見てきたんだけど、字の上手な人とはいえないの。ムースはねぇ、藤原行成って人の字をその時に初めて見たんだけど、かなり上手ですぐにファンになったの。ってこの藤原行成って平安時代の書家で三筆の1人っていわれてる人なんだってねぇ。道理でうまいと思った。ちと話がそれちゃった。っていつものことか。
そんなんでね、いろいろと調べては見たもののしっくりこなかったの。その時に気分転換を兼ねて、コラム系日記サイトへいったら今日っていうか明日の新聞の社説が載ってたのね。何かねぇ、おかしくなっちゃった。どうしてこうも横並びって感じだったから。だって朝日・ナベツネ・毎日・産経、各紙社説の内容は教科書検定問題についてなんだもん。一応ねぇ、各紙の社説に目を通したけど、どこも似たようなこと書いてるしつまんない。突拍子もないこと書いてぇーっていう期待もあるけど、会社経営って観点から見たら当り障りのないことしか書けないもんねぇ。新聞にその会社の色を出しちゃうと、読者の中には離れていっちゃう人もいるだろうし。今は販売部数を伸ばすのに各社必死になって取り組んでるのに、読者離れさせるようなことやったらそれこそ大変だもんね。つまんないけど、これが平和な証拠だもんねぇ。
あとねぇ、社説を読んだあとに必ず思うのが、だから何?、どうしたらいいの?ってこと。この間の日記に書いたエッセーの書き方じゃないけど、私はこう思いますってこと書いてくれると、読んでても楽しいんだけど。事実を羅列しても読んでる方は面白くないんだもん。っていうか、ネット上にある日記やコラムを読みすぎちゃったからこう思うのかな?だってネットの中にあるコラムってその人の考えをストレートに書いてあるじゃない。ムースとねぇ、考え方が合わないって思うサイトのものでも、読んでて楽しいの。その考えを受け入れてっていうことになると拒否反応が出ちゃうけど、それを毎日読んでる分には一切拒否反応が出ないんだ。もちろん、考え方が似ているサイトのコラムはいつでも楽しんでるけどね。こんなことを毎日のようにやってるから、新聞を読んでても茶番ににしか見えなくなっちゃうと思うんだろうね。
でね、その中で日経新聞は小中学校の週休2日制について書いてあったんだ。って一応、教科書問題に関連してるんだけどねぇ。日経新聞も例にもれずどうしたらいいってことは何1ついってないよ。「社会変化の速度とニーズに合わせた政策の再構築をためらうべきではない」っていってるだけ。読んでるとだから何すればいいのぉーっていいたくなっちゃうけど、そんなことはどうでもいいとして、この社説の中で新学習指導要領のことに触れていたのね。今日の教科書問題はすべてこの新学習指導要領の問題から来てるんだけど、社説には「知識の詰め込み教育を改め、「ゆとり」と「個性」を重視して子供たちの「考える力」を育てようという狙い」で今回の新学習指導要領を作ったみたいなの。ムースねぇ、ここの部分を読んだ時に何ぃーって叫びそうになっちゃった。だって「個性」を重視してっていうけど「個性」が何だかわかってない人がどうやって「個性」を伸ばしてあげるの?日本って個人っていうよりは集団を好む国なのに、どうやって「個性」の重視するの?「横並び」については誰しもが教わってるし、教えることの出来る人もたくさんいると思うけど、「個性」ってことがわかってないのに、どうやって先生が生徒の「個性」を重視できるんだろう。「個性」を重視するってことは「個性」を受け入れてあげないとダメなんだよ。でも日本っていう国は他と違ったことをすれば差別をしてきたっていう背景があるのに。
これは別に日本に限った話じゃないけど、田舎へいくと村とか集落とかいった1つの小さな地域社会の中だけで人たちが生活してるじゃない。外からの人をあまり受け入れないような小さな地域社会の中で。その中で生きていくには、みんなと地域の為にがんばっていこうっていって生活してた訳だよねぇ。ってことは、個人っていう考え方があまりなくって、全体って考え方がどうしても主流になっちゃうよねぇ。ムースはよくいわれたんだけど「君がどうなろうと私達には関係ない。でもみんなが大変なことにはならないために君はこれをやらなきゃいけないんだ」ってようなこと。書き方があまりにも抽象過ぎてわからないかな?例えば、仲良しグループでどこかへ旅行しようということになった。ムースは北海道へ行きたいけど、みんなは暖かくて海があるところがいいっていうとする。そうするとムースの北海道は当然却下。で、沖縄へ行こうということになるとする。その時にムースが「海は嫌いだから1人で北海道へ行く」っていうとそりゃ大変なことだよねぇ。我がままいうんじゃないとか、自分勝手すぎるとか。最後は全体にとって何がいいかってことで意見がまとまると思うの。ムースねぇ、これを「個性」が尊重されてないっていってるんじゃないんだ。でも、これに似たような状況ってたくさん出てくると思うの。「個性」を尊重しよう、伸ばそうって思ったら、その人の考えを受け入れていかないと「個性」なんて伸びないから。時にそれは社会の常識とは違ったものになるかもしれない。その時にどこまで受け入れられるか。あの人は違うからって差別しないでいられるか。そこに問題があると思う。
でね、今先生をやってる人が「個性」って何だかわかってないと思うのね。だって「個性」とは無縁の生活、「個性」を無視された学生時代を送ってきたのに、突然、「個性」重視でーすっていわれたって困っちゃうよね。ムースねぇ、ある集団の中で「個性」を尊重していきましょうっていうのならわかるの。仲良しグループの中でも、人それぞれ違うよね。その違いを指して、これがあなたの「個性」ですっていうのなら、「個性」ってそういうことねって納得できるの。その小さなグループの中での小さな違い。でも、クラスっていう観点でものをとらえると、その仲良しグループは1つで全体としてしかとらえられないと思うんだけど。
今まで全体の中でずーっと生きてきて、全体しか知らない先生に「個性」っていったってそりゃムリな話。まずは先生の意識改革をしなきゃいけないし、一体誰がそれを教えるの?大体、今日の新聞の社説でさえ「個性」が欠けてるのにねぇ。あるのは「横並び」と全体。よくぞ「個性」などといったものだ。
それとねぇ、知識の詰め込みを改めて考える力をつけましょうっていうけど、先生自体が詰め込みしか知らないのに、どうやって考える力をつけさせるんだろう?ムースの同級生の中で先生になったって人はすっごく真面目で、ってあまりよく知らないからイメージなんだけど、成績はそこそこ良くて、詰め込みの勉強にも平気な人だったんだけど。先生になる人ってこういう感じの人って多いと思うんだけど、どうやって未知の世界の人の気持ちをわかってあげられるんだろう。「考える力」っていうけど、ムースがよくいう興味を持たせてあげなければ、考えることもないと思うんだけど。だっていきなり、「今日は火山について考えてみましょう」っていったって、そんなものに興味がない人がどうして山が爆発するかなんて考えるかな?考えないでしょう。そこが試験に出るといえば、火山の仕組みを覚えるだろうけど、そうじゃなきゃやらないよね。どうしてそこがわかんないのっていいたくなっちゃうけど、文部省にお勤めできるような人はムースと違って学生時代に一生懸命勉強してきた人だから、落ちこぼれがどう苦しんできたかなんてわかんないんだよね。それとお役人さんってなかなか人の話を聞いてくれないよねぇ。だから落ちこぼれの話になんて耳を傾けてくれない。だから的を得ない、抽象的な学習指導要領しか作れないんだよねぇ。さらに付け焼刃でやってるから、コロコロいってることが変わっちゃうし。
今日はちょっと文部省批判をしちゃった。だけど文部省が、もうちょっと考えてくれればって思うんだけど。文部省こそ「個性」を重視して「考える力」をつけることが大切だろうねぇ。
子を持つお父さん、お母さんへ。先生って聖人じゃないし、今ではただのサラリーマン、OLと変わらないと思うんだ。先生って会社でいう課長さんとか部長さんだと思うの。生徒の成績だけを見て、それですべてを判断して、激を飛ばしたりしてね。テストの点数のいい生徒は学校にとって利益があって、悪い生徒はお荷物。会社だったらこれでいいって思うかもしれないよね。でも、学校じゃそれはいけないって思うかもしれない。でも、先生がサラリーマンになっちゃったんだから、自然と会社みたいになっちゃったと思うんだ。自分の子供を長い時間預けているのにそんなんじゃ困るって思うのは当然。でも、これは変わらないと思う。でね、ムースの考えなんだけど、もし学校という名の会社に適応しない子でも、子供を適応させようと注意するばかりでなく、いいところを1つでも多く見つけて褒めてあげてください。褒められてうれしくないって思う子供はいないと思うから。みんな褒められたいと思うから。学校だけがすべてじゃないし、学校の詰め込み教育に適応してないだけだと思うから。だからいいところを伸ばしてあげるよう、興味を失わせないよう、子供とたくさんお話してたくさん褒めてあげてください。家庭の事情でなかなか時間が作れない人って多いと思うけど、ちょっとでもお話ができるようにしてもらえるといいなぁって思います。もし子供の成績が悪くても、興味さえ失わなかったら、ムースのように学校に戻る人もいるかもしれないし、独学でがんばる人もいるかもしれないし。勉強するチャンスはいくらでもあると思うの。でね、それを生かすのも殺すもの、その時に勉強する気があるかないかだと思うんだ。やっぱり、学校の成績が悪かったりするとやる前から諦めちゃうからね。昨日の劣等感コンプレックスの話とは矛盾するかもしれないけど、やる前から諦めちゃうよりは、やったけどダメだったって方がいいよね。納得できるよね。だから子供には出来る限り何でもやらせてあげられれば、何でもやっていいんだって思わせてあげれば、この歪んだ教育も少しは変わっていくと思います。
ムースがこれをできるかっていうと、うぅ〜ん、ムリそう…。でも、もし結婚することが出来て、もし子供を持つことが出来たなら、できる限り子供とはお話していきたいなぁーって思ってます。っていっても、自分自身が疲れているときとかは、ムリをしないようにするけど。親とはいっても1人の人間だもんね。疲れて1人になりたいことだってあるだろうし、1人で楽しみたい時もあると思うし。そういう時はムリしないでね。がんばりすぎると、ムースのように心が風邪ひいちゃうから。ものごとは適度ってものが大切だしね。
きゃー、今日は偉そうに書いちゃったぁー。理想を書くっていうのは偉そうに書けて気持ちいいねぇ。これが現実だともっと気持ちいいけど。でも、明日から誰も読んでくれなくなっちゃったりして。それはそれで悲しいなぁ…。


2002年04月09日(火)




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